第49話:ひまりがずっとできていたこと
ふとした静かな作業の合間だった。カイは、ずっと心の隅でくすぶっていた疑問をようやく姉に投げかけた。
「お姉ちゃん、本当に魔法って何一つ使えないの? 何かさ、本当にちっちゃいことでもいいんだけど」
「ええ」ひまりは素実を認めた。「使えたことなんて一度もないわ」
《報告。原因は、到着時に発生した精霊召喚のシステムエラーです。その不手際が、彼女の本質的な能力を完全にロック(封鎖)していました》
脳内のヌルが、誰に頼まれるでもなく静かに解説を差し込んできた。
「……それ、今から解除できるか?」カイが尋ねる。
《肯定。可能です》
カイが手をかざすと、高純度の無の魔力がひまりの身体へと優しく流れ込んでいった。次の瞬間、彼女の瞳が妖しく輝き始め――その黒髪が、一房、また一房と、美しくも禍々しい『白と赤のメッシュ』へと変貌を遂げていく。そしてその瞳の色彩は、カイの持つものと全く同じ、深みのある深紅へと完全に同期していった。
(これじゃ、まるで双子じゃないか……)
目の前で起きたあまりにも劇的な変化を前に、カイの胸の奥底に、何やら温かくも奇妙な身内への愛着がこみ上げていた。
《告知。能力の絶対解除に成功しました。これより、彼女の内に眠っていた固有のシステム要件を完全に言語化します》
《――究極能力【時空之王】――》
ヌルがそのデタラメな権能のリストを淡々と読み上げるにつれ、カイの心境には、我ながら少し情けなくなるほどの『純粋なきょうだい間の嫉妬』がにわかに沸き起こっていた。
時の加速と減速。自身の支配領域に存在するすべての事象を完全に凍りつかせる【時間停止】。自身や対象のステータスを過去の任意の状態へと強制上書きする【時間逆行】。未来視、過去視。敵の存在を永遠に繰り返す刹那の檻へと監禁する【時空監獄】。年齢操作。さらには、他者からのあらゆる時間系デバフを完全に無効化する【時空耐性】。並行世界の可能性を瞬時に演算し、最善の選択肢を現在のタイムラインへと手繰り寄せる【並行世界観測】。
《さらに、最大奥義として【不変の統御】を保有。彼女が唯一の絶対神として時間の流れを完全に支配する固有の絶対領域であり、結界内部のすべての生命体は、彼女が定めた時空の絶対法則に強制的に従わされることになります》
「……最高だな」カイは呆れたようにブツブツと呟いた。「素晴らしいよ。お姉ちゃんがその気になれば、俺に対して『お前に流れる時間は今からナシな』って無条件で決定できちゃうわけだろ」
《肯定。さらに、究極能力の発達を支えるベースとして、以下のユニークスキルを宿しています》
脳内のヌルは、主の嫉妬などどこ吹く風で、冷徹にその解説を続けた。
《――ユニークスキル【時を紡ぐ者】――》
本能的な時間制御を司り、周囲の事象を通常の数万倍の速度で脳内処理する【時空知覚】。あらかじめセーブしておいた過去のステータスへと瞬時に巻き戻す【瞬間保存】。時間の隙間を縫うようにして微小な瞬間移動を繰り返す【瞬時歩行】。発動した事象の因果関係を数秒間だけ強制的に遅延させる【因果遅延】。対象の時間軸上の座標を永続的にロックオンし続ける【時の枷紐】。そして、限界を超えた超高速演算を可能にする【思考加速】。
「……そのユニークスキルだけでも、十分に一国を更地にするレベルの化け物(危険因子)じゃないか」カイは、内心で本気で戦慄していた。
《その通りです。その他、専門的な固有能力として、受けた破壊やダメージの概念を永続的に『直前の無傷な状態』へと巻き戻し続ける【時空結界】。空間を超えるのではなく、自分が過去に物理的に実在していた時間軸の座標へと直接転移する【時空回帰】。致命傷を負った瞬間に肉体を自動的に数秒前の健康な状態へと強制上書きする【不滅再生】。未来のあらゆる確率論を瞬時に弾き出す【未来演算】。そして、周囲の時空のわずかな歪みすら完璧に感知し、あらゆる奇襲や暗殺を完全に無効化する【時空間知覚】を保有しています》
《そして、彼女を象徴する絶対の固有闘技は――【クロノス:ゼロ・アワー】》
ヌルがその報告の締めくくりに入った。
《彼女が世界の時間を完全に停止させた際、単に対象の動きを止めるだけでなく、停止した時間そのものを『さらに内部から編集』することが可能です。味方の配置換え、物資の調整、さらには超連続攻撃の段取りのすべてを停止した時間の中で完結させ、時が動き出したその刹那、すべての因果を同時に、一瞬にして炸裂させます》
カイは、まさに生まれ変わったばかりの自分の姉を、ただただ呆然と見つめることしかできなかった。ひまり自身もまた、己の内に目覚めたあまりにもデタラメな強大すぎる常識の全貌を脳内データとして受け取り、目に見えて困惑し、圧倒されている様子だった。
「……俺はあらゆる事象を『無効化』することで存在を蹂躙するけどさ」カイはゆっくりと言葉を紡いだ。「お姉ちゃんのは、存在が逆立ちしたって絶対に逃れられない『時の概念』そのものを蹂躙するんだな」
「……みたいね」ひまりは、自分の白い髪を指先で弄びながら、完全に引き気味に呟いた。
その時、彼女が意識して召喚したわけでもないのに、一振りの美しいブレード(魔剣)が空中に物質化し、その手の中へと吸い込まれるように収まった。――細身で、銀と黒の鈍い輝きを放ち、その鍔は精密な時計の歯車を模した精緻な幾何学構造を成している。その刀身の金属は、ある瞬間には何千年も経た古代の遺物のようであり、次の瞬間には一分の曇りもない新品のようでもある。まるで、複数の時間軸に同時に実在しているかのような、不気味なまでの存在感を湛えていた。
《魔剣【時空の残響】。――永劫なる時を切り裂く、絶対の剣です》
少し離れた場所からその様子をじっと伺っていたクロエは、その魔剣が姿を現した瞬間、本能的な防衛反応で全身の毛を逆立てるように硬直した。
(……あのアニミの剣、冗談抜きでヤバすぎる。いや、本当に)
吸血鬼としての彼女の高い感覚が、その武器の持つ『構造的なデタラメさ』を、理屈抜きで最大級の天災として感知していた。
ヌルは、主の脳内へとその武器の持つ凶悪な戦闘特性のデータを容赦なく送り続けた。
肉体だけでなく、対象が歩んできた『過去の歴史』と『未来の可能性』そのものを根こそぎ切断し、あらゆる通常の超回復や蘇生魔法を完全に無効化する【時空断裂】。
空間の刃を奔らせ、軌道上の時間の流れを狂わせる【時空裂破】。
何千何万という斬撃の因果を、たった一瞬の瞬きの中に圧縮して叩き込む【刹那の煌めき(クロノ・エッジ)】。
斬りつけた対象の肉体ステータスを、過去の『最も深く傷ついていた瞬間』へと強制的に巻き戻して固定する【因果逆転】。
攻撃というモーションが技術的に発生する『前』に、すでに敵の肉体にダメージが着弾しているという不条理なる【未来の一閃】および【過去の一閃】。
そして、刃が貫いた対象の魂の座標を、この世界の正常な時間の流通ルートから完全に切り離して凍結させる【永劫封印】。
《そして、最大奥義――【絶対時空崩壊斬】。ただ一太刀の視認できる剣閃の中に、対象の肉体が数百年かけて蓄積するはずの、あるいは過去に経験してきたすべての時間的摩耗を極限まで収縮させ、一撃で概念ごと叩き潰します》
「……しかもそれ、物理的に絶対に破壊できないシステムになってるんだろ?」カイは、ヌルの解説の裏にある重要なデータを見抜いて苦笑した。「だって、一つの時間軸だけに実在してるわけじゃないんだからさ。あいつの持つ『時空の絶対権限』そのものを正面から叩き潰さない限り、その剣を消滅させることすら叶わない。……だろ?」
(うん、よし。決めた)
カイは、心の中で静かに、かつ固く誓った。
(俺はこれから先の人生において、何があっても、どんな理不尽な状況になろうとも、お姉ちゃんの逆鱗(地雷)だけは絶対に踏まないように生きよう。マジで、絶対にだ)
ひまりの驚異的な手助け――彼女の持つ【時を紡ぐ者】の能力が、創生コアの製造プロセスが要求する極めて微細な時間的微調整において予想外の凄まじい精密さを発揮したこともあり――ついに、創生エネルギーは完璧な形で、正真正銘の安定化を果たした。
この決定的なブレイクスルーを前に、カイの胸の内には純粋な、爆発的な歓喜が沸き起こっていた。彼は即座にネロを精錬室へと召喚した。
「素材が必要だ」カイは言った。「この世で手に入る最高品質のモノを。器――お袋の新しい『肉体』を創るための素材だ」
《報告。通常の素材では、この器のシステム要件を満たすことは不可能です》カイが言葉を紡ぎ終えるより早く、脳内のヌルが厳粛に割り込んできた。《その器は、それ自体が現実世界を歪ませるほどの絶対的な破壊力を秘めた【混沌の核心】を格納しなければなりません。そのためには、七つの至高なる至宝の素材を必要とします》
システムは、必要な素材を一つずつ、正確に脳内データへと列挙していった。
真竜レベルのエネルギー負荷に永久に耐えうる骨格を形成するための『原初の竜骨』。
器の中央魔導ネットワークを構築し、お袋のコアとその波長を完璧に同期させる『混沌の源流結晶』。
生体としての永続的な自己再生構造を司る『世界樹の創生木』。
混沌のエネルギーが放つ絶対的な自壊衝動から肉体を内側から補強する『虚無鋼』。
混沌の力が肉体を侵食し、引き裂こうとする端から連続的な超高速修復を可能にする『創生の真髄』。
そして、生物学的な適合性を完全なものにするための『真竜の鮮血』――これに関してはカイ自身が提供可能であり、彼の宿す【無】が融合した鮮血を使えば、完成する器はさらにデタラメな次元へと強大化する可能性を秘めていた。
最後に、コアから転送される彼女の魂の意識を世界に永続的に繋ぎ止めるための『永劫の魂結晶』。
《これらの中で、最も希少な破片は『混沌の源流結晶』です》ヌルは解説を続ける。《これは自然界から採掘することは叶いません。自ら『創り出す』必要があります。――混沌エネルギー、創生エネルギー、真竜の真髄、そして虚無エネルギー。これら四つの絶対的な大質量を、高出力の創生炉の内部において極限まで超圧縮精錬するのです。その結果として精錬される結晶は【原初混沌結晶】と定義され、その器の正真正銘の『心臓』として機能することになります》
《そして、完成した肉体は――【混沌の申し子たる器】。種族名:【原初竜皇の権現(プリモーディアル・ドラゴン・インカーネーション)】へと格付けされます。カイ、あなたは屍にお袋さんの魂を憑依させるような、そんな不完全な帳尻合わせをしようとしているのではありません。彼女のためだけに完全オーダーメイドされた全く新しい至高の肉体をゼロから構築し、あのカオス・コアをその生命の絶対的な原動力としてシステムに組み込むのです。彼女は何者かに憑依するのではない。――全く新しく、この世界へ『生まれ変わる(リボーン)』のです》
カイは、その厳かなシステムアナウンスの全容を、長い間じっと座り込んで噛み締めていた。
言葉に尽くせぬほど重く、そして途方もなく温かい覚悟が、彼の胸の奥底へと完全に沈着していく。
「ネロ」
カイは、ようやく顔を上げ、静かにその名を呼んだ。
「……お前、これらすべてを世界からかき集めてくることはできるか?」
「心配いりませんよ、カイ様」
ネロはケラケラと不敵に笑うと、すでに次の実務に向けて扉のほうへとその足を奔らせていた。そのいつものドライな絶対的自信の裏側には、主の想いに応えようとする、悪魔らしからぬ本物の温かみが確かに宿っていた。
「どこに行けばそのすべての破片が眠っているのか、この俺の手の中に完璧なデータがありますからね。……お袋さんを呼び戻すんだ、これ以下の妥協など、最初から一ミリたりとも許されませんよ」
深淵魔皇は、その至高の素材を根こそぎ略奪(回収)すべく、即座に異界の闇へと出撃していった。
カイは再び、目の前の魔導インフラの設計図へと向き直った。
今、彼は確かに、そして正真正銘――自らの手でお袋をこの我が家へと連れ戻すという、その絶対的な悲願のゴールへと、決定的な一歩を踏み出していた。
--------------
カイが地下施設での最後の食事を終え、数ヶ月ぶりに外の世界へと足を踏み出すと、そこには眩いばかりの太陽の光が広がっていた。
(あぁ、そうか。太陽って本当に実在してたんだな。つい忘れるところだったよ)
ホライズンクレストの街は、単に地下に引きこもっていただけの男を、まるで長い旅路から帰還した英雄であるかのように大歓迎で迎え入れてくれた。行き交う人々が手を振り返し、口々に彼への挨拶を叫ぶ。何より、街そのものが彼の記憶にある姿よりも遥かにデタラメな発展を遂げていた。つい最近まで次元結界の向こう側に封印されていたはずの未開の土地には、真新しい住宅地がどこまでも整然と立ち並んでいる。舗装された立派な道路。さらには、カイ自身が見覚えのない広大な市場までが出現していた。
(俺が一切手出しをしない間も、みんなずっと国を創り続けてくれていたんだな。本当に、俺が付きっきりで手を引いてやらなくてもさ)
エルフの長老夫婦が彼を温かく出迎え、主の無事な帰還に心底ホッとしたような安睹の表情を浮かべた。今やホライズンクレストの交易交渉において多大なる実務を自力でさばいている彼らの娘も、カイに対して短く、しかしどこか誇らしげな進捗報告を済ませると、すぐに自らの持ち場へと颯爽と戻っていった。
(いいぞ。これこそが、まさに俺の目指していた形だ。俺が個人的に支えるのをやめた途端に崩壊するような、そんな脆弱な国じゃない。これでいい)
しかし、ネロが未だに最高峰の素材を求めて世界中を飛び回っており、他の幹部たちもそれぞれの持ち場の実務で散らばっているため、カイはここ数年の間で、おそらく初めてと言っていいほどの「純粋な退屈」に直面することとなった。
(お姉ちゃんも忙しい。クロエも忙しい。どいつもこいつも忙しい。……俺、ただ待つ以外にやることがマジで何もないぞ)
彼はその有り余るエネルギーを持て余したまま、特にこれといった明確な計画もないまま地下施設へと舞い戻った。そして脳内のヌル(虚無無意識)に対し、半ば思いつきの独り言のように「自分の記憶を空間に直接映像化して投影できるような、そんなインフラを創れないか」と問いかけた。断片的に脳裏をよぎる前世の記憶を頼りにするのではなく、かつての人生の全容を映画のようにしっかりと見つめ直してみたい、と思ったのだ。
《了解。その魔導具の製造プロセスを案内します》
そうして完成したのは、カイ自身の脳内データと直接同期する一振りの結晶体だった。早速そのシステムを起動させてテストしてみると、彼の前世における日常の断片が、まるでテレビの液晶画面のように目の前の空間へと鮮明に映し出された。高校時代の化学や物理の授業の風景。大学での経営学の講義。そして、何時間も画面にかじりついて取引口座のパターンを血眼になって分析していた、あの執念の日々。
(……ん? 待てよ。この前世の数式と理論、こっちの世界の魔導法則と組み合わせたら、一体どうなるんだ?)
その、本当に何気ない、ただの退屈しのぎの思いつきが、カイ自身すら全く予期していなかったデタラメな化学反応を引き起こすこととなった。
それからの数日間――すでに彼の種族は睡眠という実務を一切必要としないため、カイは時間の感覚を完全に喪失していた――彼は、自分が未だに宿している前世の化学、工学、転生前の生産理論のすべての知識を脳内で徹底的に解体。それを、この世界に実在する魔法の鉱石や素材の特性へと力技でマッピングし、本来なら絶対に融合するはずのない禁忌の組み合わせを、狂ったようにトライ&エラーし続けた。そして驚くべきことに、そのデタラメな実験は、何度も、何度も、完璧な成功の数値を弾き出し続けたのだ。
(竜鋼、虚無石、アストラル結晶。これらすべての製造プロセスを完璧に『体系化』できれば、ホライズンクレストはもう、自然界からの天然資源の採掘量だけに頼る必要はなくなる。欲しい素材を、自分たちのインフラで好きなだけ『工業生産』できるようになるじゃないか!)
彼は一つの素材が終わるや否や、休む間もなく次の素材の精錬へと没頭していった。
『竜鋼』の大量精錬を可能にする【竜炎高炉】の技術革新。
『虚無石』の出力を安全に最大化して安定させる【虚無圧縮魔法陣】の構築。
さらには、天然の鉱山を探し回る手間を完全に省き、特設の培養チャンバーの内部において『アストラル結晶』を人工的に高速結晶化させる魔導栽培システムの確立。
(それから、ポーションの精錬。――結局のところ、錬金術なんてものは、前世の化学の原材料をちょっとファンタジーな高級素材に置き換えただけの、ただの配合の実務だからな)
彼がようやくその手を止め、脳内の過熱状態を解除した時、エレーンが彼のために創ってくれた地下の特設施設は、文字通りのディザスター・ゾーン(大惨事)と化していた。壁のあちこちには謎の爆発による焦げ跡が刻まれ、空間のいたるところで粉砕されたコンテナの残骸が散らばり、すべての機材の表面には、高濃度の魔力残渣の煙が不気味にこびり付いていた。
カイは全身を煤で真っ黒に染め、髪の毛の端を少し焦がした状態で、のっそりと地下から地上へと這い出てきた。
そして、最初に出くわしたアイヴィーの姿を見つけるなり、声をかけた。
「……アイヴィー、今この場にいる幹部を全員、緊急で招集してくれ」カイは言った。「みんなに、ちょっと見見せたいモノが山ほどあるんだ」
アイヴィーは、あまりにも凄まじい惨状を晒している自らの主の姿を、長い間、ただただ呆然と見つめていた。
「……あの、カイ様。本当に、お身体は大丈夫なのですか?」
「これ以上ないくらい最高さ」
カイは、顔に煤をつけたまま、不敵にニカッと笑ってみせた。
「いや、本当に。ただの退屈しのぎのつもりだったんだけどさ、どうやら俺、うっかりこの国全体の『生産能力』を根底からひっくり返す大革命を起こしちまったみたいだわ」
------------
集まった面々――エレーン、ひまり、クロエ、エルフの長老、数名のティアムーン王国の学者たち、そして屋敷のいつもの常連メンバーは、施設内で最も広大なオープンスペースに一堂に会していた。彼らの視線の先では、カイがかつて前世の取引交渉で見せていたような、凄まじい熱量と緻密さで生産システム全体の全容を解説していた。
「七つの素材だ」
カイは切り出した。
「それぞれに専用のインフラ施設を割り当てる。まず【竜鋼高炉】では『竜鋼』を製造する。精錬した鉄を専用の竜炎高炉で加熱し、再利用可能な『竜炎コア』に貯蔵された竜属性の魔力を注入するんだ。これがあれば、俺が毎回つきっきりでエネルギーを直接供給する必要はなくなる」
彼は一つひとつの施設を順番に説明していった。
少しでも安定化を誤れば極小規模の空間崩壊を引き起こす危険があるため、慎重な制御を要する『虚無石』のための【虚無鋳造所】。
一般普及用の『民間級』から軍事機密扱いの『星辰級』まで格付けされた魔力貯蔵結晶を精錬する【星辰精錬所】。
通常の魔力から完全に隔離された環境で、特別に訓練された職人だけが扱う必要のある超危険物『反魔鉱石』のための【虚無鍛冶場】。
人工的な工業生産ではなく、再生可能な天然資源として計画的に栽培・管理される【世界樹の林】。
物理的にほぼ破壊不可能な透明ガラスを製造する【天界溶鉱炉】。
建造物の自動修復を劇的に加速させる石材を加工する【創生工房】。
「すべての施設に『マスター生産コア』を配置してある」
カイは説明を締めくくった。
「精錬の配合はすべてその中に格納されている。つまり、これからはどこの製造ラインにも俺が付きっきりで直立している必要はないってことだ。『普及級』『上級』『王宮級』――俺がこの場所にいようがいまいが、この国が完璧に回り続けるように全体のインフラ構造を最適化しておいたよ」
ひまりは、心底呆気にとられた顔で弟を凝視した。
「……ちょっと待って。あんた、一体いつの間にこんなデタラメなシステムを創り上げてたのよ?」
「いや、ただの退屈しのぎだったんだけどな?」
カイは至極真面目な顔で答えた。
部屋にいる全員が、言葉を失ったまま静まり返り、冷ややかな視線をカイへと突き返した。
誰もがその衝撃から回復しきる前に、カイは休む間もなく次の解説へと移った。彼が提示したのは、同じく膨大な規模にのぼる錬金術のシステムだった。すべてのポーションは『ベース(基材)』『カタリスト(触媒)』『エッセンス(真髄)』の三要素で構成され、かすり傷用の低級品から、死に瀕した致命傷すら一瞬で塞ぐ伝説の『S級』に至るまでの超精密な配合レシピ。個々の魔力許容量に合わせて調整された魔力回復薬、スタミナ薬、さらには迅速な解毒剤開発のための『毒物アーカイブ』の数々。
「それから、この『呪詛解呪薬』だけどさ」
カイは、傍らに控えるクロエのほうへ視線を向けた。
「……実は、お前のあの過酷な経験から着想を得て創ったんだ。単に肉体を治療するだけじゃない、魂の深層にこびり付いて悪影響を及ぼしている魔導的な情報構造そのものを直接デリートする効果がある」
クロエはパチクリと目を叩いた。彼女の表情に、心からの深い感動の色彩がじんわりと広がっていく。
カイの熱弁は止まらない。
欠落した記憶を修復し、精神支配や憑依の後に不安定化した魂の座標を完璧に固定する『魂魄回復薬』。かつてエリスの目を奪ったあの呪いのアーティファクトの性質を逆手に取り、アルケミストが正しい『生命パターン式』に則って精錬すれば失われた四肢すら根こそぎ完全再生させる『超生霊薬』。さらには、凡俗な人間に5年から10年の寿命を上乗せする普及品から、数百年の時を上書きする神話級の『延命薬』。
「……ちょっと」
ひまりの声が、本気で頭を抱えたくなるような絶望のトーンへと跳ね上がった。
「……あんた、どうやってそんなデタラメな薬まで完成させたわけ?」
部屋中のすべての視線が、再びカイへと一点集中した。
「あ、それに関しては、もちろん一般販売には流さないから安心してくれ」
カイは慌てて手を振った。
「……売るつもりだったの?」
クロエが、ジト目で尋ねる。
「いや、どうだったかな? 多分? ぶっちゃけ記憶にないわ」
カイは素直に白状した。
「絶対にダメよ」
エレーンが表情を一切変えず、冷淡に一蹴した。
しかしカイは、周囲の張り詰める警戒アラートなどどこ吹く風で、自らの新発見に対する少年のごとき興奮を隠そうともしなかった。
「あと、これが『真竜血霊薬』。正真正銘のレジェンダリー級だ。肉体、魔力、超回復、あらゆるデバフ耐性、さらには寿命に至るまでを猛烈に強化する。――もっとも、生体適合性に凄まじい問題があってさ、普通の人間がこの濃縮版をそのまま一気飲みしたら、その瞬間に肉体がエネルギーの許容量を超えて即死(死亡)するけどな」
「あんた、マジでいい加減にしなさいよ……」
ひまりは完全に引き気味に呟いた。「竜の血のエリクサー? 本気なの、カイ?」
「お姉ちゃん、まだ俺の宿す【無】の魔力の本当のデタラメさを分かってないな?」
カイは不敵にニカッと笑った。
「これを見てくれ。――【創生霊薬】だ」
彼は、その究極の液体の性能を理路整然と説明した。それは単なる強力な回復薬の枠を遥かに超越していた。従来の回復魔法や神聖魔術が『永久に修復不可能』と見なしてきたあらゆる絶望的な欠損を、強制的に上書きして元通りにするシステム。完全に破壊された内臓。根こそぎ切断された魔力経路。粉々に砕け散った精神核心。さらには、世界の因果や概念的な究極能力によって刻まれた絶対的な破壊の痕跡すらも、すべてを無条件で『最初からなかったこと』に巻き戻す。
「絶対にダメ。却下」
ひまりが、即座に、かつ絶対的な調子で宣告した。
「無理。論外。あんた、完全にラインを超えたわよ。もしこんなデタラメな神の領域の薬を本当に市場に流したら、外の国々が一体どんな狂乱に陥るか、その全容を少しは想像しなさい!」
「間違いなく、それ一つを巡って世界大戦が勃発しますな」
エルフの長老が、ひどく厳粛な面持ちで首を振った。
「ええ、同感よ」
クロエも、真面目な顔で頷く。
「それ以外の製品は、私が責任を持ってすべて流通ルートに乗せるわ」
エレーンが、すでに実務の全権を握る冷徹な手際で指示を出した。
「だけど、その【創生霊薬】は全面禁輸。同じく【真竜血霊薬】、【魂魄回復薬】、そして【延命薬】。これら四つの最上位バッチは、生産リストから今この瞬間に永久に削除します」
「え、なんでだよ?」
カイは、心底不思議そうに首を傾げた。
部屋にいる全員が、ただただ呆れ果てた目で、その無自覚な魔王を見つめ返すのだった。
----------
「まだみんなに見せたいモノがあるんだ」
カイは、周囲の静止アラートなどどこ吹く風で言葉を続けた。
ひまりは両手でこめかみを押さえた。
「……ねえ、誰でもいいから教えて。この子は一体いつの間に、これほどデタラメなモノをすべて創り上げる時間を見つけてたわけ?」
彼が次に一同を案内したのは、新設された武器・防衛インフラのセクションだった。
再利用可能なアストラル結晶のコアを内蔵し、火炎から重力に至るまでの属性魔力を付与した『竜鋼製』の魔導剣や魔導槍。王宮級の格付けを持ち、装着者の魔力に反応して防御出力を自動増幅させるフルセットの竜鋼装甲。敵の魔法障壁や術式そのものを殴って強制解体する、反魔鉱石をコアに組み込んだ対魔兵器。拠点防衛用の本格的な魔導砲。
さらには、都市スケールの大規模『防衛結界タワー』――これは複数のタワーが完全にネットワーク化されており、仮に一本が集中攻撃で破壊されてもシステム全体が連鎖崩壊しないよう、デタラメな冗長化が施されていた。受ける衝撃の質量に応じて自動的に硬度を書き換えるエンチャント・シールド。そして、切り裂かれた端から生きた世界樹の繊維がのたうち回り、瞬く間に自己修復を完了させる『再生装甲』。
彼がその全容を語り終える頃には、議場を支配する静寂は、さっきの霊薬の時よりも遥かに、絶望的なまでに重いものへと変色していた。
「……全員の意見が一致したわね」
クロエが、じっとその兵器群を見つめながら、低い声で確認した。
「ここに並んでいるモノは、ただの一挺、ただの一振りたりとも、この地下施設の外に出しちゃダメ。……いいわね?」
満場一致の、極めて迅速な同意の呟きが部屋中を駆け抜けた。
「え、なんでだよ?」
カイは、幹部たちのあまりにも完璧な団結ぶりを前に、本気で不満そうに声を上げた。
「あんたねぇ」
ひまりの目が、鋭く弟を射抜いた。
「……一体どんな戦争を始めるつもりよ? 世界の終わり(ディストピア)でも間近に迫ってるわけ?」
「ただのおもちゃ(・ ・ ・ ・)だってば」
カイは、心外だと言わんばかりに弁明する。
「またどこかの頭の固い頑固な王国が、警告もなしにいきなり俺たちに宣戦布告してきた時のための、ただの備えだよ。どうもこっちの世界の奴らは、うちの国に喧嘩を売るのが大のお気に入りみたいだからな」
「理由はどうあれ、認められないわ」
エレーンが、冷徹な実務家としての決定を下した。
「これらの兵器はすべて、この地下に完全封印します。こんな凄まじい大量破壊兵器を工業生産できるなんて事実が外に漏れたら、それだけで周囲の国々は俺たちを『世界の敵(脅威)』だと認定するわ。――カイ、武器の製造ラインは今すぐ全面停止しなさい」
「……あと二つだけ、あと二つだけあるんだ」
カイは、部屋を満たす集団的な疲弊のプレッシャーに直面しながらも、必死に食い下がった。
「お姉ちゃん、約束するよ。今度の一連のアイテムは、本当に、一ミリも危険な要素なんてないから!」
「……これでまた世界が滅ぶようなデタラメが出てきたら、本当に承知しないからね」
ひまりはそう言いつつも、その声音には、すでにこの弟の暴走に対して諦めを抱いている者の、特有の諦念が混ざっていた。
「【記憶結晶】だ」
カイは、一振りの輝く結晶を掲げてみせた。
「周囲の事象を正確に記録して、後から何度でも再生できるんだ。前世のテレビ(液晶画面)みたいなもんだよ」
「テレビ……とは何なのですか?」エレーンが首を傾げる。
すると、視察に訪れていたティアムーン王国の学者の一人が、おずおずと手を挙げた。
「……あ、それに関しては、似たような概念の古代魔導具の記述を、私も古い文献で目にしたことがございますな」
「呼び名なんてどうでもいいんだよ」カイは笑う。「要するに、ここで起きたことの正真正銘の『動かぬ証拠』を完璧に残せるってことさ。音声の録音も内蔵されているから、再生すれば、当時の会話もそのまま綺麗に聞こえる仕様になってる」
「それは、どのようにして起動させるのですか?」
エルフの長老が、今度は純粋な好奇心から身を乗り出した。
「ごく微量の魔力を流すだけさ」カイが解説する。「魔力を全く持たない普通の人(素人)であっても、ちっちゃい魔力結晶の破片をスロットに接触させれば、全く同じ実務をこなせるように設計してあるよ」
「そして、こっちのが――【通信結晶】だ」
彼は、さらに形状のシンプルな二つ目の結晶を掲げた。
「超遠隔対応型。これがあれば、進捗報告のたびに行ったり来たり伝書使を走らせる実務は完全にゼロになる。過去の会話データ(ログ)もシステム内部に永続的に残る仕様だ」
カイが実際に空中へ透過型のフローティング・スクリーンを出現させてデモンストレーションを行ってみせると、兵器プレゼン以来、張り詰めていた部屋のテンションが、初めて目に見えて和らいでいった。
「……まぁ、その二つに関しては、特に恐ろしい天災要素はなさそうね」
ひまりの声に、本物の安堵が混ざる。
「さっき見せられたデタラメな魔導兵器の山に比べれば、これくらいなら外の世界の国々も、ただの便利な生活インフラとして歓迎してくれるんじゃないかしら」
(……お姉ちゃんは、まだ何も気づいてないんだな)
カイは、平静を装いながら、内心で冷徹に思考を巡らせていた。
(まさか、まさに今この部屋の中に、ここに並んでいるデタラメな新技術の全容を、外のどこかへ根こそぎ密告しようと血眼になって聞き入っている『ネズミ』が紛れ込んでるなんてさ)
脳内のヌル(虚無無意識)は、そのスパイがこのオープンスペースに足を踏み入れた最初の数秒で、すでにその精神波の異常を完璧にマーク(検知)していた。――周囲の職人たちに紛れ込み、一介の大人しい学者を演じながら、その実、常軌を逸した集中力ですべての配合や数値を脳内データに焼き付けようとしていた、あの静かな男。
デモンストレーションが正式に終了し、集まった住人たちがそれぞれの持ち場へと散らばっていくのを見届けると、カイはさりげない足取りでクロエの隣へと移動した。
「……スパイがいる」
カイは、誰の耳にも届かぬ極小の声で囁いた。
「今からこの施設を出て、どこかの陣営に報告書を送る段取り(計画)を進めてる。――お前に任せたい。あいつの足取りを完全に追跡して、どこのどいつが糸を引いてるのか、その本拠地を根こそぎ洗い出してくれ」
クロエの瞳の奥が、一瞬にして冷徹な吸血鬼の、獰猛な殺気の光へと塗り替えられた。
「――任せて、カイ。完璧に処理(手揉み)してあげるわ」




