↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/55

幼馴染との休日

土曜日。


目を覚ました俺は、ベッドの上でしばらく天井を見つめていた。


今日は陽菜と出かける約束をしている。


学校では制服姿しか見たことがない。


だから、私服の陽菜がどんな感じなのか、少しだけ気になっていた。


「……それにしても」


俺はベッドから起き上がり、クローゼットを開ける。


そこには、俺が今まで見たこともないような服が並んでいた。


シャツ。


ジャケット。


パンツ。


ブランド物らしい靴。


どれも高そうだ。


「……普通の服はないのか?」


俺がそう呟いたところで、部屋のドアがノックされた。


「若様。お時間です」


神崎さんだった。


「今行きます」


俺は適当に服を選び、鏡の前に立った。


白に近い淡い色のシャツ。


落ち着いた色のパンツ。


シンプルなスニーカー。


できるだけ派手にならないようにしたつもりだ。


「……これでいいかな」


部屋を出ると、神崎さんが待っていた。


俺の服装を見ると、静かに頷く。


「問題ありません」


「本当ですか?」


「ええ。今日は学校ではありませんから、そこまで格式を意識する必要はありません」


「よかった……」


「ただし」


「また何かあります?」


「財布はお持ちですか?」


「……あ」


俺は慌てて確認した。


「持ってます」


「それなら結構です」


玄関へ向かう。


すると、いつもの黒い高級車が待っていた。


「これで行くんですか?」


「はい」


「電車じゃなくて?」


「本日は私が送ります」


「……」


まだ慣れない。


学校へ行くときもそうだったが、俺の以前の生活では考えられない移動手段だ。


車に乗り込む。


神崎さんが運転席に座り、ゆっくりと車を発進させた。


目的地へ向かう途中、俺は窓の外を眺めていた。


「神崎さん」


「はい」


「陽菜って……普段はどんな感じなんですか?」


「桜井陽菜様ですか」


「はい」


神崎さんは少し考えてから答えた。


「明るく、社交的な方です。ですが、若様の前では特に素直な一面が出るように思います」


「やっぱりそうなんだ」


「幼い頃から親しくされていましたから」


「……俺、ちゃんと話せるかな」


「問題ありません」


「でも、陽菜は蓮のことをずっと知ってるんですよ」


「だからこそ、無理に以前の若様を演じようとしないほうがいいでしょう」


「え?」


「彼女は、若様の細かな変化にも気づくでしょう。しかし、それをすべて説明する必要はありません」


神崎さんは前を向いたまま続ける。


「普段通りに接してください。彼女の話を聞き、自然に会話をしてください」


「……なるほど」


「それから」


「はい?」


「今日は、桜井様を楽しませてあげてください」


「楽しませる?」


「はい」


「どうやって?」


神崎さんは少しだけ笑った。


「それを考えるのも、友人との休日の楽しみではありませんか?」


「……確かに」


神崎さんらしい答えだった。


しばらくして、車が駅の近くに到着する。


「ここで大丈夫です」


俺がそう言うと、神崎さんは車を止めた。


「では、私は近くで待機しております」


「え?」


「必要になりましたら連絡してください」


「……本当に?」


「もちろんです」


俺は車から降りる。


そして駅前を見渡した。


すぐに彼女を見つけた。


「……陽菜」


淡い茶色の長い髪。


普段は制服に隠れている肩や腕が見える、涼しげな私服。


淡い色のトップスに、膝丈のスカート。


小さなバッグを肩から下げている。


学校では明るく元気な印象が強いけれど、私服になると少し大人びて見えた。


整った顔立ちと赤みのある茶色の瞳も相まって、かなり可愛い。


いや――


普通に、すごく可愛い。


俺が見つめていると、陽菜がこちらに気づいた。


「蓮!」


手を振りながら駆け寄ってくる。


「お待たせ!」


「いや、俺も今来たところ」


陽菜は俺の服装を見る。


「今日はいつもと違うね」


「陽菜も」


「私?」


「うん」


俺は少し迷った。


でも、思ったことをそのまま口にする。


「……似合ってる」


陽菜が止まった。


「え?」


「その服。すごく似合ってる」


陽菜の頬が少し赤くなる。


「そ、そう?」


「うん。可愛いと思う」


「……」


陽菜はしばらく黙っていた。


そして、顔を少し背ける。


「……ありがとう」


声が小さい。


俺は少し不思議に思った。


「どうした?」


「何でもない!」


陽菜は慌てて笑った。


「じゃあ、行こう!」


「うん」


こうして俺たちの休日が始まった。


最初に向かったのは、駅近くの大きな商業施設だった。


休日ということもあって、多くの人で賑わっている。


「ここ、よく来るの?」


「うん。友達とも来るよ」


「そうなんだ」


陽菜は楽しそうに店を見て回る。


アクセサリーショップ。


服屋。


雑貨店。


俺はその後ろを歩きながら、陽菜の様子を眺めていた。


学校では明るいけれど、こうして休日に一緒にいると、もっと普通の十五歳の女の子らしい部分が見えてくる。


「あっ!」


陽菜が突然立ち止まった。


「これ可愛い!」


ショーウィンドウに飾られていた小さなアクセサリーを見つめている。


「気に入った?」


「うん。でも、どうしようかな」


「買わないの?」


「うーん……」


陽菜は悩む。


俺は少し考えた。


「じゃあ、買えばいいんじゃない?」


「そんな簡単に言わないでよ」


「欲しいんだろ?」


「そうだけど……」


「ならいいじゃん」


陽菜は俺を見る。


「……蓮って、昔より大胆になったね」


「そうかな?」


「うん」


結局、陽菜はそのアクセサリーを買った。


店を出たあと、彼女は小さな袋を大事そうに持っている。


「ありがとう」


「俺は何もしてないけど」


「背中を押してくれたから」


「それくらいならいつでも」


陽菜は嬉しそうに笑った。


その後、俺たちはカフェへ入った。


席に座ると、陽菜がメニューを開く。


「何にする?」


「おすすめは?」


「え?」


「陽菜のおすすめ」


陽菜は少し考えた。


「じゃあ、これ」


「じゃあ、それにする」


「本当に?」


「うん」


「昔の蓮なら絶対自分で決めてたよ」


「……そうなんだ」


「うん。でも、今のほうが一緒にいる感じがする」


陽菜はそう言って笑った。


その言葉を聞いて、俺は少しだけ胸が温かくなった。


食事をしながら、俺たちはいろいろな話をした。


学校のこと。


クラスメイトのこと。


好きな食べ物。


最近見た映画。


そんな何気ない話ばかりだった。


でも、その時間は楽しかった。


カフェを出たあと、陽菜は少し遠くにある公園へ行こうと言った。


「ここ、覚えてる?」


公園に入ると、陽菜が周囲を見渡す。


「……懐かしい」


「来たことあるの?」


「うん」


陽菜は笑いながら歩いていく。


やがて一本の大きな木の前で立ち止まった。


「ここ」


「……」


「ここに昔、隠れてたんだよ」


俺は木を見上げた。


もちろん覚えていない。


でも、そんなことを言えるわけがない。


「……うん」


俺は頷いた。


「覚えてる」


嘘だった。


だけど、陽菜は疑わなかった。


「やっぱり覚えてたんだ」


嬉しそうに笑う。


「ここ、私たちの秘密基地みたいな場所だったんだよ」


「そうだったな」


俺は話を合わせる。


「二人で大人に見つからないように隠れてた」


「そうそう!」


陽菜が笑う。


「それで、蓮ったら途中でお腹空いたって言い出して」


「……」


「結局、見つかって怒られたんだよね」


「……俺が?」


「うん」


陽菜は楽しそうに笑う。


「最後は蓮がちゃんと怒られてた」


「……なるほど」


本当に何も覚えていない。


でも、陽菜が楽しそうなら、それでいいと思った。


しばらく公園を歩いたあと、陽菜がふと口を開いた。


「ねえ、蓮」


「ん?」


「私たちの家って、昔から仲良かったよね」


「うん」


「桜井家と西園寺家って、仕事でも関係があるし」


「そうだな」


これは事前に教えられていた情報だ。


だから、今度は迷わず答えられる。


陽菜は少し嬉しそうに笑った。


「私、二つの家族が仲良くしてるの、好きなんだ」


「そうなの?」


「うん」


少しだけ前を向きながら、陽菜が言う。


「だって、そのおかげで私たちもずっと一緒にいられたから」


そして、こちらを見る。


「それに……」


陽菜は柔らかく笑った。


「こうして昔から知ってる家同士で仲良くしていられることも嬉しいし、蓮みたいな幼馴染がいることも嬉しい」


「……陽菜」


「だから、これからもずっと友達でいてね」


俺は一瞬、言葉を失った。


本当なら、俺はその「幼馴染」ではない。


それでも。


「……もちろん」


そう答えた。


陽菜は満足そうに笑った。


「約束だからね」


「うん」


その後、俺たちはまた街へ戻った。


気づけば、夕方になっていた。


駅へ向かって歩いていると、黒い車がこちらへ近づいてくる。


「……あれ?」


車が俺たちの前で止まる。


後部座席のドアが開いた。


運転席から降りてきたのは神崎さんだった。


「お待たせいたしました、若様」


「神崎さん」


陽菜が目を丸くする。


「え……執事さん?」


「はい。神崎徹と申します」


神崎さんは丁寧に一礼した。


陽菜も慌てて頭を下げる。


「さ、桜井陽菜です」


「存じ上げております」


「……え?」


陽菜が少し驚く。


神崎さんは穏やかな表情で続けた。


「若様から、以前より何度もお名前を伺っております」


「蓮が……?」


陽菜が俺を見る。


俺は少し困った。


そんな話、事前に聞いていない。


「まあ……昔から知ってるから」


「そうですね」


神崎さんが意味深に頷く。


その後、陽菜を見て静かに言った。


「本日はお楽しみいただけましたか?」


「はい!」


陽菜が笑顔で答える。


「それは何よりです」


神崎さんは車のドアを開けた。


「お二人とも、どうぞ」


陽菜と俺が後部座席に乗る。


車内は静かで広い。


陽菜は少し緊張しているようだった。


俺が隣に座っているからなのか、それとも高級車に乗ること自体が珍しいのかは分からない。


しばらく走ったところで、陽菜が窓の外を見ながら言った。


「……すごい車だね」


「俺もまだ慣れない」


「蓮なのに?」


「俺だって慣れないものは慣れないよ」


陽菜が笑う。


「そっか」


その会話を聞きながら、神崎さんが前から口を開いた。


「若様」


「はい?」


「今日は、楽しそうでしたね」


「……まあ」


「桜井様も、とても嬉しそうでした」


俺は陽菜を見る。


確かに、彼女は楽しそうだった。


「神崎さん」


「はい」


「どうしてそんなことを言うんですか?」


「何がでしょう?」


「陽菜のこと」


神崎さんは少しだけ考えてから答えた。


「桜井様は、若様と過ごす時間を大切にされているように見えます」


「……」


「ですから、無理に何かを演じようとする必要はないかと」


俺は黙って聞く。


「彼女といるときは、彼女の話を聞いてあげてください。それだけでも十分です」


「……分かりました」


神崎さんはそれ以上何も言わなかった。


やがて車は駅へ戻ってきた。


「今日はありがとう」


陽菜が俺を見る。


「俺も楽しかった」


「本当?」


「本当」


陽菜は嬉しそうに笑う。


「じゃあ、また一緒に出かけようね」


「うん」


「約束」


「約束」


陽菜は車から降りる。


そして少し歩いたところで、振り返った。


「蓮!」


「ん?」


「今日は――」


陽菜は一瞬だけ迷う。


「……楽しかった!」


「俺も」


「じゃあ、また学校で!」


「うん」


陽菜は手を振りながら歩いていった。


俺はその姿が見えなくなるまで見送った。


車に戻る。


ドアが閉まる。


静かな車内で、俺は小さく息を吐いた。


「……楽しかったな」


神崎さんがバックミラー越しに俺を見る。


「それは何よりです」


「でも、なんか変な感じです」


「何がでしょう?」


「俺は本当は蓮じゃないのに……」


言葉が止まる。


今日一日。


陽菜と話して、笑って、歩いて。


まるで本当に昔からの友達だったような気がした。


「……俺、このままでいいのかな」


神崎さんはすぐには答えなかった。


そして、静かに言った。


「少なくとも、本日のあなたは誰かを傷つけようとしていたわけではありません」


「……」


「それに、桜井様は今日、とても楽しそうでした」


俺は窓の外を見る。


夕暮れの街が流れていく。


「……そっか」


今日一日だけは。


俺は「偽物の御曹司」ではなく。


ただの一人の少年として、陽菜と休日を過ごせた気がした。


そして――


陽菜もまた、今日の帰り道で何度もスマートフォンを眺めていた。


今日撮った写真。


買った小さなアクセサリー。


そして、最後に見た悠斗――いや、「蓮」の笑顔。


「……また一緒に行きたいな」


陽菜は小さく呟いた。


その気持ちが何を意味するのか。


今の彼女には、まだ分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。