第3章東の地平線と、四つの歯車。第21話。記憶の逆さと、二つ目の鍵。
『ルミナス令嬢の失われた記憶 〜二つの世界を繋ぐ時計仕掛けの神話〜』
第3章。東の地平線と、四つの歯車
第21話。記憶の逆さ鏡と、二つ目の鍵。
「ありがとう、アサヒ……、ソル……」
私の胸の中で、クレピュスクが茜色のドレスを小さく震わせながら、ほっとしたように息を吐き出した。
私の両手から溢れる『朝焼けのオレンジ色』の光に優しく包み込まれたことで、彼女の身体をどす黒く蝕んでいた神々の呪いのモヤは、静かにシュワシュワと音を立てて夜気に溶けるように霧散していった。
「もう大丈夫よ、クレピュスク。二つ目の歯車はどこにあるの? 私たちがそれを手に入れて、この世界のネジを絶対に巻き直してみせるわ」
私が強く彼女の泥に汚れた小さな手を握りしめると、クレピュスクは涙をそっと拭い、神殿のさらに奥へと続く、古びた真鍮の重い扉を指さした。
「この奥の……『記憶の最深部』よ。そこに、初代聖女ユウコ様が遺した【記憶の逆さ鏡】が眠っているわ。二つ目のひかりの歯車は、その鏡の向こう側に封印されているの」
「記憶の、逆さ鏡……」
私、ソル、アレン様の3人は、クレピュスクに導かれるようにして、その重い真鍮の扉をゆっくりと押し開いた。
ギギギィ……
と不快な金属音を立てて開いた部屋の中は、窓が一つもない、ひんやりとした神聖な空間だった。
部屋の真ん中には、見上げるほどに巨大な、大理石で縁取られた古い鏡が鎮座していた。
しかし、その鏡の表面は、まるで真っ黒な煤を波打つ泥のように塗りたくったかのように、ドロドロとした闇の魔力で覆われており、何も映し出してはいない。
「あの鏡は、触れた者の『魂のルーツ(過去)』を映し出す魔導具よ」
とクレピュスクが言う。
「だけど、世界中の人間たちの過去への後悔が、あの鏡を真っ黒に曇らせてしまっているの。アサヒ、あなたの持つ『時空のネジ』の光で、あの鏡の曇りを払って!」
私は一歩、また一歩と、その不気味な黒い鏡の前へと歩み進めた。
胸のポケットにある金色の懐中時計が、鏡に近づくにつれて、ドクン、ドクンと壊れるほどに激しく、熱く脈打ち始める。
(お母様……。私は、あなたの遺してくれたこの世界で、みんなを守るために戦うわ。どうか、私に力を……!)
私が心の中で強くそう願った瞬間、手の中の懐中時計から、カッと激しい、燃えるような朝焼けのオレンジ色の光の波動が放たれた。
その眩しい光は私の身体を通り抜け、黒く曇った鏡の表面へと真っ直ぐに突き刺さる。
パリィン……!
と、心地よい音を立てて、鏡を覆っていた黒い煤の魔力が一瞬で吹き飛んだ。
クリアになった鏡の奥に、じわじわと一人の女性の姿が映し出されていく。
私は、その姿を見た瞬間、あまりの衝撃に息が止まり、その場に膝をつきそうになった。
「え……っ!? なに、これ……おかしいよ……」
鏡の中に映っていたのは、ルミナス公爵家の人間ではなかった。
それは、前世の私の記憶の底にある、あの少し色あせたエプロンを着て、オショウユとダシの温かい匂いをさせていた――私のお母さんの姿だった。
しかも、鏡の中のお母さんは、まばゆい純白のドレスを身にまとい、手には私と同じ「金色の懐中時計」を握り、多くの民衆から『聖女ユウコ様!』と歓声を浴びている、若き日の輝かしい姿だったのだ。
けれど、何よりも私の脳髄を恐怖させたのは、その【鏡の映像の不気味さ】だった。
私が驚きのあまり右手を挙げると、鏡の中のお母さんも、完全に同じ『右の手』をこちらに向けて挙げたのだ。
本来なら鏡は左右が反転して左手が映るはずなのに、この鏡は文字も景色もすべて、現実とまったく同じ向きでこちらを映し出している。
文字が反対にならない、世界の理を無視した『逆さ鏡』の歪んだ映像。
頭の芯がパリンと激しい音を立てて熱くなる。
その不気味な逆さ鏡の映像と重なるように、私の脳裏に、ルミナス公爵邸の【私の部屋のドレッサーの上にある、あの大きなクリスタルの鏡】のビジュアルが、強烈なノイズと共にフラッシュバックした。
(あ、あの部屋の大きな鏡は……ただの鏡じゃない……! 初代聖女であるお母様が、二つの世界の時間の歪みを監視するために、私の部屋に配置した『時空の窓』だったんだ!)
凄まじい鳥肌が全身に立ち、頭のパズルが悲鳴を上げて繋がっていく。
逆さ鏡の中の若いお母さんは、まるでタイムトラベルしてきた私が見えているかのように、鏡の向こうから私に向かって優しく微笑みかけ、その唇をゆっくりと動かした。
現実と反転しないその唇が、私の魂へと直接、語りかけてくる。
『アサヒ。あなたがこの部屋の「鏡」の向こう側へ来ることを、私はずっと知っていたわ。運命を諦めず、今を生きるのよ』
「お母様……!」
私が鏡に向かって両手を伸ばした、その瞬間。反転しない鏡の表面が水面のように大きく波打ち、その奥からキィィィン……と高い音を立てて、透き通ったアメジスト色の【二つ目のひかりの歯車】が、ふわりと私の手の中へと飛び出してきた。
「手に入れたね、二つ目の鍵を! だが、神様たちの秒針が完全に僕たちを捉えたようだ!」
アレン様が叫び、魔方陣を上空へと展開する。神殿全体の床が、これまでにないほど激しく揺れ動き、紫色の空から無数の時間の守護精霊たちが、私たちの魂を消滅させるために一斉に突撃してきた。
手に入れた二つ目の歯車。
そして明かされた、私の部屋の鏡とお母様の初代聖女としての真実。
二つの世界の崩壊を止めるための、ハラハラドキドキの神話の戦いは、さらに予測不能な大冒険へと、激しく加速していこうとしていた。
(第21話・おわり)




