第103話 - 第2幕:教会の聖戦、その4 — 尋問
急転の帰還
ラオディキアからの凶報は、前提のすべてを覆した。
二十人の異端審問官は即座に出発の準備に取り掛かった。エリュシオン教区の内部で行った彼らの調査は、答えよりも遥かに多くの疑問を浮き彫りにしていた。封印された結晶は再び変質を始め、行方不明の検問所書記官は未だに見つからず、割れた三日月の紋様は複数の場所に現れている。その上、何者かが教会の持つ確証に干渉したというのに、まともな魔術の痕跡すら残されていないのだ。
何一つとして、辻ざまが合わなかった。
レアはカイに向き直った。「魔王カイ殿」
カイが頷く。「行った方がいい」
レアは僅かに言い淀んだ。「……我々を引き止めないのですか?」
カイは彼女を見た。「なぜ俺がそんな真似をしなきゃいけないんだ?」
「調査はまだ、完了していません」
「分かってるさ」彼は他の審問官たちに視線を向けた。「編み巡らされた聖域に何かが起きてるんだろ。だったら、何が起きているのかを突き止めるのが先決だ」
レアは彼の目を注意深く観察した。その表情には敵意など微塵もなかった。恐怖も、何かを隠蔽しようとする邪推もない。あるのはただ、純粋な懸念だけだった。その事実が、彼女を言い知れぬ居心地の悪さに陥らせる。彼女が思い描いていた魔王という存在の振る舞いとは、あまりにもかけ離れていたからだ。
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カイはユイを振り返った。「連中を素早く送り返すことはできるか?」
ユイが頷いた。「はい」彼女が片手を掲げると、審問官たちの足元に巨大な転移方陣が浮かび上がった。
ガレスが足元を見下ろした。「これは便利ですね」
カイは肩をすくめた。「巨大な魔法の塔に暮らすっていうのはね、それなりに利点もあるのさ」
ガレスが彼を見つめた。「どうやら、そのようですね」
方陣が眩い光を放ち始める。
レアが一歩前に出た。「……私たちは、必ず戻ってきます」
カイが頷く。「無事を祈るよ」
レアは一瞬の間を置き、それから告げた。「魔王カイ殿」
「ん?」
「もし……もし我々の調査によって、貴方の組織の者が本当に仕組んでいたと判明した場合は――」
カイは彼女を真っ直ぐに見据えた。「その時は、俺がそいつを処分する」
レアは彼の瞳の奥を覗き込んだ。「では、そうでなかったと判明した場合は?」
カイは即座に答えた。「なら、その真犯人を俺たちで見つけ出すまでだ」
転移方陣が完全に起動した。眩烈な光が二十人の異端審問官を呑み込み、彼らはその場から掻き消えた。
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黎明の聖域
審問官たちが再び姿を現したのは、教会の中心回廊だった。足が床についたその瞬間、彼らは何かが決定的に異常事態に陥っていることを肌で感じ取った。空気が重く澱んでいる。神官たちが回廊を怒号を上げながら走り回り、至る所に聖騎士が配置されていた。聖域の入り口近くでは、数人の司教たちが激しい言い争いを繰り広げている。
レアは即座にエルリックへと歩み寄った。「何があったのですか!?」
エルリックが彼女を見た。「結晶が……変質した」
「どのようにですか?」
「分からん」彼は厳重に封印された部屋を指差した。「来なさい」
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彼らは観察室へと入った。変質した結晶は、魔力障壁のコンテナの中で不気味に浮遊していた。かつては髪の毛ほどでしかなかったあの細い黒い線が、今や結晶のほぼ半分を覆い尽くすほどに拡張していた。それは緩やかに、一定の不気味なリズムで脈打っている。――ドクン。――ドクン。――ドクン。
レアはその光景を凝視した。「……どれくらい前からこの状態なのですか?」
「およそ二十分前だ」
「誰か触れた者はいるのですか?」
「いない」
「魔力障壁の出力が低下したとか?」
「それもない」
「なら、なぜ勝手に変質しているのです!?」
エルリックは力なく首を振った。「それが、分からんのだ……」
レアは周囲の研究員たちを睨み据えた。「他に何か異常は!?」
一人の研究員が一歩前に出た。「――あります」彼は手元の魔術投影を起動した。立体的な地図が空中に浮かび上がり、その各所にいくつかの光点が不気味に点滅していた。「汚染は、無秩序に広がっているわけではありません」
レアが眉をひそめた。「どう意味ですか?」
「結晶が、外部の『何か』に呼応して共鳴しているのです」
「何に呼応しているというの?」
「分かりません……」
研究員が地図の映像を拡大した。浮かび上がった光点は、うっすらとした一つの「型」を形成していた。最初の巡礼地、二番目の巡礼地、この黎明の聖域。放置できないことに、アシュフォードの全域に点在する、いくつかの小さな教会や礼拝堂。
レアの表情が完全に凍りついた。「……浸蝕が、広がっている」
エルリックが頷いた。「だが、物理的に汚染が伝播しているのではない」彼は地図を指差した。「汚染はね、全く異なる複数の場所で『同時多発的』に現れているのだ」
レアが地図を凝視した。「……何者かが、一斉に起動させているということね」
誰も答えなかった。なぜなら、目の前にある事実こそが、その最悪の仮説を完璧に証明していたからだ。
審問官たちの報告
数時間後、二十人の異端審問官は大評議会室に集結していた。司教たちが待ち受ける中、ソフィアはエルリックの傍らに立っていた。
レアは報告書を机の上に置いた。「魔王カイの配下たちが神官に命令を下したという証拠は、何一つ見つかりませんでした」
会議場は一瞬にして怒号に包まれた。
一人の司教が立ち上がった。「何だと?」
レアは冷静さを保ったままだ。「我々は候補である五人全員に尋問を行いました。『ネロ』『エルヴァ』『セナ』『ヴァドス』『クロエ』。その誰からも、事件への関与を示す兆候は見られませんでした」
司教は信じられないとばかりに首を振った。「しかし、あの神官は自白したのだぞ!」
「はい」
「奴はカイの配下の名前を出した!」
「はい」
「ならば、なぜ奴らに責任がないなどと言えるのだ!」
レアはいくつかの書類を卓上に並べた。「なぜなら、彼らの動向が一致しないからです」彼女は最初の一枚を指差した。「ネロはエリュシオン教区の内部に留まっていました」二枚目。「エルヴァの製造記録が彼女の滞在場所を裏付けています」三枚目。「セナの記録は彼女がアステリア国内にいたことを示しています」四枚目。「ヴァドスはエイモン国王(※原文ママ)の傍らにいました」五枚目。「クロエは患者の治療に当たっていました」彼女は周囲を見渡した。「説明のつかない不審な動きは、一切確認されませんでした」
別の司教が立ち上がった。「ならば、奴らが自分たちで記録を改ざんした(でっち上げた)のだろう」
レアは彼を見つめた。「その可能性はあります」
司教は薄笑いを浮かべた。「ならば、我々が疑っていた通りだと調査が証明したわけだ」
「いいえ」レアの表情が峻烈なものに変わる。「何一つ証明などしていません」
-
会議場がしんと静まり返る。
レアは言葉を重ねた。「なぜなら、我々は別の『何か』を発見したからです」彼女は割れた三日月の紋様を机の上に置いた。
数人の司教たちがそれを凝視する。
ソフィアが一歩近づいた。「……これは、どこから?」
「東方の検問所です」
レアはその隣に別の書類を並べた。「それと、これです」
「教会の許可証……?」
「はい」
ソフィアは眉をひそめた。「原本には、こんなものは無かったはずよ」
「ええ」
レアは三枚目の書類を置いた。「ヴァドスはアステリア国内で、これと全く同じ紋様を身につけた伝令兵を目撃しています」
エルリックは三枚の書類を凝視した。「つまり……この紋様は教会の外側にも存在しているということか」
「そして、エリュシオン教区の外側にもね」レアが言った。
評議会室が静まり返る。
ソフィアがレアを見た。「その伝令兵は見つかったの?」
「いいえ」
「あの書記官は?」
「いいえ」
「なら、私たちには何が残されているというの?」
レアは冷徹に、ありのままを答えた。「――型です」
一人の司教が鼻で笑った。「型など証拠にはならん!」
「分かっています」レアは変質した結晶の方へと視線を向けた。「ですが、誰に命令されたのかすら思い出せない人間の自白もまた、何物質の証明にもなりませんよ」
ソフィアは口を噤んだ。レアの言う通りだと分かっていたからだ。カイの配下たちに対する容疑は確実に薄れつつあった。しかし代わりに、別の事実が色濃く浮かび上がってくる。何者かが、この状況を完璧にコントロール(誘導)しているのだ。
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神官
エルリックは神官の監禁室へと入った。神官はベッドの端に腰掛けており、その両手は小刻みに震えていた。
エルリックは彼の向かいに腰を下ろした。「気分はどうだ?」
神官が彼を見た。「……混乱しています」
「何か思い出したことはあるか?」
神官は首を振った。「いいえ、何も」
エルリックは彼を観察するように見つめた。「聖域に侵入した時のことは覚えているか?」
「いいえ」
「結晶のことは?」
「いいえ」
「聖遺物は?」
「いいえ」
「お前に命令を下した者のことは、覚えているか?」
神官はきつく目を閉じた。沈黙。やがて――「……魔王カイの、配下の一人です」
エルリックは不快そうに眉をひそめた。「どの配下だ?」
神官の呼吸が目に見えて荒くなっていく。「分かりません……」
「思い出してみろ」
「無理です……」
「よく考えるんだ」
神官は己の頭を抱え込んだ。「私は……」呼吸が完全に不規則になる。「……私は、見たのです……」
エルリックが身を乗り出した。「何を見たのだ?」
神官の目が大きく見開かれた。「黒い……」そこで言葉が途切れた。
「黒い、何だ?」
神官は力なく首を振った。「分かりません」
エルリックは無言で先を待った。神官が唐突に、蚊の鳴くような声で囁いた。「――奴らは言っていました。自分たちを『信用』しろ、と」
「誰がだ?」
「分かりません」
「名前は名乗らなかったのか?」
「いいえ」
「顔は見せなかったのか?」
「いいえ」
「紋章は見せられなかったのか?」
神官は一瞬躊躇し、それから首を振った。「いいえ……」
エルリックは立ち上がった。「ならばなぜ、その者がカイの組織の人間だと信じ込んでいるのだ?」
神官は彼を見上げた。その表情は、不気味なほどに虚ろだった。「――奴らが、そう言ったからです」
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エルリックは彼を凝視した。その一瞬だけ、神官の法衣の袖の隙間で、あの黒い糸がどす黒く脈打った。彼の指先が歪に強張る。
エルリックはそれを見逃さなかった。「……今のは何だ?」
神官が手元を見下ろした。「え?」
「お前の、手首だ」
神官が慌てて袖をまくり上げたが、そこには黒い糸など影も形もなかった。ただの、ありふれた人間の皮膚が広がっているだけだった。
エルリックの目がすっと細められた。「……興味深いな」
二度目の尋問
その夜、レアはある決断を下した。「あの神官をもう一度尋問する必要があるわ」
ソフィアが彼女を見た。「なぜです?」
「彼の話が、何一つ変わっていないからよ」
「それが、気に食わないの?」
「ええ」レアは神官の監禁室へ視線を向けた。「嘘をつく人間はね、必ずどこかで話を微妙に変えるものよ」
「いつもそうとは限らないわ」
「そうね」レアは言葉を続けた。「けれど、彼の回答はあまりにも一貫しすぎているの(整合性が高すぎるの)よ」
エルリックが頷いた。「私もそれに気づいていた」
ソフィアは腕を組んだ。「つまり、彼が何者かに操られている(誘導されている)と考えているのね」
エルリックは首を振った。「操られているのかどうかを、明確に突き止めるべきだと言っているのさ」
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三人は揃って部屋に入った。神官が顔を上げる。
レアは彼の向かいに腰掛けた。「何があったのか、もう一度話しなさい」
神官は全く同じ話を繰り返した。聖遺物を運べと命令された。結晶に干渉しろと言われた。カイは気づかないと言い含められた。相手の身元は分からない。どこで会ったかも思い出せない。どうやって接触してきたかも分からない。
何一つとして、変わっていなかった。
レアは彼を注意深く観察した。そして、質問の内容を切り替えた。「聖域に侵入する前、お前は何をしていたの?」
神官は躊躇した。「私は……」そこで言葉を止める。「……西の礼拝堂で仕えていました」
「誰が一緒にいたの?」
「思い出せません」
「何を食べたの?」
神官はパチクリと目を瞬かせた。「え?」
「その日の朝、何を食べたのかと聞いているのよ」
「私は……」彼はレアを凝視した。「……思い出せません」
レアは畳み掛けた。「その前日の夜は、何をしていたの?」
「思い出せません」
「何時に寝たの?」
「思い出せません」
「天気はどうだった?」
「思い出せません……」
神官の呼吸が、次第に早くなっていく。
レアは身を乗り出した。「お前は、あの命令を授かる前の記憶が、何か一つでも残っているの?」
神官は彼女を見つめ返した。「……いいえ」
「命令の後の記憶は?」
「いいえ」
「なら、お前には一体何が記憶として残されているというの?」
神官の瞳が細かく震えた。「――あの、命令です」
レアは口を噤んだ。エルリックも察したようだった。この神官は、単に一部の記憶を失っているのではない。あの「命令」に関する記憶だけが、歪に削り残されているのだ。
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しかし、レアの尋問はまだ終わっていなかった。彼女はさらに顔を近づけた。「最後の質問よ」
神官が彼女を見る。
「その人物は、何を身につけていたの?」
神官の目が大きく見開かれた。「分かりません!」
「考えなさい」
「私は……」彼の呼吸が、不意にピタリと止まった。
レアはその異変を瞬時に見抜いた。神官の瞳孔の焦点が完全に狂っていく。やがて、その唇がかすかに動いた。
「くろ……」
ソフィアが眉をひそめた。「黒い、何よ?」
神官の身体が棒のように強張った。「黒い、法衣だ……」
レアはエルリックと視線を交わした。「他に、何か特徴は?」
神官は突頭に、己の頭を両手で抱え込んだ。「印……(シンボル)」
「何の印よ!?」
神官の全身が激しくガタガタと震え始めた。「私は……」彼の声が裏返る。「……できない……」
「何の印よ!」
「割れた……」そこで言葉が途切れた。
室内が、凍りついたような静寂に包まれる。
レアはさらに身を乗り出した。「割れた、何よ!?」
その瞬間、神官の目がカチリと見開かれた。彼はレアの目を真っ直ぐに見据えた。そして、尋問が始まって以来初めて、その顔から「混乱」の色が消え去っていた。そこにあったのは、剥き出しの恐怖。
「――それを、私に聞かないでくれ」
レアの動きが止まる。「なぜ?」
神官の声は、消え入りそうな囁き声へと変わった。「なぜなら……」彼の手が狂おしく震え出す。「……奴らは言っていた。お前たちが、必ずその質問をしてくるだろう、と」
-
全員が、息を呑んで静まり返った。
ソフィアの表情が一変する。「今、何と言ったの?」
神官は彼女を凝視した。「奴らは言っていたんだ……」呼吸が完全に途切れ途切れになる。「……お前たちが、必ずその質問をしてくる(誘導してくる)と」
レアが勢いよく立ち上がった。「誰がそれを言ったの!?」
「分かりません!」
「いつよ!?」
「分かりません!」
「なぜ奴らがそれを知っているの!?」
「分からないと言っているだろう!」
神官が絶叫した。次の瞬間、彼の体内から魔法エネルギーが爆発的に暴走した。監禁室が激しく揺れ、蝋燭の炎が一斉に掻き消える。神官はそのまま、糸が切れた人形のように床へと崩れ落ちた。
メイリンが慌てて駆け寄る。「彼の精神(精神回路)が崩壊を始めています(デスタビライズしています)!」
エルリックが一歩後退した。「一体何が原因だ!?」
メイリンは神官を凝視した。「分かりません……」その時、彼女はあるものに目を留めた。神官の襟元の隙間、皮膚のすぐ下に、うっすらとした黒い筋が浮かび上がっていた。紋様でもなければ、外傷でもない。それは一本の細い「糸」のようであり、皮膚の下を生き物のように這っていた。
メイリンの顔から完全に血の気が引いた。「……戻ってきたわ」
レアが彼女を見た。「何がよ?」
「彼を内側から支配している(ハッキングしている)、あの『何か』よ」
神官が不意に、微かな声で囁いた。「だめだ……」彼の目がゆっくりと閉じていく。「……私が思い出したことを、奴らに知られては……だめだ……」
レアの身体が硬直する。「奴らって、誰よ!?」
応じる声はなかった。神官はすでに、完全に意識を失っていた。
記憶読解
シスター・メイリンが一歩前に出た。「……私にやらせて頂戴」
レアが深く頷いた。
メイリンは神官の顳顬に二本の指をそっと当てた。彼女の指先から銀色の光が解き放たれ、二人の周囲を包み込んでいく。メイリンの精神魔術(記憶読解)を通じて、神官の精神世界が視覚化(ビジュアル化)されていった。脳裏にいくつもの断片が浮かび上がっては消えていく。回廊、一つの手、漆黒の輪郭、誰かの声。結晶、そして聖遺物。やがて、それらはすべて暗闇へと呑み込まれた。
しかし次の瞬間、これまで見えなかった「別の記憶」が水面に浮かび上がるように現れた。薄暗い一室。神官はその場に膝をついていた。彼の目の前には、一人の影が佇んでいる。その顔の輪郭は濃密な霧に覆われており、判別できない。影の手が神官の額にそっと触れた。響いたのは命令ではない。冷徹な「警告」だった。
「――奴らがお前を尋問する時、お前は我々が与えたものだけを思い出すのだ」
メイリンの目が驚愕に大きく見開かれた。
記憶の映像がぐにゃりと歪み、影は言葉を重ねた。
「もし、奴らがあの印について聞いてきたなら――」
その瞬間、イメージが激しく霧散した。神官が喉を掻きむしりながら絶叫し始める。メイリンは悲鳴を上げて、強制的に魔力の接続を断ち切った。彼女は激しくよろめきながら後退した。
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レアが咄嗟に彼女の身体を支えた。「……何を見たの!?」
メイリンの顔は幽霊のように蒼白だった。「奴らは……尋問のプロセスそのものを、最初から計画していたわ」
ソフィアが息を呑んだ。「何ですって?」
メイリンは気絶した神官を恐怖の目で見つめた。「これまでの異変を仕組んだ首謀者はね、単に偽りの記憶を植え付けただけじゃないわ」彼女は生唾を飲み込んだ。「この『立ち入り調査』が始まることを見越して、彼を完璧に仕込んでいた(ハッキングしていた)のよ」
エルリックの表情が泥のように昏く沈む。「我々が彼を尋問することを、敵は事前に知っていたということか」
「ええ」
「精神魔術(記憶読解)を使うことも?」
「分かっていたわ」
レアの目が鋭く細められた。「そして……私たちが最終的にあの印について質問することすらも、すべて織り込み済みだったというわけね」
メイリンが震えながら頷いた。「奴らは、私たちをあの核心の問いへと意図的に『誘導』したがっていたのよ」
ソフィアが神官を見つめた。「……一体、何のために?」
メイリンは力なく首を振った。「そこまでは、分からない……」
レアは口を噤み、沈黙を保った。その時、彼女はあることに気づいた。神官の唇が微かに動いていたのだ。彼女はベッドに耳を近づけた。「……今、何て言っているの?」
エルリックも耳を澄ませた。神官は先ほどと全く同じ一行を、壊れた機械のように囁き続けていた。「奴らに知られては……だめだ……」彼の指先が強張る。「……私が思い出したことを」
レアの瞳が鋭利に光る。「思い出したことって、何よ?」
その瞬間、神官の目がカチリと見開かれた。彼はレアの目を真っ直ぐに見据えた。そして、不気味に微笑んだのだ。それは彼の笑みではなかった。感情の欠落した、人工的な(作り物のような)笑み。
彼は呪文のようにつぶやいた。
「――お前たちは、すでに『間違った問い』を抱いている」
レアの身体が硬直した。神官の目が再び白目を剥き、彼はそのまま深い昏睡へと転がり落ちていった。
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新たなる不条理
ソフィアは監禁室の外へ歩き出し、レアとエルリックがその後に続いた。
ソフィアは騒然とする聖域の回廊を見つめた。「……つまり、あの自白は偽装されたものだったということね」
レアは首を振った。「いいえ、厳密には違うわ」
ソフィアが振り返る。「あの神官は、本気でそれを事実だと信じ込んでいるのよ?」
「ええ」
「なら、何者かが彼を内側から操った(ハッキングした)のね」
「その通りよ」
「ということは……すべての異変を仕組んだ真犯人は、未だにどこかで野放しになっているということじゃない」
レアが頷いた。「そして奴らは、我々に『カイの配下が犯人だ』と思い込ませたがっていたのよ」
エルリックが封印された聖域の扉を見つめた。「つまり、最初の告発状から現行犯のシチュエーションにいたるまで、すべては人工的に製造(でっち上げ)されたものだったというわけか」
ソフィアの表情が真剣なものになる。「……けれど、なぜそんな回りくどい真似を?」
誰も答えなかった。
やがて、レアが静かに口を開いた。「我々を、魔王カイと直接激突させるためよ」
ソフィアが彼女を見た。「もしカイが調査を拒否していたら?」
「奴は一瞬で『黒(有罪)』に見えたでしょうね」
「では、今回のように快く協力した場合は?」
「私たちは奴の配下を調査(検分)することになるわ」
「そうして、最終的には――」
エルリックがその言葉を引き継いだ。「――我々は、何一つとして証拠を掴めず、不毛な不信感だけを募らせることになる、か」
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沈黙が三人を包み込んだ。
ソフィアは、この罠の悍ましさをようやく本質的に理解し始めていた。今回の立ち入り調査のプロセスそのものが、彼らの内に「苛立ちと疑心暗鬼」を生み出すために精密にデザインされていたのだ。自分たちは完璧に手を取られて誘導されていた。すべての歩み。すべての発見。そして、すべての辻褄の合わない空白。何者かが、彼らにカイへの辛抱強さを失わせたがっていた。何者かに教会の我慢の限界を迎えさせ、最終的に『魔王カイは、罪を犯した身内を組織的に匿っている』と教会側に思い込ませようとしていたのだ。
しかし今、それ以上に不気味な真実が浮き彫りになっていた。敵は単に自分たちの行動を予測していたのではない。自分たちの調査の動きそのものを「導管」として、その周囲に罠を構築していたのだ。
レアが聖域の地図を睨み据えた。「……私たちは、敵の尻尾を追いかけているんじゃないわ」
ソフィアが彼女を見た。「え?」
レアの瞳が冷徹に光る。「――私たちは、最初から奴らに『引率』されているのよ」
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エリュシオン教区への帰還
夜が教区を包み込んでいた。百階層のバルコニーに、カイは立っていた。彼は窓の向こうを見つめている。眼下に広がる街の灯りは、未だに瑞々しく息づいていた。
ユイが静かに部屋に入ってきた。「調査団は、全員ラオディキアへと帰還しました」
カイは頷いた。「そうか。ならいい」
彼はそのまま、無言で夜景を見つめ続けた。
ユイは彼の横顔を観察するように見つめた。「……あの調査のことが気になりますか?」
「ああ」
「貴方は、どう考えていますか?」
カイは小さくため息をついた。「……分からんよ」
ユイが不思議そうに首を傾げた。「貴方にしては、珍しい回答ですね」
カイは彼女を振り返った。「いつもなら、何かしらの答えを持ってるからな」彼は再び窓の向こうへと目を向けた。「だが、今回ばかりは……」彼は言葉を区切った。「……全く、見当がつかん」
ユイが彼の隣へと歩み寄った。「貴方は、聖教会を信用していますか?」
カイは少し考え、「完全には、な」と答えた。
「では、彼らを敵だと疑っていますか?」
「それも、完全にはな」
ユイが頷く。
カイの表情が、一気に険しいもの(真剣なもの)へと変わった。「だが、俺は自分の仲間を信用している」彼は上層階層の方角を見つめた。「ネロがやってないって言うなら、俺はあいつを信じる」
「エルヴァは?」
「同じだ」
「セナは?」
「同じだ」
「ヴァドスは?」
カイは微かに苦笑した。「あいつは今頃、どこかでくだらない酒でも煽ってるさ」
ユイがクスクスと静かに笑った。「では、クロエは?」
カイは深く頷いた。「……同じだ」
ユイは彼を見つめた。「ならば、貴方はこれからどう動くおつもりですか?」
カイは数秒の間、静黙を守り続けた。やがて、彼は真っ直ぐに前を見据えて答えた。
「――この盤面を仕組んだ真犯人を、俺の手で見つけ出すまでさ」
翌朝
教会は決断を下した。立ち入り調査は続行される。しかし、異端審問官たちはエリュシオン教区の内部に留まることとなった。彼らが完全に引き揚げることはない。レアは自分たちの滞在が今まさに必要不可欠であると確信していた。未だに答えのない疑問が山積しており、カイもその滞在に同意していたからだ。
しかし、何かが決定的に変わっていた。審問官たちはもはや、カイの配下たちを容疑者として調査してはいなかった。彼らは、何者かが「奴らを完璧に嵌めた」という可能性について調査を進めていたのだ。その前提の違いこそが、何よりも重要だった。
-
ガレスはエリュシオン教区のエントランス近くに立ち、レアを見つめた。「……キャプテンは、カイが無実だと思われますか?」
レアはその問いを慎重に咀嚼した。「私が思うに――」彼女はそびえ立つ巨大な塔を見上げた。「――私たちは、彼を告発するに足りる情報をまだ何も持ち合わせていない、ということよ」
ガレスが頷く。「それは、『無実だと信じる』ということとは意味が違いますね」
「ええ」レアは国境へと続く街道に目を向けた。「けれど、取り返しのつかない過ちを犯さずに済むだけの、十分な抑止にはなるわ」
-
彼らの背後、塔の入り口からはカイがその様子をじっと見つめていた。会話の内容までは聞こえなかったが、彼はただ、彼らの出発を見届けていた。
やがて、彼は隣のユイに視線を向けた。「……何かが、致命的に噛み合ってないな」
ユイが頷いた。「ええ、その通りです」
カイは地平線の彼方を睨み据えた。何者かが神官を内側から操った。何者かが聖なる巡礼地を汚染した。何者かが不気味な紋様を仕込んだ。何者かが教会を都合よく利用した。そしてどういうわけか、このエリュシオン教区がその渦中へと無理やり引きずり込まれた。
カイの目が鋭く細められた。この盤面を仕組んだ黒幕が誰なのかは分からない。その目的も判然としない。しかし、一つだけ確実に分かってきたことがあった。
これは決して、偶然起きた不祥事などではない。――明確な、戦争へのシナリオだ。
そして、それを描いた張本人は、たった一つの致命的な計算違いを犯していた。それは、魔王カイが「自分たちの思い描いた通りに激昂して動くはずだ」と盲信していたことだ。
カイは不敵に、微かに微笑んだ。「……あいにくだったな」
ユイが彼を見つめる。
カイは地平線から視線を外した。「もし俺を教会と直接激突させたいって言うんなら――」彼の顔から笑みが完全に消え去った。「――せいぜい、もっと骨を折ってもらうことだな」
-
遥か彼方、「黎明の聖域」の内部では、変質した結晶が再び不気味に脈打っていた。――ドクン。一本の細い黒い線が、その表面を侵食するようにさらに伸びていき、そしてピタリと止まった。
すぐ近くに立っていた一人の神官が、不意に、呪文のようにその名を囁いた。「……魔王、カイ様……」
彼の両目から、カチリと光が消え去り、完全に虚ろなものに変わる。
そして同じ頃、アシュフォードの領地を越えた先で、一人の伝令兵が王都に向かって猛烈な勢いで馬を走らせ始めていた。彼の鞄には、厳重に封印された一通の指令書が収められている。その中身に記されていたのは、ただ一行の冷徹な文言。
『――次の、段階を開始せよ』
戦争はまだ、始まってはいない。しかし何者かが今、盤面の駒をさらに一歩、互いの喉元へと近づけたのだった。




