10. 手も足も出ない窮地
「都合のいいことに、今は真夜中です。このまま召喚実験に入りましょう……。リリリカ古魔術が、最大効果を得られる時間です」
黒い軍用コートのポケットから、鎖付きの懐中時計を取り出して女性魔術士は言った。
「諸侯、ただちに術発動の準備を」
その魔術士の一言で、騎士達はばたばたと動き始めた。銀色の厚手布が砂地の上にぱっと広げられる。騎士二人に脇を取られ、ベイトリーシュはその布の中央に引きずって行かれた。
両手首を簡易手錠で拘束される間、ベイトリーシュはおびえた眼差しでずっとわたしを見ていたが、女性魔術士に軽く杖で膝のあたりを叩かれ、へなへなとその布の上に座り込んでしまう。ああ、お尻痛くて歩けないんだっけ……。
騎士達は、わたしの手首足首にも簡易手錠をつけて地べたに転がした。紫に光る魔術の拘束は消えたけど、これでは文字通り手も足も出せない。わたしは奥歯を噛んだ。
「それでは参ります。記録班、準備はいいですね?」
「はい、ミス・キンセラ」
「全員、所定の位置につきましたッ」
銀色の布には、びっしりした文様が入っているようだった。その真ん中、委縮した様子で座り込むベイトリーシュの前に、女性魔術士が立つ。
手に手に計測機器や筆記板を構えて、リオネス騎士達はその周りを大きく取り囲んでいた。何をするつもりなんだろう? ……って、あれ。さっき≪召喚≫とか言っていた? ベイトリーシュがおびえた様子で顔を上げ、震える声で問う。
「何を……。何をするんですの、あなた」
「ベイトリーシュ姫は、何も考えなくて結構です」
女性魔術士は、左手に持ったまっすぐな杖の先を、ベイトリーシュの額の上に差し向けた。
「……あなたは、リリリカ魔術師ではないのですかッ。竜を……あの竜を召喚して、今度こそ世界を滅亡させるおつもりなのですかッ!?」
震えるベイトリーシュの声が、しだいに激高して行く。けれどその糾弾を、周りの騎士たちは誰も気にしていないらしい。皆、めいめいの手にした計器や帳面にばかり集中している。
「もう、もう、たくさんです! あんな怪物も、かなしい災禍も! 竜は人間に操れるものじゃないのよ……どうしてわからないの、止められる人だってもういないのに!」
ベイトリーシュはぼろぼろ涙を流し始めて、最後には叫んでいた。
「お願い、やめて! 今すぐ、やめて下さいまし!!」
「六十年前に召喚された竜は、確かに誰の指示をも受け付けない大怪物でした。それはあなたのお母様とその魔術師とが、能無し召喚主だったからに他なりません」
いきなり、その場にいる全員に氷水をぶっかけるような冷たい声で、女性魔術士が平らかに言った。悲痛に嘆き訴えていたベイトリーシュも、それでぐっと口をつぐんでいる。
「そういう馬鹿どもの感情的な愚行のせいで、リリリカ人は故郷を追われ、わたしのような難民二世にすら、いわれなき苦労が及んでいるわけですが……」
えっ、とわたしは思った。このお姉さんは、それではリリリカ人ということなのか。いや、リリリカ系リオネス人だろうか。女性魔術士はさっと頭を横に振り、なんだか自分自身に気合を入れているらしかった。
「それはそれとして、わたしはリオネス魔術士です。リリリカ古魔術についても造詣を深めておりますので、心配は要りません。召喚主として、適切に竜を制御できる自信があります」
つとッ! 女性魔術士は、その杖の先端でベイトリーシュの額に静かに触れた。そこから紫色の光があふれ出す。
光はベイトリーシュの額から顔へ、やがて身体全体にしみ込んでいった。お姫様の全身が、紫色にふわっと光る。
「アンデルデルスワ アンデルデルスワ スイレメン」




