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転生の向こう側 【The Other Side of Reincarnation / Beyond Reincarnation】  作者: ルーク
聖戦

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第104話 - 第2幕:教会の聖戦、その5 — 最初の過ち

 新たな要請


 エリュシオン教区に、静かに朝が訪れた。都市はすでに目覚めている。商人は店を開け、冒険者たちはギルドホールの近くに集まっていた。子供たちが通りを駆け抜け、研究員たちは建物の間を縫って本や機材を運んでいる。何一つとして、不審な点は見当たらなかった。


 しかし、塔のメインエントランスの内部では、聖なる審問官のメンバー二十名が待ち受けていた。


 総指揮官(キャプテン)のレア・マロウが先頭に立っていた。彼女の手には、厳重に封印された教会文書が握られている。その表情は真剣そのものだった。


 ガレスが彼女の隣に並んだ。「キャプテン」


 レアが彼に視線を向けた。「何?」


「本当に、このアプローチが正しいと思われますか?」


 レアはすぐには答えなかった。このエリュシオン教区に到着して以来、彼らの調査は大きくその性質を変えていた。カイの配下たちに尋問を行い、関与の証拠は出なかった。神官の記憶が書き換えられていたことを突き止め、尋問という行為そのものが最初から予期されていた事実をも暴いた。


 それにもかかわらず、教会の内部では未だに「侵蝕」が拡大し続けている。


 レアは塔の上層階層を見上げた。「……私たちには、もう時間がないのよ」


 ガレスが眉をひそめた。「だからといって、焦るべきではありません」


「分かっているわ」レアは手元の書類に目を落とした。「けれど、大評議会は『答え』を求めているの」


「そして、俺たちにはそれがない」


「その通りよ」彼女は書類を折り畳んだ。「だから評議会はね、私たちにそれをもぎ取ってこいと命じているのよ」


 ガレスはため息をついた。「……話し合いで、ですか?」


 レアの表情が険しくなる。「それは、奴らがこの先も答えを返し続けるかどうかにかかっているわ」


-


 一階層


 カイは一階層にあるパブリックラウンジの一角に腰掛けていた。目の前には一杯の茶杯が置かれている。向かいにはユイが座り、熱心に本を読んでいた。


 カイはエントランスの方角へ目を向けた。「教会の連中、まだここにいるんだな」


 ユイがページをめくった。「はい」


「もう何日もここにいるぞ」


「あら」


 カイは再びお茶を口に含んだ。「なんだか、すっかり住民みたいに馴染んできやがったな」


 ユイが彼を見つめた。「家賃でも請求しましょうか?」


 カイはお茶を吹き出しそうになった。「……いや、いい」


 ユイは悪戯っぽく微笑んだ。「冗談です」


 カイは彼女を凝視した。「今の、結構まともなジョラン(冗談)だったぞ」


「人間のユーモアについて研究しているのです」


「頼むからやめてくれ」


「なぜですか?」


「お前が他の魔王たちよりも危険な存在になっちまう」


 ユイの笑みが深まる。「私は、すでにそうなっていますが?」


 カイは一瞬の間を置き、「……確かに」と納得した。


-


 足音が近づき、レアがラウンジへと入ってきた。彼女はカイの姿を認めると、その場に足を止めた。「魔王カイ殿」


 カイが顔を上げた。「ん?」


「貴方とお話ししたいことがあります」


カイは茶杯を机に置いた。「調査の件か?」


「はい」


カイはため息をついた。「分かった」彼は空いている椅子を顎で示した。「座れよ」


レアとガレスが彼の向かいに腰を下ろした。ユイはすぐ近くに控えたままだ。


レアはいくつかの書類をテーブルの上に広げた。「ラオディキアから、新たな報告が届きました」


カイはそれらの紙に目をやった。「何があったんだ?」


「汚染(侵蝕)が拡大しました」


カイの表情が、一気に真剣なものへと切り替わった。「どれほどの規模だ?」


「さらに四箇所の聖地が侵されました」


カイは眉をひそめた。「それで、未だに誰の仕業か分かってないって言うのか?」


「はい」


彼は背もたれに寄りかかった。「なら、俺にこれ以上何を求めてるんだ?」


レアは彼を真っ直ぐに見据えた。「貴方の、さらなる『協力』です」


カイは彼女を凝視した。「協力なら、すでに十分してるはずだが」


「それ以上のものが必要なのです」


カイの片眉が跳ね上がった。「それ以上?」


「貴方の配下たちへの、再度の接触(調査権限)を求めます」


カイは沈黙した。「あいつらは、すでにそっちの質問にすべて答えたはずだぞ」


「ええ、答えました」


「そして、誰一人として関与してなかった」


レアは答えなかった。


-


カイの表情が、ほんの僅かに冷徹なものへと変質した。「なら、一体何が問題なんだ?」


レアは静かに息を吸い込んだ。「我々は……彼らのうちの誰かが、未だに何かを隠匿している(隠している)のではないかと疑っているのです」


ユイが、読んでいた本をゆっくりと閉じた。


カイはその動きを察知した。「――誰を疑っているんだ?」


レアは僅かに躊躇した。「……それは、分かりません」


カイは彼女を鋭く睨み据えた。「どこの誰を告発しているのかも分からないくぜに、随分と大層な言いがかり(告発)をぶつけてくれるじゃないか」


ガレスが気まずそうに、椅子の上で僅かに身を動かした。


レアはどこまでも冷静さを保っていた。「我々は彼らを告発しているのではありません」


「じゃあ、何をしてるんだ?」


「調査(インベスト)です」


カイは書類に視線を落とした。「同じ質問を、もう一度繰り返してか?」


「いいえ」レアの声に、断固とした強さが混じる。「――彼らを、直接『観察』することによってです」


カイはゆっくりと頷いた。「……いいだろう」彼は勢いよく立ち上がった。「観察するがいい」


レアはパチクリと目を瞬かせた。「……応じてくれるのですか?」


「ああ」カイは彼女を見据えた。「だがな、あいつらを執拗に追い回す(ハラスメントする)ような真似は絶対に許さん」


レアが頷いた。「分かっています」


「それから、脅迫めいた真似をすることもな」


「承知しています」


「そして当然、こちらから攻撃を仕掛けるような真似は、天地がひっくり返っても許さんぞ」


レアは一瞬言い淀んだが、「我々に、誰かを攻撃する意図など最初からありません」と答えた。


カイがニヤリと不敵に笑った。「ならいい」彼はユイを振り返った。「……案内してやれ」


ユイが恭しく頷いた。「かしこまりました、我が主(マイ・ラヴ)」


 歪んだ記録


 異端審問官たちはいくつかのグループに分かれて行動を開始した。ある班は行政管理の階層へと向かい、ある班は物資の物流を監視し、第三の班は通信記録の精査に当たった。


 レアとガレスは一階層にとどまっていた。彼らは観察し、待ち続けたが、何も起きない。


 数時間が経過した。ネロは七十階層に、エルヴァは五十階層にとどまり、セナはアステリア国内で執務をこなし、ヴァドスはアルドレン国王の補佐を続け、クロエは患者の治療に当たっている。すべてがいつも通りだった。


 あまりにも、いつも通りすぎた。


 やがてガレスがレアに歩み寄った。「……何もありません」


 レアが頷く。「ええ、分かっているわ」


「一度、帰還すべきでは?」


 レアは外に広がる都市の景色に目を向けた。「まだよ」


「なぜですか?」


 彼女はすぐには答えなかった。胸の内の違和感がどうしても拭えなかったからだ。あの神官の自白、偽装された記憶、不気味な紋様、そして同時多発的に汚染された聖遺物。何者かが聖教会を都合よく操っているのは明白だった。しかし、その首謀者はなぜ、他ならぬカイの組織を標的に選んだのだろうか。


 ――なぜ、ここなの?


 レアはカイの方へ視線を向けた。彼は入り口の近くで、何人かの冒険者たちと気安く言葉を交わしている。完全にリラックスしているように見えた。彼女には、あの魔王の底が知れなかった。もし彼が本当に聖教会を壊滅させたいと願うなら、その圧倒的な武力で容易に実行できるはずだ。それなのに、彼は自分たちをこの「家」へと招き入れ、質問に答え、配下たちの監視すらも快く許可している。


-


 レアの思考は、背後からかけられた声によって遮られた。「キャプテン」


 彼女が振り返ると、一人の審問官がそこに立っていた。「何かあったの?」


「これを見ていただきたいのです。見つかりました」


-


 不審な通信


 審問官は一枚の書類を彼女に手渡した。「エリュシオン教区が使用している通信結晶の一つが、三日前の夜にある会話を記録(ログ)していました」


 レアが眉をひそめた。「誰と誰の会話よ?」


「……そこまでは判別できません」


 彼女は書類に目を落とした。「その音声を聞くことはできる?」


「はい、ただちに」


 審問官が手元の結晶を起動すると、微かなノイズ混じりの声が響いてきた。


『……命令は……すでに、下された……』


 もう一つの声が応じる。『……承知、いたしました……』


 レアの表情が一変した。「この声の主は誰なの!?」


「分かりません」


 音声の再生が続く。『……確実に……聖教会に……信じ込ませるのだ……』


 そこで突頭に、激しい魔力の歪み(ディストーション)が走り、音声が掻き消えた。


 レアが一歩詰め寄る。「今のところを、もう一度再生しなさい」


 審問官が指示通りに巻き戻したが、全く同じ箇所で激しいノイズが走る。


 レアは眉根を寄せた。「ノイズを除去して、声を独立させる(アイソレートする)ことはできないの?」


「全力を尽くしています」


 ガレスがその結晶を凝視した。「……これは、決定的な証拠(エビデンス)になり得るでしょうか?」


 レアは首を振った。「いいえ、まだよ」


「なぜです?」


「この記録自体の整合性(認証)が取れていないわ」彼女は結晶を鋭い目で見つめた。「それに、これがどこから発信されたものなのかを示す痕跡が一切ないもの」


 ガレスが頷いた。「結局、また振り出しに戻ったというわけですね」


「そうとも言い切れないわ」レアは結晶を見つめ直した。「何者かが通信システムそのものをハッキングしている(操作している)という事実だけは分かったわ」彼女は振り返った。「この音声データが一体いつ、どの端末で製造されたのかを徹底的に洗い出しなさい」


-


 審問官が頷き、部屋を退出していくのをレアは見送った。しかし、彼女の意識は未だにあの結晶に囚われていた。あの激しいノイズは、決して偶然ランダムに音声を呑み込んだわけではない。核心となる最も重要な単語(名前)だけを完璧に掻き消し、それでいて、こちらの不信感を限界まで煽る(プロヴォークする)だけの言葉は見事に残されていたのだ。


 首謀者は、聖教会に『エリュシオン教区は、姿なき黒幕から秘密裏に命令を受領している』と信じ込ませたがっている。それこそが、このシナリオの隠された目的だ。この調査は、カイの仲間を暴くために仕組まれたのではない。教会側にしびれを切らさせ、彼らを公に犯人扱いして告発させ、それに対するカイの反撃(激昂)を「有罪の証明」へとすり替えるために用意されたのだ。すべての問い、すべての足止め、そして配置されたすべての不審な音声ログが、彼らを同じ過ち(破滅)へと押し流そうとしている。


 ガレスが声を潜めた。「キャプテン……もしこれが、敵の用意した『撒き餌』なのだとしたら……」


「ええ。私たちはすでに、罠の真っ只中に直立しているわ」


「なぜ、調査を続けるのです?」


 レアはカイの方へと視線を向けた。「なぜなら、この罠を仕掛けた本人はね、私たち自身の口から『お前たちが犯人だ』と告発させる必要があるからよ」彼女は結晶を握る手に力を込めた。「もし私たちがそれを拒み続ければ、奴らはさらに強烈で、これ以上ないほど説得力のある別の『理由』をでっち上げてくるはずよ」


-


 不穏な一手


 さらに数時間が経過したが、調査は完全に完全な行き止まり(デッドエンド)を迎えていた。新たな証拠は皆無。不審な動きもなし。説明のつかない通信もこれ以上は見つからない。何もかもが、白だった。


 レアはエントランスの近くに審問官たちを集集させた。ガレスが彼女の隣に並ぶ。「キャプテン」


「何?」


「俺たちは、これ以上ないほど協力的(クーパーティブ)に動いてきました」


「ええ」


「魔王カイも協力的です」


「そうね」


「彼の配下たちも、すべて要請に応じてくれました」


「ええ、その通りよ」


 ガレスは僅かに言い淀んだ。「……ならば、俺たちはなぜ、未だにここに留まっているのですか?」


 レアはそびえ立つ巨大な塔を見上げた。「なぜなら、この裏に潜む首謀者がね、私たちに『何か』を見つけ出させたがっているからよ」


「そして、俺たちはまだそれを見つけていない」


「その通りよ」


 ガレスが眉をひそめた。「……では、これからどう動くおつもりですか?」


 レアは一般の居住区(パブリックエリア)へと視線を向けた。「――圧力をかける(プレッシャーよ)」


 ガレスの目が驚愕に見開かれた。「キャプテン!?」


「圧力をかけると言ったのよ」彼女は声を低く潜めた。「暴力(バイオレンス)を振るうわけじゃないわ。……少し、質問の『角度』を変えるだけよ」


-


 彼女は行き交う群衆の中に目を凝らした。ちょうど、リンとソラの二人がメインエントランスを通り抜けてこちらへ歩いてくるところだった。彼女たちは新たな訓練遠征から帰還したばかりのようだった。リンの腕には数冊の古い本が抱えられ、ソラは魔物の素材がぎっしりと詰まった大きな鞄を肩にかけている。二人は、気安く笑い合いながら歩いていた。


 歪んだ圧力


「あんた、荷物を持たせすぎよ」


 ソラは肩の鞄を見つめた。「私は平気」


「昨日もそう言ってたじゃない」


「昨日だって平気だったわよ」


「階段でよろけて転びそうになってたでしょ」


「それはあんたが急に話しかけて気を散らせたからじゃない!」


 リンが吹き出した。「話しかけてたのはあんたの方でしょ」


 ソラは呆れたように目を丸くした。「もう、何でもいいわよ」


 二人はそのまま歩き続けた。


 レアは彼女たちの様子をじっと監視していた。やがて、その目が鋭く細められる。「……あの二人は誰?」


 ガレスが視線を向けた。「確か、ただの冒険者だったはずです」


「名前は?」


「リンとソラ、です」


 レアは二人を睨み据えた。「……カイのために働いているの?」


 ガレスは僅かに躊躇した。「公式には、違います」


「けれど、奴の近くにいるのね」


「はい」


 レアは少しの間考えを巡らせ、一つの決断を下した。「あの二人をここへ連れてきなさい」


 ガレスが彼女を凝視した。「キャプテン?」


「彼女たちに尋問を行うわ」


「一体、何についてです?」


「カイの配下たちのことについてよ」


 ガレスは躊躇がちに口を開いた。「本当に、あの二人が何かを知っていると思われますか?」


 レアは歩いてくるリンを見つめた。「いいえ」


「なら、なぜ?」


「誰かが、何かを必死に隠蔽しようとしているからよ」


 ガレスは眉をひそめた。「彼女たちがそれを吐き出すと?」


 レアは首を振った。「いいえ」彼女は塔の奥へと視線を向けた。「けれど……魔王カイなら、あるいは吐き出すかもしれないわ」


 ガレスはその瞬間にすべてを理解した。尋問の真の標的は、リンとソラではない。彼女たちは、カイを誘い出すための「撒き餌」なのだ。もしカイがこの尋問に割り込んでくれば、教会側は『魔王が目撃者を脅迫して口封じをしている』と言い触らすことができる。逆に、もしカイが介入を拒めば、審問官たちは『魔王の沈黙こそが罪の意識の証明だ』と告発できる。


 レアの胸の奥が苦く締め付けられた。この罠はね、どんな反応を返したとしても、最終的にはすべて「有罪の証拠」へと書き換えられるように設計されているのだ。


 それでもなお、彼女はその撒き餌に手を伸ばすことを選んだ。


-


 対峙


 一人の審問官が、リンとソラの前へと立ち塞がった。「少々、よろしいですか」


 リンの足が止まる。「何ですか?」


「貴女たちに、いくつか質問をしたい」


 ソラが男の纏う制服に目をやった。「……聖教会?」


「そうだ」


 リンはソラと視線を交わし、再び審問官に向き直った。「何についての質問ですか?」


「魔王カイ殿についてだ」


 リンの表情が僅かに引き締まる。「なぜです?」


「我々の立ち入り調査の一環だ」


 ソラが一歩前に出た。「あんたたち、もう全員に尋問したはずでしょ」


 審問官はどこまでも冷静だった。「追加の質問が生じたのだ」


 リンが視線を向けると、レアがこちらへ近づいてくるところだった。


 レアは数メートル手前で足を止めた。「リン」


 リンは眉をひそめた。「……私の名前を知っているの?」


「この塔の周辺で、貴女たちの姿を何度も見かけているわ」


 ソラは腕を組んだ。「で、何の用よ」


 レアはありのまま、単刀直入に尋ねた。「カイから、教会に向けて何か物資を運べと命令されたことはないかしら?」


 リンは目を瞬かせた。「ありません」


「教会の関係者を密かに監視しろと言われたことは?」


「ありません」


「彼から『黎明の聖域』について何か聞かされたことは?」


「ありません」


「変質した聖遺物のことについて、何か口にしていたことは?」


「ありません」


 レアが頷いた。「なら、そんなに時間はかからないわね」


 リンの身体から僅かに力が抜けた。しかし、レアの言葉はまだ終わっていなかった。「――三日前の夜、貴女たちはどこで何をしていたかしら?」


 リンが不快そうに眉根を寄せた。「なぜ、そんなことを?」


「貴女たちの動向を確認(検証)する必要があるのよ」


 ソラの表情が一気に険しいものになる。「まるでお前たち、私たちを容疑者扱い(犯人扱い)してるじゃない」


レアはどこまでも平然と答えた。「カイに関わる全ての存在が、今回の調査対象(インベスト)なのよ」


リンは彼女を真っ直ぐに見つめた。「なら、カイ本人に直接聞きなさいよ」


「すでに聞いたわ」


「それで?」


「彼は、自分の配下たちは無実だと盲信しているわ」


リンが深く頷いた。「なら、なんで私たちにそんな質問をしてるわけ?」


レアは答えなかった。


-


ソラが一歩前に踏み出した。「あんたたち、もう何日もここに居座ってるじゃない」彼女の声に、断固とした怒りが混じる。「塔をくまなく捜索して」「カイ様の人々を尋問して」「そうして何一つ証拠が出なかったのよ」「いい加減、諦めて引き揚げたらどうなの!?」


一人の審問官が、脅すように間合いを詰めた。「……口の利き方に気をつけろ」


ソラは彼を鋭く睨み据えた。「気をつけてこれよ!」


場の空気が、一瞬にして爆発寸前のものへと変質した。


リンが即座にそれを察知した。「ソラ」


「分かってるわよ」


レアが片手を掲げた。「……そこまでよ」


審問官の動きが止まる。


レアはリンとソラを見つめた。「私たちは、ここで戦いを起こしにきたわけじゃないわ」


「だったら、最初から戦争を吹っ掛けるような真似(喧嘩の売り方)をするんじゃないわよ」リンが言い放った。


レアの口元が苦渋に強張る。彼女が視線を巡らせると、案の定、その異変を完全に察知したカイが、こちらに向かって真っ直ぐに歩いてくるところだった。


-


「一体、何が起きてるんだ?」


レアが振り返った。「魔王カイ殿」


カイは彼女たちの間に割って入った。「なぜ、俺のところの冒険者が尋問されてるんだ?」


レアが答えた。「彼女たちは、貴方に深く関わっているわ」


カイは眉をひそめた。「それがどうした?」


「何かを知っている可能性があるわ」


カイは彼女を冷徹に見つめた。「あいつらはただの冒険者だぞ」


「だからといって、何も知らないという証明にはならないわ」


カイは小さくため息をついた。「レア」


彼女が彼を見る。


「――俺に聞け」


「貴方にはすでに聞いたわ」


「なら、もう一度聞けよ」


レアは首を振った。「我々が必要としているのはね、貴方が尋問されているという事実すら知らない、別の角度からの情報(インテリジェンス)なのよ」


カイの表情から、一切の緩みが消え去った。「……それは一体、どういう意味だ?」


レアはリンに視線を向けた。「貴方が彼女たちに対して、これまでに何らかの極秘の指示を与えていたかどうかが問題なのよ」


カイがリンを見た。リンは首を横に振る。「ないわ」


カイは再びレアを見据えた。「――ほらな」


レアは沈黙を保った。


カイの声が、断固とした強さを帯びる。「お前たちの調査は、ここで『おしまい』だ」


レアが眉をひそめた。「まだ完了してはいません」


「おしまいだと言ったんだよ」彼はメインエントランスの出口を力強く指ししめした。「お前たちは十分に調べた。俺の仲間を尋問し、俺自身にも尋問した。それなのに今度は、今回の件に全く何物質の関係もない市井の民にまで手を出し始めてる」


レアの表情が硬くなる。「我々は、貴方の組織の内部に未だ真犯人が潜んでいると確信しているわ」


カイの目が鋭く細められた。「それで、未だに誰の仕業か特定できてないって言うのか?」


「ええ」


「確実な証拠(エビデンス)すらも、まだ何も持ってないままで?」


「……十分なものは、まだね」


カイは重いため息をもらした。「なら、いい加減にしろ(ストップだ)」


レアは彼を睨み返した。「もし、彼女たちのうちの誰かが嘘をついているとしたらどうするの?」


カイは一瞬の躊躇もなく、即座に答えた。


「――その時は、俺がそいつを処分してやるさ」


レアの目が鋭く細められた。「では、そうでなかった場合は?」


「なら、その真犯人を俺たちで見つけ出すまでだ」


 決裂の火種


 静寂が場を支配した。


 カイは静かに周囲を見渡した。「ここは、俺の家だ」その声はどこまでも平穏を保っていた。「お前たちがここにいるのはね、俺がそれを許したからだ」彼はレアを真っ直ぐに見据えた。「――協力的であることと、無力(弱さ)であることを履き違えるなよ」


 審問官たちの間に、一気に張り詰めた緊張が走った。


 レアはゆっくりと頷いた。「……分かっています」


 しかし、若手の審問官の一人が我慢できずに一歩前に踏み出した。「答えも得られないまま、そのまま引き揚げるわけにはいかん!」


 カイが彼に冷たい視線を向けた。「答えなら、すでに十分渡したはずだぞ」


「そんなもので足りるか!」


 カイの表情がさらに冷徹なものへと切り替わった。「それは俺の知ったことじゃないな(俺の問題じゃない)」


 審問官が、己の得物へと手を伸ばしかけた。


 レアが即座にその腕をがっしりと掴んだ。「やめなさい!」


 彼はレアを振り返った。「しかし、キャプテン――」


「やめろと言っているのよ!」


 彼女は手を離した。しかし、生じてしまった亀裂はもはや修復不可能だった。


 リンがソラにそっと寄り添い、ソラはいつでも動けるよう静かに腰を落として身構えた。


 カイはその微かな変化をすべて察知していた。彼の目が審問官たちを射抜く。「全員、頭を冷やせ」


 すると、一人の審問官がせせら笑うように口を開いた。「やはり、答えをもぎ取る最も手っ取り早い方法(イージーな方法)は――」彼はリンを不敵に睨みつけた。「――奴の最も近くにいる者を、直接尋問することのようだな」


 カイの目が鋭く細められた。「……何をするつもりだ?」


 審問官が一歩前に出た。「尋問のために、その二人を連行(拘束)する」


 エントランスホールが、水を打ったような静寂に包まれた。


 カイは彼を凝視し、冷徹に言い放った。「――断る」


 審問官の足が止まる。「我々は、貴方に許可を求めているのではないのだぞ」


 カイの表情が完全に切り替わった。「お前たちは今、俺の領地(テリトリー)の中にいるんだぞ」


-


 レアが慌てて割って入った。「魔王カイ殿、どうか!」


 カイは彼女を見た。「お前、自分の部下を完全にコントロール(統率)できてないじゃないか」


 レアの顔が苦渋に強張る。彼女は猛烈な勢いで部下の審問官に向き直った。「下がりなさい!」


 審問官は一瞬躊躇した。しかしその瞬間、別の審問官が独断で動いた。彼は強引にリンの腕を掴もうと手を伸ばした。


 リンは本能的に反応した。彼女の手が、迫る男の手首を完璧に捉えた。その動きはあまりにも迅雷の如く、数人の審問官の目には何が起きたのかすら捉えきれなかった。


 ソラも全く同時に動いていた。彼女はリンと審問官たちの間に鋭く割り込む。彼女のブーツの周囲に、バチバチと紫電の魔力が弾けた。


 手首を掴まれた審問官は無理やり引き剥がそうとしたが、びくともしない。


 リンはさらにその手を固く締め付けた。「――私に、触るな」その声はどこまでも冷静だった。しかし、その裏にある圧倒的な膂力(パワー)は、疑いようのない事実だった。


 審問官の目が驚愕に大きく見開かれる。


 ソラは他の審問官たちを睨み据えた。「……下がりなさい」


 三人の審問官が、本能的な恐怖から得物へと手をかけた。


 レアが喉が裂けんばかりに絶叫した。「――やめなさい!!」


 ――遅すぎた。


 リンが動いた。彼女は最初の審問官の腕を鮮やかに捻り上げ、その場に力ずくで膝を突かせた。ソラはもう一人の足元を容赦なく払い、男は激しい音を立てて床へと叩きつけられた。三人目の審問官が斬りかかろうとしたが、ソラがその腕を完璧に捕らえ、リンがその得物を一蹴して宙へと弾き飛ばした。


 ほんの数秒のうちに、五人の審問官が床に這いつくばっていた。怪我はさせていない。ただ、完全に無力化(拘束)されていた。


-


 残された聖なる審問官のメンバーたちは、恐怖のあまりその場に凍りついた。広大なメインエントランスホールが、完全に静まり返る。行き交っていた商人たちの足が止まり、冒険者たちが息を呑んで凝視し、子供たちは親たちによって慌てて背後へと引き剥がされていった。


 カイは完全に直立したまま、その光景を冷徹に見つめていた。やがて、彼はレアに視線を向けた。「お前、ここで戦いを起こしにきたわけじゃないと言ってただろ」


 レアは床に組み伏せられた部下たちを絶望の目で見つめた。「……その、つもりよ」


 カイの声が、さらに冷酷に響き渡る。「じゃあ、なんでお前の身内が、俺の身内に直接牙を剥いてるんだ?」


 レアは即座に答える言葉を持ち合わせていなかった。なぜなら、現場で何が起きたのかを誰よりも理解していたからだ。自分たちは、完全に一線を越えてしまった。それも、平和的に引き揚げる機会をいくらでも与えてくれていた、一人の魔王の「家」の真っ只中で。


 カイが前に歩み出た。彼は審問官たちから数メートルの距離で足を止めた。「……離してやれ」


 リンが彼を見た。「カイ様?」


「もういい、離せ」


 彼女は一瞬躊躇したが、すぐに審問官の手首を解放した。ソラも同様に手を離す。五人の男たちは這うようにしてゆっくりと立ち上がったが、もはや再び襲いかかろうとする無謀な者は一人もいなかった。


 カイはレアを見据えた。「お前の部下を連れて、さっさと失せろ」


 レアが深く頭を下げた。「……ええ」


-


 しかし、彼女が踵を返そうとしたその瞬間、すぐ近くからチリンと微かな、魔力の鈴鳴りのような音が響いた。


 カイの視線が審問官たちへと向けられた。彼らの法衣の襟元の隙間に、小さな結晶のネックレス(通信結晶)が身につけられていることに気づいた。これまでは服に隠れていて意識していなかったものだ。


 レアは彼の視線に気づいた。「……それは、通信結晶よ」


 カイが眉をひそめた。「何のためのものだ?」


「調査の記録(ログ)を、リアルタイムで本部に送信するためのものよ」


 カイは結晶をじっと見つめた。「便利なものだな」


 レアが頷いた。「これによって、聖教会は遠隔から調査の推移を逐一監視(モニター)することができるのよ」


 カイは再び彼女を見据えた。「だったらな、今ここで実際に何が起きたのか、その事実(罠)を確実に本部に記録させておくんだな」


 レアの表情が微かに動いた。なぜ彼が今、わざわざそんなことを口にしたのか、その真意が掴めなかった。


 ――そしてそれは、カイ自身にとっても同じことだった(なぜか口が勝手に動いたのだ)。


 しかしその瞬間、一人の審問官の首元にある結晶が、不気味に一度だけパチリと明滅した。一秒にも満たないその刹那、結晶の内部にどす黒い一本の線(亀裂)が浮かび上がり、そして掻き消えた。


 ユイはその異変を完全に見逃さなかった。彼女の目がすっと鋭く細められる。


 カイが彼女に視線を向けると、ユイは本当に微かに、首を横に振った。――今ではない。ここでは、ない。


-


 カイは再びレアに向き直った。「……明日の朝までだ」


 レアが眉をひそめた。「何が、ですか?」


「お前たちがやっていることが『調査』なのか――」彼は二十人の審問官たちを冷徹に睨み据えた。「――それとも、ただの『挑発(宣戦布告)』なのかを、自分たちで決める猶予(時間)をくれてやる」


 レアは彼をじっと見つめ、やがて深く頷いた。「……引き揚げるわ」彼女は部下たちを振り返った。「動くわよ、全員撤退!」


 審問官たちが彼女の後に続いた。


 リンは彼らがメインエントランスの彼方へと消え去っていく姿をじっと見つめていた。


 ソラが大きく息を吐き出した。「……ハァ、もっと最悪な事態(全面戦争)になるかと思ったわ」


 カイが彼女を見た。「お前にとって、今の状況はまだ『最悪』じゃないのか?」


 ソラは一瞬の間を置き、「……ええ、一応は」と苦笑した。


 カイは重いため息をもらした。「……それもそうだな」


 リンがカイを見つめた。「カイ様……あの人たち、なんで急に狂ったみたいにあんな真似を始めたのかしら」


 カイはすぐには答えなかった。彼は、先ほど審問官の一人が身につけていた、あの通信結晶のネックレスの残像を脳裏に思い浮かべていた。その輝きが、どうしても不気味に胸に引っかかる。なぜそう感じるのか、彼自身にも説明はつかなかった。


-


 ユイが彼の隣へと歩み寄ってきた。「――カイ」


「ん?」


「あの、結晶ですが」


 カイが彼女を見た。「結晶がどうした?」


「内部の波形に、明らかな『特異点(アブノーマリティ)』を感知しました」


「あの結晶からか?」


「はい」


 カイの目が鋭く細められた。「……どんな異変だ?」


 ユイは審問官たちが去っていった出口を見つめ、「……まだ、判別はつきかねます」と静かに答えた。


 カイは沈黙を保った。それから、彼はリンとソラの二人を見つめた。「お前たち、怪我はないか?」


 リンが頷く。「ええ、平気よ」


 ソラも満面の笑みを浮かべた。「全く問題ありません!」


 カイは頷いた。「よし、ならいい」


 彼はメインエントランスの闇の先を見つめた。聖教会は答え(真実)を求めてここへやってきた。しかし結果として、彼らは自ら最悪の火種(戦争の引き金)を引く寸前まで暴走した。そしてカイ自身、未だにその「本当の理由」を掴めずにいるのだった。


 歪められた記録


 しかし、エリュシオン教区から遥か遠く離れた場所で、ある人物がまさに「自らの望み通りの結果」を手に入れていた。一触即発の衝突は起きた。異端審問官たちは力ずくで組み伏せられた。そして、聖教会の通信結晶はそのすべての光景を完璧に記録(キャプチャ)していた。


 ――少なくとも、誰もがそう信じて疑わなかった。


 しかし、それらの結晶の内部で、送信される記録はひそかに、そして確実に書き換えられていた。実際に起きた生々しい対峙の光景は完全に掻き消え、代わりに――全く異なる不都合な真実(偽りの映像)が、その隙間を埋め尽くすように構築され始めていた。


 最初の盤面(フレーム)は、ここに完璧に完成した。

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