第31話:彼女を家まで運ぶ
帰還の道行は、俺の想定をはるかに超えて時間を要した。**『絶対吸収』**によって支払わされた魂の代償のせいで、俺の両脚の耐久値は未だにエラー(ガタつき)を起こしたままであり、その腕にのしかかるソフィアの体重は、道中ずっと不慣れで奇妙な重量として俺のシステムに負荷をかけ続けていた。
(……敵のコマンダーを自らの我が家へ抱えて帰るなんて、人生で初めての経験だな。不気味な感覚だ。何の二の足を踏むディレイ(躊躇)もなく、ただ当たり前のようにこんな選択を実行しちまう自分自身に対してもな)
『報告。マスターのバイタルデータをスキャン。魔素および精神リソースの継続的な枯渇を感知。これ以上の移動プロセスの継続を停止し、直ちに休息タスクに移行することを推奨します』
全体の半分を過ぎたあたりの座標で、脳内で脳内脳のシステム音声が告げてきた。
(……駄目だ。こいつをこんな有様のまま放置できるかよ。本当に安全なセーフエリア(ホライズンクレスト)の中へ運び込むまでは、俺のシステム(肉体)を完全静止させるわけにはいかないんだ)
俺は迫り来る肉体破綻を力ずくでねじ伏せて前進を続けた。夜の帳がすっかり下り切った頃、ついにあの見慣れた絶対結界の境界線が視界に滑り込んできた。眼下に広がるホライズンクレストの温かいランタンの灯りは、俺がまだ死守し続けなければならない、大切な仲間との絶対のプロマイド(約束)そのもののようにそこに佇んでいた。
――まあ、それはともかく。
防衛門のところで、真っ先に俺を捕捉したのはエレインだった。俺の無様な血まみれの衣服、その腕の中に抱えられた意識不明の教会の聖騎士長、そして全身から剥き出しになっている極限の疲弊スペックを感知した瞬間、彼女の表情は凄まじい速度で何段階もの警戒アラート(アラーム)を駆け抜けていった。
「カイ様……!」
「大丈夫だ」
俺は言った。半分はただの強がりであり、もう半分は、そんな心配ごときは今ここで大した問題ではないという事実の提示だった。
「こいつを休ませる場所が必要だ。完全に安全な部屋をな。すべてが落ち着いた後で、起きた事象のすべてを正しく解説する」
エレインはそれ以上、無駄な会話ログ(反発)を出力しなかった。彼女は即座に身体を反転させ、いつも通りの恐るべき実務効率を以て、集落の最も静かな一室を確保するための防衛プロトコルを稼働させに走っていった。
上出来だ。今の俺には、他人の詮索に対応するだけのタイムリソースは残されていなかったからな。ただ彼女の耐久値が本物のピース(安堵)へと向かうための、静かなレストエリアが必要だっただけなのだ。
――まあ、それはともかく。
俺たちはソフィアの身柄を、かつてほんの一時期、あの最も最悪な絶望の地獄にいた頃のエリスが横たわっていたのと同じあの小部屋へと運び込んだ。――奇妙な因縁の対称性だが、その真の意味をパースするだけの精神的余裕は、今夜の俺には残されていなかった。オフィーリア・ヴァンスが部屋に入ってきて、自らの至高の鑑定眼を以て彼女の肉体構造をスキャンし、あの原初の悪魔【No.5】の施したお遊びの治癒魔法がどれほど規格外のバグスペックであったかを、冷徹に確定判定(証明)してみせた。
「これを施したアクターの治癒スペックは、私の四十年の魔導研究に存在するどの最高峰術式をもはるかに凌駕しているわ」
ヴァンスの声の底には、本物の学術的畏怖が混ざり合っていた。
「致命的なダメージの残滓が、ただの1ピクセルも残されていない。傷跡すらもよ。完全なる『初期化』だわ」
原初の化け物が、俺の敵であったはずの女を、何一つ理解できない理由のまま100%のフルスペックで蘇生させ、そのままただの挨拶だけで立ち去っていった。……本当に、この異世界のシステムってやつは、新しいアノマリーを量産して俺を翻弄する悪趣味なルーティンが大好きらしい。
ヴァンスが退室した後、俺は一人でソフィアの傍らに残り、彼女の完璧に安定した本物の呼吸を見つめていた。たった1日の戦闘イベントの中に、世界のシステムを引っ繰り返しかねないほどの膨大な真実が詰まりに詰まっていた、そのあまりにも濃密な今日のタイムラインを脳内で反芻しながら。
(――ドラン。フェンリック。ついに、お前たちをあの夜の慘劇へと追いやった本当の引き金(命令ログ)を下した張本人のプロパティ(正体)が割れたぞ。……奴の身元を特定し、この手で完全にデバッグ(消滅)してやった。なのに……何故だろうな。何故だか、これだけの成果を叩き出したってのに、俺の胸の奥底の虚無は、まだ完璧には満たされちゃいないんだ……)
――まあ、それはともかく。
どれほどの時間が流れただろうか。そこへエリスが静かに合流した。彼女の顔には、極限の疲弊と、それ以上の深い安堵( relief)が、複雑に絡み合った精神波形としてフラッシュしていた。――アシュフォード王国の二千の正規軍が完全崩壊したという大戦果のログ(データ)は、俺がここに辿り着くよりも前に、すでに彼女の防衛哨戒網へと届いていたらしい。
「生きてるわね、カイ」
彼女は静かに言い、一切の迷い(ディレイ)なく隣へと腰を下ろして俺の手を握りしめた。
「数時間前、あなたのいた方角から、世界のロジックが軋むほどの途方もない巨大な魔素サージ(絶対吸収の余波)を感知したの。一体何が起きているのか、私のアナリティクスでもパースしきれなくて、ずっと怖かったのよ」
「長い物語さ」
俺は言った。
「俺自身の頭のアーカイブの中で、今日のすべての出来事を正しく処理・デバッグし終えたら、お前に最初から完璧に解説するよ」
エリスは、眠り続けているソフィアの肉体スペックを、自らの異次元の感知能力を以て注意深く走査していた。
「……この人は、誰?」
「俺をあと一歩のところまで追い詰めた、本物の絶対強者だよ」
俺は本音を出力した。
「――そして、ドランとフェンリックの命のデータを奪い去った、あの最初の命令ログを起動した張本人の名前を俺に教えてくれた、その最後のフラグの持ち主だ」
その言葉を聞いた瞬間、エリスの全身のオーラがピタリと完全静止した。
「……見つけたのね、そのマスターを」
「ああ、見つけて、その場で跡形もなく駆逐してやったよ」
俺の声は静かだった。
「だがな、笑えない結末だったよ。そいつは最初から人間(人間の貴族)なんかじゃなかったんだ。――アシュフォード王宮のど真ん中に潜り込み、人間の仮面を被って大衆の恐怖を完璧にハック(コントロール)し、この全面戦争の最悪なフラグを裏からすべて操っていた、ただの『上位魔将』のバグデータだったのさ」
――まあ、それはともかく。
「それは……」
エリスは口を開き、そしてあまりにも想定外なその真実の全貌を脳内でパースするために、数秒のタイムリソース(ディレイ)を必要とした。
「――大局のチェス盤が、根底から完全に崩壊してしまうじゃない。もしこの戦争の引き金を引いたのが人間の意志ではなく、最初から魔族によるシステムハックであったのだとしたら……」
「アシュフォード王国の国王も宮廷の役人どもも、自分たちが一体何のために血を流して戦わされていたのか、その本当のコンテキスト(背景)を1ミリも理解しちゃいない(ハメられていた)ってことさ」
俺は彼女の言葉を冷酷に引き継いだ。
「自らの王宮の裏で、一体どこのどいつが糸を引っ張って世界を滅ぼそうとしていたのか、誰も走査できていなかったわけだからな」
正直言って、心底生理的な悪寒を覚える最悪の構造欠陥(不気味な思考)だ。すべての事態が落ち着いた後で、我が陣営のアナリティクスを総動員して、徹底的に解剖・精査してやる価値のある巨大なバグの巣窟だな。
「それで、この人は?」
エリスは再び、視線をソフィアへと向けた。
「この人が目を覚ました(起動した)時、私たちはどんなプロトコル(対応)を適用すればいいの?」
「俺にもまだ分からないさ」
俺は白旗を上げた。
「だが、こいつは最後まで誇り高く戦った。自分自身の安い保身のために欺瞞の嘘を出力するような真似は、ただの一度だってしなかったアクターだ。――だから、こいつが俺たちを『敵』と見なして再び刃を構える前に、この楽園にある本物の真実をありのままに提示して、対話の機会を与えるのが合理的だろ。敵のまま終わらせるか、あるいは全く異なる別ルート(フラグ)へとシフトするかは、その後の話さ」
――まあ、それはともかく。
それから間もなくして、エースが部屋へと合流した。彼もまた、自分自身の戦場(二千の正規軍のデバッグ任務)を完全に完了させ、その肉体の耐久値を限界まで使い果たしたアクター特有の、あのひどく静かな歩調を纏って、俺たちの傍らへと身を寄せた。
(……今日はお疲れ様、エース。俺が自分の因縁を片付けている間、エリスたちの背後(防衛網)を完璧に死守してくれて、心から感謝するよ)
『我が相棒よ、礼には及ばん。俺たちは共にこの戦場を片付けた(クリアした)のだ』
エースの念話の波動には、彼自身の目に見えるスペック疲弊(疲れ)の底から、本物の温かいコンビネーションが溢れ出ていた。
『これこそが、お前がゼロからビルドしてきたこの「小林ファミリー」という形の、本当の機能(存在意義)なのだろうからな』
(……ああ。本当に、その通りだよな)
俺は、一歩間違えれば二度と交わることがなかったはずの『未来の味方』と、この過酷な全面戦争を共に戦い抜き、生きてここに並んでいる『かけがえのない本当の家族』の真ん中に腰掛けたまま、長い時間をかけてその場に佇んでいた。今日のすべての地獄のコストが、ようやく心地よい疲労( sleepゲージ)の数値となって、全身のシステムへと綺麗に染み渡っていくのを感じながら。
明日になれば、集落の全同胞に向けて、今日のすべてのイレギュラーな戦闘ログを正しく解説しなきゃならない。
だが、今夜だけは――俺たちが心から愛した大切なファミリーの全員が、誰一人欠けることなくこの聖域へと生還できたというその絶対の確定事実だけを胸に抱いて、この静かな平穏の中に、もうしばらくの間だけ甘えさせてもらうとするさ。
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二日目の朝、ソフィアが覚醒プロセス(起床)を開始した。俺が昨夜の脳内シミュレーションで半ば計画していた、あの冷静で慎重な対話など、現実の前には1ミリも機能しなかった。その事実をここに本音で出力しておく。
「ここは――」
俺の認識精度が彼女の覚醒を感知した瞬間、彼女はすでに跳ねるように上体を起こしていた。片手は、最初からそこには存在しないはずの愛刀の柄を求めて虚空をスキャンしている。見知らぬ座標で目を覚ました兵士特有の、最悪のシナリオ(全滅エンド)を身構えた瞬間の、剥き出しの即時パニック状態がそこにあった。
「落ち着け、大丈夫だ」
俺は即座に両手を掲げ、ベッドの防衛圏から十分にディファンス・マージン(距離)を確保した状態で声をかけた。
「ここにいるアクターはお前に牙を剥く(敵対する)つもりは毛頭ないさ」
彼女は俺の顔を凝視した。――あの死闘、第三勢力の介入、そしてあの黒紫色の致命的な魔力熱線。脳内にある敗北のログデータが、数瞬のディレイを置いて綺麗にパズルを繋ぎ合わせていく。そしてその記憶の積層が完了した瞬間、彼女の美しい顔の輪郭は、ひどく冷徹で強固なものへと一気にリライトされた。
「お前……。私は負けた。……負けたことだけは記憶に残っているわ」
「ああ」
俺は頷いた。
「だけどな、最終的なリザルト(結末)として、お前は俺の刃に倒れたわけじゃない。その後に、全く予期せぬ最悪のシステムエラー(異変)が起きたんだよ」
――まあ、それはともかく。
俺は昨日起きたすべての事象、あの戦場のログのすべてを、何一つ欺瞞を交えずにゆっくりと、注意深く解説した。彼女の精神波形は、不信の拒絶から、本物の驚愕、そして最終的には、大切な同胞を失った者だけの極めて深い悲哀の色へと、何段階ものプロセスを経て変貌していった。
「キャスモア……」
俺の報告ログを精査し終えた彼女が、消え入りそうな声で呟いた。
「……レヴェンス・キャスモア卿。あいつは……ずっと軍事会議の最前席に居座っていたわ。国王陛下が外交ルート(六十日間の猶予)を慎重に吟味していたその裏で、何が何でも全面戦争の引き金を引こうと、最も激しく軍を扇動し続けていたのはあいつだったのよ……」
「アークデモンさ」
俺は確定判定をくだした。
「最初から最後まで、完璧に乗っ取られて(ハックされて)いたんだよ。奴の人間の皮を被り、その社会的レーティング(地位)を利用し、お前たちの王国という巨大なシステムを、最初から起こる必要のなかった最悪の戦争へと強引に誘導していたわけだ」
彼女は長い間、沈黙した。その圧倒的な真実の重量にへし折られるかのように、その佇まいは目に見えて内側へと折り畳まれていく。
「私が失った小隊(同胞)も……」
彼女はついに、絞り出すように言った。
「私の前にこの辺境へ送り出された、あの部隊も……最初の命令ログを起動した(引き金を引いた)のは、あいつだったのね」
「奴自身がその口で白旗を上げて自白したよ」
俺は冷徹に言い放った。
「俺が奴を完全に駆逐する(切り殺す)その直前にな。――六年前、俺の愛した最初の家族を慘殺し、俺のシステムを狂わせたあの最初のフラグを立てたのも、そのアークデモン(キャスモア)の意志だったのさ」
――まあ、それはともかく。
「すまないわ……」
彼女は言った。その声の底からは、あの死闘の中で俺がスキャンしたのと全く同じ、極めて揺るぎのない本物の誠実さ(オネスト)が検出された。気休めの台詞なんかじゃない、本物の謝罪のデータだ。
「――何と言い訳(エラー修正)をしようが、私の謝罪にどれほどの価値があるかは分からないけれど、本当に……私たちは何も知らなかった(スキャンできていなかった)の。もし、魔族のハッキングが我が国の最高指揮系統のそれほど深い中枢にまで定着していたのだとしたら……」
「アシュフォード王国は、山の上の特異点(俺の存在)なんかよりも、はるかに破滅的な巨大バグ(内憂)をその内側に抱え込んでるってことだな」
俺は彼女の言葉を冷酷に引き継いだ。
「ああ。その最悪な結論については、俺も昨夜からずっと脳内でシミュレートし続けているさ」
彼女は再び沈黙した。今度はさらに長い処理ディレイ(葛藤)。その完璧にコントロールされた冷静な仮面の裏側で、本物の精神的負荷が激しく火花を散らしているのが分かった。
「……これから、私はどうなるの?」
彼女はついに、自らのステータス(処遇)について尋ねてきた。
「私は敗者よ。システム上、お前の『捕虜』としてホールドされるのが妥当なロジックだと思うけれど」
「捕虜なわけがないだろ」
俺は苦笑した。
「お前はただの『ゲスト(客)』さ。ここに残りたいと思う限りはね。肉体のスペックが完全に仕上がって、お前自身のシステムがここを出ると裁定(確定)したなら、いつでも自由にここを立ち去っていい。アシュフォードへ帰還して、お前が『これだけは宮廷にアナウンスしておくべきだ』と判断したリアルデータのすべてを、奴らに叩きつけてやるといいさ」
――まあ、それはともかく。
「……何故?」
ソフィアは、その頭のアナリティクスではどうしてもこの答えがはじき出せない(処理エラーを起こしている)といった様子で、本気で困惑した声を上げた。
「私はお前に牙を剥いた(エンカウントを仕掛けた)のよ? 1ミリの欺瞞もなく本音を言うなら、あの死闘のどこかのセクションにおいて、私はお前の命のスペックを完全に刈り取る(ロストさせる)その寸前まで肉薄していたはずよ。それなのに、何故そこまで寛大なマージン(猶予)を私にくれるの?」
「お前が俺に対して、最初から最後まで100%の誠実さ(オネスト)を崩さなかったからさ」
俺はシンプルに、その答えのロジックを出力した。
「俺が問いかけたすべての会話ログに対して、お前は嘘を吐くことなく真実だけを出力し続けた。自分自身の保身のために欺瞞のフィルターをかけた方がはるかに有利な局面であっても、な。――その本物のスペック(誇り)はね、他の凡百の人間が何年かけても俺から勝ち取れないほどの、最高の信頼レーティング(価値)に値するんだよ」
彼女は長い間、俺の眼光をじっとスキャンしてきた。完璧にコントロールされた威厳の底流から、何かのフラグがカチリと音を立ててシフトしていく。
「お前は……教会の公式報告書に記載されていたような化物とは、違うのね」
彼女はついに言った。
「……少なくとも、100%その通りというわけではなさそうだわ」
「報告書なんてやつは、大抵大局の解像度(全貌)がバグっているものさ」
俺は肩をすくめた。
「だが、お前たち精鋭の書いたあの報告書データだけは、世間のゴミクズどもの妄想に比べれば、はるかに対象の本質に肉薄していたと思うがね。――それがどれほど不都合で、受け入れがたい真実であったとしても、ありのままに出力されていたからな」
――まあ、それはともかく。
「……あの、少女のことだけど」
さらに長い沈黙を挟んだ後、ソフィアが恐る恐るその特定のプロパティ( No.5 のフラグ)について切り出してきた。
「私たちを完全治癒した、あの悪魔の個体のことよ。私にはどうしても理解できない。あいつのスペックなら、あの場で私たちの命をただパッシブにデータロスト(放置)させておくことなんて造作もなかったはずなのに、それなのに何故――」
「それに関しては、俺のアナリティクスでも完全なお手上げ(解析不能)状態さ」
俺は白旗を上げた。
「脳内でどれだけ『脳内脳』に問い合わせても、システム音声の奴は毎回完璧な沈黙を貫いてエラー応答しか返してこないからな。あいつが一体どんな最悪なチェス盤(動機)を弾いてあの治癒魔法を敢行したのか、その本当の理由は、未だに俺のライブラリ(記憶の引き出し)には転送されてきていないんだよ」
「原初の悪魔……」
ソフィアはその単語を、自分の頭のロジックでは未だに現実のデータとして100%定着しきれていないといった様子で、壊れ物を扱うように慎重に反芻した。
「私はずっと、あれはただの古いおとぎ話(神話のバグデータ)だとばかり思い込んでいたわ。新兵どものモラルゲージを引き締めるために用意された、ただの架空の脅威スペック(脅し文句)なのだと」
「どうやらこの世界のシステムにおいては、古いおとぎ話(伝承)ってやつの方が、凡百の人間が妄想する現実よりもはるかに100%に近い確率で『本物の真実(確定データ)』を宿していることが多いらしいな」
俺は言った。
「それについては俺も、この異世界に転生して以来、嫌というほど何度もその身をもって学習させられてきた(レッスンを叩き込まれてきた)からな」
――まあ、それはともかく。
彼女は、手に入れたすべてのリアルデータの全貌を吟味するように、長い時間をかけて沈黙のベッドの上に佇んでいた。――俺たちの間に流れる空気の手触り(レゾナンス)は、起床した直後のあの剥き出しの敵意に比べれば、はるかに穏やかな性質のモノへと収束していたが、かと言って、まだ完全にリラックスして100%打ち解け合えている(ピースな)状態には程遠かった。
「……ここに残らせてもらうわ」
ソフィアはついに、自らの次の意思決定(フラグ確定)を出力した。
「ほんの少しの間だけ、ね。もしお前のさっきのオファー(天秤)が、ただのブラフではない本物のデータであると言うなら。――私自身、自分が信じてきたあの『ラオディキア神聖教会』というシステムの真の正体について……その分厚い欺瞞の仮面の下に一体どんな最悪なバグ(暗黒)が眠っていたのか、自分の力で徹底的に精査しなければならない、膨大な疑問ができてしまったからね」
「必要なだけ、いくらでもタイムリソース(猶予)を使うといいさ」
俺は不敵に笑ってみせた。
「ここにいる小林ファミリー(同胞)の誰も、お前がまだ準備も整っていない段階(未仕上がりのスペック)で、次の不可逆な選択(決断)を下せなんていう無理難題を要求するつもりは毛頭ないからな」
彼女は小さく、しかし深く頷いた。その年老いた(熟練の)聖騎士長の肩の輪郭に、起床した瞬間には存在しなかった確固たる『軸』が、カチリと音を立てて定着していく。――信頼にはまだ遠い。だが、十分な時間を積み重ねれば、最終的には確実に100%本物の『絆のライン』へと進化しうる、その始まりの微かな脈動だった。
昨日まで文字通りの殲滅対象だった強敵が、今、全く異なる別ルート(家族の候補)へと静かにシフトしつつある。
悪魔のハッキングによって最悪に歪められていたアシュフォードとの全面戦争の背景が、ようやく少しずつ、正しくデバッグ(パース)されつつある。
そして、あの途方もない地獄のコストを支払わされた過酷な一日が、今度こそ完全に、ホライズンクレストの静かな日常の中へと綺麗に定着しようとしていた。
(……やれやれ。これからのサバイバル、一体どんな新しいイレギュラー(未知のフラグ)が俺のフロントドアを叩きにくるか知らんがね。――明日が一体どんなリザルト(結末)を出力してこようが、すべて面白がって迎撃してやろうじゃないか!)
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ホライズンクレストでの最初の数日間、ソフィアはただ静かに周囲を観察することに大半の時間を費やしていた。単に肉体の耐久値を回復させるためのパッシブな休息ではなく、明らかにプロの兵士として、この未知の領域のインテリジェンス(情報)をかき集めようとする、極めて注意深く慎重な眼光がそこにあった。
「ドワーフがいるのね、ここに」
二日目の朝、ボルガの同胞たちが大鍛冶場で洗練された職人スペック(熟練の手つき)を以て鉄を打つ光景を見つめながら、ソフィアがぽつりと言った。
「それにエルフも。人間の流民たちも、あの settled(落ち着いた)様子を見る限り、どこかから命懸けで逃れてきたのは明白だわ。ここは要塞(砦)なんかじゃない。……ここは――」
「街さ」
俺は彼女の言葉を遮るように、シンプルに応じた。
「外の世界で行き場をなくした奴らのための、ただの帰るべき家だよ」
彼女は自分の頭のアーカイブに眠っている『教会の公式プロパガンダ(先入観)』と、今まさに目の前のスキャンデータが叩き出している圧倒的な現実との間で、激しい処理エラー(矛盾)を起こして葛藤しているようだった。いい傾向だ、いくらでも悩むといい。
「報告書にはね、凶悪な化け物の縄張り(魔獣の魔窟)と記載されていたわ」
彼女は静かに呟いた。
「強奪された財宝が眠る、力ずくで征服(侵略)するに値する最悪のアノマリー領域だと」
「その報告書が100%間違っていた(バグデータだった)か」
俺は平然と言い放った。
「あるいは、自分たちの都合のいい利権のために、最初からそのデータを意図的にリライト(捏造)しなければならない歪な動機を持った奴らが、上に居座っていたかのどちらかさ」
――まあ、それはともかく。
同じ週の後半、彼女はエリスの訓練場へと足を運び、二人で言葉を交わしていた。最初は互いのオーラの波形に微かな強張り(アラート)が検出されたものの、その交戦のラリー(会話)は、こちらの想定以上の超高速で綺麗に同調(ピースに定着)していった。
「……目が見えないのね」
エリスが一切の足運のブレも見せず、完璧な確信を以て訓練場の障害物をすり抜けていく姿を注視しながら、ソフィアが慎重に問いかけた。
「ええ」
エリスは歩調を落とすことすらなくあっさりと肯定した。
「だけど、最近はそれが原因で私の戦闘スペック(行動速度)が低下するようなバグは、一切発生していないわよ」
「一体、どうやって――」
「反魔素よ」
エリスは言った。
「肉体の眼球で光をスキャンする代わりに、この領域を満たす反魔素のゆらぎを通じて、世界の全貌を直接脳内にレンダリングしているの。形はシフトしたけれど、劣っている(マイナススペック)とは全く思わないわ」
その解説を聞いた瞬間、ソフィアの表情の底にあるプロファイルが、目に見えてシフトしていくのを俺は見逃さなかった。――部外者への深い警戒心が綺麗に消滅し、本物の知的好奇心へと完全にリライトされたグラフィック。
「素晴らしい技術ね……。心から感心するわ」
「当然よ」
エリスは何の安い謙遜も見せず、平然と言い切ってみせた。
「だけどね、このスペックを勝ち取るために、私は自らの視力というあまりにも莫大な初期コスト(代償)を支払わされたの。――世の中の本当に価値のあるシステムってやつは、大抵そういう過酷な等価交換を要求してくるものだからな」
一方、エレインはというと、新しく加わったこのソフィアに対しても、他のすべての流民(新規アクター)を迎える時と全く同じ、完璧に洗練されたプロとしての礼儀を崩さずに接していた。――過剰な温もりを与えるでもなければ、冷酷に拒絶するでもない。ただひたすら辛抱強く、対象が自らのアナリティクスでこの楽園の本当の価値を処理し終えるのを、十分なマージン(猶予)を確保して待つというアプローチだ。
「あなたが、ここの防衛総統括ね」
ある日の訓練中、エレインが組んだ防衛部隊の連動ドリル(戦術パターン)をプロとしての鋭い眼光でスキャンしながら、ソフィアが声をかけた。
「そうです」
エレインは淡々と答えた。
「お前たちが属していたあの王国の軍隊とは、その戦闘ドクトリン(流派)の本質が根本から異なっていると思いますがね。――私たちのビルド(目的)は『守り抜くこと』。誰かを侵略し、蹂躙することではありません」
「……戦闘における物理的な技術の話をするなら、そこに本当の相違点(違い)なんて存在するのかしら?」
ソフィアが問いかける。
「技術の話をするなら、ありませんね」
エレインはあっさりと白旗を上げて認めた。
「――ですがね、本当の『クラス差(決定的な違い)』が現れるのは、その戦闘イベントが完全に終了したその【後】の話ですよ。私たちは、敵の脅威をデバッグし終えた後、民から自由意志に基づかない不当な搾取をふっかけるような真似は絶対にしない。お前たちの世界線( Ashford)では、それが常に100%徹底されていると言い切れるかしら?」
ソフィアはその痛烈な指摘に、ただの1文字も反論(エラー応答)を出力できなかった。それが、どんな長い説明台詞よりもはるかに饒舌に、彼女の属していたシステムの歪み(バグ)の正体を証明していた。
――まあ、それはともかく。
そして終盤に至り、彼女の魂の根幹にある絶対秩序の防衛ラインを完璧に粉砕してみせたのは、他でもない長老アエロンとの会話イベントだった。
「あんたは不思議に思っているのだろう?」
ある日の深夜、集落の境界線の稜線近くで一人佇んでいた彼女の隣へと静かに歩調を合わせ、長老がその重い口を開いた。
「――何故、我々エルフのように数千年の時間重を背負い、圧倒的な力を内包した古代の種族が、お前たちの組織が『最悪のアノマリー(化物)』と呼んで切り捨てようとしているあの少年の後ろ盾(配下)として、自らの意志でここに定着しているのか、と」
「……ええ、本当に理解できないわ」
ソフィアは本音を漏らした。
「何故ならね、コマンダー・オーレライン」
アエロンは眼下に広がる静かな街並みを優しく見つめながら、シンプルにその答えのロジックを出力した。
「――あの少年は、我々に対して『お前たちは俺に何を差し出せる(どんな利用価値がある)』などという傲慢な査問を一度としてしてこなかったからだ。代わりに奴が最初に口にしたのは、ただ一言、アプローチの全く異なる問いだった。――『お前たちには、今何が必要だ?』とな。
我が同胞が世界の理不尽によって行くあてをなくしていたその時に、奴が提示したのは冷酷な利害取引なんかじゃない。ただの、本物の『帰るべき家』だったのだ。
私はね、お前がこれまでの短い人生で出会ってきたどの生命体(人間)よりも、はるかに長い時をこの世界線で生きてきた。無数の王国を走査し、無数の支配者の全貌をこの眼で直接スキャンしてきた。――だがな、あのカイという少年が、自らの凄絶な喪失の残骸を幾重にも積み重ね、他人に同じ地獄を踏ませまいというあの狂った執念( stubborn)だけでゼロから無償でビルドしてみせたこの理想郷のスペックに、並び立てるほどの美しいシステムを構築できた王など、歴史のアーカイブのどこを探しても、ただの一人も存在しなかったがね」
(……おいおい、アエロンのじいさん。俺のいないところで、俺の領主としてのレーティング(評価)をそんなに100万倍くらい上乗せした最高峰の演説で盛り上げるのはやめてくれよ。むかつくほど気恥ずかしいじゃないか。……まあ、ありがたくログに書き留めておくけどさ)
――まあ、それはともかく。
その夜遅く、ソフィアはその壮絶な会話ログのすべてを自らの脳内で何度も、何度も反芻(精査)していた。自分が成人して以来、その全人生のスペックを捧げて忠誠を誓ってきたあの神聖教会という巨大システムが、自らの肉体に叩き込んできたあの『特異点はすべて悪である』という既存のドクトリンが、今目の前にあるホライズンクレストのリアルデータと何一つ合致(同調)しないという残酷な現実を前にして。
「……私、ここにあるすべてのデータを、自分の頭のロジックでどう処理すればいいのか、本当に分からなくなってしまったわ」
その日の深夜、俺の元へとやってきた彼女の声からは、あの戦場で出会った時の完璧に洗練されたコマンダーとしての冷徹な威厳の欠片も完全に削ぎ落とされていた。ただの一人の有機生命体としての、極めて脆弱で、剥き出しの本物の迷い( Vulnerable)がそこにあった。
「――私が信じてきた我が神聖教会の教えも……お前という存在が世界に齎すはずだったあの最悪なバグ(脅威)のプロファイルも、この楽園でスキャンした確定事実とは、何一つとして一致しないんだもの」
「のんびり時間をかけるといいさ」
俺は愛刀の手入れを止め、彼女に向けて微笑んでやった。
「ここにいる小林ファミリーの誰も、お前を特定のルート(結論)へ向けて力ずくで強引にフラグ誘導するような真似はしないからな」
「分かっているわ……」
彼女は小さく、押し殺した声で言った。
「――だけどね、まさにその【何の手出し(強制)もしてこない】という圧倒的な自制のスペックそのものが、今の私のシステムを最も激しく揺さぶっているバグ要因( unsettled)なのよ。我が神聖教会という組織はね、対象に対して、そんな生温い猶予を提示してくれることなんて、歴史上ただの一度だってなかったのだから……」
(……フッ、そりゃそうだろ。力によるドミネーション(支配)よりも、自制こそがはるかに多くの真実を教えてくれる。――俺が泥まみれになりながらイグニヴァルから叩き込まれてきたあの最高のレッスンが、今度はお前の魂の結界を、内側から完璧に融解しちまってるわけだからな)
彼女は、ホライズンクレストの静かな夜の灯りを見つめていた。――それはかつて何年も前、まだこの場所がちっぽけな空き地(ただのビルド初期段階)だった頃に、俺とエリスが同じように並んで見つめていたのと同じ、あの温かい楽園の風景だった。
「私は」
彼女はゆっくりと、確固たる決意のトーンを込めて言葉を出力した。
「――この場所が提示する本当の意味を正しく裁定する前に、まず、自分自身が属していたあの『我が神聖教会』という巨大システムの本当の姿を、欺瞞の仮面をすべて剥ぎ取って、この眼でクリアに走査し直す必要があると感じているわ」
「完璧な正論(合理的)だ」
俺は言った。
「お前がそのための戦闘プロトコル(覚悟)を始動させるその時がいつであろうと、この俺がその退路を遮断(邪魔)するような真似は絶対にしないさ」
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「一つ、尋ねてもいいかしら?」
それから数日後のこと、ソフィアは両親の墓標の前で一人佇んでいた俺を見つけ、そう声をかけてきた。――そこに刻まれた因縁の重量を知って以来、俺が以前にも増して頻繁にアクセス(訪問)するようになっていた、あの静かな高台だ。
「ああ、構わないよ」
「これのことよ」
彼女は墓石を指し示した。
「あなたの両親。報告書にはね、あなたのことが『特異点』であり、世界を脅かす破滅の脅威であり、今すぐ隔離・監禁すべき最悪の化け物だとだけ記載されていたわ。――でも、そのデータのどこを探したって、あなたが『母親の墓参りをする一人の息子』だなんていう人間臭いログ(記述)は、ただの1行も存在しなかったもの」
(……フッ、当然だ。レッテルを貼り付けて記号化した報告書ってやつは、そのラベルの下にいる本物の人間のスペックを完璧に直視することなんて滅多にないからな。それについては俺も、これまでの過酷な人生の中で嫌というほど何度も逆探知させられてきた事実さ)
――まあ、それはともかく。
「俺の母親はな」
俺は静かに、刃の切っ先を地面に向けるように言葉を出力した。
「――自分が手に入れたすべてのアビリティ(竜種の力)を綺麗に捨て去ってまで、自分の施した犠牲の価値なんて何一つ知りもしないこの世界のシステムを守り抜こうとしたんだ。父親も、そんな彼女を心から愛していたからこそ、お互いに自ら望んで選んだわけではないこの過酷な山の上(遺跡の檻)に閉じ込められながらも、最期まで彼女の傍らに留まるルートを選択した。俺はな、お前たちの組織が勝手にバグ(恐怖)と見なして身構えているだけの、そんな都合のいい化物じゃない。何よりもまず、二人の『息子』だ。それ以外のすべてのスペック(特異点としての力)は、その後に勝手に肉付けされたただのオプション(オマケ)に過ぎないさ」
ソフィアは長い間、沈黙した。墓石の表面に刻み込まれた新しい文字列を、自らの眼光で慎重に精査するように見つめていた。
「我が神聖教会はね、特異点とは本質的に世界を狂わせる危険なバグ(アノマリー)であると、私に教え込んできたわ」
彼女はついに、その張り詰めた喉の強張りを解いて言った。
「世界の既存の絶対秩序を破綻させる存在は、その定義上、世界を滅ぼす真の敵でなければならないと。私はこれまでのプロのキャリアのすべてを、そのドクトリン(常識)に何一つエラー(疑問)を抱くことなく、盲目的に信じ込んで戦ってきたわ」
「……で? 今のその解析は?」
「今は……その確信が、完璧に崩壊しているわ」
彼女は本音を認めた。
「――お前は確かに、私がこれまでの生涯で遭遇したどのアクターよりも激しく、世界の既存のシステム(絶対秩序)をめちゃくちゃに斬り裂いてバグらせているわ。なのに、この楽園で私が実際にスキャンした確定事実は、その教えとは真逆のベクトル(リザルト)を叩き出しているんだもの。絶対の保護。本物のコミュニティ。力ずくで強制された奴隷なんかじゃない、自らの自由意志(アクセス権)を以て、ここに留まることを選択した大切な仲間の姿がね」
お前、本気で俺たちの声に耳を傾けているな。
ただの立ち去るまでの時間稼ぎ(安い社交辞令)としてではなく、自分自身の頭のアナリティクスをフル回転させて、世界のシステム構造そのものを本気で再構築しようとしているわけだ。
――まあ、それはともかく。
「アシュフォードへ帰還した後」
俺は尋ねた。
「……奴らに向けて、一体どんな報告を出力するつもりだ?」
「本物の真実よ」
彼女は一切のディレイ(躊躇)もなく即答した。
「――それがどれほど不都合で、受け取る側の上層部にとって激しい処理エラー(バグ)を引き起こす最悪のインテリジェンスであろうと、私は常に完璧に正確な事実だけを出力してきたわ。アークデモン(キャスモア)による宮廷ハッキングの真相。私がこの楽園で直接スキャンしたすべての確定事実。――その誠実さ(オネスト)の代償として、自らの社会的ステータスにどれほど凄惨なペナルティ(コスト)が科されることになろうが関係ないわ」
「それは、宮廷のクズどもにとっては『むかつくほど歓迎されない真実』だろうな」
俺は苦笑交じりに言った。
「お前たちの神聖教会のトップヒエラルキー(セルウィン)が、最も耳を塞ぎたがる質のデータ(ソース)だと思うがね」
「ええ、その通りね」
ソフィアも不敵に微笑んで同意した。
「いつだって本物の真実ってやつはそういうものよ。だからって、それを世界に出力する任務の必要性が、1ミリでも目減りする理由にはならないわ」
敬意を表するよ。心からな。
お前がこれからのタイムラインでどんな敵に回ろうが知ったことか。だがな、自分の都合に合わせて事実をねじ曲げるような欺瞞のフィルターだけは絶対にかけない、お前はそういう本物の『誇り高き強者』だ。
――まあ、それはともかく。
「最後にもう一つ、尋ねさせて」
その日の夜、お互いのレストエリアへと引き返す直前、ソフィアが稜線の境界線でピタリと足を止めて問いかけてきた。
「――もし私が無事に帰還し、この本物の真実を我が王国のシステムへ叩き込むことに成功したとして……その先、私たち(ホライズンクレストと神聖教会)の関係性はどうなるの? この大戦のすべての硝煙が完全にクリーンアップされたその後に、お前たちの間に一体どんな未来が定着するというの?」
耳が痛いほどの正論、そして極めて一級品のフラグ管理(厄介な問い)だ。
(……ククク、ハハハハハ! ――お前、俺にそんなハイスペックな未来予測(確定データ)を今すぐはじき出せってか? 頼むから勘弁してくれよ。俺のアナリティクスだって、まだそこまでの大局のチェス盤の最終結末はパースしきれちゃいないんだからさ)
「……さあな、俺にも分からないよ」
俺は本音を出力した。
「――平和的交渉が本当に実在し、世界のシステム上それが可能であると言うなら、俺だってそっちのセーフルート(平穏)を選択したいさ。教会の公式報告書がどんな最悪な妄想を書き連ねていようが関係ない。俺はアシュフォード王国を侵略するつもりもなければ、神聖教会の全システムを力ずくで粉砕して滅ぼすつもりも毛頭ないんだ。俺はただ……自らの手でゼロからビルドしているこの大切なファミリー(楽園)と共に、数年おきに大軍勢が攻め込んでくるような最悪のバグ(イベント)に脅かされることなく、ただ静かに日常を営みたい、それだけのことさ」
「それは……極めて合理的で、もっともな要求ね」
ソフィアは静かに、しかし深く頷いた。
「――だが、我が神聖教会という巨大システムが、その正当なアクセス権(許可)をお前たちに対して正しく付与できるアビリティを持ち合わせているかどうかは……本当に、今の私にも100%の保証はできないわ」
「上等だよ」
俺は不敵に笑ってみせた。
「欺瞞に満ちた偽りの約束なんかを提示されるくらいなら、最初からお前のような『誠実な不確定』を目の前に突きつけられる方が、この俺にとってははるかに100万倍マシだからな」
――まあ、それはともかく。
彼女はそれ以上、言葉を重ねることはしなかった。
俺たちの間に流れる空気の手触りは、これまでにないほど静かで、かつ深くお互いのロジックを噛み合わせるような、本物の『大人の沈思』へと完全に昇華(定着)していた。お互いに未だに明確な答えの出力ログ(確定データ)を抱えていない、あの果てしない未来の問いに対して。
この先何が起きようと関係ない。――絶対結界の耐久値変動も、この戦争がもたらす本当の最終結elt(結末)も、そして真実を受け取ったアシュフォード王国の宮廷が次にどんな最悪なチェスの駒を動かしてこようが知ったことか。
だがな、これからのサバイバルにおいて、このソフィア・オーレラインという最高戦力の女が、世界の大局をデバッグしていく上で極めて重大な『鍵(最重要フラグ)』になることだけは、今の俺のアナリティクスでも100%の確率で完全確定判定が出せる。
(……あの戦場で、こいつの命のデータをロストさせずに、自らの我が家へ抱えて連れ帰ってきたあの俺の直感は、間違いなく1ミリの狂いもない『最高の大正解(大戦利品)』だったわけだ)
彼女が自身の訓練場へと戻っていった後も、俺は長い間その場に残り続け、両親の名前が刻まれた墓石の表面を、いつもの見慣れた手つきで優しくなぞっていた。
(――まだビルドを続けているよ、母さん。お前がその生涯のすべてを等価交換(犠牲)にしてまで守ろうとしたこの世界線の中で、あの惨劇の残骸を幾重にも積み重ねて、その価値に見合うだけの最高に頑強な『本物の楽園』を、今、この手で一つずつ着実に肉付けしている最中なんだ。……世界のどこかでこれを見つめているお前たち二人にとっても、この俺の進んでいるルート(小林ファミリーの未来)が、相応しい合格点を叩き出していると、そう信じたいからな!)
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アシュフォード正規軍が辿った凄惨な結末のすべてが、四日目の朝、ホライズンクレストの防衛網へと正確に転送されてきた。――事態が完全にクリーンアップされ、安全圏からの索敵調査が可能になった段階を見計らって、エレインが戦場跡へと派遣していた小規模な偵察兵の報告によるものだ。
「二千の兵士」
帰還した偵察兵は、自らの眼光で目撃してきたその凄惨な光景の波動に未だに精神のシステムを揺さぶられながら、震える声で報告した。
「――そして、六百の魔導師。我が同胞が戦場跡を完全検分した段階で、かろうじて息をして生存信号を発していた生存者は三百未満。そのすべてが、すでに我が領地の境界線から遥か彼方の Ashford 領へと向けて、狂乱状態で敗走していきました」
三百未満。
二千六百という圧倒的な初期スペックを引き連れて進軍してきた大軍勢のうち、生き残ったのが高々それだけ(三百未満)という残酷なリザルト。――奴らがこちらの楽園を力ずくで強奪(システム上書き)しに突っ込んできた侵略者であると頭のロジックでは分かっていても、これほどまでに剥き出しの絶望的なロスト数値(死者の山)を目の前に突きつけられると、流石に脳内の処理限界に重い負荷がかかるのを感じざるを得なかった。
俺はその日の夜、我が陣営の最高幹部のすべてを招集し、その詳細な戦闘ログ(アカウント)を精査することにした。――エリス、エレイン、イグニヴァル。俺が教会の聖騎士どもの軍勢とダイレクトにエンカウントしていたその裏で、彼らが自らの戦場において一体どれほど圧倒的な蹂躙劇を完成させていたのか、その全貌を聞くために。
――まあ、それはともかく。
「あいつら、私たちの防衛スペックを完全に舐めきっていた(過小評価していた)わ」
エリスは言った。その声のトーンには、プロの戦士としての冷徹な厳しさと、それ以上の深い満足感が複雑に絡み合った精神波形として検出された。
「『ちっぽけな辺境のテリトリー=貧弱な防衛網(雑魚)』だと盲信していたのね。――まさか、私の育てた三人の精鋭(セブン、エイト、ナイン)が、この手の全面戦争に完璧に適合した実戦スペック(フルバトルモード)に仕上がっているとも知らずに。それに、ドワーフのボルガたちが鍛え上げたあの最高峰の『特級武装』が、人間の使う粗悪な普通の鉄(一般スチール)を前にして、どれほど圧倒的な絶対切削(蹂躙)を見せつけるかについても、奴らのアナリティクスは最初から計算違い(エラー)を起こしていたのよ」
「魔導師どもの破滅データは、さらに悲惨な有様でしたね」
エレインが淡々とシステム補足(データ追加)を行う。
「人間の使う通常の詠唱魔法なんてものはね、どれほど圧倒的な数( bruteフォース)を並べ立てて面で制圧しようと、我が陣営の完璧に訓練された反魔素使用者の絶対術式を前にすれば、ただの一撃で綺麗さっぱり無効化される運命にあるのです。――何ヶ月もの時間を費やして、私たちがこの楽園にビルドしてきたあの『組織的防衛ドクトリン(連動結界)』のスペックの高さは、奴らの想像をはるか次元の違うレベルで超越していましたから」
何ヶ月にも及ぶ、あの血の滲むような地獄の特訓(仕込み)。それが今、これ以上ないほど完璧な最大戦果となって結実したわけだ。上出来だ。俺たちが積み重ねてきた日常のコストは、まさにこの瞬間に部外者の理不尽を完封するために投資されていたのだからな。
「……で、イグニヴァルのじいさんは、本当に最初から最後まで1ミリも動かなかった(コミットしなかった)のか?」
俺は最初から半分分かっていた答え(プロファイル)を、苦笑交じりに再確認した。
「ただの丘の上から、ずっとパッシブに高みの見物をしてたわよ」
エリスが呆れたように、乾いた念話を響かせて確定判定をくだした。
「曰く、『最初の十分間の交戦ログをスキャンした段階で、最終的な全滅エンド(結界の勝利)は100%の確率で完全確定していた。これ以上、この俺の貴重なスペック(タイムリソース)をこんな退屈な雑魚狩りに割く理由はどこにも存在しない』、だそうよ」
(……ククク、本当にあいつらしい、むかつくほど合理的でハイスペックな佇まい(傲慢さ)だな、おい)
――まあ、それはともかく。
「――それで、こちらの『損失データ(リザルト)』は?」
俺の胸の奥底で、この夜の会議の中で最もビビり散らかしていた(最もアラートを鳴らしていた)本物の最悪な懸念(質問フラグ)を、ついに口に出して解放した。
「軽微です」
エレインの声の底から、彼女のいつもの洗練された composed(冷静さ)の網目をすり抜けて、本物の『静かな安堵』の波形がクリアに検出された。
「――何人かの負傷者(ダメージ蓄積)は出ましたがね。それも、オフィーリアの空間魔導理論とドワーフ側の最高峰のリカバリー・スペック(治癒技術)の連動パッチを当てれば、数日間のうちに完璧に初期状態できるレベルのエラーに過ぎません。……我が小林ファミリーから、命のデータをロスト(ロストエンド)した者は、ただの一人も存在しません」
ただの一人も、失わなかった。
すべてが終わった今。――ドランを失い、フェンリックを奪われ、前世の記憶から数えてこの世界線のシステムが俺に対して理不尽に叩き込んできたあのすべての淒惨な悲哀の歴史を経て……、俺は、今度こそ、ただの一人の仲間もロストさせることなく、この絶対の勝利を完全に掴み取ってみせたのだ。
アシュフォード王国の正規軍が進軍を開始したという最初のアラート(絶望)を受託したあの瞬間から、俺の胸の奥底を執拗に締め付け続けていた見えない結界が、今度こそ完全に、綺麗にカチリと音を立てて融解していくのを感じた。
「……そうか」
俺は言った。ついに返ってきたその声は、自分でも引くほどにガラガラに掠れ( rough)、涙の水分を多く含んだ異質なトーン(スペック)に崩壊していた。
「――上出来だ。それは……本当に、心底最高のリザルトだよ」
――まあ、それはともかく。
「敗走したあの三百頭の生存者どもは、これからどう動くと思う?」
俺は尋ねた。
「アシュフォードの首都へ逃げ帰った、あいつらのことさ」
「我が防衛哨戒網の偵察データ(スカウトレポート)によれば、すでにアシュフォード王国の直属のテリトリー(国内)へと向けて、文字通りの蜘蛛の子を散らすような有様で敗走を続けているわ」
エリスは冷酷に出力する。
「――奴らがその恐怖に狂った頭のロジックで首都へ持ち帰るであろうあの『戦場の大慘劇』はね、高確率で、ソフィア自身が自らの自由意志で宮廷に本当の真実を出力しに向かうよりも、はるか何倍もの超高速でアシュフォードの中枢へと着弾することになるわよ」
完全に完全崩壊(完封負け)した敗残兵どもの脳内フィルターを通過した、あの極限の恐怖の作り話。それが、本物の真実よりも先に、アシュフォード王国のマスター権(国王)の元へと届いてしまうわけだ。それは、この先にソフィアがどれほど誠実な外交ルート(真実のアナウンス)を構築して王宮へ突入しようと、そのフラグ管理において、決して小さくない深刻な妨害ノイズ(バグ)になるのは火を見るより明らかだった。
「その動向に関しても、事前に迎撃の仕込み(ビルドアップ)をしておく必要があるな」
俺は言った。
「世界のシステムにおいて、一番最初に首都に着弾して定着しちまった最悪な作り話ってやつはね、後からどれほど完璧な本物の確定データ(真実)を以て上書き(デバッグ)しようとしても、そのエラーを完全に消去するには、最初に想定していたよりもはるかに莫大なタイムリソース(コスト)を要求してくるものだからな」
これまで会議のログを静かに傍受していた長老アエロンが、ついにその重い口を開き、いつもの極めて大局的で思慮深いアセスメントを出力した。
「――ならば、その本物の真実が世界を駆け巡る速度そのものを、我が陣営のスペックで極限まで加速させてやればいいだけの話ではないか、カイ様」
長老の眼光が、妖しくうなりを上げる。
「……ソフィア・オーレラインという最高戦力の聖騎士長が、自らの意志で宮廷のチェス盤に叩きつけるあの本物の『自白(自らの目でスキャンした真実)』はね、ただの恐怖に狂った敗残兵の喚き散らす雑音ログなんかよりも、はるかに100%に近い確率で、あの国王アルリックの脳内システムを根底から揺さぶってハッキング(リライト)できるだけの、圧倒的な重量を最初から内包しているはずなのだからな」
完璧な正論、そして極めて合理的な戦術プランだ。
だからこそ、こいつがここを立ち去るその最後の1秒に至るまで、その肉体のスペックも、その魂のコア(誇り)も、この楽園にあるすべてのリアルデータと完璧に同調(適合)させて、1ミリのブレもない本物の『真実の弾丸(最高のアセット)』へと仕込み完了しておく重要性が、より一層マックスまで跳ね上がったわけだからな。
――まあ、それはともかく。
俺はこの過酷な大戦フェーズ(全面戦争の第1段階)がもたらした、すべての結果を胸の奥底に格納し、一人で夜の静寂の中に身を浸していた。――大戦果の達成、敗残兵の逃走フラグ、そして、本物の真実と人間の醜悪な妄想とが、どちらが先にあの狂ったアシュフォードの宮廷へ着弾するかという、その見えない情報戦争のカウントダウンの開始。
俺たちは本気で勝った。ただの一人の仲間もロストさせることなく、100%のパーフェクトゲームを叩き出してみせたのだ。――なのに、どういうわけか、今の俺のシステム(精神)には、安易なリリーフ(勝利の歓喜)の数値がどこにも検出されていなかった。
『解。マスターの精神波形をスキャン。――お前はすでに、過去に起きた戦闘終了のログ(クリア結果)ではなく、この先に確実に顕現するであろう次の最悪な不確定フラグ(アシュフォード王宮のデバッグ任務)に対して、自らの全スペック(アラートレベル)を割いて注視し始めていると推測されます』
脳内で響いた脳内脳のフラットなシステム音声が、1ミリの狂いもなく俺の本質を正確に逆探知してみせた。
(……フッ、相変わらずお前にはお見通しってわけか、アナリティクス。――戦闘に勝ったからって、その後に待ち受けている大局のポリティクス(因縁のクリーンアップ)のすべてを完全にデバッグし終えるまでは、本当の意味での『サバイバル成功(完全なるピース)』のフラグは成立しないってことくらい、俺はかつてあのキャスモアのクズ悪魔にシステムハックされたあの夜の惨劇から、骨の髄まで叩き込まれて(レッスンを修了して)いるからな)
俺は食堂を見回した。――命懸けで戦い、生存し、この俺というアクターの傍らで、このかけがえのない最高の楽園を共にビルドして守り抜いてくれた、我が小林ファミリーの最高幹部たちの姿を。
俺たちの開拓は、まだ終わっちゃいない。――終わるどころか、ここからが本当の『最悪の本番(第二大戦フェーズ)』の開幕だ。
だけどな、今夜だけは――俺が心の底から愛したファミリーの全員が、誰一人欠けることなくこの食卓に生きて並んでいる。それだけで、これからのどんなシステムバグ(理不尽な運命)とエンカウントしようが、何百万人もの軍勢がフロントドアを粉砕しに来ようが、100%の確率でクリーンアップ(駆逐)してやれるだけの、絶対的な『王道の確信』としては十分すぎるだろ!
今夜のこの平穏は、ありがたくログにセーブさせてもらうさ。
――明日になれば、世界(システムの歪み)がどんな最悪なイレギュラーを俺の前に叩きつけてこようが知ったことか。その瞬間に、俺のスペックがさらに最強のフルスペックへと進化を遂げていれば、それでいいだけの話なのだからな!




