人と話すための練習
放課後。
電子工学部の部室には、今日も四人の姿があった。
悠斗、陽菜、麗華、そして栞。
机の上には、昨日までに作ったポスターの案や、電子部品、工具、小型ロボットの試作品が並んでいる。
栞の電子工学部を廃部から救うため、俺たちは少しずつ準備を進めていた。
「さて……今日は何をする?」
俺が尋ねると、陽菜が手を挙げた。
「今日は栞ちゃんが、他の生徒に声をかける練習!」
「……え?」
栞の表情が固まった。
「ポスターを作ったり、展示するロボットを準備したりするだけじゃ、部員は増えないでしょ?」
「そ、それは……そうですけど……」
「だから、実際に人と話す練習をしよう!」
陽菜はそう言って、栞の前に立った。
「私が知らない人の役をやるね」
「えっ……」
「はい、どうぞ!」
陽菜は一度部屋の隅まで歩いていき、こちらを振り返った。
そして、わざと他人行儀な表情を作る。
「……どうも」
「……」
栞は完全に固まっていた。
「栞ちゃん?」
「……」
「大丈夫?」
「……こんにちは」
「うん!」
陽菜が嬉しそうに笑う。
「その調子!」
「……こんにちは。電子工学部に……」
そこで栞の声が止まった。
「……」
「続き、続き!」
「……入って、みませんか?」
「いいじゃん!」
陽菜が拍手する。
栞は少しだけ頬を赤くした。
「……恥ずかしいです」
「でも、ちゃんと言えたよ」
「……はい」
俺も頷いた。
「最初はそれだけで十分だと思う」
「……ありがとうございます」
栞が小さく笑った。
すると、麗華が一歩前へ出た。
「次は私が相手をしましょう」
「九条さんが?」
「はい」
麗華は腕を組み、いつもの落ち着いた表情を浮かべる。
「私は、電子工学に興味のない生徒という設定です」
「……分かりました」
「では、始めます」
麗華は少しだけ視線を逸らした。
「電子工学部ですか?」
「は、はい……」
「申し訳ありませんが、あまり興味がありません」
栞の肩が少し落ちる。
「……そうですか」
「ここで終わってはいけません」
麗華がすぐに言った。
「相手が興味を持っていないなら、そこで諦めるのではなく、何に興味があるのか聞いてみてください」
「……何に、興味があるか……」
「はい」
栞は少し考えた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……普段、何か好きなことはありますか?」
「……」
麗華の表情が少し変わった。
「とても良い質問です」
「本当ですか?」
「ええ。電子工学に興味がなくても、その人が好きなものと電子工学を結びつけられる可能性があります」
「例えば?」
俺が聞くと、麗華は答えた。
「ゲームが好きなら、プログラミングやゲーム制作の話ができます。ロボットが好きなら機械制御。音楽が好きなら電子楽器や音響機器について話せます」
「なるほど……」
栞が真剣に頷く。
「……電子工学って、思ったより何でも関係してるんですね」
「そういうことです」
栞の目が少し輝いた。
「それなら……もっといろんな人に話せるかもしれません」
「うん」
俺も笑った。
「栞なら大丈夫だよ」
「……はい」
栞が嬉しそうに頷いた。
……順調だ。
そう思った、そのときだった。
「じゃあ、次は私と蓮が練習相手になるね!」
陽菜が突然、俺の隣に座った。
「え?」
「蓮、放課後一緒に勉強しない?」
「いいよ」
「ちょっと待ってください」
麗華が即座に口を挟んだ。
「蓮には、すでに私との予定があります」
「……え?」
陽菜が麗華を見る。
「いつから?」
「今からです」
「今から!?」
「はい」
「私は幼馴染なんだけど?」
「私は勉強を教える立場です」
「私だって勉強くらい教えられるよ!」
「では、数学は?」
「……」
「英語は?」
「……」
「古典は?」
「……」
陽菜が黙った。
「……国語なら!」
「私も国語はできます」
「じゃあ、何なら勝てるの!?」
「勝負をしているつもりはありませんが?」
「してるでしょ!」
二人が睨み合う。
俺は二人を交互に見た。
「……なんで喧嘩してるの?」
「「喧嘩してません!」」
声が綺麗に重なった。
「……そう?」
俺には何が何だか分からない。
その様子を、栞は少し離れたところからじっと見ていた。
そして、心の中で呟く。
(……二人とも、西園寺くんのことが好きなんだ)
どう考えても明らかだった。
幼馴染として距離の近い陽菜。
そして、普段は冷静なのに、蓮のことになると妙に反応する麗華。
(……なのに、どうして本人は気づいてないんだろう)
栞は悠斗を見る。
悠斗は、本気で二人がなぜ争っているのか分かっていない顔をしていた。
(……不思議な人)
栞は小さく息を吐いた。
けれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ――
少しだけ、面白いと思った。
「……じゃあ、次はポスターを作りましょう」
栞が言う。
「お、切り替え早いね」
陽菜が笑う。
「はい。部員を増やすためには、まず電子工学部が何をしているのか知ってもらわないといけません」
栞は机の上に置かれた紙を指差した。
「それから、展示するものも必要です」
「展示?」
「はい」
栞が少し得意げに言う。
「私が作ったものを見てもらいます」
机の上には、小さなロボットが置かれていた。
「これ、動くの?」
俺が尋ねる。
「もちろんです」
栞は工具を手に取った。
「少し調整します」
細かな部品を扱うため、栞はいつもの薄いフレームの眼鏡をかけた。
そして、黙々と作業を始める。
「……どのくらいかかる?」
「少しです」
「その『少し』って、どのくらい?」
「……少しです」
「さっきから一時間くらい経ってるけど」
「あと少しです」
麗華が静かに言った。
「その言葉は、決して最後ではありませんね」
「……」
栞が黙る。
陽菜が吹き出した。
「麗華ちゃん、それ正解!」
「……失礼しました」
栞は少し恥ずかしそうにしながら、最後の部品を取り付けた。
そして――
「……できました」
スイッチを入れる。
小さなロボットが動き出した。
机の上をゆっくり進み、障害物を感知すると方向を変える。
「おお!」
陽菜が声を上げる。
「すごい!」
俺も思わず身を乗り出した。
「本当に自分で避けてる」
「近接センサーで障害物を検知して、マイコンがモーターの制御をしています」
「……なるほど」
「……分かりました?」
「全然分からない」
「……」
栞が固まる。
麗華が小さく笑った。
「ですが、すごいということは分かったのでしょう?」
「それは分かる」
俺が頷くと、栞は少しだけ嬉しそうに笑った。
「……ありがとうございます」
その笑顔を見て、陽菜も笑う。
「よかったね、栞ちゃん」
「はい」
栞はロボットを見つめた。
そして、少しだけ顔を上げる。
「……明日」
「ん?」
「明日、誰かに……声をかけてみます」
「うん」
俺は頷いた。
「きっと大丈夫」
「はい……やってみたいです」
陽菜も、麗華も頷いた。
「頑張ろう、栞ちゃん!」
「私たちも協力します」
「……ありがとうございます」
栞は三人を見た。
人と話すことは、電子回路よりずっと難しい。
失敗しても、部品を交換すればやり直せるわけじゃない。
それでも――
「……やってみます」
それが、水野栞にとっての最初の一歩だった。




