幼馴染と過ごす、何気ない一日
二日目の登校。
昨日と比べれば、少しだけ学校にも慣れてきた気がする。
もちろん、まだ緊張はしている。
今まで通っていた学校とは、何もかもが違う。
生徒たちの雰囲気も、校舎も、設備も、そして周囲から向けられる視線も。
それでも、一日を過ごしたことで、少しだけこの環境が分かってきた。
「おはよう、蓮」
教室へ入ったところで、聞き慣れ始めた声がした。
振り向くと、陽菜がこちらへ歩いてくる。
「おはよう、陽菜」
「……今日は普通に返してくれたね」
「昨日も普通だっただろ」
「昨日は、ちょっと考えてから返事してたじゃん」
「そんなに分かりやすかった?」
「うん」
陽菜は楽しそうに笑った。
どうやら、この子には誤魔化しがあまり通用しないらしい。
俺は自分の席に座り、鞄を机の横に置く。
陽菜も近くの席に座った。
「昨日、家に帰ってから何してたの?」
「勉強とか」
本当は、屋敷に戻ってから神崎さんと今日の予定を確認したり、西園寺家について復習したりしていた。
でも、それをそのまま話すわけにはいかない。
「そっか。真面目だね」
「陽菜は?」
「私は普通に宿題してたよ」
「普通なんだ」
「何、その言い方」
陽菜が頬を膨らませる。
その表情を見て、俺は思わず笑った。
「何?」
「いや……」
こういうやり取りは、妙に楽しい。
昨日までは、陽菜と話すたびに「蓮ならどうする?」と考えていた。
でも今日は、昨日より少しだけ自然に話せている。
「……なんか、今日の蓮は楽しそう」
陽菜がそう言った。
「そう?」
「うん」
「学校に慣れてきたからかな」
「それならよかった」
陽菜は嬉しそうに笑った。
午前中の授業が終わる。
休み時間になったところで、陽菜が俺の机の前にやってきた。
「ねえ、蓮」
「何?」
「今日、放課後って予定ある?」
俺は少し考える。
「特にないけど」
「じゃあ、一緒に図書室行かない?」
「図書室?」
「うん。返さなきゃいけない本があるの」
「それだけ?」
「それだけ」
拍子抜けするような理由だった。
でも、断る理由もない。
「いいよ」
「本当?」
「うん」
「じゃあ決まり!」
陽菜は嬉しそうに笑った。
放課後。
俺たちは一緒に図書室へ向かった。
校舎の奥にある図書室は、かなり広かった。
壁一面に本棚が並び、窓から差し込む夕方の光が床を照らしている。
「ここ、結構広いな」
「でしょ?」
陽菜は慣れた様子で本棚の間を歩いていく。
「蓮、昔からここ好きだったじゃん」
「そうなの?」
「うん」
陽菜は振り返った。
「二人でよく来たよ」
「へえ……」
また知らない思い出だ。
でも、こうして陽菜から話を聞くことで、少しずつ蓮という人間のことが分かってくる。
陽菜は本棚から一冊の本を取り出した。
「あっ……これ、懐かしい」
「知ってる本?」
「うん。小学生の頃、蓮と一緒によく読んでたんだ」
陽菜は本の表紙を眺めながら、懐かしそうに笑った。
「この本、どっちが先に読み終わるか競争したの覚えてる?」
「……ごめん。そこまでは覚えてない」
「そっか」
陽菜は少しだけ寂しそうにしたが、すぐに笑った。
「じゃあ、私が教えてあげる」
「え?」
「私たち、昔からこういう本を読むのが好きだったんだよ。それで、いつもどっちが先に読み終わるか競争してたの」
「それで、どっちが勝ってたんだ?」
「私」
「毎回?」
「毎回」
陽菜は得意げに胸を張った。
「蓮、読むの遅かったから」
「……それ、本当に俺の話?」
「本当だよ」
陽菜は楽しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、俺まで自然と笑ってしまった。
こうしていると、本当に普通の友達同士みたいだった。
少なくとも、俺にはそう感じられた。
図書室を出たあと、俺たちは校舎の廊下をゆっくり歩いた。
「ねえ、蓮」
「ん?」
「最近、ちょっと変わったよね」
また、その話か。
俺は少し身構える。
「悪い意味?」
「ううん」
陽菜は首を横に振った。
「前より話しやすくなった」
「そうかな」
「うん」
少し考えてから、陽菜は続けた。
「前の蓮って、もっと何でも一人で考えてた感じがした」
「……」
「何かあっても、自分だけで解決しようとするっていうか」
それは、神崎さんから聞いた蓮の性格とも一致していた。
「でも今は、ちゃんと話してくれる」
陽菜がこちらを見る。
「私は今のほうが好き」
「……」
また、その言葉だった。
俺は返事に困ってしまう。
陽菜はそんな俺を見て、少し笑った。
「変な意味じゃないよ?」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
「ならいいけど」
陽菜は前を向いた。
しばらく歩いたあと、彼女がふと思い出したように口を開く。
「そういえば、蓮」
「何?」
「今度の休み、暇?」
「今度の休み?」
「うん」
「たぶん……」
俺は少し考えた。
屋敷での予定を確認する必要はある。
でも、学校での生活を自然にするためにも、休日に友人と過ごすことは悪くない。
「暇だと思う」
「じゃあ、一緒に出かけない?」
「どこに?」
「まだ決めてない」
「決めてないのに誘ったの?」
「うん」
陽菜は悪びれずに笑う。
「だって、蓮とどこか行きたかったから」
「……そういうものなのか?」
「そういうものだよ」
陽菜は楽しそうだった。
俺も自然と笑ってしまう。
「じゃあ、いいよ」
「本当?」
「うん」
「やった!」
陽菜が小さくガッツポーズをする。
その反応があまりにも素直で、俺はまた笑った。
「そんなに嬉しい?」
「嬉しいよ」
陽菜は即答した。
「だって、最近ずっと蓮とゆっくり話せてなかったから」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ胸が痛くなった。
彼女にとっては、俺はずっと知っている幼馴染。
でも俺にとっては、彼女は出会ったばかりの少女だ。
それなのに。
こうして話している時間は、思った以上に心地よかった。
「……分かった」
「何が?」
「俺も楽しみにしてる」
陽菜は一瞬だけ驚いた顔をした。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「うん!」
校門まで歩いたところで、陽菜が立ち止まった。
「じゃあ、また明日ね」
「うん。また明日」
「絶対来てよ?」
「学校を休む予定はないよ」
「そうじゃなくて!」
陽菜が笑う。
「明日も一緒にお昼食べようってこと」
「ああ、それならもちろん」
「約束ね」
「約束」
陽菜は満足そうに頷いた。
そして、そのまま歩いていく。
俺はその背中を見ながら、小さく息を吐いた。
二日目。
昨日よりずっと疲れなかった。
むしろ――
「……楽しかったな」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
西園寺蓮として学校へ通う。
それは本来、祖父のために始めた仕事だった。
だから、楽しいなんて思ってはいけないのかもしれない。
でも。
少なくとも今日一日は、嘘をついていることを忘れられるくらい楽しかった。
一方、その頃。
陽菜も帰り道で今日のことを思い返していた。
「……やっぱり、変わったな」
以前の蓮とは違う。
だけど、その変化が嫌なわけではない。
むしろ――
もっと話したい。
もっと一緒にいたい。
そんな気持ちが少しずつ強くなっている。
「明日は何を話そうかな」
陽菜は小さく笑った。
まだ本人にも、その気持ちが何なのかは分からない。
ただ、幼い頃から知っている大切な幼馴染と、もう一度新しい関係を築いている。
そんな感覚だけがあった。




