異変
琴音は相変わらず、百合子があまりに無口であることを心配していた。
理由があって、自分に何かを隠しているようにも思えた。
百合子のことがほっておけなかった。
「百合子、何でもいいから、私に言ってね。気にしなくていいから」
「うん……」
「どうして、百合子はいつも、うんとしか言えないの? もっと他に言えないの?」
「ごめんなさい……」
「でも、いいのよ。琴音は気にしないことにしたから」
「うん。ありがとう」
琴音の笑顔を見て、百合子の表情は穏やかになった。
「そうよ。ほら、百合子、元気を出してね。琴音も辛いことがあるけど、気にしないようにしているのよ」
「うん」
窓を見ると木々の間から柔らかい陽射しが差していた。
どこか、柔らかい風が二人の頬をなでた。
工場で働く水江は、吾郎の視線が気になっていた。
吾郎の机は水江から少し離れた横の方にあった。
目が合うと、吾郎は目線をそらした。
水江は勇気を振り絞って、吾郎に自らの気持ちを伝えることにした。
「吾郎さん、ごめんなさい。私は気になっている人がいます。私のことは忘れてください。ごめんなさい」
「そうですか……でも、僕は水江さんが心変わりするのを待ちます。待ち続けます」
「そんな……」
「僕のどこが嫌ですか? 顔が悪いからですか? お金を持っていないからですか? 僕は頑張りますから、もう少し待ってください」
「吾郎さん……」
水江は何も言えずに、家路へと向かった。
必死で懇願する吾郎の姿がいつまでも心に残った。
水江は思う。
渡辺さん。
どうすればいいですか。
私を想ってくれる人がいます。
私に優しくしてくれます。
嫌いではないのですが、どうしても、渡辺さんが忘れられないのです。
海辺で優しく抱き寄せてくれたぬくもりが忘れられないのです……
やっぱり、渡辺さんのことを忘れて、その方とお付き合いしたほうがいいですよね……
でも、辛いです。
渡辺さん……
自分の想いと吾郎の想いが水江には重なって映った。
一方で、ミレーゼはいつまでも、水江のことを忘れられない渡辺のことを想うと辛かった。
雄二、どうして……
どうして、私に振り向いてくれないの……
雄二を本当に愛しているのは私だけなの。
どうして、どうして……
私を抱いてくれている時も、あなたは私をみていない。
遠くを見ているじゃない。
わかるのよ……
水江さんのことを想っているのが……
渡辺がマエストロからレッスンを受けている時だった。
「雄二、このフレーズはもっと優しくレガートに弾かないと駄目じゃないか」
「マエストロ、ここはそう弾いているつもりですが……」
「いや、粗いぞ。これじゃコンクールでは通用しない」
渡辺は自宅で練習していた。
「雄二、どうして、そこはもっと静かに弾かないと駄目でしょ。そんなに大きな音で弾いたら駄目よ」
「そんな、馬鹿な。弱く弾いているじゃないか」
「雄二、最近……もしかして」
「そんな馬鹿な……」
渡辺は異変に気付き始めた。
それが現実になろうとしていた。




