第56話:ネビュラー
二つの陣営が言葉を交わすよりも先に、彼らを取り囲む戦場はすでに完全な廃墟(更地)へと変貌していた。一端にはナオ・シミズが至極冷静に、何の急ぎもない様子で直立している。その対面の座標にはニュクサーラが構え、現存する『第三位』の魔王としての絶対的な重圧が、二頭の間の空間を物理的な質量となってハメ殺していた。
「あんた、想像以上に厄介なバケモノね」ニュクサーラが低く呟く。
ナオ・シミズは小馬鹿にするように首を傾げた。「……想像以上、かしら?」
「私はこれまで、何頭もの傲慢な統治者どもを血祭り(デリート)に上げてきたわ」ニュクサーラが告げる。「大抵の奴らはね、自分の持っている『肩書』を本物の絶対出力だと致命的に勘違い(エラー)しているのよ」
ナオ・シミズは、その美貌にクスクスと、心からの本物の笑みを浮かべた。「……だとしたら、あんたはまだ、本物の統治者という怪物に出会い足りていないだけよ」
次の瞬間、彼女の姿が空間から完全に消失した。ニュクサーラの戦闘知覚がその軌道をマークしたのは、ほんの数百万分の一秒(刹那)遅れてのことだった。
ドゴォォォォン!!!
ナオはニュクサーラの完全な真上の座標へとリブート(出現)し、一撃ごとにその属性を完全に書き換える、常軌を逸した超連続波状攻撃を最大解放した――火炎、雷撃、空間を切り裂く次元刃、重力、漆黒の大罪魔力、さらには時間の歪み。ただの一発として同じソース(発生源)を共有しない、不条理なデタラメの乱射。ニュクサーラは一発をガードし、もう一発を魔力で強制解体し、さらに三発を音速で回避したが、残された残撃のすべてが彼女の背後で激しく爆発した。
「……おもしろいじゃない」ニュクサーラが背後の大惨事(更地)を一瞥して呟く。
「私の速度についてくるのが、随分と手一杯に見えるけれど?」ナオ・シミズは数マイル離れた座標へと着地し、平然と言い放った。
「まさか。これっぽっちもね」
ニュクサーラが、空間から完全にその姿をデリート(消失)させた。
ナオ・シミズは即座に身を翻し、何もない虚空の座標を鋭くスキャン(索敵)した。――応答は、ゼロ。
ドゴォォォォォン!!!
ニュクサーラはあいつの至近距離へと突如として出現、放たれた絶対の拳をナオは間一髪で回避したものの、その拳が引き起こした不条理な衝撃波の質量だけで、ナオの肉体は天空の彼方へと豪快に吹き飛ばされた( tumbling )。彼女は飛行モーションを制御して空中で体勢をリブート(安定化)させ、その口元に未だ一分の綻びもない不敵な笑みを浮かべた。
「……なるほど、そういう格付け(実務)で戦いたいわけね」
ナオ・シミズが、ごく軽い手つきで、パチンと片手を上げた。
次の瞬間、彼女の背後の空間に、七つの超巨大な幾何学魔方陣が爆発的に咲き乱れた。その一つひとつが、世界を更地にする【最大奥義】の絶対出力を格納している。
「――七つ、か」
ニュクサーラの瞳の奥に、滅多に見せることのない本物の化け物(原初)の光が微かに瞬いた。
「ええ、七つよ」ナオがその絶対コマンドを上書きする。
七つの大天災が一斉に天空から降り注ぎ、発生した超弩級のエネルギー爆発が、隔離空間、天空、そびえ立つ山脈のすべてを文字通り根こそぎ丸ごと貪り喰った。世界を完全に強制終了させるための、圧倒的な絶対破壊の暴風。
ナオ・シミズはその瓦礫の残骸(更地)を見下ろした。「……よし、これで実務完了ね」
――だが次の瞬間、その静寂を切り裂いて、確かな足音が空間に木霊した。
爆煙のフェードアウト(霧散)の向こう側から姿を現したのは、衣服をボロボロに引き裂かれ、顔の片側に一筋の鮮血を奔らせた――しかし、最高の笑みを浮かべたニュクサーラの姿だった。
「……今の、めちゃくちゃおもしろかったわよ」
彼女は、顔を流れる鮮血を無造作に指で拭い去りながら言った。
「……生き残った、だと?」ナオ・シミズの顔に、初めて心からの本物の驚愕が走る。
「あんた、たったの七発の攻撃程度で、この私をシステムから消滅できると本気で思い込んでいたわけ?」
ナオ・シミズの美貌に、再び冷徹な笑みがリロード(復元)された。彼女はゆっくりと間合いを詰める。
「……ねえ、あんた。私がなんであんたのあの大切なおもちゃ(カイ)を、あそこまで木っ端微塵に壊してやったのか、その本当の理由を知りたい?」
ニュクサーラは、答えない。ただ冷ややかに見つめる。
「あの子がね、私の歩むべき進軍ライン(サプライチェーン)の邪魔な座標に直立してたからよ」ナオ・シミズが言い放つ。「だから私は、ただの不手際として、ごく当たり前のように踏み潰して(テイクアウトして)あげたのさ」
二頭の間の空間が、一瞬にして絶対零度の死の静寂へと塗り替えられた。ニュクサーラの顔から、すべての生温い笑みが完全に消滅した。
ナオ・シミズがその『異常』を察知したのは、魂の知覚がアラートを鳴らすよりもコンマ数秒遅れてのことだった。――すでにそこに実在(直立)していた。完全に、ゼロ距離の間合い。
あいつの絶対の拳は、ナオの戦闘本能が防衛モーションを決定するよりも早く放たれていた。ナオは極限のフレームで無理やり肉体を捻り、拳の直撃そのものは紙一重で回避したものの、直後に炸裂した不条理な衝撃波の質量をまともに喰らい、背後に実在した数棟の建造物を文字通り分子レベルで何枚もぶち抜きながら、数百メートル先へと豪快に吹き飛ばされた。
「……あんた、今の言葉を吐いたことを、魂の底から激しく後悔することになるわよ」
ニュクサーラは、放った拳をゆっくりと下げながら冷淡に言い捨てた。
ナオ・シミズは口元から溢れ出る鮮血を拭い、狂ったように嘲笑った。「アハッ! そうこなくっちゃ面白くないわよねぇ!」
ドゴォォォォォン!!!
ニュクサーラの全身から放たれた【原初竜魔皇への統合進化恩恵】が爆発的に大爆発した。戦場の荒野全体が恐怖に慄くように激しく振動し、空間そのものにメキメキとエラーの亀裂が走り、天空はもはや世界の常識では説明のつかない不気味な暗黒へと上書きされていく。そしてあいつの背後に、世界を丸ごと貪り喰うほどの超巨大な次元の裂け目がバキバキと抉じ開けられた。
「……何よ、その不気味な空間は?」ナオ・シミズの目が、初めて本物の警戒の色へと塗り替えられる。
「私の、本当の絶対領域(我が家)よ」ニュクサーラが不敵に告げた。「――【星雲世界】」
次の瞬間、目の前に広がっていた廃墟の戦場は、一瞬にしてこの世から完全に消滅した。
ナオ・シミズが再び目を開けた時、そこに広がっていたのは、終わりのない悠久なる宇宙の絶対深層領域だった――。地面など存在せず、天空の概念もなく、ただ視界のすべての座標に無数の恒星、超新星の残骸、そして色鮮やかな星雲の幾何学構造がどこまでもサスペンドされており、巨大な銀河の渦が、まるで生きた生命体のようにゆっくりと巡っている。
「……これが、あんたの構築した固有結界ってわけね」ナオが呟く。
「いいえ、違うわ」空間にゆったりと浮遊するニュクサーラが、その言葉を冷徹に訂正した。「……ここはね、私が最初からこの世界に生まれ落ちた、正真正銘の『オリジナルの世界(故郷)』よ」
ナオ・シミズの宿す大罪特性【完全模倣】が、防衛反応として無条件で強制起動。目の前に直立するこの化け物のステータスの全容を血眼になって逆探知し始める――。だが、システム内部で解禁されていく固有能力や最大奥義の数々は、一介の単一個体が宿していい許容量を遥かにオーバーフローしていた。
「……何てデタラメな能力の数々(ストック)を宿しているのかしら」彼女の目が妖しくきらめく。
「……コピー、してみたい?」ニュクサーラがジト目を向ける。
「当然でしょう?」ナオ・シミズの笑みが、最高に兇悪に歪んだ。「それが、私の日常(実務)なんだからね」
次の瞬間、彼女の肉体の周囲に、常軌を逸した規模の絶対魔力が大爆発した。――これまでの果てなき統治( reign )の歴史において、彼女の前に立ち塞がり、そして彼女の手によって完全消滅させられていった数々の最高峰の化け物たちから根こそぎ略奪し、自らの魂にインポートし終えていた、数千、数万という【究極能力】と最大奥義の全容。それはもう、彼女自身ここ数年、数えることすら放棄していたほどの圧倒的な大質量のインフラ。
「【完全模倣】、ね」ニュクサーラはその術式をじっと見つめ、鼻で笑った。
「私はこれまで、あんたのような強大すぎるバケモノたちを何度も血祭りに上げてきたのさ。多すぎて全員の顔データなんていちいち記憶してないけれどね」ナオ・シミズが魔剣を突き出す。「――安心しなよ。今からあんたのそのデタラメな出力も、私のコレクション(所有物)の新規データとして追加してあげるからさ」
ニュクサーラは腹を抱えて豪快に、最高に冷淡に嘲笑った。「ハハッ! あんた、未だにこの処刑(お仕事)が『能力の引っ張り合い(おままごと)』だと思い込んでるわけ?」
ドゴォォォォォン!!!
彼女の全身から放たれたプレッシャーの格付けが、正真正銘の『世界の終焉』そのものへと完全上書き(変態)を開始した。肉体構造がメキメキと真の【原初】の絶対形態へと解放され、放たれた絶対波動の前に、【星雲世界】に実在するすべての星々が恐怖にカチカチに硬直して激しく悲鳴を上げる。
「……変身(完全覚醒)する、というわけね」ナオ・シミズはそのプロセスをじっと見つめる。
「あんたがね、この私にそこまでして『本気の実務(殺し合い)』を執行させるだけの、最高の死亡フラグ(数値)を弾き出しちゃったのよ」
ニュクサーラの声が空間全体に幾重もの重低音となって木霊し、彼女の【最終絶対形態】への完全同期がクローズした。
ナオ・シミズは、自らの魂に内蔵されたすべての魔導兵器を一斉解放した――数百、数千の【最大奥義】が、何の予兆のアラートもなしにコンマ数秒の刹那に完全同時乱射。
だが、ニュクサーラの肉体はその絶望的な弾幕の隙間を縫うようにして音速を超えて奔り、一発を爪で切り裂き、十発を時空のステップで回避し、百発の障壁を力任せにぶち抜き、消滅させた端からさらに数万発の追撃が、システム的な限界値なく彼女の進軍ラインへと右肩上がりに上書き(リロード)され続ける。
ナオ・シミズの放つその猛攻には、お世辞にも『戦術のパターン』なんて日常のセオリーは存在しなかった。防壁を解体されたその瞬間に、別の全く異なる究極能力の因果が次々とスロットへ上書きされ、際限なく無限ループを繰り返し続ける。【完全模倣】の本当の恐怖の全容が、今ここに剥き出しになっていた。――彼女は、いかなる刹那であっても、世界のあらゆるデタラメを、予測不可能な変数のリズムで無条件で引き寄せ(リーチ)できるのだ。
(……チッ。このままこのダラダラとした長期戦を続けさせたら、いずれあいつの無限のストックの前に、私の脳内リソースがオーバーフロー(全滅)させられるわね)
ニュクサーラは、激しい弾幕の嵐の最中を奔りながら、冷徹にその戦況の数値を弾き出すのだった。
「あんた、動きの速度が右肩下がりに落ちてきてるわよ」
ナオ・シミズは冷淡に言い放ち、限界値のないシステムのように次々と連続波状攻撃を最大解放した。放たれた絶技は構築された端から力技で相殺されていくが、ついにあの最悪の大天災――七つの【最大奥義】の因果関係が、再びコンマ数秒の刹那に一点収束した。
ニュクサーラの瞳が、極限まで冷徹に細まる。
彼女の手の中に、一振りの『漆黒の魔剣』が音もなく物質化した。その刹那、この宇宙空間を満たしていた大気のベクトルそのものが、不気味な絶対零度へと書き換えられた。
「……何よ、その不気。何の魔力波形も立ち上がってこないじゃない」ナオ・シミズが眉をひそめる。
「――【グロース(Ghroth)】」ニュクサーラは淡々と言った。「……種族特性:『死を告げる星』よ」
そこには、何のド派手なエラーの爆発もなかった。常軌を逸したオーラの顕現も、周囲の空間を威嚇するような魔力波動のシステム(サイン)すらただの一片として存在しない。――そしてそれこそが、この世界の常識から見れば、最も絶望的で、最も致死的な天災の証明であった。ナオ・シミズの宿す大罪特性【完全模倣】が、防衛反応としてその魔剣の構造を血眼になって逆探知したものの、弾き出された照合データは完全な『空白』。固有能力の枠にも収まらず、最大奥義の履歴にも引っかからない。――模倣すべき概念そのものが、最初から一ミクロンも実在(データが存在)していないのだ。
「……は? 何が起きてるの……!?」
ナオ・シミズの顔から、完全に余裕の色彩が消滅した。本気で脳内インフラがフリーズしている。
「グロースにね、そんな小賢しい固有能力なんて最初から必要ないのさ」
ニュクサーラは冷淡に言い捨てると、その座標から完全に消失した。
ナオ・シミズは狂ったように、自らの魂に格納されたすべての絶対防衛インフラをコンマ数秒の刹那に重複展開した――幾何学結界障壁、空間位相シールド、概念特性:永劫不死、超高速自己再生、多次元レイヤー防壁、因果律の絶対防御、さらには時間の強制編集。何十、何百という世界の最高峰のルールが、幾重もの絶対防壁となって彼女の肉体をハメ殺すように覆い尽くしていく。
だが。ニュクサーラは、あいつの真正面の『ゼロ距離』へと突如として直立していた。
グロースの刃が、静かに振り下ろされる。
――シャズッ!!!
その漆黒の一閃は、ナオが展開した何百という絶対防御のインフラを、文字通り『最初からなかったこと』に両断した。防壁の出力を力任せにゴリ押しでねじ伏せたのではない。――それらの究極の能力が物質化(生成)させていた防御の概念そのものを、ただの薄い紙切れでも引き裂くかのような手軽さで、一瞬にして根こそぎ切断したのだ。速度をただの一ミリも減速させることなく、ただ、通り抜けた。
「……あり得ない! 不条理よ!」
ナオ・シミズは叫び、音速を超えて後方へと跳躍した。
だが、ニュクサーラはその移動座標の先へと当然のように先回りして直立し、二発目の追撃を奔らせる。ナオが必死になって再構築した新たなインフラ防壁も、まったく同じ段取りでバキバキに粉砕されていく。彼女は、ここでようやく完璧に言語化した。自らの宿す【完全模倣】は、この世界に実在するあらゆる最強の能力をそっくりそのままインポートして自動再現できる。――だが、目の前のこの漆黒の魔剣は、そもそも『能力が何で構築されているか』なんて常識のルールを、最初からこれっぽっちも気にして(判定して)いないのだ。
ナオ・シミズは絶望の焦燥に目を血走らせ、自らの魂に内蔵されたすべての魔導兵器のストックを一斉解放した――数千、数万、数百万という【完全模倣】のコピー能力が、何の予兆のアラートもなしに同時起動。この【星雲世界】の基礎構造そのものを丸ごと貪り喰うほどの、圧倒的な破滅の質量。
「――これで、正真正銘のすべてよ(オールデリート)ォォォッ!!!」
だが、ニュクサーラはその絶望的な大津波の嵐のド真ん中に悠然と直立し、その瞳の【最終絶対形態】の光を妖しく輝かせた。
「……ええ、そうね」彼女は冷淡に微笑んだ。
「だからこそ、あんたにこれ以上の次(日常)のチャンスを与えるわけにはいかないのよ」
彼女の姿が消滅した。ナオの【完全模倣】の索敵システムがその接近をアラートとして弾き出したのは、ほんの数百万分の一秒(刹那)遅れてのことだった。
グロースの漆黒の刃が、彼女のすべての防壁を、根こそぎクリーンヒットで貫通した。
【星雲世界】の空間全域に、正真正銘の、絶対的な死の静寂が戻った。
ナオ・シミズは、自らの肉体をすでに完全にぶち抜いているその漆黒の刀身を、呆然と見つめた。
次の瞬間には、ニュクサーラはすでに彼女の背後の座標へと直立しており、何の手応え(ノイズ)もなく魔剣を引き抜いて(収めて)いた。
ナオは、口元からボタボタと血を流し、弱々しくクスクスと笑った。
「……アハッ。なるほどね。それが、あんたの……本当の『解答』ってわけね」
「ええ、そうよ」ニュクサーラは淡々と応じる。
「私が負けたのは……あんたが私よりも、純粋に強大だったからかしら?」
ニュクサーラは、静かに首を振った。
「いいえ、違うわ。あんたが負けた本当のシステムエラー(原因)はね。――この私に、あんたがどれほど危険なバケモノであるのかを完璧に言語化(理解)させるための『余計な実務時間(猶予)』を、たっぷりと与えすぎたことよ」
ナオ・シミズは、その美貌に最高の、満足そうな笑みを浮かべた。
「……なるほどね。もし私が、あんたにそんな時間を与える前に一瞬でハメ殺して(クローズして)いたら?」
ニュクサーラの表情から、すべての生温い感情が完全に消滅した。
「――あんたの、完全勝利(勝ち)だったわよ」
「……アハッ、最高じゃない」ナオ・シミズはそう呟くや否や、そのまま意識を強制遮断(完全昏睡)させてその場にバタバタと崩れ落ちた。
二頭の化け物は、完全な静寂が戻った更地の中で、しばらくの間そのまま佇んでいた。お互いに、最後の瞬間まで敵の実力値をただの一ミクロンも侮ってはいなかった。ナオ・シミズは、ここでようやく、なぜニュクサーラという存在が世界の頂点たる tier (第三位)に君臨し続けているのか、その本当の理由を完璧に理解したのだ。
だが、それはニュクサーラの側にとっても同様だった。――もし自分が、この処刑実務(戦闘)の最中にコンマ数秒でもおままごと(油断)を続けていたら、あの【完全模倣】という最悪のチート特性は、いずれ確実に、自分が『逆立ちしたって相殺できない禁忌の組み合わせ』をスロットに弾き出して、こちらの日常を完全にデリートしていただろう。
やがて、その絶対的な緊張のクローズと共に、【星雲世界】の結界は静かにフェードアウトし、元の現実世界へとリブートした。
現実の荒野へと姿を現した瞬間、ニュクサーラはどこの誰よりも早く、その不気味な絶対プレッシャーの接近を肌でマークした。
「……お出ましよ」
空間を力任せに抉じ開けてアシュリー(混沌竜)が舞い降りると、アイヴィーは完璧な所作で恭しく深々と一礼してみせた。
「またお目にかかれて光栄ですわ、アシュリー様」
アシュリーはパチクリと目を叩き、その少女をじっと見つめた。「……えっと、ごめんなさい。貴方、データ(誰)だっけ?」
アイヴィーの肉体が、一瞬にしてカチカチに硬直した。
ニュクサーラが、本気で死んだ魚の目で彼女を凝視した。「……おい。ちょっと、あんたねぇ」
アシュリーは今度はニュクサーラのほうを向き、首を傾げた。「あら? 私、貴方のことも世界のどこかのログ(記憶)で見たことがある気がするんだけど!?」
「……冗談でしょ? 本気で言ってるわけ、あんた?」
「いや、本当にごめんなさいね。私の脳内データ(記憶)、未だにちょっとバグ(混濁)っててさ」アシュリーはテヘッと可愛らしく頭を掻いた。だが次の瞬間、パッと顔を輝かせる。
「――あぁ! ニュクサーラ! あんたね、思い出したわ! 元気にしてた?」
ニュクサーラは深く、深いため息をついた。「ええ、私よ。元気にしてたかって……白状すれば、あれからもう十年か十一年くらい経過(日常が流れて)してるんだけどね。本当に」
アシュリーは、次にヴァドスのほうへとその好奇心の視線を転じた。「あんたは?」
「ヴァドスと申します、アシュリー様」ヴァドスは恭しく頭を下げた。「……なるほど、貴方が正真正銘の、本物の【混沌竜】というわけですか」
「まぁ、システム的にはそういうレッテル(格付け)になってるみたいね」アシュリーは平然と肩をすくめてみせた。
そこへ、空間転移でひまりが到着した。「アシュリー様、後片付けは――」
「『お袋』って呼びなさいって、さっきあれほど指示(上書き)したでしょ?」
ひまりは深いため息を漏らした。「……分かったわよ、お袋」
アシュリーは辺りを見渡し、その瞳の輝きを右肩上がりに膨れ上がらせた。「それで、私の世界で一番可愛い愛息はどこかしら?」
「ここにはいないわ」ひまりが告げる。
「となると、あの子、私の実の弟たちのクソトカゲどもを相手に、絶賛復讐の実務(殺し合い)の真っ最中ってわけね」アシュリーは特に動じることもなく、平然と言い放った。「よし。じゃあ、今からあの子のバックアップ(お世話)に行ってあげなきゃね」
ヴァドスは、彼女がただそこに直立しているだけの通常ステータスであっても、魂のインフラが強制終了させられそうなほどの超弩級の絶対出力を感じ取っていた。エンゾは、ただの一言も発することなく不動の姿勢を守るだけだった。
ニュクサーラは腕を組み、不敵に笑いながら尋ねた。「……それで、あんた。ハルトが創ってくれたその新しい生体インフラ(肉体)の着心地(性能)はどうなわけ?」
「白状すれば、本気で感動(システムチェック合格)してるわよ」アシュリーは、至極真面目な顔で胸を張った。「見てちょうだいよ、この最高の――」
「お袋、本当にお願いだからそういうだらしない日常のモーションはストップして」ひまりが必死になって遮る。
「――それに、このお肌。信じられないほどスベスベ(スムース)じゃない。一体全体、あの子がどんな至高の魔導資材を配合して上書き(精錬)してくれたのかしら。何より、私の精神核心が、記憶にある限り最高の数値で完璧に安定を維持してくれてるの。こんな膨大なリソース(エネルギー)をその身に湛えた感覚、生まれて初めてだわ。ひまり、あの子、一体どこの魔導インフラを動力源としてマッピングしたわけ?」
「【創生エネルギー(ジェネシス)】よ」ひまりが淡々と答える。
アシュリーのすべての動きが、ピタリと、完全に停止した。
「……は? 今、創生エネルギーって言った? どこからあの子がそんなデタラメをかき集めてこれたわけ? そんなの、世界の常識から見れば、逆立ちしたって入手不可能な禁忌の資材のはずだけど」
「自分でゼロから工業生産(栽培)したのよ、あの子」ニュクサーラが鼻で笑う。「それにあんたのコア、カイの宿す【無】の魔力によって、完璧に強制融合(同期)されてるからね」
「【無】の魔力……?」
「我が主、カイ様の保有される、世界のいかなる事象をも強制相殺する絶対無二のオーラ(力)のことでございます、アシュリー様」ヴァドスが丁寧な解説をインポートしてやった。
「だからこそ、あの方の命名システムには、原初の限界値を書き換える際にも一切の反動が発生しないのですよ」エンゾがそこに言葉を重ねる。
アシュリーの表情が、一瞬にして、極限の親バカの歓喜の色(ドヤ顔)へと完全に塗り替えられた。
「……嘘、最高じゃない! 私の息子、本物の、正真正銘のデタラメな天才に育ってくれたわけね! よぉし、お袋として、あの子に最高のご褒美を支払ってあげなきゃね!」
「……あんた、本気でカイの展開してるあの固有結界『テアティラ』の内部に、外から力任せに殴り込み(突入)をかける段取りなわけ?」ニュクサーラが尋ねる。
アシュリーは、その口元に最高の、兇悪極まる美しすぎる笑みを浮かべた。
「そんなおもちゃ(結界の防壁)、私のシステムにとってはただの一ミリも問題にならないわよ」
次の瞬間、彼女の姿はその座標から、影も形も完全に消失した。
――そして、遥か彼方の座標。
あの漆黒と絶望の虚無が広がる、固有結界『テアティラ(Thyatire)』の内部。
カイは宿敵二頭をハメ殺すための実務(戦闘)の最中、突如として空間の全域を丸ごと貪り喰うようにして這い寄ってきた、あの圧倒的な、一瞬の狂いもない『お袋の絶対波動』の降臨を、完璧にマーク(検知)していた。
彼の【漆黒】の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
……だが、次の瞬間。
【竜魔王】カイ・コバヤシの口元に、これまでの生涯で最も、心からの本物の笑みがリロード(復元)された。
「……起きたかよ、お袋」
カイは低く、静かに呟いた。
「――お袋……!」
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――魔王ミレラが未だその爵位(称号)を手に入れるより遥か昔。ネロという名が彼女の心にとって何の意味も持たなかった、遠い時代の記憶。
そこには、世界の常識が「決して愛し合ってはならぬ」と格付けした、二人の男女が実在していた。
彼女の母親は、エルフ。そして父親は、獣人族の戦士。
当時、すべての獣人クランの頂点に君臨していたのは、古く、頑ななまでに純血主義を貫く絶対の守護者――あの【災厄の狼】フェンリック(Fenrir)だった。フェンリックは身内の戦士が一介のエルフを伴侶に選んだという事実を知るや否や、即座に激怒。その不条理な関係を今すぐ解消せよと命じた。だが、父親はそれを拒絶。結果として、彼はクランから永久追放されることとなった。
彼は愛する女性を連れて故郷のインフラを後にし、獣人の防衛圏から遥か遠く離れた土地で、古い憎悪のレッテルが届かない静かな日常を築こうと身を寄せ合った。
やがて生まれたのが、ミレラだった。
彼女はその魂に、双方の血統特性を完璧にインポートしていた。――エルフ特有の尖った耳と精密な魔力親和性、そして獣人族のデタラメな身体能力と戦闘本能。
だが、その赤ん坊の生存データを知ったフェンリックは、「我がクランの血統に、修復不可能な致命的エラー(汚点)が刻まれた」と冷酷に判断。その日常を根こそぎ抹殺するための刺客(手下)を派遣したのだ。
襲撃者が彼らの隠れ家の座標へと這い寄ってきた時、ミレラはまだ、たったの四歳だった。両親は、自分たちを血祭りにあげるためにどこのどいつが来たのかを完璧に理解し、決死の迎撃に出た。
「ミレラを連れて奔れ!」父親が叫ぶ。
「絶対に後ろを振り返っちゃダメよ、ミレラ!」
母親は涙を流しながら、彼女の小さな手を引いて戦場から引き離そうとした。
だが、運命という名の最悪のバグからは、逃げ切れなかった。
最初に父親のデータが消失(死亡)。母親は自らの肉体を盾にして娘を必死に絶対保護しようとしたが、彼女もまた無残に斬り伏せられた。最後に彼女が絞り出した言葉――「奔りなさい」――それが、ミレラがこの前世の日常で耳にした、母親の最後の音声ログとなった。
トドメを刺した刺客は、瓦礫の残骸(更地)を物色したものの、標的の少女の姿を見つけられなかった。ミレラは戦火の混沌の最中、すでに近くを奔る激流へと転落し、そのまま川の電流(水流)に流されて消失していたからだ。
「……まぁ、あの激流だ。四歳児のステータスじゃ、どのみち生存確率はゼロだろうよ」
その手下はそう呟くと、それ以上の余計な索敵を打ち切って、そのまま平然と立ち去っていった。
冷たい川の濁流は、意識を完全に消失(昏睡)しかけていた彼女の肉体を何時間も運び続けた。そして、とある小さな集落のほとりで水を汲んでいた一人の老婆が、川縁に漂流している不審な大質量(少女)を偶然マークした。
老婆は慌てて彼女を水から引き揚げ、自らの我が家へと運び込むと、数日間に及ぶ必死の看病の実務を尽くして、彼女のステータスを死のイベントの瀬戸際から辛うじてリブート(回復)させた。
ミレラがようやくその瞳を開いた時、視界のスクリーンに最初に映し出されたのは、その優しげな老婆の顔だった。
「……ここ、どこ……?」
鈴を転がすような、幼い声だった。
「安心しておくれ、もう安全だよ」
「お父さんは……? お母さんはどこ……?」
老婆は、ただ静かに首を振るだけだった。本当に、何の情報も持っていなかったのだ。
ミレラは声を上げて激しく慟哭した。老婆は、その小さな肉体を優しく、壊れんばかりに強く抱きしめた。
その日を境に、彼女はミレラにとっての、新しく上書きされた唯一の『家族』となった。――かつてその少女の身に一体どんな最悪の大惨事が起きていたのか、その真実のログを何一つ知らぬまま、老婆は彼女に狩りを教え、戦い方を仕込み、生き残るためのすべてを授けた。ミレラ自身もまた、自らの実在そのものが、かつて一つの巨大な血統クランに対する最高の『侮辱』だと格付けされていたことなど微塵も気づかぬまま、平穏な日常の中で美しく育っていった。
――【十二年】の歳月が流れた。
ミレラは十六歳を数え、種族のハイブリッドとしてのデタラメな戦闘能力を完全開花させていた。エルフの魔導と獣人の武力、そのどちらか一単一の種族では逆立ちしたって到達不可能な、規格外のステータスを宿すまでに。
だが、【災厄の狼】フェンリックは、ただの一度もそのネズミの生存データを忘れてはいなかった。
十二年の沈黙を経て、あいつが再び処刑(実務)のために這い寄ってきた時、何の事前アラートも宣戦布告もなかった。あいつはただその冷徹な瞳で集落のインフラを見つめると、ごく当たり前のように、自らの放つ不気味な『蒼き絶対の火炎』で村全体を丸ごと貪り喰わせた(灰にした)。
ミレラが狩りの実務から帰還した時、目の前に広がっていたのは、日常のすべてがデリートされた完全なる更地だった。育ての親であるあの優しい祖母も、すべての住人たちと共に永久消滅していた。
「おばあちゃん……?」
応答はない。
「おばあちゃん!! 嘘でしょ……おばあちゃんっ!!」
静寂。
その時、彼女の目は、集落の残骸でいまだに不気味に燃え盛るあの蒼き火炎を完璧にマークした。そして、この大惨事が自然災害なんかじゃない、誰かが意図的に仕掛けた最悪のイベント(凶行)であることを完璧に言語化した。
「……どこのどいつよ、こんなことをしたのは……!?」
「――私だ」
火炎の奥底から、絶対的なプレッシャーを湛えて、フェンリックがその姿を現した。
フェンリックは、自らの施した過去の段取り(真実)のすべてを、一ミリの悔恨のノイズもなく平然と告げてやった。――父親の血、母親の血、そして自分が下した絶対の抹殺コマンドの全容を。
ミレラの胸の奥底にあった深い悲しみは、その刹那、絶対零度の激しい怒りの数値へと一瞬にして書き換えられ、彼女は魔剣を抜いてあいつへと猛然と襲いかかった。
だが、その殺し合いは、お世辞にも互角とは言えないほどに、圧倒的な格付けの格差が存在していた。ミレラの宿す複合的な絶対出力は、フェンリックの想定値を遥かに上回る粘りを見せ、あいつの肉体に一太刀、二太刀の傷痕を刻みつけさえしたものの、双方の間に実在する tier (階級)の絶対的な壁は、あまりにも高すぎた。
ガシッ!!!
次の瞬間、フェンリックの鉄の万力のような力技の手のひらが、ミレラの喉元を正面から完璧に鷲掴み(完全ホールド)にしていた。
「見所はある」
フェンリックは冷酷に言い放ち、ミレラの肉体を地面へと叩きつけた。
「……だがな、そんなものはただの可能性(潜在能力)に過ぎん。それほど微力なステータスでは、この世に実在せぬのと同じことだ」
ミレラの視界がバキバキに白濁していく。全身の細胞が悲鳴を上げ、指一本動かすことも、息をすることすらシステムが拒絶していた。
――その刹那。
彼女の魔力知覚が、自らの意志を無視して不気味な暴走を始めた。彼女の肉体の真下の座標に、これまで一度だって学んだことのない、禍々しい幾何学の召喚魔法陣が爆発的に咲き乱れたのだ。彼女自身、そんな実務(召喚)を脳内で決定した覚えは一ミクロンもなかった。
フェンリックの顔から、一瞬にしてすべての余裕の色彩が完全に消滅した。
「……馬鹿な、これは……!?」
漆黒の魔方陣が完全に抉じ開けられ、その境界線の向こう側から、悠久の歴史の彼方に眠っていた一頭の化け物がのっそりと姿を現した。――名など実在しない。ただ一つの番号だけを与えられた絶対の悪魔。
【ナンバーエイト】。
あいつは床に転がっているミレラの姿を一瞥すると、不敵にクスクスと笑った。
「……なるほど。あんたが俺を世界にリブート(召喚)してくれたわけか。その手際に免じて、一振りの『願い(要請)』を無条件で受理(叶えて)あげようじゃないか」
ミレラは一瞬の躊躇もなく、その絶対コマンドを吐き出した。
「――あいつを、あいつの血統クランのすべてを、今この瞬間に世界から根こそぎ消滅させて!」
「――承認だ」
あいつはあっさりとそう言い放った。
激昂したフェンリックが、決死の最大出力を解放して突撃した。だが、ナンバーエイトはその座標から音もなく消失し、次の瞬間にはあいつの完全な死角(背後)へと出現。放たれたただの一撃の質量の前に、フェンリックの肉体は大地を何枚もぶち抜きながら無残に叩きつけられた。あいつは吐血しながら再び立ち上がり、狂ったように魔剣を奔らせたが、ナンバーエイトはそのすべての斬撃を、まるで退屈な小テスト(おままごと)でも相手にしているかのような、だらしのない無関心な手際で受け流し続けた。
「……この借り物の器、お世辞にも悪くない使い心地じゃないか」
あいつは自らの指先をパチパチと鳴らし、本物の絶対出力のほんの数パーセントしか格納していないその死体の肉体を、退屈そうに確認してみせた。
「……まぁ、これ以上おままごとを長引かせるのも非合理的なバグ(無意味)だな」
あいつが、パチンと指を一つ弾いた。
次の瞬間、フェンリックのデータは一瞬にして世界から永久消滅(即死)した。
少し離れた場所からその蹂躙(実務)を見つめていたミレラは、完璧に理解していた。今目の前で繰り広げられた大惨事(更地化)は、この悪魔の本当の最大出力の、お世辞にも百分の一(コンマ数パーセント)にすら達していないという絶望的な事実を、だ。
翌朝の陽が昇る頃には、大陸のどこを探しても、【災厄の狼】のクランのデータはただの一件として実在(全滅)していなかった。
ナンバーエイトがすべての実務を終えて戻ってきた時、ミレラは長い間、その化け物の漆黒の瞳をじっと見つめ続け――そして、静かに言葉を紡いだ。
「……俺に、教えなさいよ」
「何をだ?」
「強くなるための、本当の段取り(戦い方)を」
あいつは、腹を抱えて豪快に嘲笑った。
「ハハッ! この俺と同等のtier(最上位階級)に登り詰めたい、だと? 無理だね、論外だ。あんたはまだ、俺の本当の絶対の格付け(本性)を一度だって目目にしていないんだからな」
「だったら、いつかあんたのすぐ隣に直立して、同じ景色を見つめられるだけの力を仕込みなさいよ!」
彼女は一歩も引かずに言い放った。
その一事実のログ(覚醒の数値)だけは、あいつにとっても合格の範疇だったらしい。
「いいだろう。だがな、俺ほどの格付けの悪魔が、自分より脆弱な者に従うシステム(主従契約)は存在しない。俺は自分より遥か格下のバケモノと契約を締結するつもりは一ミリもないぞ」
「なら、今ここから右肩上がりに限界突破して、あんたの隣にふさわしい怪物になってみせるわよ!」ミレラが吠える。
「もしその契約を本気で手に入れたいって言うならね」あいつはフッと笑った。
「……正しい実務(実力)でその権利を掴み取ってみせなよ。そして、この俺に完璧な『名前』を上書き(授けて)みせなさい。――ただし、あんたがこの俺よりも、遥かに強大になったその未来のタイムラインにおいて、ね」
「やってやるわよ」彼女は言った。「――いつか、絶対にね」
そこから先に流れたのは、丸【六年】の歳月。
それはお世辞にも日常なんて生温いものではない、正真正銘の、血の滲むような極限の特訓(処刑実務)の日々だった。ナンバーエイトは、彼女が自ら設定していたすべての限界値を、力づくで幾度となくバキバキに叩き潰し、右肩上がりにその戦闘インフラを引き上げ続けた。
彼女がバタバタと床に崩れ落ちるたび、あいつは冷淡に『立ち上がりなさい』とだけ言い捨てた。『無理よ、もう一歩も動けないわ』と彼女がエラーを吐けば、『ならば、そのまま脆弱な残骸として永久消滅していなさい』と突き放す。――だから、彼女は何度だって、狂ったように肉体をリブート(起立)させて挑み続けたのだ。
そんな過酷な年月のどこかで、彼女の胸の内にあった『感謝』の数値は、静かに、しかし完璧に『絶対の信仰(溺愛)』へと書き換えられており、その信仰は、あいつには生涯一度だって言語化したことのない、遥かに深い別の感情(恋心)へと進化を遂げていた。
彼女は、いつかこの悪魔に最高の名前を授け、その隣に正当に直立するためだけに、血眼になって力を求め続けた。――まさか、あいつがそんな健気な乙女心に、ただの一ミリも気づいていない(完全な鈍感バグ)だなんて、夢にも思わずに、だ。
そしてある日、あいつは何の事前アラートも、別れの挨拶すら残さず、突如として空間から完全に消失(消滅)した。
彼女は何年も二人で特訓を重ねてきたあの更地にただ一人取り残され、必死になって索敵を繰り返したものの、返ってくる応答データは完全なゼロ。
「……なんでよ」彼女は、何もない虚空に向けて、掠れた声で呟いた。
「……俺はまだ、あんたの隣に立つには、これっぽっちも出力が足りていなかったってわけ……?」
彼女は溢れ出る涙を無造作に拭い去り、その瞳に絶対零度の決意を宿した。
「……いいえ、認めないわ。私は必ず、あんたを世界のどこからでも逆探知(見つけ出して)みせる。そしてその時こそ――あんたのシステムを、私の授ける最高の『名前』で完璧に上書きしてあげるからね」
哀れなことに、彼女はこの時の段階ではまだ、一ミクロンも知る由がなかったのだ。
――遥か未来の時間軸において、『カイ』という名の一介の少年魔王が、自分が名前を付けるよりも遥か前に、あいつのシステムをごく当たり前のように【ネロ】という名で完璧に強制上書き(命名)してしまうという、最悪のバグ(出来事)が待ち受けていることなど。
そして今。五つの隔離空間が解除され、二頭が現実の世界の荒野で再び正面から対峙した時、空間は不気味な死の静寂に包まれていた。
ミレラは、目の前に直立する男の姿をじっと見つめていた。だが、そのデータの波形は、彼女が長年血眼になって探し求め続けてきた、あの【ナンバーエイト】の数値とは、完全に別次元のtier(最上位階級)へと上書きされていた。
「……あんた」彼女の手が、怒りと動揺でガタガタと激しく震え始める。
「ミレラ」ネロが、ごく普通のト調でその名を呼んだ。
彼女の表情が一瞬にして冷徹に研ぎ澄まされ、獰猛な殺気が爆発した。
「……気安く、その汚い口で俺の名前を呼ぶんじゃねえよ! まるで、何事もなかったかのようにさ! あんたは俺を置いて消えた! 一言の残書き(ログ)すら残さずに、完全に雲隠れしやがったんだぞ!」彼女の声が、初めて悲痛に決壊した。
「――なんでよ!? 理由を白状しなさいよ!」
「俺には、片付けなきゃならない実務(用事)が山ほどあったからな」ネロは淡々と答える。
ドゴォォォォォン!!!
彼女の全身から放たれた覚醒オーラが爆発的に大爆発した。彼女は魔剣を抜き放ち、何の猶予もなしにあらゆる角度から超高速の連続波状攻撃を最大解放した――火炎、雷撃、空間を寸断する次元の刃、純粋な物理の衝撃波。だが、ネロはそのすべての絶対の斬撃を、何の急ぎもせず、ただの一発としてカウンター(反撃)を返すことすらなく、ごく最低限のフレームですべて音速で回避し続けた。
(……なるほどね。あいつ、この六年以上の間に、随分とデタラメに強くなってやがるな)
ネロは、自らの衣服を掠めていく刃の軌道を冷徹に分析していた。
(長年の血の滲むような特訓のインフラが、すべての一撃に完璧にマッピングされてる。……だけどな、悲しいかな。純粋な絶対出力の数値は、未だに俺の tier の一歩手前だ。もし俺がここで本気で実務(殺し合い)を執行しちまったら、あいつを肉片の一片すらシステムに残さず消滅させてしまうな)
ミレラは自らの大罪特性を最大解放し、隔離空間の全域を丸ごと貪り喰うほどの、数万発の同時魔力爆破を完全フルバーストした。空間全体が、数秒間にわたって絶望的な火炎の嵐によって完全にハメ殺される。
……だが、煙が晴れた。
そこには、衣服の端一つすら傷つくことなく平然と直立しているネロの姿があった。
「随分と強くなったものだな、あんた」
次の瞬間、あいつの声は、ミレラの完全な背後の死角(眼の前)から音もなく響いた。
「……だけどな、まだ脆弱(弱い)んだよ」
ミレラは弾かれたように身を翻したが、そこにはもうあいつのデータは存在しなかった。彼女は拳を真っ白に握り締めて歯を食いしばる。
「……あんた、未だに俺のことを、ただの理解力のない子供扱いするわけね」
「これほどの年月の間……」彼女の声が、ボタボタと流れる涙のノイズで激しく震え始める。
「……あんたは、俺がどんな気持ちで世界の暗闇を探し回っていたのか、その全容を一ミクロンも分かっちゃいないんだわ! 俺は……俺の出力が足りないから、あんたに身内(相棒)として認められなかったんだって、ずっと自分のインフラ(才能)を呪い続けてきたんだぞ!」
「俺は、自分の tier を上書きしてくれる、本物の強大な化け物(強者)との殺し合いを求めて旅に出ただけだ」ネロは、素直に本音を白状した。
「じゃあ……俺は、あんたにとって、その戦う価値(お相手)すら実在しない、ただの有象無象だってわけね」彼女は極小の声で呟いた。
「――ああ、そうだ」
ドゴォォォォォン!!!
その瞬間、ミレラの宿す魔王のオーラが、怒りの限界数値を完全にオーバーフローして大爆発した。彼女は理性をデリートし、その絶対の拳を最大出力であいつの顔面めがけて振り下ろした――。
だが、ネロはその突撃の軌道をごく自然なステップですり抜け、彼女の横をただ平然と通り過ぎて直立した。あいつの魔剣は、ただの一ミリも抜かれてはいない。
「あんたさ、本物の絶対の『力』ってやつが、一体どんなデタラメな次元のシロモノなのか、その全容をシステム的に知りたいかい?」
ネロは足を止め、低く厳かに語りかけた。
「……いいだろう。今ここで、完璧に言語化(証明)してやるよ」
あいつが、自らの内に秘められた【真魔神王】のオーラを、ほんの【数パーセント】だけ、水面下からスロットへと解放した。
その刹那。ミレラの肉体は、自らの脳内システムが『今すぐこの座標から退却せよ!』と最大級の絶望アラートを鳴らし散らしているにも関わらず、ただの一ミクロンも動かすことができずに完全凍結(氷結)した。――それは、単なる殺意のプレッシャーなんかではない。自らの宿す tier を遥かに上書きする、この世界に前例のない次元の超越者(神)の絶対的な顕現そのものだった。
「この空間は、あんたの構築したおもちゃ(固有結界)だったよねぇ」
ネロは掲げていた片手を、冷徹に振り下ろした。
「――じゃあ、見てなよ」
バキィィィィィィン!!!
ただの一動作。
彼女が全精力を傾けて維持していた隔離空間のすべてが、ド真ん中から綺麗に真っ二つに両断され――次の瞬間には、恒星も、宇宙も、そびえ立つ山脈のインフラのすべてが、ただの硝子細工のように木っ端微塵に爆散して消滅した。
二頭が現実の世界の荒野へと強制リブート(出現)した瞬間、隣の座標で実務を終えていたヴァドスが冷ややかにジト目を向けた。
「……ずいぶんと長引いた小テスト(お仕事)だったじゃないか、ネロ」
ニュクサーラは、着地したミレラの瞳から大粒の涙がボタボタと溢れ出ているのを完璧にマークした。
「……ちょっと、ネロ。あんた、なんでその女の子をそんな大泣き(バグ)させてるわけ?」
「大嫌いよ、あんたなんて……!」
ミレラは顔を真っ赤に染め、溢れる涙を無造作に腕で拭い去りながら激昂した。
「……大嫌いだ、ナンバーエイト!!」
「――『ネロ』だ」あいつは淡々と訂正する。
「大嫌いよ、ネロォォォォッ!!!」
ひまりが眉をひそめ、最大級の警戒マークを以てネロを睨みつける。
「……ちょっと、あんた一体彼女に何をしたわけ?」
「何もしてねえよ」ネロは平然と言い放つ。
「そんな見え透いた言い訳を、俺たちが素直に承認するとでも思っているのか?」エンゾが死んだ魚の目でツッコミを差し込む。
「こいつ、最初からファーストインプレッション(デリカシー)の数値を完全にデリートされてるからね」アイヴィーが冷淡に付け加えた。
ネロは周囲の雑音のすべてを完全に無視し、ぷいっと顔を背けようとするミレラの正面へとごく自然に回り込んで直立した。そして、躊躇なく、その大きな手のひらを彼女の頭の上へとそっと添えた(ポンと置いた)。
「あんた、随分と強くなったな」
ネロの声からすべての兇悪なノイズがデリートされ、お世辞にもあいつらしからぬ、どこまでも優しい声音が響いた。
「……俺はね、あんたのそのインフラ(成長)を、心から誇りに思うよ」彼は一度言葉を切り、苦笑を浮かべる。「――まぁ、俺の隣に並び立つには、まだまだ右肩上がりのバフ(修正)が必要不可欠だけどな?」
その言葉を耳にした瞬間、ミレラの唇が激しく震え、彼女は次の瞬間、前触れもなくあいつの胸の中へと飛び込んで、その身体を壊れんばかりに強く抱きしめていた。その顔をあいつのチェスト(胸元)へとガッチリと埋め、大粒の涙を流し続ける。
「……どうすればいいのよ!? 一体どんな実務(段取り)をこなせば、あんたの隣に直立するだけの出力を手に入れられるって言うのよ!?」
「――魔王カイ様の配下(身内)に下りなさい」
ネロは、自らの主の格付けを誇らしげに掲げて言い放った。
「我が主のシステム要件なら、あんたのその悲願(願い)を一瞬で完璧に上書き(上書き)してくれるぜ?」
「……それだけで、セーフなわけ?」
「それだけで、完璧にクローズだ」
そこへ、ニュクサーラが不敵な笑みを浮かべてチェス盤のルール(注意喚起)を差し込んできた。
「一つ、システム上の問題があるわよ、ミレラ。あんたは今現在、あの小野一彦との間に絶対契約を締結しているわ。カイのファミリーに下るなら、まずはそのパスを力づくで強制解除して、ディーヴォへ報告しなきゃダメ。――カイと主従パスを繋いだその刹那、あんたはもう、この世界の『魔王』の爵位(称号)を自動剥奪されることになるからね」
ミレラは、一瞬の猶予すら踏まなかった。
「――今すぐやるわ。何の異論もないわよ」
「……随分と迅速な意思決定ね」アイヴィーがパチクリと目を叩く。
「俺はもう、あの暗闇の彼方で、あいつを待つためだけの無駄な実務時間をたっぷり支払わされてきたんだからね」ミレラはネロの衣服をギュッと握り締めて言い放った。「これ以上、一秒だって待てるわけないでしょ」
「よし、ならば実務確定(オール同盟)だな」ネロは不敵に笑い、自らの主の戦況へと視線を巡らせた。「――あとは、カイ様がそっちの処刑(お仕事)を終わらせてリブートしてくるのを、ここで大人しく待つだけだな」彼は周囲を見渡す。「……そういえば、主はどこの座標に実在してるわけ?」
「あのクソトカゲども――ヴォラスとスコルンをハメ殺すために」ひまりが答える。「……別の独自の隔離結界の内部で、命がけの最終決戦の真っ最中よ」
「でお袋さんは?」
「その結界の外側で、特等席でお茶会(見物)してるわよ」
ひまりは、ここで自らの【時空間知覚】のスクリーンを、遥か西方のアシュフォード、ミラス、ティアムーン王国の防衛ラインへとコンバートした。
「……私たちは、今すぐあっちの前線へ転移して、西の連合軍のインフラを直接バックアップ(手揉み)しに行くべきね」
「――私も同行するわ」アイヴィーが魔剣を抜き払い、二頭のデータはその座標から一瞬にして完全消失した。
ヴァドスとニュクサーラの二頭は、この荒野の座標の留守居役としてその場に直立。ネロは、未だに自らの隣にぴったりと直撃して離れようとしないミレラの頭をだらしなく撫でながら、傍らに転がっているナオ・シミズの昏睡した肉体を見つめていた。
現時点で、彼らはただ、静かに主の帰還のログを待っていた。――だが、彼らの知覚できる戦場のさらに遥か、遥か圏外の座標において。
この世界大戦のチェス盤のどこの誰一人として、その実在すら計算に入れていなかった『最悪の第三の軍勢』が、すでに水面下で音もなく進軍を開始し、アシュフォード、ティアムーン、そしてミラスの諸王国に向けて、完璧なハメ殺しの包囲網を敷きつつあることなど、この時の彼らはまだ、一ミリとして気づいてはいなかったのだ。
正真正銘の最悪の侵略の質量は、この世界の最高峰のバケモノたちが別の座標で足止めを食らっている、まさにこの平穏な日常の隙間を縫って、今、幕を開けようとしていた。




