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夕日に映る君—―初恋の音色  作者: 月原 悠
波音が君を呼ぶ

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9/21

遠い地より

ギリシャは青く染まり、海の潮風の香りが漂っていた。

石畳からは馬車が走る乾いた音が響いた。

小山から吹き抜ける風は白い建物の間を静かに抜けていった。

しかし、渡辺の心はどこか曇っていた。

それは、日本に置き去りにしてきたものがあるからだった。


そんな中で、ミレーゼは結婚を急いでいた。

渡辺が水江のことを忘れられないと感じていたからだ。

そのためにも、渡辺を父に会わせておきたかった。

今後の仕事の話も、そこには含まれていた。


渡辺は、婚約者であるミレーゼの父親とは面識がなかった。

渡辺と挨拶を交わした父親は渡辺に告げた。


「渡辺君、ギリシャは魚介類が豊富だろう。わが社は地中海の魚介類に目をつけたわけだ。社員一同、君をサポートするから、頑張ってくれたまえ」

「わかりました」

「それと、娘をよろしく頼む」

「はい」


渡辺は今後の仕事のことについて思うと、身の引き締まる思いだった。

また、愛のない結婚という道を進むのかと思うと言いようのない悲しみに襲われた。

まるで、心だけが抜け殻になったようだった。


ミレーゼは渡辺をピアノの世界へ本格的に復帰させようと思った。

渡辺を愛していたこともあったが、彼の音楽にも魅せられていたからだ。

彼は才能に溢れていた。

そのため、ギリシャでマエストロと呼ばれるピアニスト、ニコラオス・ディミトリウを紹介した。


マエストロは、まず渡辺の技術を確認したかった。


「渡辺君か、少しこの曲を弾いてみてごらん」

「はい、マエストロ」

「君は素質があるじゃないか、まだ、粗削りだが努力次第では才能が開花するよ」

「ありがとうございます」


ギリシャで渡辺は新しい道を歩むことになった。

その遠い地で水江に想いをはせた。


僕は、美しい海の浜辺を一人静かに歩いている。

君を想いながら。

寄せては引いていく波は、君と過ごしたあの時へ連れていってくれる。

僕のギリシャでの存在は何なんだろうか。

ただ、精密機械のように仕事を進め、愛情のない生活を送っているだけではないか。

確かにピアニストとして恵まれた環境のもとで学ぶことができている。

でも、そこに君はいない……

碧く白い波も、次第に優しい紅色に変わっていく。

けれど、僕の君への気持ちは変わらない。

あの頃に帰りたい。


琴音に対する想いもあった。

妹のような琴音のことも忘れることはなかった。


琴音ちゃんはどうしているだろうか。

さぞかしピアノも上達しているだろう。

あの、大きく立派に見えるだけの家を一生懸命掃除してくれたね。

そして、僕の寂しさややるせなさをも洗い流してくれた。

まるで、僕の妹のようだよ。


そこにミレーゼが現れた。

彼女は渡辺がうつろであることに気づきながらも声をかけた。


「雄二、そろそろディナーの席で、父と今後の仕事について打ち合わせをするから」

「わかった。もうすぐ行くよ」


さらに、渡辺は遠くに視線を移しながら想った。


どうしているかな、水江さん……

僕は、ただ君に会いたい……

会いたいんだ……

水江さん……

僕は、まるで、檻の中で暮らしているようなものじゃないか。

現実から僕は逃れることはできないのだろうか……


水江は渡辺のことが気になって、仕事に集中できなかった。

琴音も川崎のことが忘れられず、女学校では涙を流すこともあった。


遠く離れていても、それぞれの想いは、また同じ場所をさまよっていた。

ギリシャの町並みはまぶしいほどに輝いていた。

けれど、渡辺の心に差し込む光はなかった。


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