後悔
理恵子……
渡辺の遠い過去が脳裏によみがえった。
「お兄ちゃん、ピアノを一緒に弾こう」
「ああ、いいよ。理恵子」
「ほら、弾けるでしょ」
「ああ、上手だよ」
あの時は理恵子が得意げに弾いていたな。
でも……異変が起きたんだよな。
「お兄ちゃん、このピアノは壊れているの?」
「どうして、そんなことを言うんだい?」
「だって、最近音が小さいでしょ」
「理恵子、そんなことはないよ。気のせいだよ」
「うん、そうね」
もっと早く気づいてあげればよかったんだ。
時が流れる前に……
「お兄ちゃん、最近、先生の声が小さく聞こえるの……」
「そんなはずはないよ」
「そうね……」
あれから、すぐだった。
「川崎さん、理恵子さんの担任の前田と言いますが、理恵子さんは耳が遠いようです。検査に行ってみてください」
「理恵子、病院へ行こう」
「うん」
冷たく聞こえたな。
「川崎さんですか、妹さんは原因がわかりませんが、聴力が失われつつあります」
「先生、いつか聞こえるようになるんですよね」
「いえ、このまま、回復することはないでしょう。奇跡が起きないかぎりは……残念ですが」
渡辺が思い出していると、ミレーゼが部屋に入ってきた。
「雄二、どうしたの、下をうつむいて」
「いや……」
「もしかして、水江さんのことを考えているの?」
「違うよ。違うんだ」
「もしかして、理恵子さんのこと?」
「ほっておいてくれ」
「雄二が悪いんじゃないでしょ」
「いや、俺が悪いんだよ」
ミレーゼが部屋から出ていくと、渡辺は再び遠い記憶が蘇った。
あの時だったな……
「お兄ちゃん、町でお祭りがあるの。連れていって」
「ああ、いいよ」
そして、俺は町へと理恵子を連れていったんだ。
「お兄ちゃん、綿菓子が食べたい」
「ちょっと待っていて、ここで待っているんだよ。理恵子は耳が悪いから、ここでね」
あの時、俺が目を離したのがいけなかったんだ。
俺は向こう側の綿菓子の売り場に行ったな。
「すみません。綿菓子を二つください」
「ああ、いいよ」
キー、キー
「危ない」
「おい、女の子が馬車にはねられたぞ」
「理恵子、理恵子……どこだ」
「ああ、君は?」
「兄です」
「すぐさま、馬車に乗った者が連れていったぞ、きっと病院じゃないか」
「わかりました」
俺は病院を転々と探したよ……
渡辺の遠い過去への想いは続いた。
まさか、そんなはずが……そんなはずはと思ったよ。
「すみません、ここに女の子が運ばれませんでしたか?」
「ええ、運ばれてきました……」
「理恵子は理恵子は……?」
「女の子なら、残念ながら……」
「そんな……それで、理恵子は?」
「その後はわからないです……」
結局、理恵子の眠っている姿すら見届けられなかった。
ひっそりと海に形見を投げたんだったな。
せめて、眠っている姿を見たかった……
「雄二、マエストロがお見えよ。何をいつまでも考えているの?」
「ああ、今、行くよ」
全て俺が悪い。
あの時に手を離さなければよかったんだ。




