第2章。錆びゆく歯車と、四つの鍵。~第14話。アカデミーの夜と、旅立ちの決意~
『ルミナス令嬢の失われた記憶 〜二つの世界を繋ぐ時計仕掛けの神話〜』
第2章:錆びゆく歯車と、四つの鍵
第14話。アカデミーの夜と、旅立ちの決意
聖王立魔導アカデミーのきらびやかな新入生式典が終わり、公爵邸の私の部屋に戻ってきた頃には、エルドラドの空はすっかり深い濃紺の夜に包まれていた。
「お嬢様、本日は本当にお疲れ様でございました。時計塔での立ち眩みの件、やはり明日、白魔導医師に診てもらいましょう。ミリーはとても心配ですわ」
ミリーが私の制服の上着を丁寧にハンガーにかけながら、眉をひそめて私を見つめる。
「大丈夫よ、ミリー。式典の最中はなんともなかったでしょう? 慣れない人混みに少し驚いただけよ」
私はベッドの上に腰掛け、ミリーに安心させるような笑顔を向けた。
ミリーはなおも心配そうな顔をしていたが、
「今夜は暖かくして、早くお休みになってくださいね」
と言い残し、部屋の明かりを落として静かに退室していった。
パチン、
と扉が閉まり、部屋に完全な静寂が訪れる。
大きな窓から差し込む青い月光が、床の大理石を冷たく照らしていた。
私はネグリジェに着替えることもせず、ベッドから下りて、部屋の真ん中へと歩み出た。
ポケットの中から、今日、あの学園の時計塔で手に入れた「真っ黒に錆びついた小さな歯車」を取り出す。
そしてもう片方の手には、あの引き出しから見つけた、ネジの巻けない金色の懐中時計を握りしめた。
懐中時計は、今も「チクタク、チクタク」と、私の胸の鼓動に合わせるように静かに時を刻んでいる。
けれど、その時計の文字盤をじっと見つめていると、また頭の芯がジリジリと熱くなってくるのを感じた。
『……トンネルのなかでね、アサヒくんとユウヒちゃんが、すれ違いざまにハイタッチをするのよ……』
今日、あの錆びた歯車に触れた瞬間に脳裏に響いた、あの優しい女性の声。
そして、ソルにそっくりな黄金の瞳を持つ少年アレンが言った言葉。
『君のその服の奥で、今も右と左に同時に回っている「ネジの巻けない時計」には、何が映っているのかな?』
私はゆっくりと顔を上げ、ドレッサーの上にある大きなクリスタルの鏡を見た。
鏡に映る私は、確かに16歳のルミナス公爵令嬢だ。
だけど、その背後に一瞬だけ、激しい雨に打たれて水没していく、あの不思議な『灰色の異界』の影が重なり合う。
空を突き刺すような、四角い鉄とガラスの巨塔の群れが、激しい雷に打たれて崩れていく恐ろしい景色。
(やっぱり、この部屋は……何かがおかしい)
私は部屋の壁に掛けられた、古い太陽の神様の絵を見つめた。
ただの美しい令嬢の私室のはずなのに、この部屋にある「引き出し」も、「鏡」も、「神様の絵」も、まるで最初から私をあの【時間の交差点】や、あの不思議な灰色の異界の記憶へと繋ぐために配置された、巨大な『時計の部品』の一部であるかのような、強烈な違和感が胸を締め付ける。
私は幼い頃にお母様を亡くした。
ルミナス家のお母様も、そしてあの夢の中に現れて私の冷たい手を包み込んでくれる、エプロン姿の「お母さん」も、どちらも私を置いて早くに逝ってしまった。
でも、もし、あの「朝日と夕日のハイタッチのお話」が、この世界の時間のバグを直すためのヒントなのだとしたら…、。
そして、そのお話を私に遺してくれたお母様が、この異世界と、私の夢の記憶を繋ぐ最大の鍵なのだとしたら――。
「私は、行くわ」
私は錆びた歯車と懐中時計を胸に強く抱きしめ、暗い部屋の中でぽつりと呟いた。
過去を呪って立ち止まるのは、もう終わりだ。
アレン様が言っていた、初代聖女が遺したという『四つのひかりの歯車』。
それをすべて集めれば、きっとこの世界の軋みも、私の頭の中に鳴り響くあの世界の崩壊のノイズも、すべて止めることができるはず。
私の『いま』の決意に応えるように、手の中の懐中時計が、ドクン……と、一度だけ熱く、力強く脈打った。
公爵令嬢としての穏やかな日常を捨て、世界の時間を巻き直すための過酷な旅へ。
運命(昨日)に流されるだけの令嬢ではなく――私自身の『いま』で、お母様が遺してくれた優しさの謎を解き明かすために。
二つの世界の未来をその手で掴み取るための、壮絶なる時計仕掛けの戦いが、この静かなアカデミーの夜から、いよいよ本格的に幕を開けようとしていた。(第14話・おわり)




