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九条麗華と迎える社交の場

 日曜日。


 ついに、社交の場へ出席する日がやってきた。


 朝から西園寺家の屋敷は、いつも以上に慌ただしかった。


 使用人たちが会場や出席者に関する最終確認を行い、神崎さんも何度も予定を確認している。


 今日の俺は、ただの高校生として参加するわけではない。


 西園寺家の代表として、この場に立つ。


 学校で西園寺蓮を演じるのとは、緊張感がまるで違った。


 今日ここに集まるのは、日本でも有数の企業を経営する家の人々。


 その中には、俺より何十年もこういう世界で生きてきた大人たちもいる。


 失敗はできない。


 鏡の前に立ち、自分の姿を確認する。


 黒髪。


 空色の瞳。


 黒を基調とした仕立ての良いスーツ。


 白いシャツに、落ち着いた色のネクタイ。


 靴も完璧に磨かれている。


 見た目だけなら、もう完全に西園寺蓮だった。


「……本当に別人になったみたいだな」


「外見だけで言えば、完璧です」


 後ろから神崎さんの声が聞こえた。


「問題は?」


「本日、どのように振る舞うかです」


「……ですよね」


 俺が苦笑すると、神崎さんはわずかに口元を緩めた。


「ですが、必要以上に緊張する必要はありません」


「そう言われても……」


「今まで私が教えたことを思い出してください」


「姿勢、歩き方、挨拶、会話の仕方……」


「その通りです」


 神崎さんは最後に俺のネクタイを確認した。


「それに、今日は一人ではありません」


「……九条?」


「はい」


 今日、俺と一緒に西園寺家を代表するのは、九条麗華。


 俺と同じように、日本有数の名家を背負う少女だ。


「そろそろ出発しましょう」


「分かった」


 俺たちは屋敷を出た。


 玄関前には、今日のために用意された一台の特別な車が停まっていた。


 黒塗りの長い車体。


 余計な装飾はない。


 それでも、見るだけで普通の車ではないことが分かる。


 西園寺家専用の特別仕様のリムジンだった。


「うわ……」


「どうかしましたか?」


「いや……学校に行くときの車とは、ちょっと違うなって」


「本日は正式な社交の場ですから」


 神崎さんが運転席へ向かう。


 俺も後部座席へ乗り込んだ。


 そして、リムジンは九条家へ向かって走り始めた。


 しばらくすると、窓の外に見慣れた景色が流れていく。


 今日は九条家の両親は参加しない。


 昨日、九条さんの両親と話したときに聞いた。


 今回の社交の場では、麗華が九条家を代表する。


 俺も西園寺家を代表する。


 つまり、今日は俺たち二人で、それぞれの家を背負うことになる。


 そう考えると、また少し緊張してきた。


「……本当に、俺で大丈夫なのかな」


「大丈夫ですよ」


 運転席から神崎さんの声が返ってくる。


「ですが、少しだけ確認しておきましょう」


「何を?」


「本日の目的です」


「目的?」


「西園寺家の代表として、他家との交流を行うこと。そして、失礼のないように振る舞うことです」


「……それなら分かってる」


「なら問題ありません」


 そんな会話をしているうちに、リムジンは九条家の屋敷へ到着した。


 神崎さんが車を停める。


 そして後部座席のドアを開けた。


「九条様」


「ありがとうございます」


 麗華が車へ乗り込んできた。


 その瞬間――


 俺は言葉を失った。


「……」


「……どうしました?」


 麗華は少し不思議そうに俺を見る。


 今日の彼女は、いつもの制服姿ではなかった。


 淡い水色。


 氷のように透明感のある、柔らかな色合いのドレスだった。


 上半身は身体の線を綺麗に見せながらも、決して派手すぎない上品な仕立て。


 スカート部分は軽やかな生地が何層にも重なり、膝下へ自然に広がっている。


 細かな銀色の刺繍が控えめに施されており、光を受けるたびに小さく輝いていた。


 肩には同じ水色の薄いショール。


 長い青黒い髪は一部を後ろでまとめ、残した髪が頬の横へ柔らかく流れている。


 髪には小さな銀色の髪飾り。


 そして、紫色の瞳がいつも以上に鮮やかに見えた。


 普段から綺麗だと思っていた。


 けれど――


 今日の麗華は、まるで別人のようだった。


「……蓮?」


「え?」


「さっきから、ずっとこちらを見ていますけど……」


「……ああ」


 俺は少し迷った。


 でも、素直に言うことにした。


「すごく綺麗だなと思って」


「……っ」


 麗華の表情が固まった。


「そのドレス、すごく似合ってる。色も……麗華に合ってると思う」


「……」


 頬が少しずつ赤くなっていく。


「……ありがとうございます」


「うん」


 俺が自然に答えると、麗華は視線を逸らした。


「……蓮も、その……」


「俺?」


「よく似合っています」


 麗華がこちらを見る。


「そのスーツ。とても似合っています」


「本当?」


「はい」


「よかった」


 俺は自分の服を見下ろした。


「何日も練習した甲斐があったな」


「ふふっ……」


「何?」


「いえ」


 麗華が小さく笑う。


「少しだけ、安心しました」


「安心?」


「今日のあなたなら、大丈夫そうだと思ったので」


「それならよかった」


 神崎さんがドアを閉める。


 そして再び運転席へ戻った。


 リムジンがゆっくりと動き出す。


 俺と麗華は隣に座った。


「今日は、私の両親は来ません」


「うん。昨日聞いた」


「父も母も、私一人で大丈夫だと言ってくれました」


「それだけ信頼されてるってことだな」


「……そうかもしれません」


 麗華は窓の外を見ながら答えた。


「だから今日は、私も九条家の代表として参加します」


「俺も西園寺家の代表だ」


「はい」


 二人の視線が一瞬だけ重なる。


「……なんだか、不思議ですね」


「何が?」


「学校では同じ生徒なのに、今日はこうして家を背負っているなんて」


「確かに」


 俺は苦笑した。


「俺も、数週間前まではこんな世界とは無縁だったからな」


「でも、今ではかなり馴染んできたと思います」


「そうかな?」


「はい」


 麗華は俺を見る。


「少なくとも、最初に会った頃よりはずっと自然です」


「最初って……廊下でぶつかったとき?」


「そうです」


「あのときは悪かったな」


「本当にそう思っていますか?」


「思ってるよ」


「なら、よしとしましょう」


 麗華が小さく笑う。


 俺もつられて笑った。


 しばらくして、俺は窓の外へ視線を向けた。


「でも、やっぱり少し緊張するな」


「緊張しているようには見えませんけど」


「ものすごく緊張してる」


「そうですか?」


「うん。心臓がさっきからずっと騒がしい」


「……ふふっ」


「笑うなよ」


「すみません」


 麗華は口元を隠しながら笑っている。


「でも、安心してください」


「?」


「私も一緒にいますから」


「……そうだな」


 俺は少しだけ肩の力を抜いた。


「麗華がいてくれるなら、なんとかなる気がする」


「……っ」


 今度は麗華が黙った。


「どうした?」


「……いえ」


「顔、赤くない?」


「赤くありません」


「いや、赤いだろ」


「気のせいです」


「でも――」


「気のせいです!」


「分かった、分かった」


 俺が笑うと、麗華はさらに顔を赤くした。


 しばらくして、麗華が小さな声で言った。


「……今日は、よろしくお願いします」


「うん。こちらこそ」


 リムジンは二人を乗せたまま、会場へ向かって進んでいった。


 しばらくすると、窓の外に大きな建物が見えてきた。


 今回の社交の場が開かれる、都内でも有数の高級ホテル。


 その正面には、すでに何台もの高級車が停まっている。


「……着いたな」


「はい」


 麗華も外を見つめる。


 俺は一度だけ深呼吸した。


「復習しておこう」


「何をですか?」


「挨拶は丁寧に」


「はい」


「姿勢を崩さない」


「はい」


「相手の話をきちんと聞く」


「その通りです」


「それから――」


 俺は麗華を見る。


「もし俺が何か間違えたら、助けてくれ」


 麗華は一瞬驚いたように目を瞬かせた。


 そして、柔らかく微笑んだ。


「もちろんです」


 リムジンが静かに停止する。


 神崎さんが先に降り、後部座席のドアを開けた。


 俺が先に車を降りる。


 そして麗華へ手を差し出した。


「どうぞ」


「……ありがとうございます」


 麗華は俺の手を取った。


 二人で並んで立つ。


 周囲から視線が集まり始めた。


 西園寺家の御曹司。


 そして、九条家の令嬢。


 今日はそれぞれの家を代表する立場だ。


 俺は一度だけ麗華を見る。


 麗華もこちらを見る。


「行こう、麗華」


「はい、蓮」


 二人は並んで、ホテルの入口へ歩き始めた。


 今日という日が、俺たちの関係を大きく変えることになるなんて――


 このときの俺は、まだ知らなかった。

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