第133話: 時空戦争・第8部:真の魔皇
魔界の門が、音もなく大地の中へと沈んで消えた。
ダニエルは、門があった場所から数メートル離れた地点に佇んでいた。
彼の鋭い視線は、その先に広がる主戦場へと真っ直ぐに据えられている。
感じ取れる。リンの気配だ。
愛しい娘の存在は、確かにそこにある。
だが――何かが根本から違っていた。歪められ、全く別の意識の下層へと押し込められている。
ダニエルの表情が、暗く冷え込んだ。
「……リン」
彼が一歩、前に踏み出した。
その足元の大地が、蜘蛛の巣状にひび割れる。
直後――二人の男が、彼の行く手を阻むように静かに姿を現した。
ヴァドスと、ネロだ。
二人は一言も発さず、ただそこに立ち尽くしている。
ダニエルが足を止めた。
数秒の間、三人とも微動だにしない。おぞましい魔族のエネルギーだけが、周囲で渦を巻き続けている。
ダニエルの視線がヴァドスからネロへと移り、そして再び遠くの戦場へと戻った。
「……退け」
ネロが愛用の武器を肩に担ぎ、不敵に答える。
「お断りしますよ」
ダニエルの表情は、どこまでも冷静だった。
「私が何者であるか、理解しているな」
ネロがニヤリと笑った。
「あいにくと、よく存じております」
隣でヴァドスが深くため息をついた。
「おい、ネロ」
「何です?」
「せめて、もう少し礼儀正しくしたらどうだ」
ネロは軽く肩をすくめた。
「こちらが何をしようとしているのか、向こうだってとっくにお見通しですよ」
ダニエルがヴァドスへと視線を向ける。
「……誰かを、守っているのか」
「ええ」
「なぜだ?」
ヴァドスはすぐには答えなかった。一呼吸置いて、静かに口を開く。
「その『誰か』が今、あなたの娘さんを救おうとしているからです」
ダニエルの目が、鋭く細められる。
「そのような保証は、どこにもない」
「我々には、確信があります」
「……私を、愛娘から引き離すつもりか」
ヴァドスは静かに頷いた。
「左様です」
ダニエルの全身から放たれるオーラが、劇的に変貌した。
周囲の大気が、鉛のように重く沈み込んでいく。
「もう一度だけ、問おう」
その声は、不気味なほど静かだった。
「――退け」
ネロの顔から、余裕の笑みが消え去る。
「……それは、できかねます」
ダニエルはそっと目を閉じた。
ほんの一瞬、沈黙を守る。やがて、深く、重苦しい息を吐き出した。
「……よかろう」
目が見開かれた瞬間、大地が烈震した。
――ドゴォォォォォォォン!!
ダニエルの肉体から、途方もない魔族のエネルギーの奔流が爆発的に噴き上がる。
周囲に立ち込めていた闇が一瞬で吹き飛ばされ、大地に無数の深い亀裂が走る。
暴風のような余波にヴァドスの髪が激しく後ろへと煽られ、ネロは即座に重心を低く落として構えをとった。
その圧倒的な威圧感は、単に「巨大」なだけではなかった。
すべてを押し潰すような絶対的な重圧。太古の威厳。王者の風格。
通常の『魔王進化』の境界線を遥かに超越した者だけが纏う、異次元の存在感。
ヴァドスの表情が、極限まで険しく引き締まった。
「……『真なる魔王帝』」
ダニエルは冷徹に二人を見据えた。
「そのような称号など、今の私にはどうでもよい」
彼のオーラが、さらにどこまでも膨張していく。
「私にとって重要なのは――我が娘だけだ」
直後、ダニエルの姿がその場から完全に掻き消えた。
--
最初の激突
――ドゴォォン!!
ダニエルが、ネロの真正面へと瞬時に出現した。
ネロは紙一重の反応で武器を引き上げる。
――ガキィィィン!!
凄まじい衝撃波が、戦場全体を薙ぎ払うように駆け抜けた。
ネロの両足が大地を削りながら後方へと押し戻される。ダニエルの剛拳は、なおも武器の上から猛烈な圧力をかけ続けていた。
ネロが歯を食いしばりながら、獰猛に笑う。
「……強いな、おい」
ダニエルがさらに力を込める。ネロの両腕が、圧倒的な質量に耐えかねて小刻みに震え始めた。
その瞬間、ヴァドスがダニエルの背後へと音もなく出現した。
その掌には、すでに高密度の『原初エネルギー』が収束されている。
「【領域貫通】」
極限まで圧縮された細いエネルギーの光線が、ダニエルの無防備な背中へと放たれた。
だが――ダニエルは振り返りざま、空いていた方の片手でその光線を真っ向から掴み取った。
必殺の閃光が、ピタリと停止する。
ヴァドスの目が、驚愕にわずかに見開かれた。
ダニエルがその掌を、ぎり、と握り潰す。
――パキィィィン!!
圧縮されたエネルギーの塊が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
すかさずネロが追撃を仕掛ける。
大上段から振り下ろされた武器の一撃を、ダニエルは左の前腕だけで無造作に受け止めた。
――ドォォン!!
ネロは間髪入れずに二撃目を繰り出す。ダニエルは最小限の動きで半身になって回避する。
三撃目。ダニエルは身を屈めてやり過ごす。
そして、四撃目。
ダニエルは、振り抜かれた武器の柄を素手でがっちりと掴み止めた。
ネロの表情が一変する。
ダニエルが腕を引くと、ネロの巨体が抗う術もなく前方へと引きずり出される。
そこへ、ダニエルの無慈悲な膝蹴りがネロの腹部へと深々と突き刺さった。
――ドゴォォォォォン!!
ネロが弾丸のように後方へと吹き飛ばされる。
彼は荒廃した大地を抉りながら遥か彼方へと滑空し、地平線の向こう側へと姿を消した。
即座に、ヴァドスが単独で襲いかかる。
ダニエルの上空に出現したかと思えば、次の瞬間には真横へ、そしてさらに背後へと転移する。
無数の残像が、ダニエルを完全に取り囲んだ。
ダニエルは冷静に周囲を見渡す。
「……速いな」
ヴァドスが不敵に微笑んだ。
「まだ、序の口ですよ」
無数の残像が、全く同じ瞬間に一斉攻撃を仕掛けた。
ダニエルは両手を掲げ、全身を覆うように漆黒の魔族障壁を展開する。
――ドゴッ! ドゴッ! ドゴォォォン!!
何十発もの強烈な打撃が障壁に叩き込まれ、足元の大地が激しく震動する。
その時、ダニエルが突如として真上を見上げた。
無数の残像に紛れ、ヴァドスの『本体』が真上から急降下していたのだ。
振り下ろされたヴァドスの手刀を、ダニエルが片手でガシリと掴み止める。
二人の視線が、至近距離で交錯した。
ヴァドスが楽しそうに微笑む。
「……見破られましたか」
ダニエルもまた、微かに口元を緩めた。
「見え透いている」
ダニエルがもう片方の剛拳を振り抜く。ヴァドスはその瞬間に空間転移で姿を消した。
拳は虚空を切ったが――その圧倒的な衝撃波までは避けきれなかった。
――ドゴォォォォォン!!
二人の足元の大地が根こそぎ圧壊し、巨大なクレーターが穿たれる。
数百メートル離れた空間に再び姿を現したヴァドスは、冷や汗を浮かべながらも不敵な構えを崩さなかった。
数瞬後、ネロが戦場へと舞い戻ってきた。
口元から一筋の血が滴り落ちている。彼はその血を親指で乱暴に拭い去った。
「……なるほどな」
ネロは隣に立つヴァドスへと視線を向ける。
「確かに、予想以上のバケモノだ」
ヴァドスが静かに頷いた。
「ええ」
二人の間に立つダニエルが、冷徹に告げる。
「警告したはずだ」
ネロが不敵に微笑んだ。
「そして俺たちは、それを綺麗に無視したってわけだ」
ダニエルは深くため息をついた。
「……お前たちは、実に厄介な連中だな」
ヴァドスが喉の奥で低く笑った。
「あなたにそう言われると、随分と皮肉に聞こえますね」
ダニエルの目が、鋭く細められる。
直後――ネロの姿がその場から掻き消えた。
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戦闘段階
ネロがダニエルの頭上に出現し、大上段から武器を振り下ろす。
ダニエルが即座に腕で受け止める。
その瞬間、ヴァドスが真横から死角を突いて襲いかかる。ダニエルが上半身を捻って回避した直後、今度は背後から二撃目が迫る。ダニエルは振り返りざまにそれを弾き返した。
ネロが再び踏み込み、ヴァドスがそれに追随する。
二人の魔王が、一分の隙もない完璧な連携で動き始めた。
どちらも、ダニエルが反撃の態勢を整えられるほど長く同じ場所には留まらない。
ネロが超近接距離で猛攻を仕掛け、ヴァドスが中距離から空間と間合いを完全に支配する。
ダニエルがネロに意識を集中させれば、すかさずヴァドスが急所を狙い、ダニエルがヴァドスへと向き直れば、即座にネロがその懐へと潜り込む。
ダニエルは、彼らの狙いを瞬時に見抜いた。
(俺の意識を、意図的に分散させようという魂胆か)
ネロの一撃を受け止め、ヴァドスの追撃を紙一重で躱す。ネロの振り抜いた武器が大地を砕いた。
――ドゴォォン!!
直後、ヴァドスが頭上に出現する。ダニエルが腕を掲げた瞬間、先ほどまで彼の頭部があった空間を、空間切断の刃がすり抜けていった。
ダニエルはすかさずヴァドスの手首をがっちりと掴み取る。
だが、ヴァドスの身体は即座に光の粒子へと霧散した。
幻影だ。
ダニエルの目が、鋭く細められる。
その死角を突き、ネロが背後へと出現した。
――ガキィィィン!!
背中へ強烈な一撃を叩き込まれ、ダニエルの巨体が前方へと弾き飛ばされる。
その着地地点の真正面に、本物のヴァドスが待ち構えていた。掌にはすでに高密度のエネルギーが凝縮されている。
「【閃光爆裂】」
ダニエルが両腕を交差させて防御を固めた瞬間、至近距離でエネルギーが炸裂した。
――ドゴォォォォォォォン!!
凄まじい大爆発が、ダニエルの全身を飲み込む。
ネロが間髪入れずに追撃を重ねた。
「【深淵の牙】!!」
ネロの武器が、漆黒の魔族エネルギーを纏った巨大な大剣へと変貌する。
彼が全力で振り抜いた一閃が、爆炎そのものを真っ二つに切り裂いた。
――キィィィィィン!!
ほんの一瞬、戦場からすべての動きが止まった。
やがて、立ち込めていた黒煙がゆっくりと晴れていく。
そこには――ダニエルが凛と立ち尽くしていた。
衣服はボロボロに引き裂かれ、頬からは一筋の鮮血が流れ落ちている。
それでも、彼の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
ネロの目が、驚愕に見開かれる。
ダニエルは指先で頬の血を拭い去り、満足そうに呟いた。
「……少しは、マシになったな」
ヴァドスがネロの隣へと音もなく着地する。ダニエルは二人の顔を見渡した。
「お前たち二人、随分と腕を上げたな」
ネロがニヤリと笑う。
「そいつは、褒め言葉と受け取っていいのか?」
「いや、違う」
「……ちぇっ」
ダニエルがゆっくりと片手を掲げた。
それだけで、周囲の空気が一変する。
ヴァドスが即座にその異変を察知した。
「ネロ!」
「分かってる!」
ダニエルの全身から噴き出していたおぞましい魔族のエネルギーが、急速に『圧縮』を始めた。
膨張するのではない。極限まで凝縮されていくのだ。
周囲を覆っていた巨大なオーラが、すべて彼の肉体の内部へと吸い込まれていく。
戦場が、不気味なほどの静寂に包まれた。
ネロの表情が、一気にシリアスなものへと引き締まる。
「……奴さん、エネルギーを絞り始めたのか?」
ヴァドスが静かに首を振った。
「絞っているのではありません」
彼はダニエルを凝視したまま告げる。
「――『一点に集中』させているのです」
直後、ダニエルの姿が完全に掻き消えた。
--
皇帝
ネロはほとんど反応すらできなかった。
ダニエルが、彼の真横に音もなく出現していたのだ。
――ドゴォッ!!
脇腹へと突き刺さった無慈悲な剛拳。ネロの身体が弾丸のように真横へと吹き飛ばされる。
彼が空中で体勢を立て直すよりも早く、ダニエルはすでにその頭上へと先回りしていた。
容赦ない追撃の打ち下ろし。
――ドゴォォォン!!
ネロは流星のように大地へと叩きつけられた。
すかさずヴァドスが動く。ダニエルが振り返るよりも早く、その背後へと空間転移で出現し、無防備な背中へと手を伸ばした。
だが――ダニエルは後ろを振り向きすらしないまま、ヴァドスの手首を背後でがっちりと掴み止めた。
ヴァドスの目が大きく見開かれる。即座に転移で離脱しようと試みるが、空間が固定されて動かない。
ダニエルが腕を強く引き寄せ、至近距離から強烈な頭突きを叩き込んだ。
――ゴキィッ!!
ヴァドスの身体が後方へと吹き飛ばされる。彼が空中で鮮やかに身を翻して体勢を整えた時には、すでにダニエルがその目の前に迫っていた。
振り抜かれる剛拳。ヴァドスは咄嗟に両腕を交差させてガードする。
――ドゴォォォォン!!
防御の上から叩き込まれた圧倒的な質量に、ヴァドスは戦場の端まで一気に弾き飛ばされた。
ダニエルがピタリと動きを止め、鋭い視線を横へと走らせる。
いつの間にか、ネロが再び立ち上がっていた。
そのオーラは先ほどよりも明らかに弱まっている。だが、その瞳に宿る闘志の炎は、一ミリも消えてはいなかった。
「……まだ、終わっちゃいねえぞ」
ダニエルは深くため息をついた。
「お前たちは、二人揃って本当に頑固な連中だな」
ネロが声を上げて笑う。
「あんたにだけは言われたくねえよ!」
ネロが再び突撃する。ダニエルもまた、正面から迎え撃った。
――ガキィィィン!!
武器と素手の剛拳が、真っ向から激突する。
ネロが全身の体重を乗せて押し込み、ダニエルがそれを真っ向から押し返す。二人の足元の大地が、圧倒的な圧力に耐えかねて粉々に砕け散った。
ネロが咆哮を上げ、残存する魔族エネルギーを一気に爆発させる。
その瞬間、ダニエルの腕が電光石火の速さで動いた。
彼は振り抜かれた武器の刀身を、素手でガシリと掴み止めたのだ。
ネロの目が驚愕に見開かれる。
ダニエルがそのまま手首を強く捻ると、武器はネロの手から無残にもぎ取られた。
ネロが凍りつく。ダニエルはその武器を無造作に彼方へと投げ捨て、無防備になったネロの胸元へ、渾身の正拳突きを叩き込んだ。
――ドゴォォォォォォォン!!
凄まじい衝撃と共に、ネロの巨体が戦場の彼方へと吹き飛んでいった。
ダニエルはゆっくりと、ヴァドスの方へと向き直る。
ヴァドスはすでに立ち上がっていた。額からは一筋の血が流れ落ちている。
その表情はどこまでも冷静だったが、瞳の奥の光は先ほどとは決定的に違っていた。より深く、より冷徹なシリアスさ。
「……本当に、強くなられましたね」
ダニエルは冷ややかに彼を見つめる。
「今さら気づいたのか?」
ヴァドスが微かに口元を緩めた。
「いえ、そういうわけではありません」
彼は静かに片手を掲げた。
「ですが、戦いの勝敗を決めるのは、単純な『力の強さ』だけではありませんよ」
ダニエルの表情が、わずかに変化した。
直後、ヴァドスがパチンと指を鳴らす。
戦場の空間そのものが、劇的な変貌を遂げた。
--
空間陣形
空間が、幾重にも折りたたまれる。
ダニエルを取り囲んでいた荒野の景色が一瞬で消失し、代わりに彼の周囲を何千もの『空間の層』が立体的に取り囲んだ。
ヴァドスは、ダニエルの肉体を直接攻撃しているのではない。
空間そのものにおける彼の『座標』を攻撃しているのだ。
ダニエルが周囲を見渡す。
遠い空間の彼方に、ネロの姿が出現した。
次いで、もう一人のネロ。さらに、もう一人。
数十人。数百人。そして――数千人のネロが、空間のあらゆる角度に同時に顕現した。
ダニエルが鋭く目を細める。
「……時間軸の増殖か?」
無数のネロが一斉にニヤリと笑った。
「ハズレだ」
立体的な空間構造のあらゆる場所から、ヴァドスの冷静な声が反響する。
「一対一、あるいは二対一であれば、あなたは我々を力でねじ伏せることができるでしょう」
空間の層が、ダニエルを押し潰すように狭まっていく。
「ですが――この空間の『すべて』を、同時に攻撃することは不可能です」
ダニエルの表情は、どこまでも冷静だった。
「……ほう。面白い趣向だな」
数千人のネロが、ダニエルを中心にして完全な球状の包囲網を形成する。
次の瞬間、その全員が全く同じタイミングで一斉攻撃を仕掛けた。
――ドゴォォォォォォォォン!!
戦場全体が、光の奔流となって大爆発を起こす。
ヴァドスはなおも空間の座標を操り続け、ダニエルの動きを完全に封じ込めていく。
上下左右、あらゆる方向から絶え間なく降り注ぐ必殺の連撃。すべての逃走経路は空間の層によって完全に閉ざされている。
この戦い始まって以来初めて、ダニエルは圧倒的な『物量と空間支配』によって押し込まれていた。
だが――その爆炎の中で、ダニエルがふっと微笑んだ。
「……それが、お前たちの最大の過ちだ」
ヴァドスの表情が一変した。
「何ですと……!?」
ダニエルはゆっくりと頭を垂れた。
「俺が、この空間の『すべて』を攻撃する必要があるとでも思ったか?」
直後――ダニエルの全身から、すべてのオーラが完全に消失した。
ほんの一瞬、彼という存在から、魔力も気配も、一切の情報が感知できなくなったのだ。
ヴァドスが凍りつく。
無数のネロたちの表情が、一斉に驚愕に歪んだ。
「……どこへ消えやがった……!?」
声は、ヴァドスのすぐ背後から響いた。
「――ここだ」
ヴァドスの目が驚愕に見開かれる。
ダニエルの冷たい掌が、彼の肩へとそっと触れられた。
――ドゴォォォォォン!!
幾重にも折り重なっていた空間陣形が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
ヴァドスの巨体が、弾丸のように戦場の彼方へと吹き飛ばされる。
同時に、無数に増殖していたネロの分身がすべて霧散し、本物のネロがたった一人でその場に立ち尽くした。
その目の前に、ダニエルが音もなく出現する。
ネロは咄嗟に両拳を構えて防御を固めるが――ダニエルの無慈悲な剛拳が、真っ向から叩き込まれた。
――ゴキィッ!!
ネロの腕の骨が軋み、ひび割れる音が響く。
圧倒的な質量に押し潰され、ネロの身体が後方へと大きく滑空した。
ダニエルは追撃の手を緩めない。再び剛拳を振り抜く。ネロが必死に受け止める。
もう一度。さらに、もう一度。そして、何度でも。
一撃ごとにネロの身体は後方へと押し戻され、大地に深い溝を刻んでいく。
やがて、ダニエルがピタリと動きを止めた。
ネロは未だに、その場に立ち続けていた。
全身から血を流し、今にも崩れ落ちそうな状態で――それでも、辛うじて立っていた。
ダニエルは冷徹に彼を見つめる。
「……しぶとい男だ」
ネロが血塗れの口元を歪めてニヤリと笑った。
「気づいてくれたかよ」
ダニエルは興味を失ったように背を向けた。
「お前たちに構っている暇はない」
そう言い残し、彼は主戦場へ向かって再び歩き始めた。
--
真なる魔王帝
その瞬間、ダニエルの肉体が劇的な変貌を遂げ始めた。
おぞましくも神々しい魔族の紋様が、彼の肌の上へと幾何学的に浮かび上がっていく。
頭部の角はより大きく、より鋭利に伸び上がり、その瞳は深紅の輝きを放つ。
彼の周囲に渦巻くエネルギーがあまりにも高密度に圧縮された結果、立っているだけで足元の大地そのものが自重に耐えかねて崩壊を始めた。
ヴァドスとネロは、即座に自らの『最強の戦闘形態』へと移行した。
二人のオーラが爆発的に噴き上がる。二人の魔王が、肩を並べて立ち塞がる。
ダニエルはそんな二人を真っ直ぐに見据えた。
この戦場に到着して以来初めて、彼の顔に『本気の真剣さ』が宿った。
ヴァドスが小声で尋ねる。
「……準備はいいか?」
ネロが不敵に微笑んだ。
「いや、全然」
ヴァドスが横目で彼を見る。
「結構」
ネロが拳を強く握り締める。
「お前だって同じだろ」
そのやり取りを聞いたダニエルが、喉の奥で声を上げて笑った。
この場に来て以来初めて見せた、心からの純粋な笑いだった。
「……お前たち二人、本当に奇妙な連中だな」
ヴァドスも微かに口元を緩めた。
「あなたほどではありませんよ」
ダニエルがゆっくりと片手を掲げた。
彼の背後に、天蓋を覆い尽くすほどの巨大な魔方陣が出現し、重厚な音を立てて回転を始める。
――『真なる魔王帝の権能(トゥルー・デーモン・エンペラー・オーソリティ)』。
周囲の荒野そのものが、内側から崩壊を始めた。
ヴァドスの目が、驚愕に見開かれる。
「……これは、通常の魔族のエネルギーではありません」
ネロもまた、油汗を浮かべながら睨みつける。
「ああ。……これが、『皇帝の権能』って奴か」
ダニエルの深紅の瞳が、怪しく輝いた。
「――【皇帝の領域】」
直後、戦場の景色が完全に掻き消えた。
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皇帝の領域
ヴァドスが目を開けると、彼は果てしない漆黒の闇の中に立っていた。
隣にはネロがおり、数百メートル先にはダニエルが凛と佇んでいる。
ここには大地もなければ、空もない。
ただ、深紅の光に満たされた、無限に広がる漆黒の異空間だけが存在していた。
ヴァドスは即座に状況の本質を見抜いた。
「……彼自身の『個人次元』を創り出したのですか」
ネロが周囲を警戒しながら見回す。
「しかも、俺たちはそのど真ん中に閉じ込められたってわけだ」
ダニエルが二人の前に立ち、静かに宣言する。
「ようこそ」
その威厳ある声が、領域全体へと反響する。
「ここが、私の権能のすべてだ」
空間そのものが、ダニエルの意志に呼応して脈動する。
ヴァドスが片手を掲げ、空間転移門を開こうと試みた。
だが、出現した門は瞬時に圧壊して消滅する。
ヴァドスが険しく眉をひそめた。
「……空間操作が、制限されています」
ネロも一歩踏み出そうとして、全身が鉛のように重くなったのを感じた。
「重力まで狂ってやがるな」
ダニエルがゆっくりと二人に向かって歩み寄る。
「私の領域の内部では、私の権能がすべての法則に優先する」
ヴァドスが彼を見据えた。
「我々の能力を封じ込めるための環境を構築した、というわけですか」
ダニエルは静かに首を振った。
「いや、違う」
彼はピタリと足を止めた。
「私の能力が『絶対』となる環境を創り出したのだ」
ネロがニヤリと不敵に笑う。
「そいつはまた、随分と尊大なセリフだな」
ダニエルは冷徹に言い放った。
「私は『真なる魔王帝』だ」
ネロが声を上げて笑った。
「……確かに、そりゃ反論できねえや」
ダニエルが片手を掲げると、領域全体が即座に呼応した。
漆黒の虚空から、何千もの深紅の魔槍が出現する。
ヴァドスが即座に多重の防御障壁を展開し、ネロが迎撃のために前へと躍り出た。
無数の魔槍が、流星雨のように一斉に射出される。
――ドゴォォォォォン!!
異空間そのものが、大爆発を起こす。
ネロが迫り来る魔槍を次々と叩き斬り、ヴァドスが空間の軌道を逸らして防ぎ切る。
だが――この領域は、破壊されたそばから新たな魔槍を無限に生成し続けていた。
一本。十本。百本。数千本。そして、数百万本。
ダニエルは指一本動かさない。ただそこに立ち、領域そのものを自在に操っているだけだ。
ヴァドスは、この戦いの決定的な問題点に気づいた。
(このままでは、彼の権能の土俵の上で消耗させられるだけだ……!)
彼は隣で戦うネロへと視線を飛ばした。
「ネロ、この領域そのものを内側から破壊する必要があります」
ネロが力強く頷いた。
「よし、派手にぶち壊してやろうぜ!」
二人の魔王が、同時にダニエルへと向かって突撃する。
ダニエルは迫り来る二人を静かに見据え、やがて口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「――来るがいい」
三人の超越者が、領域の中心で真っ向から激突した。
――ドゴォォォォォォォォン!!
その凄まじい爆発の閃光が、漆黒の領域全体を真っ白に飲み込んでいった。
--
そして、この戦場から遥か離れた場所では――カイが今もなお、封印の構築を続けていた。
ダニエルと二人の魔王の戦いは、ついに次なるステージへと突入した。
この死闘がいつまで続くのか、誰にも分からない。
だが、たった一つだけ、揺るぎない事実があった。
ダニエルの方が、強い。
ヴァドスもネロも、そのことを骨の髄まで理解していた。ダニエル自身も、それを分かっていた。
それでもなお、二人は一歩たりとも退こうとはしなかった。
なぜなら、彼らの背後には――誰かが命を懸けて救うための『時間』を必要としている、たった一人の少女がいたからだ。
――リン。
あの戦いが決着を迎えるその瞬間まで、二人の魔王は決して『真なる魔王帝』をその先へと通すつもりはなかった。




