-5-
その翌日には、運営委員会から正式に身体検査を行う日取りを伝えられた。
ヒミカの考えた作戦では正直なところ不安だ。
仮に運営委員会の人たちを騙せたとしても、ヒミカのことが心配というのもある。
ボクのためだからと身代わりを買って出たヒミカではあったけど、気まぐれな彼女のことだから、途中で気が変わらないとも限らない。
だいたい身体検査なのだから、何人かに囲まれて、体を見られたり触られたり、といったことだってあるに違いない。
そんなの、ヒミカに耐えられるのか。
というより、いくら調べるのが女性とはいえヒミカにそこまでさせてしまうのは、ボク自身、罪悪感でいっぱいになってしまう。
だからといって、ヒミカの作戦に代わる案を出せないボクには、引き止めることなんてできはしなかった。
身体検査を受ける当日。
ボクはウィッグをつけたヒミカが部屋から出ていくのを見送った。
「行ってくる」
「うん……気をつけて」
微かに震えているように思えるヒミカに向かって、ボクはただ、それだけしか言うことができなかった。
ヒミカはもともと、肩にかかるくらいの髪の長さがある。
そこにボクが普段ショートカットの上からつけているウィッグをそのままつけても、不自然になるだけだ。
だから、二重に重ね合わせるようになっていたうちの一枚分だけをピンで留めていた。
それでもやはり不自然さはあるものの、どうにかごまかせそうな程度には、まとめられていると思う。
ただ、ごまかせそうというのはあくまでも、髪の毛だけならという話だ。
恥ずかしいから顔を隠す、と言ってはいたけど、ヒミカは本当にヴェールで顔を覆っていた。
そんなの、持ってたのか……というツッコミはこの際置いておくとしても、いくらなんでも怪しすぎるだろう。
舌先三寸で煙に巻くことができるような人ならともかく、口ベタなヒミカなのだから、なおさら不安は増すばかりというものだ。
身体検査はアイカさんの部屋で行われるとのことで、ヒミカはこうして今、ひとりで部屋を出ていったわけだけど。
いったい、どうなることやら……。
ボクはハラハラドキドキしながらも、それとは別に、もうひとつの考えを思い浮かべていた。
――ウィッチレースなんてやめさせて、村に帰ってきて。
すっかり忘れていたけど、ヒミカのお母さんは、電話でそう懇願していた。
ここでボクが男だとバレてしまえば、おばさんの望みは叶うことになる。
ヒミカがレースを楽しんでいるのは確かだけど、コースの安全性は高いといっても、まったく危険がないわけではない。
超高速で飛びながらのバトルになる上、アリサさんなんかは、それこそぶつかる勢いで、いや、実際にぶつかりながらでも前を目指す。
それくらいの気合いと度胸が必要な世界なのだ。
アリサさんの場合は、少々行き過ぎた事例かもしれないけど。
ヒミカはそこまで非情にはなれまい。
ヒミカはそこまで傲慢にもなれまい。
そのうち、なにか大きな失敗を犯して挫折し、精神が病んでしまわないとも限らない。
そのうち、なにか大きな事故に巻き込まれて、身体を壊してしまわないとも限らない。
おばさんの言うとおり、早めにこのウィッチレースの世界から抜け出して、平穏な村の生活に戻ったほうが幸せなのかもしれない。
だけど――。
確かにそうすれば、おばさんの望みは叶うことになる。
でもそれは同時に、ヒミカの望みが費えてしまうということでもあるのだ。
ボクは不謹慎な考えを振り払い、ヒミカの作戦が無事に成功することを祈り続けた。
☆☆☆☆☆
やがて、ヒミカが部屋に戻ってきた。
バタンとドアを閉めたヒミカに歩み寄ると、ボクは問い詰めるように尋ねる。
「ヒミカ! どうだった? 大丈夫だった?」
そんなボクに向かってヒミカはブイサインひとつ。
「バッチリ」
「おお~!」
思ってもみなかった展開に、ボクは歓喜の声を上げる。
「とは言えないかも」
上げて落とすとは、なかなかやるな、ヒミカ。
……って、そういうことではなくて。
「え~っと、微妙な感じだったの?」
「そんなことはない、と思うけど、正直わからない」
どうやらヒミカとしても、上手くいったのかどうか、判断がついていないようだ。
ということは、完全にアイカさんたちを納得させて帰ってきたわけではないのだろう。
「いったい、どんなことをされたの?」
身体検査と言っていたし、詳しく訊いてもいいものかどうか迷ったけど、最終的にどうなったのかを確認したいということもあり、ボクはヒミカに問いかけてみた。
と、その途端。
ヒミカの顔が真っ赤に染まる。
「訊くな」
ヒミカは目にも留まらぬ早業で、ボクの頭に連続平手打ちを始めた。
「痛い痛い痛い、痛いってば……!」
ボクは聞く耳を持たないヒミカに叩かれ続けながら、いったいどんなことをされたのやら、と考える。
「考えるな」
言われるまでもなく、連続殴打の影響で頭がぼーっとし、考えることもままならない状況だったのだけど。
そんなこんなで、身体検査を受けてどうだったのか、その結果はなにひとつとして聞き出すことができずに終わってしまった。
ヒミカ本人からは聞き出せなかったものの、どういう状況だったのかは、すぐに察しがついた。
魔女ホテル内で、ボクのことについて、やっぱり男だったらしい、との噂が流れ始めたからだ。
身体検査にはヒミカが行った。だから、ボクが男だということを運営委員会が確認したわけではない。
しっかりと確認が取れるまでは、運営側としても発表は控えるものと考えられる。
おそらくは、ボクに変装したヒミカが身体検査を受けるのを、誰かが隠れて見ていたのだろう。
アイカさんの部屋で行われた身体検査に、運営委員の人以外が同伴したとは考えにくいけど。
例えば隣の部屋に潜んで聞き耳を立てるなどすれば、詳細まではわからなくとも、なんとなく状況を把握することはできる。
アイカさんの部屋の隣は、片側はマナミン・カナミンの部屋だけど、反対側に泊まっているのは確か、スターウィッチに参戦しているホウキ星のうちのひとりだったはずだ。
その人が噂の発端なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
別の人も一緒になって部屋に潜んでいた可能性もあるし、運営委員の人が不注意で喋ってしまった内容を誰かがたまたま聞いただけ、という可能性だってある。
どうであれ、今こうして現実に噂が流れているわけだから、ヒミカの作戦は失敗に終わったことになる。
ヒミカ自身は、失敗したと言わなかった。
それは嘘ではないだろう。
とすると、アイカさんは身体検査を受けたのがヒミカだとわかっていたけど、バレていないように装っていたという推測も成り立つ。
もしそうなら、ヒミカがボクの身代わりになったということは、ボクになんらかの秘密があって身体検査をされたくないからだと、容易に想像できるに違いない。
そして、その秘密として考えられるのは、噂になっていることからもわかるとおり、ボクの正体が実は男だ、という理由しかない。
とはいえ、運営委員会側の事実確認が取れないうちに、憶測だけで処分が決定されることはないはずだ。
身体検査でアイカさんにバレていたかどうかはともかく、こうやって噂になってしまっている以上、もうバレてしまったも同然と言っていい。
きっと近いうちに、アイカさんたちは再び接触してくる。
ボクは覚悟を決めていた。
『突然で申し訳ありませんが、ウィッチレース参加者のみなさんにご報告したいことがあります。お手数ですが、今すぐロビーにお集まり下さい』
そんな中、魔女ホテル内にアイカさんの声でアナウンスが鳴り響く。
「よし……行こうか」
「うん」
ボクはヒミカと寄り添いながら、覚悟を決めていてもなお重い足取りでロビーへと向かった。




