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転生の向こう側 【The Other Side of Reincarnation / Beyond Reincarnation】  作者: ルーク
時空大戦 ―ヒリン編― ( 永遠の女王 )

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第130話: 時空戦争・第5部:神の兵器

『輪生の向こう側』は、どこまでも静まり返っていた。


カイは果てしない緑の空の下に佇み、遠い地平線の情景を最後にもう一度だけ見つめた。

その傍らには、小さな光の球体が静かに浮かんでいる。

――ソラの魂。

外の世界の混沌には一切触れられず、ただ穏やかにそこに在り続けていた。


ユイがカイの隣に立つ。その表情はどこまでも優しい。

「そろそろ、戻りましょうか」


カイは頷いた。

「ああ」

彼はもう一度、その光の球体へと視線を落とす。

「二度とあんなことが起きないくらい、頑丈な肉体(うつわ)を与えてやらないとな」


ユイが微笑んだ。

「ええ、あなたならできるわ」


カイがそっと片手を差し伸べる。

光の球体がふわりと宙を舞い、彼の手元へと引き寄せられた。

カイがそれを大切に包み込むように受け止めた瞬間――周囲の世界が完全に掻き消えた。


--


エリュシオン教団


次の瞬間、カイとユイはエリュシオン教団の広間へと姿を現していた。

転移門(ポータル)も、爆発も、大仰な予兆すらもない。

一瞬前まで、その場所には誰もいなかった。だが次の瞬間には、カイが当たり前のように立っており、その隣にはユイが控えていた。


その場にいた全員が、一斉に振り返る。


クロエが硬直した。その瞳が驚愕に見開かれる。

「カイ……?」


カイが彼女へと視線を向けた。

「よぉ」


ただ、それだけだった。

その一言だけで十分だった。


クロエは広間を突っ切るように駆け出し、ほとんど飛び込むような勢いでカイの胸へと身を投げ出した。

カイが反応する間もなく、彼女の両腕が彼の背中に強く回される。

彼女はカイの胸元に顔を押し当てたまま、数秒の間、一言も発しなかった。

やがて、彼女の華奢な肩が小刻みに震え始める。


カイが視線を落とした。

「クロエ?」


彼女は答えない。代わりに、数滴の温かい涙がカイの衣服を濡らした。

カイの表情が、ふっと柔らかくなる。

彼は大きな手のひらを、彼女の頭部の後ろへと優しく添えた。

「ただいま」


クロエが、さらに腕の力を強める。

「バカ……」

彼女の声が、微かに震えていた。

「どれだけ心配したと思ってるの……」


カイが微かに苦笑した。

「悪かったな」


「いきなり消えるんだもの」


「分かってる」


「さよならの一言も言わずに」


「俺だって、別に消えるつもりで消えたわけじゃないんだがな」


クロエがようやく身体を離した。その瞳は涙で赤く潤んでいる。

カイは親指で、彼女の頬を伝う涙をそっと拭った。

「もう大丈夫だ」


クロエはなおも数秒間、彼の顔をじっと見つめ続けていた。そしてやがて、小さく頷く。

「……よかった」

そう呟くと、彼女はもう一度、彼に強く抱きついた。


カイは小さくため息をついた。

「なんだか最近、ここの連中全員が俺のことを『等身大の抱き枕』か何かだと思い始めてる気がするんだが」


クロエが弱々しく、けれど嬉しそうに笑った。

「そうかもしれないわね」


--


少し離れた場所から、ネロはその光景を穏やかに見守っていた。

彼は腕を組み、静かに口を開く。

「お帰りなさいませ、カイ様」


カイがそちらへ視線を向けると、ネロは微かに口元を緩めた。

「随分と、ご機嫌がよろしいように見受けられますが」


カイは一瞬だけ言葉に詰まった。

「……そう見えるか?」


「ええ」

ネロの目が、探るように細められる。

「何か、良いことでもございましたか?」


カイは不敵に微笑んだ。

「さあな。あったかもしれないし」


ネロが片方の眉を上げる。

「かもしれない?」


「なかったかもしれない」


ネロは喉の奥でクスクスと笑った。

「なるほど、承知いたしました」


ヴァドスも腕を組んだまま口を挟む。

「お前さんがそこまで意味深な態度をとるのは珍しいな」


カイが彼を見た。

「そうか?」


「ああ」


カイは満足そうに笑った。

「なら、俺の作戦通りってことだな」


ヴァドスは呆れたように首を振った。

「とにかく、お帰り」


傍らに立っていたエルヴァの表情はいつも通り冷静だったが、その瞳の奥に浮かぶ微かな安堵の色は隠しきれていなかった。

セナも静かに深く一礼する。

「我が主よ」


カイは微笑んだ。

「みんな無事で何よりだ」


ほんの一瞬、広間から言葉が途絶えた。

奇妙な感覚だった。前回カイがここに立っていた時は、彼の激しい怒りの波動によって世界そのものが崩壊寸前まで震えていたというのに。

今の彼は、穏やかに笑っている。その場の空気は、まるでどこにでもある日常のように温かかった。

――ほとんど、日常そのものだった。


その時、ソフィアがカイの手にある『何か』に気づいた。

彼女は慎重に歩み寄り、カイの掌に収められた小さな光の球体へと視線を落とす。

「……それは、何?」


カイが手元を見下ろす。

「ああ」

彼はそれを少しだけ持ち上げて見せた。

「これか?」


ソフィアが頷く。

「何なの、それ?」


カイは、あまりにもあっけらかんと答えた。

「ソラの魂だ」


ソフィアが凍りついた。

「……本気で言ってるの?」


カイが頷く。

「ああ」


ソフィアは淡く輝く魂を凝視し、それからカイの顔を交互に見つめた。

「彼女を……見つけたの?」


「そうだ」


「生き返らせることが、できるの?」


カイが微笑んだ。

「そのつもりだ」


ソフィアの瞳が大きく見開かれる。

ソラが命を落として以来初めて、彼女の表情に『希望』と呼べる光が灯った。

「だったら――」


カイは上層階へと視線を向けた。

「エルヴァ」


冷静で透き通るような声が、即座に応答する。

「はい、カイ様」


「ソラのための新しい『器』を用意できるか?」


エルヴァが微笑んだ。

「すでに完成しております」


カイが思わず瞬きをする。

「もう作ったのか?」


「はい」


「……そいつは手回しがいいな」


エルヴァの笑みが、少しだけ深まった。

「カイ様なら、必ずそうお命じになると思っておりましたので」


カイがユイへと視線を向けると、ユイは肩をすくめて笑った。

「彼女、あなたのことをよく理解しすぎているのよ」


カイは深くため息をついた。

「まったく、その通りらしいな」


エルヴァがエレベーターの方へと向き直る。

「こちらへどうぞ」


--


第50階層


エレベーターが塔の深部へと滑らかに降下していく。

やがて扉が開いた瞬間、ソフィアは思わず足を止めた。

その瞳が驚愕に見開かれ、言葉が喉の奥で凍りつく。


第50階層は、彼女がこれまでに目にしたどんな場所とも異なっていた。

果てしなく巨大な広間が四方八方へと伸び、空間全体を圧倒的な規模の魔法構造体が埋め尽くしている。

水晶のように透き通った未知の機械群が、床から浮遊したまま稼働していた。


壁面に埋め込まれた透明な水路のような管を、莫大な『創世(ジェネシス)エネルギー』が激流となって駆け巡っている。

何百もの魔法陣が、同時に、一切の狂いもなく作動していた。

あるものは物質を精製し、あるものは魔法構造を解析し、またあるものは純粋なエネルギーの塊から直接『物体』を構築している。


そして、最も巨大な広間の中心に、その『何か』は佇んでいた。


人型の、器。

一見すれば、どこからどう見ても人間にしか見えない。だが、それはあくまで一瞬の印象に過ぎなかった。


全身には淡く発光するエネルギーのラインが幾何学的に走り、四肢の隅々にまで『創世(ジェネシス)エネルギー』が脈動しながら巡っている。

胸部の核(コア)が、まるで生きている心臓のようにドクン、ドクンと穏やかに拍動していた。

まだ魂も命も宿していないというのに、その器はまるで静かに呼吸をしているかのように見えた。


ソフィアはその光景を凝視したまま、呆然と呟く。

「……一体、なんなのよここは?」


エルヴァが一歩、前に踏み出した。

「ここは『創世の鋳造場(ジェネシス・ファウンドリー)』です」

彼女は器の方へと優雅に手を差し伸べる。

「そして、あれこそが私の最新作でございます」


カイがゆっくりと近づく。

器が微かに振動し、創世エネルギーがその肉体を駆け抜けていく。

カイは鋭い観察眼でその構造を細部まで吟味した。


凄まじい精度の構築だ。

単なるスペアの肉体などではない。普通の人間の身体であれば一瞬で塵と化すような、圧倒的な理不尽と衝撃に耐え抜くためだけに設計された、究極の器。


カイの口元に、満足げな笑みが浮かんだ。

「……いい出来だ」


エルヴァが誇らしげに頷く。

「ソラ様のためだけに、特別に設計いたしましたので」


カイは器の周囲をゆっくりと歩きながら確認を続ける。

「構造は極めて安定しているな」


「はい、完璧に」


「エネルギーの循環は?」


「一切の滞りもございません」


カイは頷いた。

「気に入った」

彼はエルヴァへと視線を向ける。

「あいつにとって、これ以上ないほど完璧な器だ」


ソフィアの険しかった表情が、ふっと柔らかく緩む。

「……じゃあ、彼女、本当に戻ってくるのね」


カイは彼女を見つめた。

「ああ」

大仰な演出もなければ、奇跡を約束するような甘い言葉もない。彼はただ、事実としてそう告げた。

「戻ってくる」


それだけで、十分だった。

ソフィアは深く頭を垂れた。

「……ありがとう」


カイは面倒くさそうに片手を振った。

「礼なんて言うな」


ソフィアが顔を上げる。

「どうして?」


カイは、手元で淡く光るソラの魂へと視線を落とした。

「あいつは、リンの友達だからだ」

その瞳に、揺るぎない真剣な光が宿る。

「リンなら、間違いなくあいつに生きていてほしいと願うはずだからな」


ソフィアは、すべてを理解した。

これはカイ自身がソラを失った悲しみから行うものではない。すべては、妹の『リン』のため。

ソラは、彼の愛する妹にとって大切な存在だった。彼にとっては、ただそれだけの理由で十分だったのだ。


--


カイは再び、器へと向き直った。

「始めるぞ」


ユイが一歩、前に出る。その瞳が神秘的な光を帯びて輝き始めた。

「蘇生プロセスの準備、完了しているわ」


カイが片手を掲げる。

器の周囲に幾重もの魔法陣が展開され、広間全体から莫大な創世エネルギーが奔流となって流れ込んでいく。

ソラの魂を宿した光の球体がふわりと宙へ浮き上がり、ゆっくりと器に向かって吸い寄せられていった。


魂を包んでいた光が、器の輪郭へと溶け込んでいく。

ユイの澄み切った声が、広間に響き渡った。

「蘇生プロセスを開始するわ」


器の核(コア)が起動した。


――ドクン!!


空間を震わせるような重厚なエネルギーのパルスが、部屋全体へと広がる。

ソフィアが思わず一歩後退する中、エルヴァはどこまでも冷静に佇み、カイはその様子をじっと見守り続けていた。


ソラの魂が、ゆっくりと、一つひとつの断片をパズルのように嵌め込むように器の中へと定着していく。

やがて、器の指先がぴくりと動いた。

続いて胸が上下し、閉ざされていた瞼の奥で瞳が揺れる。

空間を満たす創世エネルギーが、さらにその輝きを増していった。


ユイが淡々と解析結果を読み上げる。

「魂の統合、順調に進行中」

「器との同期率、極めて安定」

「生命力の再構築、成功」

「意識の接続、確立完了」


カイが微かに口元を緩めた。

だがその直後、ユイが付け加えるように言った。

「ただ、一つだけ『変化』があるわ」


カイが彼女へと視線を向ける。

「何だ?」


「ソラはもう、人間ではなくなるわよ」


ソフィアの目が見開かれた。

カイは器へと視線を戻す。

「……この器のせいか?」


「ええ」

ユイは冷静に説明した。

「その器には、純粋な『竜のエネルギー』が大量に組み込まれているからよ」


エルヴァが静かに頷いて補足する。

「その肉体は、地竜(アース・ドラゴン)、火竜(ファイア・ドラゴン)、そして翼竜(ウイング・ドラゴン)の鱗と魔核(コア)を贅沢に使用して構築いたしました」


カイの動きがピタリと止まり、ゆっくりとエルヴァの方へと首を巡らせた。

「……待て」


エルヴァが小首を傾げて彼を見つめる。

カイは器を指差しながら、呆然と尋ねた。

「お前、その鱗や魔核を使えるほど強力な竜を、一体どこで見つけてきたんだ?」


エルヴァは、この上なく優雅に微笑んだ。

「私が、自分で捕獲してまいりました」


カイの思考が完全に凍結した。

「……今、何と言った?」


エルヴァが不思議そうに瞬きをする。

「私が、捕獲いたしました」


カイは彼女を凝視した。

「お前が……自分で捕まえたのか?」


「はい」

彼女はにっこりと微笑む。

「名もなき竜(ネームレス・ドラゴン)たちでした。それなりに強靭ではありましたが、まだ『名』を授かるほどの格には至っておりませんでしたので」


カイは数秒間、完全な沈黙を守った。

そしてやがて、「ふむ」と小さく唸り、納得したように頷いた。

「……まあ、いいか」


傍らで、ヴァドスが静かにネロへと視線を送る。ネロもまた、無言でヴァドスを見つめ返した。どちらも何も言わない。

カイは器へと向き直り、ぼそりと呟いた。

「どうやら、ここではこれが『普通』らしいな」


エルヴァが謙虚に微笑む。

「大した手間ではございませんでしたよ」


カイは深くため息をついた。

「もう、詳しいことは聞かないでおく」


--


蘇生の儀式は続いていた。

竜の膨大なエネルギーが、ソラの新しい肉体の隅々へと駆け巡る。

器がさらなる変貌を遂げ、物理的な構造が魂の波長に合わせて最適化されていく。

竜の魔力と完全に同調したことで、その肉体はより安定し、より強靭に、そしてあらゆる破壊に耐え得る絶対的な強度を獲得していた。


だが――その時、別の『何か』が割り込んできた。


カイの動きが、突如として止まる。

彼の目が、鋭く細められた。


奇妙で不穏なエネルギーが、彼の知覚領域へと侵入してきたのだ。

知っている気配だ。だが、以前とは決定的に何かが違う。

リンに似ている。ひまりにも似ている。

しかし、根底から異質だった。


汚染され、歪められた気配。

時間軸のエネルギーと、何かもっとおぞましい暗黒の力が混ざり合ったような、最悪の波動。


カイの表情が、一瞬で険しく変わった。

「ユイ」


「ええ」


「今の気配は――」


「私にも感知できたわ」


カイは、遠い壁の向こう側を見据えるように視線を飛ばした。

「リンだ」


ユイの瞳が、より一層強く輝く。

「正確には、少し違うわね」


カイは、即座にすべてを悟った。

「……封印か」


ユイが静かに頷く。

「どうやら、誰かの手によって破壊されたみたいね」


カイの顔が、冷徹なシリアスさへと切り替わる。

「そのようだな」

一呼吸置いて。

「それに……どうやらあいつら、『融合』しやがったみたいだ」


「ええ」


カイの目が、さらに細められる。

「だが、それだけじゃない。何か『別のもの』がそこにいる」


ユイが重々しく頷いた。

「第三の意識よ」


カイは遠い虚空を睨みつけた。

「つまり、リンにもひまりにも、完全な主導権がない状態か」


「正解よ」


「二人が混ざり合った結果、全く別の誰かを創り出してしまった、と」


「そうね」

ユイの表情が、かつてないほど深刻なものへと変わる。

「それに……彼女の存在そのものが、すでに周囲の時間の流れを歪め始めているわ」


二人の会話に全くついていけず、ソフィアが二人の顔を交互に見つめた。

「ちょ、ちょっと待って」

全員の視線が彼女へと集まる。ソフィアの表情は混乱しきっていた。

「一体、何の話をしているの?」


カイは彼女を真っ直ぐに見つめた。

「リンだ」


ソフィアの目が大きく見開かれる。

「今……リンって言ったの?」


カイが頷く。

「あいつは、生きている」


ソフィアが息を呑んだ。

「どこに……!?」


カイは答えなかった。

彼の表情はすでに戦闘のそれへと切り替わっていた。あの歪んだエネルギーが、刻一刻と膨張していくのが手に取るように分かる。

何かが起きている。とてつもなく危険な何かが。


カイはヴァドスとネロへと振り返った。

「行くぞ」


ヴァドスが即座に一歩、前に踏み出す。

「お供いたしましょう」


ネロも静かに頷いた。

「私も同行いたします」


カイは二人を見渡し、短く告げた。

「来るぞ」


ソフィアが慌てて一歩踏み出す。

「カイ、待って!」


カイが肩越しに振り返った。

「あいつを、連れ戻してくる」


ソフィアが凝視する。

「リンを……?」


カイが力強く頷いた。

「あいつには、俺が必要だ」


直後、カイの姿がその場から掻き消えた。

ヴァドスとネロもまた、同じ瞬間に空間から消失した。


--


ドミグラの領地


世界が歪み、空間が折りたたまれる。

カイ、ヴァドス、ネロの三人は、暗黒に沈んだ荒廃した大地の上空へと姿を現した。


ネロが即座に周囲の景色を見渡し、その場所を特定する。

「ここは……魔王ドミグラの領地ではございませんか?」


ヴァドスも警戒を強めながら周囲を見回す。

「そのようですね」


カイは微動だにせず、宙に浮いたまま冷徹に目を細めた。


「……ここにいる」


直後――ギィィィィィン!!


空間そのものを両断する、凄絶な斬撃が走った。


次元が、真っ二つに裂ける。

眼下に広がる荒廃した景色が、引き裂かれるように崩壊していく。

山々が。空が。大地が。まるで現実そのものが鋭利な刃で切り刻まれたかのように、無残に分断されていく。

次元の構造が、音を立てて崩れ落ちていく。


カイはその光景を冷静に見つめていた。

「……なるほどな。相手にするのは、あれか」


ネロの表情が、一気にシリアスなものへと引き締まる。

「カイ様」


ヴァドスもまた、警戒を露わに目を細めた。

「誰かが、この次元そのものを内側から破壊しているようですね」


そこへ、さらなる斬撃が放たれた。


――ザンッ!!


残されていた領域のすべてが、ガラス細工のように粉々に砕け散る。

崩壊する空間の中心から、一つの人影がゆっくりと姿を現した。


破壊の跡地の真ん中に、彼女は静かに佇んでいた。

歪んだ大気の中で、その長い髪がふわりと揺れる。

その表情には、一切の感情が浮かんでいない。


彼女の手には、異様な形状をした一振りの剣が握られていた。

その刀身の内部には、幾重にも折り重なった時間軸の歪みが閉じ込められているかのように見えた。

彼女が切っ先をわずかに下げると同時に、その武器の『真名』がカイの知覚へと流れ込んでくる。


――『ベイス・ディヘリア(Baeis Dihellia)』。


ヒリン。

彼女はたった数合の斬撃で、魔王ドミグラが築き上げた固有次元を完全に粉砕してみせたのだ。

そして――彼女の凶行は、まだ終わっていなかった。


--


崩壊する次元の残骸の中から、ドミグラが這い出すように姿を現した。

その全身は無数の傷に覆われ、表情は激しい怒りに醜く歪んでいる。


「貴様……!」


ヒリンは何も答えない。

ドミグラのオーラが、爆発的に膨れ上がった。


「よくも、この俺の領域を破壊してくれたな!!」


ヒリンが、ゆっくりと彼の方へと首を巡らせた。その瞳はどこまでも冷徹だ。

ドミグラが自らの大剣を召喚し、全身に悍ましい暗黒のエネルギーを纏わせる。


「いいだろう」

彼の声が、猛獣のような獰猛さを帯びた。

「それほど戦いが望みだというのなら――」


ヒリンが、掻き消えた。


ドミグラの目が見開かれる。

気づいた時には、彼女はすでに彼の目の前に立っていた。

その細腕から、神剣が振り下ろされる。


――ガキィィィン!!


ドミグラは辛うじて自らの剣でそれを受け止めた。

激突の衝撃波が、崩壊しつつある次元の残骸をさらに吹き飛ばす。


だが――何かがおかしかった。


ドミグラの身体が、びくりと大きく痙攣する。

胸元から、鮮血が噴き出した。

自分の剣で相手の刃を完全に受け止めたはずなのに、攻撃そのものは確かに自分の肉体を斬り裂いていたのだ。


ドミグラの瞳が驚愕に揺れる。

「な、んだと……!?」


ヒリンが『ベイス・ディヘリア』を軽く引き抜く。

ドミグラは苦悶の表情を浮かべながら、大きく後方へとよろめいた。

あの剣は、彼の物理的な防御を完全に無視したのだ。刀身による受け止め(ブロック)そのものを、概念レベルで通り抜けてみせたのである。


カイの目が、鋭く細められた。彼は即座にそのカラクリを見抜く。

「あの剣……」


そこへ、ユイの念話が直接カイの脳裏へと響いた。


『カイ』


『ああ、聞こえてる』


『彼女が手にしているその武器は、極めて危険よ』


カイは『ベイス・ディヘリア』を凝視した。

『どれくらい危険なんだ?』


ユイは、一切の躊躇なく答えた。

『【アルマゲドン】よりも、遥かに危険だわ』


カイの表情が、さすがに険しく変わった。

『……何だと?』


『あれは、本物の『神具(ゴッド・ウェポン)』よ』


カイが目を細める中、ユイは冷静に解説を続けた。


『よく聞いて理解してね。今ヒリンが使っている能力の数々は、彼女自身が元々持っている権能よ。ベイス・ディヘリアが彼女にそれらの力を与えているわけではないの』


『ほう?』


『あの剣の恐ろしさは、能力の発動、同調、そして時間的順序における『通常の制限』をすべて取り払ってしまうことにあるわ。つまり、彼女は本来なら別々にしか使えないすべての権能を、同時に発動できるようになっているのよ』


『……そいつは厄介だな』


『そして、あの剣自体が持つ固有の能力は、たった一つだけ――【矛盾(パラドックス)】よ』


カイは、再びヒリンへと視線を向けた。

『具体的には、どういう意味だ?』


『【因果逆転(コーザリティ・リバーサル)】』


ヒリンが空間から掻き消える。


『無限に分岐する時間軸すべてを見通す【未来視】』


彼女はすでに、ドミグラの背後へと回り込んでいた。


『絶対的な【時間停止】』


世界のすべての動きが、完全に凍りつく。


『そして、【自己時間増殖(セルフ・テンポラル・マルチプリケーション)】』


異なる時間状態に存在する、無数の『ヒリン』の幻影が空間全体を埋め尽くした。


カイの表情が、苦々しいまでのシリアスさに染まる。

「……デタラメにも程があるな」


ユイが静かに応じた。

『ええ、その通りね』


「随分と参考になる情報だ」


『お役に立てて何よりよ』


--


ドミグラは、指一本動かすことができなかった。

時間が、完全に停止している。彼の両目は恐怖に見開かれたまま凍りついていた。


その目の前に、ヒリンが音もなく佇んでいる。

『ベイス・ディヘリア』が、ほんのわずかに動いた。


ただ、一閃。

冷たい刃の切っ先が、彼の胸元に軽く触れる。


直後――停止していた時間が、再び動き出した。


ドミグラが大きくよろめく。

外見上、彼の肉体には傷一つ増えていなかった。

だが、決定的に何かが狂っていた。


凄まじい激痛が、彼を襲う。

肉体の痛みではない。魔力の枯渇でもない。もっと深遠な、存在の根幹を直接抉られるような痛み。

――『魂』そのものへの斬撃。


ドミグラが血を吐きながら咳き込んだ。

「貴様……一体、何をした……!?」


ヒリンは答えない。

彼女は、彼の『魂』を直接斬り裂いたのだ。あの神剣は単に肉体を切断するだけでなく、その奥に宿る『存在の核』そのものを切り刻む。

ドミグラの魂が恐怖に震え、得意の超速再生すらも即座には機能しない。


ドミグラは焦燥に駆られ、別の能力を発動しようと魔力を練り上げた。

だが、ヒリンは彼が次に何をしようとしているのかを、すでに完璧に把握していた。


無限に分岐する未来視。

あらゆる可能性。あらゆる逃走経路。あらゆる反撃の手段。

そのすべてを、彼女はすでに『観測』し終えていたのだ。


ドミグラの顔が、かつてないほどの絶望に歪む。

「ま、待て……!」


ヒリンは冷徹に神剣を振り上げた。


「断る」


--


その時、彼らの背後から数人の人影が空間を裂いて現れた。

ドミグラの配下たちだ。彼らは主君の危機を察知し、必死の形相で駆け出してくる。


「ドミグラ様!」

「お助けしろ!」


だが、彼らがヒリンの元へ辿り着くより早く、その進路を塞ぐように二人の男が静かに立ち塞がった。


――ネロと、ヴァドス。


ネロはリラックスした表情のまま、冷ややかに告げる。

「ここから先は、通さんぞ」


ヴァドスも不敵に微笑んだ。

「大人しく引き返すことをお勧めしますがね」


配下たちが殺気立って襲いかかる。

ネロが、瞬きする間に消えた。


たった一度の移動。それだけで、数人の敵が声も上げずに地面へと崩れ落ちる。

続いてヴァドスが片手を振り払うようにエネルギーの波動を放った。


――ドゴォォォォン!!


残りの襲撃者たちが、木の葉のように戦場の彼方へと吹き飛ばされていく。

彼らが体勢を立て直そうと身を起こした瞬間、そこにはすでにネロが立っていた。


一撃。さらにもう一撃。そして眩いエネルギーの閃光。

戦いは、文字通り一瞬で幕を閉じた。


ネロは何事もなかったかのようにカイの隣へと戻ってくる。

カイが横目で彼を見た。

「もう終わったのか?」


ネロは退屈そうに肩をすくめた。

「手間をかけるほどの価値もない連中でしたよ」


ヴァドスも静かに隣へと降り立つ。

「同感ですね」


カイは小さく頷いた。

「だろうな」


そして三人は再び、凄絶な殺気を放ち続けるヒリンへと一斉に視線を向けた。


――キィィィィィン!!


空間そのものを両断する、一閃の斬撃が走った。


次元のすべてが、真っ二つに引き裂かれる。

山々が、空が、大地が。まるで現実という名のキャンバスに鋭利な刃が突き立てられたかのように、世界のあらゆる要素がバラバラに分断されていく。

次元の構造が、自重に耐えかねて崩壊を始めた。


カイはその光景を、ただ冷静に見つめていた。

「……なるほどな。相手にするのは、あれか」


ネロの表情が、一気にシリアスなものへと引き締まる。

「カイ様」


ヴァドスが鋭く目を細めた。

「何者かが、次元そのものを内側から破壊していますな」


直後、さらなる二撃目の斬撃が迸った。


――ザンッ!!


ドミグラの領域全体が、ガラス細工のように粉々に砕け散る。

崩壊していく空間の渦の中から、一つの人影が静かに姿を現した。


彼女は、破壊の跡地の中心に凛と佇んでいた。

歪んだ大気の中で、その髪がゆっくりと揺れ動く。

顔には、一切の感情が浮かんでいない。


その手には、異様な佇まいの剣が握られていた。

刀身には、幾重にも折り重なった『時間の歪み』が怪しく揺らめいている。


彼女が、その剣をわずかに下ろした。

その瞬間、武器の『真名』がカイの知覚へと直接流れ込んでくる。


――『ベイス・ディヘリア(Baeis Dihellia)』。


そして、それを握る少女――『ヒリン』。

彼女はドミグラの個人次元を完全に粉砕した。しかも、まだ終わってはいなかった。


--


崩壊する次元の残骸の中から、ドミグラが這い出すように姿を現した。

全身は痛々しい傷だらけで、その顔は激しい屈辱と憤怒に歪んでいる。


「貴様……っ!」


ヒリンは何も答えない。

ドミグラのオーラが、爆発的に膨れ上がった。


「よくも、よくも俺の領域を破壊してくれたな……!!」


ヒリンはゆっくりと、彼の方へと視線を向けた。

その瞳は、どこまでも冷徹に凍りついている。


ドミグラが己の剣を召喚する。おぞましい暗黒のエネルギーが、彼の全身へと広がっていく。


「いいだろう」

その声が、粘着質な殺意を帯びた。

「それほど戦いたいというのなら――」


ヒリンの姿が、掻き消えた。


ドミグラの目が見開かれる。

気づいた時には、彼女はすでに彼の目の前に立っていた。


白刃が、無慈悲に振り下ろされる。


――ガキンッ!!


ドミグラは辛うじて、その一撃を剣で受け止めた。

凄まじい衝撃波が、崩壊しつつある次元をさらに激しく揺さぶる。


だが――何かがおかしかった。


ドミグラの身体が、不自然に びくり と跳ねた。

次の瞬間、彼の胸元から鮮血が噴き出した。


自分の剣で確かに相手の刃を止めたはずなのに。

攻撃は、間違いなく彼自身の肉体に『着弾』していた。


ドミグラの瞳孔が、驚愕に収縮する。

「な、んだ……と……?」


ヒリンが無造作に『ベイス・ディヘリア』を引き抜く。

ドミグラは苦悶の表情を浮かべ、後方へとよろめき下がった。


あの剣は、彼の物理的な防御を完全に無視したのだ。

剣による受け止め(ブロック)という事象そのものをすり抜け、結果だけを直接刻み込んだ。


カイの目が、鋭く細められた。

彼は即座に、その異質さの正体を理解した。


「あの剣……」


その時、ユイの声がカイの脳裏へと直接響き渡った。


『カイ』


『ああ』


『彼女が使っているその武器は、極めて危険よ』


カイは『ベイス・ディヘリア』を凝視した。

『どれほど危険なんだ?』


ユイの返答は、一切の迷いもない即答だった。


『【終末の剣(アルマゲドン)】よりも、遥かに危険よ』


カイの表情が、一瞬で変わった。

『何だと……?』


『あれは、『神具(ゴッド・ウェポン)』よ』


カイの目が、さらに細められる。ユイは説明を続けた。


『よく聞いて。ヒリンが今使っている能力は、すべて彼女自身のものよ。『ベイス・ディヘリア』は、彼女に新しい力を与えているわけではないわ。あの剣は、能力の発動制限、同期の限界、そして時間的順序(タイム・シーケンス)の制約をすべて取り払うの。つまり、彼女が持つあらゆる権能を『すべて同時に』行使できるようにしているのよ』


『……』


『そして、あの刀身そのものが宿している固有の能力は、たった一つだけ。――【逆説(パラドックス)】よ』


カイはヒリンの一挙手一投足を凝視した。

『つまり、どういうことだ?』


『【因果逆転(コーザリティ・リバーサル)】』


ヒリンが再び消える。


『無限の分岐を見通す【未来視(フューチャー・サイト)】』


彼女はドミグラの背後へと出現した。


『【絶対時間停止(アブソリュート・タイム・ストップ)】』


世界のすべてが、完全に凍りつく。


『【自己時間増殖(セルフ・テンポラル・マルチプリケーション)】』


異なる時間状態に存在する、無数の『ヒリン』が一斉に空間へと顕現した。


カイの表情が、かつてないほどシリアスなものへと変わる。

「……ふざけた性能だな」


ユイが冷静に応じる。

『ええ、本当にね』


「随分と参考になったよ」


『お役に立てて何よりだわ』


--


ドミグラは、指一本動かすことができなかった。

時間は完全に停止している。彼の驚愕に見開かれた瞳さえも、その一瞬に縫い留められていた。


ヒリンは、ただ静かに彼の前に立っている。

『ベイス・ディヘリア』が、滑らかに動いた。

たった、一閃。

冷たい刃が、彼の胸元にそっと触れる。


そして――時間が、再び動き出した。


ドミグラが、激しくよろめいた。

肉体の表面には、傷一つ付いていない。


だが、決定的に何かがおかしかった。

彼は、これまでに味わったことのない激痛に襲われていた。


肉体の痛みではない。魔力の枯渇でもない。

もっと根源的な、存在の深部――『魂』そのものを引き裂かれるような痛み。


ドミグラが口から血反吐を吐き出し、咳き込んだ。

「貴様……一体、何をした……?」


ヒリンは何も答えない。

彼女は、あいつの魂を直接斬りつけたのだ。

あの剣は、単に肉体を切り裂くためのものではない。その下層にある『存在の根源』そのものを断ち切る凶器。


ドミグラの魂が、恐怖と苦痛に激しく震える。

自慢の超速再生(リジェネレーション)でさえ、この傷を即座に修復することはできなかった。


ドミグラは焦燥に駆られ、別の権能を発動しようと魔力を練り上げる。

だが――ヒリンは、彼が次に何をしようとしているのかを、すでに完璧に把握していた。


無限の分岐を見通す『未来視』。

あらゆる可能性。あらゆる逃走経路。あらゆる反撃の手段。

そのすべてを、彼女はすでに視終えていた。


ドミグラの顔が、ついに絶望へと歪みきった。

「ま、待て……!」


ヒリンは冷徹に剣を掲げた。


「――お断りよ」


--


その時、彼らの背後から数人の人影が現れた。

ドミグラの配下たちだ。


「ドミグラ様!」

「お助けしろ!」


彼らがヒリンへと殺到する、その直前。

二人の男が、彼らの行く手を塞ぐように静かに歩み出た。

ネロと、ヴァドスだった。


ネロは、どこまでも余裕に満ちた表情で告げる。

「ここから先は、通すわけにはいきませんな」


ヴァドスも不敵に微笑んだ。

「大人しく引き返すことをお勧めするよ」


配下たちが一斉に襲いかかる。

次の瞬間、ネロの姿が掻き消えた。

たった一度の移動。それだけで、数人の敵が音もなく崩れ落ちる。


ヴァドスが片手を振るい、圧倒的なエネルギーの波動を解放した。


――ドゴォォォォォン!!


残りの襲撃者たちが、木の葉のように戦場の彼方へと吹き飛ばされる。

彼らが体勢を立て直そうとした時には、すでにネロがその懐へと潜り込んでいた。


一撃。さらに、もう一撃。眩いエネルギーの閃光。

戦闘は、文字通り瞬く間に終結した。


ネロが何事もなかったかのようにカイの隣へと戻ってくる。

カイが横目で彼を見た。

「もう終わったのか?」


ネロは軽く肩をすくめた。

「手を煩わせるほどの相手でもございませんでしたので」


ヴァドスも隣へと並び立つ。

「全く同感だな」


カイは満足そうに頷いた。

「だろうな」


三人は同時に、戦場の中心に立つヒリンへと視線を戻した。


--


ヒリンは、たった一人でそこに立っていた。


ドミグラは、もはや立っているのがやっとの状態だった。

握りしめた剣が、恐怖と激痛で小刻みに震えている。

彼はカイを見つめ、それから再びヒリンへと視線を戻した。


彼の脳裏を、激しい後悔の思考が駆け巡る。


(なぜ俺は……アイオンの依頼など引き受けてしまったんだ……!?)


彼はあの時の取引を思い出していた。

『真なる魔王の進化の種(エボリューション・シード)』。本物の『真の魔王』へと覚醒できるという甘い約束。

あの時、自分は高笑いしていた。この状況をすべて自分の思い通りに操っているのだと信じ込んでいた。カイなど、単なる邪魔な障害物の一つに過ぎないと高を括っていた。


だが、今になってようやくすべてを理解した。

操られていたのは、自分の方だったのだ。


アイオンは最初から、自分に任務を成功させることなど期待していなかった。

ただ、あの封印を破壊するだけの『無謀な馬鹿』が必要だっただけ。

内側に閉じ込められていた化け物を解き放つための、都合のいい生贄(トリガー)が欲しかっただけなのだ。

そして、強欲なドミグラは、その役割にあまりにも完璧に当てはまっていた。


ドミグラの目が、見開かれる。


(あんな依頼……決して受けるべきではなかった……!)


ヒリンが、『ベイス・ディヘリア』を静かに掲げた。

ドミグラは逃げようと身を動かそうとしたが――もう、遅すぎた。


白刃が、抵抗することすら許さず、彼の身体を音もなくすり抜けた。


爆発はない。派手な破壊の演出もない。

彼の肉体はただ、霧が晴れるように薄れ始めた。

一片、また一片と。


魂が崩壊し、存在そのものが糸が解けるように消滅していく。

彼の最後の思考は、深い後悔と怨嗟に満ちていた。


(アイオン……貴様……)


そして、無へと帰した。

魔王ドミグラは、この世から完全に消滅した。


--


ヒリンがゆっくりと剣を下ろす。

戦場から、すべての音が消え去った。


カイは彼女をじっと見つめ続けていた。

やがて、ヒリンがゆっくりと振り返る。


彼女の瞳と、カイの瞳が交錯した。


その瞬間、カイは即座に理解した。

彼女の意識の矛先が、完全に切り替わったのだと。


ドミグラから。破壊された次元から。その他すべての事象から。

今、彼女の冷徹な殺意のすべては――『自分自身』へと向けられている。


カイの表情が、一気に険しく引き締まった。

彼は動かない。ヒリンもまた、動かない。

二人の間に流れる大気が、押し潰されそうなほど重く沈み込んでいく。


ヴァドスとネロはカイの傍らに控えたまま、一言も発しない。

カイはゆっくりと目を細めた。これから何が起きるのか、彼には手に取るように分かっていた。


ヒリンはたった今、魔王ドミグラを屠った。彼の個人次元を完全に粉砕し、介入しようとした者たちをすべて薙ぎ払った。

そして今、その冷たい瞳で自分を見据えている。


カイの手が、わずかに動いた。

だが、その手は【終末の剣(アルマゲドン)】へとは向かわない。彼には、それを使うべきではない理由が分かっていた。

代わりに、彼はただ彼女を真っ直ぐに見つめ返した。


ヒリンが、『ベイス・ディヘリア』を静かに構える。

カイの表情が、硬鋼のように冷たく研ぎ澄まされた。


「なるほどな――」

彼は、彼女が握る異様な神具へと視線を落とす。

「今、その身体の主導権を握っているのは……『お前』の方か」


ヒリンは何も答えない。

その空虚な瞳は、ただ彼だけを捉え続けていた。


カイはゆっくりと、深く息を吸い込んだ。


直後、二人の間を隔てる空間に、パキィンと鋭い亀裂が走った。


ヒリンの姿が掻き消える。

カイもまた、全く同じ瞬間にその場から消失した。


――ドゴォォォォォォォン!!


二つの圧倒的な存在が、空間の中心で激突した。


そして――新たなる破滅の戦いが、今、幕を開けた。

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