第52話:その問い
その夜のうちに、カイは生き残った民のすべてをニュクサーラの領地へと避難させる実務を完了させた。セリがその絶対的な保護任務に就き、ニュクサーラの部下たちが、二度目の襲撃に備えてホライズンクレストの残骸を厳重に監視する段取りとなった。
事件の一報を耳にした魔王ラヴェシアが、数時間もしないうちに現地へと這い寄ってきた。いつもの眠そうなだらしなさは完全に消滅していた。
「……ごめんね、カイ」
彼女はただ静かに、心からの誠実な言葉を告げた。
直後、ソフィアも息を切らせて到着した。そして真実の全容――エリス、エレーン、エルフの長老の家族全員が永久消滅したという致命的なバグ――を知った瞬間、カイが彼女と出会って以来、その揺るぎない聖騎士としての冷静さが、初めて完璧に決壊した。
「私にできることなら、何でも手伝うわ」
彼女は言った。
「……どんな段取り(命令)でも言って」
だが、カイの耳にはその声はほとんど届いていなかった。彼の脳内インフラは、ただ一国の大帝国に向けて無鉄砲に軍勢を進軍させるという、そんな愚かな選択を超えた『別の解答』を血眼になって模索し、思考をフル稼働させていたのだ。
彼は、未だに目の前の惨劇のプレッシャーに全身をガタガタと震わせているひまりの姿を、一人きりの空間で見つけた。そして、自らの怒りが絶対零度の冷徹な数値へとリセットされたその瞬間から、ずっと脳内で組み上がっていた『一つの問い』を静かに投げかけた。
「……お姉ちゃんのその時間の能力を使って、この大惨事を最初からなかったことに巻き戻せないか?」
カイは言った。
「過去に戻ってさ。エリスやお袋、みんなが死ぬっていう最悪のイベントの発生を、根こそぎストップさせてくれよ」
ひまりは、完全な沈黙に陥った。ただ、唇を噛み締めている。
《告知。――個体名『ひまり』は、すでにその実務(時間跳躍)を執行済みです》
脳内のヌル(虚無無意識)が、静かに割り込んできた。
カイは弾かれたように驚愕した。「……え? ヌル、お前なんでそのデータを知って――」
《解説。先ほどから、彼女の魂の座標から常軌を逸したレベルの『時空残響』が検知されています。これは、究極能力【時空之王】の最大出力を極限まで、かつ『連続的に重複使用』した際にのみ刻まれる絶対的なエラーログです》
ひまりの表情が、一瞬にして歪み、完全に決壊した。
「……少し、歩きましょ」
彼女は涙を堪えるように、掠れた声で言った。
「お願い、ハルト……」
二人は他の仲間たちから離れた静かな場所へと移動し、彼女は途切れ途切れに、信じがたい『世界の裏の段取り(真実)』を白状し始めた。
今、カイの目の前に直立している『小林ひまり』という存在は、もはや単なる最初のオリジナルデータ(元の姉)ではない、ということを。
《解析完了》ヌルの静かなアナウンスがカイの脳内に響く。《彼女の現在の存在証明は、過酷な時間操作の負荷によって根本から書き換えられています。過去、現在、そして未来のタイムラインに実在する彼女自身のデータが、強制的に一枚の多次元レイヤーへと収束(融合)している状態です》
「……最初から説明してくれ」カイは聲音を極めて和らげた。「お願いだ、お姉ちゃん」
だから、彼女はすべてを白状した。
彼女とユキの二人がこの世界に初めて強制召喚されたあの夜。――実は、彼女たちが最初に墜ちたのは、ロシャンの街なんかではなかったのだ。術式通り、正しく【フィオラーノ領】の座標へと着根していた。
彼女はそこで二年の歳月を費やし、この世界の常識やシステムを必死に学び取った。そしてある日、領主クロナラ・アルフィエリから『今度、ホライズンクレストからカイという見どころのある若い領主が視察に来るわよ』と告げられたのだ。
最初の会談の席で、カイは一目で姉の正体を見抜いた。ひまりにとって、それは言葉に尽くせぬほどの、極限の救い(安堵)だった――最愛の弟が、全く別の肉体(器)に生まれ変わって、確かにこの世界で生き延びていたという、動かぬ証拠。
……だが、まさにその同じ日、ナオ・シミズの帝国がフィオラーノ領へと突如として全面侵略を仕掛けてきた。
真竜ヴォラスとスコルンの二頭が、カイの肉体を木っ端微塵に惨殺。フィオラーノ領は一瞬にして完全に崩壊(消滅)した。
「……あの日、私はあんたを二度目(前世に続いて)で見殺しにすることなんて、絶対に耐えられなかった」
ひまりは極小の声で呟いた。
「だから私は、あの【時空之王】を発動させたの」
――【十四回】。
彼女は時間を巻き戻し、十四回にわたって、カイがそもそもフィオラーノ領に接触すらしないよう、あらゆる段取りを書き換え続けた。だが、運命という名の最悪のバグは、その都度、新しい物語の形を急造しては、決まって同じ惨劇の全滅イベントを繰り返し発生させた。
やがて彼女は、このエラーを根本からデリートするためには、さらに過去の起点――『召喚の瞬間』の術式を直接編集するしかないという解答にたどり着いた。
彼女は力技で時空の座標を捻じ曲げ、そしてその段取りは、完璧な成功の数値を弾き出した。彼女とユキのデータは、テオレマの召喚術式を滑落し、自由商業都市ロシャンへと着根したのだ。
だが、時間を一歩逆行させるたび、世界の常識は彼女から等価交換の対価を根こそぎ略奪していった。――前世におけるハルトとの大切な記憶の断片が、巻き戻しのリセットを執行するたびに、一パーツずつ、綺麗に脳内データから消滅していったのだ。
「あんたにようやく再会できたのは」彼女は言った。「……あんたがエリスをあの邸宅から救い出した、あの夜のことよ。でもね、あの世界線のタイムラインでは、エリスはその傷が原因で死んじゃった。あんたは絶望して、自らの内に暴れる【無】の魔力のリミッターを完全に引きちぎって暴走させたわ。――その結果の魔力爆発が、ロシャンを、アシュフォードを、ミラスを、ホライズンクレストを……世界のすべてを一瞬にして更地(消滅)にしたの」
「私は、その世界の終わりから、自分の時間を上書きして辛うじて生き延びたわ」
その絶望の果てに、彼女が急造したのが【セーブポイント(時空固定錨)】という不条理なシステムだった。
どれほど未来のタイムラインで最悪の致命的エラー(全滅)が発生しようとも、無条件でその固定された刹那へと強制回帰するための、絶対的な絶対座標。だが、その錨を世界に物質化させるための対価として、彼女は前世の人生で記憶していたすべての思い出の『残り半分のデータ』を、システムへ無条件で支払う(差し出す)こととなった。
彼女は、その過酷な対価をあっさりと受け入れた。
そして彼女は死に、リロードし、再び死を繰り返した。
彼女自身の正確なログ(カウント)に拠るならば、その回数は【二十六回】。
二十六回目のリブートの果てに、彼女はついに、カイの無の魔力が正常な数値を維持し、エリスが邸宅でのイベントを無傷でセーフで生存しきるという『奇跡のタイムライン』へとたどり着いたのだ。
「……だけどね、ハルト。世界の干渉(嫌がらせ)は、一度だって止まってくれなかった」
ひまりは涙を流しながら、カイの漆黒の髪を見つめた。
「……あの段階からすでに、何かが水面下で、私の時間の編集に対して『意図的なカウンター(書き換え)』を仕掛け続けていたのよ。当時の私にはまだ、その見えない敵の正体が一体何であるのか、一ミリも理解できていなかったけれどね」
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「……エリスをあの窮地から救い出した後も、私は何度も最悪のエラーログ(破滅)を見届けることになったわ」
ひまりは震える声で、気の遠くなるような時間の迷宮の全容を白状し続けた。
「ある世界線では、あんたはソフィアとの公式手合わせの最中に、あの子の魔剣【預言の刃】が放つ、未来そのものを穿つ不条理な一撃を完全に防壁しきれずに命を落とした。――直後にエンゾが完全に我を忘れて大暴走を起こし、これ以上の更地化(大惨事)を止めるためにニュクサーラが泣く泣くあいつの息の根を止めたわ。……結果として、ホライズンクレストはどのみち滅亡したのよ」
ひまりは諦めなかった。何度も、何度もリロード(時間跳躍)を繰り返し、無数に積み上がる失敗データの中から、時を操る己の熟練度を限界を超えて右肩上がりに高め続けた。その果てに、彼女はついにユニークスキル【並行世界観測】を強制覚醒。数瞬の間に枝分かれする無数の可能性を同時に知覚し、最もセーフな未来の段取りを手繰り寄せる絶対権限を手に入れたのだ。
……だが、そんな彼女の前に、ただの一系統としてアクセスを拒み、完全に『封印』されたままの致命的なタイムラインの分岐が立ち塞がっていた。
彼女はその禁忌の境界線へと力技で侵入を試みた。だが、その強引な術式書き換えの対価として、彼女の脳内に僅かに残されていた前世の思い出のデータ(記憶)は、さらに根こそぎシステムへ差し出されることになったのだ。
やがて彼女は、カイがソフィアの一撃を完璧に処理し、ニュクサーラの介入が間一髪で間に合い、ドランとフェンリックに関する隠蔽された真実が正当に暴かれるという『正解のルート』を掘り当てた。――だが、今度はカイの【無】の魔力が、ロシャンの爆発など比較にならないほどのデタラメな出力で大爆発を。世界そのものを巻き込む破滅の引き金となった。
さらに、あの魔王ベリアル。
あるタイムラインでは、あいつの『能力吸収』の段取りが完璧に成功してしまっていた。ひまりは狂ったように因果を捻じ曲げ、決死の介入の果てに、ようやくカイを『魔王』へと強制進化させるという生存ルートへと歴史を誘導したのだ。
だが、幾度となく時間のループを跨ぐうちに、彼女自身の存在証明もまた、致命的な書き換えを起こしていた。――ループのたびに積み上がる、圧倒的な実戦戦闘経験。極限まで研ぎ澄まされていく魔導の本能。……そしてそれと同調するように、彼女の魂の破片(記憶)が、等価交換のコストとして四方へと消滅し続けた。
そして訪れた、あの『魔王達の宴』。
――あの場所で、カイは【時空竜】イオン(エーオン)の手によって、一瞬にして完璧に殺害された。
彼女は血を吐きながらセーブポイントへと強制送還された。
再び挑み、再び失敗の数値を弾き出す。どれほど因果の変数を書き換えようとも、すべてのタイムラインのゴール(結末)は、決まって同じ絶望のバグへと収束していった。
――イオン。どこまでいっても、あの時空竜が立ち塞がる。
彼女は、ついに決断した。この無限ループを強制終了させるための、唯一にして最後の段取り。
(――あの【時空竜】そのものを、この私の手で正面から力づくで捩じ伏せる(殺し合う)しかない……!)
二人の絶対的な激突は、通常の現実世界からは完全に隔離された、時空の隙間のデタラメな絶対結界の中で執り行われた。――現実世界における『たったの一日』が、その領域の内部では、彼女にとって数百万年にも匹敵する永遠の牢獄へと引き延ばされていた。
彼女は死に、リロードし、再び魔剣を抜いて挑み、そして敗北した。
無限に繰り返される、終わりのない死のイベント。お互いに決定的なトドメ(クローズ)を刺すことの叶わぬ、永劫の戦闘実務。
やがてイオンは、この女をいくら物理的に殺害したところで何の意味もないという事実を完璧に理解した。どうせ死ねば、あいつは自ら構築したセーブポイントへと無条件で強制回帰してしまうからだ。
ならば、と。時空竜はその牙を、彼女が何度も舞い戻ることを可能にしている『絶対的なインフラの根源』へと向けた。
――彼女の『記憶』そのものを、根こそぎ消滅させる。
イオンの消滅の術式が、彼女がこれまでの年月で積み上げてきた思い出の全容を消し去り始めた。
だが、その侵食が完了するよりも一瞬早く――ひまりは、自らの魔剣を、自らの喉元へと迷いなく突き立てた(自害した)。
その刹那、システム内部で禁忌の隠しコード【己が手による死】が強制発動。
彼女の魂はセーブポイントへ戻る代わりに、時間の概念すら実在しない、世界の常識を超越した絶対の深層領域へと滑落していった。――【永劫なる時の年代記】。
その虚無の領域で、彼女は『三人の自分自身』と対面した。
これまでに経験してきたすべての絶望と痛みを宿した、過去のひまり。
数百万年の死闘を経て、最強の戦闘インフラを確立した、現在のひまり。
そして、これから先、どれほどの高みへも登り詰める可能性を秘めた、未来のひまり。
「……あいつらは、決して別の他人なんかじゃなかったわ、ハルト」ひまりはカイを見つめる。「全員が、間違いなく私自身だった。その本質を理解した瞬間、私は迷わず、そのすべての手を掴んだの。――そして、融合した」
彼女の持つ究極能力は、従来の常識を遥かに超越した、正真正銘の神の領域へと大進化(究極覚醒)を遂げていた。
《告知。個体名『ひまり』の究極能力は、上位統合変異に成功。――究極能力【時空之女王】へと覚醒しました》
解放された権能の数々は、文字通りのデタラメだった。
時空の絶対統治を司る【時空領域】。
過去と未来のステータスを現在の肉体へと一点収束させる【因果収束(パスト&フューチャー・コンヴァージェンス)】。
別次元の時間軸から自分自身のコピーを無数に物質化させる【自己時空多重存在】。
発生した事象の因果関係を力づくでひっくり返す【因果逆転】。
対象の時間軸を根こそぎ切断する【時空断裂】。
周囲の時間を完全停止させつつ自分だけが絶対自由に行動する【永劫なる現在】。
敵が放った時間系の魔力をそっくりそのまま捕食する【時空吸収】。
無限に枝分かれする未来のタイムラインの全容を完全に見通す【無限未来視】。
致命的な消滅バグを受けても時間軸を巻き戻してノーダメージで復活する【時空蘇生】。
そして、すべての事象を完全停止させる【絶対時間停止】。
その中でも最も危険な最大奥義【無限なる明日】は、未来に実在し得る最強状態の自分自身の出力を、ダイレクトに現在の肉体へと前借り(インポート)して上書きする。戦いが長引けば長引くほど、彼女のステータスは右肩上がりに爆発的に強大化していくが――過剰に使用すれば、彼女自身のタイムラインそのものが崩壊(暴走)しかねないという、まさに諸刃の剣だった。
さらに、彼女の手には、新たな絶対の魔剣が物質化していた。――時空の最高位インフラ、神話級魔剣【永劫の残響】。その最大奥義は、彼女の『過去・現在・未来』のすべての斬撃の因果を完全に同期させ、たった一太刀の閃光の中に何百年分の破壊を圧縮して叩き込むという、不条理極まる一撃だった。
『――私は、昨日の私ではない。私は、今日の私だけでもない。私は、私を創り上げてきたすべての刹那であり、これから私が成るべきすべての時間の主。――【時空之女王】、目覚めなさい』
時間の果てでそう宣言した彼女は、正真正銘の化け物へと昇華していたのだ。
彼女はその絶対的な強大さを携えて戦場へと舞い戻り、今度は、あの時空竜イオンを正面から完璧に力づくで捩じ伏せた(勝利した)。
『……二度と、カイにその汚い指一本触れるんじゃないわよ』彼女は冷徹に告げた。
イオンは、そのデタラメな出力の前にあっさりと降伏(合意)を認めた。だが、去り際に一言だけ、不穏なアラート(警告)を空間に残していった。
『……あんたの選ぶこれからの段取り(選択)には、くれぐれも気をつけることだね』
そして、あいつは世界の裏の真実のログを開示した。――彼女が時間を巻き戻し、歴史を編集しようとするたび、その能力に対して水面下でずっと『意図的なカウンター(妨害)』を仕掛け続けていた、真の黒幕の正体を。ひまり自身、これまでのループの中で何度も感じていながら、どうしてもその本拠地を突き止められずにいた、あの不気味なバグの正体だ。
『……誰よ』彼女は鋭く尋ねた。
『僕の、実の兄貴さ』イオンは退屈そうに首を振った。
『――この世界の、頂点に君臨する【創造神】だよ』
あの神様はね、世界の時間の流通ルートを勝手に弄くり回す不届き者が大嫌いなんだよ、とイオンは解説した。だからこそ、彼女をシステムから消滅させるために、直々に時空竜を刺客として派遣してきたのだ。
今、ひまりの前には――これまでに直面したどの魔王や真竜をも遥かに凌駕する、この世界の創造主そのものという、絶対的な『神の敵』が立ちはだかっていたのだ。
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あの『魔王達の宴』に、なぜ時空竜イオン(エーオン)があれほど大遅刻してきたのか――ひまりは、その本当の理由をようやく完璧に理解した。あいつはあの瞬間まで、世界の隙間で数百万年にも及ぶ時間、自分と命がけで殺し合っていたのだ。それなのに、議場に現れた時のあいつは、まるで何事もなかったかのように平然とだらしなく振る舞ってみせたのだから、本当に恐ろしい化け物である。
その後、その時間軸において、ひまりはついにカイとの正式な再会を果たした。当時のカイの脳内データでは、まだ姉に関する思い出が白濁して不完全な状態だったわけだが……。
カイが頭を掻きながら、「あの時のLINE……本当に最後まで返事できなくてごめん」と、かつての未練を口にしたその瞬間、二人の魂のインフラが、完璧に元のパズルへとカチリと音を立てて噛み合ったのだ。
その時、ひまりは人生で初めて、「私は、本当にあの子を救い出せたんだ」という本物の確信(数値)を抱くことができた。
……だが、悲しいかな。彼女はまだ微塵も気づいていない。自らの時間編集の暴走に対し、あの【創造神】が水面下ですでにいかなる冷徹な対抗措置を執行していたのかを、だ。
神は、彼女がこれまで拠り所にしてきた最初の【セーブポイント(時空固定錨)】そのものを、概念ごと世界から完全に消滅させたのだ。
それは、すべての歴史の土台の崩壊を意味していた。これによって彼女は二度と、この過酷な復讐の戦いを始めた最初の起点へと舞い戻る手段を失ってしまった。
さらに最悪なエラーは続く。あの固定錨を創り出した『最初の小林ひまり(オリジナルデータ)』の存在が、封印解除と同時に世界から一瞬にして消し去られたのだ。遺されたのは、数百万年の死闘を経て極限まで大進化した『未来の自分自身の残骸』のみ。圧倒的な絶対能力、幾多の死闘の傷跡、血の滲む熟練度のすべてをその身に宿しながらも、かつて自分が『誰であったのか』を証明するための大切な記憶が、ただの一片すら残されていない、そんな空っぽの器だ。
そして訪れた、あの陰陽術師団との評議会。脳内のヌル(虚無無意識)は、カイに対して「出力を【五十パーセント】に強制制限してください」と冷徹な警告を発していた。もしその数値を一ミリでも超えれば、出力の過負荷により、師団の砦だけでなく世界そのものが一瞬にして木っ端微塵(爆散)しかねないという。
その会談の席にイオンが姿を現した瞬間、あいつは真っ直ぐにひまりの目を射抜いた。彼女の魔導本能が、瞬時に不穏な未来をログへと記録する。
彼女は【無限未来視】のシステムを起動させ、その先にある絶望の結末を見つめた。
――カズヒコ・オノとの決戦の果てに、カイが完全に殺害(死亡)する未来。
彼女は狂ったように、かつての最初のセーブポイントへの接続を試みた。だが、創造神の絶対的な干渉の前に、その絶対座標は永久に失われていた。
だからこそ、彼女はあり得ない不条理な段取り(選択)を選んだ。
脳内に僅かに遺されていた思い出のデータの『残り最後の半分』をすべて等価交換のコストとしてシステムに捧げ、全く新しい固定錨をこの世界に急造したのだ。だがその前に、彼女は自らの consciousness (意識)を肉体から一時的に切り離し、これから目覚めるであろう『新しいひまり』に向けて、すべての物語の全容をデータとして遺した。カイのこと、数え切れないほどの年月をかけて死と再生を繰り返し、最愛の弟を救うために自らを削り落としてきたあのループの歴史のすべてを。
そうして、数百万年を戦い抜いた『古いひまり』は世界から消滅した。
新しく目を覚ました『現在のひまり』は、正直に言って、カイのことがどこの誰だかさっぱり分からない状態だった。だが、前任の自分が歩んできた血塗られた歴史のログをすべて聞き届けた時、彼女の胸の内には、ただ一つだけの、至極単純な答えが弾き出されていた。
(……この『カイ』って男の子が、私にとって前世でどんな存在だったのか、今の私にはまだ一ミリも分からない。だけどね。――もし過去の私が、自分のすべてを、記憶さえも根こそぎドブに捨ててまで救い出そうとした相手なら、あいつには、私の命を懸けて守るだけの『絶対的な価値』があるはずだわ)
そうして、カズヒコ・オノとの本格的な実務(戦闘)が幕を開けた。カイは持てる技術を尽くして互角の攻防を繰り広げたが――その戦況の数値は、明らかに何かが致命的に狂っていた。時間が一秒経過するたびに、カズヒコの戦闘能力、スキル、経験値、そしてあらゆる事象への適応速度が数万倍の規模で右肩上がりに爆発増殖していくのだ。一介の生命体の戦闘が許容する限界数値を、遥かに超越した神の補正。
カズヒコはカイを冷酷に斬り伏せ、その肉体から【混沌の核心】を力づくで引き抜いた(強奪した)。
その瞬間、ニュクサーラの精神のリミッターが完全に決壊して大暴走を起こした。
ほんの二分にも満たない刹那の狂乱。彼女の放った絶対破壊の業火は、世界全体の約半分を一瞬にして更地(消滅)へと変貌させ、最上位魔王ディーヴォがその暴走を止めるために、自らの手で彼女の息の根を直接止める(殺害する)という最悪の結末を弾き出した。
ひまりは、新しく創り出したセーブポイントへと強制回帰した。
――【二百四十五回】。
その後のリロードの回数は、二百四十五回を数えた。彼女は未だに、大進化を遂げた己の宿す強大すぎる神の権能を、完璧には手懐しきれていなかった。だが、その過酷なタイムラインの最中、彼女の肉体に奇妙な事象が起き始める。――あの時空竜イオンと数百万年にわたって殺し合いを続けてきたあの戦闘本能、筋組織の記憶が、意識としての記憶を失っていようとも、ごく自然に肉体へとコンバート(復元)されていくのだ。彼女の魂のインフラが、戦い方を完璧に『記憶』していた。
二百四十五回目のタイムラインは、これまでの歴史の中で、最も凄まじい最悪の大戦争(大波)へと発展した。――陰陽術師団、シミズ帝国、テオレマ王国、さらにはあの真竜ヴォラスとスコルンのクソトカゲ連合軍。それらすべての絶対的な大質量が、魔王たちの陣営、常緑王朝、フィオラーノ領、魔導公国、そしてホライズンクレストの全戦力と正面から激突したのだ。世界そのものが、完全なる終焉(全滅)に向けてメキメキと音を立てて傾いていく。
彼女は、ここでようやく完璧に言語化した。ただカイ一人を死のイベントから救い出すだけでは、もうこの致命的なバグは回避できない、と。戦争というその段取りそのものを、発生前に水面下で根こそぎ強制終了させなければならないのだ。
彼女は最高位魔王ディーヴォの元へと直接赴き、冷徹に交渉を仕掛けた。
『カズヒコがカイに決戦を挑んだその瞬間、あんたが力づくで介入して。その後にニュクサーラ。そして時空竜イオン。三頭同時に、その戦場を包囲するのよ』
三頭の化け物たちは、その提案への同意(署名)を認めた。
その結果として――今回のタイムラインにおいて、カイは正当に生存。あの大戦争のイベントは、発生前に完全にデリートされた。
彼女は、ついにこの過酷なゲームに完全勝利したのだと、そう確信した。
……だが、彼女が最後の最後に、念のためにと【無限未来視】のシステムを起動させたその瞬間、彼女の魂は absolute (絶対的)に凍りついた。
――ホライズンクレストが、どのみち木っ端微塵に滅亡している。
彼女は狂ったように、知覚できるすべての並行世界のタイムラインの分岐、ありとあらゆる可能性の変数を血眼になって検索し尽くした。そして、その果てに暴き出した真実のログは、この世のどんな理不尽よりも、遥かに残酷なシステム要件(答え)を示していた。
彼女の前に遺された選択肢(未来)は、たったの『二つ』しかなかったのだ。
もし、カイがカズヒコの手によって死亡した場合、ホライズンクレストは――一時的にではあるが――無傷でセーフで存続する。だが、その数年後には、どのみち世界大戦の大波に飲み込まれて世界ごと全滅する。
そしてもし、カイがこの世界で正当に生き延びた場合、ホライズンクレストは――他のどんな要素を書き換えようとも、ナオ・シミズの手によって確実に壊滅(消滅)させられる。
全員が幸せに生存しきる完璧なタイムラインなど、最初からこの世界のどこにも実在(データが存在)していなかった。誰も死なない、そんな奇跡のバージョンは、創造神の構築したインフラのどこを探しても見当たらなかったのだ。
彼女は、選択を、決定しなければならなかった。
そして彼女は、ハルト(カイ)を選んだ。
彼女はホライズンクレストの壊滅イベントを、あえてそのまま空間へと放置した。――あそこに暮らす大切な民たちのことを、どうでもいいと見捨てたからなんかじゃない。あそこを救い出すためにカイの命を等価交換のコストとして支払えば、どのみちその先に待っているのは、世界そのものが完全に崩壊するという最悪のバグ(結末)でしかないことを、完璧に理解していたからだ。
その冷徹な段取り(決断)は、彼女の心の中の、二度と修復不可能な大切な何かを、バキバキに叩き潰していった。
彼女がその凄まじい歴史のログのすべてを語り終えた時、カイは、ただの一言も発することができなかった。
生まれ変わって以来、俺はてっきり、お姉ちゃんは世界のどこかで自分の新しい日常をのんきにエンジョイしているものだとばかり思い込んでいた。まさか、自らの手で数百回、数千回、いや、あの時空竜との死闘を含めるならば、数百万回にものぼる死のイベントを、孤独に繰り返していたなんて。この世界の歴史の数世代分にも匹敵する悠久の年月を、ただ一人で戦い、一人で死に続けていたなんて、夢にも思わなかったのだ。
自分の前世の思い出を、過去の日常を、自分が誰であったのかという魂の証明のすべてを等価交換のコストとして差し出し――どれほどの喪失を重ねようとも、世界線を何度リセットされようとも、どんな理不尽な二択を突きつけられようとも、彼女は、片時もブレることなく、ただひたすらに『俺を選ぶ』というその段取りだけを死守し続けてくれていたのだ。
ひまりの瞳から、大粒の涙がボタボタと溢れ出した。
「……ごめんね」
彼女は、掠れた声で呟いた。
カイは、何も言えない。
「ごめんね、ハルト……。本当に、ごめんなさい」
まただ。
「私が……私が不甲斐ないせいで、みんなを……エリスたちを救えなくて、本当にごめんなさい……!」
彼女は、百回近くも、その謝罪の言葉をただひたすらに空間へと吐き出し続けた。――エリスのために。エレーンのために。自分が救い出すことの叶わなかった、ホライズンクレストのすべての民のために。そして、自分がこれほどのものをドブに捨てて歴史を編集し続けたにも関わらず、何度も自分の目の前で無残に惨殺されていった、最愛の弟のために。
やがて、カイは彼女の言葉を両手で優しく遮ると、その身体を、壊れんばかりに強く、強く自らの腕の中へと引き寄せた(抱きしめた)。
責めるわけがないだろ。いや、本当に。
俺はここでようやく、完璧に、一ミリの曇りもなく理解した。お姉ちゃんは、俺に対してただのの一度だって、システム的なエラー(不手際)なんて犯していなかったのだ。
彼女は、これまでの気の遠くなるような永遠の暗闇の中で、ただひたすらに、俺のためだけに孤独な戦争を戦い抜き、日常を死守し続けてくれていたのだから。
あの『魔王達の宴』に、なぜ時空竜イオン(エーオン)があれほど大遅刻してきたのか――ひまりは、その本当の理由をようやく完璧に理解した。あいつはあの瞬間まで、世界の隙間で数百万年にも及ぶ時間、自分と命がけで殺し合っていたのだ。それなのに、議場に現れた時のあいつは、まるで何事もなかったかのように平然とだらしなく振る舞ってみせたのだから、本当に恐ろしい化け物である。
その後、その時間軸において、ひまりはついにカイとの正式な再会を果たした。当時のカイの脳内データでは、まだ姉に関する思い出が白濁して不完全な状態だったわけだが……。
カイが頭を掻きながら、「あの時のLINE……本当に最後まで返事できなくてごめん」と、かつての未練を口にしたその瞬間、二人の魂のインフラが、完璧に元のパズルへとカチリと音を立てて噛み合ったのだ。
その時、ひまりは人生で初めて、「私は、本当にあの子を救い出せたんだ」という本物の確信(数値)を抱くことができた。
……だが、悲しいかな。彼女はまだ微塵も気づいていない。自らの時間編集の暴走に対し、あの【創造神】が水面下ですでにいかなる冷徹な対抗措置を執行していたのかを、だ。
神は、彼女がこれまで拠り所にしてきた最初の【セーブポイント(時空固定錨)】そのものを、概念ごと世界から完全に消滅させたのだ。
それは、すべての歴史の土台の崩壊を意味していた。これによって彼女は二度と、この過酷な復讐の戦いを始めた最初の起点へと舞い戻る手段を失ってしまった。
さらに最悪なエラーは続く。あの固定錨を創り出した『最初の小林ひまり(オリジナルデータ)』の存在が、封印解除と同時に世界から一瞬にして消し去られたのだ。遺されたのは、数百万年の死闘を経て極限まで大進化した『未来の自分自身の残骸』のみ。圧倒的な絶対能力、幾多の死闘の傷跡、血の滲む熟練度のすべてをその身に宿しながらも、かつて自分が『誰であったのか』を証明するための大切な記憶が、ただの一片すら残されていない、そんな空っぽの器だ。
そして訪れた、あの陰陽術師団との評議会。脳内のヌル(虚無無意識)は、カイに対して「出力を【五十パーセント】に強制制限してください」と冷徹な警告を発していた。もしその数値を一ミリでも超えれば、出力の過負荷により、師団の砦だけでなく世界そのものが一瞬にして木っ端微塵(爆散)しかねないという。
その会談の席にイオンが姿を現した瞬間、あいつは真っ直ぐにひまりの目を射抜いた。彼女の魔導本能が、瞬時に不穏な未来をログへと記録する。
彼女は【無限未来視】のシステムを起動させ、その先にある絶望の結末を見つめた。
――カズヒコ・オノとの決戦の果てに、カイが完全に殺害(死亡)する未来。
彼女は狂ったように、かつての最初のセーブポイントへの接続を試みた。だが、創造神の絶対的な干渉の前に、その絶対座標は永久に失われていた。
だからこそ、彼女はあり得ない不条理な段取り(選択)を選んだ。
脳内に僅かに遺されていた思い出のデータの『残り最後の半分』をすべて等価交換のコストとしてシステムに捧げ、全く新しい固定錨をこの世界に急造したのだ。だがその前に、彼女は自らの consciousness (意識)を肉体から一時的に切り離し、これから目覚めるであろう『新しいひまり』に向けて、すべての物語の全容をデータとして遺した。カイのこと、数え切れないほどの年月をかけて死と再生を繰り返し、最愛の弟を救うために自らを削り落としてきたあのループの歴史のすべてを。
そうして、数百万年を戦い抜いた『古いひまり』は世界から消滅した。
新しく目を覚ました『現在のひまり』は、正直に言って、カイのことがどこの誰だかさっぱり分からない状態だった。だが、前任の自分が歩んできた血塗られた歴史のログをすべて聞き届けた時、彼女の胸の内には、ただ一つだけの、至極単純な答えが弾き出されていた。
(……この『カイ』って男の子が、私にとって前世でどんな存在だったのか、今の私にはまだ一ミリも分からない。だけどね。――もし過去の私が、自分のすべてを、記憶さえも根こそぎドブに捨ててまで救い出そうとした相手なら、あいつには、私の命を懸けて守るだけの『絶対的な価値』があるはずだわ)
そうして、カズヒコ・オノとの本格的な実務(戦闘)が幕を開けた。カイは持てる技術を尽くして互角の攻防を繰り広げたが――その戦況の数値は、明らかに何かが致命的に狂っていた。時間が一秒経過するたびに、カズヒコの戦闘能力、スキル、経験値、そしてあらゆる事象への適応速度が数万倍の規模で右肩上がりに爆発増殖していくのだ。一介の生命体の戦闘が許容する限界数値を、遥かに超越した神の補正。
カズヒコはカイを冷酷に斬り伏せ、その肉体から【混沌の核心】を力づくで引き抜いた(強奪した)。
その瞬間、ニュクサーラの精神のリミッターが完全に決壊して大暴走を起こした。
ほんの二分にも満たない刹那の狂乱。彼女の放った絶対破壊の業火は、世界全体の約半分を一瞬にして更地(消滅)へと変貌させ、最上位魔王ディーヴォがその暴走を止めるために、自らの手で彼女の息の根を直接止める(殺害する)という最悪の結末を弾き出した。
ひまりは、新しく創り出したセーブポイントへと強制回帰した。
――【二百四十五回】。
その後のリロードの回数は、二百四十五回を数えた。彼女は未だに、大進化を遂げた己の宿す強大すぎる神の権能を、完璧には手懐しきれていなかった。だが、その過酷なタイムラインの最中、彼女の肉体に奇妙な事象が起き始める。――あの時空竜イオンと数百万年にわたって殺し合いを続けてきたあの戦闘本能、筋組織の記憶が、意識としての記憶を失っていようとも、ごく自然に肉体へとコンバート(復元)されていくのだ。彼女の魂のインフラが、戦い方を完璧に『記憶』していた。
二百四十五回目のタイムラインは、これまでの歴史の中で、最も凄まじい最悪の大戦争(大波)へと発展した。――陰陽術師団、シミズ帝国、テオレマ王国、さらにはあの真竜ヴォラスとスコルンのクソトカゲ連合軍。それらすべての絶対的な大質量が、魔王たちの陣営、常緑王朝、フィオラーノ領、魔導公国、そしてホライズンクレストの全戦力と正面から激突したのだ。世界そのものが、完全なる終焉(全滅)に向けてメキメキと音を立てて傾いていく。
彼女は、ここでようやく完璧に言語化した。ただカイ一人を死のイベントから救い出すだけでは、もうこの致命的なバグは回避できない、と。戦争というその段取りそのものを、発生前に水面下で根こそぎ強制終了させなければならないのだ。
彼女は最高位魔王ディーヴォの元へと直接赴き、冷徹に交渉を仕掛けた。
『カズヒコがカイに決戦を挑んだその瞬間、あんたが力づくで介入して。その後にニュクサーラ。そして時空竜イオン。三頭同時に、その戦場を包囲するのよ』
三頭の化け物たちは、その提案への同意(署名)を認めた。
その結果として――今回のタイムラインにおいて、カイは正当に生存。あの大戦争のイベントは、発生前に完全にデリートされた。
彼女は、ついにこの過酷なゲームに完全勝利したのだと、そう確信した。
……だが、彼女が最後の最後に、念のためにと【無限未来視】のシステムを起動させたその瞬間、彼女の魂は absolute (絶対的)に凍りついた。
――ホライズンクレストが、どのみち木っ端微塵に滅亡している。
彼女は狂ったように、知覚できるすべての並行世界のタイムラインの分岐、ありとあらゆる可能性の変数を血眼になって検索し尽くした。そして、その果てに暴き出した真実のログは、この世のどんな理不尽よりも、遥かに残酷なシステム要件(答え)を示していた。
彼女の前に遺された選択肢(未来)は、たったの『二つ』しかなかったのだ。
もし、カイがカズヒコの手によって死亡した場合、ホライズンクレストは――一時的にではあるが――無傷でセーフで存続する。だが、その数年後には、どのみち世界大戦の大波に飲み込まれて世界ごと全滅する。
そしてもし、カイがこの世界で正当に生き延びた場合、ホライズンクレストは――他のどんな要素を書き換えようとも、ナオ・シミズの手によって確実に壊滅(消滅)させられる。
全員が幸せに生存しきる完璧なタイムラインなど、最初からこの世界のどこにも実在(データが存在)していなかった。誰も死なない、そんな奇跡のバージョンは、創造神の構築したインフラのどこを探しても見当たらなかったのだ。
彼女は、選択を、決定しなければならなかった。
そして彼女は、ハルト(カイ)を選んだ。
彼女はホライズンクレストの壊滅イベントを、あえてそのまま空間へと放置した。――あそこに暮らす大切な民たちのことを、どうでもいいと見捨てたからなんかじゃない。あそこを救い出すためにカイの命を等価交換のコストとして支払えば、どのみちその先に待っているのは、世界そのものが完全に崩壊するという最悪のバグ(結末)でしかないことを、完璧に理解していたからだ。
その冷徹な段取り(決断)は、彼女の心の中の、二度と修復不可能な大切な何かを、バキバキに叩き潰していった。
彼女がその凄まじい歴史のログのすべてを語り終えた時、カイは、ただの一言も発することができなかった。
生まれ変わって以来、俺はてっきり、お姉ちゃんは世界のどこかで自分の新しい日常をのんきにエンジョイしているものだとばかり思い込んでいた。まさか、自らの手で数百回、数千回、いや、あの時空竜との死闘を含めるならば、数百万回にものぼる死のイベントを、孤独に繰り返していたなんて。この世界の歴史の数世代分にも匹敵する悠久の年月を、ただ一人で戦い、一人で死に続けていたなんて、夢にも思わなかったのだ。
自分の前世の思い出を、過去の日常を、自分が誰であったのかという魂の証明のすべてを等価交換のコストとして差し出し――どれほどの喪失を重ねようとも、世界線を何度リセットされようとも、どんな理不尽な二択を突きつけられようとも、彼女は、片時もブレることなく、ただひたすらに『俺を選ぶ』というその段取りだけを死守し続けてくれていたのだ。
ひまりの瞳から、大粒の涙がボタボタと溢れ出した。
「……ごめんね」
彼女は、掠れた声で呟いた。
カイは、何も言えない。
「ごめんね、ハルト……。本当に、ごめんなさい」
まただ。
「私が……私が不甲斐ないせいで、みんなを……エリスたちを救えなくて、本当にごめんなさい……!」
彼女は、百回近くも、その謝罪の言葉をただひたすらに空間へと吐き出し続けた。――エリスのために。エレーンのために。自分が救い出すことの叶わなかった、ホライズンクレストのすべての民のために。そして、自分がこれほどのものをドブに捨てて歴史を編集し続けたにも関わらず、何度も自分の目の前で無残に惨殺されていった、最愛の弟のために。
やがて、カイは彼女の言葉を両手で優しく遮ると、その身体を、壊れんばかりに強く、強く自らの腕の中へと引き寄せた(抱きしめた)。
責めるわけがないだろ。いや、本当に。
俺はここでようやく、完璧に、一ミリの曇りもなく理解した。お姉ちゃんは、俺に対してただのの一度だって、システム的なエラー(不手際)なんて犯していなかったのだ。
彼女は、これまでの気の遠くなるような永遠の暗闇の中で、ただひたすらに、俺のためだけに孤独な戦争を戦い抜き、日常を死守し続けてくれていたのだから。




