別れの曲
渡辺は聴力のわずかながらの低下に苦しんでいた。
日常生活では支障はなくても、ピアニストとして不安を抱えていたからだ。
ミレーゼはそれを支えた。
「雄二、どうしたの……?」
「ああ、別に……」
「聴力のことを気にしているんでしょ」
「いいんだ。もう……コンクールなんてどうでもいい」
「駄目よ。諦めたら」
ミレーゼは水江と同じように渡辺を愛していた。
「ミレーゼすまない」
「いいのよ。私がそばにいるから」
「ありがとう」
「でも……」
「どうした? ミレーゼ」
「水江さんのことは忘れて。雄二が水江さんのことを愛しているのはわかるわ。でも私も辛いの……」
渡辺はその言葉を聞いて辛かった。
ミレーゼの優しさと辛さが十分過ぎるほど伝わってきた。
「ミレーゼ、すまない。本当にすまない」
「いいのよ……雄二が忘れるまで待つわ」
渡辺はその言葉を聞いて、ミレーゼへの愛しさがわいてきた。
渡辺は決心した。
想いをはせた。
ミレーゼわかったよ。忘れるよ。
水江さん、さようなら……
渡辺は気づいたらピアノの前に座っていた。
想いがこみあげてきた。
なんだか、ここに座ると琴音ちゃんを思い出すな。
琴音ちゃん、元気にしているかな……
でも、僕は何より……水江さん……
僕は情けないよ。
わかったよ。ミレーゼ。
水江さんのことは忘れるよ。
せめて、「別れの曲」を弾かせてくれ。
それで、水江さんのことは忘れるよ……
渡辺はショパンの「別れの曲」を弾いた。
悲しく響いた。
渡辺は窓の外を見つめた。
木の葉が揺れていた。
水江さん、さようなら……
ありがとう……
水江はその頃、会社の帰りだった。
渡辺さん、どうしているかしら……
元気にしていますか……
水江は辛いです……
どことなく、海辺のささやきが聞こえた。
一方で琴音は学校の帰りだった。
先生、どうしていますか……
どうして……
琴音のことが好きでしょ。
先生、日本に帰ってきたら、今度はマフラーじゃなくて手袋を編んでプレゼントしますね。
でも、ギリシャは暖かいのかしら
先生、先生……
どことなく、ピアノの調べが聞こえた。
先生……




