第35話:諸王国が議論したこと
これらは後に、我が領地に届いた外交文書の断片や宮廷の噂話を繋ぎ合わせて発覚した事実だ――外の世界の連中が、この『地平線の頂』を、そして俺という存在を一体どのように品定めし、議論を交わしていたのかという正確な記録である。
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アッシュフォードの惨敗が周知の事実となってからわずか数週間、隣国ヴェラス王国では独自の本国評議会が招集されていた。その議論は綺麗に真っ二つへと分裂しており、後に知ることになるのだが、それは大陸の半数以上の宮廷で繰り返されることになる対立構図そのものだった。
「一国の軍勢を容易く粉砕するほどの『特異点』だぞ」
ヴェラスのある大臣が声高に主張した。
「まっとうな国家であれば、潜在的な友好国として扱うはずがない。アッシュフォードの犯した過ちは『警戒したこと』ではない。『投入した戦力が不十分だったこと』だ!」
「アッシュフォードの過ちは」別の大臣が、より鋭く反論する。
「人間ですらない何者かが仕掛けた『嘘』の上に築かれた、人為的な侵略行為だったという点だ。奴らの出した結論が我々の恐怖心と一致しているからという理由だけで、全く同じ愚行を繰り返すのは避けるべきだろう」
一つの物語に対して、二つの解釈、か。
俺のような規格外の力を前にした時、その連中が元々何を信じたいかによって、見え方は百八十度変わるってわけだ。
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一方、マイラス王国の評議会が抱える議論の重みは、他国とは根本的に異なっていた――彼らの身勝手な魔法実験の失敗がホライゾンクレストの人口急増の引き金になったという事実から来る、強烈な『罪悪感』と『純粋な恐怖』のブレンドだ。
「我々はドワーフの集落を丸ごと一つ追い出したのだ」
マイラスのある貴族がそう熱弁を振るっていたという。
「そしてその集落は今、あの特異点の直接の庇護下にある。もし彼らがその過去の歴史に対して少しでも恨みを抱いているなら、我が国は近隣諸国のどこよりも凄まじい危機に晒されていることになるぞ!」
「ならば」別の貴族が、より静かに提案した。
「賢明な道は『対立』ではなく『和解』だろう。謝罪のコストなど、二の舞になるだけの無謀な戦争の戦費に比べれば、無に等しい」
マイラスの視点からすれば、実にもっともな意見だ。願わくば、その正論が実際の行動に結びついてくれるといいんだが。
だが、あの国のすべての声がその和解案に賛同したわけではなかった――マイラス軍部の一部の派閥は、いかなる非の承認も「容認しがたい弱さの露呈」と見なしており、謝罪とは程遠い、極めて非外交的な『選択肢』を水面下で模索し始めていたのだ。
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その一方で、かつて散り散りになり、同胞たちが単なる避難所ではなく本物の『帰属場所』を手に入れたという大ニュースを咀嚼し終えたエルフの生き残りたちは、圧倒的な『慎重な希望』へと傾いていた――恐怖から交渉するためではなく、ホライゾンクレストが一体どんな場所になったのかを正しく見極めるために、独自の使節団が組織され、こちらへと発破されたのだ。
ドワーフの砦の面々も同様に、静かに独自の打診を始めていた。ボルガ自身が書き送った熱いスカウティングレポートが、彼らの警戒心を解くために大いに貢献してくれたらしい。
いいぞ。恐怖にまみれたデタラメが定着する前に、本物の『真実』の足で世界を追い抜いてやるんだ。
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俺はそれらの情報を一つずつ噛み締めながら、生まれて初めて、自分という存在がどれほど大陸規模の重大な議論の的になっているのかを正しく自覚しつつあった――単なる一過性の噂話でも、遠い地の珍事でもない。すべての王国が、俺たちに対してどう身の振り方を決めるべきか、本気で盤面を動かそうとしているのだ。
俺はこんなこと一切頼んじゃいない。
大陸の半分を巻き込む政治的な疑問符になんて、なりたくてなったわけじゃないんだ。だけど、現実として俺たちはその渦中に立たされている。
《……双方の可能性に対して備え(プラン)を構築すべきです》
脳内の『超越知性』が呟いた。相変わらず短く、削ぎ落とされた新しいシステム音声の響きには、未だ完全には馴染みきれていなかった。
《『同盟』と『継続的な敵対』。そのどちらの結末も、未だ生きた選択肢として盤面に残されています》
あぁ。言われなくても分かってるよ。
俺はホライゾンクレストの広がり続ける街並み(スカイライン)を見下ろした。国境の外側でどんな陰謀が渦巻いていようとも、この町は今この瞬間も拡大し続けている。そして、これから先に来るであろうどんな未来も、俺がこれまで準備してきた以上の、遥かに高度な『外交術』を要求されることになるだろうという、静かで揺るぎない確信が胸にストンと落ちてきた。
どうやら、ただ降りかかる火の粉にリアクションする段階はもう終わりだ。俺自身も、本気で『政治』ってやつのお勉強を始めるべき時が来たらしい。
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これから語ることは、すべての点と点が繋がり、水面下で蠢いていた巨大な陰謀の全貌を俺がようやく看破したずっと後になってから、ようやく繋ぎ合わせた真実の記録だ。当時は本当の『平和』だと信じ込んでいたあの静かな数週間の裏で、俺たちを破滅させるための歯車がすでに回り始めていたという事実を読者諸君に正しく理解してもらうため、ここに書き残しておく。
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魔王ベリアルは、かつてエルフだった――その原初のアイデンティティが、彼を現在の『魔王』たらしめた超常の変質によってどれほど徹底的に喰らい尽くされたかを思えば、その事実を覚えている生者は今や世界にほとんど残されていなかった。
後になってニクサラ自身がその真実を暴いた際、彼女はベリアルのことを『壊れている』と表現した。肉体が損なわれているという意味ではない。何かを『獲得』し、溜め込むこと以外のあらゆる価値を見出すための、生命として決定的な精神の核が粉々に砕け散っている、という意味においてだ。
彼は『虚無の円卓』でニクサラの警告を他の魔王たちと同じように聞いていたが、他の面々とは異なり、その警告が自分には一切適用されないと静かに確信していた。
あの女は「直々に手を出して玩具を傷つけるな」と言っただけだ。ならば、まったく別の手段を用いて彼を『獲得』することについては、何一つ制限などされていないではないか。
「あの少年に関するすべてを洗い出せ」
円卓の会議が散会した直後、ベリアルは自らの直属たる『罪痕魔』の配下に命じた。
「彼の強み、弱み。そして彼に対して敵対するように誘導できる者がいれば、誰であれ利用しろ。本人が自らの意思で動いていると錯覚しているか否かは問わん」
配下の悪魔は一言の疑問も挟まずに一礼し、その場を辞した。主の烙印を刻まれた悪魔特有の、盲目的で絶対的な忠誠の体現だった。
『虚無』の魔素。世界の進化法則を完全に無視し、上書きする超常の力。もし、その本質をこの私が『吸収』することができたなら――。
その思考を、脳内で最後まで完結させる必要すらなかった。かつてエルフだった頃の彼が、一体どれほどの絶望によって粉々に砕け散ったのかは知る由もないが、それ以来、ベリアルの在り方は常にこの種の『飢餓』――獲得、蓄積、そして「今自分が手にしている量では決して十分ではない」という終わりのない焦燥感――の周りを回り続けていたからだ。
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彼は自らの仕掛けた陰謀の突破口を、マイラス王国の宮廷内に潜む「現状の和解路線に不満を抱く軍部の強硬派」という極めて都合のいい駒の中に見出した。彼らは元々こちらに対して明確な敵意を抱いており、自らの衝動に従って暴発するために必要なのは、背中を押すほんのわずかな『甘言』だけだった。
「貴国が誇る栄光が、今まさに危機に瀕しているのです」
ベリアルの放ったエージェントは、真の雇い主の正体を巧みに隠蔽しながら、彼らの耳元で囁いた。
「あの特異点に対して謝罪するなど、国家の『弱さ』を露呈する愚行に他なりません。アッシュフォードの不手際によって失墜したこの地域の『大国のプライド』を取り戻すためには、完璧に計画された電撃的な一撃こそが必要だと思われませんか?」
あまりにも単純な誘導だった。
すでに燻っている怨念に対して、奴らが最も欲しがっている都合のいい燃料を投下し、あとは人間に特有の身勝手な野心に実務的な仕事を処理させるだけだ。
マイラス軍部の強硬派を説得するのに、大した労力は必要なかった。自らの罪悪感の裏返しである防衛本能によって、彼らは最初から、自分の都合のいい主張だけを肯定してくれる言葉に飢えていたのだから。
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ベリアルの構築したプランには、途方もない『忍耐』が必要だった――その壊れた本質と引き換えに、彼が紛れもなく獲得した最大の美徳である。
焦る必要はない。個々で見れば決して単一の黒幕へ辿り着くことのないような、微小な紛争を何度も何度も執拗に引き起こし、あの少年の体力を少しずつ、確実に削ぎ落としていけばいい。彼の注意力を散漫にさせ、焦焦を煽り、その防衛網に十分な『亀裂』が走ったその瞬間に――私自身が直接チェス盤の前に立ち、無防備になったその本質をすべて獲得すればいいのだ。
ニクサラは自らの脅迫だけでチェス盤が固定されたと信じ込んでいるようだが、それは大きな間違いだ。いかなる脅迫よりも、『忍耐』こそが常に最も確実な結末をもたらすのだから。
彼は自らの領地へと引きこもり、冷徹な計算の元に、すでに配置を終えたポーン(歩兵)たちがゆっくりと動き出す様を見つめていた。
マイラス軍部の強硬派から放たれた隠密の暗殺者たち。正規の外交ルートからは決して逆探知不可能なチャンネルを通じて世界中にばら撒かれる、出所不明の流言飛語。あらゆる陰謀の糸口は、決して真の黒幕である彼自身へと繋がらないよう完璧に偽装されていた。
少年よ、次々と襲いかかる試練の前に精々すり減るがいい。すべての脅威が無関係な別個の災厄であると信じ込んだまま、限界まで疲弊するがいい。お前がこの盤面の真の『形』を理解した時には、すべてが手遅れになっているのだから。
カイ(俺)が、自らを試そうとしているすべての災厄の裏で、単一の『巨大な黒幕の手』が静かに糸を引いていることなど疑う余地すら持っていなかったその時――すでに最初の暗殺者たちの刃は、ホライゾンクレストの国境線を目指して音もなく肉薄しつつあった。
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暗殺者たちが現れたのは夜だった。人数は三人。人間の眼だけでは完全に見落としていたであろう暗闇の隠密術を完璧に使いこなす手練れだったが、奴らが俺の私室の目と鼻の先に至る前に、エースの感覚がその超常の接近を捉えていた。
プロの隠密訓練とやらも、人狼族の聴覚の領域の前には形無しだったらしい。
『念話。侵入者だ』エースの声がリンクを通じて脳内に響く。彼はすでに動いていた。『数は三。集落全体ではなく、明確にお前の位置をピンポイントで狙撃しにきている』
他ならぬ俺を狙っている。となれば、これは行きずりの野盗の襲撃なんかじゃない。明確に意図された標的型の暗殺劇だ。
奴らが残りの距離を詰める前に、俺はすでに起き上がって身構えていた。脳内の『超越知性』は、要請するまでもなく、その研ぎ澄まされた新しい本能によって敵の解析を瞬時に完了させていく。
――敵の手際は見事だった。完全に訓練されており、過去に何度もこの種の修羅場をくぐり抜けてきた者特有の、完璧に同調した精密な身のこなし。そしてその刃には、間近に迫る前だというのに、鼻を突く不快な『異質さ』を放つ何かが塗布されていた。
猛毒、か。よりによって『虚無』に対して毒が通用すると本気で思ったらしい。可愛い奴らめ。
俺はまともに剣を抜き放つ必要すら持たなかった。その有毒物質が俺の皮膚に接触した瞬間、俺の『虚無』がその存在自体を根本から拒絶し、刃のコーティングは俺の肌に一切の意味を成すことなく、じりじりと音を立てて虚無の彼方へと霧散していったのだ。
毒の不発を確認してから、戦闘そのものが終結するまでに要した時間は、それ以下だった。数回の精密で統制された斬撃の前に、三人の熟練の暗殺者たちは、わずか数秒でただの『物言わぬ死体』へと成り果てた。
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事態が完全に終わった直後、エリスが剣を抜き放った状態で真っ先に駆け込んできた。すぐ後ろにはエレインも続いている。二人とも完全に迎撃の構えをとっていたが、彼女たちが戦輪に加わる隙すらなく、戦いは幕を閉じていた。
「大丈夫!?」エリスが素早く俺の体を検分する。目立った外傷がないのを確認しつつも、その声音には確かな焦燥が混じっていた。
「あぁ、無傷だ」俺は答えた。「どこの誰が差し向けたかは知らないが、俺には一切効かない毒のために、随分と上質な装備を無駄にしてくれたよ」
「差し向けた誰か、ですか」
エレインがすでに死体の一つに屈み込み、その身元を示すような特徴がないか手際よく探り始めていた。
「特定の王国や組織に結びつくような紋章や身元証明は一切ありません。プロの仕事です。徹底的に足がつかないよう偽装されていますね」
徹底的な偽装。それこそが、俺が本当に警戒すべきポイントだった。単なる突発的な敵意なら理解できる。だがこの襲撃には、明確な『計画性』の臭いがぷんぷんと漂っていた。
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翌朝、俺たちは幹部陣の全員を招集し、昨晩回収した証拠――猛毒の成分、プロの戦闘訓練の痕跡、そして所属を示す情報の完全な欠落――のすべてを盤面に並べ立てた。
「アッシュフォードの仕業ではあるまい」
アーロンが慎重に証拠を吟味しながら、確固たる分析を述べた。
「奴らの残党に、これほど精密で統制された隠密行動を実行するだけの組織力は残されていないはずだ」
「ならば、マイラス王国か」エンゾが提案する。「あの国が抱えている水面下の緊張感を思えば、十分にあり得る話だ」
「可能性はあるな」
俺も同意した。しかし、それでもなお、この状況の全体像には何かが決定的に欠けているような、未だ見えていないミッシング・リンクがあるような違和感が拭えなかった。
「だけど、それだけじゃ『誰が実際に資金を出し、指示を下しているのか』の説明がつかないんだよ。これだけの資源を調達して配置できる奴だ。単なる一過性の地域的な恨みなんかより、もっと具体的でドス黒い理由を持っているはずだ」
これほど単発の小競り合いに見せかけるだけの『忍耐強さ』を持っている黒幕。その忍耐の深さ自体が、大陸規模の危険信号そのものだった。
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「警戒の巡回シフトを増やしましょう」
エレインがすでに実務的な思考で動き始めていた。「集落全体への警戒もさることながら、明確に貴方個人が狙われた以上、主の私室の周囲の警備を最優先で強化すべきです」
「俺個人のための特別な護衛なんて立てなくていい」俺は静かに、しかし断固とした口調で遮った。「我が家はそんな階級制度の上に築かれた場所じゃない。俺たちは全員で、対等にお互いを見守り合ってきたんだ。俺がたまたま『狙う価値のある標的』に指定されたからって、俺だけを特別扱いするのはナシだ」
エリスがそっと手を伸ばし、いつもの慣れ親しんだ仕草で俺の肩を叩いた。
「誰もあんたが私たちより偉いなんて言ってないわよ。ただ、今回の黒幕は明確にあんたの命を執拗に狙っている。それは単なる現実的な防衛策の話であって、上下関係の序列の話じゃないわ」
……なるほど。序列(上下関係)じゃなくて現実的な防衛論だと言われれば、ぐうの音も出ない。
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かくして、俺たちはホライゾンクレストを物々しい戦時体制のキャンプに変えることなく、水面下で静かに警備の警戒レベルを引き上げた。町の生活は、大体においてそれまで通りに回り続けた――日々の訓練、活発な交易、アイヴィーの恐るべき速度での行政能力の開花、そしてエンゾの『古竜公』としての新しい世界の格への静かな適応。
だが、刺客を放った黒幕は必ず二の矢を放ってくるはずだ。これほどの忍耐力を持つ存在が、たった一度の失敗でプランを白紙に戻すはずがない。
《的確な結論です》脳内の超越知性が、短く、冷静に告げた。《継続的な警戒管理を推奨します》
あぁ。言われなくても分かってるよ。この災厄の糸を引いている本当の黒幕が誰であれ、昨晩の襲撃は、奴らが本気で仕掛けようとしている巨大なプランの『ほんの始まり』に過ぎない予感がしていた。
その日の朝の時点では、俺のその不吉な予感が、後にどれほど恐ろしいまでの正論として的中することになるのか、俺自身まだ知る由もなかったのだ。
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第二の猟犬が放たれたのは、それから三週間後のことだった。今度は最初の一撃よりも遥かに巧妙に仕組まれていた――我が領地の流通の要であるコーラの『交易ネットワーク(サプライチェーン)』を通過した、毒物混入の交易物資。もしアイヴィーによる恐るべき精密な監査の網がそのわずかな齟齬を暴いていなければ、それはホライゾンクレストの厨房へとダイレクトに直行していたはずだった。
「積荷目録と、実際の物資の内容物が一致しません」
アイヴィーは机の上に書類を広げ、彼女が万事において発揮するあの冷徹なまでの精密さで淡々と告げた。
「コーラ自身の最終検品が終わった後に、何者かが意図的に出荷記録を書き換えています。つまり、今回の犯人は外側から無造作に狙ってきたのではなく、我々の交易網の『極めて内側』に近い領域へと干渉できるだけの権限、あるいはパイプを持っているということです」
外側ではなく、内側。――それは、笑えないほど不穏な事態のエスカレートだった。
「コーラの組織の内部に、裏切り者がいる可能性もありますね」エレインが苦渋に満ちた表情で分析を述べる。「本人の知らないところで、買収されるか、あるいは脅迫された者が動いている」
「可能性は十分にあります」アイヴィーが応じる。「もし許されるのであれば、この件は私に直接調査を任せていただきたいのです。この手の隠された『糸口』を引きずり出す仕事なら、私の本質に最も適していますから」
もちろん、俺はその要請を二つ返事で快諾した。
アイヴィーがホライゾンクレストの拡大し続ける交易網の闇へと、いつもの隙のない手際で音もなく消えていくのを見送りながら、残された俺たちは、 piece by piece(一片ずつ)不快な形で組み上がりつつある巨大な『敵の布陣』へと意識を向けた。
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「これで二回目、ね」
その日の夜、かつて何度も同じような作戦会議を繰り広げてきたあの円卓の前に再び幹部陣が集まり、エリスがポツリと口を開いた。
「手段は全く異なるけれど、その根底にある『執拗な忍耐強さ』は共通しているわ。仕掛けてきている黒幕は、分かりやすい全面対決をあえて避けている」
「それはすなわち、明確な『戦略的思考』の証明だ」エンゾが補足する。「単なる一過性の地域的な怨念じゃない。もっと、決定的に意図された代物だ」
終わりのない長期戦を仕掛けてきている。俺と正面から激突するリスクを冒すより、こうして小出しの嫌がらせでジワジワと俺の体力を削ぎ落とす方が安全だと正しく理解している奴の仕業だ。
これまで黙って議論を聞いていたヴァンスが、その知性的な瞳に深い思索を湛えてようやく口を開いた。
「……少し、専門外の視点から意見を述べてもいいかしら? あくまで学術的な仮説に過ぎないのだけれど」
「あぁ、頼む」俺は先を促した。
「このパターン――どこまでも気が長く、間接的で、徹底的に足がつかないよう偽装されたこの手際。私には、到底人間の紡ぎ出す戦略とは思えないの」彼女は言った。
「もっと遥かに年老いた存在。焦りや短気が、自分たちのような超越者をいかに容易く滅ぼすかを、何百年という歳月をかけて学び尽くした『何か』の手癖に思えるのよ」
……。それは、この世界の天井の絶望的な高さを知ってしまった俺にとって、最高に座りの悪い、鳥肌が立つような不吉な仮説だった。
「……マイラス王国の枠組みを超えた、もっと別の『何か』が裏で糸を引いている、と?」俺は言葉を区切る。
「その可能性を天秤にかける価値はある、という話よ」ヴァンスは慎重に言葉を濁した。「確たる証拠があるわけじゃないわ。ただの直感よ。だけど、胸の内に秘めておくよりは、一度名前を与えて盤面に載せるべきだと思ったの」
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会議が解散した後も、俺はその言葉の意味を一人でじっくりと噛み締めていた。
これまでに俺が獲得してきたすべての情報――『虚無の円卓』におけるニクサラの絶対的な警告、それを聞いた他の魔王たちの三者三様の反応、そして何より、「あの女の宣言をすべての魔王が素直に受け入れるとは限らない」という厳然たるパワーバランスの現実。
もし、これがマイラス王国の独走なんかじゃないとしたら?
もし、あのニクサラの脅迫を「絶対のルール」ではなく、単なる「都合のいい提案」程度にしか受け取っていない、途方もない実力と忍耐力を兼ね備えた『別の魔王』がチェス盤を動かしているのだとしたら――。
《……その仮説は、論理的に極めて妥当であると判断します》
脳内の超越知性が、短く、冷静に告げた。相変わらず無駄を削ぎ落とした新しいシステム音声には、未だ完全には馴染みきれていなかった。
《肯定のためのデータが不足しています。結論を急ぐ前に、さらなる隠密調査の継続を推奨します》
あぁ、分かってるよ。証拠もないのに特定の誰かを黒幕だと決めつけるのは愚策だ。だけど……これから先、その最悪の可能性を常に頭の片隅に置いて盤面を監視し続ける必要はあるだろう。
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アイヴィーによる出荷経路の齟齬に関する調査は、丸一週間の時間を要した。それは俺の予想通り、極めて徹底的で、執拗なまでの忍耐強さに満ちた追跡劇だった。
「……鎖の『歪んだリンク』を特定いたしました」
ある日の夕方、彼女はようやく俺の元へと戻り、その冷徹な微笑の裏に確かな達成感を滲ませて報告してきた。
「コーラ自身の目と鼻の先から数段階離れた場所に位置する、末端のしがない書記官です。彼の通常の労働価値では到底説明のつかない、破格の『裏報酬』が支払われていました。ただし、彼自身も真の雇い主の正体は知らされていません。報酬はすべてダミーの中介者を経由して支払われており、これまでのパターンと完全に一致しています」
またしても、行き止まりに見せかけた偽装された終着点か。黒幕の奴、自分の尻尾を隠すことに関しては病的なまでに慎重だな。
「いいさ、その糸を引っ張り続けよう」俺はアイヴィーに告げた。「どれほど巧妙に隠されていようとも、手繰り続ければいつかは本物の首謀者へと繋がっているはずだ」
「ええ、必ず」アイヴィーの瞳に、魔王級の凄絶な確信が宿る。
「敵がどれほど忍耐強くあろうとも、『時間』という概念は私たちにとっても対等な武器です。私はこれしきのことで退屈するほど、短気な生命ではありませんから、マスター・カイ。どれほど巧妙な道化であれ、踊り続ければいつかは私が踏み潰せるだけの『決定的な足跡』を残すことになります」
頼もしい限りだな。彼女のような特化型のスペシャリストが味方にいてくれて、本当に心底救われた気分だ。
この盤面で一体何が蠢いていようとも、俺たちは必ずその全貌を暴いてみせる。全員で、対等に、これまでと同じように一つずつ乗り越えてみせるさ。
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「貴方様、本当にこういう方面の仕組みが何一つお分かりになっていないのですね」
アイヴィーは、ドワーフの砦から届いた正式な外交文書を白むくの眼で見つめる俺の姿を眺めながら、あきれたように溜息をついた。俺は実際の戦場よりも遥かに、その慇懃無礼で幾重にも張り巡らされた『外交的修辞』の前に困惑しきっていたのだ。
「あぁ、マジでさっぱり分からん」俺は素直に白旗を上げた。
「戦い方なら知ってる。居場所を必要としている奴らのために家を建てる方法も分かる。だけど、本物の外交――言葉の裏を読み、他国が吐いた曖昧な社交辞令の真意を見破るなんてスキル、これまでの人生で一度も必要としたことがなかったんだよ」
「ならば、今ここで叩き込んで差し上げましょう」
彼女は、万事において発揮するあの冷徹なまでの敏腕ビジネスライクな手際で、俺の正面に腰を下ろした。
「政治も戦争も、その本質は何も変わりません。刃の代わりに『言葉』を武器にして戦い、腕力の代わりに『忍耐』によって勝利を掴み取る。ただそれだけのことです」
なるほど。今のところ自分には全くセンスが無いように思えるが、精々その講義とやらに付き合わせてもらうとしよう。
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《提案。対象の教育課程において、思考パターンの解析による補佐を実行します》
脳内の『超越知性』が、相変わらず無駄を削ぎ落とした短いトーンで割り込んできた。しかし、その短い宣告の裏には、どこか俺の成長を本気で後押ししようとしてくれているような、確かな『投資』の気配が混じっていた。
《過去の大陸規模における外交交渉の歴史的先例を抽出。これを現在の周辺諸国の政治的緊張度とクロスリファレンスし、最適な回答を導き出します》
それからの数週間、アイヴィーの鬼のような実務教育と、超越知性による超常のデータ補佐の二頭立てによって、俺は自分がこれまで完全に見落としていた『世界のチェス盤』の形をようやく理解し始めていた。
ドワーフの砦が寄せてくる形式的な書簡の奥にどれほどの実利的な重みが隠されているか。エルフの生き残りたちが抱く慎重な希望に対して、安易な約束ではなく、どれほどの『誠実な忍耐』をもって応えるべきか。そして、今この瞬間も俺の存在について熱い議論を交わしているあらゆる大国が、俺たちの次の一手を見極めるために、どれほど固唾を呑んで盤面を注視しているか、というパワーバランスの現実を。
「貴方様は、ご自分が思っている以上にこの方面の素質がおありですよ」
ドワーフの貿易使節団との間で、相手の地雷を一切踏むことなく完璧な実務交渉を完遂してみせた俺に対して、アイヴィーがふとそんな評価を漏らした。
「貴方様は『他者の声に耳を傾ける』。大半の支配者という生き物は、そのあまりにも単純なスキルを、最初から持ち合わせてすらいないものですから」
彼女のような、この手の権謀術数を何百年も特等席で眺めてきた悪魔からそんな大絶賛をされるのは、流石に面痒いというか、奇妙な達成感があった。
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俺たちはまず、ホライゾンクレストにおける生活に心底満足しているボルガの同胞たちを通じて、彼女の背後に広がるドワーフの本格的なネットワークとの間で正式な国交を樹立した――交易協定、相互防衛の生存戦略。それは、着飾った花々しい外交辞令など一切必要としない、本物の『信頼』の上に築かれた強固なパートナーシップだった。
エルフの生き残りたちとの交渉にはそれ以上の時間を要した。彼らが辿ってきた喪失の歴史ゆえにその警戒心は人一倍強かったが、高名な長老であり、ホライゾンクレストの本物の有様を自らの眼で見届けてくれたアーロンが個人的に『絶対の保証』を立ててくれたお陰で、その難解な交渉の糸口は劇的に解きほぐされていった。
「あいつら、お前の親父さんの判断を完全に信頼してるな」
正式な同盟協定が締結された後、俺はエレインに語りかけた。「俺の言うことより、遥かに長い歳月を生き抜いてきた彼の一言の方が、あいつらにとっては重みがあるんだろうな」
「それは『弱み』ではありませんよ」エレインは優しく諭すように訂正した。
「信頼とは本来そういう風に機能するものです。ゆっくりと稼ぎ出し、慎重に積み重ねていく。貴方様も、いずれはその領域に到達します。焦る必要はありません」
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そんな中、魔王ニクサラの統治する領地からは、最も頭の痛い、風変わりな外交的打診が舞い込んできていた。
恐怖でもなく、警戒でもない。ただ純粋に、ホライゾンクレストというオモチャ箱が一体どんな面白い構造をしているのかを見極めたいという、魔王特有の身勝手な『好奇心』がこれでもかと詰め込まれた親書。
「……なぁ、あいつ、本気で我が国と正式な国交(外交関係)を結びたがってるのか?」
ホライゾンクレストがいつの間にか維持していたらしい、俺の知らない独自の通信ルートから届いた書類を読みながら、俺はアイヴィーに尋ねた。
「あの御方が求めているのは、『あまりにも頻繁にこの場所に遊びに来ても周囲に変な勘ぐりをされないための、もっともらしい大義名分』ですよ」
アイヴィーは至極ジト目で、淡々とその真意を暴いてみせた。
「正式な外交関係という枠組み(フレームワーク)さえ構築してしまえば、表向きの体裁は整います。私としては、この提案は無条件で受諾することを推奨いたします。現実問題として、あの御方を『拒絶する』という選択肢はチェス盤の上に存在しませんし、受諾しておけば、あの御方が今後仕掛けてくるであろう気まぐれな暴挙に対して、最低限の『事前の防衛線』をこちらから提示することができますから」
……なるほど。ぐうの音も出ないほど真っ当な現実論だ。
あいつが気まぐれでいつ何時ピンポイントで突撃してくるか分からない無法地帯にするくらいなら、最初から正式なルール(国交)で縛って防衛線を張っておく方が、遥かにマシってわけだ。
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ある日の夜、俺は机の上に積み上がった正式な同盟協定書、貿易条約、そして慎重に言葉が選ばれた外交文書の山を一人で見つめながら、胸の奥底に確かな誇りが静かに定着していくのを感じていた。
一年前の俺は、自分の家庭を維持管理する方法すらまともに分かっていない、ただの不器用なガキだった。それが今や、外の世界の連中からすれば、完全に一国の『国家』に匹敵する巨大なチェス盤を動かすための勉強をしているのだから。
「実に見事な手際ですよ」
俺が最初の頃とは比較にならないほどの確信(自信)を持って最新の外交処理を片付けていく様を見つめながら、アイヴィーが微笑んだ。
「大半の暗愚な王たちが一生をかけても到達できない領域に、貴方様は驚くべき速度で適応してみせました。本当に、誇らしく思います」
「お前がいてくれなきゃ、最初から詰んでたさ」俺は素直な本音を返した。「それに、超越知性のサポートもな。俺の人生、新しいステージに進むたびに、いつも誰かの手を借りてばかりだな」
「それもまた、『弱み』ではありませんよ」
アイヴィーは、かつてのエレインの言葉をそっくりそのままなぞるように、愛おしそうに告げた。
「それこそが、貴方様が『信頼に足る本物の身内』に囲まれているという、何よりの証明なのですから」
あぁ。
誰かにそう言い聞かされるからではなく、今なら、その言葉の意味を俺自身の本心から正しく信じられる気がしていた。
外の世界の連中がどんな陰謀を企てていようとも、俺たちの絆の強度が揺らぐことはない。我が『コバヤシ家』の国政マーケティングは、ここから本気で世界を上書きしていくのだ。




