未来をつなぐ電子工学部
文化交流祭の準備が本格的に始まった翌日の放課後。
私立星嶺学園の電子工学部では、いつも以上に活気のある声が響いていた。
コンコン。
蓮が部室の扉をノックすると、すぐに中から返事があった。
「はーい!」
扉を開けて顔を出したのは、藤沢匠だった。
「あ、西園寺! ちょうどいいところに来たな!」
匠は嬉しそうに蓮を迎え入れた。
「今日はずいぶん元気だね。何かあったの?」
「何かあったどころじゃないぞ! 今日は『Mirai Link』の基本構造を完成させる予定なんだ!」
匠は部室の中央にある机を指さした。
そこには小型ロボットの部品や配線、基板、工具が所狭しと並んでいた。周囲では、栞を中心に部員たちがそれぞれの作業を進めている。
「西園寺くん、こんにちは」
最初に気づいた水野栞が、作業の手を止めて微笑んだ。
以前なら、人が来るたびに緊張していた彼女も、今では自然に挨拶ができるようになっている。
「こんにちは、栞。みんな、ずいぶん進んでいるみたいだね」
「はい。昨日、みんなで作業の分担を決めたんです」
栞は机の上に広げていた設計図を手に取った。
「今回の企画は、ただロボットを走らせるだけじゃありません。文化交流祭に来てくださる方々に、自分で考えて、実際に動かしてもらう体験を提供したいんです」
彼女が指さしたのは、複数の分岐があるコースの図だった。
「来場者がこのパネルで進みたい方向を選ぶと、ロボットがその指示に合わせて走行ルートを変更します。選んだ道によって、目的地までの進み方も変わるんです」
「つまり、見ているだけじゃなくて、自分で参加できるわけか」
「はい。子どもから大人まで、電子工学に詳しくない方でも楽しめるものにしたいんです」
説明する栞の声には、はっきりとした熱意があった。
蓮は思わず笑みを浮かべた。
「いい企画だと思う。栞らしいね」
「えっ……わ、私らしい、ですか?」
「うん。自分が好きなものを、ほかの人にも知ってほしいんだろ?」
栞は一瞬、言葉を失った。
それから、頬を少し赤くしながら小さくうなずく。
「……はい。私の好きなものを、誰かにも好きになってもらえたら、すごく嬉しいですから」
「なら、きっと伝わるよ」
その言葉を聞いた栞の表情が、ふわりと明るくなった。
「ありがとうございます、蓮くん」
すぐそばで作業していた秋山美緒が、ぴくりと反応した。
「……あれ? 栞先輩、今の呼び方、すごく自然でしたね?」
「えっ?」
「蓮くん、って」
「そ、それは……この前から、そう呼ぶことになったから……!」
栞は慌てて設計図で顔の下半分を隠した。
橘優奈も、楽しそうに身を乗り出す。
「へえー。栞先輩、ずいぶん仲良くなったんですね」
「ち、違うの。そういう意味じゃなくて……!」
「まだ何も言ってないですよ?」
「優奈さん……!」
栞の抗議に、部室に笑い声が広がった。
蓮は苦笑しながら、そっと話題を変えた。
「それで、僕は何を手伝えばいい?」
「ありがとうございます。では、まず匠くんの作った走行制御プログラムを確認していただけますか?」
栞が頼むと、匠はノートパソコンを抱えてやってきた。
「任せてください! とはいっても、まだ試作段階なんですけどね。ロボットが線を読み取って進むところまではできました。でも、分岐点で指示を受け取ってから方向を変える処理が、少し不安定なんです」
「なるほど。じゃあ、実際に動かしながら確認しよう」
蓮はパソコンの画面をのぞき込んだ。
プログラムそのものを一から書けるほど、彼に専門知識があるわけではない。それでも、問題が起きたときに慌てず、どこで動作が変わったのかを順番に確認することはできる。
それは、これまでの生活で身につけた癖だった。
失敗すれば、材料も時間も無駄になる。だからこそ、原因を見つけるまでは簡単に諦めない。
「一度、分岐点の直前から動かしてみよう。指示を受け取るタイミングと、センサーが反応するタイミングを別々に確認したい」
「分かりました!」
匠が操作すると、小型ロボットがコースを走り始めた。
直線を進み、最初の分岐点へ。
ところが、右へ進む指示を受け取ったはずのロボットは、一瞬停止したあと、左側へと曲がってしまった。
「ああっ! まただ!」
匠が頭を抱える。
「プログラムの指示が逆になっているのでしょうか?」
中村康平が、ロボットの車体を持ち上げながら尋ねた。
「いや、指示そのものは合っているはずなんだ。昨日はちゃんと動いたし……」
「昨日と今日で変えたところは?」
蓮が尋ねると、匠は画面を見直した。
「分岐点で止まる時間を短くしました。来場者が何度も操作することになるので、待ち時間を減らしたかったんです」
「なら、そこが関係しているかもしれない」
蓮は決めつけず、栞に視線を向けた。
「栞、センサーの反応は記録できている?」
「はい。少し待ってください」
栞は記録データを呼び出し、画面を確認した。
「……あっ。指示を受け取った直後に、分岐点のセンサーがもう一度反応しています」
「二重に読み取っているってことか?」
康平が車体を机に戻す。
「たぶん。停止時間を短くしたことで、最初の指示を処理し終える前に、次の判定が始まっているんだと思います」
匠はすぐにプログラムを修正しようとしたが、栞がそっと手を挙げた。
「待ってください。まず、指示を受け取った後に一度だけ判定するようにして、それからセンサーが反応する間隔を確認しましょう。原因が分からないまま複数の場所を変えると、どこが問題だったのか分からなくなりますから」
「……そうだな。焦ってた。ごめん」
「謝らなくて大丈夫です。私も一緒に確認しますから」
匠が修正を加え、再びロボットを走らせる。
今度は分岐点の手前で速度が落ち、右への指示を受け取ったロボットが、正しい方向へ曲がった。
「よしっ! 成功だ!」
匠が拳を握る。
優奈も両手を叩いて喜んだ。
「やった! これなら見ている人も楽しめそうですね!」
「まだ一つ目の分岐だけだよ。次はコース全体で確認しないと」
栞はそう言いながらも、嬉しそうに微笑んでいた。
蓮はその姿を見て、少しだけ胸が温かくなった。
以前の栞なら、失敗した瞬間に自分のせいだと思い込み、誰にも相談できずに抱え込んでいたかもしれない。
けれど今は違う。
問題が起きても、仲間と一緒に原因を探している。
「栞、いい判断だったと思うよ」
「……蓮くんが、みんなで確認しようって言ってくれたからです」
「僕はきっかけを作っただけだよ。解決したのは、みんなの力だ」
蓮がそう答えると、栞は少し考えてからうなずいた。
「……はい。だからこそ、みんなで完成させたいです」
その言葉に、部員たちも自然と顔を見合わせた。
藤沢匠は走行制御を担当し、中村康平は車輪やモーターなどの機構を調整する。橘優奈は来場者が触れる操作パネルやロボットの外装を考え、秋山美緒は初めて参加する人にも分かりやすい案内や体験の流れを整理していた。
そして栞は、それらを一つの企画としてまとめる。
誰か一人がすべてを抱えるのではなく、それぞれの得意分野をつなぎ合わせる。
それが、Mirai Linkという名前に込めた意味だった。
「ところで、栞先輩」
作業の合間、美緒が設計図をのぞき込んだ。
「これ、来場者が選べるルートをもっと増やしたら、難易度も変えられませんか?」
「難易度?」
「はい。最初は簡単なコースで、慣れたら分岐を増やすんです。小さい子でも楽しめるし、機械が好きな人は難しいコースに挑戦できます」
「それはいい考えですね!」
栞の目が輝いた。
「でも、ルートを増やすと、制御の確認も必要になります。匠くん、追加した場合のプログラムを検討できますか?」
「もちろん! 面白くなってきた!」
「私はコースの見た目を考えますね。選んだルートが分かりやすいように、色やマークも使いましょう」
優奈がすぐに提案する。
「機構側も、コースを変更しやすいように作り直せると思います」
康平も頷いた。
美緒は少しだけ胸を張った。
「じゃあ私は、初めて来た人が迷わない説明パネルを作ります。電子工学を知らない人でも、見れば遊び方が分かるようにしたいです」
「みんな……」
栞は部員たちを見つめた。
自分が大切にしてきた電子工学を、こんなにも真剣に考えてくれる人たちがいる。
それが嬉しくて、少しだけ目頭が熱くなった。
しかし、今度は涙をこらえて俯いたりしなかった。
「ありがとうございます。私も、みんなの期待に応えられるように頑張ります」
「栞先輩だけが頑張るんじゃないですよ」
優奈がすぐに言った。
「私たちも一緒ですから」
「そうそう。部長が一人で全部やる部活なんて、つまらないですからね」
匠が笑う。
「……匠くん、それは少し言い方が悪いです」
「えっ、そうか?」
「ふふっ」
栞が小さく笑うと、部室はまた明るい笑い声に包まれた。
その光景を見ながら、蓮はふと思った。
自分は今、この場所で仲間たちと時間を過ごしている。
栞が少しずつ変わっていく姿も、部員たちが自分の役割を見つけていく様子も、目の前にある確かなものだ。
だからこそ、自分にできることを探したい。
彼らが自分たちの力で完成させようとしているものを、余計な手出しで奪わないように。
そして、必要なときには支えられるように。
「西園寺くん?」
栞に呼ばれ、蓮は顔を上げた。
「どうしたの?」
「次は、実際に来場者が操作することを想定して試したいんです。よかったら、初めて触る人の役をお願いできますか?」
「もちろん。僕でよければ」
「ありがとうございます。では、このパネルから進みたい方向を選んでください」
蓮は説明書を読まず、パネルの前に立った。
右、左、直進。
簡単な操作に見えるが、選択肢の意味が少し分かりにくい。
「……なるほど。初めてだと、どこを押せばいいか迷うかもしれないね」
「やっぱりそうですか?」
「うん。でも、選ぶ楽しさはあるよ。説明を少し整理すれば、もっと分かりやすくなると思う」
美緒がすぐにメモを取った。
「ありがとうございます。初めての人の意見は大事ですね!」
「それに、実際に遊んでみると、思っていたより面白い。自分の選択でロボットの動きが変わるのは、見ているだけとは違うから」
栞は嬉しそうに微笑んだ。
「それが、この企画で一番伝えたいことなんです」
彼女は走行コースを見つめた。
「小さな選択でも、その先の道は変わります。だから、自分で考えて選ぶことを楽しんでほしいんです」
その言葉を聞き、蓮は一瞬だけ息を止めた。
自分も今、選択を迫られている。
この先、どこへ進むべきなのか。
いつか本当の自分を取り戻すとき、自分はどんな顔でその未来に向き合うのだろう。
答えはまだ分からない。
けれど、選択することから逃げたくはなかった。
「……いい言葉だね、栞」
「えっ?」
「その考え方、僕は好きだよ」
栞の頬が、ほんのりと赤く染まった。
「……ありがとうございます、蓮くん」
今度は、美緒も優奈もからかわなかった。
二人は目を合わせ、そっと微笑むだけだった。
窓の外では、夕日が校舎を橙色に染め始めていた。
文化交流祭まで、残された時間は多くない。
これからも予想外の問題は起こるだろう。完成までには、何度も試行錯誤を繰り返す必要がある。
それでも、部員たちはもう一人ではなかった。
小さなロボットが、再びコースを走り出す。
今度は、いくつもの分岐を迷いなく進んでいった。
「よし! 次はコースを増やしてみよう!」
「匠くん、先に今の走行記録を保存してください!」
「分かってるって!」
「康平くん、車輪の調整はどうですか?」
「もう少しで終わる。外装の幅が決まったら、最後の確認をするよ」
「優奈さん、パネルの色はこの組み合わせでどうでしょう?」
「いいですね! でも、もう少し明るくしたいかも!」
部室に響く声を聞きながら、栞は満足そうに笑った。
自分が大切にしてきた場所。
かつては、誰にも理解されないと思っていた場所。
今では、仲間たちと未来を作る場所になりつつあった。
そして蓮もまた、その光景を静かに見守っていた。
文化交流祭で彼らがどんな成果を見せるのか。
それは、まだ誰にも分からない。
けれど少なくとも、Mirai Linkは確実に一歩ずつ前へ進んでいた。




