第116話 ― 余波(その3) ― エルヴァの考察
戦場はもはや原形を留めていなかった。大地はクレーターに覆われ、大樹はことごとく粉砕されている。巨大な岩の破片が宙を漂い、それからゆっくりと地面へと落ちていく。第十七階層の人工の空は奇妙なほどに穏やかなままで、まるで塔そのものが、眼下の破壊など一考の価値もないと切り捨てているかのようだった。
その戦場から数百メートル離れた場所に、エルヴァが静かに佇んでいた。彼女は一度たりとも動かなかった。腕を組んだまま、遠くで繰り広げられる三人の死闘をじっと見つめている。ソフィア、リン、そしてソラ。
エルヴァの表情は冷静そのものだった。彼女は最初からすべてを観察していた。戦闘の序盤、ソフィアが圧倒していた瞬間も。予言の剣が未来を穿ち、リンとソラが次にどう動くかを完全に見抜いていた姿も。自然と身体が反応してみせた瞬間も、すべてその目に焼き付けていた。
と同時に、彼女は戦況が変化していく様も見届けていた。ソラの魔法の発動速度が、突如として跳ね上がったのだ。魔法陣が現れた瞬間に、術が炸裂する。詠唱もなく、遅延もなく、準備すらない。
エルヴァの目がわずかに細められた。
「面白いわね」
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遠方で再び爆炎が噴き上がった。
――ズガァァァン!
ソフィアは後方へと吹き飛ばされ、空中で身体を捻って片膝を突いて着地した。すかさずリンが猛然と突撃し、ソラの魔法陣が展開される。その瞬間に、爆発が巻き起こった。
――ドゴォォォン!
ソフィアが跳躍してそれを回避すると、爆風が彼女の真下を通り抜けていく。そこへ上空からリンが強襲した。ソフィアは予言の剣を跳ね上げる。
――ガキィィィン!
二つの力が正面から激突した。
エルヴァは平然とそれを見つめ続けていた。
「随分と成長したじゃない」
彼女は、二人の純粋な力だけに感心しているわけではなかった。力など、この世界ではありふれている。カイに仕える者たちの間では、圧倒的な力など持っていて当然の前提に過ぎない。エルヴァが興味を惹かれたのは、あの二人の少女の適応の早さだった。リンはソフィアの剣の特性を見抜き、ソラは戦闘の最中に自らの魔法の駆動ロジックを完全に書き換えてみせた。切磋琢磨の中で、ソフィアの意識を巧みに分断し始めている。
エルヴァの唇に、微かな笑みが浮かんだ。
「悪くないわ」
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ソフィアは次第に劣勢へと追い込まれつつあった。彼女が急に弱くなったわけではない。予言の剣が機能しなくなったわけでもない。むしろ逆だった。剣は今もなお、彼女に未来を明確に見せ続けている。すべての攻撃、すべての挙動、すべての隙を。
しかし、問題はその未来の可能性の数だった。リンは絶え間なく進路を書き換え、ソラの魔法は即座に発動する。ソフィアがどれほど一つの未来を予知したところで、彼女たちはそれを瞬時に上書きしてくるのだ。
ソフィアは追撃をブロックした。
――カァァァン!
リンの拳が予言の剣の腹を激しく叩き、ソフィアの身体が後方へと押し出される。そこへソラの魔法陣が出現した。ソフィアがそちらへ視線を向けた刹那、術が発動する。
――ズドォォォン!
ソフィアは腕を交差させ、障壁を起動した。爆風が障壁を叩き、彼女の身体は地面を激しく滑り落ちていく。
気づけば、リンが目の前に肉薄していた。ソフィアが剣を振るうが、リンは身を沈めてそれを回避した。予言の剣が彼女の頭上を虚しく通り抜ける。すかさずソラの次なる魔法が展開された。ソフィアは未来を見据えて身体を動かした。術は、彼女が先ほどまでいた場所で爆発した。
リンが攻め、ソフィアが防ぐ。ソラが仕掛け、ソフィアがかわす。再びリンが襲いかかり、ソフィアがカウンターを放つ。
数秒の間、三人の動きは常人の目では到底追いきれないほどの超高速の領域へと達していた。だが、エルヴァにとっては問題ではなかった。彼女はそのすべてを完璧にトレースしていた。あらゆる足取り、重心の移動、魔力出力の変化。すべての躊躇、そして、すべてのミスにいたるまで。
そして、彼女はもう一つの事実に気がついた。リンとソラが、言葉を交わすことなく互いを完全に理解し始めているのだ。リンが動けばソラが応じ、ソラが魔法を放てばリンが即座にその隙を突いていく。自らの行動を説明する必要など、今の二人には一切なかった。彼女たちの連携は、すでに本能の領域へと昇華していた。
エルヴァの目が鋭くなった。
「完全に一対の戦士として機能し始めているわね」
それは、ただ単に二人で並んで戦っているというレベルの話ではない。戦士としてのコンビは、相手が言葉にする前にその意図を完璧に同期する。それは、未来予知を持つ者にとっては最悪の脅威だった。二人の連携が深まれば深まるほど、構築される未来はどこまでも複雑化していくからだ。
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ソフィアの姿が、突如として戦場から消え去った。
リンが目を見開く。
「どこへ――!?」
予言の剣は、すでに未来をハッキングしていた。ソフィアはリンの真後ろに出現し、その背中へ向けて白銀の刃を振り下ろす。しかし、ソラが即座に反応した。魔法陣が出現し、一瞬の遅延もなく炸裂する。
――ズバァァァン!
その爆風によって、ソフィアは無理やり距離を取らされた。
リンが振り返り、すぐに状況を察した。
「助かったわ、ソラ!」
ソラが不敵に笑ってみせる。「どういたしまして」
数メートル離れた場所に着地したソフィアは、二人をじっと見つめ返した。その呼吸は次第に荒くなっていたが、双眸の鋭さは健在だった。彼女はふっと笑みを漏らす。
「随分と学習が早いのね」
リンは前傾姿勢をさらに低く沈めた。
「それはお互い様でしょ」
ソフィアは静かに剣を掲げた。刀身がまばゆい光を放ち始める。
「私はね、これまでの人生で、数え切れないほどの戦場を潜り抜けてきたのよ」
ソラの表情が真剣なものへと変わる。
「そんなの、私たちだって同じだよ」
ソフィアの目が鋭く細められた。次の瞬間、彼女の姿が再び掻き消えた。
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続く攻防は、先ほどまでのラリーを遥かに凌駕する速度で行われた。ソフィアが戦場を縦横無尽に駆け巡る。彼女の予言の剣は幾度となく未来を穿ち、リンが到達するよりも前の座標へと刃を滑り込ませた。ソラが放つ魔法も、それが脅威となる前のフェーズで確実に遮断していく。彼女の肉体にほぼ同時の反応を強制していた。
ほんの僅かな間、ソフィアが再び戦場の主導権を握り直した。リンは後方へと押し戻され、ソラの魔法はその構築の途中で強制的に中断させられる。二人の間に割り込んだソフィアの刃が一閃し、リンはガードを余儀なくされながら激しく石床を滑っていった。
ソフィアはすぐさまソラへと向き直る。ソラが右手を掲げ、魔法陣が展開された。ソフィアにはその未来が見えていた。彼女は回避のステップを踏み出そうとする。
――しかし。その魔法は、全く別の座標へと顕現した。
ソフィアの目が驚愕に見開かれる。ソラは発動の最後の刹那、魔法の出現位置を力ずくで書き換えたのだ。
――ズドォォォン!
死角からの大爆発がソフィアの横顔を捉え、彼女の華奢な肉体が宙へと激しく吹き飛ばされた。
その落下軌道の真下に、リンがすでに先回りしていた。ソフィアが視線を落とした瞬間、そこにはすでに獣の如き鉄拳が完成していた。
――ドゴォォォン!
ソフィアの身体が上方へと垂直に跳ね上げられる。その頭上には、いつの間にかソラが回り込んでいた。新たな魔法陣が展開される。一瞬の遅延もなく、最大出力の術が炸裂した。
――ズバァァァォォォン!!!
度重なる直撃を受け、白銀の聖騎士の身体が激しく地面へと叩きつけられた。
静寂が訪れる。戦場は激しい土煙に覆い尽くされた。エルヴァは微動だにせず、ただその惨状を見つめていた。やがて、彼女の唇が静かに吊り上がる。
「……面白いじゃない」
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土煙がゆっくりと晴れ渡っていく。
ソフィアは、きしむ身体を無理やり動かして起き上がった。白銀の制服は無残に引き裂かれ、全身の至る所に生々しい戦闘傷が刻まれている。呼吸は激しく乱れていたが、それでも彼女は、未だにその足でしっかりと大地を踏みしめて立っていた。
数メートル先には、リンとソラが肩を並べて立っている。彼女たちもまた、完全に限界を迎えていた。ソラの肩は激しく上下し、リンの両腕の手甲には無数の亀裂が入っている。どちらの少女も、無傷でこの死闘を潜り抜けたわけではなかった。
ソフィアは二人を見つめ、それからゆっくりと聖剣の切っ先を下げた。
「あなたたち二人……」
彼女は深く息を吸い込み、その名前を正当に刻み込んだ。
「……本当に、骨が折れるわね」
リンが不敵に笑う。「どういたしまして」
ソフィアは一瞬だけ呆気に取られたように瞬きをした。
「……褒めてないわよ」
「知ってるわ」
ソラが小さく吹き出し、ソフィアは呆れたように首を振った。そして、その表情から一切の雑念が消え去り、真剣そのものの戦士の顔へと戻る。彼女は最後に、もう一度だけ『預言の剣』を正位置へと構え直した。
「なら――これで終わりにしましょう」
彼女の全身から、白銀のオーラが爆発的に噴き上がった。能力が最大出力を超えて完全起動し、フィールド全体が激しく鳴動する。リンがその姿勢を極限まで低く沈め、ソラの周囲には、もはや数えることすら不可能なほどの即時発動の術式陣が狂暴に明滅し始めた。
遠方で見守るエルヴァは、動かない。彼女がその気になれば、この戦いを一瞬で強制終了させることもできただろう。三人の間に割って入り、ソフィアを力ずくで捩じ伏せることも、リンとソラを静止させることも容易だったはずだ。
だが、彼女はそうしなかった。カイからは「手出しをしろ」などという命令は受けていない。原因もなく主の指示の枠組みを逸脱するような真似は絶対にしないのだ。
だからこそ、彼女はただその座標に立ち尽くしていた。
次なる一瞬がもたらす、すべての因果の決着を。ただ静かに、見届けるために。
ソフィアが消えた。リンが消えた。ソラの魔法陣が狂い咲く。最後の激突が始まった。
ソフィアの『預言の剣』が未来を穿った。リンの攻撃が見える。ソラの魔法が見える。彼女たちが選びうるすべてのルートが見える。ソフィアは動いた。リンが進路を変える。ソフィアがそれに合わせる。ソラの魔法が顕現する。ソフィアがかわす。別の魔法が出現する。ソフィアは再びステップを踏む。リンが攻め、ソフィアが防ぐ。さらに魔法が迫り、ソフィアは身体を捻った。
――しかしその時、リンが突如として動きを止めた。
ソフィアの目が驚愕に見開かれる。未来が書き換わった。リンは攻撃してこなかった。代わりに、彼女はただ横へとステップを崩したのだ。その真後ろの座標に、ソラの魔法陣が出現していた。ソフィアはそれが罠だと直感した。咄嗟に振り返る。だが、遅すぎた。術は一瞬の遅延もなく発動した。
――ズドォォォォォン!
ソフィアの華奢な肉体が爆炎に呑み込まれた。
爆煙を引き裂いてリンが躍り出る。ソフィアは予言の剣を掲げたが、リンの鉄拳が刀身を猛然と叩いた。
――ガキィィィン!
凄まじい衝撃がソフィアの武器を強引に弾き飛ばす。そこへソラの次なる即時魔法が展開された。刹那の瞬間に爆発が巻き起こる。ソフィアの『七彩』が防壁を起動した。しかし、二人の完璧な同時波状攻撃は、彼女の処理能力を完全に超越していた。リンが殴り、ソラの魔法が追撃する。さらにリンが踏み込む。ソフィアは最初の一撃をブロックし、二撃目をかわし、三撃目を防いだ。――だが、リンの最後の渾身のストレートが、ついにその肉体を捉えた。
――ドゴォォォン!
ソフィアは戦場を真横へと吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられた。何メートルも激しく転がり、やがてその動きを止める。
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静寂。
リンとソラが肩を並べて立ち尽くしていた。ソフィアは必死に立ち上がろうとした。その腕が激しく震える。片手を地面に突き、無理やり身体を押し上げようとする。――しかし、無理だった。彼女の体力は完全に底を突いていた。力なく再び地面へと頽れ、その手から預言の剣が静かに滑り落ちた。
戦場に静けさが戻る。リンはゆっくりと両拳を下げ、ソラも掲げていた手を下ろした。二人は倒れたソフィアをじっと見つめる。
ソラが激しく肩で息をした。
「……やった、んだよね」
リンが小さくうなずいた。
「ええ……」
どちらも勝利を喜ぶ余裕などなかった。それほどまでに消耗しきっていたのだ。
数秒の沈黙の後、ついにエルヴァが動いた。彼女は敗北したソフィアに向かってゆっくりと歩き出す。無残に破壊された地面に、静かな足音が響く。
リンがいち早くその気配に気づき、鋭い視線を向けた。
「……誰?」
エルヴァが足を止めた。彼女はリンを見つめ、それからソラに視線を移す。二人は戦闘中、彼女が介入してくる気配を一切感じていなかった。目の前の美しい銀髪の女性が何者なのか、全く見当もつかなかったのだ。エルヴァはただ、穏やかに微笑んでみせた。
「最初から見せてもらっていたわ」
ソラが警戒を強めて目を細める。「見せていた?」
「ええ」
エルヴァはソフィアに視線を落とした。
「見事な戦いぶりだったわ」
リンがさらに身構える。
「あんたも、私たちと戦うつもり?」
エルヴァは静かに首を振った。
「いいえ」
彼女は再びリンを見据える。
「我が主から、この女を連れ戻すようにと命令を受けているだけよ」
その言葉に、リンはすべてを察した。「カイね」
エルヴァがうなずく。「そうよ」
ソラがようやく、わずかに身体の緊張を解いた。
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エルヴァはソフィアの側へと歩み寄った。意識を失った聖騎士団長を見下ろし、それから再びリンとソラへと視線を戻す。
「悪くないわ」
その声は、どこまでも冷静だった。
「二人とも、随分と成長したじゃない」
リンがぱちくりと瞬きをした。「……どうも」
ソラも微かに笑みを浮かべる。
エルヴァは屈み込み、地面に落ちていた預言の剣を拾い上げた。一瞬だけその刀身を検分するように見つめた後、それをそっとソフィアの傍らに置き直す。奪い取るつもりはなかった。その必要がないからだ。エルヴァはソフィアを優しく抱きかかえ、意識のないその身体を自らの腕の中に収めた。
リンがその様子をじっと見つめる。「どこへ連れていくの?」
「カイ様の元へよ」
ソラがリンの顔を見つめ、リンは静かにうなずいた。
エルヴァは背を向け、歩き出そうとして――ふと足を止めた。彼女は肩越しに二人を振り返る。
「少し休んだ方がいいわ」
リンが片方の眉を上げた。「どうして?」
「普通の人間なら、あの戦闘の衝撃だけで命を落としているわよ」
エルヴァの表情は変わらない。
「あなたたちは生き残り――」
彼女は破壊し尽くされた周囲の惨状に目を向けた。
「――そして、適応してみせた。それは誇っていい事実よ」
微かな笑みを残し、次の瞬間、エルヴァの姿は完全に掻き消えた。
リンとソラだけが、その場に取り残される。ソラがリンを見た。
「ねえ……」
リンが振り返る。「何?」
「私たち、少しは強くなれてるのかな?」
リンはエルヴァが消え去った方向をじっと見つめ、それから不敵に笑ってみせた。
「みたいね」
ソラも嬉しそうに笑う。「よかった」
二人は、ようやく心の底から安堵の息を吐き出すのだった。
遥か遠く、エルヴァはソフィアを腕に抱いたまま、塔の内部を静かに進んでいた。彼女はただ、カイの命令を遂行した。それ以上でも、それ以下でもない。しかしその脳裏には、一つの確かな確信が刻まれていた。
(あの二人……本当に、随分と骨が折れる領域まで成長しているわね)
大戦の引き起こした波紋は、まだ始まったばかりだった。




