第26話:小さな大地
それからの数ヶ月は、ホライズンクレストにとっていつもの平穏な日々として過ぎ去っていった。――静かに、そして極めて生産的に。俺たちの預かり知らぬ視界の外で、どれほど巨大な破滅の脅威が着々と組み上がっていようとも関係ない。我が理想郷は、その裏で着実に規模を拡大し続けていたのだ。
ボルガの同胞たちは、到着後ほぼ即座に建設作業へと身を投じた。そしてそのアビリティの差は、僅か数週間のうちに劇的な結果となって現れた。――エレインのエルフ独自の流派をもってしても到達し得なかった、圧倒的な頑強さ(ソリッド)を誇る建物たち。何世代にもわたって本物の採掘と鍛造の技術を磨き上げてきた者たちだけが成せる、極めて深く、確実な基礎工事の賜物だった。
「この山には良い骨組み(素質)が眠っているね」
まるで大地の声を読み解くかのような職人の眼光で岩肌を検分しながら、ボルガが俺に言った。
「本物のドワーフの技術を注ぎ込めば、現在ここにある有様よりもはるかに対象の価値を引き出せるはずさ」
「大歓迎だよ」
俺は応じた。
「お前たちが自発的に建ててくれるものなら、何であれ喜んで受け入れるさ」
彼女は同胞たちを指揮し、俺自身がこれまで思考の枠( To-Doリスト)にすら入れていなかった全く新しい方向性へと、ホライズンクレストのインフラを拡張していった。――完璧に構築された広大な地下倉庫、開拓集落の境界線と未知の森林とを隔てる強固な防壁、そして、かつて俺が手探りで拙く家を作っていた頃の初期ビルドがゴミクズに見えるほどの、圧倒的な性能を誇る大鍛冶場の完成だ。
――まあ、それはともかく。
イグニヴァルの下での地獄の特訓は、相変わらず容赦のない、己の無力さを痛感させられる歩調で継続されていた。朝になれば、立っている時間よりも泥まみれで地面に転がっている時間の方が圧倒的に長い有様だったが、それでも俺は気づきつつあった。自分と奴との間にあるあの絶望的な実力差が、血の滲むような微々たる前進を経て、確実に縮まり始めているという事実に。
「昨日よりも十一秒長く持ちこたえたな」
ある日の朝、いつものように引き起こすための手を差し伸べながら、イグニヴァルが冷静に観察を下した。
「……お前、秒数までカウントしてたのか?」
「当然だ」
奴は淡々と言い放つ。
「進化とは正確な計測によって評価されるべきものだ。曖昧な主観的印象など何の役にも立たん」
十一秒。
文字面だけを見れば他愛のない数字に聞こえるかもしれない。だがな、あの次元の化け物をスタート地点(圧倒的格上)に据えての十一秒だ。体感スペックとしては、それこそ永遠に近いほどの莫大なコストを支払って勝ち取った本物の前進だった。
そして同じ週の後半、俺は奴の完璧な戦闘ロジックの裏をかき、極めて稀少な『本物の驚愕』をその顔に浮かべさせることに成功したのだ。――俺の放った一撃が奴の防御網を完全にすり抜け、その肌へと綺麗に直撃した。奴はそれを単に相殺(パッシブ吸収)して流すことができず、俺の本当の実力を正しく再評価するかのように、明確に一歩後退してみせたのだ。
「……今のは新しいな」
イグニヴァルは、俺の刃が直撃した箇所から微かに滲み出る細い血の線を見つめながら呟いた。
「良い意味での『新しい』か? それとも警戒すべき方の『新しい』か?」
「良い意味だ」
奴のいつもの冷徹な佇まいの底に、本物の満足感がカチリと宿る。
「単に剣の技術が向上しているだけではない。お前はついに、自分自身の持つ『忌魔素』の本当の形状を本質的に理解し始めている。ただ力任せに問題を殴りつけて、出たとこ勝負の幸運を祈っていた頃(初期スペック)とは大違いだ」
(……へえ、あの男からそこまでの大絶賛(ハイスペック評価)を勝ち取れるとはな。ありがたく受け取っておくよ)
――まあ、それはともかく。
その日の夜、例のごとく青あざだらけになった肩の耐久値を手入れしていると、エースが隣にやってきて、相変わらずの辛口な念話を響かせてきた。
『以前に比べれば、無様にノックアウトされるまでのドラマ性が随分と薄れてきたな。我が相棒の進化として、データに書き留めておく価値はあると判断する』
(……そりゃどうも。一応、褒め言葉として受け取っておくよ)
『当然、賛辞だ。俺の観察によれば、イグニヴァルという男は滅多にお世辞や甘やかし(フランクな賞賛)を口にするタイプではない。奴がお前の前進を認めたという事実には、極めて本物の重量がある』
(ああ。それは俺も、奴と刃を交わしていて嫌というほど実感してるさ)
そこへエリスが合流した。エレインの固有技術によって、通常の治癒魔法では決して届かない異次元の『視界(マッピング能力)』を手に入れて以来、彼女の佇まいには一切の迷いがない確固たる自信が定着していた。
「強くなっているわよ」
彼女は俺の隣に腰を下ろし、一切の迷いなく(ノーエラーで)正確に俺の手を握りしめてきた。たとえ目に見える青あざを直接スキャンできずとも、すべてはお見通しというわけだ。
「あなたのオーラの手触り(テクスチャー)で分かるの。以前に比べて、負荷がかかった状態でも自分の形状を完璧に維持できるようになっているわ」
「イグニヴァルに言わせれば、まだまだ道半ば(スペック不足)ってところだろうけどな」
「それは間違っていないわね」
エリスはクスリと笑った。
「だけどそれは、この世界のすべての存在が、すべての事象に対して抱えている普遍的なシステムバグみたいなものでしょう? あなたが実際に縮めてみせたその実力差の価値が、それによって目減りするわけじゃないわ」
一本取られたな。どうやら俺は、自分が『これまでにどれだけの距離を縮めてきたか(獲得した成果)』ではなく、未だに残されている『絶望的なまでの実力差(残りの課題)』ばかりに気を取られて、勝手に自分を追い詰めていただけだったらしい。その悪癖も、そろそろ修正するべきだな。
――そして、翌朝。
俺は泥まみれの訓練場の端に立ち、こちらへと歩調を合わせて近づいてくるイグニヴァルの姿を見つめていた。その瞬間、俺の胸の奥底に、これまでにはなかった確固たる『軸』がカチリと音を立てて定着するのを感じた。――傲慢な自信などという生温いものではない。だが、それに極めて近しい何か。
どれほど気の遠くなるような実力差が目の前に立ちはだかっていようとも、俺たちは確実にその距離を殺しにかかっているのだという、一日一日の地獄の特訓がもたらした絶対的な確信だった。
この先何が起きようと関係ない。――『教会(聖教会)』が来ようが、ヴァルレスとスコルンの二頭の竜が牙を剥こうが、あるいは世界が他にどんな無理難題をホライズンクレストに吹っかけてこようが知ったことか。俺はただ黙って破滅を待つようなパッシブな存在では断じてない。すべての青あざも、すべての敗北も、あの十一秒間の前進も、そのすべてが俺を最強のスペックへと至らせるための確実な仕込み(ビルドアップ)なのだから。
「準備はいいか?」
イグニヴァルがいつもの完璧な臨戦態勢を構えながら問いかけてくる。
「ああ、いつでもいけるぞ」
俺は刀を引き抜き、不敵に笑ってみせた。その言葉に込めた本気の度合いは、昨日の朝の自分よりも、はるかに高密度に研ぎ澄まされていた。
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これもまた、俺たちがずっと後になってからようやく繋ぎ合わせた断片――あのオフィーリア・ヴァンスという空間魔法の最高峰エキスパートが、一体どのような思惑をもって教会の要請に応じたのかという、奴ら自身の内部記録である。
――まあ、それはともかく。
カシアンの手紙が彼女の私設魔導塔に届くまでには、実に三度もの試行を要した。――最初の二回は開封すらされずに送り返され、三回目にして、少なくとも内容をまともに読ませるだけの十分な鑑定料を同封したことで、ようやくフラグが動いたのだ。
オフィーリア・ヴァンスは、世間の噂から想像するよりもはるかに年嵩(お年寄り)だったが、その銀髪の奥にある眼光は驚くほど鋭かった。――肉体の衰え(システム経年劣化)を完全に拒絶するかのような、凄まじい知的好奇心の塊がそこにあった。
「あなたの言う規模の超大規模結界が、現在進行形で完璧に機能しているというのね」
手紙の到着から数週間後、ようやく正式な謁見を許されたカシアンの前に立ち、彼女は言った。
「しかも、組織による共同構築( institutionalワーク)ではなく、たった一つの個体によって維持されていると。……それは単に稀少というだけじゃないわ。我が空間魔導の歴史において、ほぼ前例のない異常数値よ」
(……へえ、喰いついてきたな。上出来だ。まさにあのセルウィンという最高司祭が目論んでいた通りの、完璧なフラグ誘導(思惑通り)じゃないか)
――まあ、それはともかく。
「我が神聖教会は、あなたのその至高の専門的技能に対して、相応の莫大な報酬を約束いたします」
カシアンは慎重に、極めて外交的なトーン(ポリティクス)で交渉を進める。
「具体的には、我々が古文書で発見したあの『共鳴崩壊』という術式が、現在のあの特異点の絶対結界に対しても有効であるかどうかの解析です」
「……可能性はあるわね」
ヴァンスは呟いた。その老獪な無表情の裏に、どこか遠くを見つめるような、極めて冷徹な計算の影が滑り込む。
「ええ、大いに可能性はあるわ」
――だが、この時のカシアンは何も知らなかった。――いや、教会の誰一人として、その日も、そしてそれから長い時間が経つまでも、ヴァンスが示したその異常なまでの『本物の執着(関心)』の背後にある、本当の致命的な重量(フラグの重み)を完璧に見誤っていたのだ。
彼女はその長い生涯の大部分を、空間属性の『封印結界(次元牢)』の研究に捧げてきた。その偏執的な研究( obsession)の代償として、かつて築けたはずの多くの社会的地位や人間関係を綺麗さっぱり失ってきた狂人だ。そして、その数ある封印の中でも、彼女の魂を最も激しく縛り付け、狂わせ続けてきた『一つの最高峰の術式』が存在した。
――それは彼女がまだはるかに若かった頃、自らの手で直接その構築に関わり、とある遙か辺境の山脈の奥底へと完璧に埋没・封印せしめた、あの忌々しい過去の因縁そのものだったのだ。
(……あの教会が説明している特異点の領地データ、そしてあの測量不可能な未知の山脈のスペック。――どう考えても、何十年も前にこの私が自らの手を汚してこの世から隔離した、あの『封印のケージ』と完全に一致するじゃないか)
彼女はその事実を、カシアンの前では爪の先ほども表に出さなかった。ただ単に「極上のパズルに出会って歓喜している純粋な学者」という完璧な仮面を維持したまま協力を承諾し、教会側には「彼女の協力は100%純粋なアカデミックの知的好奇心によるものだ」という完璧な誤認を植え付けることに成功したのだった。
――まあ、それはともかく。
「彼女の協力を取り付けることに成功しました」
数日後、カシアンは最高司祭セルウィンに向けて成果を報告した。
「私が観察した限り、彼女のモチベーションは本物です。あのレベルの最高峰の学者ともなれば、これほどの超大規模な空間パズル(結界サンプル)に出会える機会など、一生に一度あるかないかですからね」
「上出来よ」
セルウィンが冷酷に微笑む。
「それで――その『共鳴崩壊』とやらの術式を実際に敢行するために、彼女は何を要求しているの?」
「第一に、結界をフライングして破壊してしまう前に、その境界線の外側から術式の魔力波長(周波数)を完璧に測定・スキャンするための十分な猶予です。第二に、彼女の解析が完了し、いざ共鳴崩壊を起動するその瞬間に同行させる、極めて少数精鋭の隠密護衛チーム(ステルス小隊)の配備です。――結界の破壊が成功した際、内部に潜む脅威を確実に処理(殲滅)できるだけのスペックを持ちつつも、かつて二つの小隊を全滅させたあの未知のカウンター(大被害)を無駄に誘発しないための、必要最小限のピンポイントな戦力配置です」
(……手堅いな。相変わらず、あのセルウィン特有の、極めて忍耐強く確実なアプローチ(メソッド)を徹底してやがるわけか)
「そのチームを直ちに編成しなさい」
セルウィンは冷徹に命令をくだした。
「セラフィエル、アルドリック、カシアン、ヴァレリウス。――あの結界の境界線を最初に捕捉した、あなたたち四人よ。すでに現地での直接の索敵データ(経験値)を最も多く持っているあなたたちこそが、この任務の適任よ」
――まあ、それはともかく。
ヴァンスはそれからの数週間を、まさに約束通りの完璧な『学者』として過ごした。――慎重に距離を保ち、絶対結界のフロンティアから微かな魔力の脈動を測定し、データを収集する、その知的探求のプロセスだ。
……だが、その完璧に計算されたアカデミックな仮面の裏側では、誰にも明かされることのない、もう一つの恐るべき計算が暗黒の中で静かに回り続けていた。
(もしこれが……本当にあの時の『封印』なのだとしたら。もし、あの奥底に閉じ込めた『最悪の化け物』が、何十年経った今でもあの時の座標に完璧に幽閉され続けているのだとしたら――私はそれを、この目で直接確かめなければならない。我が手で施したあの次元牢が今なお完璧に機能していることをこの眼でスキャンするまでは、私は自分の下したあの選択が本当に正しかったのかという、魂のバグ(疑念)を永遠に消し去ることはできないのだから)
(教会の人間のクズどもは、私が特異点の捕獲を手伝っていると勝手に思い込んでいればいいわ。私が本当にあの領域の奥底(ホライズンクレストの最深部)に求めている真実の価値は、奴らが狩り集めている程度の魔獣のスペックとは、次元が違うのだから――)
彼女はその本音を、セルウィンにも、カシアンにも、そして自分との同行に向けて着々と迎撃のスペックを研ぎ澄ませつつあった四人の聖騎士の誰一人に対しても、断じて漏らしはしなかった。
彼女はただ黙々と、自らの計測機器が「術式の充填完了(エンカウント開始)」を告げるその瞬間を、虎視眈々と待ち続けていた。――そしてその瞬間のすぐ後ろには、かつて数十年前に自分が下したあの壮絶な選択が今なお世界のシステムを守り通しているのか、あるいは――自分のまだ知らないどこかのタイムラインで、すでに静かに、そして致命的に破綻(バグを起こし)し始めているのかという、その絶対的な真実との対面が待ち受けているのだった。
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空が灰色に淀んだ、何の変哲もない朝のことだった。オフィーリア・ヴァンスと四人の聖騎士は、ついに絶対結界のフロンティアへと到着した。その天候のせいで、結界の表面を走る微かな魔力のゆらぎ(境界線)は、最初からそれを識別すべく訓練された最高戦力の眼でなければ、ほぼ視認不可能なほど世界に溶け込んでいた。
「……これで向こう側にある『すべて』が、跡形もなく大破するような事態にはならないでしょうね?」
ヴァンスがこれまでの研究フェーズで見せてきたのと同じ、極めて緻密な手つき(ケア)で観測機器の陣形をセットアップする姿を見つめながら、セラフィエルが念を押すように尋ねた。
「共鳴崩壊とは、破壊の術式ではないわ」
ヴァンスは手元の作業から視線を上げることもなく、冷淡に言い放った。
「それは単なる『拒絶(不一致)』よ。――結界自身の構造に対し、こちらの周波数を完璧に不調和させることで、術式自体に『自己適応するか、あるいは一時的かつ局所的に維持を放棄するか』の二択を迫るのさ。私たちはその隙間を突く。決して長い時間ではないけれど、侵入のスペックとしては十分すぎるわ」
(……随分と自信満々じゃないか。現状の想定リスクを考えれば、少々傲慢にすぎる気もするがね。まあ、あの伝説の学者のレーティングを前にして、真っ向から異論を唱えられる奴なんてここには一人もいないわけだが)
――まあ、それはともかく。
術式の発動準備には、そこから丸一時間近くの時間を要した。――完璧に計算された座標に配置される魔導具たち。ヴァンス自身の膨大な反魔素の糸がそれらの間を複雑に縫い合わせ、四人の騎士の誰も見たことのない未知の術式を形成していく。カシアンだけは、単なる時間への焦りではなく、本物の知的好奇心の眼差しでその光景を熱心にスキャンしていたがね。
「……準備完了よ」
ヴァンスがついに腰を上げ、その表情にこれまでの学究的な余裕とは明らかに異なる、ひどく張り詰めた本物の集中が宿る。
(ふむ。単にパズルを前にして興奮しているだけの顔じゃないな。いざ実戦の段階に入ったことで、あの女の中で何かのフラグが完全に切り替わったわけだ)
彼女が本格的に術式を起動すると、その両手は一連の複雑な印を紡ぎ始めた。見守る騎士たちの目には、それがまるで完璧に指揮された音楽のタクトのように精密に映った。――その一動作が重なるたびに、絶対結界のシステムそのものが激しく抵抗(反発)を起こし、境界線のゆらぎはより眩く、より凶暴なスパイク(脈動)を起こしてヴァンスの圧力と衝突し合っていた。
――まあ、それはともかく。
結界は、ヴァンスが事前に試算していた一時間のタイムリソースをほぼ限界まで使い切るほど、極めて頑強に持ちこたえた。アルドリックがそのあまりのしぶとさに何度も不満げに身じろぎ(スタンスを変更)したほどだ。――だがついに、その完璧だった絶対防御の構造の底から、物理的な音を伴って決定的なエラー(破綻)が発生した。――それはまるで、限界まで止められていた呼吸が一気に解放されたかのような、独特の空気の収縮音。次の瞬間、世界のゆらぎは内側へと崩壊し、たった一度きりの本物の隙間が出現したのだ。
「今よ」
ヴァンスはすでに動き出していた。
「この隙間は長くは持たないわ。迅速に、そして極めて隠密に動きなさい。必要以上にこちらの存在を領域内にアナウンスしたくはないでしょう?」
五人は影のように滑り込み、境界線を突破した。彼らが通り抜けた瞬間には、共鳴崩壊によって引き裂かれた結界の術式が、早くも自発的な自己修復(バグ修正)を開始しており、その閉鎖速度は彼らの事前の計算をはるかに上回る恐るべき速さだった。
――まあ、それはともかく。
聖域の内部へと足を踏み入れた瞬間、ヴァンスのあのすました学究的な冷静さは、全く別の性質のモノへと完全に変貌を遂げていた。――ただの好奇心で動く老学者ではない。明確かつ偏執的な自らの目的に向けて、聖騎士たちの慎重で組織的な進軍ルートをあえて無視し、完全に単独行動の舵を切り始めたのだ。
「特異点の居住区と思われる座標は、この方角よ」
セラフィエルが、事前の索敵報告から割り出した開拓集落の中心地と思われる方角を指し示した。
「ええ、分かっているわ」
ヴァンスは生返事を返し、すでにそれとは全く異なるベクトル――集落の存在など最初から眼中にない未知の深部――へと歩調を向けていた。
「私は学者としての距離を保ちながら、この領域のシステムを外側からスキャンさせてもらうわ。あなたたち四人は、自分たちの優先任務を進めなさい」
(……おいおい。あの女、最初から教会の作戦に従う気なんてサラサラないぞ。完全に別のフラグを回収しに行ってるじゃないか。しかも、あの化け物聖騎士どもは誰一人としてまだその異常に気づいちゃいない有様だ)
四人の騎士は、彼女の圧倒的な専門知識を全面的に信用しきっており、かつ自分たちの隠密進軍の制御に意識を割かれていたため、何の手出しもせずそのまま彼女を単独で放流するという最悪の選択を冒した。――それが、自分たちの任務においてどれほど致命的で取り返しのつかない破滅的エラー(ミステイク)になるのか、この時の奴らにはまだ知る由もなかったのだ。
――まあ、それはともかく。
我が領地の奥深く。――教会の上層部はおろか、同行している聖騎士の誰一人として、そこに見慣れた特異点の集落などよりもはるかに最悪な『世界の禁忌』が幽閉されているなどと夢にも思っていない、あの未知の絶対未踏区域(未開拓エリア)の入り口において。
ヴァンスは、自身の計測機器が『既存の魔導書には存在しない未知の異常数値』を感知した瞬間から、猛烈な集中力(Urgency)を滾らせて突き進んでいた。
(……間違いないわ。二つ目の魔素紋がこの先にある。外側の絶対結界よりもはるかに古い。そしてこの圧倒的な魔素密度――空間属性の術式が幾重にも積層されているわ。この計測エラーを叩き出している本物の『封印』の正体を、私はこの眼で直接スキャンしなければならない……!)
彼女は、自分が踏み込んでいるその座標が、部外者が絶対に立ち入ってはならない文字通りの絶対不可侵領域(立ち入り禁止区域)であるという事実に完全に盲目になっていた。そして――自分がその境界線を跨いだまさにその瞬間、こちらの想定をはるかに凌駕するレベルの圧倒的鑑定眼を持った『領域の主』によって、その存在のすべてを完璧に逆探知されていることにも、未だに何一つ気づいていなかったのだ。




