第44話:世界が彼らに負っていたもの
激動の数日を経て、俺たちの領地『地平線の頂』には、奇妙で、それでいてどこか心地よい新たなリズムが定着しつつあった。
朝食の席で、進化した固有能力『創生之王』の出力を確かめていたエレインが、いつになく大真面目な顔で突飛な提案をしてきたのは、そんな時のことだ。
「カイ様、単なる修復や補修ではなく、このホライゾンクレストの全域をまっとうに再建したいのです。私たちが真の家族として歩み始めた今、それに相応しい評議会堂や、主の私邸、そして我が国の格に見合ったインフラを完全に整えるべきかと」
「……建て直すって、今のエレインなら本当にそれが可能なのか?」
俺が尋ねると、彼女はふっと優しく目を細めた。
「ええ、問題ありません。……よろしければ、今からその『証明』をお見せいたしましょうか?」
その誘いに、乗らない手はなかった。
――午後に実行されたその『証明』は、町中の住民たちを完全に絶句させるに十分な神業だった。
エレインの身体から放たれた神聖な黄金の極光が、ホライゾンクレストの既存の街並みへと優しく染み渡っていく。それは何かを破壊するのではなく、ただ純粋に、既存の構造をより洗練させ、拡張し、世界の格を引き上げる絶対の創生。町の中心には、威厳と親しみやすさを完璧に両立させた見事な評議会堂が聳え立ち、その隣には、俺たち『コバヤシ家』のための壮麗な屋敷が形を成していった。成金趣味の派手さはないが、温かみがあり、当初の予定を遥かに超えて肥大化した我が家のメンバーをゆったりと包み込めるだけの、広大な空間。
「……本当に綺麗ね」
進化した新しい網膜の視覚をパチパチと瞬かせながら、エリスが心底からの感嘆の声を漏らした。
「これを、本当にたったの半日で建てちまったのか……」
この一週間、さんざん超常の光景を目撃してきたはずの俺だったが、流石に目の前の現実には未だに脳内適応が追いつかない。
「最高に素晴らしいモチベーション(主への忠誠)がありましたから」
エレインは悪戯っぽく微笑み、完璧な所作で一礼してみせた。
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その日の夜、一人で夜風に当たっていた俺の元へ、魔王ニクサラがふらりと姿を現した。いつもの悪ふざけめいた気安さはなく、その知性的な瞳には、何事かを深く品定めしてきた後のような厳かな光が宿っている。
「四日後よ」彼女は告げた。「残された魔王たちが、貴方を正式に『魔王会議』の席へと招待しているわ。ベリアルが消滅した今、奴の空席の玉座を上書きするのは他ならぬ貴方だと、他の連中もすでに完全承認しているの」
あぁ、そうか。本当にやるんだな。
行きずりのガキだったはずの俺が、気付けば世界の天辺の一角である『魔王』に就任し、まっとうに魔王としての行政実務を処理しなければならないタイムラインに放り込まれてしまったわけだ。笑えない。
「……ちなみに、そういう席には一体何を着ていけばいいんだ?」
半分は場を和ませるための冗談のつもりで訊ねたのだが、その質問は、俺が想定していた防衛線を遥かに突破する大惨事の引き金となってしまった。
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翌朝の私室は、俺の承認を一切置き去りにしたまま、完璧な『ファッション・プロデュースの戦場』へと成り果てていた。
エリスとエレインの二人が、生地の素材や色合いについて本気の戦術議論を白熱させ、アイヴィーは内側から完璧に自制された敏腕秘書の手際で、「威圧感」と「親しみやすさ」を極限のバランスで両立させた上質な衣装を次々と調達して並べ立てる。その横では、ニクサラが実務的なアドバイスから、ただ俺をからかって愉しむためだけの身勝手な流言飛語までを好き勝手に吐き散らしていた。
「カイ、絶対これよ!」エリスが、俺がこれまでの人生で一度として身につけたことのないような、装飾過多の物々しい魔王アーマーを掲げて目を輝かせた。
「絶対にナシだ。そんな重いもん着て歩けるか」俺は即座に却下する。
「ならば、こちらはいかがでしょうか」エレインが、より落ち着いた、しかしどこか気品のある外套を差し出してきた。
「退屈ね」ニクサラが容赦なくジト目を向けた。
「他の連中の凡庸な脳内にあの子の格を完璧に焼き付けるのよ? 部屋の片隅のディテールとして忘れ去られるような凡庸な衣装でどうするのよ」
その混沌のプロセスを特等席から心底楽しそうに眺めていたエースが、自らの絶対の自信と共に余計なコメンタリーを投げつけてきた。
『俺は、肖像画に描かれた際に見栄えのするデザインを推奨するぞ。後になって、この歴史的イベントの記念ポートレートが世界中にばら撒かれるかもしれないからな』
「誰も肖像画なんか描かないだろ!」
『それは分かりませんよ?』
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最終的に決着を見たのは、アイヴィーが水面下で静かに仕立て上げていた、極めてシンプルな一着だった。
無駄な装飾をすべて削ぎ落とした、深みのある漆黒の外套。俺がこれまで馴染んできた固有のスタイルを崩さないため、俺自身が『俺のままでいられる』安心感を維持しつつも、新しき『魔竜公』としての圧倒的な存在感をまっとうに表現できるだけの、完璧な重厚さを宿した特級の逸品。
「連れて行くのはアイヴィー一人で十分よ」
出発を翌日に控えた夜、ニクサラが俺に告げた。
「今回の多重進化を経て、あの子が至った世界の天井を思えばね。……信じなさい、今の彼女は、あの化け物たちの巣窟へ踏み込むための最高の右腕(護衛)だわ」
「それ、逆に俺が色々と警戒(心配)すべきポイントじゃないか?」俺は苦笑する。
「いいえ」ニクサラの声に、本物の誇らしげな響きが混じる。
「圧倒的な安堵のステータスよ。あの子は、私自身のシミュレーション能力すら遥かにつり越えて、とんでもない次元の超越者へと至ってくれたんだもの」
その言葉を近くで聞いていたアイヴィーは、何も語らなかった――ただ、その美しい唇の端をふっと優しく綻ばせると、四日後のチェス盤、この世界の暗い深淵を原初の時代から支配し続けてきた絶対のバケモノたちの前に主を送り出すための、静かな実務準備を淡々と再開するのだった。
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会議の前日、ニクサラが俺の元へと一頭の新たな悪魔を連れてやってきた。外見のグラフィックは人間の少年のそれだったが、その肌には紛れもない、かつてアイヴィーたちが背負っていたあの罪痕の烙印が刻まれている。彼は必死に自らのポーズ(平静)を維持しようとしていたが、その全身は目に見えて緊張のトゲで張り詰めていた。
「新しい部下よ」ニクサラは何の前置きもなく言い放った。「これも元は私の所有物(烙印の悪魔)だったわ。貴方の自由な意志で、名前を授けてあげてちょうだい」
……またかよ。俺の転生ライフ、新しいステージに進むたびに、いつもこの手の難題がピンポイントで突撃してくる仕様になっているらしい。
俺は目の前で、あまりの緊張からただひたすらに床の床の座標を凝視している哀れな少年悪魔を見つめ、しばらくの間、言葉の重みを脳内で反芻した。
「……『セリ』。今日から、それがお前の名前だ」
直後に訪れた変質は、いつも通りの完璧な反響だった。
彼の身体から放たれた覇気が爆発的に狂い咲き、次の瞬間には、魂の最奥に新たなる世界の格がストンと定着していく。アイヴィーほどの狂気的な次元の上書きではなかったが、それでも通常の悪魔の枠組み(階級)を遥かにつり越えた、本物の超常の進化。
```text
《告知。個体名:セリの『階級進化』を確認しました。
種族クラス:【上位魔将】へと覚醒完了。
魂の同期は正常、コバヤシの譜系への登録を実行します》
```
「おめでとう」ニクサラが朗らかに告げた。
「これで、元々は私に従属していたはずの最高幹部たちが、自らの意志で貴方の名前の系譜へと横滑りしていったのは二人目ね」
少年悪魔――セリは、自らの内に満ちる新しい世界のスケールに呆然としながらも、その場に深々と膝を折り、絶対の忠誠の一礼を捧げた。
「……感謝いたします、ロード・カイ。この命、すべて貴方様のご命令のままに」
あぁ、まただ。その『ロード』っていう物々しいタイトル。
流石にこの段階に至っては、俺も無駄な抵抗をする足を完全に止めて、大人しく受け入れる覚悟を完了させていた。
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そして迎えた当日。魔王会議への出発準備は、やはり俺の想定キャパシティを遥かに超えた大混乱の日常イベント(プロデュース)へと突入していた。
「ちょっと、じっとしてて」エリスがジト目のまま、俺の襟元のラインをこの十分間で正確に五回目となる手際で調整してくる。
「これでも死ぬ気で静止してるつもりなんだけどな」
「嘘。あんたの身体、さっきからジリジリと小刻みに動いてるわよ」
「それは単に、俺がこの世界に生命として実在(呼吸)しているからだ。身じろぎとはカテゴリが違うだろ」
その漫才のやり取りを、近くの快適な特等席から眺めていたエースが、クスクスと楽しげな思念を飛ばしてきた。
『大丈夫ですよ、カイ。今の佇まいは、客観的なデータ(戦術眼)で見ても完璧に「威圧的」です。過剰すぎず、かと言って他人に舐められるような隙もない。実にまっとうな、洗練された魔王の中間階級ですよ』
「……ありがとな。一応、褒め言葉として逆探知(受け取り)しておくよ」
『どういたしまして。何しろ、俺は最高に質の高い審美眼を持ち合わせていますからね』
次に、腕を組んだエンゾが俺の周囲をゆっくりと一周し、冷徹な戦術眼で品定めを終えた。
「……フム、格好(体裁)は整ったな。精々、我が家の discipline(規律)に泥を塗るような大失態だけは犯さないでくれよ?」
「随分と高いハードル(要求水準)だな」俺は苦笑を浮かべる。「クリア(突破)してしまわないように、最善の自制を尽くすよ」
出発のまさにコンマ数桁手前、エレインが俺の元へと歩み寄り、その白亜の指先で、丁寧に布に包まれた小さな代物を俺の胸の内ポケットへと滑り込ませてきた。極めて実務的で、かつ隙のない行政管理の手際。
「もしもの時のための、エマージェンシー(緊急物資)です。何が起きるか分からない無法地帯ですから、お守り代わりに携えておいてください」
「……これ、中身は何なんだ?」
「……主が本当にそれを必要とした瞬間に、自動的に答え合わせ(理解)ができる仕様になっておりますよ」
彼女はそう意味深に告げると、次の瞬間には、すでに別の直近の実務タスク(見送り)を処理するためにその場を離れていた。
完璧に正装を整え、俺よりも遥かに早い戦速で出陣のシーケンスを完了させていたアイヴィーが、俺の隣でくすくすと微かな笑みを漏らした。「……主、貴方様、緊張されていますね?」
「緊張なんかしてないさ」俺は即座に逆探知(否定)を試みた。「これは、これから始まる大陸最高峰の政治的対話に向けて、脳内で極めて高度なメンタル・シミュレーション(精神統一)を走らせているだけだ」
「機能的には、それを世間一般では『緊張』と定義するのですよ」
「違う」
「いいえ、完全に一致しております」
――あぁ、癪だけど、完璧に図星だった。
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アイヴィーは予定時刻をコンマ数桁の狂いもなく正確に刻み、空間を裂いて『霧の門』を解き放った。幾度となく潜り抜けてきたはずの次元の狭間だが、そこを通過する際の独特な全感覚の浮遊感には、未だに完全には馴染みきれない。
俺たちは揃ってその境界線を踏み越えた。――俺、ニクサラ、セリ、アイヴィー。
直後に背後のゲートが音もなく閉鎖され、ホライゾンクレストの気配は世界の狭間の彼方へと完璧に遮断された。
ロード・カイ、か。
どれほどまっとうに否定し、バグフィックス(訂正)を試みようとも、今や完全に我が家の Named 幹部たちの間で定着してしまったあのタイトルが、脳裏にふと過る。あぁ、もういいさ。流石にこの段階に至っては、俺もその特定の戦い(ツッコミ)を仕掛ける足を完全に止めて、大人しく受け入れる覚悟を完了させていた。
辿り着いた広間は、かつてニクサラの記憶ログ(回想)で見たことのあるあの円卓の間だった――しかし、俺の足がその床の座標へと接触したまさにその刹那、広間全体がまるで意志を持つ巨大な生命体のように激しく鳴動し、リアルタイムにその形状を再構成し始めたのだ。
「……空間の再編成ですね」
隣に佇むアイヴィーが、万事において隙のない冷静さのまま淡々と告げた。
「新たなる『魔王』が初めてこの領域へとエントリーした際、必ず発生するシステム仕様です。この円卓の間は、最新のメンバーの意志や望む形態をそのまま反映して上書きされる仕組みになっておりますので」
「ちなみに、俺の前にここをデザイン(上書き)した奴は誰なんだ?」
「ベリアルです」アイヴィーの口から、冷徹にその名が紡がれた。
「あいつの身勝手なパーソナリティを思えば」俺は小さく溜息を吐いた。「……どうせ見るに耐えないドス黒い悪夢のような空間だったんだろうな」
「貴方、本当に分かっているじゃない」
ニクサラが心底おかしそうにクスクスと笑った。「本当に最低最悪のセンス(悪趣味)だったわよ。満場一致で最悪の評価だったもの」
俺が小さく苦笑したその瞬間、空間の再構成が完全に完了した。
後に現れたのは、世界の中心を思わせるほどに壮麗で、どこまでも広大な、気品溢れる白亜の広間。その中心には、世界の天辺に君臨する七人の魔王のために完璧に配置された、壮麗な七つの玉座が円を成して鎮座していた。
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俺とニクサラは、自らの割り当てられた座標の玉座へと腰を下ろし、その時を待った。
直後、他の魔王たちが、何の一切の空間予備動作(前触れ)もなく、虚空から音もなく一人ずつエントリーを開始した。
魔王ラヴェッシア――序列第二位。
彼女が突如として俺の目と鼻の先の座標に出現した瞬間、俺の網膜はその接近のログをただの一ミリも感知できていなかった。完全なる神速の隠密。
「あら、貴方が噂のカイちゃんね!」
彼女は至極朗らかな笑みを浮かべて声をかけてきた。「お初にお目に掛かるわ。これからよろしくね!」
《警告。対象『個体名:ラヴェッシア』の放つ魔力波長(覇気)を計測。
――世界の天井クラスの圧倒的な出力を検出しました。主の精神層への圧迫を中和します》
脳内の『虚無之経絡』の冷徹なシステム音声が脳裏に響く。
流石に心臓の真下が凍りつくほどの凄絶なパラメータの質量に、俺の身体が目に見えて硬直したその瞬間、彼女の背後に控えていた直属の侍女が、何事もなかったかのように彼女の頭をパチンと軽く叩いた。
「ラヴェッシア様、新参の主を無駄に威圧(威嚇)するのをやめなさい。お行儀が悪いですよ」
「痛っ!? もう、ちょっとからかってみただけじゃない、ケチ!」
ラヴェッシアは一文字も反省する気配なくお茶目に舌を出すと、次の瞬間には隣のニクサラに向けて猛烈な速度で跳躍(突撃)し、全力の抱擁をかましていた。
「お姉様ーーーっ! 会いたかったわ!」
「離れなさい、このお転婆な厄介児」
ニクサラはいつもの絶対の余裕を崩し、本気で嫌そうなジト目を向けながら必死にそのホールドを解除しようと試みたが、万に一つも引き剥がせない現実を悟ると、最終的にはあきらめ混じりにその抱擁を無抵抗で受け入れていた。
……待て。今、お姉様って言ったか?
《肯定します。魔王ラヴェッシアは、個体名:ニクサラと同じ血の系譜に属する『原初の悪魔』。――固有識別名:第二位(No.2)となります》
どうりで、あいつが間合いを詰める瞬間をただの一一ミリも感知できなかったわけだ。だけど……あいつの放っている覇気の色彩、かつて母さんから叩き込まれた世界の歴史のログ(知識)とは、根本的に異なる色をしているのは何故だ?
《推論。貴方の母親である『混沌竜』は、当時の貴方の器のキャパシティを思えば、この世界の過酷な真実のすべてを、未だ正しく開示する時期ではないと判断した可能性が極めて高いと思われます》
あぁ、そうかい。機能的には、ただ世界のシステムが、俺のこれまでの常識を片っ端から上書きしてバグフィックスしにきている現実論だけは、嫌というほど正しく理解できたよ。
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次に音もなく席へと着いたのは、魔王ミレラだった。物静かで、親しみやすい笑みを絶やさない彼女は、一言の余計な雑音も残さずに自らの玉座へと収まった。
(……なぁ、あいつの種族クラスは何なんだ? 肉眼のレベルで見ても、到底人間の系譜には見えないんだが)俺は念話で訊ねる。
《解。種族クラス:【上位亜人種】と識別。――ただし、その器の底には膨大な魔王級のパラメータが定着しています》
なるほどな。もはやこの段階に至っては、どんな不条理がチェス盤の上に這い出てこようとも、俺の脳内フリーズ(驚愕)を誘発することは不可能なレベルで覚悟が完了していた。精霊そのものが魔王の玉座に腰掛けていたとしても、俺はただの一瞬すら瞬きをしない自信があるぞ。
――と、そんな俺の完璧なフラグ(死亡推論)を回収するかのように、次にエントリーしてきたのが、魔王オリンシアだった。
直後に脳内のシステム音声が、彼女こそが地上に実在する三頭の**『原初の精霊』**の一角であるという絶対のログ(事実)をフラットに告げてきやがった。
……お前、本当に俺を笑わせにきてるだろ(白目)。
「実に見事な空間デザイン(センス)じゃない」
オリンシアは、新しく再構成された白亜の広間を見渡し、満足げに頷いた。
「あの口うるさいベリアルの悪趣味なインテリア(玉座)とは大違いね。……貴方が、例のカイでしょ? 貴方のこと、これからもっと深くへ『品定め(お勉強)』させてもらうのを楽しみにしているわ」
彼女はその知性的な瞳に、剥き出しの、そして危険な好奇心を滾らせて、一瞬にして俺のパーソナルスペース(間合い)へと肉薄してきた。
「下がりなさい」
遮ったのは、ニクサラの冷徹な一言だった。一切の朗らかさを削ぎ落とした絶対の拒絶。
「はいはい、オリンシア様、お願いですからお戯れはその辺にして、大人しくご自分の玉座へと着席してください」
彼女の背後に控えていた直属の配下――本物の最上位精霊が、困ったように溜息を吐きながら、主の肩を優しく諭して引き戻していった。
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そして――最後の一頭。
『不屈』の魔王ヴェリス――彼らが通称『ディーヴォ』と呼ぶ世界の最高戦力がその場に降臨した瞬間、俺の身体の全センサーが、決定的な極限の警戒を告げて完全に凪いだ。
奴の左右のデッドスペース(側面)を、二頭の恐るべき最高幹部が完璧な連動で固めていた。
一頭は、**レゲラ――『深淵の熾天使』**。
堕ちた天使の気高き系譜と、地獄の最上層に蠢く悪魔の波動が完全融合して生まれた、魔王ヴェリス直属の『絶対の処刑人』。
もう一頭は、**ゲメラ――『深淵の守護竜公』**。
冥界の最古の深淵、最下層の暗黒のログから這い出てきた、世界の生態系の天井を叩き割るほどの超常の質量を誇る、奴の絶対の盾であり『最強の守護神』。
……。最高だな。
我が『コバヤシ家』の国政マーケティングをこれから世界に展開していくにあたって、あの二頭のバケモノの逆鱗に触れて帳簿の清算(殺し合い)を演じるような大失態だけは、何が何でも、万に一つも引き起こしたくない。それだけは、本心からの確固たる生存戦略として確定したのだった。
《告知。中央の玉座に着席した個体は『魔王ヴェリス』。
左右に控える二頭は、彼の直属の配下(幹部)となります》
脳内の『虚無之経絡』の冷徹なアナウンスを聞き、俺は思わず二度見しそうになった。
……おい、待て。あの化け物どもがただの「配下」だって? 俺はてっきり、あいつら自身がどこかの一角を統治する魔王の階級にいるものとばかり思い込んでいた。一体どういう理屈を以てすれば、あんな規格外のバケモノを配下に従えることができるんだよ。
俺の思考回路の動揺を鋭く察知したのか、隣に控えるアイヴィーが、どこか不敬な妄想を抱いている主を嗜めるような深いジト目を向けてきた。
当のヴェリス本人は、ただ一度だけ俺の方へと視線の照準を動かしたものの、何の一切の言葉も残さずに、ただ厳かに自らの玉座へと腰を下ろした。
――満座の超越者たちがそれぞれの座標へと収まった瞬間、白亜の広間は、完全な沈黙の静寂へと融けていった。全員が、チェス盤の次の一手が動くのを静かに待っている。
「……なぁ、俺たちは一体何を待っているんだ?」
俺は隣のニクサラに向けて、微かな念話を飛ばした。
「魔王の席は、これで全員揃ったんじゃないのか?」
「いいえ、まだよ」ニクサラが短く応じる。
「魔王ってのは、全部で六人じゃなかったのか?」
「不正確よ、カイ。――魔王の席は、全部で『七つ』存在しているわ」
その答えと同時に、オリンシアが退屈そうに大きな溜息を漏らした。
「ねぇ、どなたか彼が未だにこの場所にエントリーしてこない正確な理由を説明してくださらない?」
「……貴方、本気であの男が定刻通りにここに現れるとでも期待していたの?」
ミレラが、至極親しみやすい微笑の裏に乾いた皮肉を込めて返した。
「本当にイライラするわね! 私たち、ただここで指をくわえて待つだけのお人形さんになるつもり?」
ラヴェッシアが自らの覇気を僅かに尖らせ、我慢ならんといった様子で身じろぎを始める。
ニクサラが、中央のヴェリスへと視線を向けた。
「ディーヴォ。貴方、今回の緊急招集の案内を、本当にあの男の精神領域へ向けて正しく転送したの?」
ヴェリスが唇を開くより早く、奴の絶対の盾たるゲメラが、その重厚な聲音で代わりに回答を提示した。
「招待の回線は、七人の魔王すべての固有座標に向けて例外なく完全一斉送信されております」
ヴェリスは何も答えなかった。ただ、その完全な沈黙の質量だけが広間に鎮座している。
――その瞬間、この広間を構成していた『時間(因果)』という概念そのものが、世界のシステムから完全に切り離されて消失した。
通常の静寂を遥かにつり越えた、天地が凍りつくような絶対の完全停止。
直後、俺の目と鼻の先の虚空、まさに俺の視線の正面の空間に、一人の少年が突如として上下逆さまの形態で実体化(出現)しやがった。見た目の外見は、精々十四歳前後のあどけないガキのそれだった。
「――へぇ! 君が、最近あちこちの噂で名前が挙がっていた例のカイちゃんだね!」
少年悪魔は至極朗らかな、人懐っこい笑みを浮かべてのたまった。
「ようやく直接お目にかかれて嬉しいよ。これからよろしくね!」
その瞬間、玉座のチェス盤に座るすべての魔王たちの佇まいが、ヴェリスとニクサラの二頭を除いて、完全に声も出ないほどの衝撃の中で硬直された。
……。こいつも、絶対に普通のガキなんかじゃない。
俺は本能的な危機感知の元に、目の前の少年の真の正体を瞬時に看破していた。
この男こそが、七人の魔王の最深層に君臨する絶対の特異点――**魔王イオン・スティルミア**。
生態系の最古の層に位置する**『原初の時の竜』**であり、これまでの魔王会議の記録のどこを探しても名前が載っていなかった、別名『正体不明』と呼ばれる超越者。あまりにも生存データ(エビデンス)が少なすぎるため、歴史の古い伝承においては、この世界を創り上げた『創造神』の実の弟(半身)であり、その格の絶対性はあのヴェリスにすら完全匹敵すると噂されているが、その真偽を正しく確かめた生者は未だ一人も存在しない。
少年――イオンは、俺の頭のてっぺんをポンポンと親しげに悪戯っぽく叩くと、クスクスと鈴の鳴るような笑い声を響かせた。
「ようやく現れたわね」オリンシアがジト目を向けた。「全員でお前のことを首を長くして待っていたんだよ」
「ごめんごめん」イオンはこれっぽっちも悪びれる様子なく、空中から優雅に着地してみせた。「今回の進化睡眠(お昼寝)、ちょっといつもより長引いちゃってさ」
「……いい加減、ご自分の玉座へと着席しなさい」
ニクサラが言葉を重ね、その場のパワーバランスをまっとうな行政管理の手際へと引き戻した。「これより、新魔王の就任に伴う国政会議を正式に開始(始動)するわよ」
ヴェリスの絶対の盾たるゲメラが一歩前に踏み出し、その厳かな聲音を以て、七人の魔王の正式な名乗りと名簿の開示(紹介)を淡々と完了させた。
その最古の絶対の系譜の中に、俺、カイ(魔竜公)の個体識別名が、初めて正当なる権利の元に刻み込まれた(チェックメイトされた)のだ。
――世界を裏底から完全に上書きする、新しき七人の魔王会議。
その因果のチェス盤の幕が、今ここに、本気で切って落とされた。
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「――で、カイちゃん」
一通りの自己名乗りと紹介が完了したところで、ラヴェッシアが身を乗り出すようにして、その知性的な瞳を爛々と輝かせた。
「本当に貴方がベリアルの野郎を清算して、あいつのすべてを丸ごと『吸収』しちゃったっていうのは、本物の真実なのかしら?」
「あぁ、その通りだ」俺はフラットに答えた。
「随分とあっさりと告げるのね」ミレラが、その絶やさぬ微笑の奥に感心の光を宿らせて観察を述べる。
「強敵だったよ」俺は当時の死線の質量を思い出して素直に認めた。「だけど、最終的に俺が勝った。ただそれだけだ」
俺の斜め後ろに控えるアイヴィーの身体から、主への剥き出しの誇りと歓喜の波動がじわじわと漏れ出しているのが肌で伝わってきた。
「流石は、あの女の息子といったところね」
オリンシアが、どこか懐かしむような温かい響きをその声音に込めて言葉を重ねた。
「貴方の母親はね、それこそ私たちの規格(常識)を最初から最後まで完全に蹂躙し尽くすような、本物の規格外だったのよ」
「……母さんのことを知っているのか?」
「当然でしょう? というより、私たちは数少ない『友人』同士だったのよ」
母さん、俺のこれまでの生涯において、自分にそんな世界の天辺に君臨するような友達がいるなんて話、ただの一度も口にしたことなかったぞ。
「いやぁ、彼女の息子がここまでまっとうに強者の極致へ至ってくれたなんて、なんだかとても感慨深いよ」
遅れてきた魔王イオンが、あどけない少年の笑みの中に本心からの親愛を滲ませて付け加えた。
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ここで、それまでの和やかな雑談の空気を一刀両断するように、中央のヴェリスがその厳かな聲音を広間に響かせた。
「……さて。奴がベリアルの空席の玉座を上書きすることについて、この盤面の全員の意思(合意)に異論は無いな?」
返ってきたのは、完全なる満場一致の沈黙(完全承認)。
「だが」ヴェリスは冷徹に言葉を続けた。
「奴がその席を占めるに値する本物の格(強さ)を持ち合わせているかどうか、その生存戦略の正当性を今ここで証明してもらう。――我が方の執行。これより奴には、魔王の一頭と直接のタイマン(私闘)を演じてもらう。制限時間は『一分間』。その絶対の死線の中で、ただの一秒も防衛線を破綻させることなく生き長らえることができたなら、奴の魔王就任を正当なる権利として承認しよう」
「だったら僕がその相手をしてあげるよ!」イオンが即座に、面白そうな悪戯っ子の瞳で片手を挙げた。
「却下だ」ヴェリスは一秒のディレイもなく冷徹に一蹴した。「お前が相手をすれば、戦闘開始の合図が鳴る前に奴の存在確率を根本から清算してしまうだろうが。――今回、お前とニクサラの二頭がチェス盤の上に介入することは一切禁じる」
「私は構わないわよ」ニクサラは肩をすくめてあっさりと身を引いた。
「ねぇ、ディーヴォ。僕が君のそういう冷徹なところ、本気で大嫌いだって知ってた?」イオンがジト目を向ける。
「あぁ、お前からそのような最高の評価を聞くのは、私にとってこの上ない愉悦だよ」
ヴェリスが不敵に言い放った。――この二頭、最古のライバル(宿敵)でありながら、その最奥では何百年もの時間を共有してきた本物の旧友同士なのだろうな。
「だったら、私に行かせて頂戴!」
ラヴェッシアが、待ちきれんといった様子で自らの覇気を狂い咲かせた。
「お姉様、私がカイちゃんのテストの執行者になってもいいかしら?」
「いいわよ、行ってきなさいな」ニクサラは朗らかに応じた。
……。これ、俺にとって最高に最悪な結末(詰み)しか用意されていない気がするんだが。俺は内心で白目を剥き、自らの生存確率のシミュレーションを完全に諦めて覚悟を完了させていた。
---
次の瞬間、白亜の広間は跡形もなく融解し、代わりにヴェリスの固有の権能の元で完璧に構築された、異次元の戦闘領域へと上書きされた。
気付けば俺とラヴェッシアの二人は、重力すら存在しない紫色の虚空のど真ん中に、ぽつんと宙に浮いた状態で対峙していた。残された六頭の魔王たちは、遥か上空の座標から特等席でチェス盤の行方を見下ろしている。
彼女は、構え(フォーム)すらとっていなかった。ただの自然体。
「さぁ、カイちゃん。ご自分の持てるすべての全出力で、真っ向から私を殺しにきなさい」
「……本当に、最初から全開で行っていいんだな?」
「ええ、心配しないで」
俺の手のひらの上に、あの名付けの極光を宿した漆黒の魔剣が具現化した。それを鞘から抜き放ったまさにその刹那、この異次元のテリトリー全体の空気の圧力が、地鳴りを立てて劇的にシフトした。
世界の天辺に君臨する『原初の悪魔』、それも魔王の格を持つバケモノを相手に、手加減や様子見といった安っぽい選択肢に飛びつけば、ただの一秒すら防衛線を維持できずに一瞬で清算されることくらい、嫌というほど正しく理解できていたからだ。
「……二%、全解放しろ」
俺が脳内で命令を下すと、虚無之経絡はノーディレイでその絶対否定の波動を俺の器へとルート接続した。
ラヴェッシアの美しい瞳の奥が、その瞬間、本物の『格格』を察知して急激に鋭さを増した。彼女の casual な微笑みの輪郭から甘さが完全に削ぎ落とされるが、それでもなお、彼女はその腰の魔剣を引き抜こうとはしなかった――どうやら、この俺の『虚無』の全力砲撃を、素手のまま迎え撃つ算段らしい。
俺の背中から、漆黒の竜翼が爆発的に開花(展開)した。俺は自らの全神経を研ぎ澄まし、絶対の戦闘態勢を完了させた。
「――始めよ」
上空から、ヴェリスの冷徹な戦闘始動の言霊が響き渡った。
---
*――消えた。*
彼女の移動戦速は、俺の肉眼のセンサーがそのログを正しく処理できる限界の速度を遥かに置き去りにしていた。
次の瞬間、俺の視界の真正面に突如として彼女のアバターが出現し、わずか一振りの拳が俺の胸の真下へと直撃していた。衝撃を脳内適応するよりも早く、俺の身体は猛烈な勢いで後方へと吹き飛ばされる。さらに一呼吸のディレイすら挟まぬうちに、彼女はすでに俺の頭上の座標へとワープしており、凄絶な蹴り(カウンター)が俺の肉体を虚空の底へと叩き落としていった。
床の座標すら存在しない異次元の中で、俺は死に物狂いで自らの姿勢を制御した。しかし、体勢を立て直すよりも早く、彼女の次なる拳の風圧が俺の顔面の目と鼻の先へと肉薄していた――俺は純粋な生存本能だけで、コンマ数桁の隙間(間合い)をすり抜けるようにしてそれを回避した。拳の放った音速の衝撃波だけで、俺の巨体はアリーナの最果てまで容易く吹き飛ばされる。
「へぇ! 随分と良い身のこなし(戦速)じゃない!」
ラヴェッシアは本心から嬉しそうに自らのステータスを滾らせた。「私、そういう骨のある子、最高に大好きよ!」
あいつ、まだこれっぽっちも本気(全力を尽くして)ですらない。それが、何よりも俺のセンサーに致命的な絶望を告げてくる一番の原因だった。
一分間なんていう気の長い制限時間、まだ数秒すら経過していないぞ。このままじゃ、帳簿の清算が完了する前に、俺という存在自体があの女の手によって粉々に粉砕されちまう。
不意に、俺の眼前に、不穏な破壊のエネルギーを纏った彼女の拳が何の予備動作もなく実体化した。
```text
《緊急警告。個体名:ラヴェッシアによる致死的打撃の因果を検知。
――固有能力『時空之眼』を強制全起動します。
主の精神層のクロック速度を極限までブーストし、敵の次の一手の因果(軌道)を完全先読み(予測)します》
```
脳内の超越知性による超常のバグフィックスが魔法の回路を完璧にガイドし、俺のAdaptability(自己適応能力)は、この極限の死線の中で爆発的に跳ね上がった。
---
「おや、さっきよりも随分と動きの解像度が上がったじゃない!」
ラヴェッシアは自らの拳を完璧な間合いで紙一重回避してみせた俺の変貌に、心底楽しそうな歓喜の瞳を輝かせ、さらにその猛攻の戦術を加速させてきた。
俺はすかさず自らの魔剣を振り抜き、電撃的なカウンターの一振りを彼女の器へと叩き込んだ――しかし、俺の『虚無』の刃は、何の物質的な手応えも残さずに、ただの虚しい残像の空間をクリーンに通り抜けていった。彼女の移動戦速は、すでに俺の放った斬撃の因果関係すら置き去りにするほどに、完全に上の次元(世界の天井)に到達していたのだ。
次の瞬間、俺の完全な死角――その背後の座標へと彼女の気配がダイレクトに出現した。
俺の頭蓋骨を木端微塵に噛み砕くために放たれた、容赦のない旋風の蹴り。俺は脳内の『時空之眼』が提示した先読みデータ(ログ)の通りに、自らの身体の座標を力任せに横へとスライド(回避)させたが、その一撃の通過した衝撃波だけで、俺の防衛網は再び広大なアリーナの彼方へと無様に弾き飛ばされるのだった。
眼前に再び彼女の姿が掻き消えるようにして出現した。その掌には、世界の終焉を思わせるほど狂気的なまでの魔力が凝縮されていく。
(――しまっ、完全に詰んだ……!)
あまりの戦速の絶望的な断絶を前に、俺が脳内で白旗を上げかけた、まさにその刹那だった。
「……そこまでだ」
虚空に、ヴェリスの重厚な制止の言霊が響き渡った。
ラヴェッシアの動きが、寸分のブレもなくピタリと完全停止した。
「ふふ、合格よ。本当によく持ちこたえたわね、カイちゃん」
彼女はそれまでの凄絶な覇気を瞬時に霧散させると、朗らかな微笑みを浮かべて俺を見つめた。
「でもね、あのヴァルレスやスコーンといった本物の化け物(始祖竜)どもを相手にするつもりなら、ここから先、もっと遥かに己の牙を研ぎ澄まさなきゃお話にならないわよ」
「……あぁ、ありがとな」俺は激しく乱れる呼吸を必死に整えながら、声を絞り出した。「死ぬ気で、やってみるよ」
「えらいえらい、良い子ね」
彼女はクスクスと笑いながら、俺の頭をぽんぽんと親しげに撫で回してきた。
直後、異次元の戦闘領域は融けるように崩壊し、視界は再びあの見慣れた白亜の円卓の間へと上書きされた。
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俺たちが元の玉座へと帰還した瞬間、出迎えたアイヴィーの瞳には、本心からの深い敬意と畏怖の色彩が宿っていた。
「……実に見事な立ち回りでございました。まさか、あの『原初の悪魔』を相手にこれほどまっとうに防衛線を維持してみせるとは」
「言ったでしょう?」
ニクサラが、自らのシミュレーションが完璧に的中したことに満足げな笑みを浮かべて言葉を重ねた。
「この子は最初から、私たちの円卓(チェス盤)に座るに相応しい本物の特異点(魔王)なのよ」
「本日を以て」
中央の玉座に鎮座するヴェリスが、引導を渡すような絶対の響きをその声音に込めて告げた。
「貴様を、我らと同じ七人の魔王の一角として正式に承認する」
ふと見れば、先ほどまで上下逆さまのポーズで浮遊していたあの少年魔王――イオンの玉座は、いつの間にか、それこそ何の空間の残滓すら残さずに完全な空席へと成り果てていた。すでに世界の狭間の彼方へと消え去ったらしい。
オリンシアがあきれたように肩をすくめた。「……あの子、本当に相変わらずね。まぁいいわ、私もこれ以上ここに引きこもっている暇は無いの。少々、不都合な動きを見せている人間どもの宮廷(チェス盤)をいくつか直接清算しに行かなきゃならないから」
彼女が席を立ったのを合図にするかのように、他の魔王たちもそれぞれのタイミングで音もなく次々とエントリーを解除していく。気付けば広間に残されていたのは、俺とニクサラ、そしてラヴェッシアの三頭だけだった。
アイヴィーが俺の無事を心底から祝福してくれる傍らで、ラヴェッシアがどこか申し訳なさそうな、小さく愛らしい苦笑いを浮かべて歩み寄ってきた。
「ごめんね、カイちゃん。最初の洗礼とはいえ、少々手荒に行き過ぎちゃったかしら?」
「……。あれで、手荒に行き過ぎた『程度』の認識なのか?」
俺は内心で白目を剥きながら尋ねた。
「俺としては、完全に本気の殺し合いを演じさせられていたつもりだったんだが」
「あら、冗談でしょう?」
ニクサラが、横から妙に朗らかな声を挟んできた。
「あの子、今の組手の間、ただの一秒たりとも本気(全力を尽くして)なんか出していないわよ? 完全に力を抜いて、お遊びのシミュレーションを楽しんでいただけだもの」
「……嘘だろ」俺は完全に絶句した。
ラヴェッシアはただ楽しそうにクスクスと鈴の鳴るような笑い声を響かせると、「近いうちに、本物の『格付け訓練』をしてあげるためにホライゾンクレストへ遊びに行くわね」という、俺にとっては本気で胃に穴が空きかねない、万に一つも実現してほしくない最悪の約束(爆弾)を笑顔で残して空間の彼方へと消え去っていった。
ふと向き直れば、隣にいたはずのニクサラの気配までが、影も形もなく消失していた。
「あの無法者め……」俺は大きな溜息を一つ吐き、頭痛を堪えるようにこかみを押さえた。「俺をこの不気味な広間に置き去りにして、勝手にフラッと帰りやがったな」
「……主、私たちもそろそろ本国へと帰還するべきかと存じます」
アイヴィーが、どこか楽しそうに唇を綻ばせながら霧の門を展開した。俺たちは揃ってその境界線を踏み越え、我が家への帰路についた。
---
アイヴィーが空間を繋ぎ、ホライゾンクレストの本国正門前へとステップバックしたその瞬間――。
凄まじい大音量の『歓声(地鳴り)』が、ダイレクトに俺の鼓動を叩き割った。見れば、国境の広場を埋め尽くすほどの途方もない数の住民たちが、今か今かと俺たちの帰還を待ち受けていたのだ。
(……おいおい、マジかよ。勘弁してくれ)
「ロード・カイだ!! 我らが主が、新たなる魔王として凱旋されたぞーーーっ!!」
誰かが声を張り上げたのを引き金にして、広場全体から地動説をひっくり返すほどの爆発的な戦勝の咆哮が巻き起こった。俺は本気で反転して、たった今出てきたばかりの霧の門の彼方へと一目散にエスケープ(逃亡)したくなった。
「……皆様、すでにすべての真実を正しく把握されているようですね」
アイヴィーは、俺の露骨なパニック(赤面)のステータスなどこれっぽっちも気にする風ではなく、至極優雅に微笑んだ。
「どうやら噂という不確実なデータは、時として空間転移の戦速すら遥かに置き去りにして、世界の狭間を駆け巡る性質を持っているようです」
「一体全体、どうやってこれほどの短時間で情報が漏洩したんだよ……」俺は群衆がジリジリと間合いを詰めてくるのを見て、半ば絶望気味に呟いた。
《解。貴方が世界の天辺にて正式な魔王就任を完了した瞬間、その因果のログは冥界の通信ルートを経由し、我が国の行政管理班へとダイレクトに逆探知(転送)されておりました。情報隠蔽の選択肢は最初から存在しません》
脳内のシステム音声が、いつも通りこれっぽっちも実務的なフォローを挟まない冷徹な精度で、事実の記録だけを確定させた。本当に相変わらずお前は役に立つな(白目)。
「カイ! 還ってきたのね!」
群衆の包囲網を力任せに押し開き、いつもの圧倒的な存在感(男前さ)を引っ提げて真っ先に突撃してきたのは、エリスだった。彼女は何の躊躇いもなく俺の首筋へとダイレクトに飛びついてきた。
「無事でよかったわ。……それにしても、まさか本当にただのお昼寝(進化睡眠)から目覚めた瞬間に、本物の『魔王』の玉座まで強奪して還ってくるなんてね」
「……まぁ、色々と不可抗力な事象が重なった結果なんだけどな」俺は未だに情報の質量に圧倒されながら答えた。
「それについては、後で全員が同じ円卓の前に揃った時に、一次情報としてまっとうに説明するよ。まずは俺の脳内回路を少し冷却させてくれ」
「そんなのんびりした時間、残されてないわよ」
エリスは俺の腕を強引に引っ張り、エレインが創生したばかりの壮麗な宮殿の正門へと足を進め始めた。
「大国アッシュフォードの国王アルリックが、すでに本陣にエントリーしてるわ。それと、マイラスのジーク王子も、聖教会の最高司祭セルウィンも、あのソフィアも全員揃ってる。……お前の帰還を、今か今かと待ちわびているわよ」
――来たか。異邦の最高幹部たち。そして高度な政治(国政外交)。
どうやら、自分には全くセンスが無いなどと言って引きこもる段階は、とっくの昔に終わりを迎えていたらしい。今や俺は、この大陸規模のチェス盤を主体的に動かすための『本物の王』としての格を要求されているのだから。
だが、その過酷な外交実務の死線へと踏み込む手前にあって、俺の脳内には、前々から引っかかっていたある致命的な『知識の空白』が居座り続けていた。これだけは、今この瞬間に完全にバグフィックス(処理)しておかなければ、今後の国政交渉においてまっとうな答え合わせすらできなくなる。
---
「……待ってくれ、エリス。宮殿の扉を開ける前に、一つだけ至急処理しておきたい行政タスクがあるんだ」
俺は正門の階段の手前で一度足を止め、脳内の深淵へと向かって直接命令を飛ばした。
「……おい、『虚無之経絡』。今すぐ、この大陸全土に流通しているすべての『通貨の基本単位』について、完璧な一覧データをアナウンス(開示)しろ。俺はこれまで、感覚だけで交易協定や国政交渉の書類にハンコを押し続けてきたけど、ぶっちゃけ他国が提示してくる数字の単位(価値)の半分も正しく理解できていなかったんだよ」
《了解。――主の知識レベルの欠落を補完するため、大陸の主要通貨のパラメーター一覧を完全開示します》
脳内の冷徹なシステム音声が響き渡る。その平坦で無機質なトーンの最奥に、どこか俺の不手際を鼻で笑うかのような微かな『配慮』の気配を感じたのは、きっと俺の気のせいじゃないだろう。
```text
《主要通貨ステータス一覧:
【人間諸王国】主要単位:『王冠』/下位単位:『銅貨』/上位単位:『ロイヤル・クラウン』
【エルフ諸王国】主要単位:『エラリス』/下位単位:『エレン』/上位単位:『ハイ・エラリス』
【ドワーフ砦】主要単位:『ドルン』/下位単位:『ドルナイト』/上位単位:『グランド・ドルン』》
```
「なるほど、これなら何とか脳内回路で管理できそうな範囲だな」
俺は提示されたデータを一つずつ噛み締めながら頷いた。「……じゃあ、もっと別の、東方や南方のテリトリーで流通している通貨はどうなんだ?」
```text
《追加ログ。――東方および南方に君臨する巨大帝国においては、特殊特級貨幣『翡翠神聖金貨』が絶対の共通価値として流通しています。
これは通常の市場取引ではなく、一国家規模の重大な国政決算の際のみに消費される、極めて格の高い最高位通貨となります》
```
……。おい、マジかよ。
ってことは、これまでの国政会議の席でエレインが「今回のマイラス復興支援の予算として、翡翠金貨を数十枚ほど動かします」とか何食わぬ顔でサラッと報告してくれていたあのログ……俺が思っていたよりも遥かに、それこそ大陸のバランスを容易くひっくり返すレベルのとんでもない大金(質量)が動いていたってわけか。
「……ありがとな、本当に助かったよ」俺は脳内で深く感謝した。「俺、これまでの交易会議の席、中身をさっぱり理解してないのに分かったような顔で何度も首を縦に振ってたからな」
```text
《告知。――貴方のその不手際(知性バグ)については、すでに初期段階から完全に把握しておりました。
あえて事前に指摘しなかったのは、私の生存戦略の範疇となります》
```
……。おいお前、わざと泳がせて俺がパニックを起こすのを特等席で眺めてやがったな? 本当に最高にいい性格をしてやがる(白目)。
---
「……よし、もう一つだ」
俺は隣に立つアイヴィーへと向き直り、最後の重要指令を下した。
「アイヴィー、今すぐこの世界の正確な『最新の全体地図(世界地図)』を展開してくれ。これまでの間に合わせのラフスケッチ(略図)なんかじゃない、外の世界の版図までが完璧に描き込まれた、本物の完全版だ」
「御意に、ロード・カイ。直ちに調達してまいります」
アイヴィーはそう美しく一礼すると、次の瞬間には音もなくその場から姿を消した。
しかし、その『直ちに』という実務所要時間は、俺のキャパシティの想定を遥かに超えて引き延ばされることになった――結果として、俺が宮殿の会客室へと足を踏み入れ、押し寄せる大国の賓客たちとの間で慎重な社交辞令(外交)を交わし終え、「流作にあのアイヴィーが、これほど重大なディレイ(大失態)を犯すなんて珍しいな」と内心でヤキモキし始めるまでに、正確に『二時間(一二〇分)』もの時間が浪費されていたのだ。
ようやく彼女が会客室へと静かにエントリーし、その白亜の手のひらに一本の巨大な羊皮紙の巻物を携えて戻ってきた時、その端正な顔立ちには、珍しく微かな申し訳なさそうな色彩が過っていた。
「我が主、重大なディレイの不徳をお許しください。……せっかく世界地図(世界の理)を盤面に載せるのであれば、万に一つの手落ちもない、完全無欠の comprehensive(包括的データ)として構築すべきであると判断いたしましたので」
彼女がその巻物を円卓の上に厳かに広げた瞬間――俺は、流石にその圧倒的なグラフィックの前に、声も出ないほどの衝撃で硬直した。
その地図は、あまりにも途方もなく巨大だった。
大陸の隅々に張り巡らされた主要な交易ルートの因果関係が一本残さず精緻に描き込まれ、俺がこれまでの人生において名前すら一度も耳にしたことのないような、未知なる諸王国、強大なる帝国、そして魔王たちの支配する絶対領域の境界線が、完璧な解像度でチェス盤のようにレジストされていたのだ。
「……これは、凄まじいな。完璧な、本物の世界地図(神業)じゃないか」俺は心底からの感嘆を漏らした。
「ええ、その通りです」アイヴィーはこれっぽっちも謙遜する気配なく、美しい唇を誇らしげな微笑へと歪めてみせた。「何しろ、私は貴方様の『絶対の右腕』なのですから。この程度の成果、当然のステータスですよ、マスター・カイ」




