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病室のドアをノックすると、軽めの音が静かな一帯に響き渡る。
「セスナです」
「…………はい、どうぞ」
ボクが名前を告げると、少し間を置いて、中からアリサさんの声が返された。
もしかして、寝てたのかな? とも思ったけど、返事をしてくれたのだから、入っていって構わないということだろう。
ボクは静かにドアを開けると、病室へと足を踏み入れた。
手には花束を持っている。
アリサさんのお見舞いに来たのだ。
ボクの背後には、ヒミカも控えている。
ヒミカには、給湯室で水を入れてきた花瓶を持ってもらっている。
花屋に立ち寄って用意してきた花は、珍しくボクに任せたりせず、ヒミカ自身が選んだものだった。
綺麗で匂いのいい花を中心に選んだらしい。
なお、匂いが強すぎる花は避けてある。
ほのかに香りが漂い、無機質な病室に微かな彩りを添えられれば、それでいい。
ヒミカが選んだ十種類くらいの花を、まとめて花束にしてもらった。
花柄の可愛いらしい花瓶もセットで準備し、病室に置いてアリサさんに視覚と嗅覚から楽しんでもらおうと考えたのだ。
他のホウキ星たちも、ここ数日のあいだにお見舞いに来ているはずだった。
あらかじめみんなで話し合い、かち合わないように日時をずらし、持ってくるお見舞いの品もかぶらないようにしていたからだ。
検査入院ということだから食べ物類でも問題ないだろうし、暇つぶしになるような本や雑誌なんかでもよかった。
でもそういったものは、他の人たちがすでに持ってきていることを知っていた。
だからボクたちは花を選んだ。
定番のお見舞い品ではあるけど、心地よい花の香りに包まれて気分を悪くする人は少ないに違いない。
病室に入ったボクは、軽く視線を巡らせてみた。
アリサさんのファミリアーであるメロディさんの姿はない。
入院中もそばについてお世話をしていると聞いてはいたけど、検査入院ということだから、つきっきりで看病しているわけでもないのだろう。
「お花、飾っておきますね」
ボクはヒミカから花瓶を受け取り、手早く花束の包みを解いて花を挿すと、部屋の片隅に置いてあった棚の上に飾った。
ふわりと甘い香りが漂う。
「……ありがとう、セスナさん……」
お礼を言ってくれたアリサさんの声には、いつものような勢いが感じられなかった。
病院という場所のせいで、気分も沈みがちになっているのかもしれない。
ボクが花瓶を置いてからようやく、ヒミカはドアの前から歩き始めた。
心配しているだろうに、自分から声をかけたりはできず、つかつかと無言でアリサさんの寝そべっているベッドに歩み寄る。
そんなヒミカを、アリサさんは明らかに怒りのこもった鋭い視線で睨みつけた。
ビクッと身をすくませるヒミカ。
「……よくも、のこのこと来られたものね。この卑怯者!」
アリサさんはヒミカに向けて怒鳴り声を上げた。
きょとんとした目で見つめ返すヒミカに、アリサさんはさらに声を荒げてわめき散らす。
「帰って! 帰ってよ! あなたの顔なんか、見たくもないわ!」
アリサさんの、正気を失っているのではないかとも思えるような豹変ぶりに、ボクもヒミカも素直に病室を立ち去ることしかできなかった。
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それからすぐに、ある噂が流れ始めた。
アリサさんが事故に遭った第四戦のレースで、彼女のホウキに悪質な細工が施されていた、という噂だった。
ウィッチレースに参戦する魔女たちの乗るホウキは、柄の部分にある燃料タンクの中にマナオイルを注ぎ込む構造となっている。
マナオイルを少しずつ噴出し、乗っている魔女の魔力と絡め合わせることで、爆発的な推進力を生み出すのだけど。
レース後、運営委員会がアリサさんのホウキを調べてみたところ、燃料タンクの中に木の実が入り込んでいたと判明したらしい。
それは小さめのイチゴ系の果実で、浮力によってマナオイルに浮かんでいた。
マナオイルの噴出口はホウキの穂のつけ根部分にあり、飛んでいるあいだ、常に若干下側となる。
また、ブレーキをかける際には空気との抵抗を作るため、ホウキは垂直に近いくらいにまで立てられることが多い。
どちらにしても、燃料タンクの中が満たされている場合、木の実はマナオイルに浮かんでいる状態だから問題がなかった。
だけどレースを続け、マナオイルが残り少なくなると木の実は噴出口の近くまで下がり、やがては噴出口を塞いでしまう。
それによって、マナオイルが突然切れた状態となり、バランスを崩してしまう結果となった。
これが、アリサさんがリタイアした直接の原因だったようだ。
さらに、検査入院していたアリサさんの体内からは、薬物の反応も出たらしい。
とはいえ、体調が少し悪い程度なら、風邪薬を飲むなどしてレースに出場する魔女がほとんどだ。
楽しみにしている大勢の観客たちのためにも、休んで参戦する人数を減らすわけにはいかない、そんな使命感を持っているからだろう。
そのため、検査で風邪薬などが反応を示すというのは、実はよくあることだった。
ただし、魔力を増強するたぐいの薬は使用が認められていない。
だからこそ、検査が行われている。
薬物の反応が出た場合には、続いて詳細な検査が実施される。
薬物の成分を細かく分析できる技術があるらしく、どのメーカーのどの薬なのかまで、正確にわかるのだという。
アリサさんはレースの日、風邪気味だったと言っていた。
とすると、風邪薬の反応が出たとしてもおかしくはない。
ボクはそう思っいていたのだけど……。
どうやら反応が出たのは風邪薬ではなく、遅効性の睡眠導入剤だったようだ。
そのせいでアリサさんは意識を失ってしまったのだと、検査結果からは判断できた。
これからレースに臨むというときに、自分から睡眠導入剤を飲むはずがない。
ならば、これは事件で、犯人がいるということになる。
いったい誰がホウキに細工して、アリサさんに睡眠導入剤を飲ませたのか。
真っ先に疑われたのは、ファミリアーのメロディさんだった。
メロディさんはレース前、自分のポーチから薬を取り出して、風邪気味のアリサさんに飲ませた。
でも、それは確かに風邪薬だったはずだと証言している。
ビンにはラベルも貼られていなかったため、単純に間違えたのではないか、という見解もあった。
ともあれ、健康そうに見えるけど意外と風邪をひきやすい体質だというアリサさんに、月に一、二回は飲ませていたというのだから、その可能性は低いだろう。
ポーチの中に他の薬を入れた覚えもないと、メロディさんは語っていた。
それなのに、ポーチの中にあった薬を改めて調べてみたところ、中身はやはり睡眠導入剤だったらしい。
ビンにはメロディさんとアリサさんの指紋がついていたものの、それぞれ一~二回つかんだ分しか見つからなかったようだ。
メロディさんが語ったとおり、何度もアリサさんに飲ませていたのなら、もっとたくさんの指紋がついていなければおかしい。
以上のことから、故意に指紋を拭き取ったか、もしくはビンごとすり替えられていたのではないか、という推論に達する。
その犯人は、証言に不審な点がなかったことからも、ファミリアーのメロディさんではないと考えられた。
当然ながら、アリサさん本人であるはずもない。
それじゃあ、いったい誰が……?
答えはいまだ、見つけ出せていない。
そんな折、今回の件について新たな噂が流れ出した。
犯人はヒミカなのではないか、と。
アリサさんのリタイアによって優勝できたのはヒミカだから、というのがその理由だ。
有力な若手のホウキ星と呼ばれるヒミカたち。
拮抗した戦いを演じていることから、ライバルを蹴落とそうと思っても不思議ではない、と考えられたのだろう。
ちょっと前にカフェテリアでヒミカとアリサさんが一触即発の言い争いを演じたことがあった。
もしかしたら、その場面を誰かに見られていたのかもしれない。
あのときは、実際にはヒミカがアリサさんから一方的に怒鳴られていただけだったけど、もし離れて見ていたとしたら、そこまで細かくわかるはずもない。
その言い争いによって、ヒミカがアリサさんに対して怒りの念を抱いた、と思われた可能性は否定できそうもなかった。
ホウキ星たちの姿やインタビュー内容は、テレビでも放送されるし雑誌にも掲載されるため、一般の人にも見られている。
ヒミカがあまり喋らない性格だというのは、周りの人たちもよく知っているはずだ。
無口なヒミカが胸のうちで怒りを煮えたぎらせ、悪質な細工をするに至ったのではないか。
今、そんな噂が、まことしやかにささやかれているのだ。
もちろん、ヒミカがそんなことをするはずがないというのは、ボクにはわかっている。
ヒミカが犯人だなんて、百パーセントありえない。
普段から一緒にいることの多いオードリアさんやミルクちゃん、それにフェリーユさんやママさんも、ヒミカが犯人ではないと信じてくれているだろう。
それでも、あまり接点のない他の魔女たちの中には、噂を鵜呑みにしている人も多いようだ。
魔女ホテルの廊下を歩いていても、ヒミカのほうにちらちらと視線を向け、声を潜めて話している姿が、そこかしこで見られるようになっていた。
直接ヒミカに対して、「卑怯者!」とか、「あんたなんか追放されればいいのよ!」などと罵声を浴びせてくる人までいる。
「わち、悪くない」
自室に戻り、力なくベッドに腰かけたヒミカが、小さくポツリと漏らした。
「うん」
ボクは、ヒミカをそっと抱きしめた。
ヒミカは泣いていた。
レース中はテンションが少しは上がっているためか、アリサさんとの言い合いなんかも多くなってきてはいるけど。
ヒミカはまだ、心を許した相手とでないと、まともに喋れない。
いや、ある程度心を許していたって、あまり積極的に喋ったりはできないのだ。
ヒミカに対して罵声を向けてくる人たちに、反論なんてできるはずがなかった。
黙り込み、逃げ帰るように自室にこもってしまうヒミカ。
それが余計に、ヒミカが犯人だという雰囲気にさせてしまう。
「大丈夫、ヒミカは悪くない。みんな、わかってくれるよ」
精いっぱいの穏やかな声で諭すボクに、ヒミカは黙って頷きながらも、涙は止め処なく流れ続けていた。




