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星 その六

将軍宣下を待つ綱吉の住む二の丸に登り

七夕の祝いの挨拶を終えた綱豊は屋敷に戻ると

照姫の縫った縞八丈の着流しに着替え

夫婦の居間に向かった。


照姫は綱豊が贈ってくれた千鳥と白波模様の

小袖の裾を広げて花のように座り

綱豊を待っている。


美しい櫻の花が一面に描かれた

金箔煌めく豪奢な大きな襖がゆっくりと開き

葵の紋の鏤(ちりばめ)められた黒塗りの御膳を

侍女達が恭(うやうや)しく運んで来た。


七夕の御馳走が並ぶ御膳。


痘(おこり)を祓うとされ白い糸のような素麺が

青い瀬戸物の鉢に流れるように盛られ

鯛の塩焼きには笹の葉が添えられ

瑞々しい甘瓜と梨は涼やかで

七夕らしい趣向が凝らされている。


宮中の七夕で饗される素麺。


綱豊の父の正室の隆崇院は、照姫の従姉妹で

中宮東福門院徳川和子の生んだ女五宮の娘。


隆崇院が、宮中の仕来りを持ち込んだのだろう。


 どんなお暮らしだったのかしら?

 お幸せだったのなら、よいのだけれど


隆崇院が嫁いだ年に

綱豊は庶長子として生まれている。


照姫は、胸に小さな痛みを感じた。


思いを巡らせていたら

綱豊が微笑みながら足早に部屋に入ってきた。


「ご機嫌よう、殿」


照姫は胸の痛みを心の奥に閉じ込めて

愛らしくはんなりと微笑み迎えると

綱豊は照姫の手を優しく取って

華やかな七夕の飾り付けをした

庭に面した入り側まで連れて行く。


茜色と菫色の夕暮れの庭先に

大きな孟宗竹が立てられ

五色の短冊や吹き流しが鈴なりに吊され

更更(さらさら)とそよ風にそよぎ

畳敷きの入り側に置かれた朱塗りの台の上には

音楽の上達を願う琴に琵琶

豊作を願う梨に桃に茄子や豆

裁縫の上達を願う美しい五色の糸や反物が

供えてある。


綱豊が照姫の肩を抱き寄せ、声を掛けた。


「常盤や松島に聞いて

 京の飾り付けをさせたが

 なかなかに良いものだな。

 星空は、海の傍の屋敷の方が美しいのだが

 七夕の祝で御城に登らねばならぬゆえ」


「先日、連れて行ってくださいましたわ。

 それに、こちらの星空もきっと美しいと

 思いますの」


「そうか。

 では夕餉の後、庭の茶屋に参ろう」


「はい、殿」


夫を心配させないよう口には出さないが

故郷の京が恋しい気持ちを包み込んでくれるのが

ふんわりと嬉しい。


綱豊も京風が思いの外心地よく

愛する照姫のために、この本邸や別邸の奥を

京風に変えている。


七夕の和やかな夕餉が済むと、庭に出た。


藍色に暮れてゆく庭の小道には

小さく仄かな灯籠が連なり足元を照らし

灯りを頼りに、綱豊が照姫の肩を袖で包み

池を臨む御茶屋に誘(いざな)う。


婚儀が成った翌日に

綱豊が連れてきてくれた御茶屋。

照姫が初めて鶴を間近で見た、思い出の場所。


御茶屋に着くと

綱豊は照姫を横にふわりと抱き上げ

座敷の窓近くまで連れて行き

膝の上に包むように座ると

それを合図のように

侍女達が蝋燭の灯を遠ざけ

窓が両側からゆっくりと開けられた。


目の前には美しい池と夜空が広がり


満天の空には美しい天の川が流れ

白く煙る天の川に

織り姫星と彦星が輝いている。


「殿、綺麗…」


夜空の美しさに

照姫は黒曜石の瞳を輝かせ

息を呑んだ。


綱豊は輝く照姫を満足げに見つめ

妻の耳元に甘く囁く。


「そなたの江戸で初めての七夕だが

 織り姫と彦星は会えたようだ」


照姫は星空の魔法にかかり

うっとりと綱豊を見上げた。


「覚えていてくださったのですか?」


「妻の望みを叶えてやるのが夫の喜びゆえ」


照姫は夫の気持ちが嬉しくて

その胸に顔を埋めた。


それから、綱豊と美しい夜空を眺め


長い時間、夫の腕の中で

江戸の星空に吸い込まれた。


今なら聞けそうな気がする。

照姫は夜空になった綱豊に甘えたまま

言葉が流れ出た。


「殿は…、将軍に

 おなりになりたくはないのですか?」



 漸(ようや)く聞いてきたか

 聞きたくても聞けなかったのだろうが


綱豊は心配そうに見上げる妻を

ゆったりと胸に包んだまま

のんびり答える。


「将軍になど、なってみろ。

 わたしは中奥、そなたは大奥で暮らすのだぞ。

 そなたと毎晩寝られぬなど御免被る。


 抑(そもそも)も、家綱公は生まれながらの将軍で

 御父上の家光公の重臣達がそのまま仕え

 叔父上の保科正之殿が後見人だったから

 十歳で将軍が務まったのだ。

 

 今のわたしでは務まらぬ。

 民が幸せなら将軍は誰でも良いではないか」


「でも、殿は仁の心篤い殿方であらしゃいます。

 勿体のうございます」


胸に凭(もた)れ、見上げるあどけない妻に

ふ、と笑みが漏れた。


「妻にそう言われるのは悪くないが。

 そなたは御台所になりたいのか?」


「わたくしは殿と御一緒なら、幸せです」


幸せそうに雛鳥のように

胸に埋まる妻が愛おしい。


「誠か?わたしが魚釣でも百姓でも構わぬか」


「それなら、殿のお側で

 わたくしは網を直し、花を育てますわ」


「そなたには敵わぬ」


綱豊は、胸の中でうっとりと微笑む幼妻を見つめた。


綱豊の大叔母である中宮東福門院が選んだ照姫。


何時の日にか、その日に備えて

東福門院は照姫を江戸に、自分の元に送り込んだ。


天性の政治感覚を持ち、賢く穏やかな照姫ならば

立派に御台所をやれるだろう。


「そうだな…万が一、将軍のお鉢が回って来て

 使い物にならぬと馬鹿にされたくはないからな。

 勉学には励んでおこう。

 そうなれば、そなたも御台所だ。

 わたしと共に励むのだぞ」

 

「御意に、殿」


綱豊は未来を視るように星空を見上げる。


「照、天の川が動いている」


「はい、殿。

 この御茶屋に来た時の天の川は

 あの高い木の上でしたわ。

 今は低い茂みの上です。

 殿の仰る通り動いています」


二人は初めての七夕の星降る夜を

幸せに過ごしたのだった。

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