女剣士は令嬢と共に・中の下
いつも通りに放課後の練習を終えた秋穂は心の中に何処か変な違和感を感じていた。
(何なのこれ……足りない?)
ただただ、技を磨く為の続けている毎日の練習では、心が満足していないような気がした。
だが、その不満の理由が一体どこにあるのか? その答えはちゃんとあるのか?
秋穂は暗くなりかけた道を歩きながら考えていた。
(……やっぱり、これしか?)
その答えは、実のところ考えるまでも無かった。しかし、秋穂自身としてはその不満に納得が出来ないでいる。
不満の理由は理屈で語れるものではない。心が訴えているのだ。
(奈月を……倒せ?)
それを認識し、心の中で呟いた時には「自分が今、何をすべきなのか」が自ずとわかってきた。
心が導く。その導きに従い、足が動く。家がある方向ではない。抗えない。他のことを考えられない。
秋穂の頭の中には「天利奈月を倒す為にするべきこと」しかなかった。
歩く。歩く。歩く。
気配を感じる。それは剣士の気配。それも大勢の。
「ようこそ、待っていたぞ」
廃工場の敷地内で大勢の剣士と待っていたのは、つい昨日、秋穂に話しかけてきた軍配の男子生徒だった。
今日もその右手には軍配が握られている。
「どうして、あんたが……?」
訳もわからず混乱した秋穂がようやく出せた言葉がそれだった。
男子生徒はそんな秋穂を見て妖しく笑みを浮かべている。
「俺と君の利害が一致したからだろう。君は俺達と同じように、少なからず天利奈月に対して敵意を抱いている」
「そんな……こと! 私はただ、奈月を好敵手と見ているだけであって」
「好敵手? ははっ、綺麗事はやめておきな。……ともかく、俺は君を歓迎するよ。天才女剣士・小池秋穂さん」
「違う! 綺麗事なんかじゃないし、私は天才じゃない!」
「ああ、そうだ。君は天才じゃない」
「は? あんたさっき……」
「君が天才じゃないのは、君に非があるわけじゃない。天利奈月という女剣士がいるからだ。もし君が、彼女を打ち負かし、天利奈月の剣道を潰して仕舞えば、紛れもなく天才女剣士の称号は君のものになるだろうさ」
否定出来たかもしれない。だが、秋穂にとってそれは否定しきれる考え方ではなかった。
現に秋穂は、練習試合で行われる団体戦のメンバーとなるべく、奈月に勝負を挑んだのだから。
「奈月を倒せば……私が天才女剣士」
「そうだとも。君は天利奈月を倒すことだけに専念すればいい。……そうすれば、君の天才女剣士として立場は揺るがないし、俺の助けにもなる」
「……………」
「彼らは俺の同志。そして君の同志でもある。彼らに変わって……俺に変わって、天利奈月を倒してくれるか?」
「…………」
秋穂は無言で頷く。彼女はこの時、奈月を倒す為の駒と成り果ててしまったのだ。
男子生徒はそんな秋穂を見て「自分に軍配があがる」と確信した。
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翌日の朝、沙希と一緒に登校した奈月は玄関で沙希と別れ、剣道部が練習で使用している格技室へと向かった。
「おはようございまーす!」
明るく元気な挨拶で中へ入っていく。そこまではいつも通りだった。
しかし、その直後に予期せぬ出来事が起こる。
「奈月、勝負しなさい!」
「…………っ!」
秋穂が朝の挨拶も返さず、竹刀の剣先を奈月の方に向けて戦いを挑んだのだ。
剣道の流儀に倣わない……ふざけていると捉えられてもおかしくない。実際、秋穂と奈月以外のこの場にいる剣道部員は皆、秋穂がふざけていると感じた。
真っ先に反応したのは勝負を挑まれた奈月ではなく、秋穂の姉である春美だ。
「ちょっと秋穂! 朝から何をふざけているの!?」
「…………」
「これから朝練が始まるの! わかるでしょ!? 小学生じゃないんだから……」
妹の態度を恥だと思ったのだろう。春美の怒りは鬼気迫るものだった。
普段なら怒られればすぐにしょげて謝る秋穂だが、今はまるで「生活音」かのように聞き流している。……というよりも、意識すらしていない。
「奈月、勝負」
「下がりなさい!」
奈月との勝負しか頭に無いのか、春美の言葉が一切届いていない。やがて春美は「言うだけでは無駄」だと判断し、両手で秋穂の肩を掴み、下げようとした。
しかし、一向に秋穂は下がろうとしない。
周りの剣道部員は最早、異常事態と判断出来てしまうこの現状に戸惑い始める。
一方で奈月は秋穂の目を見て、その勝負が「おふざけ」で挑んでいるものではないと感じた。
「わかったよ、秋穂。その勝負、受けて立つ」
「奈月!?」
奈月の言葉に春美は驚き、秋穂は純粋とは程遠い、まるで何かが乗り移っているかのような不敵な笑みを浮かべた。
「付いて来い」とばかりに、秋穂は線で囲まれた試合場へと入っていく。完全に礼を失した行為だ。
「春美先輩。秋穂の意図はわかりませんが、ボクが秋穂を止めてみせます!」
「……ごめんね、奈月」
「いえ!」
奈月も試合場の方へ向かう。
相手が礼を失したのだから、本来なら相手に敬意を払う必要などないのかもしれない。だが、奈月は「剣道に対する敬意」を払った。
一連の動作に従って、一礼をしてから試合場へと入っていく。
中央まで歩いて行き、竹刀を構えて蹲踞しようとしたが、秋穂は容赦なく奈月に斬りかかってきた。
「……なっ!」
「流石に礼を尽くすまで待ってくれるだろう」という奈月の予想は裏切られ、咄嗟に秋穂の攻撃を受け止めた。
売り言葉に買い言葉だったという点は否定できないが、奈月はお互いに防具をちゃんと身につけていないことに今更気付いた。
重度の中二病患者相手では防具を身につけていない為、つい忘れてしまっていたのだ。
「くっ……ぅぅ」
こうなってはもう仕方がない。防具なしでも、秋穂が満足してくれるまで戦うしかないが、奈月は秋穂の初撃を受けて背中に冷や汗が流れたのを感じた。
いつもと違う。その一撃は、素人の力任せのそれではないが、美しさに欠ける分、威力が大きかった。
「斬り伏せ……! 斬り伏せ……!」
まるで呪文を唱えるかのように秋穂は呟き、更に力を加えていく。
「くっ……てやぁぁぁっ!!」
力が下へと掛かっているのを利用して、奈月は自分の竹刀をサラリとずらし、力の矛先を突如として失ってバランスを崩した秋穂の横をすり抜けた。
すぐさま振り返り、構え直して秋穂の出方を伺う。
奈月は、体制を整え直した秋穂がすぐに追撃してくると予想していた。
しかし、予想に反して秋穂も構え直してこちらの出方を伺っているようだ。
奈月は秋穂の顔を見る。
一見、冷静そうに見えるが、闘志……というよりも殺気が隠しきれていない。
「……いつもと違うようだけど、何かあったのかな?」
「…………」
秋穂は奈月の疑問に答えず、再び動き出した。
その動きは剣道で培ってきたものだ。今まで積み重ねてきた練習の成果が、攻撃の勢い・雰囲気に出ている。
だが―――
(やっぱり、いつもの秋穂じゃない……!)
動きこそは秋穂そのものだが、そのタイミングがいつもと違っていた。具体的に挙げるなら、普段の秋穂は隙を伺い、確実に1本を取れるイメージを浮かべて確信した時に攻めるが、今はどちらかというと攻めてから臨機応変に対応するという形に感じられる。
面を狙った秋穂の打ち込みが奈月を襲う。
奈月は打ち込みを受けると見せかけ、秋穂の胴を狙った。しかし、秋穂は上段で構えた状態を維持して後ろに下がり、奈月の攻撃を躱した。
「……っ!」
奈月はすぐに構え直しつつ秋穂との距離を縮め、追撃する。
面・面・小手。
お互いに防具を付けていない状態を考慮し、奈月は出来るだけダメージを受けないように攻撃を仕掛ける。
面を打つ強さも、いつもよりかなり力を抜いている。
その代わりに、スピードを重視した。
奈月の攻撃に秋穂は漏れなく対応しきっており、なかなかに勝負が決まらない。
奈月はこのまま朝練の時間終了まで時間稼ぎをするのもありだと考えたが、ここにきて秋穂が焦りを見せた。
しかしそれは振る舞いに、ではなかった。
「このままじゃ時間切れになってしまう。だから……」
そう言った秋穂が構え直すと、奈月は更にどこか、秋穂の雰囲気が変わったのに気付いた。
秋穂が躊躇いもなく剣を振る。
その瞬間、奈月は「攻撃を受けてはいけない」と直感し、後ろに下がって回避した。
空を切る音が、竹刀のそれではない。
「秋穂、それは一体……?」
外見はただの竹刀。だが、不思議とそれは竹刀ではなく真剣のようだと誰もが感じた。
そんな秋穂とまともに戦うには奈月も能力を使うしかない。しかし、奈月の能力は剣が光るので目立つ。
自身の身を守る為なら仕方がないが、それでもこの場で使用するのは避けたいところだ。
(どうしよっかな……)
悩んでいるうちに秋穂は奈月を斬り倒そうと徐々に近寄る。
「くっ……!」
奈月は振る舞いを「剣道の手合わせ」から「敵との斬り合い」に切り替えた。能力は使用せず、能力を使用した時と同じ振る舞いをする。
一方、秋穂は変わらずに剣道の動きだ。出鱈目な攻撃より予想はしやすいが、洗練された技の素早さと鋭さは脅威であり、回避に失敗すれば負傷する可能性がある。
「せいっ!」
防御できないのをいいことに秋穂は続け様に攻撃を仕掛けてくる。強い踏み込みの音と同時に剣が振り下ろされる。
奈月はそれを横に躱し、続く胴を狙った攻撃も後ろに下がって回避。右足で強く踏み込んで、竹刀の剣先を秋穂の右胸を狙って突き付けた。
しかし秋穂もただ攻撃するだけではない。奈月の突きに間一髪で反応して後ろに下がった。
奈月はそのまま剣を押すように前へ出ながら、後ろに下がった秋穂を追って斬り払う。
「いっ……!」
奈月の素早い動きに対応しきれなかった秋穂は左の横腹に竹刀の打撃を受けた。
「ま、まだ……!」
それでも秋穂は「まだ負けてない」とばかりに奈月を攻撃しようと涙目になりながら前へ出る。
「くっ……!」
その諦めの悪さに奈月は判断力を鈍らせ、秋穂の形が崩れた捨て身の一撃に対応しきれなかった。
真剣を思わせる剣の一撃が、奈月を襲いかけた瞬間、まるで鉄と鉄をぶつけたような高い音が奈月の目の前で鳴り、秋穂の持っていた剣は宙を舞ってただの竹刀へと戻っていた。
「そこまでだな」
勝負に介入したのは、険しい顔をして竹刀を握った剣道部顧問の大森だった。
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「はぁぁぁ」
お昼休み、奈月はいつも通りに沙希と昼食の弁当を広げていた。
沙希の冷たい視線を無視してお弁当をかきこんで食べ終えた奈月は、今朝の出来事を思い出して大きな溜息を吐いた。
「しかし意外だわね。まさか大森先生が……」
沙希は奈月から一通りの話を聞き、勝負に介入した大森が「元・重度の中二病患者」だということに意外感を覚えた。
介入した直後、大森は特に話をせず、今朝はそのまま解散するよう剣道部に告げた。
もちろん、奈月にも何も言わなかった。大森が「元・重度の中二病患者」だというのは、起こった現象から判断したものだ。
「だけど大森先生のお陰で助かったよー。ボクの能力、見た目も派手だからなぁ……」
朝の出来事を1人で勝手に回想していると、珍しく誰かが近付いてくるのに気がついた。
「あれ……春美先輩?」
近付いてきたのは秋穂の姉、春美だ。春美は奈月に対して申し訳なさそうな顔をしていた。
「奈月、朝は本当にごめんね……。怪我はなかった?」
「あっ、大丈夫ですよ! それより、秋穂の様子は……?」
大森の介入後、秋穂を刺激しないよう、春美に任せて奈月はすぐに格技室を後にした。
奈月と秋穂はクラスが違うため、奈月は午前中、ずっと気になっていた。
「どうにか落ち着いてる……というより、奈月との勝負以外、興味がなさそうに大人しくしているようだわ」
「そうですか……」
奈月は春美から視線を外さないよう、しっかりと目を見て話を聞いている。表情から察するに、話は秋穂の様子だけではないようだ。
春美が重々しく口を開こうとした瞬間、更にもう1人、こちらへやってきた。
「そっから先の話、聞かせてお」
とても18歳とは思えない軽い雰囲気で話しかけてきたのは、3年生である陽射嬌華だった。
「陽射先輩……!」
まだ食事中だった沙希は橋を止め、立ち上がった。沙希と奈月にとって嬌華は「前任の代表者」にあたる。
「相変わらずねぇ、さっちゃん。アタシのことは『キョウちゃん』でいいって言ってるのに! まあ、それはそれとしてね、話を聞かせて貰えるかな?」
「あ、はい!」
意外な登場人物に春美は嬉しそうだった。
嬌華は代表者としての仕事を出来るだけ効率よくこなす為に、自ら色んな方面での相談を請け負っていた。
そしてそのだいたいが解決の方向に向いていくという。嬌華自身は解決策を提案するよりも、悩み相談を聞いて共感してあげているくらいだが、それでも「聞くだけに留まっていない」と評判が良かった。
沙希と奈月へ世代交代をして以来、悩み相談は2人にするよう促していたようだが、今回の件については2人をアシストするつもりのようだ。
「実は、秋穂の様子がおかしくなったのは昨日からなんです。いつもは部活を終えて真っ直ぐ帰るのに、昨日はかなり遅かったんです。……父と母が叱ると、怒られているにも関わらず何も感じないようで、そのまま夕飯も食べずに部屋に入っていってしまって……」
「うんうん。それで、それで?」
「私が様子を見に行ってたら、部屋を暗くして何やらぶつぶつ唱えていたんです。私、なんだか怖くなってしまって……」
「そっかぁ……!」
嬌華はいつのまにか春美の肩に手を置いて「うんうん」と頷きながら話を聞いていた。
読んで下さりありがとうございます! 夏風陽向です。
ここだけの話、私は剣道経験者ではないのでいまいちうまく戦闘シーンが書けません。
なんだかズルズルと長くなってしまっているように見えますが、来週で必ず締めになるはずです!
奈月と沙希の前任者・嬌華。今回の話でぜひ出したかったので、出せて良かったです。
始めは「気高い感じ」をイメージしてますが、なんか沙希と話し方が被りそうだったので、気さくな明るい感じにしました。
それではまた来週。次回も読んで下さると嬉しいです!




