↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/57

心を傷つける言葉

翌日。


栞は、いつもより少し早く学校に来ていた。


肩に鞄を掛け、両腕で一冊のファイルを抱えている。


中には、電子工学部の新しい勧誘用チラシと、これまでに作った作品の写真が入っていた。


昨日の勧誘は、思うような結果にはならなかった。


それでも、栞はもう一度挑戦しようと決めていた。


(今度こそ、もう少し上手に話せるようになりたい……)


蓮に言われた言葉を思い出す。


興味を持ってくれる人を探せばいい。

そして、自分が電子工学を好きな理由を、自分の言葉で伝えればいい。


栞は小さく深呼吸した。


まだ、知らない人と話すのは怖い。


けれど、以前のように、最初から諦めてしまうつもりはなかった。


教室に入ると、栞は自分の席に座り、ファイルから資料を取り出した。


そこには、小型ロボットの写真が印刷されている。


障害物を感知すると、自動で方向を変えるロボット。


何度も失敗しながら、ようやく完成させた大切な作品だった。


栞が説明文を読み直していると、隣の席に一人の女子生徒がやってきた。


「おはよう、水野さん」


「お、おはようございます……」


突然話しかけられ、栞は少し緊張した。


女子生徒は机の上の資料に目を向ける。


「ねえ、これって電子工学部の勧誘用?」


「は、はい!」


「昨日、掲示板で見たんだ。こっちのロボットも水野さんが作ったの?」


「はい。これは、近接センサーを使って障害物を検知して、マイコンに書き込んだプログラムでモーターを制御する仕組みで……」


そこまで話して、栞ははっとした。


(ま、また説明しすぎちゃった……!)


「ご、ごめんなさい。私、つい……」


「ううん。大丈夫だよ」


女子生徒は笑った。


「プログラミングって難しいの?」


「最初は少し難しいかもしれません。でも、簡単なものから始めれば大丈夫です。少しずつ覚えていけば、いろいろなものを作れるようになります」


「へえ……」


女子生徒は興味深そうに写真を眺めた。


「なんだか面白そうだね。時間があったら、一度見に行ってみようかな」


「ほ、本当ですか?」


「うん。入部するかは分からないけど、実物を見てみたいし」


「ぜひ、来てください!」


思わず声が大きくなった。


女子生徒は少し驚いたあと、楽しそうに笑った。


「分かった。またね、水野さん」


「は、はい!」


女子生徒が自分の席に戻っていく。


栞はしばらく、その背中を見つめていた。


(……話せた)


正式に入部してくれると決まったわけではない。


それでも、誰かが自分の作品に興味を持ってくれた。


それが嬉しかった。


栞はファイルを胸元に引き寄せ、そっと笑った。


(この調子で、頑張ろう)


しかし、その小さな喜びは長く続かなかった。


昼休み。


栞は廊下の掲示板に、新しいチラシを貼っていた。


許可された場所に一枚ずつ、丁寧に貼り付けていく。


最後の一枚を貼り終えたとき、背後から男子生徒たちの声が聞こえた。


「なあ、あれが電子工学部の子じゃないか?」


「そうそう。新入部員を募集してるっていう」


栞は手を止めた。


振り返ると、見覚えのある上級生が三人、こちらを見ていた。


「まだあの部活、残ってたんだな」


「部員がいないんだろ? そりゃ、廃部寸前にもなるよな」


「まあ、仕方ないんじゃないか?」


一人が笑いながら言った。


「だって、あの子、まともに人と話せないんだろ?」


栞の指先がぴくりと動いた。


(……私のこと?)


聞き間違いだと思いたかった。


けれど、三人の視線は明らかに自分に向けられていた。


「機械相手なら、好きなだけ話せるんじゃないか? 相手は逃げないしな」


「ははっ、それは言えてる」


笑い声が廊下に響く。


栞は視線を落とした。


(気にしちゃ駄目……)


ただの冗談だ。


自分に向けられた言葉ではないと思えばいい。


そう考えて、何も言わずに立ち去ろうとした。


しかし、そのうちの一人がさらに口を開いた。


「そもそも、自分の友達も作れないのに、どうして他人を部活に誘えるんだろうな?」


足が止まった。


「……っ」


「ずっと一人でいるって聞いたぞ。中学の頃から友達がいなかったんだって?」


「それで今度は、部員がいないから誰かに入ってほしいって? 都合がよすぎないか?」


栞は唇を噛んだ。


言い返さなければ。


そんなことを言う権利はないと、ちゃんと伝えなければ。


頭では分かっている。


けれど、口を開こうとしても、声が出なかった。


「……わ、私は……」


ようやく出た声は、自分でも驚くほど小さかった。


「ん? 何だって?」


男子生徒の一人が、わざと耳に手を当てる。


「もっと大きな声で話してくれよ。聞こえないんだけど?」


別の男子生徒が笑った。


「無理だろ。人と話すのが苦手なんだから」


再び笑い声が響く。


栞は俯いた。


指先が震えている。


手に持っていたファイルが、くしゃりと音を立てた。


「……やめて、ください」


かすれた声だった。


「え?」


「……そういうこと、言わないでください……」


勇気を振り絞って口にした。


けれど、男子生徒たちは反省するどころか、顔を見合わせた。


「何だよ。怒ったのか?」


「冗談だろ。そんなに真に受けるなよ」


「それとも、図星だったから怒ってるのか?」


その言葉を聞いた瞬間、栞の胸が締め付けられた。


図星。


本当に、そうなのだろうか。


自分は人と話すことが苦手だ。


友達を作ることも、誰かの輪に入ることも、ずっと苦手だった。


だから、こうして笑われても仕方がないのだろうか。


(……違う)


そう思いたかった。


でも、心のどこかで、彼らの言葉を否定できない自分がいた。


(私が……もっと普通だったら)


(もっと上手に話せていたら……)


(こんなこと、言われなかったのかな……)


頭の中に、昔の記憶が浮かび上がる。


中学生の頃。


クラスメイトたちは、放課後になると楽しそうに話していた。


好きな服のこと。


化粧品のこと。


アクセサリーのこと。


栞も、その輪に入りたかった。


みんなと同じように笑って、同じように話してみたかった。


けれど、何を話せばいいのか分からなかった。


勇気を出して近づいても、声をかけるタイミングがつかめない。


ようやく口を開いても、言葉が出てこない。


そうしているうちに、会話は終わってしまう。


一度だけ、思い切って話しかけたこともあった。


けれど、緊張しすぎて何も言えず、気まずい空気に耐えられなくなって、その場から逃げてしまった。


それ以来、誰かに話しかけることが、ますます怖くなった。


気づけば、いつも一人でいるようになっていた。


そして、そんな自分を変えたいと思いながらも、何もできないまま時間だけが過ぎていった。


(……また、同じだ)


胸の奥が痛い。


(私、変わっていないのかな……)


昨日、蓮や陽菜、麗華と一緒に笑ったこと。


自分の作ったロボットを見てもらったこと。


誰かに興味を持ってもらえたこと。


あれは、ほんの一瞬の出来事だったのだろうか。


結局、自分は何も変わっていないのだろうか。


「……おい、聞いてるのか?」


男子生徒の声で、栞は我に返った。


「そんなに部活を残したいなら、まず自分の性格をどうにかしたらどうだ?」


「人を勧誘する前に、自分がまともに会話できるようになれよ」


その瞬間、栞の目に涙が浮かんだ。


泣きたくなかった。


絶対に、泣きたくなかった。


ここで泣けば、きっとまた笑われる。


そう分かっていたから、必死に目を見開いた。


けれど、涙はこぼれそうになっていた。


「……っ」


栞は慌てて顔を伏せた。


手元から何枚かのチラシが滑り落ち、床に散らばる。


「……あ」


拾わなければ。


そう思ってしゃがみ込んだ。


しかし、震える指先は思うように動かなかった。


ようやく一枚を拾い上げる。


そこには、自分が作った小型ロボットの写真があった。


何度も失敗して、何度もやり直して、ようやく動かせるようになった大切な作品。


電子工学が好きだった。


本当に、大好きだった。


それだけは、誰にも否定されたくなかった。


「……私は……」


声が震える。


「私は、ただ……」


続きが出てこなかった。


男子生徒たちは、そんな栞を見下ろしていた。


「……もういいだろ。行こうぜ」


一人がそう言って歩き出す。


「そうだな。こんなところにいても仕方ないし」


三人は笑いながら去っていった。


栞は、その場にしゃがみ込んだまま動けなかった。


しばらくして、ようやく最後のチラシを拾い集める。


指先で、くしゃくしゃになった紙を丁寧に伸ばした。


「……大丈夫」


誰に聞かせるでもなく、そう呟く。


「……大丈夫だから」


涙をこぼさないように、何度も瞬きをした。


大丈夫。


気にしなければいい。


彼らの言葉なんて、忘れてしまえばいい。


そう自分に言い聞かせた。


けれど、胸の痛みは消えなかった。


栞はチラシをファイルにしまい、誰もいない廊下へと歩き出した。


窓際まで来ると、立ち止まって深呼吸する。


何度も息を吸って、ゆっくり吐いた。


「……私は、諦めない」


声は小さかった。


それでも、確かに口にした。


電子工学部は、自分にとって大切な場所だ。


誰かと上手に話せなくても、ここにいるときだけは、自分を好きでいられた。


だから、手放したくなかった。


蓮たちが協力してくれたことも、無駄にしたくなかった。


そう思って、もう一度ファイルを抱きしめる。


しかし、心の奥では、あの言葉が何度も繰り返されていた。


――自分の友達も作れないのに、どうして他人を部活に誘えるんだ?


――自分の性格をどうにかしたらどうだ?


栞は目を閉じた。


(……どうして、こんなに苦しいんだろう)


答えは分かっていた。


本当は、自分だって友達が欲しかったからだ。


誰かと一緒に笑いたかった。


好きなことを話して、相手の好きなことも聞いて、放課後を一緒に過ごしてみたかった。


ずっと、そう願っていた。


それなのに。


(……また、一人に戻っちゃうのかな)


そんな考えが頭をよぎった。


栞は慌てて首を横に振る。


違う。


昨日までとは違う。


今の自分には、蓮がいる。


陽菜がいる。


麗華もいる。


三人とも、自分を友達だと言ってくれた。


だから、きっと大丈夫。


そう信じたかった。


昼休みが終わる前に、栞は電子工学部の部室へ向かった。


扉の向こうから、楽しそうな声が聞こえる。


「それなら、ロボットが障害物を避けるところを見せた方が分かりやすいんじゃない?」


「そうですね。実際に動くところを見せれば、興味を持ってくれる人も増えるはずです」


「じゃあ、明日は二台使ってみようか」


蓮と陽菜、麗華の声だった。


栞は扉の前で立ち止まった。


本当は、今すぐにでも話したかった。


今日、何があったのか。


どんな言葉を投げつけられたのか。


どれだけ悲しかったのか。


全部、聞いてほしかった。


けれど、扉を開けようとした手が止まる。


(……心配させたくない)


せっかく三人が協力してくれているのに、こんなことで迷惑をかけたくなかった。


自分が弱いせいで、みんなに気を遣わせたくなかった。


栞は目元をそっと拭い、何事もなかったように扉を開けた。


「……こんにちは」


「あ、栞ちゃん!」


陽菜が笑顔で振り返る。


「ちょうどよかった! 今、明日のデモについて話してたんだよ」


「そうなんですね……」


「栞、少し相談したいことがあるんだけど、いいか?」


蓮が声をかける。


「……はい」


栞はファイルを机の上に置いた。


「……何でも聞いてください」


いつもと同じように答えたつもりだった。


けれど、声が少し震えてしまった。


蓮はその変化に気づいた。


いつもなら、電子工学の話になると、栞はもっと生き生きと話す。


目を輝かせて、自分の作ったものについて説明してくれる。


それなのに、今日は違った。


表情が暗い。


視線も、ほとんど合わない。


そして、何より――。


栞は、笑っていなかった。


(……何かあったのか?)


蓮は、そっと眉を寄せた。


今すぐ問い詰めるつもりはなかった。


ただ、放っておくこともできなかった。


だから、心の中で決めた。


あとで二人きりになれたら、必ず聞こう。


栞が何かに苦しんでいるのなら、力になりたい。


友達なのだから。


一方、栞は三人に気づかれないように、必死で平静を装っていた。


誰にも心配をかけたくない。


誰にも迷惑をかけたくない。


そう思えば思うほど、胸の奥が苦しくなっていく。


それでも、栞は顔を上げた。


「……それで、明日のデモなんですけど」


いつもより小さな声で、話を始める。


「私……もう少し、改良したいところがあって……」


蓮たちは、真剣に耳を傾けてくれた。


誰も笑わなかった。


誰も馬鹿にしなかった。


それなのに、栞の胸には、まだ消えない痛みが残っていた。


人と話すことは、やっぱり怖い。


自分を変えようとすればするほど、傷つくこともある。


それでも――。


栞は、もう一度だけ前を向こうとした。


このときの彼女は、まだ知らなかった。


自分を傷つけた言葉に、蓮がどれほど真剣に向き合うことになるのかを。


そして、自分がどれほど大切にされているのかを。


まだ、知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。