別れという汽笛が鳴る
出航当日になって、渡辺は想う。
今日でこの国ともしばらくはお別れか。
これでよかったのだろうか……
僕は大事な人を失う……
工場の人たちが見送りに来ているか……
水江さん……
いないじゃないか……
せめて、最後くらい……
港には多くの人が集まっていた。
船の煙突からは、白い煙が静かに空へとのぼっていた。
「渡辺さん、気をつけていってください」
「みんな、大勢でありがとう」
「ギリシャでの活躍を祈っています」
「ありがとう……」
「そろそろ、乗船ですね」
「ああ、船の甲板から手をふるよ」
渡辺は、港を見渡した。
けれど、そこに水江の姿はなかった。
水江さん……
どうして……
水江と琴音は、少し遅れて港へ着いた。
人の声と汽笛の音が重なり、波は岸壁に白く砕けていた。
「お姉さん、あの船なの?」
「きっとそうよ」
水江は胸が引き裂かれる思いで、船を見上げた。
甲板には、見送りの人々に向かって手を振る渡辺の姿があった。
「あ、あの人が渡辺さんよ」
「え、どの人、お姉さん?」
「ほら、船の甲板でみんなに手をふっているでしょ」
琴音は背伸びをした。
そして、水江の指さす先を見た。
琴音は驚きを隠せなかった。
「え、川崎先生……」
「琴音、今、何て言ったの?」
「川崎先生がいる。どうして……」
「琴音、どうして、川崎先生と言ったの?」
水江は、琴音の横顔を見た。
琴音は、ただ甲板の上の川崎先生を見つめていた。
「あの人が川崎先生よ」
「どうして、あの人は渡辺さんよ。青いシャツを着た人よ」
「そうよ、お姉さん。あの、カッコいい人よ」
「どうして……」
水江は言葉を失った。
甲板に立っていたのは、確かに渡辺だった。
けれど、琴音にとっては川崎先生だった。
水江の胸の中で、何かが崩れていく音がした。
琴音は混乱していた。
その時、渡辺も二人に気づいた。
最初に水江が見えた。
そして、その隣に琴音がいた。
「水江さん。え……琴音ちゃんと一緒にどうして……」
「川崎先生……どうして船に乗っているの?」
「渡辺さん……え……」
「手を振るのよ。琴音」
「うん」
「水江さん……」
「渡辺さん……」
「川崎先生。どうして……」
水江は震える手を上げた。
琴音も、泣きそうな顔で手を振った。
「渡辺さん……」
「川崎先生……」
二つの声が、港の風の中で重なった。
ボオオ、と汽笛が鳴った。
船は二人を置き去りにするように岸壁から離れていった。
水江と琴音は、その姿を見つめ続けた。
「お姉さん、もう見えなくなった」
汽笛が二人に別れを告げていた。
つづく




