第94話: 広まった名前
『オーク大戦争』の終結、そして響き渡る魔王の真名
――オーク大戦争は、唐突にその幕を閉じた。
しかし、世界の人間たちがそのあまりにも不条理な結末について本当に語り始めるのは、まさにここからだった。
『噂』という名の怪物は、地を這う軍隊よりも、街道を往く商人よりも、夜を徹して馬を走らせる緊急伝令よりも遥かに速く世界を駆け巡る。
わずか数日の間に、あの破滅的な侵略戦争の全貌は、西側諸国のすべての王国へと爆発的に拡散していった。
人間の三つの大都市が灰燼に帰した。
優に2万頭を超えるオークの精鋭兵卒が国境を越えて蹂躙した。
10頭もの狂暴なる『オークジェネラル(豚大将)』が最前線で指揮を執った。
そして、その頂点には天災のごとき戦闘力を誇る『オークキング(オークの王)』が君臨していた。
――そこまでは、間違いなく人類の歴史の終焉を予感させる絶望のデータだった。
にもかかわらず。
その破滅の侵略キャンペーンは、それが始まった時と全く同じ唐突さで、あっさりと、文字通り跡形もなく「完全消滅」してしまったのだ。
世界中の王宮が、ギルドが、そして民衆が、その不条理すぎる結末の理由を求めて激震した。
そして、すべての情報網の終着点に突き刺さっていたのは――ただ一つの、あまりにも巨大な『真名』だった。
――新世代の魔王、カイ。
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『ミラス(Myrath)』の激震と不穏な類似性
東の空が白み始め、夜明けが訪れるか否かのその瞬間、ミラス領の主要大都市へと最初の大震災のごとき戦略報告が舞い込んできた。
活気に満ち溢れる早朝の酒場。その中央で、一人の緊急伝令が手にした報告書を震える声で読み上げるのを、大勢の商人や冒険者たちが息を呑んで取り囲んでいた。
「――オークの主力軍勢、完全なる敗北を喫す!!」
ガヤガヤと騒がしかった酒場が、一瞬にして水を打ったように静まり返った。
一人の商人が、口元へ運びかけていたエールの杯をゆっくりと下ろした。
「……敗北、だと?」
伝令は真っ青な顔で激しく首を縦に振った。
「はっ、間違いありません! 絶対者たる『オークキング』もまた、完全に討ち取られた模様です!」
ホールの奥にいた一人の男が、引きつった神経質な笑い声を上げた。
「おいおい、冗談だろ……? 一体どこのどいつが、あの化け物の王を仕留めたって言うんだよ?」
伝令の男は、手元の書類へと視線を落とし、その戦慄の真名を口にした。
「――『魔王、カイ(Demon Lord Kai)』にございます」
――シーン。
重苦しい静寂が、再び酒場を丸ごと支配した。
一人の若手冒険者が、不快そうに太い眉をひそめた。
「……魔王、だと?」
「書類には、明確にそう記録されております!」
別のベテラン冒険者が、身を乗り出すようにして問いかける。
「待て。それってまさか、あの北方領土の境界線に突如として出現した、あのふざけた巨塔の主のことか?」
伝令が頷く。
「はい。あの巨塔の独立領域は、正式に『エリュシオン・オーダー(Elysian Order)』と命名された模様です」
その真名が発せられた瞬間、誰かが弾かれたように声を上げた。
「――『エリュシオン・オーダー』!?」
別の席の男が、怪訝そうに顔をしかめる。
「おい……。その名前、どことなくあの『陰陽オーダー(Onmyo Order)』に無茶苦茶似てやしないか……?」
その指摘がなされた瞬間、酒場の空気が物理的に一段と冷え込んでいく。
一人の年老いた老兵冒険者が、ゆっくりと自らの杯を木製のテーブルへと置いた。
「……『陰陽オーダー』と言えば、この世界において文字通り最強最大の一角に君臨する絶対の最高組織だぞ」
「ああ、その通りだ」
「つまりお前は、あの新興の魔王カイが、あえてその絶対強者の組織に酷似した名前を自らのテリトリーに冠した……と、そう言いたいのか?」
「俺が言ったんじゃない。ただの事実だ」
先ほどの若手冒険者が、さらに顔を近づけて問い詰める。
「だったら、一体何が言いたいんだよ?」
老兵は億劫そうに肩をすくめてみせた。
「俺が言いたいのはな……これを聞いた地上の有象無象どもが、例外なく『あの二つの組織は互いに宿敵関係にある』と勝手に妄想し始めるだろう、って話さ」
誰かがハハッと下品に笑った。
「案外、本当にバチバチのライバル関係だったりしてな!」
別のハンターもそれに乗っかる。
「想像してみろよ、おい! 『陰陽オーダー』対『エリュシオン・オーダー』の全面戦争だぞ!? 傑作じゃねえか!」
――しかし。カウンターの片隅に腰掛けていた一人の老商人が放った冷徹な一言によって、その軽薄な笑い声は一瞬にして綺麗さっぱり消し飛んだ。
「……あの『陰陽オーダー』の絶対者たちが、そんな不敬な不条理をただのジョークとして見過ごしてくれると思うかね?」
老兵冒険者が、チラリと彼に視線を走らせる。「どういう意味だ?」
「いいかね? あの『エリュシオン・オーダー』という存在は、もはやただの法螺話や名前だけの張り子の虎ではないのだよ。あの魔王カイは、すでに数万の民を従える『国家(領土)』を有し、わずか一晩であの2万のオークの侵略軍勢を一人で消滅せしめるほどの、絶対的な『組織の暴力』を証明してしまったのだから」
酒場は、今度こそ完全に押し黙った。
若手冒険者が、ゴクリと引きつった喉を鳴らす。
「……じゃあ、もしも……もしもあの『陰陽オーダー』の化け物どもが、本当にその実力を確かめるために、魔王カイに『宣戦布告』を仕掛けたとしたら……一体どうなっちまうんだ?」
その問いに答える者は、誰一人としていなかった。
世界中の人々にとって、あの二つの組織の名前の不吉なまでの類似性は、もはや笑えないジョークなどではなかった。
それは――この世界の勢力図を根底から塗り替える、史上最悪の大戦争のカウントダウン(始まり)の音のように、彼らの鼓膜へと重々しく響いていたのだった――。
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交易都市『ロシャン(Roshan)』に広がる尾ヒレ葉ヒレ
交易都市ロシャンは、破滅のオーク大戦争の終結ニュースが舞い込んだ時、すでに人間の狂騒で溢れかえっていた。
賑やかな露店からは商人たちの怒号のような呼び込みが響き、冒険者ギルドの建物群の間を無数のハンターたちが行き交う。子供たちは相変わらず元気いっぱいに路地を駆け回り――そして何より、街のあらゆる街角、酒場、市場において、民衆の口から出る言葉はただ一つに集中していた。
「――聞いたか!? 魔王カイ様があのオークキングを叩きのめしたってよ!」
「ああ、噂じゃあ、たったの一撃で跡形もなく粉砕したらしいぜ」
「いやいや、俺の掴んだ極秘データによるとだな、魔王様は指一本、身動き一つしなかったって話だぞ」
「俺なんてな、『あの魔王には漆黒の竜の翼が6枚生えていた』ってギルドの奴から聞いたぞ」
「……ろ、6枚だと?」
「ああ、6枚だ」
「いくら何でも、そいつは盛りすぎだろ……」
近くで大人たちの不条理な会話を聞いていた一人の男の子が、無邪気に小さな手を天高くへと突き上げた。
「ねぇねぇ! ぼくの友達が言ってたよ! カイ様は本当は人間じゃなくて、人間に化けられる超巨大な伝説のドラゴンなんだって!」
大人たちが一斉に冷めたジト目をその子供へと向けた。
一人の商人が、はぁと深いため息をつく。
「坊主。……お前のその友達は、間違いなく大バカ野郎だな」
男の子は心外だと言わんばかりに露骨に怒った顔をした。
「アホじゃないもん! 本当だもん!」
「いや、十中八九アホだ」
子供は胸の前で生意気に腕を組み、フンと鼻を鳴らした。
「……おじちゃん、ただ羨ましいだけでしょ?」
商人は呆れて目を丸くした。「羨ましい? 一体全体、俺が何を羨ましがるんだよ?」
「その友達の、圧倒的な『情報収集能力』だよ!」
商人は思わず両手で自らの額を押さえた。
人類はこれまで、数過去の過酷な侵略戦争、天災、そして凶悪な魔物の大暴動を何度も生き延びてきたはずだ。しかしどうやら、奇跡的に生き延びた人間の文明(知性)の行き着く先がこれだと思うと、頭が痛くなってくるのだった。
◆◆◆
同じ頃、活気溢れる中央市場の正門付近でも、別の深刻な会話が勃発していた。
「――おい、信じられるか? 生き残ったオークの残党どもが、今まさに自分たちが叩き潰したあの人間の『三つの都市』の再建を行っているらしいぞ」
その衝撃の発言に、周囲を歩いていた複数の冒険者たちがピタリと足を止めた。
「……は? オークどもが、都市の修復をしてるんだと!?」
「ああ、あの巨塔からの絶対命令が直々に下ったらしい」
「奴らを一人残さず討伐(皆殺し)にするんじゃなくて、か?」
「ああ。自分たちが侵略の過程でぶっ壊した城壁や建造物を、奴らの怪力を使って大急ぎで修理させられてるんだとよ」
一人の老女が、信じられないといった様子で深く頭を横に振った。
「……一体どうして、魔王カイ様はそんな不条理な真似をなさるのかしら?」
一人の商人が、冷徹な損得勘定の目で応じる。
「決まっているでしょう。あの2万の戦力をただの死体に帰すよりも、奴らの圧倒的な肉体労働力をそのまま利用して都市を最速で復興させた方が、遥かに効率的で有用だからですよ」
別のハンターも深く頷いた。
「あるいは……あの魔王は、あの凶悪なオークの軍勢丸ごと自らの『完全なる支配下(奴隷)』に置いて、手駒にしたってわけか」
最初に口を開いた商人の表情が、恐怖で一気に引き締まる。
「――いずれにせよ、灰になったはずの三つの大都市は、今まさに急速なスピードで『元の姿』へと巻き戻されつつある。それが現実だ」
夕闇が都市ロシャンを優しく包み込む頃には、この不条理な戦後処理の噂は、街のすべてのセクターへと完全に浸透していた。
語られるディテール(尾ヒレ葉ヒレ)こそ人によって千差万別だったが、導き出される『結果』だけは、世界のどこに行っても何一つとして変わらなかった。
オークの軍勢は全滅を免れ、生存を許された。
新世代の魔王カイは、奴らに新たなる絶対の『役割』を提示した。
――そして、破滅の炎に包まれたはずの人間の三つの大都市は今、絶対の聖域『エリュシオン・オーダー』の支配権の元で、驚異的な手際で再構築されつつあったのだった――。
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アッシュフォード(Ashford)王国の苦悩と『予言の聖剣』の警告
――アッシュフォード王国の深奥、厳重に閉ざされた王宮の作戦室においては、他都市のような呑気な狂騒など微塵も存在しなかった。そこにあるのは、息が詰まるほどの緊迫感だけだ。
国王エーモンは、重厚な長円卓の最上席に深く腰掛けていた。彼を取り囲むように、何人もの軍事アドバイザー(宿老たち)が直立不動の姿勢を保っている。テーブルの上には、広域戦略地図が隙間なく広げられ、その上には血生臭い前線の報告書が乱雑に散らばっていた。
「――オークの主力軍勢、正式に完全降伏を受諾いたしました」
エーモンは重々しく頷いた。「生存個体の総数はどれほどだ?」
「……人間の『三つの都市』を最速で完全修復するに十分な肉体労働力が、そのまま無傷で残されている模様です」
一人のアドバイザーが、不可解そうに太い眉をひそめた。
「そして……あの新世代の魔王カイは、奴らにその都市の修復作業を直接『命令』した、と……」
「左様にございます。それが現時点での確定データです」
アドバイザーは椅子の背もたれにゆっくりと体重を預け、困惑を隠せない様子で呟いた。
「これは……全くもって、予測不能な不条理だな……」
別の宿老が、鋭い視線で言葉を挟む。
「これはつまり、あの魔王が『単なる無差別な破壊や領土拡大』だけに興味を抱いているわけではないという、何よりの証明ではないでしょうか?」
エーモンは冷徹な眼差しを彼に向けた。
「あるいは……あの男が、この大陸における最低限の『治安の維持(安定)』を最優先に求めているという証左か」
「いずれにせよ、我々人間にしてみれば有用な話ですがな」
エーモンは無言で地図の座標を凝視した。三つの都市が蹂躙され、数千、数万という難民の濁流が押し寄せた。もしも魔王カイが、あの戦場で生き残った数万頭のオークの残党をただの感情論で『皆殺し(殲滅)』にしていたならば、このアッシュフォード王国や周辺諸国は、戦後に残された広大な『未復興の空白地帯』という凶悪な二次災害に直面していたはずなのだ。
しかし、魔王はその圧倒的な怪力を持つ化け物どもに、自分たちがぶっ壊したインフラをそのまま修理させるという、最も合理的で冷酷な解決策を提示した。
エーモンは深く、はぁと重いため息を吐き出した。
「奴の本当の狙いがどこにあれ――」
王は窓の外、遙か彼方にそびえ立つあの巨塔のシルエットを見つめた。
「――あの魔王のおかげで、この大戦争が我が国にまで飛び火する最悪のシナリオ(延焼)だけは、完全に阻止された。それが現実だ」
◆◆◆
「――だからといって、あの怪物を無条件で信じて良いという理由にはならないわ」
作戦室の最も薄暗い壁際から、氷のように冷徹な、しかし凛とした澄んだ声音が響き渡った。
全員の視線が一斉にその方向へと向けられる。
そこに佇んでいたのは、窓辺の影に寄り添うように直立していた聖女、ソフィアだった。
その表情は波一つ立たない水面のように冷静であり、その腰元には、世界の命運を握る絶対の神遺物――『予言の聖剣(Prophecy Blade)』が静かに鎮座している。
彼女の所属する『ラオディキア聖教会(Holy Church of Laodicea)』の本部にも、全く同じ戦慄の作戦報告書が届いていた。ソフィアは聖教会の代表として、現在入手可能なすべてのスクラップ(データ)を自らの目で精査していたのだ。
突如として歴史の表舞台に現れた、新たなる魔王。圧倒的な、正体不明の絶対強者。そして、世界のどの最高組織であっても、未だ奴の『本質(正体)』を完璧に識別できている者は一人もいない。
一人のアドバイザーが、恐る恐る彼女へと問いかける。
「……ソフィア殿。貴殿は神聖なるラオディキア聖教会の代弁者だ」
ソフィアは静かに頷いた。「それが何か?」
「――聖教会は、あの魔王カイという存在を、一体どのように評価しているのだ?」
ソフィアは数秒の間、美しい瞳を伏せて完全な沈黙を保った。
――やがて、彼女はゆっくりと顔を上げ、冷酷な現実の数式を口にした。
「……我々聖教会は、あの男を信頼するに足るだけのデータを、未だ何一つとして持ち合わせていないわ」
アドバイザーは納得のいかないように眉をひそめる。
「しかし、奴は事実として、あの破滅的なオークの侵略キャンペーンを力ずくで停止させてみせたのだぞ?」
「ええ。だからこそ、あの男は現時点において『極めて有用』であると言えるわ。――けれどね、それが『絶対に安全(安全パイ)』であるという証明には、決してならないのよ」
ソフィアは再び、眼下に広がるアッシュフォードの平和な王都の街並みを見つめた。
「……もしも、あの魔王カイという存在が、本気でこのアッシュフォード王国を根底から滅ぼそう(消滅させよう)と意図していたのだとしたら――」
彼女は言葉を区切り、円卓の高官たちを冷酷に見据えた。
「――今頃私たち人間は、温かい部屋で『あの男が危険であるかどうか』なんていう呑気な議論を交わすことすら、許されていなかったはずよ」
――シーン。
部屋全体の空気が、完全に凍りついた。
その場にいた全員の背筋を、本能的な恐怖の戦慄が駆け抜ける。彼らとて、彼女の言葉の『本質』を理解できないほど愚かではなかった。
あの魔王カイは、一国の存亡を賭けた大戦争の因果律に、指一本で直接介入できるだけの絶対的な暴力をすでに証明してしまっているのだ。
今更、奴が「強いかどうか」などという次元の低い謎は、どうでもいい。
本当に恐ろしいのは、奴がその神のごとき力を使って、この世界の勢力図を一体『どう書き換えようとしているのか』、その真意が完全に霧の向こうにあることだった。
ソフィアは窓辺からゆっくりと背を向け、冷酷に告げる。
「――聖教会は、これよりあの巨塔の動向を最優先で『監視』するわ。アッシュフォード王国もまた、同様に最大限の警戒網を敷くべきよ」
エーモンは苦渋に満ちた表情で、再び手元の戦略地図へと視線を落とした。
「……もしも、あの怪物の矛先が、我が国へと向けられた場合は?」
ソフィアの白い指先が、腰元の『予言の聖剣』の柄へと、羽毛のように優しく、しかし絶対の決意を込めて添えられた。
「――その時は、ただの『監視』の時間は終わりよ」
神の聖剣が、魔王の首を刈り取るために完全発動するだけだ――と、彼女の瞳の奥の絶対の覇気が、冷酷にそう物語っていたのだった――。
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ラオディキア聖教会の戦慄と『二大オーダー』の衝突の予兆
――聖地アッシュフォードの絶対の中心にそびえ立つ、ラオディキア聖教会の総本山。
その純白の巨塔群は、周囲のあらゆる建築物を見下ろすように神聖なる威光を放っていた。
だが、その大聖堂の深奥にある秘匿会議室においては、地上の平穏とはかけ離れた、重苦しい緊律が支配していた。
何人もの高位聖職者(司教たち)が重厚な円卓を取り囲み、その中央にはただ一つの確定戦略データ――『魔王カイ』の報告書が冷酷に鎮座している。
一人の司教が、不可解そうにその不条理な文字面を睨みつけた。
「……人間に手を貸す、魔王だと? そんな存在の確率が、世界の理に許されるとでも言うのか」
真横の司教が、冷静なポーカーフェイスのまま補足を加える。
「……より正確なデータを精査する限り、あの男は『人間のために戦った』わけではない模様です」
「だが、結果としてあの破滅的なオークの侵略キャンペーンを力ずくで完全停止せしめたのだろう?」
「――ただ単に、あの豚どもが奴の『絶対の不可侵領域』へと無断で土足で踏み込んだ。理由はそれだけに過ぎん」
「理由が何であれ、結果として数万もの人間の命が救われた。それは紛れもない現実だ」
最初に口を開いた司教は、苦渋に満ちた表情で押し黙るしかなかった。
別の司教が、大急ぎで持ち込まれた第二の隠密報告書を開いた。
「……さらに不穏なデータがあります。あの『エリュシオン・オーダー』の独立領域は今、信じられないスピードでその内部組織を『拡大』させつつある模様です」
「――規模の総数はどれほどだ?」
「……測定不能」
「所属する戦闘員(兵力)の総数は?」
「……不明」
「では……あの魔王カイの配下として直属する、高位生命体(幹部)の個体数は!?」
「……それすらも、一切が『不明』にございます」
報告書を開いていた司教は、力なくゆっくりとその書類を閉じた。
「……つまり、我々はあの巨塔の『本質』について、未だ何一つとして正確な数式を持ち合わせていないというわけか」
「何一つ、というわけではありません」
別の老司教が、眼鏡の奥の鋭い双眸を光らせた。
「――我々が確実に理解している『結果』はただ一つ。あの男は、10頭のオークジェネラルを指一本で一掃し、絶対者たるオークキングを直葬し、生き残った残党どもの意志を完全に捩じ伏せて奴隷(労働力)に帰すだけの、圧倒的な『組織の暴力』を有している。……それだけです」
部屋全体の空気が、物理的に凍りついた。
三人の目の司教が、書類の真横にある『別の紋章』へと視線を走らせた。
「……それで、あの『陰陽オーダー(Onmyo Order)』の化け物どもの動向は?」
「――すでに奴らの最高代表から、我が聖教会に向けて正式な『状況説明』の要求が届いております」
「状況説明だと……?」
「ええ。奴らは……あの『エリュシオン・オーダー』という名が、自分たち『陰陽オーダー』に対する明確な『敵対の意志(宣戦布告)』の表れであるのかどうか、その真意をこちらに問い詰めてきておいでです」
最初の司教の表情が、恐怖と戦慄で完全に般若のごとく硬直した。
「……なるほど。ならば、両者が未だ一振りの武器すら抜いていないというのに、この世界のパワーバランスの崩壊(戦争)は、すでに水面下で『完全始動』してしまっているというわけか」
彼は部屋のすべての高官たちを見据え、冷酷に命令を下した。
「――大至急、『陰陽オーダー』の本部へ向けて緊急魔導通信を飛ばせ。我が聖教会には、魔王カイがあの真名を選んだ理由が『奴らに対する挑戦状』であるという明確な因果データは存在しない、とそう伝えるのだ」
「……もしも、あの偏執的な陰陽の化け物どもが、その回答を拒絶(拒否)した場合は?」
「――その時は、この大陸に『二つの世界崩壊の天災』が同時に顕現したと仮定し、全騎士団に『終末の防衛準備』を移行させるまでよ」
その最悪のシナリオ(結末)に対して、異議を唱える者は、もはやこの部屋には誰一人として存在しなかった――。
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聖騎士団の動揺とソフィアの冷徹なる合理性
――ラオディキア聖教会の厳かな大聖堂の外では、どこまでも高い秋空の下で、アッシュフォードが誇る最高戦力『聖騎士団(Holy Knights)』の猛特訓が繰り広げられていた。
乾いた金属音を響かせて白銀の聖剣を交わし合う騎士たち。後方の演習場では、若き聖術師たちが神聖魔術の呪文を唱え、その度にまばゆい光の障壁が展開されては消えていく。ソフィアはその光景を、一切の感情を排した静かな双眸で見つめながら、遊歩道をゆっくりと歩いていた。
そこへ、一人の若き熱血漢の聖騎士が、呼吸を切らしながら彼女の元へと大急ぎで駆け寄ってきた。
「――ソフィア聖騎士長!」
ソフィアは足を止めることなく、冷酷な横顔のまま短く応じた。「何かしら?」
「あの、例の『噂』は……本当に事実なのですか!?」
「どの噂のことを言っているの?」
「あの……新世代の魔王カイには、『漆黒の竜の翼が6枚生えていた』という、あの戦慄のデータにございます!」
ソフィアの歩みがピタリと止まり、彼女は無言でその若い騎士へと冷徹な視線を向けた。
「……私もギルドから回ってきた報告書には、一通り目を通したわ」
「では、やはりあの怪物の正体は、人間に化けた伝説の『竜族』ということなのでしょうか!?」
「さあね。私には分からないわ」
騎士は食い下がるように身を乗り出す。
「では、奴は世界の理から外れた最上位生命体『真竜(True Dragon)』の生き残りである確率が……?」
「それも分からないわ」
「――ならば、奴は現存する他の列柱の魔王どもすら遥かに凌駕する、史上最悪の絶対強者なのでは……っ!?」
ソフィアは深くため息をつくこともなく、ただ淡々と彼の瞳の奥を見つめ返した。
「……それも、私には分からないわ」
若い騎士は、彼女のあまりにも素っ気ない三連続の拒絶に、気まずそうに頬の筋肉を引きつらせた。
「あ、あの……聖騎士長。先ほどから『分からない』という台詞があまりにも多すぎる気がするのですが……」
ソフィアは当然だと言わんばかりに小さく頷いてみせた。
「ええ。なぜならそれが、現時点における最も誠実で『正確な回答』だからよ」
彼女は再び歩みを再開した。騎士も慌ててその真後ろを追う。
「……では、我々が確実に握っている『確定したファクト』とは、一体何なのですか?」
ソフィアは再び足を止め、遥か彼方の空――あの恐るべき巨塔がそびえ立っているであろう北の方角へと視線を射抜いた。
「――私たちが確実に理解している事実は四つだけ」
彼女の声は、氷のように冷たく響く。
「一つ、あの男は絶対者たるオークキングを直葬した。二つ、奴の直属の配下(幹部)どもは、10頭のオークジェネラルを指一本で一掃した。三つ、奴の独立領域は、2万頭の破滅の軍勢の総攻撃を受けてなお、一人の犠牲者すら出すことなく完全無傷で生存してみせた。――そして、四つ目よ」
彼女はそこで言葉を区切り、腰元の聖剣を軽く叩いた。
「……あの男は、戦後に生き残ったオークの残党どもを、感情論で『皆殺し(虐殺)』にするという選択肢を選ばなかった」
ソフィアは振り返り、若い騎士の瞳を真っ向から射抜いた。
「――いいかね? 人類にとって、あの男が『絶対の脅威』であると断定するには、その四つの確定データだけでお釣りがくるほどに十分すぎるのよ。それ以外の『ドラゴンだの6枚の翼だの』といった尾ヒレ葉ヒレは、すべて無知な有象無象どもが垂れ流す、ただのくだらない『妄想』に過ぎないわ」
その冷徹極まる合理的な一言に、若い騎士は完全に言葉を失い、直立不動のまま冷や汗を流すしかなかった。彼女の瞳の奥の絶対の覇気は、すでに地上のあらゆる狂騒を見透かし、次なる『神のチェス盤』の動きを冷酷に見据えていたのだった――。
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破滅の跡地、無言の『絶対服従』
――王都から遥か遠く離れた、あの地獄の炎に包まれたはずの『三つの陥落都市』。
そこでは今、地上の誰もが目を疑うような奇跡的な復興劇が、凄まじい熱量と手際で幕を開けていた。
かつて人間の悲鳴をあげながら街路を蹂躙したオークの兵卒どもが、今は静かに、黙々と瓦礫の山を掻き分けている。
ある者は大の大人が十人がかりでも動かせないほどの超巨大な岩盤をその怪力で軽々と担ぎ上げ、またある者は崩落した大通りの残骸を一瞬にして撤去していく。かつて人間の家族が睦まじく暮らしていた、いまや見る影もない灰色の家々が、オークたちの驚異的な力によって瞬く間に元の形へと再構築されていく。
破壊された城壁が組み直され、ひび割れた街道が踏み固められていく。
かつて血に飢えた獣の咆哮を響かせていたオークの軍勢は今――不気味なほどの完全な『静寂』の中で働いていた。
一頭の生き残ったオークの兵卒が、未だ焦げ臭い煙が微かに立ち上る中央市場の残骸を見つめ、ぽつりと醜悪な唇を震わせた。
「……俺たちは……俺たちはこの街を力ずくで『蹂躙(征服)』したはずだったな」
真横で巨大な石材を両肩に担ぎ上げていた別のオークが、一瞥もくれることなく淡々と足を動かす。
「ああ。そして今、俺たちは自分たちがぶっ壊したその街を、この手で大急ぎで『修理』している」
最初のオークが、不可解そうにその太い眉をひそめた。
「……何故だ? 何故こんな不条理な真似をしなければならん?」
二人目のオークは気楽にその巨大な肩をすくめてみせた。
「決まっているだろう。あの巨塔の主――魔王カイ様が、我ら生存個体全員にそうしろと『絶対命令』を下したからだ」
「……理由は、それだけか?」
「それだけだ。それ以上の理屈が要るか?」
最初のオークは天を仰ぎ、忌々しそうに、しかし恐怖に身を震わせながら呟いた。
「……理解できん。あの魔王という怪物の思考回路だけは、俺たちの知性では到底理解できんぞ……」
石材を運んでいたオークがピタリと足を止め、その双眸に絶対的な絶対強者への畏怖の光を宿して相棒を睨みつけた。
「――おい。あの御方の真意を『理解する』ことなど、我ら敗北者に与えられたタスク(役割)ではないぞ」
彼は周囲の急速に元の姿を取り戻しつつある広大な都市のシルエットを見つめた。
「我らに許された唯一の行動は、この都市の再建を命令通りに『完遂する』こと。それだけだ」
あの地獄のオーク侵略戦争が始まって以来、生き残った化け物どもは今、初めて本質的な意味での『完全なる敗北』を骨の髄まで叩き込まれていた。
彼らにとって、あの魔王カイに敗北したという因果の結末は、ただの「死」という安易な解放では終わらなかったのだ。
それは――永遠に抗うことのできない、魂の根源からの絶対的な『服従』という名の、新たなる呪縛の始まりだったのだから――。
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『シミズ帝国(Shimizu Empire)』の動揺とナオの冷徹なる視線
――戦火の終息から数日、破滅のオーク大戦争の終結データは、大陸の最果てに位置する絶対の軍事大国『シミズ帝国』の国境線へと到達した。
厳重に封鎖された帝宮の執務室。一人の緊急隠密伝令が、その戦慄の作戦報告書を至高の玉座へと捧げた。
「――絶対者たるオークキング、完全討伐にございます」
シミズ帝国の最高統治者にして絶対の女帝――ナオ(Nao)は、目の前のデスクに広げられていた大量の軍事書類からゆっくりと顔を上げた。その端正な美貌には、一ミリの動揺すら浮かんでいない。
「……誰の手によって?」
伝令の男は一瞬だけ言葉を詰まらせ、その恐るべき真名を絞り出した。
「……新世代の魔王――『カイ(Kai)』にございます」
ナオの表情は、どこまでも波一つ立たない氷の水面のように冷静なままだった。
「――カイ」
彼女はその真名を、唇の裏側で確かめるように小さくリピートした。
何故だろうか。その文字列をなぞった瞬間、彼女の魂の細胞が、奇妙なまでの既視感を検知して微かに脈動したのだ。それは「昔からの知り合い」といった単純な記憶ではない。ただ――言葉では説明のつかない、底知れぬ『興味』をそそられる、そんな不気味な波動だった。
彼女は書類を静かにデスクへと置き、先を促す。
「……それで? 続きを聞かせなさい」
「はっ! あの男は現在、北方領土の境界線に出現した、全100階層からなる不条理な巨塔の独立領域を完全掌握しております。そのテリトリーの真名は――『エリュシオン・オーダー(Elysian Order)』」
ナオの美しい双眸が、不気味にすっと鋭く細められた。
「――『エリュシオン・オーダー』だと?」
「はっ、左様にございます」
「……そして、その魔王の配下には、規格外の戦闘力を誇る強力な直属の部下(幹部)どもがひしめいている、と?」
「……斥候からのデータによれば、そのように推測されます」
ナオは冷酷な眼差しを伝令へと向けた。「――規模(戦力)の総数はどれほどかしら?」
伝令の男は力なく頭を横に振るしかなかった。「……申し訳ございません。現状、一切の『データなし(不明)』にございます」
ナオの唇に、フッと、この上なく優美で冷徹な微かな笑みが浮かび上がった。
「――ならば、大至急その不条理の『本質』を剥ぎ取って(調査して)きなさい」
「ははっ!! 御意のままに、我が女帝陛下!!」
伝令の男は恭しく一礼すると、影に溶け込むように大急ぎで部屋を退室していった。
一人残されたナオは、ゆっくりと椅子の背もたれにその華奢な身体を預けた。
ここ数年の間、完全に膠着しきっていたこの世界の広域戦略地図の上に――ついに、絶対に無視することのできない最強の『新星』がその名を刻んだのだ。
しかも、その新興の魔王の名前は――地上の誰もがその存在を恐れ、決して逆鱗に触れてはならない絶対の最高組織の真名の真横へと、明確な『挑戦状』のように並び立っていた。
――陰陽オーダー(Onmyo Order)。
「ククク……。エリュシオン・オーダー、対、陰陽オーダー、ね」
女帝ナオの瞳の奥に、世界の破滅を愉しむかのような、極上の狂暴なる覇気がギラリと光り輝いたのだった――。
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交易都市『ロシャン』の学者たちと底知れぬ未知
――交易都市ロシャンに居を構える、大陸最高峰の歴史を誇る最高学術院。
その一角にある薄暗い大研究室では、数人の最高権威たる学者たちが一つの巨大な円卓を取り囲んでいた。彼らの周囲は、う高く積み上げられた古今東西の魔導書、古代の歴史書、過去の『魔王分類データ』『真竜伝承録』、そして世界誕生の最初期に記された『原初の悪魔に関する聖典』の数々によって完全に埋め尽くされていた。
彼らが机の中央に掲げた絶対の問い(アジェンダ)は、ただ一つ。
――『魔王カイ』という不条理な生命体の『本質(正体)』は一体何なのか。
一人の年配の学者が、眼鏡の位置を直しながら口を開いた。
「我々が確実に把握しているデータに基づけば、奴が世界システムに認定された『魔王』であることは疑いようがない」
真横の学者が深く頷く。
「ああ。そして、全100階層からなる不条理な巨大領土を完全統括しているという事実もな」
三人目の学者が、最新の戦況データを指でトントンと叩いた。
「さらに付け加えるなら、奴の直属の直臣(幹部)どもは、10頭のオークジェネラルを指一本で一掃するほどの、規格外の上位魔導戦力を有しているという点だ」
別の若手学者が、かき集められた最新の斥候レポートのスクラップを血眼になってめくる。
「……気になるのはこの一文です。『あの魔王には、漆黒の竜のごとき翼が6枚生えていた』という目撃証言が複数のギルドから上がっています」
「――それはつまり、奴の生物学的な真の正体が『竜族』である確率を示しているのか?」
「分からん。それを確定させる数式がない」
「ならば……人間と竜族の間に産み落とされた、高位の『交雑種』という線は?」
「可能性としては否定できんな」
「――まさか、世界のシステムの外側に位置する、あの絶対の『真竜(True Dragon)』の生き残りでは……っ!?」
「いや、それを裏付ける歴史的因果はどこにも存在しない」
そこで、円卓の端に座っていた一人の学者が、静かに片手を天へと突き上げた。
「……奴の『年齢』に関するデータは?」
――シーン。
部屋全体を、完全な空虚の静寂が包み込んだ。
「……不明」
「奴の『出生』は?」
「……不明」
「固有の『能力特性』は?」
「……不明」
「では……奴が叩き出しうる『最大限界戦闘出力』は!?」
大研究室の気圧が物理的に反転したかのように、学者たちは完全に呼吸を止めて押し黙った。
やがて、その沈黙を破るように、円卓の最上席に腰掛けていた最高齢の老学者が、苦渋に満ちた声を絞り出した。
「――すべてが『不明』じゃ」
一人の若手学者が、デスクの上の数々の戦慄のデータを直視したまま激しく声を荒らげる。
「そんな馬鹿な! 我々学術院のプライドに賭けても、大至急あの怪物の『本質』を定義しなければならないはずです!」
老学者は重々しく首を縦に振った。「ああ、その通りじゃな」
「だったら、どうやって調べるんですか!?」
老人は彼を冷酷な眼差しで見つめ返した。
「――調べんよ」
若手学者は呆然と目をパチくりとさせた。「……は? 何を仰っているのですか?」
「我々が今握っている不条理なデータだけでは、あの男の本質を定義することなど万に一つも不可能なのじゃよ」
老学者は目の前の分厚い古代魔導書を、重々しい音を立ててパタンと閉じた。
「いいかね? これはもはや、我々象牙の塔の人間が机の上でこねくり回す、ただの『学術的な謎解き』の次元を遥かに超えてしまっているのじゃ。もしも我々人間が両者の『本質』を完璧に識別し切る前に――あの『陰陽オーダー(Onmyo Order)』の化け物どもと、魔王カイの『エリュシオン・オーダー(Elysian Order)』が正面衝突を起こしてみろ。このミラス領領土全域が、一瞬にして世界滅亡の『最終決戦場』へと格下げされることになるぞ」
若い学者は息を呑み、静かに視線を窓の外の平和な街路へと走らせた。
「……ならば、私たちは世界の破滅が訪れる前に、最速でその真実を剥ぎ取らなければならないというわけですね」
学者の瞳の奥に、知的好奇心を遥かに超越した、生への絶対の執念の覇気がギラリと宿ったのだった――。
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『列柱の魔王』たちの思惑と次なる潮流
――地上の人間たちが戦慄に震える遥か彼方、世界の頂点に君臨する『世界最強の支配者(魔王)』たちの元へも、その真名は確実に到達し始めていた。
絶対の魔王の一柱――ディーヴォ・アゲラ(Divo Agera)は、漆黒の玉座へと深く腰掛けていた。
一人の隠密伝令が、その戦慄の作戦報告書を読み終えて平伏する。
「――以上が確定データにございます。絶対者たるオークキングは完全に絶滅いたしました」
ディーヴォはその傲然たる唇に、歪んだ笑みを浮かべた。
「ククク……。あの『カイ(Kai)』の手によって、か?」
「はっ。間違いありません」
ディーヴォはゆっくりと椅子の背もたれに体重を預け、愉悦に瞳を細めた。
「――なるほど。あの引きこもりが、ついに地上の有象無象どもの目を引きつけ始めやがったか」
伝令の男は息を呑み、恐る恐る王の顔色を窺う。
「……陛下。あの『エリュシオン・オーダー』の台頭に、何か懸念される点でもございますか?」
ディーヴォはその問いかけに、大爆笑を響かせた。
「懸念だと!?」
彼は激しく首を横に振る。
「まさか! そんな軟弱なデータ、俺のシステムには存在せんよ」
彼の双眸に、底知れぬ好戦的な覇気がギラリと宿る。
「――俺にあるのはな、ただ一つの純粋な『好奇心』だけだ」
◆◆◆
同じ頃、遥か遠方の静寂なる牙城において、もう一柱の絶対の魔王――イオン・スティルミア(Aeon Stillmere)が、静かに窓辺へと直立していた。
彼は手にした魔導報告書の一文字一文字を、極めて冷徹に精査していた。
「……カイ、か」
彼は卓上に広げられた世界の広域戦略地図へと視線を落とす。
「大陸全体のパワーバランス(政治的均衡)が、奴という新星の出現によって急速に書き換えられつつあるな」
彼は静かに報告書をデスクへと置いた。
「……現在の謎はただ一つ。あの男が、ここからさらに世界のシステムを引っかき回す意図を持っているかどうかだ」
◆◆◆
またある場所では、別の魔王がその凶報を耳にして獰猛に牙を剥き出しにし。
またある場所では、一柱の魔王が「ただの有象無象の小競り合いだ」と興味なさそうにそれを完全無視し。
ある者は狂喜の笑みを浮かべ、ある者は激しい不快感に眉をひそめ、そしてある者は直属の最高隠密部隊に対し、「大至急あの巨塔の内部データをかき集めてこい」と冷酷に命令を下していた。
彼ら絶対者たちのリアクション(反応)は、その属性によって千差万別だった。
――しかし、彼らのシステムが検知した『結果』だけは、世界のどこに行っても完全に一致していた。
彼らはついに、その圧倒的な真名を脳裏へと刻み込まされたのだ。
新世代の魔王、カイ。
そして彼らは確実に理解していた。あの不条理なる巨塔『エリュシオン・オーダー(Elysian Order)』が、世界最強の絶対組織『陰陽オーダー(Onmyo Order)』と全く同じ、大陸最高位のチェス盤(政治的空間)へと完全に土足で踏み込んできたという、その戦慄の事実を。
その因果律が確定した以上――魔王カイが次に選択する『次なる一手』は、あのオーク軍勢を指一本で消滅させた過去の武勇伝などよりも遥かに、この世界の運命を左右する絶対の鍵となることは明白だったのだ――。
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魔王ニクセラ(Nyxera)の確信と不敵な微笑み
――その頃、もう一柱の絶対なる最高支配者の牙城において。
美しき『魔王ニクセラ』は、荘厳なる玉座の間にて、世界を震撼させているその最新の戦略報告書を直々に受け取っていた。
彼女は一切の声を漏らすことなく、ただ静かに、冷徹にその文字列を精査していく。
2万のオークの主力軍勢。絶対者たるオークキング。踏みつぶされた人間の三つの陥落都市。突如として出現した不条理なる絶対領域『エリュシオン・オーダー』。そして――生存を許されたオークの残党どもが、自分たちの手でその都市の修復を行っているという不気味な戦後処理データ。
そしてその因果の終着点に刻まれた、あの男の真名。
――カイ。
ニクセラの端正な唇に、フッと、この上なく妖艶で愉悦に満ちた美しい笑みが浮かび上がった。
「――ククク。地上の羽虫どもが、ついに『あの御方』の存在に気づき始めたのね」
彼女は手にした報告書を、デスクの端へと静かに置いた。
それ以上、彼女の口から言葉が紡がれることはなかった。しかし、その至高の美貌に咲いた不敵な微笑みだけは――世界の破滅を確信しているかのように、いつまでも、いつまでも消え去ることはなかったのだ――。
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交易都市『ロシャン』の夜更けと膨れ上がる狂騒曲
――夜の帳が完全に降りる頃、交易都市ロシャンの街路は、昼間をも遥かに凌駕する爆発的な喧騒に包まれていた。街のどこへ行こうと、どの路地を曲がろうと、もはやあの圧倒的な『真名』から逃れることは完全に不可能だった。
とある大衆酒場の片隅で、一人の泥酔した冒険者が木製のテーブルへと空の杯をドカンと叩きつけた。
「――おいおいおい! 魔王カイ様が、たった一人で2万頭のオークの軍勢を消滅させたってのはマジなのかよ!?」
真向かいのハンターが、呆れたように頭を横に振る。
「バカ言え、いくら何でも2万頭全員を一人で片付けるわけねえだろ。直属の幹部どもが動いたってのがギルドの公式データだ」
「いや、俺のダチの斥候は『あの魔王が指一本で全滅させた』って言い張ってたぞ!」
「俺なんてな、『漆黒の竜の翼が6枚生えてた』って聞いたぞ」
「は? 俺のソースじゃあ『10枚』だぞ?」
「10枚だと?」
「……いや、あるいは『12枚』だったかもしれん」
最初に口を開いたハンターがジト目を向けた。「……お前、今その場で適当にスペック盛っただろ」
「十中八九、そうだな」
その時、隣のテーブルに座っていた一人の男の子が、興奮のあまり椅子から立ち上がって叫んだ。
「ぼく、知ってるよ! カイ様はね、指先一つで国を丸ごと一つ木端微塵にできるんだって!」
近くの酔っ払いの大人が、意地悪く笑いながら問いかける。
「おいおい坊主、もしそれが本当なら、なんであの魔王様はわざわざオークの王なんかと律儀に正面から戦ったんだ? 指先一つで終わるんだろ?」
男の子は不意を突かれて言葉を詰まらせた。
「う……。そ、それは……多分、ちょっとした『運動』がしたかったんだよ!」
ガハハハハ! と、酒場全体がその不条理な珍回答にドッと大きな爆笑で沸き返った。
――だが。その軽薄なジョークや笑い声のすぐ真下には、民衆の魂からの純粋な『驚異』と底知れぬ恐怖が、生々しく渦巻いていたのだ。
人々は、もっと知りたがっていた。
あの男は、一体何者なのか?
一体どこから現れ、何故このタイミングで世界の表舞台へと降臨したのか?
何故、あれほどまでに規格外の怪物の部下どもを従えているのか?
何故、自らの絶対領域を『エリュシオン・オーダー(Elysian Order)』などという大層な真名で呼ぶのか?
――そして何より。何故、あの世界最強の絶対組織『陰陽オーダー(Onmyo Order)』の化け物どもが、大急ぎで奴に関する情報収集(質問)を開始しているのか。
時間の経過とともに、その不吉な『類似性の本質』が酒場全体へと伝染していき、先ほどまでの陽気な笑い声が、潮が引くようにみるみる弱まっていく。
もしも――もしもあの二つの巨大な『オーダー(秩序)』が、本気で互いを宿敵と見なして正面衝突を起こしたとしたら。
地上の脆弱な人間たちの王国は、どちらの不条理に付くべきか、血の選択を迫られることになるのだ。
オークの大戦争は、確かに終わった。
しかし――それすらも前座に過ぎないほどの、世界の破滅を孕んだ『次なる超大決戦』の歯車は、地上の誰の許可も得ることなく、すでに水面下で狂ったように回り始めていたのだった――。
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エリス(Eris)の精神崩壊と封印されし『記憶の逆流』
――交易都市ロシャンのけたたましい狂騒から遥か遠く離れた、静寂に包まれた高級邸宅の一角。
美しい妻・エリスは、豪奢なリビングルームのソファに身を預けていた。
窓の外には穏やかな夜の帳が降り、彼女は膝の上に広げた魔導書を一文字一文字、静かに読み進めていた。実になだらかで、平和な日常のひとときだった。
カチャリ、と重厚なフロントドアが開き、最愛の夫が帰宅した。
彼は上着のコートを脱ぎ捨てて部屋へと入ってくるなり、愛おしそうに妻を見つめた。
「おや、エリス。まだ起きていたのかい?」
エリスは優しく微笑み、本から顔を上げた。「ええ。おかえりなさい、あなた」
夫は彼女の元へと歩み寄る。
「信じられないニュースが入ってね。街はその話題でもちきりだよ。――例の『オークの大侵略』の件さ」
エリスは静かに本を閉じた。「大侵略……あの三つの大都市を無条件で蹂躙したという、あの化け物どものこと?」
「ああ」
夫は彼女の真横のソファへと腰掛け、息を呑むような戦後データを口にした。
「――それがね、信じられないことに、たったの一晩で『完全停止』させられたらしいんだ」
エリスは驚きに美しい瞳を見開いた。「一体……どこのどいつがそんな不条理を?」
夫は至ってカジュアルに、何でもない雑談のようにその真名を紡いだ。
「――新世代の魔王、『カイ(Kai)』という男さ」
――ドクンッ!!!!!
その真名が彼女の鼓膜を震わせた、まさにその刹那だった。
世界全体の因果律が反転したかのような、圧倒的な『異変』が彼女の精神を直撃した。
目も眩むような凶悪な神の光の奔流が、エリスの視界のフラッシュバック(脳内データ)となって爆発的に炸裂したのだ。
エリスの肉体は、文字通り借りてきた猫のようにカチリと完全にフリーズした。呼吸の機能が、肺の底で強制停止を起こす。
わずかコンマ数秒という永遠の刹那の間に、彼女の脳裏には『ある一人の人物の輪郭』が、生々しく投射されていた。
果てしなく広がる無限の暗黒深淵の中に、ただ一人で直立している、人間の形をした絶対者。
――しかし、そこには『顔』がなかった。
目も、鼻も、唇すらも存在しない。一切のディテールが剥ぎ取られた、ただの不気味な空白のシルエット。
エリスは虚空を凝視したまま、心臓が肋骨を叩き割らんばかりの狂暴なビートを刻み始めるのを感じていた。
「……だ、れ……? あなたは……一体……っ」
キィィィィィィィィィィィィィン――!!!!!
次の瞬間、彼女の脳髄の最深部を、魂を直接ミンチにするかのような凄まじい『激痛』が容赦なく引き裂いた。
「――っ、あああああああああああああっ!?」
彼女は短い悲鳴を上げ、両手で自らの側頭部を狂ったように強く押さえた。
夫は突如として発狂したかのように苦しみ出した妻の異変に、血相を変えて立ち上がった。「エリス!? 一体どうしたんだ!?」
エリスの端正な鼻先から、ツッと一筋の赤黒い鮮血が流れ落ちた。
それだけではない。彼女の片方の耳の奥からも、ドロリとした魂の拒絶反応の血が溢れ出してくる。
「エリス!! エリス!!」
彼女は必死に何かを言葉として紡ごうと、醜く唇を動かした。しかし、声帯のシステムは完全にハッキングされており、ただの空気の漏れる音すら出てはこなかった。脳裏のあの『顔のない絶対者』のシルエットは、彼女の精神を内側から破壊し尽くさんばかりの質量で、そこに鎮座し続けている。
――そして。エリスの全意識の回路が、強制シャットダウン(完全暗転)を起こした。
エリスの華奢な身体が、ソファから床へと崩れ落ちる。
夫は狂乱の表情で飛び込み、彼女の頭部が頑丈な床板へと激突する寸前で、その身体を間一髪で抱き止めた。
「エリス! エリス!! 目を開けてくれ!!」
夫は彼女の顔を染める夥しい鮮血の量に、この世の終わりを見たかのように恐怖し、絶叫した。
「何が……一体何が起きたって言うんだよぉっ!?」
当然、その問いに答える者は、この静寂な邸宅には誰一人として存在しなかった。
彼女はすでに、死の深淵に等しい完全な昏睡状態へと叩き落とされていたのだから。
そして――彼女の魂の限界を超えて逆流しかけた、あの『顔のない怪物の記憶データ』は――世界の不条理な防衛システム(封印)によって再び深い深い闇の底へと引きずり戻され、綺麗さっぱりと掻き消えていたのだった――。
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歪められる真実、そして『生ける伝説』への昇華
――数日という時間が、地上の有象無象どもの狂騒を加速させるように静かに経過していった。
時間の経過とともに、世界を駆け巡る『物語』はその規模を爆発的に肥大化させ、反比例するように、純粋な『事実』の境界線はどんどん小さく、霧の向こうへと埋もれていった。
一柱の新世代の魔王が、2万のオークの侵略キャンペーンを力ずくで完全停止させた。――そこまでは紛れもない事実だった。
生き残ったオークの残党どもが、人間の三つの陥落都市の再建に従事させられている。――それもまた、確実な現実のデータだった。
そして、あの不条理なる巨塔『エリュシオン・オーダー(Elysian Order)』の出現が、世界最強の絶対組織『陰陽オーダー(Onmyo Order)』の逆鱗を完全に逆撫でし、その絶対の視線を釘付けにしているということも。
しかし――それ以外のすべてのディテールは、地上の民の妄想によって醜く、歪に『歪曲』されていった。
ある者は、魔王カイがたったの一撃で2万の軍勢丸ごとこの世界から消滅させたと誇らしげに語り。
ある者は、奴は一国を滅ぼすに十分な『伝説の竜の軍勢』を巨塔の内部に隠し持っていると真面目な顔で主張した。
ある者は『エリュシオン・オーダー』の台頭を新たなる絶対帝国の誕生であると定義し、またある者は、あの組織こそが『陰陽オーダー』の絶対の支配体制を根底から打ち砕くために闇で結成された、史上最悪の最高暗殺組織であると固く信じ込んでいた。
両者はすでに水面下で血の果てし合いを開始していると噂する者もいれば、大陸全土を巻き込む最終戦争の準備を進めていると怯える者もいた。
当然、その膨大な噂のどれ一つとして、ギルドから公式に『確定』されたものは存在しなかった。
しかし――その実体のない『不確実性』は、もはや無害なジョークとして笑い飛ばせる次元を遥かに超えてしまっていたのだ。地上のあらゆる街角に溢れ返る尾ヒレ葉ヒレの全てが、世界の勢力図を丸ごと灰にするほどの大爆発の『導火線』としての質量を、生々しく帯び始めていたのだから。
古来より、人間という脆弱な生き物は、自らの知性を遥かに超越した絶対的な高位生命体を識別する際、必ず都合の良い『称号』を授けることでその恐怖を誤魔化してきた。
化け物。英雄。王。悪魔。神。
そして今――この世界のシステムの上に、既存のいかなる概念の枠組み(カテゴリー)にも収まらない、最大級の戦慄の称号が完全に定着した。
――魔王、カイ(Demon Lord Kai)。
その名前が世界のチェス盤の上に刻まれたという因果は、もはや誰の手によっても、二度と巻き戻すことのできない絶対の歴史となったのだった――。
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混迷の広域戦略地図と『空白』の恐怖
――大陸全体の政治勢力図は、たった一人の存在によって完全に攪乱されていた。
アッシュフォード王国の宮廷では、外交官たちが巨塔に対する新たな外交方針について連夜の議論を交わしていた。ミラス領の被災地では、生き残った難民たちが自分たちを救った正体不明の魔王の噂を囁き合っていた。交易都市ロシャンでは、腕自慢の冒険者たちが奴の真の戦闘出力について机を叩いて言い争っていた。ラオディキア聖教会の深奥では、高位聖職者たちが最大限の警戒網を敷いてその動向を注視していた。最高学術院の学者たちの間では、奴の生物学的種族の定義が未だ解けない難問として君臨し続け、そして――列柱の魔王たちの間では、奴の存在そのものが世界のパワーバランスを塗り替える『新たなる絶対因子』として完全に組み込まれていた。
地上の脆弱で無知なる一般民衆の間において、彼は急速に、不可侵の『生ける伝説』へと昇華しつつあった。
しかし――この世界の真の支配者たるトップエリートたちは、もはや「カイとは何者か」という原始的な謎だけに囚われてはいなかった。彼らが今、最も恐れ、最も注視している最悪のシナリオはただ一つ。
――『エリュシオン・オーダー』と『陰陽オーダー』が、正面衝突を果たしたその瞬間に、この世界へいかなる破滅がもたらされるか、という点だった。
彼らは、カイが一体どこの次元から現れたのかを知らない。
彼らは、奴の肉体の真の本質(正体)を知らない。
彼らは、奴が世界の理の中でどれほどの星霜を経ているのか(年齢)を知らない。
彼らは、奴の限界戦闘出力の底を知らない。
彼らは、奴が何故あの不条理な巨塔『エリュシオン・オーダー』を構築したのか、その真意を知らない。
彼らは、あの四天王(最高幹部)のごとき規格外の絶対強者どもが、何故ただの気怠げな白髪の青年に絶対の忠誠を誓ってサーブしているのか、その因果を知らない。
――そして彼らは、あの怪物が本当は『何を望んでいるのか』を、何一つとして持ち合わせていないのだ。
世界中のあらゆる情報網が狂ったように稼働し、かき集めたデータ。
その結果として世界が手に入れたのは――ただの『カイ』という、文字列表現としての真名だけだった。それ以外は、何一つとして存在しない。
――そして、おそらくは。その『圧倒的な情報不足(完全なる空白)』こそが、この大陸において最も凶悪で、最も危険な爆弾だった。
何故なら、『伝説』という名の怪物は、常にそうした不完全な情報と民衆の恐怖という養分を吸って、より巨大に、より歪に作り上げられていくものだからだ。
当の魔王カイ自身は、世界に向けて己のデータ(真実)を――ただの一滴すらも、開示してはいなかったのだから――。
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凝視する世界と大いなる胎動の序曲
――オークの大戦争が続いていた時間は、歴史の目で見れば極めて刹那に過ぎなかった。しかし、その不条理な結末が世界の因果律へともたらす影響は、これから先、気が遠くなるほど長い時間にわたってこの大陸を縛り続けることになるだろう。
人間の三つの大都市が灰燼に帰し、2万頭のオークの精鋭軍勢が進軍し、絶対者たるオークキングが天災のごとき覇気を以て君臨した。――そして、たった一人の魔王が、そのすべてを指先一つで完全消滅させた。
世界は今や、嫌というほどその真名を脳裏へと刻み込まされている。
――カイ(Kai)。
民衆はその名を酒場で畏怖とともに囁き合い、王宮の円卓では高官たちが連夜の議論を交わし、学術院の教授たちは魔導書に新たなる脅威として記録し、ラオディキア聖教会の司祭たちは神へ祈りを捧げながら、その名がもたらすであろう終末のシナリオ(結末)にただただ戦慄していた。
不条理なる巨塔『エリュシオン・オーダー』は、世界の戦略地図の上に圧倒的な絶対領域として君臨した。世界最強の絶対組織『陰陽オーダー』には、歴史上初めて、その玉座を脅かしかねない巨大な『宿敵』が出現した。列柱の魔王たちはチェス盤の上に現れた規格外の『新星』を注視し、人間の王国は生存のための『同盟相手』としての可能性を模索し、聖教会は最優先の『監視対象』を設定し、学者たちは至高の『未知』を手に入れ、そして無知なる有象無象の民衆は、退屈な日常を刺激する最高の『英雄譚』を貪っていた。
しかし――世界を覆い尽くさんばかりに膨れ上がった無数の尾ヒレ葉ヒレのすぐ真下で、たった一つの、最も原始的で最も凶悪な問い(クエスチョン)が、未だ手つかずのまま冷酷に横たわっていた。
――『魔王カイ』という怪物の正体は、一体全体、何者なのか?
地上の誰も、その数式(答え)を知らない。
今の世界に許された唯一の行動は、ただ息を潜めて、その巨塔の動向を『凝視』することだけだった。
何故なら、次なる運命の歯車を動かすのは、無責任な民衆の噂などでは決してないからだ。次の一手を打つのは――他ならぬカイ自身か、我が家を守る『エリュシオン・オーダー』か、あるいは静かに牙を研ぐ『陰陽オーダー』のいずれかであることは明白だった。
そして、その因果の引き金が引かれたまさにその瞬間、世界中の人々は嫌でも知ることになるだろう。
あの破滅的なオークの大戦争という悲劇が、ただの局地的な『危機の終焉』に過ぎなかったのか――あるいは、この世界丸ごとすべてを灰燼に帰す、史上最悪の『大崩壊の始まり』に過ぎなかったのかを――。




