↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生の向こう側 【The Other Side of Reincarnation / Beyond Reincarnation】  作者: ルーク
壊れた世界(偽りの現実)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/89

第42話:ベリアルが過小評価していたもの

二頭の超越者は、十メートルの間合いを挟んで対峙した。魔王ベリアルは最初、自らは微動だにせず――ただそのエルフの顔立ちに、あまりにも歪で、あまりにも見慣れた、百戦の勝利を戦う前から確信している者特有の不敵な笑みを浮かべていた。


カイは何も語らなかった。その右手は、ただ静かに魔剣の柄へと添えられていた――ドワーフの職人団が精魂込めて鍛え上げ、脳内の『超越知性(トランセンデント・インテリジェンス)』の超常の演算精度と完全融合させた、切断するのではなく『物質がそこに存在するための因果(理)』を根本から解きほぐして無へと帰す、絶対の消去の刃。


ベリアルが放った最初の一突き(オープニング・ルンジ)は、極めてカジュアルなものだった。まるで子供が怯えて縮み上がるかどうかを品定めするような、ただの小出しのテストスワイプ。


だが、カイは微塵も揺らがなかった。魔剣が奴の歯の意匠を施された異形の刃と激突した瞬間、広間には衝撃音すら響かなかった――『忘却の闘技場(ロスト・ワールド・アリーナ)』の絶対の隔離結界が、衝突の音波そのものをシステム的に消去し、ただ二つの切っ先が互いに押し合われ、どちらの格も譲らない異様な静寂だけがその場に鎮座していた。


「ふむ、逃げないか」ベリアルは、自らの退屈を遮るようにして微かな好奇心をのぞかせた。


カイは答えない。彼はすでに、次の因果の軌道へと身体を滑り込ませていた。


---


一振りひと振りの斬撃が、前の一撃(ログ)を遥かにつり越える神速へと跳ね上がっていく。角度はより鋭く、より冷徹に。カイの肉体(ステータス)は、ベリアルのあの力を抜いたカジュアルな防衛網が露呈するわずかな隙間(パターン)に対して、リアルタイムで完璧に適応(アダプト)し始めていた。

五回目の交差が暴発した瞬間、ベリアルの歯の刃がカイの肩口を浅く抉った――しかし次の刹那、カイの『虚無(ヌル)』の衝撃波がノーディレイで強制発動(カウンター)した。ほんの一瞬前までベリアルの首が存在していたはずの空間を、絶対の否定を宿した三日月型の極光波が鋭く切り裂き、大気を融解させる。


魔王ベリアルは、本気で両の眼を見開いた。「おや。貴様、ただのエラー(バグ)かと思っていたが……リアルタイムで自己肥大化を続ける『成長型のエラー』というわけか」


それでもなお、奴の傲慢な前提(ルール)が砕け散ることはなかった。だが、カイは黒幕が自らの過ちをのんびりと修正するための猶予など、一ミリたりとも差し出さなかった。一撃ごとに、魔王の防衛線に対して本気の、剥き出しの全出力を強要していく。


そしてついに、ベリアルの『忍耐』が完全に決裂した――敗北したからではない。ただ、思い通りにチェス盤が動かないことへの、生命としての決定的な焦燥(ハラ立ち)。

奴の胸骨が、メリメリと音を立てて左右へと引き裂かれた。その肉体の内側から、粘着質で飢餓に満ちた『第二の異形の顎(アブソブ)』が這い出、肘の隙間からは第三の顎が牙を剥く。奴の両肩の至る所にどす黒い眼球が狂い咲き、そのすべての視線が、完璧なロックオンの照準となってカイへと固定された。それはまるで、ようやく極上のディナーの席に着いたものの、差し出されたメニューの不快さに激怒している怪物そのものだった。


---


奴は、空間(世界)そのものを喰らい尽くし始めた。

自らの肉体よりも遥かに巨大に肥大化した大顎を突き出し、忘却の闘技場の空間そのものを、まるでドブ川の排水口へと吸い込まれる布切れのようにグニャリと歪めながら肉薄してくる。一噛みごとに、カイの器から何かしらの微小なステータスが掠め取られていく感覚――呼吸するための酸素、温もりの記憶、そして視界から色彩そのものが一瞬にして剥ぎ取られ、世界がモノクロームへと反転していく絶対の飢餓。


だが、カイは一歩も引かなかった。

彼は魔剣を振り抜いた――電撃的な三連続の『虚無(ヌル)』の衝撃波。一振りごとにその侵食範囲(スケール)を肥大化させながら、ベリアルの放った『暴食』の因果関係そのものを、その大顎が閉じるよりも遥かに手前の空間で、根底から unmake(分解清算)していく。


彼の戦闘速度は、もはや直線的な上昇ではなく、乗数的な加速(指数関数的オーバーロード)へと突入していた。足はほとんど地面の座標に触れておらず、放たれる刃は、大気が悲鳴をあげることすら許さない絶対の虚無の軌道を駆け抜ける。一撃がベリアルの歯の魔剣に決定的な『亀裂』を走らせ、追撃の二撃目がその亀裂を粉々に引き裂いて防衛網を破綻させた。


世界の頂点に君臨する魔王が、生まれて初めて、本物の『絶対の圧殺(プレッシャー)』に晒された瞬間だった。


---


奴は絶叫した――苦痛による悲鳴ではない。内に秘めていた全パラメータの完全解放(アンリーシュ)。

ベリアルの肉体は、まるで時間が逆流して開花する地獄の生花のように醜悪に変異し、その傷口から『暴食』の本質そのものがドス黒いヘドロとなって溢れ出した。忘却の闘技場を満たしていた生の魔素が奴の接近だけで強制吸収(ドレイン)され、足元の黒曜石の床はじりじりと融解していく。多すぎる異形の四肢。多すぎる slavering(飢えた)の大顎。かつて頭部が存在していた座標には、今や噛み合う『歯の王冠』だけが不気味に君臨していた。


魔王特有の『超速再生(リカバリー)』の回路が狂気的な速度で暴走を開始し、奴にとって『死(エンド)』などという概念は、ただの安っぽい推奨データの一つへと成り下がっていた。奴の猛攻の戦速はさらに跳ね上がり、カイの自己適応のシミュレーション能力を遥かに置き去りにして肉薄する――振り下ろされた絶望の一振りが、一瞬にして広大な大顎へと変異し、一瞬前までカイが立っていた大地の座標を丸ごと『喰らい尽くした』。そこに残されたのは、抉られた土塊などではない。世界の現実の数式にぽっかりと穿たれた、完全なる『世界の底抜け(虚無の穴)』だった。


カイは大きく後方へと退避し、この戦いが始まって以来初めて、完全に防戦一方(ディフェンス)の死線へと追い込まれていた。何重にも複合されたベリアルの異形の喉から、平然と世界の天井を鼻で笑うような狂気的な嘲笑が轟き、忘却の闘技場の全空間を激しく震動させる。


「その調子だ! 精々足掻き、逃げ惑い、自己適応(アダプト)してみせろ! 貴様は絶望して死に物狂いになっている時が、一番美味そうな極上の素材(メニュー)なんだからなぁ!」


---


――だが、カイ(俺)の両の眼は、ただの一瞬たりとも奴の全モーション(ステータス)をトラッキングすることをやめていなかった。

奴のすべての一挙手一投足、過剰すぎる暴力の無駄、そして自らの絶対の力を過信して勝利のパフォーマンスを垂れ流しているそのコンマ数桁の『決定的な致命傷(隙)』のすべてを、脳内の超越知性が完璧に逆探知(ロックオン)していたのだ。


俺の姿が、空間から音もなく消失した――単なる空間転移魔法(ゲート・ワープ)なんかじゃない。俺の『虚無(ヌル)』が、その座標の空間そのものを超圧縮(バグフィックス)したのだ。

次の瞬間、俺はベリアルの完全な死角――その異形の背後へと、何の予備動作も雑音も残さずにダイレクトに出現していた。


手のひらを突き出す。その中心から、限界まで超圧縮された絶対の否定を宿した『虚無の槍(ヌル・ランサー)』が爆発的に解き放たれ、ベリアルの背骨の回路を正面から木端微塵に貫通した。そのまま奴の巨体を、融解しつつあった黒曜石の床へと力任せに叩きつける。


直後に暴発したのは、完全なる『存在の清算(デトネーション)』だった――熱量をもたらす火炎でもなければ、物理的な質量による衝撃波でもない。それは、接触したあらゆる存在確率を強制的に引算していく、絶対の『虚無』の連鎖反応(チェーン・リアクション)。

世界から光が、音が、そして『生命の定義』そのものが完膚なきまでに呑み込まれて消去され、その爆心地からは、どす黒い煙の代わりに、完全なる『無( absence )』によって形成された、山をも遥かにつり越える超巨大な絶望のキノコ雲が、虚無の天界へ向かって静かに、静かに立ち昇っていくのだった。


『忘却の闘技場(ロスト・ワールド・アリーナ)』の空間そのものが、その凄絶な存在の清算(デトネーション)の質量の前に激しく戦慄いた。


だが、漆黒の「無(ヌル)」の煙がようやく晴れ渡ったその時、魔王ベリアルは不気味にその身体を捩りながら、なおも立ち上がってきた――満身創痍。半数の大顎は完全閉鎖(フリーズ)され、一本の異形の肢体は肉塊と化して機能していない。それでも奴は、本心から愉しそうに、粘着質な笑い声を響かせた。


「貴様……本当に、大真面目にチェス盤を動かしているのだね?」


ベリアルは残された四肢を歪に広げ、醜悪な肩をすくめて見せた。

「大人しく諦めて、私に『吸収(アブソーブ)』されるがいい。この世界に、これ以上の不条理なエラー(バグ)は必要ないのだからな」


カイ(俺)の声は静かだった。か細い弱さなど微塵もない。極限まで自制され、冷徹にコントロールされた言霊。


「もし、この世界にバグが必要ないって言うなら……」

俺は魔剣の柄をさらに強く握り締めた。ドワーフの鍛え上げた究極の刃が、手のひらの上でじりじりと波動を高めていく。

「……俺には、俺みたいなエラー(バグ)を必要としてくれている『本物の身内』がいるんだよ」


一瞬の間。忘却の闘技場そのものが、息を呑んでチェス盤の行方を注視しているかのようだった。


「お前のせいで、あいつらのうちの三人が理不尽に清算された」


ベリアルの無数の大顎がグニャリと歪んだ――同情などではない。底知れぬ愉悦(嘲笑)。奴は喉の奥から、下劣な笑い声を漏らした。

「おや? なるほどね。通りであの出来損ないのトカゲ(エンゾ)や、無能な悪魔(アイヴィー)が死に物狂いで牙を剥いてきたわけだ。あいつら、かつて我が猟犬どもに無残に清算された『あの二人の人間』の残骸に、未だにそんな安っぽい未練を引きずっていたというわけか」


カイの表情は動かなかった。少なくとも、その一瞬の間は。


だが、次の刹那――世界の気候(プレッシャー)が、決定的に反転した。


「……お前は今、誰のことを言っている?」


---


ベリアルは狂ったように笑い転げた。全身のありとあらゆる大顎が同時に、剥き出しの強欲(ヘイト)を解き放って嘲笑する。そのあまりにも不快な破滅の音波は、闘技場の絶対隔離結界のロジックすら力任せにねじ曲げて、空間全体へと轟き渡った。


「まだ気付いていなかったのかい? 貴様の『親』のことだよ、当然だろう!」


完全な、水を打ったような静寂。

それは先ほどまでの闘技場のシステム的な無音などではない。宇宙そのものがその因果関係を完全停止させ、すべての時間が硬直したかのような、本物の『絶対零度の静寂(しじま)』だった。


遥か上空の虚空からチェス盤を見下ろしていた魔王ニクサラが、小さく、重苦しい溜息を吐いた。彼女は声を張り上げなかった。その必要すらなかったからだ。


「……ベリアル。私が貴方の立場なら、今の言葉だけは絶対に盤面に載せたりはしなかったわよ」


カイ(俺)の精神領域の最奥、言葉という概念すら久しく到達していなかった深淵の底で、何かが決定的に、かつ不可逆的に『暴発』した。


---


《緊急告知。個体名:カイの精神殻(ソウル・シェル)に完全な融解を確認。――これより、魂の最奥に封印されていた『虚無(ヌル)』の固有魔素を、システム限界値の『二%』まで強制解放(ドレイン)します》


脳内の超越知性の冷徹なシステム音声が響き渡った。

だが、カイの覇気(魔力)はもはや燃え盛ることすらしていなかった。それは一瞬にして、天地を割る絶対否定の『漆黒の極光柱』となって爆発的に噴出したのだ。その圧倒的な質量は、闘技場の凍りついた黄昏の虚空を、主のいない全天を、そして魔王ニクサラが自らの権能の元で完璧に構築したはずの絶対結界のフレームワーク(理)そのものを、文字通り木端微塵に叩き割って貫通した。足元の黒曜石の床には狂気的な亀裂が走り、一瞬ごとに空間の因果関係が粉々に破綻(クラッシュ)していく。


彼の両の眼から人間的な色彩が完全に消失し、代わりに底知れぬ「虚無の零度(紫色の極光)」が完璧にその瞳を上書きしていた。閉ざされているのではない。ただ、彼が見つめた座標のすべての存在確率が、その視線と接触した瞬間にシステム的に自動消去(バグフィックス)されていくのだ。


彼はもはや、激昂(怒り)という生ぬるい感情の枠組みすら通り越していた。怒りではない。それは完全なる『消滅の執行(エレイジャー)』。感情そのものが、彼の器を暴走気味に駆け巡る圧倒的な虚無の神威によって喰らい尽くされていた。彼は思考しなかった。戦術(プラン)も練らなければ、自己適応(アダプト)すら必要としない。


今の彼自身が、世界の『絶対法則(システム)』そのものだった。ただ無へと帰すためだけに指向性を与えられた、本物のバケモノ(エラー)。


ベリアルは、自らの壊れた本質(強欲)のまま、その最後の瞬間まで傲慢な笑みを崩すことなく突撃してきた。歯の魔剣を高く掲げ、全身のありとあらゆる大顎から狂気的な暴食の咆哮を解き放つ。己の誇る魔王級の『超速再生』と絶対の本能さえあれば、目の前の不条理なバグなど力任せにアブソーブして生き長らえることができると、最期まで盲信していたのだ。


奴が動いたのは、コンマ数桁の一瞬の間(タイム)。

対するカイ(俺)の魔剣がその因果の軌道を駆け抜けたのは――ディレイ『ゼロ』の領域だった。


---


*――スゥッ。*


魔剣の刃は、何の一切の質量抵抗も、大気の悲鳴すら残さずにベリアルの喉元を完璧に通過していた。衝突の衝撃音すら世界に届かない。この世界に実在してはならない絶対否定の二%をチャージされた『虚無(ヌル)』の魔剣は、ただ単に、「奴の首が胴体に接続されている」という世界の前提(ルール)そのものを、根底から unmake(分解清算)したのだ。


奴の異形の頭部が、身体から静かに離脱した。

その顔面に張り付いていた表情――これまでに他者から掠め取り、蓄積してきた無数の歪なステータス――は、一瞬にしてただ一つの『驚愕』へと収束していった。恐怖ではない。それはただ、最上のディナーを注文したはずなのに、差し出された皿の上に完全なる『忘却( oblivion )』だけが鎮座していた時の、哀れなバケモノのフリーズだった。


だが、カイの牙は止まらなかった。

固有能力『捕食・吸収(アブソーブ)』が完全発動する――統制された技術などではない、魂の底から湧き上がった本能の飢餓。魔剣の刃が、ベリアルの抱いていた『暴食』の権能を、その『超速再生』の回路を、魔王としてのすべてのステータス(特権)を、そしてかつて彼を彼たらしめていた魂の本質のすべてを、カイの怒りが今なお激しく燃え盛る虚無の深淵の底へと、残さずダイレクトに強制侵食(ドレイン)していったのだ。これまでの生涯において、ただの一度も満たされることのなかった魔王の終わりのない『飢餓』は、ここにきて、完全に『終わり(清算)』を迎えた。


ベリアルの残骸は、もはや意味を成さない不均等な記号(バグ・データ)へと融解し、カイがその器の内に最初から宿し続けていた、あの剥き出しの『無』の彼方へと融けて消え去った。


闘技場の狂気的な空間震動が、ピタリと停止した。

後に戻ってきたのは、完璧な、そしてどこまでも深い本物の『静寂』だった。それは、あまりにも騒がしく世界を引っかき回し続けていた一つの巨大な大悪が、ついに、本当の意味でチェス盤の上から完全に消去された後に訪れる、絶対の平穏だった。


---


魔王ニクサラはゆっくりと虚空から舞い降り、自らの構築した絶対隔離結界に刻まれた凄絶な破損ログ(傷痕)を、そしてかつて魔王ベリアルという絶対の格が存在していた主のいない空虚な座標を、そしてたった今、ただの一度の temper tantrum(感情の暴発)の元に世界の頂点たる魔王を完膚なきまでに踏み潰してみせたガキの姿を、品定めするようにしてじっくりと見つめた。


「……ベリアルは、昔からちょっと喋りすぎる悪癖があったからね」

彼女は一瞬だけ足を止め、自らの美しい首を小首をかしげるようにして傾けた。そのいつもの悪ふざけめいた微笑の最奥に、本心からの、隠しきれないほどの深い『驚愕と賞賛』の光を宿らせて。

「だけど貴方……本当に、これから先の歴史を特等席で観測するのが、心底楽しみになるほどの最高のおもちゃ(特異点)ね」


カイ(俺)はその言葉に対していっさいの回答(ログ)を返さなかった。

彼の両の眼の奥から、世界を焼き尽くさんばかりだった紫色の極光がゆっくりとクリアに晴れ渡っていき、ドス黒い殺意の波立ちが引いた後には、ただ冷徹で、静まり返った確固たる『覚悟(芯)』だけが残されていた。彼は自らの魔剣の刃――未だに手のひらの上でかすかにハミングを続け、その最奥で新たな魔王の格をチャージして飢餓を覗かせているその刃を見つめ――静かに、音もなく鞘へと収めた。




------------




魔王ベリアルの完全消去が完了した直後、カイ(俺)の全身を耐え難いほどの圧倒的な疲弊が襲った。それは眼前の戦闘による肉体的な疲労などではない――己の皮膚の内側、魂の最奥において、これまで体験したことのない途方もなく巨大な『因果の再編(エラー)』が急速に始まりつつあることへの、本能的な重圧(プレッシャー)だった。


《告知。対象の魂の系譜内において、個体名:魔王ベリアルより強奪した『魔王種(デーモンロード・シード)』の完全定着を確認しました》


魔王種、だと……?


そのプロセスを上空から狂気的なまでの関心を持って凝視していた魔王ニクサラが、その美しい唇を歪な笑みへと歪めた。「ふふ、実に興味深いわね。貴方って子は、本当にどこまで行っても私の想定(ルール)を上書きしてくれる特異点(オモチャ)だわ、カイ」


《告知。これより、個体名:カイの『魔王への進化(魔王覚醒)』の一次シーケンスを開始します》


脳内の『超越知性(トランセンデント・インテリジェンス)』の冷徹なシステム音声が響き渡ると同時に、カイの身体から覇気が怒涛の波となって噴出し始めた。それは彼自身の意志では到底コントロール不可能な、魂の格そのものの強制的上書き(リビルド)。彼の両の眼の奥から、自分自身のものではない超常の極光がじりじりと漏れ出し、空間を侵食していく。アイヴィーはその圧倒的な覚醒の前に驚愕の面持ちで見つめており、隣のエースは、ただ一歩も動くことなくその場に硬直していた。


今まさに、自分たちの目の前で、まったく新しい『魔王』が産声を上げようとしているのだ。


---


《告知。魔王覚醒の一次シーケンス、滞りなく完了しました。――引き続き、対象が保有する一万五千以上の人間および魔王軍の『生魂(ソウル)』を完全消費し、真なる魔王(覚醒魔王)への二次進化シーケンスを始動します》


闘技場の幾何学空間の中に、無数の未知なる紋章(ステータス記号)が舞い踊り始めた――それは世界の最古の記憶のログにすら存在しない、完全なるバグの神聖文字。それらは凄まじい速度で回路を形成し、見る者がその正確な絶望をトラッキング(視認)するよりも早く、点滅しては次の因果へと融解していく。


《真なる魔王への二次進化、完全成功(クリア)しました。――これより、現在の種族格『高位混血種(ハイ・ハイブリッド)』のコアと、たった今覚醒した『真なる魔王(トゥルー・デーモンロード)』のコアの、システム限界値での『強制融合(フュージョン)』を開始します》


《……融合完了。――個体名:カイ。既定の全階梯を蹂躙し、超位複合種『魔竜公(ドラコニック・デーモン)』への特殊進化シーケンスへと突入しました》


その直後、カイの身体を包み込むようにして、幾重もの魔力の回路によって編み上げられた巨大な『繭(コトゥーン)』が具現化した。白熱し、七色の極光を宿したその繭の周囲には、これから数週間の時間をかけて誕生するであろう未知の怪物の産声を封印するかのように、絶対の封印(シール)のルーンが幾重にも張り巡らされていく。


世界で最も年老いた存在であるニクサラでさえ、今やその空間に満ちていくカイの気配(ステータス)を、本物の畏怖の中で正しく『観測』していた。それは、彼女の気の遠くなるような長寿の歴史の中でも、ただの一度として遭遇したことのない、世界の理を根底からバグらせる圧倒的な超越者の誕生の気配だった。彼女の顔に、本心からの、純粋な歓喜の微笑みが広がる。


「貴方、本当に……最高にイカれたバケモノ(特異点)に成り果ててくれたわね、カイ」


---


白熱する繭が、まるで一つの巨大な心臓のように、ドクンと重厚な鼓動を刻んだ。


《世界の全音声(ワールド・アナウンス)――コバヤシの譜系に連なる全個体へ緊急告知》

脳内の超越知性の声は、距離という概念の制限(バグ)を完全に無視し、ホライゾンクレストの連盟に属するすべての Named 幹部たちの精神領域へとダイレクトに強制転送された。

《主、個体名:カイは、これより『魔竜公(ドラコニック・デーモン)』への最終進化の待機フェーズ(眠り)に入ります。進化完了までの想定所要時間:およそ『百六十八時間(一週間)』。分換算にて一万八十分。秒換算にて六十万四千八百秒。――以上》


遥か彼方のホライゾンクレストの本国において、戦場から還ってきたばかりのエリスやエレイン、そして幹部陣の全員がその絶対のログ(音声)を同時に受信していた。戦闘が始まって以来、彼らの胸を締め付け続けていたあの過酷な焦燥感(不安)が、一瞬にして本物の安堵へと反転していく――理由はさっぱり分からんが、とにかく、俺たちの主は生きて還ってくる。それだけは、厳然たる事実(ステータス)として確定したのだから。


---


こうして、ニクサラとエース、アイヴィーの三人は、主の眠る繭を携えて我が家への帰路(ワープ)についた。アイヴィーは自らの名付けによって覚醒した新たな固有結界『宵の明星(ヴェスペラ)』を発動し、一切の外部干渉をシャットアウトする絶対の防衛壁で繭を完璧にホールドすると、自ら空間を引き裂いて開いた霧の門(フォグ・ゲート)を通じて、音もなくホライゾンクレストの本国へと帰還した。


彼らが正門の座標に跳んだ時、そこにはすでに、幹部陣の全員が息を切らせて待ち受けていた。エリスとエレインは、光の粒子の中から繭が姿を現した瞬間、その最奥で静かに眠るカイの生存パラメータ(気配)を確認し、猛烈な速度で前方へと駆け寄った。


「……これより始まる時間は、我が国の歴史において最も重大な絶対防衛期間(タスク)となるぞ」

古竜公エンゾが、その美しい顔立ちのまま、いつになく真摯で厳かな声音で告げた。


「その通りよ」ニクサラも深く同意する。


エレインは即座に、たった今手に入れたばかりの固有能力『創生之王(ジェネシス)』の権能を全開にした。わずか一時間もしないうちに、正門の周囲の大地がメリメリと音を立てて隆起し、繭を完璧に隔離・保護するための壮麗な『聖堂(シェルター)』が瞬時に無から創生(リビルド)されていった。アイヴィーはその最奥に位置する特等室の玉座へと、カイの繭を慎重に配置した。幹部陣の全員がその周囲をぴったりと取り囲み、ゆっくりと、しかし確実に脈動を続ける黄金の極光の鼓動を、固唾を呑んで見守り始める。


「あの子が目を覚ますまでの間、全員、文字通り自らの命の全パラメーターを賭けてこの繭を死守しなさい」

ニクサラのその命令に対して、その場にいた我が『コバヤシ家』の全員が、一片の躊躇いもなく、絶対の忠誠(コミット)の頷きを返したのだった。


「あの子が目を覚まして、私の行方を聞いてきたらね」

ニクサラは不敵な笑みを浮かべ、空間を裂いて跳ぶ間際に付け加えた。

「残された魔王たちと『不干渉の不可侵条約』の帳簿を正しく清算しに行ってくる、と伝えてちょうだい。ベリアルの玉座は今や空席よ。そこへ腰掛けるのは他ならぬカイだわ。その絶対の現実を、他の連中の凡庸な脳内に完璧に叩き込んであげるから」


---


それからの数日間は、表向きはこれまで通りの穏やかな日常(ルーティン)のように過ぎ去っていった――しかし、大国マイラスの完全消去と魔王ベリアルの滅亡という未曾有の特異(バグ)は、すでに大陸全土へ向けて凄絶な地鳴りのように響き渡っており、外の世界の諸大国は、生まれて初めてホライゾンクレストの存在を『最悪の脅威』として正しく自覚しつつあった。


その週のうちに、**『オーレンガード王国』**の公式使節団と、周辺国家を束ねる**『諸公ギルド(ギルド・オブ・プリンシパリティーズ)』**の監査官二名が、ホライゾンクレストを直接品定めするために国境へと直撃してきた。

彼らが正門前で最初に対峙したのは、留守番を指定されていた古竜公エンゾと、粛々と行政管理を行っていたアイヴィーの二人だった。監査官たちの脳内回路は、瞬時に驚愕のパニックを起こしてフリーズした。


「ず、罪痕魔(シン・マークト)と……それに、風竜族(ウィンド・ドラゴン)だと……!?」

使節団の一人が、目の前の圧倒的な格(パラメータ)を信じられないといった面持ちで戦慄いた。「よりによって、こんな未開の地にか!?」


「私は風竜などという凡庸なトカゲではない」

エンゾは自らの格を安っぽく分類されたことに、至極不機嫌そうにジト目を向けた。「言葉を正しくバグフィックス(訂正)しろ」


「な、ならば貴様の真の種族名は……!?」


「『古竜公(エルダー・ドラゴン)』だ」エンゾは平然と言い放った。「そして、隣の彼女は……おそらく今の格で言えば『魔王級(デーモンロード)』だろうな」


アイヴィーは質問した男を一瞥すると、完璧な所作のまま何食わぬ顔で歩み去った。「……まぁ。言葉の定義すらまともに扱えない、哀れな観察力(竜族)ですね」彼女は誰ともなく虚空に向けて毒舌を漏らした。


---


エレインは突発的な外交処理(ネゴシエーション)を、ホライゾンクレストの急激に拡大する行政実務班を完璧に指揮しながら、極めてビジネスライクな手際で片付けていった。

一方、エリスとエースの二人は、黎明の聖堂の最奥に鎮座する白熱の繭(コトゥーン)の傍らを一歩も離れることなく死守し続けていた――特にエリスは、自らの身体の本能(センサー)のすべてを主の生存パラメータへ固定し、張り詰めた忍耐の糸を限界まで維持していた。その横顔には、誰の眼にも見せない凄絶な覚悟が据わっていた。


オーレンガードからの使節団――カシアン・ヴェル、リオラ・ヴェイン、テオ・マルシェット。そしてギルドの監査官たるブラスコ・サンダーとミラ・トールマン。

さらに驚くべきことに、あの未亡人ロザリーが大陸中に張り巡らせた独自のマーケティング・ネットワークを通じて、大国**『ロシャン帝国』**の宮廷貴族たちまでもが国境へと打診を始めていた。ある者はホライゾンクレストの格を上から目線で品定めするため、ある者は新たな『友好国』としての生存戦略を構築するため、そして大半の者は、この場所に眠る莫大な実利的価値(交易)に群がるためだ。


同じ週、エレインの指揮の元で最高品質の『特級回復薬(ポーション)』の量産体制が完璧に始動し、ボルガ率いるドワーフの職人団からは、地上の大国が一生をかけても鋳造できないほどの超常の武器・防具が次々と叩き出されていた。未亡人のロザリーは、自らの天性の権謀術数を全開にして、その大陸規模の広告と外交販売(セールス)のタスクを面白いくらいに片付けていった。


---


一方、大国アッシュフォードの宮廷では、国王アルリックがホライゾンクレストへ直々に『親征(来訪)』すべきか否か、チェス盤の天秤を激しく揺らしていた。

本国評議会の席において、聖教会の最高司祭セルウィンと並んで出席していたソフィアは、自らの真っ向からの誠実な証言(ロジック)を堂々と述べてみせた――カイという少年は、その根源において、戦争や略奪といった無法には一切関心のない、ただまっとうに仲間と生きる場所を求めているだけの『普通の人間』であるという、不都合な真実。

国王は長い逡巡の末に、ついにその正論を完全承認(コミット)した。ソフィアとセルウィンの二人の最高幹部を護衛に伴い、自らホライゾンクレストへと外交の足を進めることを決断したのだ。


その報せは、精霊召喚の絶対の歴史を誇る**『スレイクス王国』**へと、そして大陸の東方に位置する大魔導組織**『陰陽Order』**へと直撃した。

その組織の頂点に君臨する最高指導者であり、かつて前世においてカイと同じ日本(ジャパン)のログを持っていた男――**小野和彦(カズヒコ・オノ)**は、『コバヤシ』という懐かしい名前を耳にした瞬間、その端正な顔立ちにふと不敵な笑みを浮かべた。


「……ほう」彼は誰ともなく、物静かに呟いた。「よもや、こんなチェス盤の斜め上の座標から、私と同じ同郷のバグ(特異点)が這い出てくるとはね。実に面白い」


---


その頃、世界の狭間では、魔王ニクサラの指先一振りによって再び『虚無の円卓(ホロウ・テーブル)』の会議が強制招集されていた――ただし今回ばかりは、彼らの最高戦力であり最強の魔王であるヴェリスの姿は、意図的にチェス盤の上から排除されていた。

彼女は退屈なプレアンブル(前置き)を一切省き、いつも通り直球に本質を盤面へ叩きつけた。


「……珍しいわね、貴方が自分以外の存在を、本物の『魔王(同格)』として正しく承認(コミット)するなんて」

女性の魔王の一頭が、その知性的な瞳を細めて観察を述べた。


「そこまでして貴方が執着するそのバグ(ガキ)には、それほど特別な構成要素(パラメータ)でも眠っているというの?」別の魔王が重ねて問う。


「ええ、その通りよ」ニクサラは極めてシンプルに断言した。「貴方たちの想像力を遥かに蹂躙するほどの、極上のオモチャ(深淵)よ」


彼女の実の妹である魔王アエリアナからは、一切の異議申し立て(抗議)は出されなかった。「私は貴方の出した生存戦略(プラン)に不満は無いわ、お姉様。どっちにしろベリアルの野郎がチェス盤から完全に清算(死亡)した以上、誰かがその空席の玉座を上書きしなきゃならないルールだものね」


最強の魔王ヴェリスの不在というパワーバランスの現実論の元に、魔王たちの盟約は一瞬にして完全承認された――カイが、魔王ベリアルの正当なる後継者として、世界の天辺の一角へと正式に就任(チェックメイト)したのだ。


---


そして、カイの『魔王竜公への最終進化』が完了し、彼が目を覚ますはずの運命の最終日――ホライゾンクレストの幹部陣の誰一人として、その脳内シミュレーションの想定にすら入れていなかった、最大最悪の超常のバグ(大厄災)が突如として頭上へと直撃した。


この世界に未だ生存している二頭の『始祖竜(真なる竜)』の一頭が、彼が最も無防備で、最も脆弱な待機フェーズにあるその瞬間を狙って、直接の『完全消去(殺戮)』を執行するために降臨したのだ。


奴の名は、**ヴァルレス――『虚空竜(ボイド・ドラゴン)』**。


彼は人間の青年の形態(アバター)を模倣し、何の一切の予備動作(前触れ)もなくホライゾンクレストの上空へと突如として出現した。地上へ向けて直接アプローチを仕掛けるような生ぬるい真似はしない。ただそこに、厳然として『存在』してみせたのだ。

次の瞬間、彼が放った世界そのものを押し潰すほどの絶対の覇気(神威)の前に、ホライゾンクレストの全領域の空間、大地、生命の思考回路のすべてが、恐怖すら通り越してリアルタイムに凍りついた。


```text

《緊急警告。世界最高位パラメータ『始祖竜:ヴァルレス』の出現を検知。

 対象による絶対固有領域『完全なる虚無(アブソリュート・ボイド)』の展開を確認しました。

 当該テリトリー内の全事象、因果律、およびシステムシステムは強制停止(フリーズ)されます》

```


地上のNamed幹部たちがその絶望の質量を正しく脳内で処理するよりも早く、古竜公エンゾと、魔王級アイヴィーの二頭の最高戦力が、自らの魂の限界を置き去りにして音もなく空間を裂いて跳んだ。

ヴァルレスが「敵が間合いを詰めた」と正しくログを認識するよりも早く、二人は始祖竜の左右のデッドスペースへとダイレクトに直撃していた――アイヴィーの指先は、すでに絶対の殺意(覇気)を凝縮させた超高密度の魔力刃へと成形され、エンゾの魔剣からは、世界を消し炭にするほどの超高出力の熱光線波(レーザー)がフルバーストで解き放たれる。


――しかし、虚空竜ヴァルレスは、その二つの世界の天井を叩き割るほどの猛攻を、ただの一瞥(ノーディレイ)で完璧に受け流してみせた。


彼が片手を厳かに掲げたその刹那、ホライゾンクレストの全領域は、完全なる『絶対虚無(アブソリュート・ボイド)』の深淵へと呑み込まれていった。そこは、始祖竜自身の身勝手な意志(ルール)以外のあらゆる既定の魔法法則、因果、システムが一切作動しない、神の領域の処刑場。


全員の身体が、完全に機能停止(フリーズ)した。

エンゾも。アイヴィーも。聖堂の最奥で繭に寄り添っていたエリスも。隣に佇んでいたエースも。我がコバヤシの譜系の誇る最強の執行者たちの全員が、ヴァルレスという絶対の天災の意志にしか従わない異様な現実の前に、ただの一ミリの微動だにできず、物言わぬ人形のように空間ごと硬直(ロック)させられていたのだ。


始祖竜はゆっくりと、何の一切の焦りもなく天界から舞い降り、俺の眠る黄金の繭に向かって、冷徹な足取りで歩みを進めた。

だが、彼がその片手を繭のパラメータへと伸ばし、完全消去を執行しようとしたその刹那――繭の周囲に完璧に展開されていた、アイヴィーの固有結界『宵の明星(ヴェスペラ)』の絶対防衛線が猛烈な反発を起こし、始祖竜の豪腕を力任せに外部へと弾き返したのだ。


虚空竜ヴァルレスは、その絶対の無音の中で初めて、本心からの、純粋な『驚愕』の表情を浮かべて自らの手のひらを見つめた。自らが構築したはずの『絶対虚無』の檻の中で、なおもシステム的に自動判定(バグフィックス)を拒み、自らのルールを上書きして脈動を続けるそのバグの繭の強度を、ただ声も出ないほどの畏怖の目で凝視しながら。


「他愛もない」彼は事も無げに言った。「力任せに噛み砕くだけのことだ」


彼が再びその豪腕を伸ばした。今度ばかりは彼自身の保有する最高位権能『絶対統制(アブソリュート・コントロール)』の数式が展開され、結界の防衛ルールそのものを書き換え、それを完全に無効化(デアクティベート)した。

奴の指先が、直接黄金の繭の表面へと接触する。


《緊急告知。対象の『進化睡眠フェーズ』に対する外部干渉を検知しました。――防衛回路を最大展開。絶対否定『虚無の障壁(ヌル・バリア)』を強制始動します》


虚空竜ヴァルレスは一歩後退し、自らの前に実体化したこの未知なる障壁を、純粋な好奇心の瞳で見つめた。先ほどアイヴィーの結界を容易く破綻させたあの『絶対統制』の因果律を再び叩きつける。――だが、今度は作動しなかった。「無(ヌル)」という名の不条理は、それが他者のルールによって書き換えられるという前提そのものを根本から拒絶し、微動だにしなかったのだ。


「あの日に、貴様を完全に清算(抹殺)しておくべきだったな」

ヴァルレスは物静かに、しかし最終的な引導を込めて呟いた。「お遊びの時間は終わりだ」


彼の手のひらに、一振りの破滅の魔剣が形を成した。彼はそれを力任せに前方へと突き立て、『虚無の障壁』の抵抗の数式を強引にへし折りながら、黄金の繭の最奥へとその切っ先を直撃させようと肉薄する。


――だが、その刃が繭に届く瞬間は、永久に訪れなかった。


なんの空間の予備動作(前触れ)もなく、魔王ニクサラが奴の背後へと突如として出現したのだ。彼女の放った刃は、すでに始祖竜の喉元へと完璧に固定されていた――わずか一インチでも身じろぎをすれば、その瞬間に始祖竜の命の系譜(格)ごと完全消去される絶対の死線。


「私の新しい『玩具(オモチャ)』を傷つけてみなさいな」

彼女の身体から漏れ出す覇気(魔力)が、もはや自制の限界を超えて狂気的なまでに大気を引き裂いていた。

「その瞬間に、お前の精神領域の因果関係ごと、この世界から完璧に清算してあげるわ」


---


虚空竜ヴァルレスは、完全にその場に凍りついた。彼の精密な知性回路は、自分が完璧に支配し、すべての因果を強制停止させていたはずの『絶対虚無(アブソリュート・ボイド)』の檻の内部へ、一体全体どうやってあの女が何のシステム検知もされずに侵入(エントリー)してきたのかという、あり得ないバグ(不条理)の前で激しくショートしていた。


彼はゆっくりと、魔剣を構えから下ろした。


「……随分と久しぶりだな、第五位(ニクサラ)」


彼女はその挨拶に対して、直接の回答(ログ)を返さなかった。ただ、奴の喉元から静かに刃を引くと、このテリトリーから今すぐ立ち去るよう冷徹に告げた。


「私を殺さないのか?」ヴァルレスが訊ねる。


「お前なんかには、これっぽっちも興味はないわよ」彼女はあっさりと吐き捨てた。

「私が唯一関心を持っているのはカイだけだし、あの子自身、お前たちに対して正しく突きつけなきゃならない『帳簿の清算(復讐)』を胸に秘めているわ。今この瞬間にお前をブチ殺すことなんて赤子の手をひねるより容易いけれど、あの子の極上のエンターテインメント(お楽しみ)を私が無粋に横取りするわけにはいかないもの」


だが、奴が本当に空間の彼方へと立ち去ってしまう前に、ニクサラは最後にもう一つだけ、ずっと天秤にかけていた重大な疑問の答え合わせを求めた。

「……一つ教えなさい。お前たちはなぜ、自分たちの実の妹を殺したの? ――カイの『母親』だった、あの女を」


---


「……あの女は、悪魔風情と本心から恋に落ちたのだ」

ヴァルレスはフラットに、一切の感情を削ぎ落とした声音で言い放った。

「悪魔と交わり、あのような醜悪なハイブリッド(忌み子)をこの世界に這い出させたのだ。その罪の重さを思えば、『死』による清算すら生ぬるいほどの大罪(エラー)だ」


「お前も、お前の兄の野郎も、昔からその都合のいい大義名分(言い訳)ばかりを盤面に並べ立てるわね」

ニクサラの知性的な瞳が、底知れぬ嘲笑を帯びて奴を射すくめる。

「本質は、ただ彼女の圧倒的な『格(強さ)』に対して激しい嫉妬(ヘイト)を狂わせていただけでしょう? 貴方たちの実の妹は、かつて世界を混沌の渦へと陥れた**『混沌竜(カオス・ドラゴン)』**――私の記憶が確かならば、混沌と破壊を司る絶対の神格だったはずよ。お前たち二頭の始祖竜はおろか、その上に君臨するお前たちの実の兄貴(長兄)すら遥かに凌駕する、絶対最強の個体だったものね」


ヴァルレスの表情が、見るに耐えないドス黒い憎悪へと上書きされていった。「……その通りだ。嫉妬だったのかも知れんな。我ら兄弟は最初からあの女を謀殺し、その器の底にある『核(コア)』を強奪して、自らが次なる階梯へと至るための『進化の黄金種(ゴールド・シード)』を獲得する生存戦略を共有していた。……だが、あの女は八十年前、自らの核の半分を消費して、他ならぬ第八位(魔王)を封印するという想定外のバグを犯しやがったのだ」


「あぁ」ニクサラの脳内で、いくつかの散らばっていたピースが完璧に噛み合った。「それで、あの男のログが世界から一時的に消失していたわけね。とっくに忘れていたわ。だけど、残された半分の核を使えば、黄金種(シード)の獲得には十分だったはずでしょう?」


「残された半分の核は、もうあの女の器の中には残されていなかったのだよ」

ヴァルレスは吐き捨てた。「あの女は、死の直前に、自分が今まさに庇護しているあのガキの魂の底へと、自らの核を丸ごと移植(チャージ)しやがりたのだ。我らが最初からあのガキの命を狙っていた真の理由はそれだ――奴の器から、あの混沌の核を正しく『抽出(ドレイン)』するためにな」


「やはりね、だいたい予想していた通りだわ」ニクサラは微笑んだ。「どうりで、あのガキの器の底から、私の知っているあの女の残滓(パラメータ)がずっと漂い続けていたわけだわ」


「当然だろう」ヴァルレスが言った。「あの女は、かつてこの世界の歴史において、唯一貴方と正面から『対等のタイマン』を演じることができた本物のバケモノだったのだからな」


彼女はその最高の賛辞に対して、クスクスと朗らかな笑い声を漏らした。「……だったら、あの子の『父親』まで殺した理由はなんだい? あの男、昔から冥界の最上層でずっと戦い続けていて、ろくに実家(地上)にすら寄り付かないような仕事人間だったはずだけど?」


「我らはただ、あの夫婦の系譜ごと、すべてをチェス盤から綺麗に消去(クリア)したかっただけだ」

ヴァンスは反転し、今度こそこの隔離空間から立ち去るための跳躍シーケンスに入った。彼は空間の亀裂に身を沈める直前、最後に一度だけ足を止め、世界のパワーバランスを根本から崩壊させる、最悪の隠密ログを言い残していった。

「……そもそも、我らが『進化の黄金種(ゴールド・シード)』の絶対の力を渇望していた真の着地点はな、この世界のすべてを原初の混沌へとリセットし、再びあの神聖なる**『天地創生戦争(ウォー・ジェネシス)』**を最初からやり直すための、絶対の火力を手に入れることにあったのだからな」


ニクサラの表情から、すべての朗らかな色彩が一瞬にして完全に消失した。


彼女はゆっくりと振り返り、その美しい眼差しの最奥に、世界の終焉を思わせるほどドス黒い殺意を漲らせて告げた。

「……お前、今――」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。