第6話 ロザリオの授受
もう10年近く前のことだろうか。夏休みに小さなアリサちゃんと一緒に裏山で遊んでいた僕は、彼女がどんどん高い枝に登っていくのを困ったように追っていた。
何度も危ないからと止めるのに全然言うことを聞いてくれない。
何とか彼女のいる高い枝まで追いついたと思ったら、アリサちゃんはそこで僕にクルリと回って見せた。
その拍子にバランスを崩して木から滑り落ちていくアリサちゃん。
スローモーションで流れるその映像を見ながら、僕は反射的に枝から飛び出していた。
気付いたら、そこはアリサちゃんの家のベッドの上だった。
泣きそうな顔の、いや完全に泣き顔のアリサちゃんが僕に抱き着いてくる。
アリサちゃんのママも涙ぐんでいた。
パパも顔をそろえ、何やら深刻そうな顔をしている。
僕が何が起こったのかと恐る恐るたずねると、逆にどこまで覚えているのかと聞かれた。
枝から落ちたアリサちゃんを受け止めようと飛び出したところまでしか覚えてないというと、彼女の両親はなぜかホッとした顔をした。
落ちたショックで記憶が混乱しているのね、と言ってアリサママが僕に事情の説明をしてくれた。
どうやら2人揃って枝から落ちたものの、アリサちゃんの方は無事に着地して僕だけが打ちどころが悪かったのか気を失ってしまったらしい。
おまけにあれからなんと3日も経っているという。
結局別々に落ちたのに、最初にバランスを崩したアリサちゃんが無事で助けようとした僕が3日も気を失っているのは何ともマヌケな話だった。いや実に僕らしいと言うべきか。
泣きじゃくるアリサちゃんと心配そうな顔のアリサちゃんの両親を前に、僕は何ともいたたまれない気持ちになった。穴があったら入りたい気分だ。
そんな僕に、既にお医者様に見てもらってどこも異常はないとアリサママは説明してくれた。そしてここからはお願いなのだけど、と申し訳なさそうにあることを切り出してくる。
幸いにも僕の両親は遠くにある実家の法事で長期不在だった。小さな子供が退屈な法事で騒ぐといけないからと言って、お泊り会を兼ねてアリサちゃんの家に預けられていたのだ。それに浮かれて裏山ではしゃいでいたから事故が起きてしまったといえなくもない。
そこで明日帰ってくる僕の親に、このことを内緒にしておいて欲しいと僕は頼まれた。
アリサちゃんの両親からすれば、預かっていたよその家の子供を危険な目に合わせたのだから苦しい立場に追い込まれているのだろう。
ただ僕は無事だったし、子供が遊んでいて勝手に怪我をしたくらいで僕の親が怒るとも思えない。
それでもそう頼まれると、僕は自分のマヌケな行動でアリサちゃんの両親をそんな気持ちにさせてしまったことを申し訳なく思った。そして絶対に誰にも言わないと約束した。
アリサママは何度もごめんなさいと僕に謝った。そして最後に、こんなに怖い思いをしてもまだアリサと友達でいてくれるかと僕に聞いた。
僕はもちろんと即答した。アリサちゃんは僕の妹のような存在で、とても可愛い僕の天使なのだ。
こんなことくらいで付き合いをやめるだなんて考えられない。むしろアリサちゃんの方からこんな役立たずで冴えない僕を嫌だと言い出さないかの方が不安だった。
僕の迷いのない返事を聞いたアリサママは、そこでパパの方を見た。
パパが静かに頷くのを確認すると、おもむろにそばのテーブルの上に置かれたペンダントを手に取る。そしてこれを受け取って欲しいと僕に言ってきた。
余計な心配と迷惑をかけた上にこんな高そうなものはとても受け取れないと僕が断ると、これからもアリサとずっと一緒にいてくれるなら絶対に受け取ってくれないとダメだと、強い口調でキッパリ言い切られる。
そのあまりに真剣な様子に、僕はキリスト教の十字架のことを不意に思い浮かべた。これを首にかけて、僕は天使なアリサちゃんのために一生懸命祈りをささげるのだ。
こんな僕にそこまで許してくれることに、僕はとても感動した。
だから僕は、そのペンダントを受け取ることにする。
アリサママに促されて、アリサちゃんが泣きながら僕にペンダントを掛けてくれた。そしてそのまま僕の首にまた抱き着く。
僕はこの温もりを、一生大切に守っていこうと思った。
そんな僕にアリサママが言う。
本当にごめんなさい。あなたには、何度も過酷な運命を背負わせてしまうわね。でもどうか、アリサとずっと仲良くしてやって欲しいの。
兄でもいい、友達でもいい。でももっと深い関係ならなお嬉しい。そうしてやがて一人で取り残されてしまうこの子を、どうかよろしくお願いしますと。
なんだかこのまま僕とアリサちゃんが結婚でもするような勢いだ。
それは夢みたいなことだけど、僕にそんな大役なんて絶対につとまらないことを当時の僕はもう知っていた。
保育園で白雪姫の劇をした時、アリサちゃんはもちろん白雪姫だったけど僕は7人の小人ですらなく木の役だった。彼女の晴れ舞台を、舞台の端から見つめることしか僕にはできなかった。
それでも僕はアリサママの言葉に頷いた。
こんな僕でも、せめて陰からアリサちゃんを見守ることくらいはしていこうと思ったから。
そうして僕は、今もそのペンダントを首に掛けている。
そっと、アリサちゃんを盗聴して見守りながら……。




