試験結果と近づく夏
七月上旬。
私立星嶺学園では、期末試験の結果が発表される日を迎えていた。
試験が終わってから数日間、落ち着かない様子で過ごしていた生徒たちも、今日ばかりは朝からそわそわしている。
一年一組でも、教室のあちこちで試験結果についての話題が飛び交っていた。
「もう駄目だ……」
悠斗の隣で、匠が机に突っ伏していた。
「まだ結果を受け取っていないだろ?」
「だからこそ不安なんだよ。結果を見るまでは、どんな悲劇だって想像できるからな」
「それはあまり健康的な待ち方じゃないと思うぞ」
「俺なりの精神防衛だ!」
陽菜が二人の会話を聞いて、くすりと笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、匠。きっと何とかなってるって」
「そうだといいんだけどな……」
「それに、ちゃんと最後まで頑張っていたでしょう?」
「陽菜……。お前の言葉だけで、少し救われた気がする」
「大げさだよ」
三人が話していると、教室の扉が開いた。
教師が一枚の書類を手に入ってくる。
それを見た瞬間、教室のざわめきが少しずつ収まっていった。
「おはよう。今日は期末試験の結果を返却する」
生徒たちの視線が一斉に教師へ集まる。
「すでに採点は終わっている。順番に返していくから、静かに受け取るように」
匠がゆっくりと顔を上げた。
「ついに来たか……」
悠斗は静かに息を吐いた。
これまでの数週間、彼は毎日勉強を続けてきた。
麗華から借りた資料を読み、陽菜と問題を解き、栞には苦手な数学を教えてもらった。
徹にも勉強の進め方を相談し、少しずつ自分の苦手分野を克服してきた。
もちろん、すべての問題に自信があるわけではない。
それでも、今できることはすべてやったつもりだった。
やがて教師が悠斗の机までやってくる。
「西園寺」
「はい」
受け取った成績表に目を通す。
数学はかなり良い結果だった。
英語も十分な点数を取れている。歴史と理科も問題なく、全体的に見れば優秀な成績だった。
完璧とまではいかなかったが、蓮としての評価を大きく損なうような結果ではない。
悠斗は胸をなで下ろした。
「よかった……」
「蓮、どうだった?」
隣から陽菜が顔を覗かせる。
「思っていたより良かったよ。これなら満足できそうだ」
「本当? よかったね!」
陽菜は自分のことのように喜んでくれた。
その後、陽菜も成績表を受け取った。
彼女は一つずつ点数を確認し、やがて嬉しそうに笑った。
「私も大丈夫だった!」
「おめでとう。かなり頑張っていたからな」
「ありがとう。蓮と一緒に勉強したおかげかも」
陽菜は照れくさそうに笑った。
その一方で、匠は成績表を両手で持ったまま固まっていた。
「……どうだった?」
悠斗が尋ねる。
「全部、合格していた」
「それはよかったじゃないか」
「でも、数学が……数学が……」
「何点だったんだ?」
匠はゆっくりと成績表を机に置いた。
「危なかった」
陽菜が覗き込む。
「あっ、でもちゃんと合格してるよ!」
「そうなんだ。俺はまだ生きているんだな……」
「大げさだな」
悠斗は苦笑した。
そこへ教師が声をかける。
「藤沢。次の試験では、もう少し余裕を持って合格できるように勉強しておくこと」
「はい……頑張ります」
匠は力なく返事をした。
それでも、無事に全科目を終えられたことに変わりはない。
教室には、安堵したような空気が広がっていた。
昼休み。
悠斗と陽菜は、廊下で麗華と合流していた。
麗華は一年二組で成績表を受け取ってきたところだった。
「蓮、陽菜。待たせたわね」
「ううん。ちょうど今来たところだよ」
陽菜が笑顔で答える。
「麗華はどうだった?」
「いつもどおりよ。特に問題はなかったわ」
麗華は手にしていた成績表をファイルにしまった。
「蓮は?」
「俺も大きな問題はなかったよ」
「そう。それならよかったわ」
麗華は小さくうなずいた。
「あなたが試験前に努力していたことは知っているもの。結果が伴っているなら、何よりね」
「ありがとう。麗華の資料にも助けられたよ」
「役に立ったのならよかったわ」
麗華は少しだけ視線をそらした。
陽菜が二人の顔を交互に見る。
「私も蓮の勉強を手伝ったんだからね!」
「もちろん。陽菜にも感謝しているよ」
「えへへ……」
陽菜は嬉しそうに笑った。
「私も頑張った甲斐があったな」
「二人とも、ありがとう」
悠斗が改めて礼を言うと、麗華は静かに微笑んだ。
「気にしなくていいわ。私たちも一緒に勉強できて楽しかったもの」
「うん。私も!」
三人の間に穏やかな空気が流れた。
そのとき、陽菜がふと思い出したように声を上げた。
「あっ、そうだ。試験が終わったら、ゆっくり過ごそうって約束したよね!」
「覚えているよ」
「本当に?」
「忘れるわけないだろ」
陽菜は満足そうにうなずいた。
「よかった。私、楽しみにしていたんだから」
「試験も終わったし、そろそろ予定を考えてもいいかもしれないな」
悠斗がそう言うと、陽菜の表情がぱっと明るくなった。
「じゃあ、今度一緒に考えようね!」
「そうだな」
その会話を聞いていた麗華が、少しだけ口を開いた。
「ところで、蓮は夏休みに何か予定があるの?」
「まだ特に決めていないよ。少し休んだり、知り合いと出かけたりするくらいかな」
「そうなのね」
麗華は何かを考えるように視線を落とした。
「麗華は?」
陽菜が尋ねる。
「私も、まだ具体的には決まっていないわ。家族と過ごす時間もあるでしょうし、少し遠出する可能性もあるけれど」
「いいなあ。私もどこかへ出かけたいな」
陽菜は楽しそうに言った。
「まだ時間はあるし、これから考えればいいんじゃないか?」
悠斗の言葉に、陽菜はうなずいた。
「そうだね!」
麗華も小さく微笑んだ。
「ええ。まだ十分に時間はあるわ」
ただし、彼女の胸の中には、すでに一つの考えが浮かび始めていた。
放課後。
悠斗は電子工作部の部室へ向かった。
扉を開けると、栞が机の上に成績表を置いていた。
「こんにちは、栞」
「蓮くん。こんにちは」
栞は顔を上げると、穏やかに微笑んだ。
「試験の結果はもう受け取った?」
「うん。数学はかなり良かったよ」
「それはよかった」
栞は自分の成績表を手に取った。
「私も、数学は満足できる結果だったの」
「栞なら大丈夫だと思っていたよ」
「どうして?」
「いつも丁寧に問題を解いているから」
「……ありがとう」
栞は少し照れたように笑った。
「蓮くんも、勉強を頑張っていたものね」
「栞に教えてもらったことも役に立ったよ」
「それなら、教えた甲斐があったかな」
「もちろん」
悠斗は机の上に置かれた小さなロボットに目を向けた。
「それで、次の計画はどうなった?」
「少しずつ準備しているところ。夏休みの間に、いくつか試してみたいことがあるの」
栞は楽しそうに説明を始めた。
小型の車両を使い、これまでよりも正確に動きを制御するための仕組みを考えているらしい。
まだ具体的な設計は完成していないが、必要な部品や試したい方法はいくつか決まっているという。
「面白そうだな」
「本当?」
「うん。完成したら、ぜひ見せてほしい」
「じゃあ、夏休み中に少しずつ進めてみるね」
栞は嬉しそうにうなずいた。
「必要なときは、手伝ってもらえると助かるな」
「もちろん。俺にできることなら協力するよ」
「ありがとう、蓮くん」
栞は少し間を置いてから、控えめに続けた。
「それと……夏休みの間も、時間があったら話をしよう?」
「いいよ」
「電子工作の話だけじゃなくて、普通の話も」
「もちろん。何でも話そう」
栞の頬がわずかに赤くなった。
「……うん。楽しみにしているね」
悠斗は優しく微笑んだ。
栞にとって、その言葉だけでも十分に嬉しかった。
彼女はまだ、自分の気持ちをはっきりと言葉にすることはできない。
それでも、蓮と過ごす時間をもっと増やしたいと思っていることだけは確かだった。
それから数日間、学園では前期最後の活動が続いた。
提出物の確認や教室の整理、各委員会からの連絡など、夏休みに入る前に済ませておかなければならないことは多かった。
そんなある日の放課後。
悠斗が帰り支度をしていると、匠が明るい表情で近づいてきた。
「蓮! 俺、夏休みの計画を立てたぞ!」
「どんな計画なんだ?」
「まずは寝る!」
「……それだけか?」
「いや、昼まで寝て、昼食を食べて、また寝る!」
「かなり充実しているな」
「だろ? 試験を乗り越えた俺には、それくらいの休息が必要なんだ!」
匠は胸を張った。
陽菜がその様子を見て笑う。
「それじゃあ、せっかくの夏休みがもったいないよ」
「そんなことはない。睡眠も立派な活動だ」
「でも、どこかへ出かけたりしないの?」
「友達と遊ぶくらいはするつもりだよ。ゲームもしたいしな」
匠は悠斗へ視線を向けた。
「それで、お前はどうするんだ?」
「俺はまだ決めていないよ」
「だったら、夏休みを楽しんだほうがいいぞ。せっかく長い休みなんだからな」
「そうだな。考えてみるよ」
陽菜がすぐに会話へ加わった。
「それなら、私たちも何か一緒にできたらいいね!」
「私たち?」
匠が聞き返す。
「うん。蓮と一緒に何かしたいなって」
「なるほど」
匠は何かを察したように笑った。
「じゃあ、俺は邪魔しないほうがいいか?」
「た、匠!」
陽菜の顔が赤くなる。
「冗談だよ、冗談!」
悠斗は苦笑した。
そこへ、ちょうど麗華がやってきた。
「何を騒いでいるの?」
「夏休みの予定について話していたんだ」
悠斗が答える。
「そう。もうそんな時期なのね」
麗華は静かにうなずいた。
「蓮は何か予定を決めたの?」
「まだだよ」
「そう……」
麗華は短く答えたあと、少しだけ考え込むように視線を落とした。
彼女には、伝えたいことがあった。
けれど、まだこの場で話すつもりはなかった。
「まあ、焦って決める必要はないわね」
「そうだな」
悠斗は特に疑問を抱くことなく答えた。
四人はそのまま少し雑談を交わし、それぞれ帰り支度を始めた。
その夜。
九条家の屋敷では、麗華が自室の机に向かっていた。
試験結果は問題なし。
提出物もすべて終わっている。
前期の予定も、残すところあとわずかだった。
それなのに、彼女は開いたままの本にまったく集中できずにいた。
視線が自然と、机の横に置かれたカレンダーへ向かう。
七月。
夏休みが近づいている。
麗華は頬杖をつき、小さく息を吐いた。
「……どうすればいいのかしら」
今日の昼休み、蓮と交わした会話を思い出す。
彼には、まだ夏休みの予定がない。
つまり、誘う機会はある。
けれど、どうやって誘えばいいのだろう。
一日だけ出かけようと誘う?
それとも、何か一緒に活動することを提案する?
あるいは……。
「いえ、まずは落ち着いて考えないと」
麗華は両手で頬を押さえた。
窓辺へ移動すると、庭の木々が夜風に揺れているのが見えた。
夏はもうすぐそこまで来ている。
その夏を、蓮と一緒に過ごしたい。
学校で会うだけではなく、もっと長い時間を共有したい。
一緒に出かけて、いろいろな話をして、何気ない時間を楽しみたい。
そう考えるだけで、胸の奥が少し温かくなる。
しかし、そこで麗華は別のことを思い出した。
陽菜のことだ。
そして、栞のことも。
二人とも蓮と親しくなっている。
陽菜は幼いころから蓮を大切に思っているし、栞も最近は以前より積極的に彼と話すようになった。
自分だけが誘うというのも、少し気が引ける。
「……三人とも一緒に誘ったほうがいいのかしら」
麗華は窓の外を見つめた。
もちろん、蓮と二人きりで過ごせる時間があれば嬉しい。
けれど、陽菜や栞と一緒に過ごす夏も、きっと楽しいものになるだろう。
それに、二人を誘わずに自分だけが蓮と出かけたと知れば、後で何を言われるか分からない。
「本当に、難しいわね……」
麗華は小さくつぶやいた。
それでも、胸の中にある願いは変わらなかった。
今年の夏は、蓮と一緒に過ごしたい。
そのために、そろそろ何か行動を起こさなければならない。
麗華は机へ戻り、スマートフォンを手に取った。
蓮とのメッセージ画面を開く。
短い文章を入力する。
『夏休みの予定について、少し話したいことがあるのだけれど』
しかし、送信する直前で指が止まった。
「……これでは、あまりにも唐突すぎるわ」
彼女は文章を消した。
もう一度入力する。
そして、また消す。
何度か繰り返したあと、結局スマートフォンを机に置いた。
「まだ早いわね」
麗華は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
夏休みが始まるまで、もう少し時間はある。
その間に、きちんと考えればいい。
彼女はもう一度カレンダーを見つめた。
夏は、すぐそこまで近づいていた。




