洗脳の善し悪し
「まあ、こんなものかしら」
千夏ちゃんの言葉を受けて、オカルリちゃんが照明を元の明るさに戻してくれた。
円盤の付いた鎖で出来た洗脳道具を、千夏ちゃんがテーブルに置く音が響く。
一方、催眠を掛けられた側のユミリンは少しボーッとしているように見えた。
「ユミリン、大丈夫?」
思わず声を掛けると、ユミリンが視線を私に向けてくる。
そこから少し間があってから「……大丈夫……だと思う」と返ってきた。
いつものようなキレが無いので、不安を覚えたんだけど、次の声を発したユミリンは「へんなかんじはしないな」と言いながら、柔軟を始める。
腰を捻り腕を回し、足を上下させて体の感触を確かめながら、ユミリンは「体の感覚は変わらないし、千夏に洗脳されたって感覚は無いなぁ」と口にした。
すかさずオカルリちゃんが「掛かってない、ということですか?」と尋ねる。
「目の前で、左右にその道具を揺らされて、勉強が好きになるって、言われ続けたのは覚えているんだが、何か変わったって感覚は無いな」
顎に拳を当てて首を傾げながら言うユミリンに、お姉ちゃんが「ユミちゃん、苦手な教科ってある?」とさりげなく質問を投げた。
不意打ち気味だったのもあって、ユミリンは「え?」と声を漏らしてから、少し考えて「苦手はないかもしれないです」と答える。
そのユミリンの答えに、私たちは、思わず顔を見合わせた。
一方、そのリアクションに何か言わねばと思ったのか、ユミリンが「あ、キライじゃ無いだけで、得意だとか、成績が良いってワケじゃ無いですけどね」と言う。
言葉を重ねるごとに募っていく違和感は、千夏ちゃんの洗脳の成功を物語っていた。
何しろ、ユミリンは知識系の科目が苦手……というか、キライだったし、それを自他共に認めていたのである。
それが嫌いなものは無いと言い、演じている素振りも見られなかった。
むしろ、お姉ちゃんの質問に、あまり思考せずに反射で答えたようにすら見える。
洗脳の効果が発揮されているのでは無いかと皆が実感し始めたこのタイミングで、千夏ちゃんは委員長が持ち込んだ社会科のドリルを「あ、ちょっと、これ、解いてみて」と言いながら差し出した。
「いいけど」
千夏ちゃんから問題集を受け取りながら、委員長に視線を向けながらユミリンは「委員長、これ、私が解いても良いのか?」と尋ねる。
ここですかさず千夏ちゃんが「委員長のなんだから、直接書き込まないで、自分のノートに答えを書き出して解きなさいよ」と言い放った。
ユミリンは少し上からに聞こえる千夏ちゃんの言葉に対して、いつものように反発すること無く「おお、そうだな!」と声を弾ませる。
更に「ドリルに書き込まなければ、何度も解けて良いな。千夏、サンキュ」というなり、テーブルに受け取ったドリルと自分のノートを広げて問題に挑み始めた。
喜々としてドリルに挑むユミリンを見ながら、千夏ちゃんがボソッと「これ……解いた方がいいのかしら?」と口にした。
千夏ちゃんの口にした『解いた方が良いのか?』の対象は『勉強好きになるという洗脳』である。
普通に考えれば、洗脳は状態を歪められているわけだから解くのが正解だ。
ただ、目の前で楽しそうに問題に挑むユミリンの姿を見ていると『この状態を解除するのが正しいのか?』に対する答えに迷いが生じる。
勉強に興味が無かったユミリンが、勉強に興味を持てるように……いや、好きになったのならこれは好転と判断する人が多いはずだ。
ただ、良い方向の変化をもたらしたとも言えるが、洗脳は洗脳だ。
「ユミリンの性質が歪められているのは、そこは間違いない……よね?」
私の言葉に反応は無い。
続けるのと辞めるのとどちらが良いのかの判断が、私を含めた全員が付かなかったのだ。
決めきれない状況が続く中で、ユミリンを見ていた茜ちゃんが「私はぁ、この後でぇ、勉強好きにして貰いたい~」と言い出した。
洗脳を志願する茜ちゃんの意見を聞いて、委員長が「本人の希望なら……良いんじゃ無いかしら」と言う。
委員長が自分の考えを表明したことを切っ掛けに『自分で希望したなら洗脳状態のままで良いんじゃないか?』という考えに傾き始めた。
「茜ちゃんはユミリンの変化を見て、希望したから、本人の意思ってことで良いと思うけど、ユミリンは……」
私がそう口にすると、オカルリちゃんが「本人に聞いてみるのがいいんじゃないでしょうか?」と返してきた。
「でも、洗脳状態の今聞いても……」
意識を操作された後に意見を求めるのはなんか違う気がして言ったけど、客観的に言えば、かなり面倒くさいことをいっていると思う。
本人の意思を確認したいと言えば、聞こえは良いけど、その本質はユミリンを歪めたという罪悪感を抱きたくないだけじゃ無いかと思ってしまって、罪悪感が沸き起こった。
そんな身勝手で面倒くさい考えを巡らせていた私に、オカルリちゃんは「では一旦洗脳を解除して、直接聞いてみましょう」とサラリと言い放つ。
「茜ちゃんの様に自分に決めて貰うために、今の状態を録画して、映像を見て貰ってから、改めて聞けばいいと思いますよ」
オカルリちゃんは満面の笑みで、あっさりと私の難問を解きほぐしてしまった。




