幼馴染の家と、突然の結婚話
陽菜との距離が自然になってきた、ある日曜日。
今日は、以前から約束していた陽菜の家へ遊びに行く日だった。
子供の頃の写真や、昔使っていたおもちゃなどを見せてくれるらしい。
俺にとっては、陽菜の家を訪ねること自体が初めてだった。
そして何より――。
陽菜の両親に会う。
それが一番緊張する。
「本当に大丈夫ですか?」
前の席から、徹さんの声が聞こえてきた。
俺は後部座席で窓の外を眺めながら答える。
「たぶん……」
「西園寺家と桜井家は、昔から非常に親しい関係にあります。桜井家のご両親も、幼い頃から蓮様をご存じです」
「それが怖いんですよ」
俺はため息をついた。
「陽菜ならまだ何とかなるけど、両親に昔のことを聞かれたら……」
「無理にすべてを思い出そうとする必要はありません」
徹さんは落ち着いた声で言った。
「自然に会話してください。あまり『西園寺蓮らしく』振る舞おうとしすぎないことです」
「……分かりました」
少しだけ肩の力が抜けた。
やがて車は桜井家の前で止まった。
玄関の前には、すでに陽菜が立っていた。
「蓮!」
俺に気づいた陽菜が、笑顔で駆け寄ってくる。
今日は制服ではない。
淡い色のブラウスに、柔らかな色合いのスカート。
長い明るい茶色の髪には、小さな花のアクセサリーがついている。
普段の制服姿とは違って、少しだけ大人っぽく見えた。
「おはよう!」
「おはよう、陽菜」
「準備できてる?」
「ああ」
「じゃあ、入ろう!」
陽菜に案内され、俺は桜井家の中へ入った。
その瞬間――。
「蓮! 久しぶりだな!」
奥から男性の声が聞こえてきた。
現れたのは、四十代前半くらいの男性だった。
身長は高く、短く整えられた濃い茶色の髪。
目も濃い茶色で、いかにも仕事のできる大人という雰囲気をしている。
しかし、その表情には親しみやすい笑顔が浮かんでいた。
「お父さん」
陽菜が声をかける。
「蓮を連れてきたよ」
「見れば分かるさ」
男性は笑いながら俺の肩を軽く叩いた。
「大きくなったな、蓮」
「お久しぶりです、桜井さん」
「……桜井さん?」
男性が眉を上げる。
「いつからそんなに堅苦しくなったんだ?」
「え?」
俺は固まった。
しまった。
本物の蓮なら、もっと親しい呼び方をしていたのかもしれない。
すると陽菜が笑った。
「お父さん。蓮はちょっと大人ぶってるだけだよ」
「なるほどな」
男性は楽しそうに笑う。
「まあいい。改めて自己紹介する必要もないと思うが……桜井恒一だ」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしくな、蓮」
そのとき、後ろから女性が歩いてきた。
「あなた、あまり蓮君を困らせちゃ駄目よ」
女性は優しい笑顔を浮かべていた。
明るい茶色の髪。
そして、陽菜とよく似た赤みのある茶色の瞳。
顔立ちもどこか陽菜に似ている。
一目見ただけで、親子なのだと分かった。
「蓮君。久しぶりね」
「お久しぶりです」
「私は桜井亜希よ。今日は来てくれて嬉しいわ」
「こちらこそ、お邪魔します」
亜希さんは俺をじっと見つめた。
そして、ふっと微笑む。
「……少し変わったわね」
「え?」
心臓が跳ねた。
「どういう意味ですか?」
「うまく言えないけれど……」
亜希さんは首を傾げる。
「前より少し穏やかになった気がするの」
「私もそう思う!」
陽菜がすぐに口を挟んだ。
「最近の蓮、前より話しやすいんだよ」
「そうなの?」
「うん。私は今の蓮のほうが好きかも」
「……!」
思わず陽菜を見る。
陽菜は自分で言ったことに気づいたのか、少しだけ頬を赤くした。
「べ、別に変な意味じゃないからね!」
「分かってる」
俺は苦笑した。
亜希さんも微笑む。
「それなら、良い変化なのね」
「はい」
そのときだった。
恒一さんが腕を組み、陽菜と俺を交互に見始めた。
「……」
「……お父さん?」
陽菜が不思議そうに尋ねる。
恒一さんは数秒考えたあと、突然口を開いた。
「ところで蓮」
「はい?」
「陽菜とは、いつ結婚するんだ?」
「…………え?」
頭が真っ白になった。
「お、お父さん!?」
陽菜の顔が一瞬で真っ赤になる。
「何言ってるの!?」
しかし、恒一さんはいたって真面目な顔をしていた。
「何って、昔から仲がいいだろう?」
「そ、それはそうだけど……!」
「それに、両家の関係を考えれば、将来そうなる可能性だって――」
「あなた」
亜希さんが苦笑しながら口を挟む。
「二人ともまだ高校生よ?」
「分かっている」
恒一さんは頷いた。
そして、真顔で続ける。
「だから『いつ』と聞いたんだ」
「そこじゃないでしょ!」
陽菜が叫んだ。
俺も心の中で叫ぶ。
(いやいやいや……!)
(俺、偽物なんだけど!?)
隣では陽菜が真っ赤になったまま俯いている。
「もう……お父さん、本当にやめてよ……」
恒一さんはそんな娘を見て、楽しそうに笑った。
「ははは! 陽菜は昔から蓮のことになると、すぐ顔が赤くなるな」
「なっ……!」
「お父さん!」
「はいはい。悪かった」
そう言いながらも、恒一さんの顔には明らかに楽しんでいる様子が浮かんでいた。
俺はその光景を見ながら、改めて思った。
(本物の蓮と陽菜って……昔からこんなに仲が良かったのか)
俺が知らない二人の過去。
それが、少しずつ見えてきた気がした。
◆
「こっちだよ!」
陽菜に連れられて、俺は二階へ上がった。
そして、陽菜の部屋へ入る。
「今日はこれを見せたかったの」
陽菜は部屋の隅に置いてあった箱を持ってきた。
「何それ?」
「昔の写真とか、おもちゃとか。全部じゃないけど、いくつか残ってるんだ」
箱を開ける。
その中には、昔の写真アルバムや小さなおもちゃが入っていた。
「これ!」
陽菜が一冊のアルバムを取り出す。
「私たちの写真」
「俺たちの?」
「うん」
隣に座り、アルバムを開く。
そこには、幼い頃の俺――いや、蓮と陽菜が写っていた。
誕生日。
家族同士での食事。
旅行。
学校行事。
たくさんの写真が並んでいる。
「懐かしいなぁ……」
陽菜は嬉しそうにページをめくっていく。
そして、一枚の写真で手を止めた。
「これ見て!」
そこに写っていたのは、全身泥だらけになった幼い蓮だった。
「……何してるんだ?」
「カエルを捕まえようとしてたの」
陽菜が笑い出す。
「蓮、怖くないって言ってたんだけどね」
「それで?」
「カエルが急に跳んできた瞬間、ものすごい勢いで逃げたの」
「……」
「そのあと、『わざと逃がしたんだ』って言ってた」
「はは……」
思わず笑ってしまった。
「昔から、結構負けず嫌いだったんだな」
「そうだよ」
陽菜も楽しそうに笑う。
ページをめくる。
すると、木の下で二人並んで座っている写真が出てきた。
陽菜の表情が少しだけ変わった。
「……この写真、私のお気に入り」
「そうなのか?」
「うん」
陽菜は写真を指でそっとなぞる。
「この日、私たちがずっと友達でいようって約束したんだ」
「……」
俺は写真を見つめる。
陽菜はしばらく黙っていた。
そして、小さく笑う。
「だから、この写真は大切なの」
胸の奥が少しだけ痛くなった。
本当の俺には存在しない記憶。
それなのに、目の前の少女にとっては大切な思い出なのだ。
「蓮」
「ん?」
「帰ってきてくれて……よかった」
陽菜が笑った。
俺は少し迷ってから、笑顔を返す。
「俺も……そう思う」
陽菜は嬉しそうに頷いた。
こうして過ごしていると、不思議と緊張が消えていった。
桜井家に来る前は、何を聞かれるのかと怖かった。
けれど――。
思っていたよりも、ずっと温かい家だった。
ただ一つだけ。
俺には新たな不安ができていた。
(次に恒一さんに会ったら……また結婚の話をされそうだな……)
そう思うと、少しだけ頭が痛くなった。




