第2章。錆びゆく歯車と、四つの鍵。~第13話。歪んだチャイムと、錆びた歯車~
『ルミナス令嬢の失われた記憶 〜二つの世界を繋ぐ時計仕掛けの神話〜』
第2章。錆びゆく歯車と、四つの鍵
第13話。歪んだチャイムと、錆びた歯車
キィィィィン……。
守護精霊たちが放った光の槍を、私のオレンジ色の魔力が完全に弾き返したあと、時計塔の中には耳鳴りのような長い残響だけが残されていた。
巨大なアメジストの振り子は、何事もなかったかのように再び
「チクタク、チクタク」
と滑らかな軌道を描いて揺れ始めている。
窓の外を恐る恐る見上げると、不気味などす黒い紫色だった空は消え去り、元の穏やかな青空へと戻っていた。
「はぁ、はぁっ……」
私は自分の両手を見つめ、激しく肩を上下させた。
今、自分の身体から放たれた、あの燃えるような朝焼けのオレンジ色の光。
あの暖かさは、公爵令嬢としての魔法なんかじゃない。
記憶の底にある、あのエプロン姿の優しい女性から貰った愛そのものだった。
「アサヒ様……君は本当に、何者なんだい……?」
アレンが魔方陣を消し、驚愕にその黄金色の目を見開いて私を見つめていた。
過去の神クロノスの血を引く「時間の番人」である彼でさえ、神々の力を一瞬で無力化した私の光に、強い衝撃を受けているようだった。
「私にも……よく分からないの。ただ、誰かを守りたいって強く願うと、胸の奥の時計が熱くなって、勝手に体が動いてしまうのよ」
私がインナーの奥の懐中時計にそっと触れると、それは持ち主を安心させるように、ドクン、ドクンと優しく脈打っていた。
その時だった。
ゴーーーーン、ゴーーーーン……。
学園の敷地全体に、新入生の式典の開始を告げる、大きなブロンズの鐘の音が響き渡った。
しかし、その音は明らかに異常だった。
いつもなら耳に心地よいはずのチャイル(チャーム)の音が、まるで水の中に沈んだかのように、ぐにゃりと低く歪んで聞こえてきたのだ。
音が重なり合い、引き延ばされ、まるで時間が引きちぎれそうになっているような、不気味な響き。
「……時間の歪みが、地上のチャイムにまで影響を及ぼし始めているね。世界のネジが、いよいよ本格的に緩んできている証拠だ」
アレンが厳しい表情で窓の外を見つめた、
その瞬間。
カラン、
と乾いた高い音が、私の足元で鳴った。
天井の巨大な真鍮の歯車の隙間から、一つの小さな部品が落ちてきたのだ。
それは、手のひらに収まるほどの、真っ黒に古びて錆びついた「時計の小さな歯車」だった。
「これは……? 塔の部品が落ちてきたの?」
私は何気なくしゃがみ込み、その黒い小さな歯車を、床から拾い上げようと指先で触れた。
その、刹那だった。
バチチッ!
と、指先から脳髄へ向けて、激しい静電気が走った。
私の視界に、あの強烈な「灰色のノイズ」が過去最高に激しくフラッシュバックする。
時計塔の白い壁がぐにゃりと歪み、耳の奥から、歪んだチャイムの音に混ざって、【一人の優しい女性の声】が、幻聴のように直接、響いてきたのだ。
『アサヒ……トンネルのなかでね、アサヒくんとユウヒちゃんが、すれ違いざまにハイタッチをするのよ。その光がまざりあって、綺麗な朝焼けになるの……』
「え……っ!?」
全身の血が逆流するような、強烈な衝撃が私を貫いた。
凄まじい鳥肌が両腕に立ち、私はその錆びた歯車を掴んだまま、息をすることさえ忘れてガタガタと震え出した。
トンネル。ハイタッチ。朝焼け。
それは、私が三日前の高熱の夜から、頭の中で何度も繰り返し再生されていた、あの温かい『夢の声』そのものだった。
(どうして……? どうして、この世界の壊れた歯車に触れただけで、私はあのお母さんのような声を頭の中に聞いちゃうの……? 私の頭、本当におかしくなっちゃったのかな……)
私は頭を抱え、必死に自分の動悸を抑えようとした。
気のせいだ、ただの幻聴だと自分に言い聞かせるけれど、胸のざわつきは一向に収まらない。
「アサヒ様? どうかしたのかい? 顔色が真っ白だよ」
アレンが不審そうに私の顔を覗き込んできた。
彼は私の手の中にある、真っ黒に錆びついた小さな歯車を凝視している。
「その歯車からは、極めて濃厚な【夕日の国】の『後悔の魔力』を感じる。……世界中の人々が過去を恨むせいで、時間のレールが錆びつき、時間の流れがここでバグを起こしているんだ。そのせいで、君の持つ『時空のネジ』が共鳴して、君の失われた記憶を無理やり呼び覚まそうとしているのかもしれないね」
アレンは、私の異常な怯え方を、時空の歪みによる「記憶の混線」だと解釈したようだった。
しかし、私の心の中の嵐は、そんな理屈で片付けられるものではなかった。
もし、私の見るあの夢の言葉が、この世界の時間のバグを直すための、大切なキーワードなのだとしたら――。
「アサヒ様、式典が始まる。だけど、僕たちの本当の目的が決まったようだね。この世界のネジを巻き直すために――僕たちと一緒に、初代聖女の遺した『四つのひかりの歯車』を探す旅に出よう」
学園の歪んだチャイムが響き続けるなか、私はその錆びた小さな歯車をそっと胸のポケットにしまい込んだ。
触れた瞬間に聞こえた、あの懐かしい響き。
異世界の大きな運命の渦の中に、前世の謎が不気味に、でも優しく溶け込みながら、世界中を巡る壮大な旅へのカウントダウンが、静かに始まりを告げようとしていた。
(第13話・おわり)




