哀歌
二人は玄関口で雨に濡れていた。
雨が洋服からしたたり落ちていた。
「水江さん、どうして……」
「渡辺さんこそ、どうしてここまで」
「水江さんと……」
「言わないでください。言わないでください」
水江は泣き崩れていた。
渡辺は遠くを見ていた。
そして、ぽつりと言った。
「水江さん、送っていきます」
「渡辺さん……」
「それが僕にできる精一杯のことです」
渡辺はようやく、傘を差し水江の肩に手を置いた。
渡辺と水江の背後から声がした。
「雄二……」
「ミレーゼ、どうしてここに……?」
「あなたの表情を見ればわかるわ。追ってきたのよ」
「ミレーゼ……」
ミレーゼも泣いていた。
「もういいわ、お別れにしましょう。私はあなたを追い詰めたくないわ」
「ミレーゼ……」
「愛しているからよ……私は水江さん以上に雄二を愛しているの、でも、でも……もういいの」
ミレーゼは走ってその場から去った。
渡辺はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
「水江さん、申し訳ない。僕はもう……誰も愛する資格がないんだ」
「渡辺さん……」
「今は帰ろう、それぞれの道へ」
「はい……」
雨がさらに激しく降りしきり始めた。
あの雨の日から、数日が過ぎた。
理恵子と琴音が学校から帰る途中のことだった。
理恵子は手帳を取り出し、いつものように鉛筆で文字を書いた。
「琴音ちゃん、お兄さんはミレーゼさんと別れたみたいなの」
「本当、どうして?」
「理由は教えてくれないの、ただ、もう会社も辞めたみたいで」
「じゃあ、私は先生と会ってもいいのかしら?」
「それが、お兄さんは誰にも会いたくないといって、家に閉じこもったきりなのよ。何かあったみたい」
「そうなの?」
「だから、そっとしてあげて」
「うん。そういえば、琴音のお姉さんも元気がないのよ……ご飯もろくに食べないの、最近は痩せてきてね」
琴音はいてもたってもいられなかった。
そうだ、先生が元気がないのなら、お弁当でも作ってあげようかしら
でも、どうしようかな……
理恵子は、そっとしていてと言ってたけど
思い悩んだ琴音は、お弁当を作り、理恵子に渡してもらうように頼んだ。
お弁当に小さな手紙を添えていた。
川崎先生へ
先生、元気をだしてね
元気が出たら、琴音にまたピアノを教えてね。
琴音
渡辺は手紙を読んだ。
しかし、気持ちを抑えることはできなかった。
ふさぎ込む日々が続いた。
琴音は気になっていたので、理恵子から毎日のように渡辺の様子を聞いていた。
「理恵子、やっぱり先生は元気がないのかしら」
「うん」
「琴音のお弁当は食べたのかしら……?」
「見てないからわからないわ」
「そうなのね。どうしたら元気が出るかな……」
「やっぱりそっとしてあげて」
「うん、でも、琴音もつらい」
「琴音ちゃん……」
琴音はオルガンを弾きながら想い続けた。
先生、早く元気になってください
そうでないと、琴音は辛いです
先生が辛いなら、私もつらいです
先生、先生……
オルガンからは遠い嘆きの旋律が流れていた。




