三人で始まる勉強会
翌日の放課後。
いつものように図書室へ向かうと、九条はすでにいつもの席に座っていた。
机の上には教科書とノートがきれいに並べられている。
相変わらず、何もかもが整っている。
「九条」
「西園寺君。来ましたか」
「ああ」
俺は向かいの席に座った。
そして、昨日のことを思い出す。
「そうだ。九条に一つ聞きたいんだけど」
「何でしょう?」
「昨日、友達から一緒に勉強したいって言われたんだ」
「友達?」
「ああ。幼馴染なんだけど……今日から一緒に勉強してもいいかな?」
九条は少しだけ考えた。
そして、すぐに頷く。
「構いませんよ」
「本当に?」
「ええ。勉強をするために来るのであれば、断る理由はありません」
「ありがとう」
思っていたよりも、あっさり許可してくれた。
「じゃあ、明日から三人で勉強することになるな」
「分かりました」
九条はそう答えると、すぐに教科書へ視線を戻した。
俺も自分のノートを開いた。
このときの俺は――。
これから始まる三人での勉強会が、少し妙な空気になるなんて思ってもいなかった。
翌日の放課後。
図書室の同じテーブルに、俺たち三人が集まっていた。
「改めて紹介するな」
俺は二人を見る。
「陽菜。こっちは九条麗華」
「初めまして。桜井陽菜です」
陽菜は笑顔で頭を下げた。
「九条さんのことは知ってるよ。今月の成績ランキング、一位だったよね」
「ええ。ありがとうございます」
九条も丁寧に頭を下げる。
「九条麗華です。よろしくお願いします」
「よろしくね」
二人とも笑顔だった。
うん。
今のところは問題なさそうだ。
俺がそう思った直後だった。
陽菜が少しだけ胸を張った。
「私は蓮の幼馴染だから」
「……」
俺は陽菜を見る。
なぜ、そんなに誇らしげなんだ?
九条も少しだけ目を瞬かせた。
「そうですか」
「うん。小さい頃からずっと一緒なんだよ」
「なるほど」
九条は静かに頷く。
すると陽菜が俺を見る。
「ね?」
「何が?」
「私たち、ずっと一緒だったよね?」
「まあ……そうだけど」
「でしょ?」
陽菜は満足そうに笑った。
九条はそんな二人を静かに見ている。
「それでは、勉強を始めましょうか」
「うん!」
こうして、三人での勉強会が始まった。
最初のうちは、驚くほど順調だった。
九条は数学を中心に教え、陽菜は国語や英語の問題を手伝ってくれる。
俺は二人に教えてもらいながら、必死に問題を解いていった。
「よし……」
一問解き終えて、俺は小さく息を吐いた。
「合ってる?」
俺はノートを九条に見せる。
「確認します」
九条が答えを確認する。
「正解です」
「本当?」
「ええ」
「よかった……」
最近は少しずつだけど、問題を解けるようになってきた。
やっぱり、誰かに教えてもらうと全然違う。
「じゃあ、次はこれだな」
俺は次の問題を見る。
しかし――。
数分後。
「……分からない」
完全に手が止まった。
九条がこちらを見る。
「どこですか?」
「この部分」
俺が問題を指差す。
九条は俺のノートを確認すると、静かに立ち上がった。
「少し見せてください」
「ああ」
九条は俺の隣へ移動する。
「ここです。西園寺君は、この公式を使おうとしていますが――」
九条は俺のノートを指差した。
「この問題では、こちらの考え方を使ったほうが簡単です」
そう言いながら、さらに俺の近くへ身を寄せる。
長い髪が肩からさらりと落ちた。
「まず、ここをこう変えて……」
俺は九条の説明に集中する。
「……あ」
少しずつ意味が分かってきた。
「なるほど……そういうことか」
「そうです」
「分かった!」
俺が顔を上げる。
「ありがとう、九条。すごく分かりやすかった」
「それならよかったです」
九条は何事もなかったかのように自分の席へ戻った。
その様子を、向かい側から見ていた陽菜は――。
「……」
無言だった。
「陽菜?」
「なに?」
「どうした?」
「……別に」
陽菜は笑った。
けれど、その手には少しだけ力が入っていた。
さっきの九条の姿が頭から離れない。
近い。
さすがに近すぎる。
もちろん、九条にはそんなつもりがない。
ただ勉強を教えていただけだ。
それは陽菜にも分かっている。
分かっているのだが――。
(……近くない?)
陽菜は心の中で小さく呟いた。
そして、そんな自分に戸惑った。
すると今度は、陽菜が問題を見ている俺に声をかけた。
「蓮」
「ん?」
「今度は私が教えるよ」
「え?」
「ここ」
陽菜は俺の隣へ移動する。
「この問題、ちょっと考え方が違うんだよ」
「どこ?」
「ここ」
陽菜は俺のノートを覗き込みながら説明を始めた。
「この文章を読んだら、こう考えるの」
「ああ……」
「分かった?」
「うん。たぶん」
「たぶん?」
「いや、分かった」
「ふふっ」
陽菜が嬉しそうに笑う。
「よかった」
九条はその様子を静かに見ていた。
「……」
しかし、何も言わなかった。
しばらくして、俺はもう一度数学の問題に取り組んだ。
「よし……」
ペンを走らせる。
しかし――。
「……やっぱり分からない」
「またですか?」
九条が言った。
「ごめん」
「謝る必要はありません」
九条は立ち上がった。
「先ほどの問題と似ています」
そして、また俺の隣に座る。
「ここは先ほど説明したところと同じように考えます」
「こう?」
「いえ。もう少し下です」
九条が問題を指差す。
俺は完全に説明へ集中していた。
その様子を、陽菜が見ている。
「……」
また近い。
陽菜は無意識に鉛筆を強く握った。
ギュッ。
「陽菜?」
「な、なに?」
「鉛筆、折れそうだけど」
「え?」
陽菜が自分の手を見る。
確かに、かなり強く握っていた。
「だ、大丈夫!」
慌てて力を抜く。
九条が陽菜を見る。
「体調が悪いのであれば、無理をしないほうがいいですよ」
「大丈夫!」
「そうですか」
九条はそれ以上気にせず、俺のノートへ視線を戻した。
陽菜は九条を見る。
(……どうしてそんなに近づくの?)
もちろん、九条に悪気はない。
ただ、教えやすい位置にいるだけだ。
それでも陽菜には、なんとなく気になって仕方がなかった。
しばらくして、今度は国語の問題になった。
俺は文章を読みながら首を傾げる。
「これってどういう意味なんだ?」
陽菜がすぐに反応した。
「それなら私が教える!」
陽菜は立ち上がると、俺の隣に座った。
「これはね――」
そして、俺のノートを指差す。
「この文章の前に書いてある部分を読むと分かりやすいよ」
「ああ……なるほど」
「分かった?」
「うん。今度は分かった」
「でしょ?」
陽菜は嬉しそうに笑った。
九条はその様子を見る。
「桜井さん」
「なに?」
「あなたは国語が得意なのですね」
「うん。国語は結構得意」
「なるほど」
九条は少し考える。
「それなら、あなたが国語を担当するのは効率が良さそうですね」
「そうでしょ?」
陽菜は嬉しそうに頷いた。
ところが、九条は続けた。
「ただし、勉強中に話が脱線することがあります」
「え?」
「先ほどから五分ほど、勉強とは関係のない話をしていました」
「そ、それは……!」
「集中しましょう」
「……はい」
陽菜が少しだけしょんぼりする。
俺は思わず笑ってしまった。
「ははっ」
陽菜が俺を見る。
「蓮、笑ったでしょ?」
「ごめん。でも、九条の言ってることも分かる」
「もう……」
陽菜は頬を膨らませる。
九条は静かに本を開いた。
「では、続けましょう」
「うん……」
三人で勉強を再開する。
それからしばらくして――。
俺はふと思った。
(……三人で勉強するのも悪くないな)
九条は分からないところを的確に教えてくれる。
陽菜は俺が疲れたときに話しかけてくれる。
一人で勉強していた頃より、ずっと楽しい。
ただ――。
「……」
俺は二人を交互に見る。
なぜか今日は、二人とも少しだけ様子がおかしい気がする。
けれど、その理由はまったく分からなかった。
勉強会が終わり、俺が荷物をまとめる。
「今日はありがとう、二人とも」
「ううん。また明日ね、蓮」
「ええ。また明日」
俺は二人に手を振り、図書室を出た。
俺の姿が見えなくなったあと。
陽菜と麗華は、しばらく無言で向かい合っていた。
やがて、陽菜が口を開く。
「……九条さん」
「何でしょう?」
「さっき……」
陽菜は少し迷ってから言った。
「蓮に勉強を教えてたとき、ちょっと近くなかった?」
麗華は首を傾げる。
「近く?」
「うん」
「……ああ。あのときですか」
麗華は少し考えた。
「教えるためには、あのくらいの距離が必要でした」
「そ、そうなんだ……」
陽菜は少しだけ納得する。
「じゃあ、仕方ないよね」
「ええ」
麗華は頷いた。
そして、今度は麗華から尋ねる。
「ですが、桜井さんも先ほど西園寺君の隣に座っていましたよね?」
「……」
陽菜が固まる。
「私も?」
「はい」
「……」
「同じくらい近かったと思いますが」
「…………」
陽菜は何も言えなくなった。
そして、しばらくして小さく呟く。
「……私たち、ちょっと変じゃない?」
麗華は陽菜を見る。
「そうかもしれませんね」
二人は顔を見合わせる。
けれど――。
その理由については、どちらもまだ分かっていなかった。
ただ一つ確かなことがある。
二人とも、少しずつ悠斗のことを意識し始めていた。




