第21話:群衆の中の顔
ロシャンの街壁を再び一時的に離れることになったその依頼は、書類上はごく単純なものだった。――ある商家が、最近になって火事場泥棒的な盗賊が出没するようになった街道を通る輸送品の護衛を求めていたのだ。『銀級』の仕事で実入りも良く、かつてトビアスと初めて緊張しながらこなした護衛任務の頃からの俺たちの成長ぶりを考えれば、もはや大した労力とも感じられない類のものだった。
人間、そこへ到達するための努力を実際に積み重ねてしまうと、「大した労力とも思わない」状態がこれほど早く新たな基準になってしまうのだから面白い。
依頼そのものは、何事もなく平穏に完了した。――統率の取れていない小規模な盗賊の集団が、大した覚悟もないまま一度だけ半端な襲撃を仕掛けてきたが、それも彼らが本格的に突撃してくる前にライラの放った矢によって綺麗に処理された。三日もしないうちに俺たちはロシャンへと帰還し、商人からは多大な感謝を受け、ギルドの評価もまた一歩確実に上がったのだった。
だが、賑わう市場地区を通り抜けて街の境界へと歩いていた時のことだった。隣を歩いていたエリスの身体が、不意に、しかし確実に強張るのを俺は見逃さなかった。
「エリス?」
「……何でもないわ」
彼女は少し早口で言った。その視線は、前方の群衆のどこか一点に釘付けになっている。
「誰かを見たような気がしたの。多分、気のせいよ」
俺の経験上、「多分気のせい」という言葉が本当にただの気のせいであった試しは滅多にない。
「誰だ?」
俺は慎重に、静かな声で尋ねた。
彼女はさらにしばらく沈黙し、カジュアルさの欠片もない真剣な眼差しで群衆を走査していた。
「元・主人の部下よ」
ようやく返ってきた彼女の声は、ひどく張り詰めていた。
「見間違いかもしれない。一瞬だったから。だけど……違うとは思えないの」
(――アナリティクス、解析は?)
俺たちは意図的に速度を落とさず、そのままのペースで歩き続けながら、脳内で**『脳内脳』**に静かに問いかけた。
『解。真偽を確定させるための情報が不足しています』
脳内脳は淡々と告げる。
『しかしながら、対象が囚われの身であった頃の経験から培った「脅威察知能力」を考慮すると、現在の識別結果を単なる被害妄想として却下するよりは、信憑性が高いと評価するのが妥当であると判断します』
なるほど。これまでの彼女の壮絶なサバイバル経験を考えれば、この手の直感に関しては十分に信用するに値する(ベネフィット・オブ・ザ・ダウトを与えるべきだ)。
「よし、一度宿に戻ろう」
俺は周囲に盗み聞きしている者がいる可能性を考慮し、あえて軽いトーンを維持したまま声に出した。
「急ぎの用事があるわけじゃないけど、ちょっと話し合っておきたいことができてね」
ライラは即座にその空気の変化を察知し、さり気なく俺たちの距離を詰め、周囲からはそれと分からないように警戒体制に入った。小さな姿に変身したエースは、俺たちの後ろを一歩遅れて歩きながら、通り過ぎる群衆に向けてその耳を警戒深くとがらせていた。
――まあ、それはともかく。
宿の部屋に戻り、部屋の鍵をしっかりと閉めた瞬間、エリスはそれまで必死に抑え込んでいた緊張を一気に表に出した。
「もし本当にあいつだったとしたら」
彼女は部屋の中をそわそわと歩き回りながら言った。
「元・主人が本当に私を探しているのだとしたら……それは、誰かが彼に『私がここにいる』と伝えたってことよ。つまり、どこかの誰かが私に気づいて、その情報を売ったか、あるいは別の方法で流したってことに他ならないわ」
かつてドランとフェンリックを死に追いやった密告者と、全く同じ構図だ。標的が違うだけの、忌々しい既視感。
「まだそうと決まったわけじゃない」
俺は自分自身の動揺が必要以上に表に出ないよう、慎重に言葉を選んだ。
「本当にただの偶然かもしれないし、あるいは単によく似た別人だった可能性もある」
「その可能性もあるわね」
エリスは同意したものの、その声に納得した様子は微塵もなかった。
「だけど、無視して痛い目を見るよりは、過剰なくらいに警戒しておきたいの。私にはあいつがどんな人間か分かっているし、もし本当に私を探しているのだとしたら……それが何を意味するかも分かっているから」
「なら、警戒しましょう」
ライラが毅然とした口調で言った。
「全員でね。今、この瞬間からよ」
いい傾向だ。それが正しい直感というやつだ。不都合だからとか、確定していないからという理由で、可能性を捨ててはならない。
「そいつは一体、何をするつもりなんだ?」
俺は静かに尋ねた。
「もしお前を見つけたら……最悪のケース(ワーストシナリオ)だ。俺たちが一体何に対して備えるべきなのか、正確に把握しておきたい」
エリスは長い間沈黙した。彼女が必死に勝ち取ってきた冷静さの底から、過去の恐怖が目に見えて這い上がってくるのが分かった。
「あいつは、自分の『所有物』を失うのが大嫌いなのよ」
彼女は感情を押し殺した平坦な声で言った。あまりにも苦痛に満ちた事実を語る時にしか使わない、あの独特のトーンだ。
「まずは私を連れ戻そうとするはず。そして二度と逆らえないようにするための『お仕置き(ペナルティ)』が次に来る。それに……もし本当に『教会(聖教会)』が特異点に対して懸賞金を払っているのだとしたら――」
彼女はそれ以上、言葉を続けなかった。――その必要がなかったからだ。
(……あいつを教会に売り払う気か。もし彼女の今の本当の『正体』を知られたら)
その瞬間、俺の胸の奥底に、ひどく冷徹で絶対的な何かがカチリと収まった。――それは、かつてあの空き地で教会の騎士たちに囲まれた時に抱いたものと全く同じ性質の感情であり、そしていつか、あのセルウィン自身との間で何かが起きるその時にも、俺が胸に抱き続けるであろう確信(覚悟)そのものだった。
「そんなことは、絶対にさせない」
俺は静かに、しかし確信を込めて言った。
「何が起ころうと関係ない。そんな未来のバージョンは、俺が絶対に存在させない」
エリスは俺を見つめた。その表情に、どこか脆く、そして心からの感謝が浮かぶ。
「信じるわ」
彼女は言った。
「ただ……私、前にも安全だって信じ込んで、それが間違いだったことがあるから」
「そりゃそうだ」
俺は頷いた。
「だから、ただ信じるだけじゃない。そのために備えるんだ。今この瞬間から、全員で、能動的にな」
――まあ、それはともかく。
それからの数日間、俺たちはここ数週間で最も慎重な日々を過ごすことになった。ライラが目立たないよう密かに地区を偵察し、エースはその研ぎ澄まされた嗅覚で、俺たちのいつもの移動ルート周辺に不自然に残り続ける見慣れない臭いがないかを確認する。そして俺自身は、1日1回という使用制限がある**『鏡皮』**を、その唯一の切り札をいつ切るべきか慎重に見極めながら、いつでも発動できる状態で待機していた。
相手が誰であろうと――あるいは本当にただの気のせいだったのか――あの最初の一瞬の目撃以来、奴らは二度と姿を現さなかった。だからといって脅威が去ったわけではない。ただ単に、奴らが『辛抱強く』機を伺っているだけという可能性もある。かつてあの街道で、ドランやフェンリックと一緒にいた俺たちを狙っていた、あの頃の『教会(聖教会)』がそうだったように。
『解。狩人における「忍耐」とは、敵に回した際に決して心地よい性質ではありません』
脳内で、**『脳内脳』**が静かに告げてきた。まったく異なる前世の、古い教訓を反芻するかのような響きだった。
(ああ、本当にその通りだよ)
エリスに関して言えば、彼女はこの数日間、かつてないほど集中した猛烈な密度で訓練に打ち込んでいた。精密な制御のドリル、ライラとの実戦訓練。もし元・主人の手下が再び自分を捕らえに来たとしても、あの空き地でボロ雑巾のように倒れていた初対面の日とは違い、今度は絶対に無防備な姿など晒さないという強い決意の表れだった。
「もう二度と、誰かに救い出されるのを待つだけの存在(お姫様)には戻らないわ」
ある日の夜、特に過酷なメニューを終えて汗だくになり、激しく息を切らしながらエリスが俺に言った。
「今度はただじゃ起きない。自分の力でどうにかできる限り、二度とあんな屈辱は味わわない」
信じるよ。心からそう思う。
「どちらにせよ、お前が一人で立ち向かう必要なんてないさ」
俺は彼女に言った。
「何が来ようと関係ない。かつて星の降る屋上で、ドランとフェンリックに誓ったのと同じだ」
あの時、俺はその約束を守り通した。――いや、守り通せなくなるその最後の瞬間までは、確かに守っていたのだ。
(今度は、「守り通せなかった」なんて結末は絶対に認めない。何が何でもな)
その二つ目の思考は、あえて声には出さなかった。いくつかの誓い(プロミス)というやつは、準備が整う前に試されることのないよう、言葉にするよりも胸の奥底に静かに封印しておく方が、はるかに対象の価値を高めるのだと俺は学びつつあったからだ。
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それからさらに二週間、エリスの過去に関わる者たちの気配は一切途絶えた。俺たちが張り詰めていた鋭い警戒心も、時の経過とともにゆっくりと、いつもの日常へと巻き戻りつつあった。――完全に忘れたわけじゃない。二度とあの頃には戻れないとしても、少なくとも全ての会話の最前線にその不安が居座ることはなくなったのだ。
本当に、ただの気のせいだったのかもしれない。市場の雑踏で見かけたあの顔は、今回ばかりは彼女の見間違いだったのだと。
あるいは、相手がこちらの想像以上に『忍耐強い』だけの猟犬であるかだ。
俺はその二つ目の可能性を滅多に口にはしなかった。必要以上の恐怖をいつまでも引きずり回すのは、精神衛生上よろしくないからだ。だが、それでも俺は街道沿いの木々への警戒を怠らなかった。何年も前、かつて失った最初の家族と一緒にいた頃に、あの商人の警告を聞いて以来、森の奥を見つめる癖が完全に消え去ることはなかったのだから。
――まあ、それはともかく。
この二週間の間、俺たちはあえて軽めの依頼ばかりを選んでこなしていた。ロシャンから一日以上離れることのない、都市周辺での『銀級』の仕事だ。誰も口に出して言いはしなかったが、それは全員が暗黙の了解の上で下した選択だった。
「みんな、あえて街の近くに留まってくれているのね」
ある日の夜、エリスがぽつりと言った。俺たちが考えている以上に、彼女はその意図を正確に見抜いていたらしい。
「私のために、でしょう?」
「俺たち全員のためさ」
俺は優しく言葉を返した。
「もし本当に俺たちの誰かを狙っている奴がいるなら、互いにすぐ手が届く距離にいるのが一番合理的だろ。慎重に行動して損をすることなんてないさ」
「私のせいで、みんなの生活が小さくなっていくのは嫌なの」
静かに告げられた彼女の声に、かつての暗い罪悪感がじわりと滲み出る。
ほら来た。かつて俺という存在のせいで他人が傷つくたびに、俺自身が何度も何度も背負い込んできたのと同じ形の呪縛だ。
「誰の生活も小さくなってなんかいないわ」
俺が口を開くより先に、ライラが毅然とした口調で遮った。
「あなたは私たちが『賢明』であるための理由よ。そこを履き違えないで。全員が無事で賢くある方が、無謀に突っ込んで誰か一人を欠くよりもはるかにマシです」
エリスはその言葉に直接答えることはしなかったが、その肩の強張りがわずかに解けた。罪悪感が消えたわけではない。だが、それをたった一人で抱え込むのではなく、他人に認められた(シェアした)ことで、少しは救われたのだろう。
それは、再び張り詰めた空気から『本物の日常』へと戻りつつあった、ある何てことのない夜のことだった。
エリスが、翌日の夜に街の反対側にある特定の宿屋で俺と合流したいと、実に他愛のない様子で口にしたのだ。自分一人で片付けたい、ちょっとした用事(お使い)があるのだという。
「急ぎ用じゃないんだけどね」
彼女は言った。
「ちょっと営業時間が変なお店から、物資を受け取りたいだけ。そんな退屈な用事にみんなを付き合わせるのも悪いから、終わったらそこで合流しましょう」
実にもっともな言い分だ。今の彼女なら、街中のお使い程度なら一人でこなす実力は十二分に備わっている。
「分かった。じゃあ俺たちは席を取って、そこで待ってるよ」
その時の俺は、それ以上深く考えもしなかった。ただのありふれた予定、ありふれた夜。エリスがこの数ヶ月間で、着実に、そして誇らしげに取り戻してきた『小さくて確かな自立』の、まさにその延長線上にある出来事だった。
彼女は、あの空き地で半死半生で倒れていた頃の少女ではない。今や自分で夜の予定を立て、どの用事を一人で片付けるべきかを自ら選択できる一人の立派な表現者なのだ。それは素晴らしいことだ。俺が彼女に対して、まさにそうなってほしいと願っていた姿そのものだった。
だから、その日の夜の俺には、その計画について二の足を踏むような理由はどこにも存在しなかったのだ。
――だが。
『マスター。念のため、私が彼女に同行した方がよろしいですか?』
その日の深夜、エリスがすでに部屋に戻った後、**『脳内脳』**が脳内で静かに問いかけてきた。
(……お前、何か本当にマズいことが起きる(バッドバグがある)とでも思ってるのか?)
『解。差し迫った危険を示す明確な情報は存在しません』
脳内脳は淡々と告げる。
『しかしながら、先日の目撃例と、その未解決の動向を考慮すると、追加の警戒措置を講じることによるコストは、潜在的なリスク回避のメリットに対して極めて軽微であると判断します』
(……お前の言う通りだな。備えあれば憂いなしだ)
翌朝、俺はエリスにそのことを言いかけそうになった。万が一のために、念のため、この静かな二週間の間も俺たちが完全には捨て去っていなかった警戒を完璧なものにするために、エースに隠密で尾行させようかと提案しかけたのだ。
――だが、結局言わなかった。
彼女は、その小さな自立を取り戻せたことをあれほど誇らしそうにしていたのだ。ただの気のせいで終わる確率が高い用事のために、その誇りに水を差し、あの重苦しい不安を再び彼女に手渡したくはなかった。
彼女ならお使い程度、こなせるはずだ。この人生において、あるいは俺が出会わずにそのまま続いていたはずの人生において、彼女はこれよりはるかに最悪な地獄を生き延びてきたのだから。
(……まあ、ただの気のせいだろ)
その日は、文字通り何てことのない普通の1日として過ぎ去っていった。――ライラと俺は小規模なギルドの依頼を一緒にこなし、エースはその鋭い意識を俺たちの手伝いと、本気で極めようとしているらしい昼寝のルーティンとの間で綺麗に二分割していた。夕方近くになり、エリスは例のお使いへと出かけていった。途中まで送ろうかという俺の提案を、彼女は屈託のない自信に満ちた笑顔で軽く受け流し、俺はその表情を見て「ああ、全ては見かけ通りに順調なんだな」と自分を納得させてしまったのだ。
「じゃあ、宿屋でね」
エリスは言った。
「あんまり心配して目を血走らせながら待ってないでよ? あなたがどういうタイプか分かっているんだから」
「私(当システム)は多くの可能性を内包していますのでね」
俺がそう返すと。
「その中には『辛抱強く待つ能力』も含まれているさ。……まあ、大体の場合はね」
彼女はいつもの見慣れた温かい笑い声を残し、夕暮れの混雑する街頭へと一人で歩き去っていった。過去に何十回とそうしてきたように、何事も起きないはずの日常の風景の中に、彼女の背中が溶けていく。
(……大丈夫さ。今の彼女なら十二分にやってのける。これこそが、俺たちが少しずつ、ようやく取り戻しつつあった『当たり前の夜』なんだから)
その日の夜、俺は約束の宿屋でライラとエースと一緒にテーブルにつき、食事を注文した。いつものように、一時間もしないうちにエリスが当たり前のような顔をしてあの扉をくぐってくると、そう信じて疑わずに。
――だが、彼女は来なかった。
(まあ、少し遅れているだけだろ。お店での手続きか何かに、予想以上の時間がかかっているだけに決まっている)
そう自分に言い聞かせ、一時間が経過した。そして、さらに次の一時間が過ぎ去る。
……何かがおかしい。
その時の俺は、事態がどれほど『最悪(致命的)』な領域に突入しているのか、まだ知る由もなかった。ただ、目の前で刻一刻と冷めていく料理を虚しく見つめながら、あの平穏で何てことのない日常の数週間が完全に終わりを告げたこと、そしてこの後に待ち受ける展開が、俺たちの誰一人として想定していなかったほどの『莫大な代償』を要求してくるであろうことだけを、肌を刺すような悪寒とともに確信していたのだった。
--------------
【追記】
この後に続く出来事は、俺自身がその目で目撃したものではない。
これはエリスの記憶だ。彼女がその件を言葉にできるようになるまで数週間、何段階にも分けて俺に語ってくれたものだ。俺はここに、彼女が語った内容のすべてを可能な限りそのままの形で書き残す。――なぜなら彼女には、この真実を正しく語られる権利があるからだ。たった一行の段落に押し込められ、足早に通り過ぎていいような出来事では決してないのだから。
――まあ、それはともかく。
お店から宿屋へと続くその通りは、彼女が午前中に通った時よりも狭く、そして静かに感じられた。――普通の夜にはあり得ない、独特の静寂。頭がその理由を察知するよりも先に、腕の産毛が総立ちになるような、あの嫌な気配だ。
彼女は、路地の入り口近くにいる一人目の男に気づいた。ただの通りすがりにしては、あまりにも意図的な配置だった。二人目はさらに進んだ先、閉まった露店の前を不自然な様子で物色している。三人目はあやうく見落とすところだったが、戸口の影に身を潜め、そのかすかに光る眼光だけが男の存在を証明していた。
(三人。少なくとも三人……まるで、誰彼構わず狙っているんじゃなく、明確に『私』を待ち伏せ(エンカウント)しているみたいね)
彼女は一瞬、引き返そうかと考えた。反対方向へ走り、人混みを探し、カイの元へ戻るべきではないかと。
――だが、彼女は走らなかった。
(ここで逃げたら、私はまだ『逃げるしかない無力な少女』のままだって認めることになる。私はもう、あの頃の私じゃない。あんな惨めな存在に戻るのだけは、絶対に御免よ)
彼女が最初の二人の間を通り抜けた瞬間、奴らは一斉に襲いかかってきた。――統率の取れた、無音の連動。どこで包囲を完了させるか、完璧に計算し尽くされた動きだった。
だが、エリスは躊躇わなかった。
数ヶ月に及ぶエレインの精密な戦闘訓練と、彼女自身が必死に勝ち取ってきた規律が、思考よりも先に彼女の身体を動かす。すでに刃は解き放たれ、その闘気は輪郭をくっきりと残したまま、完璧にコントロールされて輝いていた。もしここにカイがいたなら、心底誇らしく思ったであろう見事な発動だった。
一人目の男は彼女を完全に舐めていた。――それが奴の致命的な失敗となった。奴が武器を鞘から引き抜くよりも早く、エリスの一撃がその喉を正確に切り裂いたのだ。二人目の男はより警戒しながら側面から突っ込んできたが、彼女はそれを完璧に制御された反魔素の衝撃波で迎え撃ち、間合いを詰められる前に奴の息の根を止めた。
(二人。二人倒した……まだ、私は立っているわ)
三人目はさすがに手強かった。――剣筋の背後に本物の技術が隠されており、エリスも決定的な隙を見つけるために本気で立ち回ることを強いられた。ようやく奴を仕留めた頃には、彼女の闘気は激しい消耗のために熱く燃え上がっていた。
三人。
彼女は血の通う通りに立ち、激しく肩で息をしながら、自分のではない血がべっとりと付着した刃を見つめていた。そして、ほんの一秒間だけ、勝利の歓喜に似た何かを胸に抱くことを自分に許した。
――だが、四人目の男が影から足を踏み出した瞬間、そのささやかな歓喜は、目の前の光景を前にして一瞬で吹き飛んだ。
奴は他の三人に比べて年嵩(お年寄り)であり、無謀さとは無縁の、本物の自信に裏打ちされた特有の落ち着きを纏っていた。そしてその全身からは、完全で、一切の途切れのない『黄金の闘気』が放たれていたのだ。エリスはそれを目にした瞬間、絶望的な確信とともに、奴の実力が自分をはるかに凌駕していることを悟った。
(中級――それも、完全に力を開花させた熟練者。私は数ヶ月訓練しただけ。あいつは数年、下手をすれば数十年のキャリアがある。これじゃ、戦いにすらならない……!)
「見事だ」
奴は彼女の後ろに転がる三つの死体を観察しながら、ほとんど心からの賞賛を口にした。
「実によい師に恵まれたようだな。まあ、最終的な結果は変わらんが……素直に感心したと言っておこう」
エリスは答えるために息を無駄にすることはしなかった。代わりに突撃し、この数ヶ月間の訓練で培ったすべてを、たった一撃の決死の先制攻撃に注ぎ込んだ。
だが、男はそれを目立った動作もなしにあっさりと受け流し(パリング)、軌道を逸らすと、完璧にコントロールされた力の衝撃でカウンターを叩き込んできた。エリスの身体は路地の壁へと激しく叩きつけられ、肺の中の酸素が完全に掠め取られた。
(嫌……嫌よ、こんなところで……これまでの、すべての努力が……!)
彼女は必死に立ち上がろうとした。だが、男はすでに目の前にいた。
その手が彼女の喉を容赦なく締め上げ、世界の輪郭が急速に灰色へと染まっていく。
「世の中には、どれほど技術を磨こうが絶対に意味をなさない質の戦いというものが存在するのだよ」
男はどこか親切そうに、まるで優しい言葉をかけるように言った。それが、かえってエリスの恐怖を増長させた。
「これがまさにそれだ。今は眠るがいい。お前は少なくとも、それに見合うだけの働きはしたのだからな」
意識が完全に闇へと沈む直前、彼女の脳裏に最後に残ったのは、残されたすべての力を振り絞ってしがみついた、ただ一つの、激しく、決して折れることのない確固たる想い(コア・スートラ)だった。
(カイは来る。絶対に、来てくれる。私には分かっているんだから――)
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【追記】
エリスの記憶はまだ続く。この後に続く出来事の一部に関して、俺は詳細な描写を避け、あえて抽象的な表現に留めることを選んだ。――それが真実ではないからではない。いくつかの出来事は、たとえこの俺に対してであっても、彼女が望む限り彼女だけの秘密として留めておく権利があるからだ。
――まあ、それはともかく。
彼女が目を覚ました時、身体は地下の冷たい石壁に鎖で繋がれていた。――まともな太陽の光など一度も浴びたことのない場所特有の、あの特有の湿った臭いが、脳が現状を認識するよりも先に肺へと染み渡ってくる。
(地下室。地下……高確率で、あの屋敷の地下ね)
やがて部屋に入ってきた男は、路地で彼女を捕らえたあの熟練の男ではなかった。だが、彼女はその顔を見た瞬間、いかなる肉体的な苦痛よりも深く、冷たい絶望が全身に突き刺さるのを感じた。――完全に逃げ切ったと信じ込んでいた、あの忌々しい過去の人生の象徴。
「ふむ」
男は、一度は紛失したと思い込んでいた自分の『所有物』を検分するような目つきで彼女を見つめた。
「随分と大きくなったな。それに、私の部下たちから聞いた話では、随分と面白い連中と行動を共にしているようじゃないか」
元・主人。
「私はもう、あんたの所有物じゃないわ」
彼女は、震えそうになる心を必死に抑え込み、できる限り毅然とした声で言い放った。
「所有権」
男は、どこか思索にふけるような口調で言った。
「というのはな、お前がどう吹き込まれてきたかは知らんが、お前が考えているよりもはるかに融通の利く概念なのだよ」
――まあ、それはともかく。
それから始まった長い時間の出来事は、極めて計算尽くされた、辛抱強い残虐性に満ちていた。――彼女を殺すためではない、まだその時ではない。ただ、彼女の魂の根幹を叩き折り、自分がいかに奴の脳内で『ただの物』のままだったのかを、順序立てて(メソッドに)思い出させるための行為だった。
その地獄のような苦痛の中で、彼女はたった一つの思考だけにしがみつき、脳内で何度も、何度もそれを反芻していた。それだけが、彼女の意識を現実に繋ぎ止め、耐え抜くための唯一のアンカーだった。
(カイは来る。絶対に、来てくれる。あの人はいつも、来てくれるから――)
「誰も、お前を見つけ出すことなどできんよ」
彼女の沈黙が奴を退屈させ始めた頃、元・主人が傲慢に言い放った。
「この場所は、どんな地図にも載っていない隠し部屋だ。お前を捜しているとやらが誰であろうと――ここに辿り着く術はない」
彼女は答えなかった。言葉を返すことすら、奴に不当な報酬を与えるようで反吐が出たからだ。
そして終盤に至り、男はさらなる凶行に及んだ。――極めて意図的で、計算された、最悪の残虐性だ。もし仮に、何らかの奇跡が起きて彼女がここから脱出できたとしても、二度と自分から逃げ出せないようにするための確実な呪縛。
彼女の顔の前に、見たこともない禍々しい魔力を帯びて冷たくうなる魔導具が突きつけられる。
「この世界の最高峰の治癒魔法をもってしても、これを元通りにすることはできんよ」
男は、まるで奇妙な慈悲でもかけるかのように、どこか優しげな口調で言った。それが余計に恐ろしかった。
「お前はもう二度と、逃げ出すための視力を得ることはない。私からも……他の誰からもな」
その直後に襲いかかった激痛は、彼女のこれまでの人生の中で最も苛烈な地獄だった。そして、慈悲深い暗黒が、それまで世界を映していた彼女の視界を完全に塗りつぶしたのだった。
「ついでに言っておくと、『教会(聖教会)』もお前を探していてな」
すべてが終わった後、男はまるで他愛のない世間話でもするかのように付け加えた。
「最近は特異点の買い取り価格が随分と高騰していてね。適切なルートに話を通せば、かなりの利益になりそうだ」
そう言い残すと、男は彼女を鎖に繋ぎ、盲目にし、かろうじて意識を保っているだけの状態のままその場に放置した。奴の足音が遠ざかり、最初に目を覚ました時と同じ湿った沈黙だけが、再び彼女を包み込んだ。
――それからどれほどの時間、そこに吊るされていたのか、彼女自身も覚えていないという。鋭い激痛が、やがて鈍く絶え間ない鈍痛へと落ち着いてからは、時間の概念そのものが意味をなさなくなっていたのだと、後に彼女は俺に語ってくれた。
ただ、彼女の記憶の中に、今なお鮮明に、揺るぎなく残り続けているものがある。それは彼女が何度も、何度も立ち返り続けた、自分自身を形に留めておくための最後の希望だった。
(あの人は来る。分かっているんだから。……私の身体がどんな無様な有様になっていようと関係ない。あの人がここに辿り着くまで、ただ、息さえしていればいい――)
盲目となり、鎖に繋がれ、暗闇の中にたった一人で取り残されながらも、彼女はその確信を限界まで握りしめ続けた。そしてついに、かすかに、本当に微かではあるが、何かの音が聞こえたのだ。それは誰かの足音だったかもしれないし、あるいは、ただの希望的観測が、ついに自分の脳を完全に壊して見せた幻聴だったのかもしれない。
だが、彼女はその音を『足音』だと信じることを選んだ。
そして――彼女の直感は、正しかったのだ。




