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第5章。時計仕掛けの神域と、始まりの部屋。第38話。西の谷の古い遺跡と、茜色の残影。

『ルミナス令嬢の失われた記憶 〜二つの世界を繋ぐ時計仕掛けの神話〜』


第5章。時計仕掛けの神域と、始まりの部屋


第38話。西の谷の古い遺跡と、茜色の残影


ルミナス公爵家の紋章である「太陽と時計の歯車」が金糸で精巧に刺繍された、格式高い藍色の馬車に揺られながら、私たちは世界の西の果てへと向かっていた。


切り立った巨大な崖の合間に、まるで歴史から隠されるようにして存在する【西の谷の古い遺跡】。


それが、お母様ユウコの遺した『白紙の預言書』が指し示した、次なる試練の場所だった。


ガタゴトと小気味よい蹄(ひづめ)の音だけが響く馬車の狭い車内には、なんとも言えないじれったい、静かな沈黙が流れていた。


私の右隣に座るソルは、腕を組んで窓の外の景色をじっと見つめている。けれど、馬車が大きく揺れて私のドレスの裾が対面のアレン様に触れそうになるたび、不器用に向こうを向いたまま、私の右手をその細い手でギュッと包み込んでくるのだ。


朝、神々のプログラムによって記憶を失って目覚めたはずなのに、彼の手のひらから伝わってくる温もりは、本能で私を誰にも渡したくないと強く主張していた。


「やれやれ。ソル、そんなに怖い顔で僕を睨まなくても、僕はアサヒ様を無理やり奪ったりはしないよ。……今はね」


私の向かい側に座るアレン様が、白銀の魔導衣の裾を優しく整えながら、大人の余裕を崩さずにくすくすと低く笑う。


だが、その黄金色の瞳は、ソルが強く繋いだ私たちの手元を、一瞬だけ寂しげに、そして深い独占欲を滲ませるようにしてじっと凝視していた。


アレン様は、私が一人で抱える前世の母親としての孤独に、いつも目線だけで一番深く、静かに寄り添ってくれる。


そんな甘酸っぱくてじれったい空気のなか、馬車がゆっくりと速度を落とし、静かに停止した。


「アサヒ様、到着したようだね。ここから先は、さらに注意深く進まなければならない」


アレン様が名門貴族としての優雅な所作で馬車の扉を開けると、車内へとなだれ込んできたのは、息をのむほどに神秘的で、どこか物悲しい色彩の世界だった。


馬車を下りた私の目に飛び込んできたのは、一年中、太陽が地平線へと沈む直前の『もっとも美しい一瞬』のまま時間がカチコチに止まっているという、茜色の静寂の谷だった。


見上げる空は、燃えるような濃厚なオレンジ色と、深い夜の青が溶け合う、幻想的な紫色の夕焼けにどこまでも染まっている。


風すらもその流れを止められたかのように冷たく静止しており、私たちの目の前には、何百年も前に初代聖女ユウコ様が建てたとされる、白大理石の古い遺跡が、長い年月の風化に耐えながらひっそりと佇んでいた。


「綺麗……だけど、なんだか、すごく胸が締め付けられるほどに寂しい場所ね……」


私がその圧倒的な茜色の情景に身震いしながら、遺跡の大きなアーチ状の正門の前へと一歩、足を踏み入れた、その刹那だった。


ザザッ、ザザザザッ――――!!!


私たちの侵入を力任せに拒むように、私の視界の半分に、あの強烈な『灰色の異界(地球)』のノイズが凄まじい大音量の轟音と共にフラッシュバックした。


大雨が降りしきる激しい世界線。


雷に打たれて水没していくビル群の影。


そして、私の耳の奥深くに向けて、あの地下書庫で聞いた、地球の


【壊れた踏切の警報機】の


カン、カン、カン……


という不気味な高音が、昨日よりもはるかにリアルな、すぐ耳元で鳴っているかのような圧倒的な臨場感で激しく響き渡ったのだ。


「うっ……! あ、頭が……割れそう……っ!」


あまりの激しい頭痛と胸の切なさに襲われ、私は視界を狂わされてその場に激しく膝をつきそうになった。


「アサヒ――っ!!」


ソルが瞬時に空中を滑るようにして私の身体をその腕で強く抱きとめ、アレン様も手にした杖を構えて私の前に素早く立ちふさがる。


二人の異なる温かい魔力が私の身体に流れ込み、激しい動悸と頭痛の波が、ゆっくりと引いていく。


(どうして……? この夕日の遺跡に足を踏み入れた瞬間、あのお母様のいた地球の『踏切の音』がこんなに大きく聞こえてくるの……?)


私の胸のポケットにある金色の懐中時計が、破裂しそうなほどの熱を持って、衣服越しにドクンドクンと激しく脈打つ。


私たちが前世の記憶の核心、お母様の残影に近づくほどに、地球の崩壊への秒針が恐ろしい速度で回っていくという、逃げ場のない残酷な連動の兆候。


「――歓迎せぬぞ、時間の迷子たちよ。これ以上の因果の書き換えは、世界の理が許さぬ」


地響きと共に、遺跡の奥の暗闇から、ドロドロとした黒い魔力のモヤが溢れ出してきた。


カチ、カチ、カチ……


と、空間全体を支配するような冷酷な秒針の音を響かせながら姿を現したのは、


神々が遣わした


『新たなる時間の魔獣』


たちの群れだった。


全身の青銅の歯車を不快な金属音を立てて軋ませながら、彼らは異界の魂である私を圧殺するために、鋭い光の槍を構えて一斉にこちらを睨みつけてきた。


周囲の茜色の空気が、魔獣たちの放つ凄まじいプレッシャーによって、ピキピキと凍りつくように緊迫していくのが肌に刺さるようにして伝わってくる。


「どんな敵が何千匹来たって関係ない! アサヒに、僕たちの『いま』のぬくもりに、誰一人として触れさせるかよ!」


ソルが黄金色の魔導剣を空間から引き抜き、その身体から眩しい太陽のような未来の魔力を爆発させた。


彼は私を守るために、限界突破したスピードで天空へと力強く舞い上がっていく。


「僕だって、ただ見ているだけじゃないさ。君の過去も未来も、すべてを神様の手から奪い返してみせる」


アレン様も妖しく不敵に微笑むと、その白い手を空間にかざし、巨大な黄金の時空魔法陣を何重にも展開して迎撃の態勢をとった。


お母様ユウコがこの遺跡に遺した白紙の預言書の続き、そして、じれったい恋と友情を胸に秘めたまま立ち向かう、神々との新たなるド派手な大空中魔法バトル。


二つの世界の運命をかけた、ハラハラドキドキの壮絶なる時計仕掛けのファンタジーは、この美しくも不気味な茜色の遺跡を舞台に、さらに予測不能な深淵へと、激しくその運命のネジを巻き直していこうとしていた。


(第38話・おわり)


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