第5章。時計仕掛けの神域と、始まりの部屋。第31話、始まりの部屋の約束、そして日常へ。
『ルミナス令嬢の失われた記憶 〜二つの世界を繋ぐ時計仕掛けの神話〜』
第5章。時計仕掛けの神域と、始まりの部屋
第31話。始まりの部屋の約束、そして日常へ
――チクタク、チクタク、チクタク。
耳元で、ひどく聞き馴染みのある、優しくて静かな時計の秒針の音が規則正しく響いていた。
「……あ……っ」
私は勢いよく上半身を起こし、自分の身体を両手で抱きしめた。
肌に触れるのは、あの極寒の凍土や神々の領域でボロボロになった旅用の魔導衣ではない。
いつも私が眠るときに身にまとっている、上質なシルクで作られた薔薇パールのネグリジェだった。
辺りを見回す。そこは、どす黒い紫色に変色した時間の交差点でも、無数の歯車がうねりを上げていた神の領域でもなかった。
見上げるほどに高い天井。
使い慣れたアンティークのドレッサー。
そして、正面にある壁一面を覆うような巨大な四角い窓。
そのガラスの向こうの空から、生まれたての眩しい朝日の光が、部屋のふかふかした絨毯に向かって、まっすぐな一本の「光の道」のように差し込んできていた。
「私の……部屋……。本当に、帰ってきたんだ……」
私はベッドからそっと下りて、裸足のまま、冷たいけれど安心する絨毯を踏みしめて歩いた。
胸元に手を当てると、インナーの奥に隠された金色の古い懐中時計が、体温と同じ温かさを持ってひっそりと眠っていた。
時計の文字盤の奥では、集めてきた四つのひかりの歯車が、もう二度と暴走することはないというように、静かに、現在の時間を刻みながら深い眠りについていた。
夢なんかじゃない。
私は確かに、時間の境界線でソルやアレン様と出会い、神々の試練を乗り越えて、崩壊しかけていた二つの世界をこの手で救い出したのだ。
私は部屋の片隅にある「古い宝箱の引き出し」に近づき、その真鍮の取っ手にそっと愛おしそうに指先で触れた。
それから、ドレッサーの上の大きなクリスタルの鏡を、そして壁に掛けられた古い太陽の神様の絵を見つめた。
(お母様――ユウコ。私、みんなと一緒に、自分の未来をちゃんと守り抜いたよ)
胸の奥から、温かい涙が溢れそうになる。
この引き出しも、鏡も、神様の絵も、白い扉も。
すべては私が前世の地球で不慮の事故に遭って死んでしまったあと、魂が迷子になって寂しがらないようにと、お母様が自分のすべてを神様に捧げて作っておいてくれた、世界で一番優しいワープゲートだった 。
(私に、新しい『いま』を生きるチャンスをくれて、本当にありがとう。お母様から貰ったたくさんの愛を胸に、私、この世界で一生懸命に生きていくね)
心の中でそう報告した瞬間、窓から差し込んでいた朝焼けのオレンジ色の光が、部屋全体を祝福するように一際まばゆくキラキラと輝いた気がした。
ガチャリ、と控えめな音を立てて部屋の扉が開いた。
「お嬢様! 申し訳ございません、式典の日に時計塔で倒れられてから、丸一日もお休みになられていたので、ミリーは心配で心配で……!」
飛び込んできたのは、涙をボロボロと流しながら、朝食の銀のトレイを今にも落としそうな顔をした専属メイドのミリーだった。
「ふふ、おはよ、ミリー。もうすっかり大丈夫よ。熱も完全に下がったみたい」
私はミリーの元へと歩み寄り、その温かい身体をぎゅっと抱きしめた。
ミリーは驚いたように目を見開いたけれど、すぐに嬉しそうに私の背中に手を回してくれた。
私の新しい日常。
守り抜いた、愛おしい世界での、何気ない毎日の始まり。
数日後、
私は再び『聖王立魔導アカデミー』の美しい白大理石の門をくぐっていた。
ロビーのクリスタルガラスの天井から差し込む光を浴びながら歩いていると、螺旋階段の上から、サラサラとした黄金色の髪をなびかせた一人の少年が、悪戯っぽく微笑みながら下りてくるのが見えた。
アレン・クロノス様。
彼は私の姿を見つけると、優雅に深く一礼し、その黄金色の瞳を妖しく光らせた。
「やあ、アサヒ様。お体の具合はもういいのかい? 僕はね、君とまたあの『時計塔の秘密』について、じっくりと語り合える日をずっと楽しみに待っていたんだよ」
「ええ、アレン様。喜んで」
私はアレン様に向かって、満面の笑顔でうなずいた。
神々の脅威は去った。
けれど、私と彼らの絆の物語は、この魔法の学園の日常の中で、これからもっと深く、新しく紡がれていくのだ。
お母様から、私へ。
繋がった時間のレールは、今、美しい朝日の光に照らされながら、どこまでも輝く未来へ向かって、静かに、新しく回り始めていた。
(第31話・おわり)




