夏服選びと三人の妄想
七月も近づき、夏休みの予定が少しずつ現実味を帯びてきた。
九条家の別荘で過ごす数日間。
その話を聞いてから、陽菜、麗華、栞の三人は、それぞれ自宅で夏の準備を進めていた。
もっとも、準備の内容は少しずつ違っていたのだが。
桜井家の自室。
陽菜はベッドの上に何着もの服を広げていた。
「うーん……こっちかな? でも、こっちも可愛いし……」
手に取ったのは、白地に小さな花柄が散りばめられたワンピースだった。
鏡の前でそれを身体に合わせてみる。
「蓮くんと海に行くんだもんね……」
その瞬間、陽菜の頭の中に、ある光景が浮かんだ。
海辺で風に髪を揺らしながら、蓮が自分を見つめている。
『陽菜、その服……似合ってるな』
『えっ!? ほ、本当!?』
『ああ。可愛いと思う』
「きゃあああっ!」
陽菜はワンピースを抱きしめ、ベッドの上に倒れ込んだ。
「な、何を想像してるのよ、私……!」
しかし、口元に浮かんだ笑みは消えなかった。
その様子を、部屋の入口から母親が眺めていた。
「陽菜、ずいぶん楽しそうね」
「お、お母さん!? いつからいたの!?」
「蓮くんと海に行くところを想像していたあたりからかしら?」
「聞いてたの!?」
母親はくすくすと笑った。
「せっかくの旅行なんだから、可愛い服を選ぶのはいいことよ。でも、あまり期待しすぎると疲れちゃうわよ?」
「も、もう! お母さん!」
陽菜は頬を赤くしながら、ワンピースを抱きしめた。
一方、九条家。
麗華の部屋には、落ち着いた色合いの夏服が並べられていた。
麗華はその中から、淡いラベンダー色のワンピースを手に取った。
「……これでいいかしら」
鏡の前に立ち、服を身体に合わせる。
上品で、涼しげな印象。
普段の自分にも似合う服だった。
「別に、蓮のために選んでいるわけではないわ」
そう言いながら、麗華は鏡の中の自分を見つめた。
そして、ふと想像してしまう。
夕暮れの海辺。
隣を歩く蓮が、こちらを振り返る。
『麗華、その服、よく似合っている』
『……当然でしょう。私が選んだのですから』
『そういうところも、可愛いな』
「……っ!」
麗華は即座に顔を背けた。
「な、何を考えているのよ、私は!」
そのとき、部屋の扉が軽く叩かれた。
「麗華、入ってもいいかしら?」
母の美沙だった。
「ど、どうぞ」
美沙は部屋に入ると、並べられた服を見て微笑んだ。
「あら、夏の旅行の準備?」
「ええ。必要なものを選んでいるだけですわ」
「そう。蓮くんも一緒なのよね?」
「……はい」
「ふふ。楽しみね」
「お母様、変な意味ではありませんわ!」
美沙は何も言わず、ただ優しく娘を見つめた。
その視線に耐えられず、麗華はワンピースを畳み始めた。
「もう、この話は終わりです!」
水野家では、栞が自室の机に向かっていた。
机の上には旅行用の小さなカメラと、電子部品の入ったケースが置かれている。
栞は白いブラウスを手に取り、少し考え込んだ。
「……これなら、動きやすいかな」
旅行中も、海の景色や別荘の周辺を撮影するつもりだった。
しかし、カメラを手にした途端、別の考えが浮かんでしまう。
蓮と二人で海辺を歩く。
静かな波の音を聞きながら、栞がカメラを構える。
『蓮くん、こっちを向いて』
『こうか?』
『うん……そのまま』
シャッターを切る。
撮影した写真には、穏やかな笑顔を浮かべる蓮が写っていた。
「……一緒に写真を撮れたら、嬉しいな」
栞は小さく呟いた。
「お姉ちゃん?」
突然、背後から声がした。
振り返ると、弟の陽斗が立っていた。
「何をニヤニヤしてるの?」
「ニ、ニヤニヤなんてしてないよ!」
「旅行に彼氏でも来るの?」
「ち、違うから!」
陽斗はいたずらっぽく笑った。
「へえー。蓮くんっていう人?」
「陽斗!」
栞は慌てて弟を追い出した。
扉が閉まったあと、栞は深く息を吐く。
「……もう」
それでも、心の中に浮かんだ蓮の笑顔は消えなかった。
その夜。
三人のスマートフォンが、ほぼ同時に通知音を鳴らした。
陽菜が作った、旅行前のグループチャットだった。
『陽菜:みんな、旅行の服は決まった?』
『麗華:もちろんですわ。必要なものはすでに準備しています』
『栞:私も……だいたい決まったよ』
『陽菜:私は白い花柄のワンピースにしようと思ってるんだ!』
『麗華:そうですの。私はラベンダー色のワンピースですわ』
『栞:私は白いブラウスと、カメラを持っていくつもり』
『陽菜:みんな可愛い服だね! 蓮くん、どんな反応するかな?』
『麗華:な、何を期待しているのですか!』
『陽菜:えへへ。可愛いって言ってくれたら嬉しいなって』
『栞:……私も、少しだけ』
『麗華:……』
『陽菜:麗華ちゃん?』
『麗華:別に、蓮に褒められたいわけではありませんわ』
『陽菜:ふーん?』
『栞:……本当に?』
『麗華:本当です!』
陽菜はスマートフォンを見ながら、楽しそうに笑った。
「麗華ちゃん、絶対に期待してるよね」
その頃、九条家の麗華は、ベッドの上でスマートフォンを握りしめていた。
「……まったく。陽菜も栞も、余計なことを」
しかし、彼女の頬はほんのりと赤かった。
そして、水野家の栞も、スマートフォンの画面を見つめながら小さく微笑んでいた。
旅行先で蓮と過ごす時間。
それを想像するだけで、胸が少しだけ温かくなる。
一方、西園寺家。
悠斗は自室で旅行用の荷物を整理していた。
着替え、洗面用具、必要な書類。
その横では、徹が荷物の確認を行っている。
「蓮様、こちらで必要なものは揃っております」
「ありがとう、徹」
悠斗はスーツケースを閉じた。
夏の旅行。
陽菜、麗華、栞と過ごす数日間。
きっと、賑やかで、楽しくて、少しばかり大変な時間になるだろう。
「……楽しみだな」
悠斗は小さく呟いた。
その言葉を聞いた徹は、穏やかな笑みを浮かべる。
「皆様も、きっと楽しみにしていらっしゃるでしょう」
「そうだといいな」
悠斗は窓の外を眺めた。
夏の空は、もうすぐそこまで来ていた。




