第8話 それでも僕はまだやってない
「キャッ!」
アリサちゃんの胸が僕に密着し、僕の手は彼女のお尻を触っていた。
それでも彼女は抵抗しない。いやできない。
彼女は顔をしかめたまま、ただ我慢していた。
そんなアリサちゃんの姿を眺めながら僕は口を開く。
「ごめんアリサちゃん。だ、大丈夫?」
満員電車の揺れに、彼女の体が僕に押し付けられる。彼女を痴漢からガードしようとスカートの辺りに回していた僕の手は、はからずも彼女のお尻をしっかりと触ってしまっていた。
揺れがおさまると、僕は慌てて彼女との間に隙間を作りお尻から手を離した。
「いいの、お兄ちゃん。痴漢されないようにしっかり守ってねってお願いしてるのは私なんだし」
そう。そんなわけで僕は、アリサちゃんとすぐに密着できるポジションを合法的に確保することに成功していた。
そして電車が揺れると、さっきのように彼女の感触と香りを間近で感じられた。
だけどそれを、もちろん積極的に楽しむわけにはいかない。揺れを利用して痴漢を働いたりは決してしちゃいけない。
それでは僕が痴漢になってしまう。僕が故意に彼女を苦しめることだけはあってはならないのだ。
だから僕は、できるだけアリサちゃんに触れないように一生懸命彼女をガードしていた。それが変態紳士として守るべき、僕の最後の矜持だった。
そうしているからこそ、アリサちゃんは僕のやせ我慢を認めてガードを任せてくれる。さっきのようにお尻に触ってしまっても、それを許してくれる。彼女の役に立つことができるのだと、僕はそう信じていた。
陰で盗聴と下着ドロを繰り返す変態がいっちょまえにそんな騎士気分に浸っていると、不意に周囲のささやきが聞こえてきた。
「ねえ、あれって彼氏かな?」
「えー、そんなわけないじゃん。女の子の方、めっちゃお姫様じゃん。あんな冴えない奴が彼氏だなんてありえないでしょ」
「そうだよね。でもさっきからすごく密着してるし、男の子は彼女のお尻の方にも手を回してる感じなんだけどなあ」
「え、それってまさか痴漢!? 三軍の補欠君が一軍エリートのお姫様相手に痴漢で仕返ししてるってこと? マジ最低ー。そんな変態、死ねばいいのに」
鋭く本質を突いた誤解で少し離れた位置の女の子たちから僕は睨まれる。
そう、これが世間一般の正当な評価というものだろう。
そんなことは僕も痛いほど分かってる。だから高学年になる頃くらいから、なるべくアリサちゃんと接触しないようにしていたのだ。
だけど突然の彼女の両親の死で、僕ははからずも再び彼女と接近することになってしまった。その結果が昔よりはるかに残酷なこの評価というわけだ。そしてそれは、あながち間違いでもない。
でもアリサちゃんも、これから高等部の生活が進めば自然と僕から離れるようになってしまう気がする。何より周囲が放っておかない。
中等部時代は積極的に迫ってくる男の子が怖いと言っていたようなのだが、そんな彼女も夜はステキな王子様相手に積極的な関係を夢見るようになっていた。黒の勝負下着らしきものまでもう用意している。
だから僕がこうして彼女のそばにいられるのも、そう長いことではないだろう。その時僕は、どんな形でそれからの彼女を見守っていけばいいんだろうか。どうやって彼女の両親との約束を守ればいいのだろうか。
僕がそんなことに思いをはせていると、不意にアリサちゃんの大きな声が耳元でした。
「お兄ちゃんどうしたの? ぼうっとしてると危ないよ」
ハッと我に返ると、アリサちゃんがこちらに寄り添うようにしながら僕を見上げていた。
「あ、ああ。ううん、なんでもないよ」
僕はとっさにそう誤魔化した。
「そう? もし疲れてるなら、ちょっとの間なら私に寄りかかってくれてもいいんだよ」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけだから」
「ならいいんだけど」
僕たちのやり取りにまたさっきの女の子たちの声が聞こえてくる。
「あの二人、兄妹だって」
「マジ似てない。義理じゃね?」
「でもかなり仲良さそうだよ。兄妹にしてはちょっとベタベタし過ぎなくらい」
「うーん、義理だからあえてそれで予防線を張ってるのかもね。じゃないともし本気で襲われたら力じゃ抵抗できないじゃん」
本当にこの子は鋭いな。
でも正解は義理の妹じゃなくて兄妹のような幼馴染の方だった。そして予防線を張ると共に僕をからかって遊ぶアリサちゃんの方が一枚上手だろうか。
そしてそのアリサちゃんの予想を上回る変態行為に陰で及んでいる僕こそが、一番度し難い存在なのは間違いない。
どうか僕は最後まで紳士でいられますように。
でないと、僕を信頼したまま死んでいった彼女の両親に詫びる言葉がない。
そのためには、いっそ本当にアリサちゃんに彼氏ができた方がいいのかもしれない。その方が僕も諦めがつくような気がする。
満員電車とは何ともほろ苦い乗り物だと僕は思った。僕に人生の悲哀を突き付け、己というものをこれでもかと思い知らせてくれるのだから。




