第28話:騎士たちが持ち帰ったもの
オフィーリア・ヴァンスは、まさに四十年間ずっと「本物の挑戦(未知のパズル)」に飢え続け、ここに来て突如としてその極上品をいくつも同時に叩きつけられた狂人特有の、あの凄まじく猛烈な知的好奇心を滾らせてホライズンクレストの新生活へと溶け込んでいった。
「あんたの領地」
ここでの正式な暮らしが始まって三日目のこと、彼女は俺に向かって熱弁を振るった。
「……ここは魔導学者にとって完全なる狂気の楽園だわ! 既存の魔導理論のどこを探しても前例のない生きた絶対結界、まだまともな検分すら許されていない最奥の空間封印、そして――極めつけは、数十年前に歴史の表舞台から完全に消失したとばかり思い込んでいたあのイグニヴァルが、こうしてピンピンしてガキに稽古をつけている現実よ!」
「随分と嫌味な言い回しだな」
イグニヴァルが相変わらず乾いたトーンで応じる。彼の視線の先では、エレインが彼女のために手配した臨時の研究用ワークスペースに向けて、ヴァンスが文字通りドン引きするほど大量の計測機器を次々と展開している最中だった。
「最高の褒め言葉(ハイスペック評価)よ」
ヴァンスは平然と言い放つ。
「空間魔導の探求者にとって『心底魅力的で、かつ適度に生命の危機を感じる不気味さ(アノマリー)』こそが、毎朝ベッドから這い上がるための最高のエネルギー源になるんだからね」
(……へえ、いい性格してるじゃないか。最初のエンカウントの有様を考えれば、まさか自分がこの女をこれほど純粋に気に入る(信用する)ことになるとは夢にも思わなかったが、現実ってやつは面白いな)
――まあ、それはともかく。
その週の間、俺は彼女とイグニヴァルとの間に過去一体どんな『因縁』が存在したのかについて、何度も好奇心を刺激されていた。そしてついに、ある日の夜、エリスやエースも交えて囲んだ食卓の席で、俺はその疑問を直球でぶつけてみることにしたのだ。
「どういうルート(経歴)を辿ったら」
俺は尋ねた。
「真なる竜族の化け物の下での戦闘訓練から、辺境の魔導塔で空間理論に没頭するようなガチガチの学者へとシフトすることになるんだ?」
ヴァンスはその問いに対し、他のすべての研究対象に向けるのと同じ精密なロジックを以て、静かに思考のアーカイブを紐解いた。
「最初はね、純粋な戦闘スペックの向上のためにイグニヴァルの下で訓練を受けていたのよ。まあ、大部分は実家の都合(家族の期待)ね。我がヴァンス家には、ちょっとした武門の名誉( martialレピュテーション)ってやつを維持しなきゃならない規律があってさ。両親は、本物の竜の tutelage(薫陶)を受けさせれば、そのスペックを確実に担保できると盲信していたわけ」
「それで?」
エリスが純粋な興味を滾らせた眼差しで先を促す。
「結果は、絵に描いたような凡才だったわ」
ヴァンスは何一つ恥じる様子もなくあっさりと白旗を上げた。
「人並みには動けたけれど、天才の領域には到底届かないスペック。――実はね、私自身がその限界に気づくよりもはるかに早く、こちらの師匠がその本質を見抜いていたのよ。そして、絶対に大成しない技術をただ盲目的に反復練習させる無駄なコストを支払わせる代わりに、私の本当の適性に適合した別の道を探すべきだと、静かに舵を切ってくれたの」
「俺がそう提案したのはね」
イグニヴァルがその重い口を開き、解説(補足データ)を加えた。
「彼女が訓練の最中、実際に身体を動かすことよりも『何故この術式がその軌道を描いて機能するのか』という理論の解剖ばかりに、異常なほどタイムリソースを割いていることに気づいたからだ。それは剣士の抱く疑問ではない。……本物の学者の知的好奇心そのものだったからな」
ほう。それは指導者として、驚くほど合理的で本物の温もりに満ちた対応じゃないか。既存のシステム(家柄の期待)を力ずくで押し付けるのではなく、その個体が真に何のためにビルドされているのかを正しく見極める眼光。
――まあ、それはともかく。
「人生で、最も最高の助言だったわ」
ヴァンスは微笑んだ。
「その年のうちに戦闘訓練のルートを破棄し、間もなくして空間理論のフラグへと辿り着き、それ以来一度も後ろを振り返る(後悔する)ことはなかった。――まあ、最終的には音信不通になっちゃったけれどね。自分が一度お気に入りの研究対象を見つけてしまうと、完全に書庫の奥底に埋没してしまう悪癖のせいだけど」
「……恨んでいないといいのだがね」
イグニヴァルがぽつりと問いかけた。奴にしては極めて珍しい、どこか自信なさげな(エラーを懸念するような)トーンの揺らぎだったからこそ、俺の鑑定眼はそれを瞬時にキャッチしていた。
「まさか」
ヴァンスの言葉には、彼女のいつもの冷徹な科学的精密さを綺麗に融解させるほどの、本物の温もりが宿っていた。
「あんたは私に、実家の人形ではなく『本当の自分自身』へと進化するためのアクセス権をくれたのよ。そんな決定に対して、この四十年間、ただの一度だって恨みのバグデータなんて抱いたことはないわ」
いい雰囲気じゃないか。今夜のご飯の席が、まさかこれほど純粋に胸を打つ本物の絆の確認へとシフトするとは想定外だった。
――まあ、それはともかく。
ヴァンスの学者としての圧倒的なスペックが明らかになるにつれて、長男のエリアンが予想通りほぼ即座に彼女の周囲へと引き寄せられていった。――新生活が始まって数日もしないうちに、二人は領地内の未踏区域に関する高度な魔導議論のラリーを他愛もなく交わすようになっていたのだ。
「東方のセクターにおいて、特有の魔素共鳴パターン(レゾナンス)が観測されているのです」
エリアンは、現在の食卓の許容量を完全に入力エラー(キャパシティオーバー)にさせるほどの膨大な羊皮紙の山を広げながら熱弁を振るっていた。
「僕の現在のスペックでは、その術式の本質を正しく分類・パースすることができなくて。……霊素の積層であることは確実なのですが、僕にはまだ、その真の正体を識別するための固有技能が足りないのです」
「私に見せなさい」
ヴァンスはそのデータを目にした瞬間、極めて長い間アカデミックな飢餓状態に置かれていた変態特有の、あの飢えた眼光で即座に身を乗り出した。
いいコンビ(ペアリング)だ。エリアンは以前から自分の本気の研究に付き合ってくれる本物の共同研究者を求めていたし、ヴァンスにとっても、その四十年間蓄積してきた最高峰の専門知識を遺憾なく叩き込める極上のキャンバスが必要だったわけだからな。
俺は二人に、安全性が確保されている確定区域の範囲内であるという絶対条件のアクセス権を付与し、本格的な土地測量を実行する許可を出した。ただし――あの最奥の空間封印結界(次元牢)の座標周辺への接近だけは、俺が追加の許可を出すまで『完全立ち入り禁止(厳重ロック)』であるという最高レベルの防衛プロトコルを敷いた上での話だがね。
「分かっているわ」
ヴァンスはすでに、即座に現地調査へ出発するための観測機器のパッケージングを開始しながら生返事を返した。
「あんたが明確にデッドライン(立ち入り禁止)を指定した境界線をわざわざ力ずくで破らなくたって、この広大な森林には、私のタイムリソースを完全に使い切らせるだけの極上の未知の謎が、文字通り山ほど埋まっているんだからね」
――まあ、それはともかく。
翌朝、俺とイグニヴァルは再び地獄の特訓セッション(ビルドアップ)を再開していた。あの教会の聖騎士とのエンカウント以来、俺自身が奴に強く要望した通りの、これまで以上に一切の手加減を排したフルスペックの猛特訓だ。
「……もう一回だ」
今週だけでもう何十回目になるか分からないノックアウトを食らい、泥の中に大の字になりながら、俺は愛刀の柄を握り直して言った。
「いいだろう」
俺が自力で立ち上がるのを見届けながら、イグニヴァルがその重い口を開いた。
「強くなっているな」
その言葉は簡潔極まりないものであったが、そこには本物の確定評価が宿っていた。
「単なる肉体的な戦闘スペックの向上だけの話ではない。――今週のラリーの中で、かつてのお前なら完全に意識からすり抜けて直撃を食らっていたはずの不可避の死角を、お前はすでに二度、自らの認識精度で捉えてパリングしてみせた。確実な前進だ」
微々たる前進。だが、確かにこれは俺が勝ち取った本物の成果だ。
「……自分の理想の歩調に比べりゃ、むかつくほどスローペースに感じるけどな」
「世の中の本当に価値のあるシステム(事象)というやつは、大抵そういう合理的な遅延を伴うものさ」
イグニヴァルはいつもの完璧な臨戦態勢を構える。
「準備はいいか?」
「ああ、いつでもいけるぞ」
俺は不敵に笑ってみせた。その言葉に込めた本気の密度は、先週の自分よりも、はるまたはるかに高密度に研ぎ澄まされていた。
――まあ、それはともかく。
周囲の光が急速に失われ、夜の帳が下り始める頃まで、俺たちは泥まみれになって刃を交え続けた。戦闘終了後、互いに激しく乱れた息の耐久値を整えながら、俺はここ数週間の間、自分自身の思考のアーカイブの中でずっと反芻し続けていた『一つの厄介な問い(フラグ)』を、ついに口に出して解放することにしたのだ。
「……一つ、尋ねてもいいか?」
俺は言った。
「特訓の技術論の話じゃないんだが」
「構わんよ」
「……何故、奴らは俺の前に姿を現さないんだ?」
俺は奴の眼光を真っ直ぐに見据えた。
「ヴァルレスとスコルンの二頭の真なる竜(True Dragon)だ。あの山の惨劇(じまりの clearing)から、すでに何年もの歳月が経過している。その間、俺はロシャンの街でギルドの依頼をこなし、今やこのホライズンクレストという巨大なコミュニティの頭として、外の世界のシステムに対しても十分に『視認可能(フラグが立った状態)』になっているはずだ。あの次元の化け物どもにとって、この俺の座標をスキャンして叩き潰すことなんて、造作もないはずだろ。なのに……何故、奴らは未だに動こうとしない?」
イグニヴァルはその問いに対し、即座には答えず、長い沈黙を保った。――それは単なる言葉のディレイ(躊躇)ではなく、奴の脳内にある数万年規模の膨大なデータアーカイブを精査し、この件に関する最も合理的かつ本物の真実をはじき出そうとする、極めて深い『熟考の間』だった。
『解。マスターの精神波形に「未知の脅威(不確定フラグ)」による処理過多を検知。――しかし、現在のデータ不足により、対象の行動遅延に関する確定的な因果関係の算出は不可能です』
脳内で響いた**『脳内脳』**のフラットな音声が、イグニヴァルの言葉の真実味を冷酷に裏付けていた。
「分からない」
イグニヴァルは長い沈黙の末に、ようやくそう口にした。その明確な自信のなさ(ゼロデータであることの告白)は、下手に自信満々な回答(ハイスペックな仮説)を提示されるよりも、はるかに俺のサバイバル本能を揺るがす不気味な響きを孕んでいた。
「それは極めて妥当な問い(フェア・クエスチョン)だ。だが、今の俺にはそれに対する合理的な回答が用意できん。奴らほどの次元に達した True Dragon が、安い慈悲(憐れみ)で行動の自制をかけることなど万に一つもあり得ない。――現時点で奴らがここに侵攻してこないのだとしたら、理由は二つに一つだ。現在のお前という存在よりもはるかに優先度の高い『別の破滅的な事象』に奴らの全意識が占有されているか、あるいは……まだ世界に顕現していない『ある特定の引き金』が成立するのを、辛抱強く待っているかだ」
気休めのフレーズ(慰め)としては、マイナス100点だな。むしろ、考えうる中で最悪の部類の不気味さだ。
「奴らが来ないというこの現状に対して」
俺は刀の柄を固く握りしめながら尋ねた。
「……俺はより一層ビビり散らかすべき(警戒レベルを最大にするべき)か? それとも、少しは肩の力を抜いていいのか?」
「本当に、俺にも分からん」
イグニヴァルは再びそう言った。
「だが、その『完全なる未知(不確定性)』という事実そのものが、今のお前が最高レベルのシリアスさをもって警戒すべき対象だ。奴らのような化け物が、理由なしにチェスの駒を止めるわけがない。――行動の不在(パッシブ状態)とは、決して『殺意の消失(フラグの折れ)』を意味するわけではないのだからな」
(……チッ。これもまた、記憶のブラックボックスへファイリング完了だ。ただでさえやることリスト(To-Doリスト)がキャパシティオーバーを起こしかけているというのに、また一つ、一瞬たりともアラートを切ってはならない厄介なバグ項目が増えちまったわけか)
――まあ、それはともかく。
その日の夜。
俺は宿舎の食堂で、ヴァンスとエリアンがまるで子供のように目を輝かせながらお互いの研究メモ(データ)を突き合わせ、熱い議論を交わしている光景を眺めていた。そのすぐ近くでは、一年前のスペックでは到底考えられなかったほどの圧倒的な洗練度で、エリスが三人の門下生を相手に容赦のない実戦 drills(指導)を叩き込んでいる。そして相変わらず、エースはこちらの厨房に向けて「今夜のディナーの味付けの再現性」について、極めて偉そうな美食家めいた念話(辛口レビュー)を響かせていた。
彼らの姿を見つめていると、ここ数週間の間、俺の胸の奥底を執拗に締め付けていたあの張り詰めた緊張感とは全く無縁の、何てことのない温かい何かが、すとんと胸の奥底へと綺麗に収まっていくのを感じた。
この先何が起きようと――『ラオディキア神聖教会』の化け物どもが結界を破る術(共鳴崩壊)を引っ提げて本格的な軍勢で戻ってこようが、ヴァルレスとスコルンという二頭の真なる竜がいつか世界を滅ぼすフラグを起動して侵攻してこようが関係ない。
(……これだ。この、何てことのない、ありふれた平穏な夜の風景。これこそが、俺がどれほどの地獄を支払ってでも、命に代えても守り通さなければならない本当の『楽園』の価値なんだ)
たとえそのためには、どれほど血の滲むような地獄の特訓を積み重ね、どれほど圧倒的な最強スペックへと進化を遂げなければならないとしても、俺は絶対にその任務を途中で放棄しやしない。この居場所のマスターとして、彼らの後ろ盾に相応しい本物の強者へと至るその日まで、俺はただの一歩も止まることなく、前進し続けてやるまでだ!
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これは絶対結界の突破イベント(大破フラグ)の直後、生き延びた四人の聖騎士どもが、ほぼ完全な沈黙に包まれながら境界線を跨いで撤退していった時の内部記録だ。――自分たちが一体何を目撃し、どれほど最悪な破滅のデッドラインを踏みかけていたのか、誰一人として即座に言葉にして出力できる状態にはなかったのだ。
――まあ、それはともかく。
「……あれはイグニヴァル(Ignivar)だった」
予想通り、最初に沈黙のシステムロックを破ったのはアルドリックだった。相変わらず不躾な物言いではあったが、その声にはいつもの傲慢な自信など微塵も残されていなかった。結界のフロンティアから十分に距離を引き離し、かろうじて会話ログの安全圏に入ったと判断した瞬間の吐露だった。
「本物のイグニヴァルだ。教会の古い血統記録(系譜データ)に眠っていた、あの伝説の化け物だぞ。……歴史の記述は、ただの誇張(オーバーな表現)だと思っていたが」
「誇張などではない」
四人の中で最も寡黙なヴァレリウスが静かに言った。ここ数日間の行軍の中で最も短い一文であったが、そのトーンには他の誰の言葉よりも重い本物の重量が宿っていた。
「むしろ、古文書のデータは奴の本当のスペックを低く見積もって(逆サバを読んで)いたくらいだ」
(……こいつら、俺が今日、奴らをどれほど本気で『全滅』させようとしていたのか、その本当の薄氷のデッドラインを全く理解しちゃいないな)
カシアンは一人、脳内で冷や汗を流しながらその処理エラー(恐怖)を反芻していた。自分の同僚の喉元から僅か数ミリの距離でパリングされた、あの冷徹極まりない反魔素の刃の残像が、未だに網膜に焼き付いて離れないのだ。たった一言、選択を誤ったフレーズ(安っぽい挑発)を出力しただけで、自分たちが現状を認識するよりも早く、すべての命が跡形もなく消滅していたはずなのだから。
――まあ、それはともかく。
撤退初日の夜、彼らは極めて重苦しい静寂の中で野営を設営した。普段の精鋭四人組の間にあるはずの心地よい連携は、日中のエンカウントが叩き出してきた絶望的な測定結果(スペック差)によって、完全にシステムダウンしていた。
「この一件は、完璧に正確な事実として報告しなければならないわ」
セラフィエルがついにその沈黙を破り、大局の防衛ライン(方針)を口にした。
「演出のための誇張もなければ、自分たちの無様な醜態を隠すための隠蔽(ソフト化)も一切なしよ。起きた事象を、そのまま出力するの」
「……僕が、自分の安いプライド(口の利き方)のせいで首を撥ねられかけたという、その無様なログもですか?」
四人の中で最も若く、あの至近距離での死線によって未だに顔面が灰色に染まったままの聖騎士――トマス(Tomas)が、消え入りそうな声で尋ねた。
「特にそのパートよ」
セラフィエルは冷酷に言い放った。
「最高司祭セルウィンが求めているのは、常に完璧に正確なインテリジェンス(確定データ)よ。自分たちの安いプライドを守るために報告書にフィルターをかけるような欺瞞のバグこそが、かつてあの領域で二つの小隊を全滅させた『無知の過ち』そのものなのだから」
(……フッ、その通りだ。今日の失態でどれほど教会のプライドがズタズタになろうが関係ない。不完全な情報で次の作戦を動かすリスクに比べれば、プライドごとき安いコストだ)
――まあ、それはともかく。
三日後、極限まで疲弊した四人は、最寄りの教会の前線砦へと帰還した。セラフィエルは、数ヶ月前に結界のゆらぎを最初にスキャンした時と全く同じ精密なアナリティクスをもって、砦の記録聖職者(書記)に向けて詳細な音声ログを口述していった。
「……処刑寸前の状態(near-execution)」
その凄惨なフレーズ(テキスト)を聞いた瞬間、書記の手が微かに止まったのを、彼女は見逃さなかった。
「――それを静止したのは、領域の内部から突発的に介入してきた二つ目の超弩級個体。我が教会の最高機密アーカイブにおいて『イグニヴァル』として識別される、かつて真なる竜族の有力な血統に属していた化け物よ。現在は――どういうわけか、あの特異点と直接同盟を結んでいるか、あるいは奴の『師匠(指導者)』として機能していると推測されるわ」
「その個体識別(スキャン結果)は、100%確実なのですか?」
砦の最高責任者である高級聖職者が、報告書の持つ致命的な意味合い(破滅フラグ)を少しでも和らげるための『見間違いの余地』を必死に探そうと、青ざめた顔で問いかけてきた。
「確実だ」
セラフィエルが答えるよりも早く、アルドリックが吐き捨てるように断言した。
「俺は地下書庫で奴の古代の魔素肖像を何度も見ている。……間違いなく、あの男本人がそこに立っていた」
イグニヴァル。
本物の True Dragon の生き残りが、未だに現役のスペックを維持して生存している。そればかりか、あの忌々しい特異点のバックアップ(後ろ盾)として直接作戦にコミットしている。――その確定ソース(データ)は、本国アシュフォードの上層部が抱いていたこれまでの安易な領土紛争(アノマリー回収任務)という前提を、根底から完全に崩壊させるほどの、最悪のバグニュースだった。
――まあ、それはともかく。
砦から放たれたその極秘報告書は、厳重な蝋封を施された状態で、通常の官僚的な手続き(遅延処理)を一切排した最高速度(Urgency)の伝令騎兵の手によって、僅か数日間のうちに首都ラオディキアの中央書庫へと搬入された。
最高司祭セルウィンはそれを自ら受け取り、詳細な記述のすべてを二度、完璧に精査し終えた後、静かに机の上へと書類を置いた。その完璧にコントロールされていた無表情の底に、ここ数週間の間で初めて、本物の『危機感(フラグの重み)』が明確な影となって浮かび上がっていた。
(……イグニヴァル。その名前一つで、大局のチェス盤の計算式が完全に書き換わってしまうじゃないか。あの次元の伝説の rogue(逸脱した竜)が、能動的に特異点を訓練し、その絶対防御の盾として居座っている。――これはもはや、正体不明の辺境勢力とのただの小競り合いではない。極めて小規模ではあるが、世界を滅ぼしかねない最高クラスの脅威による『危険な共同体( coalition)』が結成されていると見るべきよ)
彼女はその日の深夜、即座にカシアンを執務室へと召集し、手に入れた報告書を二人の間に広げた。
「空間学者のヴァンスが、自らの意志であの領域に残留することを選択したとあるわね」
セルウィンは、その特定のフラグ(バグデータ)を新しい懸念事項として注視しながら尋ねた。
「……報告書に、彼女が教会のシステム(作戦)を裏切った具体的な理由についての記述はあったかしら?」
「いえ。ただ『純粋な学術的好奇心』とだけ口にしていたようです」
カシアンは冷静に出力する。
「それ以上の具体的な動機は、現時点ではスキャンできていません」
ヴァンス。イグニヴァル。そして、あの測量不可能な絶対結界の奥底で、今なお静かに、かつ急速にビルドアップされつつある『未知の軍勢(小林ファミリー)』のスペックの全貌。
――これ以上あの領域に不用意な先行投資を仕掛ける前に、俺たちが真に向き合っている敵の正体が一体何であるのか、その完璧な資産目録を完全に解剖・特定しておく必要があるわけだ。
――まあ、それはともかく。
「我が教会の地下書庫の最深部から、イグニヴァルに関する過去の歴史的記録のすべてを徹底的にリサーチしなさい」
セルウィンは冷酷に、しかし極めて合理的な反撃の手順をカシアンに厳命した。
「奴の過去の戦闘スペック、既知の人間関係(リンク先)、そして――何故あの次元の真なる竜が、これほど重大な特異点に対して自ら腰を上げ、個人的な肩入れ(インベストメント)を行っているのか。その真のロジック(理由)を、完璧に洗い出すのよ」
これはあの朝の惨劇を引きずった四人の聖騎士を退室させた後、最高司祭セルウィンとカシアンの二人の頭脳の間で交わされた、大局の隠蔽ラインに関する極秘の意思決定の全貌である。
――まあ、それはともかく。
「それで――報告書の全体像はどうされますか?」
カシアンが静かに、しかし冷徹な眼光で問いかけた。
「……アシュフォード王国の国王宮廷に対して、この記述のまま無修正で提出しますか?」
セルウィンはその問いに対して長い間沈黙し、完璧な透明性を保つことの政治的コスト(宮廷のパニック)と、どうせ遅かれ早かれ外のシステムへ流出する運命にある重要情報を今ここで不当に隠蔽しておくことの本当の致命的リスクを、天秤にかけて冷酷に弾いていた。
「この記述のままよ」
彼女はついに、大局の裁定を下した。
「どれほど受け入れがたく、我が教会のプライドを逆撫でする不都合な詳細であろうとも、そのすべてを含めた状態のフルスペックで提出しなさい。――宮廷の役人どもが、いずれ出所不明の杜撰なルートから流れてくる尾ひれがついた噂に踊らされて無駄な狂乱を起こすくらいなら、最初から完璧に正確な事実に基づいた『本物の恐怖』をその胸に定着させておく方が、はるかに合理的だわ」
(……へえ、そこまで腹を括るかよ、あの女。だがな、だからってその『正確なバージョン』とやらが、既存のシステムにとって十分に心臓麻痺モノの最悪なバグニュースである事実に、何一つ変わりはないわけだがね)
処刑寸前の完封負け(ニア・エグゼキューション)。
歴史の闇に眠っていたはずの伝説の rogue(真なる竜)。
そして、我が教会の最高峰の頭脳たちが全面的に信用し、身元を保証していたはずの空間学者の最高スペック(ヴァンス)が、何一つ躊躇するディレイ(猶予)すら見せることなく、自らの明確な自由意志によってあの特異点の側へと寝返った(居座りを選択した)という事実。
(……やれやれ。これまでの調査フェーズにおいて、あのセルウィンがどれほど合理的(冷静)な佇まいを維持してチェス盤を回してこようが関係ない。――その冷徹な仮面も、これからのサバイバルにおいて、これまで以上に限界を超えた負荷でへし折られることになるのは確定的に明らかなのだからな)
最高司祭セルウィンは、手元の報告書を慎重にファイルへと格納した。――ここ数ヶ月の間、俺のフロントドアの周辺からじわじわと集まり続け、気がつけば単なる辺境の特異事例という枠組みをはるかに超越して、世界を一変させかねない巨大な『破滅のシナリオ(大フラグ)』へと進化を遂げつつあった、あの不気味な重要書類の積層の真ん中へとな。
消息を絶った二つの小隊。
空間魔法の極致によってついに突破が可能であると実証された、あの測量不可能な絶対結界。
完全にこちらの制御を逸脱して特異点の盾となった、あの伝説の竜。
そして、かつて我が教会が幾度となくその至高の専門知識を拝借してきたあの老学者が、ただの知的好奇心という狂気によって、実にあっさりとこちらの世界線を切り捨てて向こう側へと亡命した有様。
(……フッ、当然だ。これが何であるにせよ、あの女の側にとっても、もはやこの一件をただの『珍しい特異事例( minorアノマリー)』としてのんびり観察・お遊び(ラグジュアリー)で処理するようなタイムリソースは、これっぽっちも残されていないのだからな)
そして俺自身のサバイバルの視点から見ても、真実(確定データ)が足踏みしている間に噂というやつが常に世界のシステムを何倍もの超高速で駆け抜けていくその性質を考慮すれば、アシュフォード王国(外の世界)の全体が、今日のこのエンカウントの測定結果を知って大パニックを起こすその日も――そう遠くない未来まで迫っているという事実を、今ここで改めて胸に刻んでおく必要があるわけだ。
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セラフィエルが断言した通り、本物の真実はセルウィンの机へと狂いなく出力された。――極めて致命的なエンカウント、安いプライドのせいで首を撥ねられかけた一人の騎士、そしてそれを水際で防いだ特異点側の想定外の最高戦力。侵略ではなく隠蔽された領域、生還したものの明らかに精神のシステムを揺さぶられた四人の精騎士。それは厳命通りの、完璧に誠実で正確な報告書だったが――それだけに、教会のヒエラルキー(上層部)の誰一人として直視したくない性質の、極めて不気味な測定結果だったのだ。
……だが、本当に最悪なのはここからだ。その『正確なバージョン』というやつは、外の世界(王国全体)に対しては、ただの1文字として正しく出力されなかったのだから。
噂というやつは常に世界を駆け巡る。ただ、それが常に誠実な形式を維持して伝達されるとは限らないのが、この世界のシステムバグだ。
――まあ、それはともかく。
始まりは、いつものように酒場の他愛のない雑談からだった。――騎士たちの前線砦へと物資を運んだだけの、何の権限(アクセス権)もないただのしがない輸送兵が、友人に向けた「あの山脈には教会の小隊を二つも全滅させた『何か』がいる」という、ぽつりとした愚痴だ。その友人は別の他人にそれを伝播した。三度目の再出力の段階で、その『何か』は凶悪な魔獣へと書き換えられていた。五度目の出力の時には、その魔獣はすでに明確な形状を獲得していた。――教会から強奪した大量の秘宝を喰らい、絶対の聖域を守護する、残酷無比な巨大アノマリーであると。
その話がアシュフォード王国の首都へと到達した時には、もはや元の事実の原型など爪の先ほども残っていない有様だった。
「あの山脈の化け物は、聖騎士どもを丸呑みにするらしいぞ」
ホライズンクレストからはるか遠く離れた、国王の王宮の目と鼻の先にある中央市場の広場で、一人の商人が別の商人に恐怖を伝播させていた。
「教会の最高戦力が、跡形もなく消されたんだ。そんな化け物が、もし俺たちの街まで獲物を求めて進軍してきたら、一体誰が防げるっていうんだよ!」
実際には、現場の誰も死んじゃいない。ただの一人もデータロストは起きていないのだ。――だがな、だからってそんな都合の良い事実で、この狂った噂の感染が止まってくれるわけがないのだから面白い。
――まあ、それはともかく。
**レヴェンス・キャスモア(Reventh Cassmoor)**卿――自身のちっぽけな領地には全く不釣り合いなほどの、途もない野心を抱いた弱小貴族の男――は、この急速に膨れ上がる民衆の恐怖をスキャンした瞬間、それが自分のような立場のアクターにとって、一体どれほどの『極上の商機』であるかを完璧に見抜いていた。公共への懸念という美しい仮面を被った、ただの政治的利権だ。
「教会は『民のための正義』を掲げているはずだろう?」
同じように野心だけは一丁前な弱小貴族どもの会合の席で、キャスモアは傲慢に演説をぶち上げた。
「――それでありながら、我が王国の境界線の真上にあの化け物が居座るのをただ黙って放置し、教会の同胞の命を奪われてもなお沈黙を保っている! その受動的な待機は、彼らを盲信して保護の対価(税)を支払っている愚民どもに対して、一体どんな最悪なアナウンス(裏切り)として機能していると思うかね?」
奴は民のサバイバルなんてこれっぽっちも心配しちゃいない。ただ単に、「教会の重い腰を力ずくで動かした本物の実力者」としてのブランド(レーティング)を確立し、それに付随する莫大な政治的キャピタル(発言権)を強奪したいだけなのだ。
その扇動的なフレーズ(センチメント)は、最初の他愛のない噂が酒場を駆け巡ったのと同じ恐るべき効率性で、貴族階級のネットワーク(サロン)を汚染していった。――今度は、民衆の漠然とした恐怖を意図的な『組織的圧力』へと変換する術を完璧に熟知したプロ(老獪な政治家ども)の手によって、何倍もの高出力へと増幅されながら。
――まあ、それはともかく。
最高司祭セルウィンは、僅か数週間のうちにその包囲網が限界値を超えつつあるのをその肌で直接感知させられる羽目になった。――彼女の数十年に及ぶ完璧なキャリアの中で、ただの一度だって彼女の合理的アプローチ(メソッド)に異論(エラー判定)を唱えたことのなかった教会の最高幹部たちから、極めて鋭く突き刺さるような査問が連日届くようになったのだから。
「民の精神の安定度が急速に低下しています」
一人の高位聖職者が、敵意からではなく、しかし明確な危機感を漲らせて彼女に告げた。
「最高司祭、あなたがどれほど深い英知の底で慎重な仕込み(アプローチ)を維持していようが関係ありません。――外側のシステムから見れば、あなたのその沈黙は、英知ではなくただの『無能な静止( inaction)』にしか映らないのですよ」
「二つの小隊の全滅という最悪のコストは、三度目の軽率な投資を正当化する理由にはなりません」
セルウィンは、最初から自分を導いてきたあの完璧な合理的ロジックの防衛ライン(理性の盾)にしがみつき、毅然と反論した。
「私には、現在あの絶対結界の術式を外側から完璧にスキャンし、解剖を進めている最高峰の空間学者がいます。境界線から本物の確定データ(インテリジェンス)を抱えて無事に戻ってきた精鋭の騎士たちもいるのです。ここで焦ってフラグを踏み抜けば、これまでの数ヶ月に及ぶ緻密な下準備のすべてが灰燼に帰すわ!」
「そのグランドワークというやつはね、愚民どもの眼には映らないのですよ」
聖職者は静かに、しかし断定的にその残酷な真実を出力した。
「――そして、『正義と保護の執行』という絶対のプロマイド(約束)の上に構築されている我が神聖教会という巨大システムはね、たとえその『何もしないこと』がどれほど高度で合理的な計算の産物であろうとも、民衆の前で【何もしていない無力な姿】を晒すことだけは、絶対に許されないのですよ」
――まあ、それはともかく。
彼女は完全に嵌められた(コーナーへと追い詰められた)のだ。――現地にある本物の脅威によってではない。一度誠実な手を離れ、何十万人もの強欲な人間の口を通過するうちに、全く別の怪物へと変貌を遂げたあの『噂の形状』そのものによって。
セルウィンはその逃れられない巨大な圧力(システム負荷)を前にして、長い間、一人で執務室に佇んでいた。――この果てしない調査フェーズが始まったあの日から、自分のすべての意思決定を冷徹に規定し続けてきた、あの物言わぬ死者たちの台帳を目の前に広げながら。
「……私は、軽率な狂乱には踊らされないわ」
彼女は長い沈黙の末に、誰に聞かせるでもなく、自分自身の魂のコアに向けて静かに言い放った。
「――だけど、どうやら私にはもう、自分が『100%完璧に仕上がったその瞬間』まで大人しく待つような贅沢なタイムリソース(猶予)も、残されてはいないようね」
彼女はその日の夜、ついに教会の最高ヒエラルキー(総本山)に向けて、公式の宣戦布告書のドラフトを開始した。――それは、彼女自身が最も望まない形での先行投資であり、彼女が長年積み上げてきた忍耐も、緻密な空間研究も、すべてがその『本来あるべき完璧なルート』を完遂することを許されぬまま、力ずくで次の破滅的な戦争フェーズ(エンカウント開始)へと引きずり回されることを意味していた。
この先何が起きようと関係ない。――だがな、次の衝突が巻き起こる本当の理由は、現地にある本物の脅威がそれを要求したからでは断じてない。ただ単に、この世界の醜悪な人間の間で何度も何度もねじ曲げられ、肥大化を遂げた『ただの作り話』というやつが、最終的には元となった本物の真実よりもはるかに凶悪で危険なバグモンスターへと進化を遂げてしまった、その哀れなシステム破綻の結末に過ぎないのだからな。




