第54話:奈緒が学んだこと
魔王ミレラの視線が、値踏みするようにスッとヴァドスへと向けられた。
「……あの男、ただの悪魔じゃないわね」
「……ああ。我々も、先ほどから気付いてはいたがね」
スコルンが低く、地を這うような声でそれに言葉を重ねる。
「外の世界のどこか別の座標にも、奴と同等の気配を宿す個体が、あと二頭ほど実在している気配があるな」
ヴォラスが冷淡に付け加えた。
すると、ジロー(ケンジ)が、誰に頼まれるでもなく至極平然と、その正当な照合データ(答え)を口にした。
「――ネロ、ですよ。あいつの名前はね」
その瞬間、カイの【漆黒】の瞳が、限界を超えて鋭く研ぎ澄まされた。
(……待て。あいつ、今ネロの名前を口にしたぞ。それも、システム的な即死デバフ(罰)を受けることも、一ミリも身体を強張らせることもなしに、だ)
ミレラの佇まいが、その事実ににわかに緊迫の度合いを増していく。
(……なるほどね。ただの原初の悪魔だと思っていたけれど、名前による指向性の書き換え(上書き)が完了しているわけ。これは、戦況の計算を大幅に右肩上がりに修正せざるを得ないわね)
ナオ・シミズを絶対に完全消滅させないという彼女の決意が、より一層、強固なものへと固定されていく。
「……ねえ、ミレラ。あんたがこんな場所に直立していること、ディーヴォはちゃんとデータとして把握(承認)してるわけ?」
ニュクサーラが、その漆黒の瞳に冷徹な光を宿して尋ねた。
「ディーヴォが私のチェス(行動)をどう格付け(評価)しようが、そんなこと知ったこっちゃないわよ」
ミレラは冷淡に言い放った。
「これは私の絶対契約であり、私自身が決めた段取り(選択)だからね」
カイは、あいつらの間に蠢く不条理な宮廷政治の雑音を、自らの【無】のオーラで一刀両断にクローズさせた。
「あんたたちの過去の因縁も、契約の物語も、俺の心にとってはすべてどうでもいい出来事だ」
彼は指先を真っ直ぐに突き出し、ヴォラスとスコルンの二頭を冷徹にロックオンした。
「……そこの二頭のクソトカゲと俺の殺し合い(実務)に、外から余計な干渉を仕掛けるな。それだけだ」
魔神デミグラの顔に、純粋な好奇心の笑みが深く刻み込まれていく。
ミレラはそんな彼の様子をしばらく見つめていたが、ここでようやく、目の前にいるその化け物の本当のアイデンティティを完璧に言語化した。
「……ちょっと待ちなさい」
彼女の声がゆっくりと、不気味に震える。
「あんた、とっくの昔に世界から完全消滅させられたはずの、あの……」
デミグラは、ただ不敵にクスクスと笑うだけだった。
――そして、何の予兆もなしに、ナオ・シミズが最初の戦闘モーション(先制攻撃)を執行した。
「――【崩壊消失】:レベル十」
彼女は至極平然と、ただその絶対の呪文を空間に確定(上書き)させた。
次の瞬間、常軌を逸した超弩級の魔導爆発が、カイ、ニュクサーラ、ヴァドスの三頭を、その足元の荒野の岩盤ごと丸ごと貪り喰った。発生した破滅的な大質量(爆煙)が津波となって四方へと奔り、一国の大都市を一瞬にして更地へと変貌させるに十分なエネルギーが空間を蹂躙する。
ナオ・シミズは、じっと辛抱強く、その爆煙の霧が晴れていくのを見つめていた。
……やがて、煙がフェードアウトしていく。
そこには――衣服の端一つすら傷つくことなく、ただ平然とそこに直立している三頭の化け物たちの姿があった。
ナオ・シミズの美貌から、初めて余裕の笑みが削ぎ落とされ、その脳内システムが敵の実力値を再演算( recalculate )し始める。
「……なるほどね」
彼女は低く、楽しげに呟いた。
「あの子たち、お世辞にも『手軽に片付く小テスト(イージー・ゲーム)』とは言えないレベルの、正真正銘の怪物ってわけね」
二つの陣営が本格的に魔剣を交えるよりも、ほんの一瞬早く。
突如として、天空そのものの色彩が不気味な宇宙の輝きへと塗り替えられ――雲の彼方から、すべてを消滅させる絶対生命光線が、一点収束の奔流となってあいつらの頭めがけて降り注いだ。
――【星辰大崩壊】。
カイの胸の内には、その瞬間、爆発的な歓喜の数値(希望)が弾き出されていた。
(……エンゾの最大奥義だ! ってことは、あいつら――!)
すべてを更地にするその絶大なる光線は、ナオ・シミズ、ジロー、ヴォラス、スコルン、デミグラ、ミレラの全員を、文字通り一網打尽にする軌道で着弾した。かつてミラスの十五万の軍勢を一瞬にして世界の常識から消し去った、あの絶対破壊の不条理な質量。
しかし、敵陣の誰も、その場から避けるためのモーション(回避行動)すら起こそうとはしなかった。
魔神デミグラが、ただごく軽い手つきで、パチンと片手を上げただけだ。
「――【悪魔の捕食】」
あいつは至極冷静に、ただその固有能力を発動させた。
次の瞬間。
世界を滅ぼすはずだったあの【星辰大崩壊】のすべての威力、すべての熱量、すべての因果関係が――何のエラーの爆発も、何の物理的な抵抗すらなく、ただの水分のようにデミグラの肉体へとそっくりそのまま【強制吸収】されて消滅した。
周囲の大気を震わせる衝撃波のノイズすら、ただの一片として実在(発生)しなかったのだ。
国を一つ更地にするはずの究極の攻撃を、あいつはまるで、ただの間食でも口にするかのような軽さで喰らい尽くしてみせたのだ。いや、本当に。
デミグラは、その破滅的な光線が奔ってきた天空の座標へと視線を向けた。そこからは、凄まじい速度で三つのデタラメな大質量(魔力波形)が接近し、今まさにこの戦場の荒野へと着地しようとしていた。
――ネロ、アイヴィー、そして、エンゾ。
ここに、小林家の誇る最強の先遣隊が、ついに完全な形でリブート(合流)を果たしたのだ。
「やはりあんたか」
デミグラは、着地したエンゾの姿を真っ直ぐに射抜いた。
「……【天竜】イグニヴァール」
エンゾの表情が一瞬だけ強張る――それは、彼が未だにどこの誰にも説明(言語化)していなかった、悠久の歴史の彼方の『古い因縁』の照合データだった。
アイヴィーとエンゾの二頭が、傷一つないセーフな状態でそこに直立している光景を目にしたその刹那、カイの胸の中にあるすべての澱みが、完全に凪いでリセットされた。
(……無事だったか。お前ら、本当に、正当に生き延びてそこに実在してくれているんだな)
ここに、チェス盤の陣形が、正真正銘の『最終決戦』の布陣となって完璧に固定された。
カイ、ニュクサーラ、ヴァドス、ネロ、アイヴィー、エンゾ――【小林家陣営:六頭】。
ナオ・シミズ、ジロー、ヴォラス、スコルン、デミグラ、ミレラ――【シミズ帝国陣営:六頭】。
六対六。この世界の覇権(日常)のすべてを決する絶対的な大質量が、今ここに完璧に集結したのだ。
《告知――固有のシステム要件が完全に満たされました》
その瞬間、カイの脳内に、ヌル(虚無無意識)の静かなシステムアナウンスが響き渡った。
(……要件だと? 一体何が起きてるんだ、ヌル)
《解説。宿主個体名『カイ』の、最上位種族【原初竜魔皇】への種族統合進化が完璧に完了しました。――これに伴い、世界に前例のない特殊コードが解放されました。あなたの宿す絶対的な支配パスを通じ、あなたが深く信頼する直属の配下たち(身内)に対し、【魔王種】の最上位バッチを無条件で一斉分配(上書き)することが可能です。――対象:個体名『クロエ』『ネロ』『アイヴィー』『エンゾ』『ヴァドス』『セナ』『エース』の計七名。実行しますか? YES / NO 》
(やるに決まってんだろ。――今すぐ、全員まとめて上書き( YES )だ!)カイは脳内で即座に絶対コマンドを叩き込んだ。
《了解。――進化プロセス、始動。現在、一パーセント……》
ナオ・シミズの瞳が鋭く細まり、空間を満たす魔力の波形が、日を追うごとに――いや、一秒経過するたびに右肩上がりに異常な数値を弾き出し始めているのを、その感覚が敏感にマークした。
「……何かしら、この不気味なプレッシャーの胎動は?」
真竜ヴォラスの絶対的な composure (冷静さ)が、一瞬にして完璧に強張る。
「……不味いな。何かが致命的なエラーを起こしている。このまま奴らにその段取り(プロセスの完了)を進めさせるな!」
あいつは固有能力を最大解放し、触れるものすべてを存在ごと消滅させる超巨大な【虚無の嵐】を、カイたちの陣営めがけて正面から解き放った。
だが。ニュクサーラは視線を向けることすらなく、ただ自らの外套をごく軽い手つきで、パチンと横に一閃させた。
それだけで、世界を更地にするはずの虚無の嵐は、まるでただの羽虫でも払われるかのように四方へと霧散(消滅)させられたのだ。その一動作に込められた圧倒的な拒絶は、どんな冷酷な脅し文句よりも、遥かに凶悪な格付けの格差を示していたと言わざるを得ない。
《――進化プロセス:九十九パーセント――》脳内のヌルが冷徹に実務を告げる。
戦場を挟む十二頭のバケモノたちの間に、不気味なまでの絶対的な死の静寂が引き延ばされた。誰もが動けない。誰もが、次の瞬間に世界に物質化する『答え』のプレッシャーに息を呑んでいた。
《――百パーセント。――全工程、完璧に完了。種族特性の上書き(進化)が確定しました》
その瞬間。
進化した七頭の脳内インフラが同時に麻痺を起こすほどの、常軌を逸した絶大なる覚醒のオーラが、一斉にこの荒野の全域へと爆発的に解き放たれた。世界全体の基礎構造が、そのあまりにもデタラメすぎる大質量の格付けの前に、メキメキと音を立てて悲鳴を上げる。
《個体進化ログを言語化(開示)します。
個体名『エンゾ』:最上位固有種【真真竜】へ格付け変更。
個体名『アイヴィー』:最上位固有種【覚醒真魔王】へ格付け変更。
個体名『ネロ』:最上位固有種【真魔神王】へ格付け変更。
個体名『ヴァドス』:上位固有種【魔神王】へ格付け変更。
個体名『クロエ』:最上位固有種【至高の血鮮君主】へ格付け変更。
個体名『セナ』:上位固有種【魔神王】へ格付け変更。
個体名『エース』:上位固有種【混沌の災厄狼】へ格付け変更。――以上です》
敵陣のすべてのバケモノたちの肉体が、その場で完全に硬直(氷結)した。
目の前の一介のファミリーの面々が、一瞬にして世界の頂点たる tier (最上位階級)へと強制上書きされたというその絶望的な事実の重みが、彼らの全身へと、逃れようのない絶対的なプレッシャーとなってのしかかっていたからだ。
「……カイ様の下でお仕えできるこの幸運、システム的に感謝してもしきれませんな」
エンゾは、自らの内に目覚めた真の『真竜』の絶対的な出力を感じ取り、静かに、心からの誠実な言葉を口にした。
「ええ、同感よ」アイヴィーが、魔剣の柄をガッチリと握り締めて不敵に笑う。
「……ハハッ! 主からのボーナス(恩恵)が、日を追うごとに右肩上がりに限界突破してやがるぜ」ネロが最高に兇悪に口元を吊り上げた。
ヴァドスは、自らの肉体に融合した全く新しい【魔神王】としての絶対的なオーラの波形を長い間じっと見つめていたが、やがてカイの方を真っ直ぐに向き直り、深々と頭を下げた。
「――なるほど。これこそが、貴方様の宿す本当の格付け(テクノロジー)の全容というわけですか、カイ様。……このヴァドス、生涯を懸けて、貴方様への絶対の忠誠をここに誓い奉ります」
カイの手の中に、宿す【無】の魔力が高密度で凝縮された、漆黒と鮮血の紅を湛える絶対の魔剣が物質化した。その背中からは、世界の光をすべて貪り喰う漆黒の翼が豪快に展開され、彼の纏うプレッシャーは、ほんの数分前とは比較にならないほど、悠久なる『原初』の深みへと完璧に同期を完了させていた。
「……そろそろ、実務(殺し合い)を始めようか」
カイは、自らの隣に直立する最高の仲間たち(家族)を見つめ、静かに、しかし絶対的な殺気の数値を弾き出した。
「俺たちがこの場所に這い寄ってきた理由は、最初からたったの一つだけだ」
彼の漆黒の瞳が、ヴォラスとスコルンの二頭を冷徹に射抜く。
「――あいつらを、一匹残らず、生きてこの座標から帰すな」
「――喜んで、手揉み(お相手)してやるさ」ネロが吠える。
「最初から、それ以外の段取り(チェス)など考えてもいませんよ」ヴァドスが冷淡に言い放った。
ナオ・シミズは、自らの軍勢のインフラが完全にひっくり返るほどの絶望を前にしても、ただ不敵に、最高に楽しそうに微笑むだけだった。
そして。
一瞬の、静寂の果てに。
――十二頭のバケモノたちの肉体が、同時に、爆発的な質量となって動き出した。
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その瞬間は、完全に同時に訪れた。
ただの一撃が交わされるよりも早く、五つの絶対的な空間宣言が炸裂し、戦場の荒野を五つの隔離された独自の現実へとズタズタに引き裂いたのだ。
まず最初に、カイ独自の戦闘空間がその全容を現した――固有結界『テアティラ(Thyatire)』。
底知れぬ漆黒と絶望の虚無が広がるその広大な世界は、真竜ヴォラスとスコルンの二頭をその内側へと完全に引きずり込み、結界の防壁が閉じた刹那、外の世界のすべては彼ら三頭にとって文字通り『存在しない出来事』と化した。
ニュクサーラの結界がそれに続き、ナオ・シミズを彼女が創り出した独自の空間へと拉致する。
アイヴィーの次元はジローを捕食し、ミレラの空間はネロを監禁した。そしてデミグラの固有結界――【強欲の領域】は、ヴァドスとエンゾの二頭を同時に丸ごと呑み込んだ。あいつは自ら進んで『二対一』という圧倒的に不利な段取りをセレクトしておきながら、その美貌には微塵も動じる様子がなかったのだから、本当に不条理な化け物である。
五つの異なる現実(世界)で繰り広げられる、六つの絶対的な死闘。
そして、そのすべての足元――自分たちの頭上で世界の本当の覇権(チェス盤)が完全に別次元へとシフトしたことなど知る由もない八十万の兵士どもは、今や大した意味も持たなくなった地上の国境線を巡り、ただ泥臭い総力戦を繰り広げ続けていた。
しかし、遥か北方の戦線においては、セナにはそんな優雅な空間隔離の贅沢など許されてはいなかった。
北方のフロントは、未だに完全な混沌のまま剥き出しに晒されていた。西の連合軍は、シミズ帝国の容赦のない絶対的プレッシャーの前に、今にも決壊(全滅)しかけそうな防衛ラインを必死になって繋ぎ止めている状態だったのだ。
しかも、セナの前には教会の最高戦力【北方の聖二十二輝光】のうち、同時に三頭の個体が牙を剥いて立ち塞がっていた。一頭は禍々しい神聖の火炎を纏った魔剣を奔らせ、もう一頭は大地を激しく震わせる超弩級の魔導を乱射し、三人目はただひたすらに、眼下の連合軍の兵士どもに向けて絶え間ない広範囲爆撃を叩き込み続けている。
セナは正面からの一撃をガードしたが、その衝撃波の質量だけで足元の岩盤がバキバキに粉砕されるのを感じ、即座にその座標から消失。
数百万分の一秒(刹那)の間に数百メートル離れた位置へと出現すると、次の瞬間には神聖魔術によって消滅させられかけていた一団の連合軍兵士を絶対結界で包み込み、間一髪でセーフの数値へと救い出した。
直後、背後から別の聖騎士の奇襲が襲いかかる。彼女は身を翻してその一撃を素手で受け止めると、その不条理な因果を天空の彼方へとそのまま受け流して霧散させた。
(……チッ。この有象無象の兵士どもをいちいち延命しながらじゃ、あいつら相手にまともな実務(殺し合い)が成立しないじゃない。これが、システム的に一番厄介なエラーね)
さらなる追撃が彼女を襲う。彼女は今度も武器を抜くことすらなく、生身の手のひらでその刃をガッチリと受け止めた。足元の土壌があまりにもデタラメな衝撃の吸収に耐えかねてメキメキと陥没していく。
彼女は戦場全体を冷徹に見渡した――何十万という兵士の群れ、そして西の防衛ラインは、すでに限界を突破して完全に崩壊(決壊)する寸前まで追い詰められている。
その時、彼女の表情の奥に、ある冷徹な段取り(答え)がカチリと組み上がった。
「……なるほどね」
セナは低く呟き、その口元にクスクスと、面白そうな笑みを浮かべた。
「……私自身が、この何十万もの有象無象(軍勢)を相手に必死になって立ち回る必要なんて、最初からどこにもなかったわけだ。――ただ、実務を『委任』してやればいいのよ」
彼女がごく軽い手つきで、パチンと片手を上げた。
次の瞬間、彼女の全身から放たれた極限の悪魔のオーラが、一瞬にして戦場全体の全域へと爆発的に拡張され、絶対的な支配パスを上書きしていった。
「……あの女、一体何を始めるつもりだ!?」聖騎士の一人が驚愕して叫ぶ。
「ただの、手下の召喚よ」セナはあっさりと微笑んだ。
天空が漆黒に染まり、戦場のいたるところの座標において、禍々しい幾何学の召喚魔法陣が爆発的に咲き乱れた。――一つや二つではない。十や二十でもない。数百もの魔方陣が、一秒経過するたびに右肩上がりにその密度を増していく。
ドゴォォォン!!!
大地が激しく爆散し、一頭の原罪を刻まれた悪魔が這い出てきた。次いで、もう一頭。さらに数十頭。その不条理なシステム召喚のプロセスは、ただの一瞬の猶予もなく狂ったように継続され――。
【百】。【三百】。【五百】。【七百】。
そしてついに、【八百六十七】という絶対的な数値を弾き出した瞬間、空間の召喚アラートが完全に停止した。
戦場全体の空気が、一瞬にして完璧な死の静寂へと塗り替えられた。
そこに直立していたのは、決して ordinary (並みの)悪魔どもではなかった。――その一頭一頭が、これまでの世界の常識なら単独で『魔王種』に匹敵するほどの絶大なるステータス(実力)を宿していたのだ。あの教会の最高戦力たる聖騎士どもでさえ、その目の前に現れたデタラメな暴虐の軍勢の質量を前に、目に見えて顔を引きつらせて狼狽していた。
セナは、自らの創り出したその圧倒的な軍勢を見渡し、何の余計な儀式も省いて言い放った。
「あんたたち全員分の格好良い『名前』を、今ここでいちいち考えてやってるような暇(実務時間)はないからね」
彼女は、一番近くに直立していた悪魔を指差した。
「あんたは――『一号』」
次の個体へ。
「あんたは――『二号』」
彼女は、至極平然とした手際でその段取りを進め、最後の個体へとたどり着いた。
「……あんたは、『八百六十七号』ね」
彼女は全軍に向き直り、その美しい瞳を妖しくきらめかせた。
「あんたたちは全員、魔王セナの絶対直属たる【原罪悪魔軍】よ」
八百六十七頭の化け物どもが、寸分の狂いもなく、同時に恭しく膝を屈した。
「我が至高の主、カイ様からの絶対コマンドを伝達(上書き)するわ」
彼女の視線が、シミズ帝国の軍勢へと冷徹にロックオンされる。
「――あいつらを、根こそぎ血祭りにあげなさい(全滅させよ)」
悪魔どもは、その兇悪な口元を最高に嬉しそうに吊り上げた。
「――御意、我が主」
そこから先繰り広げられたのは、お世辞にも『戦争』なんて生温いシロモノではなかった。――それは、正真正銘の、絶対的な【狩猟】だった。
ある悪魔は天空を音速を超えて奔り、ある悪魔は敵陣の最高幹部会のド真ん中へと空間転移で直接潜入。敵の誇る絶対防衛線をただの紙切れのように一瞬で引き裂く者がいれば、敗走する敵兵の退路の座標に、逃げ場を完全にデリートする絶対結界を起動させる者もいる。
シミズ帝国の軍勢は必死になって陣形を再構築しようとしたが、そんな日常の努力は何の意味もなさなかった。一頭一頭が魔王級の出力を宿した八百六十七の化け物(天災)が正面から突撃してきているのだ。押し寄せる破滅の質量の前に、目の前のすべてがただただ更地へと変貌していく。
セナ自身は、その蹂躙のプロセスには一切参加しなかった。ただそこに直立し、目の前の惨劇を冷ややかに見つめている。ようやく、戦闘開始以来、自分の脳内リソースを半分削ぎ落としていた『兵士のお世話』という不快な重荷から、完璧に解放されたのだ。
一人の聖騎士が、一瞬にして完全崩壊していく自軍の戦場を信じられないものを見るように見つめ、次いで彼女のほうを振り返った。現れた絶望の本当の図式(答え)を理解した時には、すべてが手遅れだった。
「……貴様、まさか……!?」
「――さあ」
セナは静かに、しかしこれ以上ないほどに絶対的な殺気の出力を空間に解放した。
「……ここからは、お互いに何の言い訳もなく、完璧に『まともな実務(殺し合い)』ができるわね」
身内を守るというシステム的な足枷を完全にデリートしたセナの肉体は、次の瞬間、その座標から音もなく消失した。
目の前の聖騎士は、彼女がどのような戦闘モーションを起こしたのか、その全容を肉眼で知覚することすら叶わなかった。――あいつの戦闘本能が『脅威の接近』をアラートとして脳内に弾き出すよりも早く、彼女はすでに、あいつの完全な背後の死角(背後)へと直立していたのだ。
あいつは間一髪でその一撃をガードした。だが、彼女が繰り出した二発目の追撃が、あいつの誇る神聖結界のインフラを文字通り木っ端微塵(粉々)に粉砕した。あいつが狂ったように神聖魔術を乱射したが、セナは何のステップ(回避行動)もせず、その光の中をただ平然と歩み抜けて接近。
三人目の聖騎士が天空から必死の最大出力を叩き込んできたが、彼女はその刃を戦闘の最中に素手でガッチリとキャッチし、力任せにバキィィィンと真っ二つに叩き折ると、その肉体ごと戦場の遥か彼方へと豪快に投げ飛ばした(吹き飛ばした)。
遺された聖騎士どもは、個々の力技ではこの化け物(原初)に対して爪の先ほども通用しないという現実の数値を完璧に理解。ここで初めて正当な連携(連携)の段取りを組み上げた。――一頭が【神聖絶対結界】を展開し、もう一頭がその強度を倍化させ、三人目が対魔物用の特効スペルを最大解放し、四頭目が彼女の存在そのものを空間ごと完全封印にかかる。
その完璧な包囲網の術式が収束し、ほんの数瞬の間、彼女の肉体は確かに空間の檻の中に完全に囚われた(ハメられた)かに見えた。
……だが、彼女はただ、不敵に美しく微笑んだ。
「――そんなおもちゃ(結界)で、この私をストップできると本気で思っていたわけ?」
ドゴォォォン!!!
彼女の全身から放たれた【魔神王】のオーラが爆発的にフレアした。展開されていた神聖結界にバキバキとエラーの亀裂が走り、次の瞬間には次元ごと木っ端微塵に爆散。
セナは何の乱れもない足取りで、その結界の残骸(瓦礫)の中から、ごく当たり前のように平然と外の世界へと歩み出てくるのだった。
彼女がその真の出力を完全に解放させた瞬間、北方の戦線を取り囲む天空は光を一切反射しない漆黒へと完全に塗り替えられた。全域が、彼女の放つ絶対的な魔神王のオーラによって丸ごと貪り喰われたのだ。
「私に、自らの脳内リソースの半分を削ぎ落として防衛実務(お世話)に専念させる。――そこまでの数値を弾き出したことだけは、褒めてあげるわ」
セナは、生き残った聖騎士どもを見据え、冷淡に言い放った。
「……だけど、今のあんたたちは何?」
彼女の口元に、絶対零度の冷たい笑みが刻まれる。
「ただの、下劣な『獲物』に過ぎないわよ」
そこから先、彼女はあいつらの肉体を一頭ずつ、文字通りシステム的に解体していった。――それは単なる圧倒的な力技(ゴリ押し)なんかではなかった。あいつらが幾重にも構築した神聖な防壁のインフラを、その構造の隙間から精密に、かつ理路整然と『最初からなかったこと』へと解きほぐしていく、あの絶望的な unmaking (解体)の手際。あいつらが繰り出す戦闘技術のすべてを、彼女は完璧なカウンターで上書きした。あいつらのいかなる撤退の段取り(ステップ)も、彼女は一瞬にしてその移動座標をクローズさせた。
すべての実務が終了した時。【北方の聖二十二輝光】という絶対的な格付けは、この世界の常識から完全に永久消滅していた。
セナは最後にもう一度だけ、眼下に広がる破壊された戦場(更地)を見下ろした。そこでは、彼女が工業生産(召喚)した八百六十七頭の【原罪悪魔軍】が、未だに敵国の残党どもを相手に残酷なトドメの作業をこなしている最中だった。
「生存者のデータは、ただの一件として残さないこと。――いいわね?」
セナが冷徹に絶対コマンドを下す。
「――御意、セナ様」
八百六十七頭の化け物どもの、狂ったような完璧な唱和が空間に響き渡った。
彼女は、その後の日常の進捗(凄まじい蹂躙)を見届けることすら不快だと言わんばかりに、そのまま無関心に背を向けてその座標から消失した。自らに課せられた最初の防衛任務を、完璧な数値でクローズした。ただ、それだけだ。
一方、その頃――。
淡い白銀の絶対結界が広がる、独自の隔離空間。
そこでは、アイヴィーとジロー(ケンジ)の二人が、不気味なほどに静まり返った虚無の領域を挟んで、正面から対峙していた。
どちらも、すぐには次の戦闘モーション(先制攻撃)を起こさなかった。
ジローは事前に完璧な諜報データを仕入れていた。アイヴィーが何者であり、カイのファミリーにおいてどれほど重要なインフラ(右腕)であるのか、その宿す強大すぎる戦闘能力の全容を、あらかじめ脳内データにロックオンしていたのだ。
対するアイヴィーの側は、目の前のこの男が、ホライズンクレストを更地にしたあの最悪の侵略イベントの裏で、何やら不穏な糸を引いている『ネズミ』の一匹であるということ以外、何一つまともな情報を持ち合わせてはいなかった。
二人は、一言の余計な言葉も交わさぬまま、超高速の魔剣の一閃を激しく激突させた。
そして数瞬の交錯(実務)を経ただけで、アイヴィーの戦闘本能は、目の前のこの男の宿す能力の組み合わせが、通常の一介の魔王のステータスを遥かに凌駕する『極めて凶悪な危険因子』であることを、完璧に言語化していた。あいつの展開する防御障壁は、従来の限界値を上回る強度でこちらの刃を弾き返す。その一つひとつのステップの踏み込みには、大罪特性の禍々しさの裏側に、あの伝説の勇者から直々に叩き込まれたであろう、極限まで研ぎ澄まされた戦術の精密さが完璧にマッピングされていた。
(……こいつ、単に絶対出力がデタラメなだけじゃないわね。戦い方の本質を完璧に理解している『本物のバケモノ』に、徹底的に仕込まれているわ)
重々しい、かつ息を呑むような超高速の攻防が何度も繰り返された後、ジローは魔剣を交えたまま、何の急ぎもせず、至極平然とした調子で口を開いた。
「……あんたの主、カイ・コバヤシ。あいつ、この世界に『転生』してきた口だろ?」
アイヴィーは、答えない。ただ冷徹に刃を奔らせる。
「実はさ、俺も転生者なんだよね」
ジローはあいつの放った絶対の魔剣の一撃を、手慣れた手際であっさりとガード(ブロック)しながら言葉を続けた。
「それが、我が主と何の関係があるというのです?」
アイヴィーは、冷淡に言い放った。
「大ありさ。何しろ、あんたの主と俺は、前世において『全く同じ世界(東京)』から這い寄ってきた同胞なんだからな」
その瞬間、世界に致命的なノイズが走った。
アイヴィーの瞳の奥が、自らの意志に反して、にわかに鋭く研ぎ澄まされる。
「……貴方が、本当にカイ様と同じ前世のタイムラインを歩んでいたというのなら」
彼女は、極めて慎重に聲音のトーンを一定に保ちながら尋ねた。
「……ならば、なぜカイ様が、あの若さで異世界へと転生する羽目になったのか。その理由を、今すぐ正確に言語化(説明)しなさい」
ジローは、その口元に下劣な、最高の歪んだ笑みを浮かべた。
「ハハッ! あいつの死因だって? ……何だ、老衰にでもなって死んだとでも思ってたわけ?」
一瞬の、不気味な間。
「違うんだよねぇ」
ジローは、あいつを見据えて言い放った。
「――俺が、あの雨の路上で、あいつを車で直撃して『撥ね殺して(デリートして)』やったのさ」
アイヴィーの、すべての動きが、ピタリと、完全に停止した。
絶叫を上げることも、激昂して怒声を響かせることもなかった。ただの、沈黙。
彼女の表情から、一切の生温い感情が完全に消滅して完全な『空白(虚無)』へと塗り替えられ、その全身から放たれていた【覚醒真魔王】のオーラが、一瞬の間だけ、システムから完全に消え去ったかのように不気味にフェードアウトした。
ジローは、その不気味な静寂を、こちらの絶対的なプレッシャー(実力差)に圧倒されて思考停止しているのだと、致命的な勘違い(エラー)を起こしていた。これから自らの身に降りかかる、世界大戦など比較にならないほどの最悪の惨劇(天災)の前兆であることなど微塵も気づかぬまま、のんきに言葉を重ねる。
「いや、本当にさ。俺だって前世であいつを殺した時は、まさか輪廻転生なんてデタラメなインフラが実在するなんて思ってもみなかったよ。あいつがこんな世界で魔王なんて格付けになってリブート(復活)してくるなんて、完全に計算外だったわ」
あいつは、ただの世間話でも残すかのように、ケラケラと軽薄に嘲笑ってみせた。
「……まぁ、最終的にはあいつの実の姉貴のクソ女に、お返しとして背後から心臓を抉られて殺されちゃったんだけどね。――おかげで、俺までこんなデタラメな場所に転生する羽目になったってわけさ」
あいつは、自らの死亡フラグの数値を右肩上がりに爆発させながら、未だに喋り続けていた。
「おい」
ジローは、一向に応答を返してこない彼女に対し、退屈そうに首を傾げた。
「……あんた、さっきから俺の話をまともに聞いて――」
あいつの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
次の瞬間。
【覚醒真魔王】アイヴィーの肉体は、すでにジローの睫毛が触れ合うほどの、正真正銘の『ゼロ距離(眼の前)』へと、音もなく直立していた。




