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幼い頃の約束

桜井家での日曜日は、まだ終わっていなかった。


子供の頃の写真を見せてもらったあと、陽菜が何かを思い出したように顔を上げる。


「あっ! まだ見せたいものがあるの」


「まだあるのか?」


「うん。ちょっと待ってて」


陽菜は部屋の隅に置かれていた箱を探し始めた。


そして数分後、小さな木箱を取り出した。


「見つけた!」


「何が入ってるんだ?」


「昔のもの」


陽菜は箱を開けた。


中には、子供の頃に使っていた小さなおもちゃや、いくつかの思い出の品が入っていた。


その中に、同じ形をした二つのキーホルダーがあった。


一つには青い星。


もう一つには白い星がついている。


陽菜は二つを手に取った。


「これ、覚えてる?」


俺はしばらくキーホルダーを見つめた。


「……あまり覚えてないな」


「やっぱり」


陽菜は少しだけ笑った。


「私たちが小さい頃、家族旅行に行ったときに買ってもらったの」


「二つとも?」


「うん」


陽菜は自分のキーホルダーを見せる。


「私たち、同じものが欲しいって言ったんだよ」


「どうして?」


「ずっと友達だっていう証にしたかったから」


「……そうだったのか」


陽菜はもう一つのキーホルダーを見つめた。


そして、少し寂しそうに笑う。


「でも……蓮のほうは、何年か前に失くしちゃったんだ」


「俺が?」


「うん」


陽菜は小さく笑った。


「いつも持ち歩いてたんだけど、ある日なくなっちゃったの」


「覚えてないな……」


「そうだよね」


陽菜はキーホルダーを見つめた。


「もうどこにもないと思ってた」


そう言って、陽菜は俺のほうへ手を伸ばした。


「でも、これ……蓮が持ってて」


「え?」


俺は差し出されたキーホルダーを見る。


「いいのか?」


「うん」


陽菜は笑った。


「これは元々、蓮のものだから」


俺はキーホルダーを受け取った。


小さくて、簡素なものだった。


それなのに、不思議と重く感じた。


「ありがとう」


「どういたしまして」


陽菜は俺を見つめる。


そして、人差し指を立てた。


「でも、今度は絶対に失くさないでね」


「できるだけ気をつけるよ」


「ダメ」


陽菜は真剣な顔になった。


「『できるだけ』じゃダメ」


「じゃあ、どうすればいい?」


「約束して」


「約束?」


陽菜は小指を差し出した。


「もう失くさないって約束」


俺は小指を見つめた。


それから、手の中のキーホルダーを見る。


そして笑った。


「分かった。約束する」


俺も小指を差し出し、陽菜の小指に絡める。


「絶対に失くさない」


「うん」


陽菜は嬉しそうに笑った。


その瞬間――。


「また二人で約束か?」


「「えっ!?」」


俺たちは同時に振り返った。


部屋の入口に、恒一さんが立っていた。


俺たちの絡んだ小指を見る。


次に二つのキーホルダーを見る。


そして、ニヤリと笑った。


「ほう……」


「お、お父さん!?」


「いやいや。二人とも、どんどん新婚夫婦みたいになっていくな」


「ち、違うから!」


陽菜の顔が一瞬で真っ赤になる。


「私たち、結婚してないから!」


「まだ、な」


「お父さん!」


俺は何も言えなかった。


笑えばいいのか、困ればいいのか分からない。


(この家のお父さん、結婚の話が好きすぎないか……?)


すると、恒一さんの後ろから亜希さんが現れた。


「あなた」


「ん?」


「子供たちをからかうのは、そのくらいにしておきなさい」


「ただの冗談だよ」


「分かってるわ」


亜希さんは苦笑する。


「でも、陽菜が困ってるでしょう?」


「はいはい。分かったよ」


恒一さんは両手を上げた。


「じゃあ、邪魔しないように退散するか」


「最初からそうしてよ!」


陽菜が頬を膨らませる。


恒一さんは楽しそうに笑いながら、亜希さんと一緒に部屋を出ていった。


去り際、恒一さんが振り返る。


「そのキーホルダー、大切にしろよ、蓮」


「はい」


「陽菜にとって大事なものだからな」


「分かりました」


二人が出ていくと、陽菜は小さくため息をついた。


「ごめんね」


「いや、大丈夫」


「お父さん、いつもああなの」


「……なんとなく分かってきた」


俺たちは顔を見合わせて、二人で笑った。


しばらくして、陽菜は俺を庭へ連れていった。


「もう一つ、見せたいものがあるの」


「何だ?」


「こっち」


庭の奥へ進んでいく。


そこには、大きな木が一本立っていた。


俺はその木を見て、すぐに気づいた。


「この木……」


「そう」


陽菜が笑う。


「写真に写ってた木だよ」


俺たちは木の下に座った。


風が静かに吹き、葉がさらさらと揺れている。


「ここで、子供の頃はよく遊んでたんだ」


「何をしてたんだ?」


「いろいろ」


陽菜は笑う。


「遊んだり、お菓子を食べたり、おしゃべりしたり……」


少し間を置いてから、陽菜は静かに続けた。


「それから、ここで蓮に約束してもらったこともあるの」


「約束?」


「うん」


陽菜は空を見上げた。


「小さい頃、両親が何日か旅行に行ったことがあったの」


「陽菜は留守番だったのか?」


「うん」


陽菜は少し恥ずかしそうに笑う。


「私、寂しくて……ちょっと怖かったんだ」


「そうだったのか」


「そのとき、蓮が言ってくれたの」


陽菜は目を閉じる。


そして、ゆっくりと言った。


「『大丈夫。俺はずっと陽菜の味方だから』って」


俺は何も言えなかった。


それは、本物の蓮が言った言葉だった。


俺ではない。


けれど、目の前の陽菜にとっては、大切な思い出だ。


「私は、あの約束を今でも覚えてる」


陽菜が俺を見る。


「蓮は……今でも同じことを思ってる?」


胸が一瞬、締めつけられた。


どう答えればいい?


俺は蓮じゃない。


でも、この思い出を壊したくもなかった。


だから、ゆっくり息を吸ってから答えた。


「うん」


陽菜が俺を見つめる。


「俺たちが変わっても……」


俺は笑った。


「俺はこれからも陽菜の味方だよ」


陽菜の瞳が少しだけ大きくなる。


そして――。


「……うん」


嬉しそうに笑った。


「それなら、よかった」


その笑顔を見た瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。


もしかすると俺は、ただお金のためにここにいるだけではなくなっているのかもしれない。


本物の蓮が残した約束。


その約束を、今は俺が受け継いでいる。


夕方。


桜井家を出て、俺は西園寺家へ戻った。


玄関を通り、そのまま蓮の部屋へ向かう。


扉をノックする。


「どうぞ」


中へ入ると、蓮は車椅子に座りながら本を読んでいた。


「おかえり」


「ただいま」


「どうだった?」


「楽しかったよ」


「桜井家の人たちは?」


「みんな親切だった」


俺が答えると、蓮の視線が俺の鞄へ向いた。


「……待って」


「ん?」


蓮がキーホルダーを指差した。


「それ、どうしたんだ?」


俺はキーホルダーを手に取った。


「陽菜にもらった」


「……ああ」


蓮は少し驚いたあと、懐かしそうに笑った。


「まだ持ってたんだ」


「覚えてるのか?」


「もちろん」


蓮は小さく笑う。


「ずいぶん昔のことだけどな」


「陽菜から聞いた。俺が失くしたって」


「そうだったな」


「これって……陽菜にとって、そんなに大切だったのか?」


蓮は少し考える。


「うん。かなり大切だったと思う」


「どうして?」


「陽菜は、昔から思い出を大切にする子だから」


蓮はキーホルダーを見つめた。


「俺よりも、昔のことをよく覚えてる」


「今日も昔の話をたくさん聞いたよ」


「そうか」


蓮は少し嬉しそうに笑った。


「それならよかった」


俺は今日のことを思い出す。


木の下で聞いた約束。


陽菜の笑顔。


そして――。


「そういえば、陽菜が昔の約束の話もしてた」


「昔の約束?」


「『俺はずっと陽菜の味方だから』っていうやつ」


蓮は一瞬、目を丸くした。


そして、少しだけ笑った。


「……ああ」


「覚えてた?」


「今、思い出した」


しばらく沈黙が続いた。


俺はキーホルダーを見つめる。


すると、蓮が口を開いた。


「ありがとう」


「何が?」


「そのキーホルダーを受け取ってくれて」


「……それだけ?」


「うん」


蓮は俺を見て、穏やかに笑った。


「今は、お前が陽菜のそばにいるんだから」


俺は何も言えなかった。


ただ、手の中の小さなキーホルダーを見つめる。


これまで俺は、身代わりになるというのは、ただ蓮の代わりに学校へ行くことだと思っていた。


蓮の制服を着る。


蓮の名前を名乗る。


蓮の生活を演じる。


でも――。


蓮には、俺の知らない思い出がある。


大切な人たちがいる。


そして、子供の頃に交わした約束まである。


その一部を、今の俺が受け継ごうとしている。


小さなキーホルダーを、そっと握りしめる。


そして俺は、初めて考えた。


――俺は、いつまで「ただ蓮を演じているだけ」だと言い続けられるんだろう。

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