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転生の向こう側 【The Other Side of Reincarnation / Beyond Reincarnation】  作者: ルーク
時空大戦 ―ヒリン編― ( 永遠の女王 )

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第132話: 時空戦争・第7部:領域と哲学の衝突

破壊。それが、この大陸の大部分に残された唯一の爪痕だった。


かつて栄華を誇った王国は丸ごと瓦礫の山と化し、広大な森は根こそぎ薙ぎ払われ、険しい山脈は真っ二つに削り取られた。

大河はその流れを変え、何世紀もの歴史を刻んできた古代都市でさえも、巨大なクレーターと無惨に砕け散った大地の底へと消え失せていた。


だが、最も奇妙な事実は――この破滅の大部分が、人間同士の戦争によって引き起こされたものではないということだった。


軍勢が進軍したわけではない。

ある帝国が、別の帝国を侵略したわけでもない。

魔王が配下に命じて、人間の王国を滅ぼしたわけでもない。


その壊滅的な被害をもたらしたのは、あまりにも理不尽で荒唐無稽な理由だった。


ただ『二人の存在』が、戦っていたのだ。

通常の戦争の尺度など遥かに超越した力を持つ二人の怪物が激突したせいで、周囲の世界そのものが単なる『巻き添え(コラテラル・ダメージ)』として吹き飛んだに過ぎなかった。


九十年前、彼女たちの戦いは幕を開けた。

それは丸々六十年間も続き、三十年の休戦期間を経て――そして今、現代において再び幕を開けようとしていた。


--


九十年前


空が、燃えていた。

比喩ではない。雲そのものが文字通り引き裂かれ、燃焼していたのだ。


凄まじいエネルギーの奔流が、凶悪な流星のように天蓋を横切る。

衝撃波の余波だけで山々が消滅し、広大な森林地帯が一瞬にして塵へと還る。

かつて繁栄を極めた人間の王国が存在した場所には、ただ果てしなく巨大なクレーターが口を開けていた。


その破壊の中心に、二つの人影が凛と佇んでいた。


一人は、おぞましい深紅の魔族のエネルギーを纏っている。漆黒のオーラが、終わりなき嵐のように彼女の周囲で渦を巻いていた。

もう一人は、黄金と真紅が混ざり合った竜のエネルギーに包まれている。その背後には六枚の巨大な翼が広がっていた――のちに彼女の愛息が受け継ぐことになる、あの全く同じ六枚の翼だ。

彼女の存在そのものから放射される圧倒的な威圧感の前に、大気そのものが恐怖に震えている。


――魔王ニクセラ。原初の悪魔・第五位(プライモーディアル・ナンバーファイブ)。

そして、彼女と対峙するは――アシュリー。『真なる混沌竜(トゥルー・カオス・ドラゴン)』。

この戦争によって滅びゆくどの王国よりも遥かに長い時を生きてきた太古の竜。のちにダニエルの傍らで纏うことになる『人間の姿』を、まだとっていない頃の真の姿だった。


数秒の間、どちらも一歩も動かなかった。

ただ静かにそこに立ち、互いの出方を窺っている。


やがて、ニクセラが微かに口元を釣り上げた。

「……破壊してくれたわね」


アシュリーが小首を傾げる。

「何を、かしら?」


ニクセラが、アシュリーの背後に広がる無惨な廃墟を指差した。

「私の、帝国よ」


アシュリーはキョロキョロと周囲を見回した。

「あら、本当」

彼女は悪びれもせず肩をすくめた。

「でも、趣味の悪い不格好な街並みだったから丁度いいじゃない」


ニクセラの眉が、ぴくりと痙攣した。

「……あの帝国を築き上げるのに、私がどれだけの歳月を費やしたと思っているの? 三百年よ、三百年!」


アシュリーは楽しそうに微笑んだ。

「だったら、最初からもっと頑丈に作っておけばよかったのよ」


ニクセラの表情が、一気に暗く冷え込んだ。

「……あんたって女は、本当に救いようがないわね」


「そこが私の魅力的なところでしょ?」


ニクセラが、そっと片手を掲げた。

彼女のオーラが、爆発的に噴き上がる。

「あんたは、私がこの世で最も憎むものすべてを体現しているわ」


アシュリーもまた、六枚の翼を大きく広げた。

「奇遇ね。あんただって、私が一番大嫌いなものすべてを詰め込んだような女よ」


ほんの一瞬、二人の間に完全な静寂が訪れた。

そして次の刹那――二人の姿が、同時に掻き消えた。


――ドゴォォォォォォォン!!


最初の激突だけで、周囲の地形そのものが根こそぎ引き裂かれた。

こうして、伝説の戦いが幕を開けた。


--


六十年の大戦


彼女たちは、領土を巡って戦っていたわけではない。

財宝を奪い合っていたわけでもない。

ましてや、どちらかが相手のプライドを傷つけたから戦っていたわけでもなかった。


本当の理由は、遥かに根源的で、決して交わることのない『理念の衝突』だった。

この世界そのものが、一体どのような姿であるべきか――二人の思想は、真っ向から対立していたのだ。


ニクセラが信奉するのは『秩序』。絶対的な秩序だった。

すべての存在が、定められた正しい場所に収まる世界。

王国は厳格に統治され、法は徹底して執行され、力は一点へと集約される。混沌(カオス)は完全に排除され、彼女が築き上げた完璧な構造を不安定にさせるものは何一つとして許されない。

ニクセラにとって、制約のない自由とは、単なる『破滅』の言い換えに過ぎなかった。


対して、アシュリーが信じるものは、その真逆だった。

彼女こそが『混沌』。変化。自由。そして無限の可能性。

世界は決して、誰かが設計した窮屈な箱庭の中に閉じ込められるべきではないと彼女は信じていた。

王国は興り、やがて滅び、再び再建され、変化し、進化していくべきもの。強大な力を持つ誰かが勝手に決めたからといって、すべてが氷のように固定されたまま停滞することなどあってはならない。

アシュリーにとって、完璧すぎる秩序とは、別の形をした『監獄』に他ならなかった。


どちらも、相手の哲学を受け入れることはできなかった。

そして、どちらも一歩たりとも譲る気はなかった。


その決して埋まらない溝が、戦争へと発展した。

――丸々、六十年間も続くことになる、終わりのない大戦へと。


--


――ドゴォォォォン!!


アシュリーが分厚い暗雲を突き破り、弾丸のように突撃した。

彼女の剛拳が、ニクセラの展開した防御障壁に真っ向から激突する。


――パキィィィン!!


鉄壁の障壁が、ガラスのように粉々に砕け散った。

ニクセラの身体が後方へと吹き飛ばされる。彼女は空中で鮮やかに身を捻り、漆黒の翼を大きく広げて制動をかけた。


そして体勢を立て直すや否や、即座に片手を突き出す。


「【星雲(ネビュラ)】」


その攻撃は、轟音を立てなかった。

代わりに、不気味なほど低い宇宙的な周波数が大気を震わせ、耳鳴りのような共鳴音(ハミング)が響き渡る。


アシュリーの強靭な竜鱗が、異常な振動に共鳴して震えた。

ニクセラの掌の周囲で、空間そのものがぐにゃりと歪み――そして、必殺の閃光が解き放たれた。


――ズゥゥゥゥゥン……!!


極太の光線が、アシュリーを真正面から飲み込んだ。

彼女が立っていた大地そのものが、跡形もなく消失する。

周囲の山々が、糸が解けるように崩壊していく。爆発したわけでも、焼き尽くされたわけでもない。物質としての『形』を維持する理そのものが奪われたのだ。

巨大な岩塊が微細な光の粒子へと分解され、まるで『逆さまに降る雪』のように空へと舞い上がっていく。


やがて、その破壊の煙の中から、アシュリーがゆっくりと姿を現した。

強固な鱗は所々で砕け散り、顔の片側からは鮮血が流れ落ちている。


それでも――彼女は不敵に微笑んでいた。


「……それだけ?」


ニクセラの目が、鋭く細められる。

アシュリーはゆっくりと両手を掲げた。


「だったら、次はこれでも味わってみなさい」


彼女の両掌の間に、太陽のように巨大なエネルギーの球体が急速に形成されていく。

その圧倒的な質量に光を奪われ、周囲の空が夜のように暗く沈み込む。

大気が恐怖に震え、真昼の空であるにもかかわらず、頭上には無数の星々が不気味に輝き始めた。


ニクセラの表情が、一瞬で緊迫したものへと変わる。

「……嘘でしょ、まさか――」


アシュリーが、獰猛に微笑んだ。


「【星屑の爆発(スター・バースト)】」


球体が、解き放たれた。


――ドゴォォォォォォォォン!!


凄まじいエネルギーの奔流が、夜空そのものを真っ二つに引き裂く。

地平線の彼方まで広がっていた分厚い雲が一瞬で霧散し、天蓋に巨大な風穴が開いたかのように錯覚させる。

その一撃は、空に穴を穿ち、あるいは星一つをまるごと消し飛ばすほどの破滅的な威力を秘めていた。


だが――ニクセラの姿が、その場から掻き消えていた。

灼熱の閃光は、ただ彼女が立っていた虚空を通り抜けただけに過ぎない。数キロメートル先まで続く大爆発が、遠景を真っ白に染め上げる。


アシュリーが鋭く目を細めた。

「どこへ消えた――」


声は、彼女のすぐ目の前から響いた。


「見つけたわ」


アシュリーが反応する暇すらなかった。

ニクセラはすでにそこにいた。文字通り、ゼロ距離(ポイント・ブランク)。

彼女の冷たい掌が、アシュリーの顔面にピタリと押し当てられている。


「【星雲(ネビュラ)】」


――ドゴォォォォォン!!


極限まで圧縮された宇宙的周波数の衝撃波が、アシュリーの頭部に直接叩き込まれた。

その余波だけで、アシュリーの背後に連なっていた険しい山脈が跡形もなく消失する。

まるで誰かが絵の具の風景画に消しゴムをかけ、紙面から無造作に拭き取ってしまったかのように、峰々が根こそぎ消え去ったのだ。


アシュリーの巨体が、砕け散った数個の山々の残骸を貫通しながら吹き飛ばされ、大地へと激突する。

衝撃で地面が大きく口を開け、深いクレーターが刻まれた。


ニクセラがゆっくりと高度を下げ、舞い降りる。

「……これで、終わりかしら?」


直後、大地が内側から大爆発を起こした。

瓦礫を吹き飛ばし、アシュリーが悠然と姿を現す。

美しい髪は土埃にまみれ、頬からは一筋の鮮血が滴り落ちていた。


それでも、彼女はニクセラを真っ直ぐに見据え、朗らかに笑い飛ばした。

「まさか。まだまだこれからよ」


ニクセラは深く、盛大にため息をついた。

「……ええ、そうでしょうね」


アシュリーの姿が掻き消える。ニクセラもまた、全く同じ瞬間に消失した。


――ガキンッ!!


二人の剛拳が、空中で真っ向から激突する。


――ドォォォォン!!


その衝撃波が、大陸全土を薙ぎ払うように駆け抜けた。


――ガキィィン!!


再び、激突。


――ドゴォォン!!


また一つ、遠くの山が地図から消え去る。

彼女たちはまるで、人間の姿を借りた二つの『天変地異』そのものだった。


エネルギーの奔流が流星雨のように夜空を交差し、極太の光線が雲を穿ち、衝撃波が山々を砕き、次元の斬撃が大地を裂く。

『混沌(カオス)』のエネルギーと、絶対的な『魔王の権能』が、寸分の狂いもなく激突し続けていた。


--


どちらも、相手を完全に圧倒することはできなかった。

一方が優位に立てば、もう一方が即座にそれを覆す。


ニクセラが自らの『秩序』を押し付ければ、戦場全体が強固な力の層によって固定され、あらゆる逃走経路が完全に封鎖される。

するとアシュリーがその術式構造を内側から引き裂き、封鎖された空間そのものをニクセラの足元に口を開ける不安定な次元の裂け目へと変貌させる。


アシュリーが『混沌』を解き放てば、予測不能な軌道で方向を変え続ける狂乱の気流が大気を埋め尽くす。

するとニクセラがその荒れ狂う気流を瞬時に安定化させ、あらゆる角度から的確に急所を貫く無数の精密な『槍』へと圧縮して撃ち返す。


彼女たちの信念は、単なる口先だけの言葉ではなかった。それは、彼女たちの『戦い方』そのものを規定していたのだ。

ニクセラは戦場を完全に支配するために戦い、アシュリーはその支配を不可能にするために戦う。


戦いそのものが、二人の哲学の物理的な具現化となっていた。

『秩序』対『自由』。

『支配』対『変化』。

『停滞』対『進化』。


どちらの哲学も、決して消え去ることを望まなかった。

どちらの女も、決して敗北を認めようとはしなかった。


――そして、途方もない歳月が流れていった。


--


二十年後


紛争が始まってから二十年が経過する頃には、大陸の広大な地域がもはや人間の住めない死の大地と化していた。

人間の王国は次々と王都の遷都を余儀なくされ、無数の村が放棄され、かつて栄えた交易路は完全に消滅した。


歴史家たちは、もはや一つひとつの戦闘を記録することを諦めていた。あまりにも数が多すぎたのだ。

数ヶ月ごとに、地平線の彼方で新たな大爆発の閃光が観測される。数年ごとに、また一つ巨大な山脈が姿を消す。


ニクセラもアシュリーも、周囲で起きている破壊など微塵も気にかけていなかった。

人類を憎んでいたからではない。彼女たちにとっては、今交わしているこの『議論』の方が、それよりも遥かに重要だったからだ。


二人の衝突は、もはや個人の勝敗を超えた何かへと昇華していた。

彼女たちは単に勝つために戦っているのではない。自らの哲学こそが正しいのだと、世界そのものに証明するために戦い続けていたのだ。


--


四十年後


大陸の地形そのものが、完全に変貌を遂げていた。

大地そのものが奇妙な性質を帯びた『魔境』が各地に誕生していたのだ。


ある地域では、永遠に止まない魔力の嵐が吹き荒れ続け、別の地域では重力が異常な方向に狂っていた。

あり得ない角度で横向きに茂る森があれば、大地から切り離されて空中に浮かぶ巨大な湖さえ存在した。


世界そのものが、彼女たちの終わりのない衝突に適応する形で作り変えられてしまったのだ。

それでもなお、どちらも一歩たりとも降伏しようとはしなかった。


--


六十年後


そして、開戦から六十年目。

この果てしない戦争は、周囲にあるほとんどすべてのものを喰らい尽くしていた。


最後の戦場の光景は、開戦当初とは似ても似つかないものだった。

そこに軍勢はいない。周囲を取り囲む壮麗な王国もない。見物人など一人もいない。


あるのはただ、荒廃し尽くした大地の上に大の字になって倒れ込む、二人の疲れ果てた超越者の姿だけ。


アシュリーは仰向けに倒れ、六枚の翼を力なく大地に広げていた。

ニクセラもまた、数メートル離れた場所に横たわり、その美しい髪は泥と埃にまみれている。


どちらも、指一本動かさない。

数分間の間、二人はただ黙って、頭上に広がる空を見つめ続けていた。


やがて、ニクセラがぽつりと口を開いた。

「……いい加減、負けを認めたらどうなのよ?」


アシュリーは首さえ動かさずに答えた。

「やーだ」


ニクセラの目元が、ぴくりと痙攣した。

「……『やーだ』ですって?」


「だって、まだ何も決着ついてないじゃない」

アシュリーが片腕をぐーっと空へ伸ばす。

「私なら、あと百年は余裕で続けられるわよ」


ニクセラは呆然と彼女を凝視した。

「……あと、百年ですって?」


「ええ、もちろん」


「その頃には、この大陸から人間の王国が一つ残らず消滅しているってこと、分かってるの?」


アシュリーはようやく首を巡らせ、視線を動かした。

見渡す限りの無惨な荒野が視界に広がる。数秒の沈黙が流れた。


「……まあね」

彼女は小さくため息をついた。

「確かに、あんたの言う通りかも」


ニクセラがゆっくりと上半身を起こし、周囲を見渡した。

どちらも、本当の意味では勝利していない。だが、周囲の世界はすでに十分すぎるほど多くを失っていた。


ニクセラが肩についた埃をパタパタと払い落とす。

「それにね――」


アシュリーが彼女を見た。


「他の魔王たちが、この騒ぎを嗅ぎつけて首を突っ込んでくるのも癪に障るのよ」


アシュリーが片方の眉を上げる。

「どうして?」


「あいつらが介入してきたら、これはもう『私たち二人だけの戦い』じゃなくなってしまうからよ」


アシュリーは再び、荒れ果てた大陸の情景に思いを馳せた。

六十年もの間、彼女たちは自らの哲学を世界に受け入れさせようと激突し続けてきた。

だが、その果てに残された否定しようのない唯一の結末は、周囲に広がるこの圧倒的な荒廃だけだった。


ニクセラが立ち上がり、アシュリーに向かってそっと片手を差し伸べた。

「……どうする?」


アシュリーはその手を見つめた。ニクセラが、微かに悪戯っぽく微笑む。

「休戦(トルース)、にしない?」


アシュリーは数秒間、彼女の顔をじっと見つめていた。そしてやがて、晴れやかに微笑んだ。

「……いいわよ」


彼女はニクセラの手をしっかりと握り、その勢いで軽やかに立ち上がる。

「その提案、乗ってあげる」


ニクセラが満足そうに頷く。アシュリーは大きく背伸びをした。

「その代わり、次に会う時は――」

彼女は不敵に微笑んだ。

「――絶対に、私が勝つから覚悟しておきなさい」


ニクセラが声を上げて笑った。

「夢でも見てなさいな」


アシュリーもニヤリと笑い返す。

「まあ、見てなさいって」


二人は互いに背を向け、それぞれの道へと歩き出した。

どちらも勝ってはいない。どちらも負けてはいない。

だが、二人とも真実を肌で理解していた。自分たちは今も、完璧に互角なのだと。


そして心のどこかで、二人ともすでに『次の戦い』を心待ちにしていた。

戦争は、終わった。だが、二人の『議論』はまだ終わっていなかったのだ。


--


三十年後


休戦協定は、固く守られた。

三十年の歳月の間、アシュリーもニクセラも、互いに相手を探し出そうとはしなかった。


世界は、彼女たちが残した爪痕からゆっくりと復興を遂げていった。

人間の王国は再建され、かつての激戦地には新たな森が芽吹き、新しい街道が整備され、新しい都市が築かれていった。

深い傷跡は残されたものの、文明は確かに歩みを続けていたのだ。


大半の人々にとって、あの六十年に及ぶ大戦は遠い過去の歴史となった。

語り継がれる物語。伝説。学者たちが記録として語る、太古の大災害。


だが――当の二人にとって、あの休戦は決して『降伏』を意味してはいなかった。

それはただ、再戦を先延ばしにしたに過ぎない。


どちらも、あの戦争を忘れてなどいなかった。

別れ際に交わしたあの約束を、片時も忘れてなどいなかった。

そして、どちらが本当により強くなったのかを確かめたいという想いが、消えることは一度もなかったのだ。


--


現在


空が、激しく震動した。


戦場の一方に、アシュリーが凛と立っている。

そしてその真正面に、ニクセラが対峙していた。


最後の戦いから、実に三十年の時が流れていた。

それにもかかわらず、二人の視線が再び交錯した瞬間――あの頃と全く同じ、張り詰めた緊張感が瞬時に蘇った。


何も、変わっていない。

そして――すべてが、変わっていた。


アシュリーは不敵に微笑んだ。

「さて、と」


ニクセラが腕を組む。

「またあんたね」


「寂しかった?」


「別に、ちっとも」


アシュリーは声を上げて笑った。

「嘘つき」


ニクセラの口元が、微かに弧を描く。

「相変わらず、鬱陶しい女ね」


「そっちこそ、相変わらず退屈な女」


「相変わらず尊大で」


「相変わらず堅物ね」


二人のオーラが、ゆっくりと立ち昇り始めた。


だが――何かが以前とは決定的に違っていた。

どちらも、まだ『本気の戦闘形態』には入っていない。まだ、その時ではない。

二人は互いに、意図的に力を抑え込んでいたのだ。


周囲の戦場は、無傷のまま保たれている。

山々が消し飛ぶこともなければ、次元が崩壊することもない。最初の予備動作だけで人間の王国が滅びるような惨劇も起きていなかった。


彼女たちは、六十年前のあの戦争から大切な教訓を学んでいたのだ。

もし最初から全力でぶつかり合えば、その代償を払わされるのは常にこの『世界』そのものだということを。

三十年の休戦期間が、ようやくこの世界に癒える時間を与えてくれた。必要に迫られるその瞬間まで、それを無造作に台無しにするつもりはどちらにもなかった。


アシュリーが軽く肩を回してほぐす。

「それで?」


ニクセラが片方の眉を上げた。

「それで、とは?」


「やるの? やらないの?」


ニクセラが不敵に微笑む。

「決まっているでしょう」


アシュリーが楽しそうに笑った。

「上等よ」


二人の眼光が、鋭利な刃のように研ぎ澄まされた。

周囲の大気が、鉛のように重く沈み込む。


二人の太古の超越者が、真っ向から対峙する。

一人は『混沌(カオス)』の体現者。そしてもう一人は『秩序(オーダー)』の支配者。

だが今回、どちらもまだ全力を解放してはいなかった。


アシュリーが一歩、前に踏み出す。ニクセラもまた、同じように足を踏み出した。


――ドォォン!!


二人の足元の大地が、蜘蛛の巣状にひび割れる。

直後、二人の姿が同時に掻き消えた。


――ガキンッ!!


二人の剛拳が、空中で真っ向から激突する。

その衝撃が戦場全体を激しく揺さぶった。

だが、破壊の奔流を解き放つ代わりに、二人は激突の瞬間に自らの力を精密に引き戻して制御していた。


ニクセラがしなやかに身を捻り、アシュリーが紙一重でそれを屈んで躱す。

アシュリーの頭上を、風を切る剛拳が掠めて通り過ぎる。即座にアシュリーがカウンターの拳を繰り出すが、ニクセラが冷徹にそれを弾き返す。


もう一撃。そして、さらに一撃。

彼女たちは神速で動きながらも、その一挙手一投足に極限の繊細さを込めていた。

すべての攻撃は完璧にコントロールされ、すべてのエネルギーの爆発は最小限に抑え込まれている。


今回、彼女たちは世界を破壊するために戦っているのではない。

互いの実力を『試して』いるのだ。

この三十年の歳月を経て、互いがどれほどの存在へと進化を遂げたのか、その差を正確に測り合っていた。


アシュリーが満足そうに微笑む。

「強くなったじゃない、ニクセラ」


ニクセラがもう一撃を受け止めながら返す。

「あんたこそね」


アシュリーが鮮やかに旋回する。彼女の放った鋭い蹴りが、ニクセラの顔面わずか数センチの距離でピタリと止められた。

ニクセラがその足首をがっちりと掴み取る。


アシュリーが愉快そうに笑った。

「少し遅くなったんじゃない?」


ニクセラが掴んだ足を力任せに後方へと放り投げる。

「あんたの方こそ、動きが読みやすくなったわよ」


アシュリーは空中で優雅に身を翻し、軽やかに着地した。

「本当にそう思う?」


ニクセラが微かに微笑む。

「いいえ、まさか」


アシュリーも不敵に笑い返した。

「でしょうね」


数秒の間、どちらも攻撃を仕掛けなかった。

そして次の瞬間――二人の表情が、同時に一変した。


二人とも、完璧に理解したのだ。

挨拶代わりの『お遊び』は、ここまでだ。

次のステージは、これまでとは全くの別次元になる。


アシュリーがゆっくりと、背後から六枚の巨大な翼を広げた。

それに応じるように、ニクセラの全身から圧倒的な『魔王のオーラ』が噴き上がり始める。

戦場全体が、恐怖と畏敬に激しく震動した。


--


遥か離れた場所で、カイは今もなお封印の構築を続けていた。


彼は突如として、その空域の劇的な変化を肌で感じ取った。

遠い戦場の方角へと、ちらりと視線を飛ばす。


即座に、その二つの途方もない気配の主を特定した。

アシュリーと、ニクセラだ。


カイは深く、盛大にため息をついた。

「……本気でやってんのかよ?」


ユイの声が、脳裏へと冷静に響き渡る。


『どうやら、本格的にやり合うつもりみたいね』


カイは片手で自分の額を強く押さえた。

「だろうな、あの二人のことだ」


彼は再び、目の前の封印術式へと視線を戻した。

彼の周囲では、数え切れないほどの魔法陣が幾何学的な輝きを放ちながら回転し続けている。

この封印はまだ未完成だ。そして、ヒリンとの戦いが決着を迎えるその時まで、完成することはない。


上空では、アイオンが今も必死にヒリンを引き付けている。

父親のダニエルも主戦場から遠ざけられ、ヴァドスとネロが今もなお彼を足止めし続けていた。

そして今、母親とニクセラが、三十年越しの再戦の火蓋を切ろうとしている。


彼の背後で、二つの太古の力がどこまでも膨張を続けていた。

『混沌竜』と『魔王』。

三十年の休戦期間は終わりを告げた。世界はすでに癒えた。しかし、彼女たちの信念は何一つ変わってはいなかった。

そして今、かつての戦争の終わりに交わしたあの約束が、ついに試される時が来たのだ。


今回、どちらも決して負けるつもりはなかった。

だが、九十年前とは決定的に違う点がある。

彼女たちは今、世界を自分たちの色に作り変えるために戦っているのではない。

――ただ、あの時ついに決着がつかなかった『議論』の続きを終わらせるための、二度とない機会を手に入れたからこそ、戦っているのだ。


――ドゴォォォォォォォン!!


こうして、二人の『第二ラウンド』が幕を開けた。

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