新章・時計仕掛けの羅針盤。第63話。雨の日の幻影と、過去を撃ち抜く絆。
第63話。雨の日の幻影と、過去を撃ち抜く絆
「うわあ……本当に光が流れているみたい……!」
海の精霊カイくんに先導され、私たちは『時の神殿』の奥へと続く光の回廊を進んでいた。
足元には大理石の床があるはずなのに、まるで透き通るような茜色と黄金色の光の水流の上を歩いているかのような、不思議で温かい感覚。
衣服が濡れることもなく、水圧を感じることもない。
お母さんユウコが遺してくれたこの空間は、神々の冷徹な理とは違う、母の優しい愛に満ちていた。
「アサヒ、少しでも足元が不安定だと感じたら俺の腕に掴まりなさい。君の細い足首が疲れてしまわないか、俺はそれだけが心配なんだ」
白銀の魔導衣を優雅になびかせながら、アレン様が私のすぐ隣に並び立ち、黄金色の双眸を優しく細めて微笑みかけてくる。
「アレン様、大丈夫です。私、これでも結構歩くのは得意なんですから」
「ふふ、そうかい? だが、俺の魔力で君を抱きかかえてこの回廊の最奥まで運ぶ準備はいつでもできているよ」
大人の包容力全開で、さらりと過保護な甘い言葉を囁くアレン様に、私の頬はまたしてもポッと熱くなってしまう。
本当に、神々との最終決戦を終えてからのアレン様は、隙あらば私を甘やかそうとしてくるのだ。
「ちょっとアレン! 回廊の中でもお姉様をナンパするのは禁止だよ!」
私の右手をきゅっと握りしめていたソルが、黄金の髪を揺らしながら頬を膨らませて怒鳴った。
その瞳には、少年のあどけなさを残しながらも、アサヒを絶対に誰にも渡したくないという本能的な独占欲がギラギラと輝いている。
「そうだよアレン様! 私たちの前でアサヒ様にベタベタしないで!」
私の左腕にしがみついていた夕日ちゃんも、夕闇色の長いツインテールをぷんぷんと揺らしてアレン様を睨みつける。
地球での幼馴染だった「朝日くん」と「夕陽ちゃん」の記憶を取り戻した二人は、私への愛着が以前の何倍にも膨らんでいるみたいで、こうして歩いている間も一歩も離れようとしない。
「みんな、なかよしだねぇ!」
先頭をスイスイと泳ぐカイくんが、水色の髪を揺らして楽しそうに笑う。
その賑やかで愛おしい空気の中に、私たちは確かに、この世界で生きていく幸せを感じていた。
――しかし、その幸せを引き裂くかのように、突然、回廊の光が乱れた
。チク、タク、チク、タク……。
「え……?」
頭の中で、不規則に狂った時計の針の音が響き渡る。
それと同時に、胸のポケットにあるお母さんの預言書が、氷のように冷たく、激しく脈打ち始めた。
「アサヒ様、下がって!」
「アサヒ、俺の後ろへ!」
ソルとアレン様がいち早く異変を察知し、私を庇うようにして前に出た。
回廊を流れていた美しい茜色の光が、一瞬にして【どんよりとした灰色の光】へと変色していく。
水中の歪みから染み出してきたのは、この異世界の魔力ではなかった。
それは、どこか生々しくて、冷たくて、湿った――『地球の雨の匂い』だった。
ザァァァァァァァァァァ……。
「嘘……。これ、雨の音……?」
私の耳に、激しい豪雨の音が届く。
大理石の床が、アスファルトの黒い道路へと形を変えていく。
周囲の光の壁は、いつの間にか、地球での懐かしい、けれど今となっては不気味な【現代の街並みやビル群の影】へと変貌を遂げていた。
地球の時間の乱れが原因で、神殿の中に私の前世の記憶が『最悪の幻影』として実体化してしまったのだ。
ピカッ、ゴロゴロ、ドォン!!
激しい雷鳴が轟く。
視界が激しい雨で遮られる中、灰色の道路の向こう側から、キィィィィィィンという耳を裂くような【激しいブレーキ音】が響き渡った。
「――っあ!!」
私の身体が、恐怖でガタガタと震え出す。
雨の夜。
ヘッドライトの光。
視界を覆う、真っ赤なテールランプ。
あの日、私の短い生涯を終わらせた、あの【巨大なトラックの幻影】が、猛スピードで私に向かって突っ込んでくる。
(いや……嫌だ……! 怖い……!)
私は頭を抱えて、その場にうずくまってしまった。
転生して、どんなに気高い公爵令嬢アサヒとして生きようとも、死の間際に味わったあの圧倒的な恐怖と後悔だけは、私の魂の奥底に深い傷跡として残っていたのだ。
幻影だと分かっていても、身体がすくんで一歩も動けない。
「お姉様!!」
「アサヒ様!!」
ソルと夕日ちゃんが叫ぶが、トラックの速度は異常なほど速い。
「――我が全魔力を以て、概念の激突すらも無へと還さん。神聖三重障壁!!」
その時、私の前に立ちはだかったアレン様が、白銀の魔導衣を限界まで膨らませて大魔術を発動した。
アレン様の杖の先から放たれた幾重もの黄金の魔法陣が、突っ込んでくるトラックの幻影を正面から受け止める。
ズガァァァァァン!!!
大理石の部屋が激しく震動し、衝撃波が灰色の雨を吹き飛ばす。
「くっ……! これが、異界の“鉄の箱”の質量か……! なんという強固な因果の拒絶だ……!」
アレン様が限界以上の魔力を消費し、その唇から一筋の血を流しながらも、一歩も引かずに私の盾であり続けている。
彼の黄金色の双眸は、私を絶対に死なせないという、狂おしいほどの愛と執念で燃え盛っていた。
「アサヒ! 怖がることはない! あの灰色の世界が君の過去なら、俺がその過去ごと、君のすべての運命を包み込んで守り抜いてみせる!!」
アレン様の魂の叫びが、私の凍りついた心を激しく震わせた。
「お姉様……! ボクを、朝日を思い出して!」
ソルの力強い声が、私の右手を包み込む。
「地球のボクは弱くて、雨の日に君を助けられなかった! でも、今のボクは違う! 君の後ろを追いかけるだけの朝日じゃない、君の未来を照らす、本物の太陽になったんだ!!」
「アサヒ様、私もいるよ!」
夕日ちゃんが私の左腕をきゅっと抱きしめる。
「夕陽はね、アサヒ様を一人ぼっちの暗闇になんて絶対にさせない! どんなに怖い過去の影だって、私の夕日の闇が、全部綺麗に眠らせてあげるから!」
二人の幼馴染のぬくもり。
そして、命がけで私を守ってくれているアレン様の温かい背中。
私の視界を覆っていた灰色の雨が、みんなの愛の光によって、ゆっくりと晴れていくのが分かった。
(そうだわ……。私はもう、あの雨の日に一人ぼっちで泣いていた無力な『旭』じゃない)
私は顔を上げ、涙を乱暴に拭って立ち上がった。
胸のポケットの預言書が、今度は私を鼓舞するように、温かく、眩しい虹色の輝きを放ち始める。
「お母さん、私、もう過去を後悔して立ち止まったりしない……! 私には、今こんなに私を愛して、守ってくれるみんながいるんだから!!」
私が叫ぶと同時に、私の身体から、三人の魔力を何倍にも増幅させる【虹色のクロニクル光】が解き放たれた。
その光がアレン様の障壁に溶け込み、ソルの朝日と夕日ちゃんの夕陽の力を一つに束ねる。
「みんな、私の『今』の力を使って!!」
「応ッ!! ――暁光日輪・逢魔葬送刃!!!」
アレン様が時間を静止させ、ソルと夕日ちゃんが光と闇を反転させた最大の合体魔術が、まっすぐにトラックの幻影へと突き刺さった。
ドズゥゥゥゥゥン――――!!!
空間が真っ白に染まるほどの爆発が起き、私のトラウマであったトラックも、灰色の道路も、雨の街並みも、ノイズを上げて粉々に砕け散った。
灰色の霧が晴れると、そこには再び、温かな茜色と黄金色の光が流れる、美しい神殿の回廊が戻っていた。
「はぁ、はぁ……」
静寂が戻った回廊で、私は深く息を吐いた。
身体の震えは、もう完全に止まっていた。
胸の中にあったあの雨の日の恐怖は、みんなの愛の力によって、完全に撃ち抜かれて消え去ったのだ。
「アサヒ……!」
アレン様が杖を収め、すぐに私をその大きな腕の中に引き寄せ、壊れそうなほど強く抱きしめてくれた。
彼の心臓が、私の耳元で激しく脈打っているのが分かる。
本当に心配してくれていたんだ。
「アレン様、ありがとうございます。もう、怖くありません」
私はアレン様の背中に手を回し、優しく微笑んだ。
「お姉様、ボクも!」
「アサヒ様、私も!」
ソルと夕日ちゃんも大慌てで両側から抱きついてきて、私たちは再び、いつもの賑やかで温かい日常の空気に包まれた。
「みんな、すっごくかっこよかったよぉ!」
カイくんがトビウオの羽をパタパタさせて、パチパチと小さな手で拍手をしてくれる。
手にある預言書を見つめると、白紙のページに、またお母さんの優しい手書きの文字が刻まれていた。
――『よく過去を乗り越えたわね、アサヒ。さあ、時間の源流はもうすぐそこよ。』
「うん、行きましょう、みんな! 私たちの、そして地球の未来を救うために!」
私はアレン様、ソル、夕日ちゃん、そしてカイくんと力強く視線を交わし合い、光の回廊の最奥へと、何一つ恐れることなくまっすぐに歩み出した。
過去の絶望を乗り越えた私たちの絆は、もう何者にも壊せない。
二つの世界を救うための本当の奇跡に向けて、ルミナス令嬢の物語は、いよいよ最高潮の舞台へと突き進んでいく――!(
第63話 完)




