作戦開始
翌日の昼休み。
俺たちは、栞の電子工学部を救うため、部室に集まっていた。
悠斗、陽菜、麗華、そして栞。
机の上には、昨日作った勧誘用のポスターと、電子工学部でできる活動をまとめた資料が並んでいる。
栞はそれらを胸に抱え、いつも以上に緊張した様子だった。
「栞ちゃん、準備はいい?」
陽菜が明るく声をかける。
「……ま、まだ少し……」
「大丈夫だよ。私たちも一緒にいるから!」
「そうです。最初から完璧にこなす必要はありません」
麗華も落ち着いた口調で続けた。
「重要なのは、電子工学部に興味を持ってくれる人を見つけることです。全員を勧誘する必要はありません」
「……はい」
栞は小さく頷き、深呼吸をした。
「……頑張ります」
「よし、それじゃあ作戦開始だ!」
陽菜の掛け声とともに、俺たちは部室を出た。
まずは、学校で許可されている掲示板にポスターを貼る。
ポスターには、栞が作った小型ロボットや電子回路の写真を載せた。さらに、プログラミングやセンサーを使った装置など、電子工学部でできることも簡潔にまとめてある。
未経験者でも歓迎することも、目立つように書いておいた。
「うん、いい感じじゃない?」
貼り終えたポスターを見て、陽菜が満足そうに頷いた。
「写真も綺麗に配置されていますね。これなら、どのような活動をしているのか分かりやすいでしょう」
麗華も出来栄えを評価する。
一方、栞はというと、ポスターの前で落ち着かなそうにしていた。
「……誰か、見てくれるでしょうか」
「見る人はいるさ。あとは興味を持ってくれるかどうかだな」
「……そうですよね」
そのとき、ポスターの前を通りかかった男子生徒が足を止めた。
「あれ? 電子工学部って、まだあったんだ」
栞の肩がぴくりと動いた。
「は、はい……あります」
男子生徒はポスターに目を向ける。
「へえ、小型ロボットとか作ってるのか」
「そ、そうです。センサーを使ったり、プログラムを書いたりして……」
「ふーん。面白そうだな」
男子生徒は少しだけ写真を眺めたあと、再び歩き出した。
「……」
栞はその背中を見送った。
「今の人、興味を持ってくれたんじゃない?」
陽菜が励ます。
「……そうでしょうか」
「少なくとも、立ち止まって見てくれたんだからな」
俺もそう言うと、栞は少しだけ表情を明るくした。
しかし、問題はここからだった。
「せっかくだし、もう少し詳しく説明してみようか」
俺が提案すると、栞は勢いよく振り向いた。
「えっ……今からですか?」
「うん。あの人、まだ近くにいるみたいだし」
「む、無理です……!」
「さっきは普通に話せていたじゃないですか」
麗華が指摘する。
「それは……その……」
栞は資料を握りしめた。
「……何を話せばいいのか、分からなくなってしまって」
「大丈夫。栞の作ったものなんだから、栞が一番詳しいだろ?」
「そ、それはそうですけど……」
「じゃあ、まずは挨拶からだ」
俺は栞の隣に立った。
「一人で全部やろうとしなくていい。俺もそばにいるから」
「……西園寺くん」
栞は少しだけ俺を見上げた。
それから、意を決したように一歩踏み出した。
「……あ、あの!」
男子生徒が振り返る。
「はい?」
「こ、この電子工学部のポスターなんですけど……!」
「うん?」
「私たち、部員を募集していて……!」
声は震えていた。
それでも、昨日よりはずっと大きな声だった。
「へえ。電子工学部って、具体的には何をするの?」
「えっ……」
栞の動きが止まる。
けれど、相手は栞に質問してくれている。
電子工学に興味を持ってくれたのかもしれない。
栞は一度深呼吸した。
「えっと……小型ロボットを作ったり、センサーを使った装置を作ったり、プログラミングをしたりします!」
「ロボットか。プログラミングとか、難しそうだな」
「い、いえ! 最初から全部できる必要はなくて……」
栞の声に、少しずつ力が戻ってきた。
「私も最初は何も分かりませんでした。でも、少しずつ勉強して、自分で作れるようになって……」
「へえ」
「例えば、このロボットは近くにある物をセンサーで感知して、ぶつからないように方向を変えるんです。中に小さなコンピューターが入っていて、そこにプログラムを書き込んで……」
栞は話しながら、鞄から小型ロボットを取り出した。
そして、床に置いてスイッチを入れる。
ロボットはゆっくりと進み、男子生徒の靴を感知すると、くるりと方向を変えた。
「おっ、本当に避けた!」
男子生徒が驚いた声を上げる。
「すごいな。これ、自分で作ったの?」
「は、はい!」
栞の表情がぱっと明るくなった。
「まだ改良できるところはたくさんあるんですけど……」
「いや、十分すごいと思うよ」
男子生徒はもう一度ロボットを眺めた。
「でも、俺、電子工学とか全然分からないんだよな」
その言葉を聞いた瞬間、栞の表情が曇った。
「……そう、ですよね」
「悪い。俺にはちょっと難しそうだ」
男子生徒はそう言って、その場を離れていった。
「……」
栞は動かなくなったロボットを見つめた。
「……駄目でした」
「栞ちゃん……」
陽菜が心配そうに声をかける。
「せっかく説明したのに……興味を持ってもらえませんでした」
「いや、そんなことはないと思うぞ」
俺は首を横に振った。
「少なくとも、ロボットを見て驚いていたし、質問もしてくれた。最後に入部しなかったからって、今までの努力が無駄になったわけじゃない」
「……でも」
「全員が電子工学に興味を持っているわけじゃありません」
麗華が静かに続けた。
「ですから、興味を持ってくれる人を探す必要があるのです。最初から全員を納得させようとするのは、効率的ではありません」
「……興味を持ってくれる人」
栞はその言葉を繰り返した。
「そう。焦らなくてもいいんだよ」
陽菜が笑いかける。
「私たちだって、まだまだ手伝うからね!」
「……ありがとうございます」
栞は小さく頭を下げた。
その後も、俺たちは校内で勧誘を続けた。
陽菜は明るい声で生徒たちに話しかけ、麗華は活動内容を分かりやすく整理して説明した。
俺もできるだけ栞が話す機会を作りながら、必要なときにはさりげなく助け舟を出した。
しかし、結果はなかなか出なかった。
「ごめん、今日は忙しいんだ」
「興味はあるけど、ほかの部活に入ってるから」
「ロボットは好きだけど、作る方にはあまり興味がないかな」
断られるたびに、栞の声は少しずつ小さくなっていった。
やがて、放課後。
俺たちは再び電子工学部の部室へ戻ってきた。
「……今日は、誰も入部してくれませんでしたね」
栞は机に置いた資料を見つめながら呟いた。
「まだ一日目だからね」
陽菜が励ます。
「そうです。勧誘は一度で結果が出るとは限りません」
麗華も頷いた。
それでも、栞の表情は晴れなかった。
「……私の作ったものじゃ、駄目なんでしょうか」
「どうしてそう思うんだ?」
俺が尋ねると、栞は戸惑いながら答えた。
「ロボットを見せれば、興味を持ってくれると思っていました。でも、ほとんどの人は、少し見ただけで行ってしまって……」
「……」
「もっとすごいものを作らないと、駄目なのかもしれません」
栞は膝の上で両手を握りしめた。
俺は少し考えてから、彼女に尋ねた。
「栞は、どうして電子工学が好きなんだ?」
「……え?」
突然の質問に、栞が顔を上げる。
「前に話してくれただろ。壊れたラジオを分解したことがきっかけだったって」
「……はい」
「そのとき、誰かに褒めてもらいたくて分解したのか?」
「……違います」
栞は首を横に振った。
「ただ……中がどうなっているのか、知りたかったんです」
「うん」
「どうして音が出るのか。どうして電気が流れるのか。どうして、こんなに小さな部品が集まると、ひとつの機械として動くのか……」
話しているうちに、栞の目が少しずつ輝き始めた。
「それが分かったとき、すごく嬉しかったんです。自分で作った回路が動いたときも……何度も失敗したのに、最後にはちゃんと動いて……」
「……それが好きなんだな」
「……はい」
栞は小さく頷いた。
「……大好きです」
その言葉を聞いて、俺は笑った。
「だったら、その気持ちを伝えればいいんじゃないか?」
「……気持ちを?」
「うん。もちろん、何を作っているのか説明することも大事だと思う。でも、それだけじゃなくて、栞が何を面白いと思っているのか。何を作りたいのか。どうして電子工学が好きなのか。そういうことも話してみたらどうだ?」
栞は黙って俺を見つめていた。
「すごいものを作らなきゃいけないわけじゃない。栞が楽しそうに話していたら、それを聞いて興味を持つ人だっていると思う」
「……私が、楽しそうに……」
「そう。昨日、電子工学の話をしてくれたとき、すごく楽しそうだったぞ」
「……!」
栞の頬がほんのり赤くなる。
「……そ、そんなに話していましたか?」
「かなりな」
「……うぅ」
栞は恥ずかしそうに顔を伏せた。
陽菜がくすくすと笑う。
「でも、私も栞ちゃんの話を聞くの、好きだよ。知らないことがいっぱいあるし、もっと聞きたくなるもん」
「私もです」
麗華も同意した。
「専門的な話はまだ理解できない部分もありますが、栞さんが本当に好きで取り組んでいることは伝わってきます」
「……陽菜さん、九条さん……」
栞は二人を見つめた。
「……ありがとうございます」
その表情には、さっきまでのような落ち込みはなかった。
「……もう一度、やってみます」
「うん。それでこそだ」
俺が頷くと、栞も小さく笑った。
「明日は、もう少し自分の言葉で話してみます。電子工学のことを、私がどうして好きなのか……ちゃんと伝えてみたいです」
「いいと思うよ」
陽菜が嬉しそうに手を叩いた。
「明日もみんなで頑張ろう!」
「ええ。ただし、闇雲に勧誘するのではなく、相手の反応を見ながら説明することも忘れないでください」
麗華が付け加える。
「はーい!」
「……はい」
二人の返事を聞きながら、俺は少しだけ安心していた。
今日、入部希望者は一人もいなかった。
数字だけを見れば、失敗だったと言えるのかもしれない。
けれど、栞は昨日よりも確実に前へ進んでいた。
知らない相手に自分から声をかけた。
自分の作ったロボットを見せた。
そして、断られても、もう一度挑戦しようとしている。
それだけでも、大きな進歩だと思う。
「……西園寺くん」
帰り支度をしていると、栞が俺を呼んだ。
「ん?」
「今日は……ありがとうございました」
「俺は何もしてないよ」
「そんなことありません」
栞は少しだけ首を横に振った。
「西園寺くんが話を聞いてくれたから、私……もう一度、頑張ろうと思えたんです」
「……そっか」
俺は笑って頷いた。
「だったら、明日も頑張ろうな」
「……はい!」
栞は今度こそ、はっきりと返事をした。
電子工学部を救うための作戦は、まだ始まったばかり。
必要な部員の数も、残された時間も、決して楽観できるものではない。
それでも――
水野栞は、少しずつ変わり始めていた。




